女房様とお呼びっ!
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2002年01月24日(木) |
性癖と性愛と結婚について #2 |
以前に記事したのだが、夫と私がDS関係を解消してからも、つまり互いに性愛の対象でなくなった後も共棲し続けたのは、「主従じゃなくなっても、愛し合ってる」からじゃない。その時点で、私達の相手に対する愛情の認識は、すっかりすれ違ってしまっていた。性関係の破綻は、すなわち愛情関係の破綻だったということだ。
少なくとも当時、性欲(性癖)と愛情が緊密に関わっていた夫にとって、「主」に対する「犬」の愛は終わっていたのだ。だから、はっきりと「キミを愛してない」と言い得た。一方私は、彼が「犬」でなくなっても愛している自覚があったので、彼の愛情の持ちようにショックを受けたし、愛し続けてもいいものかと自問自答を繰り返した。
暗鬱な気持ちで、これからどうするか?を話し合う中で、彼の口から出た言葉に、私は再度ショックを受ける。「情はあるから」と私の愛に対するエクスキューズをしながらも、「キミといると都合がいい」と言ったのだ。それは、切羽詰まって言い放った言葉ではなく、彼の真意、本音だったと思う。結局、私は受け入れることにしたけれど。
・・・・・。
配偶者に自分の性癖を知られたくない、と怖れる既婚者は多いはずだ。性癖を晴らすにおいて、配偶者とヤりたいか、配偶者は対象外と考えるかによらず。結婚しても、配偶者に明かす必要のない、或いは秘密にすべき事柄のひとつやふたつはあるものだが、こと性癖となると、性愛に絡む事情なので、バレるとヤバイかなと。
ある性癖を、その性癖を持たない人に理解してもらうとか、理解は得られなくとも受け入れてもらう、認めてもらうというのは、実に難しいと思う。博打好きの夫を、ショウガナイワネと妻が不承不承認める、ようなワケにはいかないだろう。大抵の夫婦間に性愛があり、或いはそうあるべきという認識があれば、問題は更に深刻になる。
厄介な秘密を抱えて、しかし秘密を捨て去ることも出来ない。しかも、欲望を晴らす段階で、秘密は更なる秘密を呼ぶ。自らの中で、自分の性癖をどう位置づけ(愛情に関わる性欲なのか、そうでないのか)ていても、配偶者に対する後ろめたさのようなモノはつきまとうことだろう。そのことに苦悩する人は、多いのではないか。
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この点で、夫は「都合がよかった」ワケだ。SMな蔵書を処分する必要もなく、まして隠し持つ必要もない。彼が力を注いだSM同好会や、斯界の人脈をふいにすることも免れた。しかも、それは、私が彼に望んだことでもあった。それらは、私も関与して築いた財産だったからね。だから、私は「都合がいい妻」の位置を受け入れたのだ。
当時はショックを受けた私だが、互いが性的に関わらずとも性癖を認めあう今の関係を「都合がいい」と思っている。今となれば、感謝すらしている。なぜなら、共通の趣味を殆ど持たない私達の、唯一共感しあえる趣味だから(笑)勿論、互いが趣味を楽しむ(笑)状況や手段は、かなり違っている筈だけど、語り合うことは未だに沢山ある。
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私達の夫婦のありようを、同じ性癖を持つ人に明かせば、おおよその人が「羨ましい」と仰る。確かにそうかもしれないと、私も有り難く思う。けれども、夫婦間で性癖を明かしあうとイイデスヨとは、提案しがたい。むしろ、そう願う人には、マッタをかける。主従関係と結婚の両立を望むM男性には、尚のこと、そうしている。
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