女房様とお呼びっ!
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先日のこと。夫が、菓子のチラシを見ながら言った。
「このケーキ、買って来”させられた”ことがあったねぇ…」
「そんなこともあったかなぁ」と言葉を返しながら、しかし、思い出せずにいた。 いや、その時。私は、記憶を辿るよりも、別な感慨を抱いてしまってたんだよね。 「させられた」という言い回しに、胸を衝かれたんだ。胸苦しい気持ちになった。 なぜなら、その言葉尻だけで、彼が「犬」であった頃の記憶だとわかるから。
私達が「犬」と「主」でなくなってから、私は、彼に何かを命じたことはない。 「…させる」なんて意識は、爪の先程も持ってない。嘘臭いけど、本当のことだ。 それは、彼にしたって、同じだと思う。いつだって、丁寧に言葉を使ってくれる。 過去には、危機的に険悪な状態の時もあったけど、その部分だけは崩れずにきた。
・・・・・。
あの頃。「主」な私は、「犬」の彼に、○○しろと命ずるのに一生懸命だった。 命じることが「主」の思いやりであり、命に従うことが「犬」の悦びだったから。 いや、思い起こせば、努めてそう理解して、努力して実行してた感じだったなぁ。 なぜって、私は、人にモノを頼む事が苦手だったのね。まして、命じるなんてサ。
というか、人に何かしてもらうとか、して欲しいとか、思い付かないんだよね。 生来の習い性なのかな?大抵のことは自分でやるし、やれると思ってる。今でも。 「従」側にあれこれ言いつけて、用立てるようなタマじゃないんだ。ホントはね。 独りよがりの思い過ごしかもしれないけど、私はたぶん、女王様気質じゃない(笑
それでも、懸命に従う「犬」を見るのが嬉しくて、私は絶えず命令を下し続けた。 主だから命令して当然ってんじゃなくて、命ずること自体が、私の悦びになった。 それは、ボール遊びに興じる飼い犬と飼い主のような有り様だったかもしれない。 飼い犬可愛さに、ボール投げさせられてるような・・・どっちが主なんだかね(笑
ま、そんなのどっちでもいいんだよ。愛しい「犬」を飼うのに夢中だったってこと。 結果的に、夢中になれる行為も関係もなくなったけど、愛しさだけは残ってる。 だから、あの頃「命令」に込めた「犬」への愛しさは、今でも胸の内にあるんだね。 失った愛の対象への愛情が、ただの未練とか、報われぬ片思いに過ぎなくても。
・・・・・。
ただの夫婦として穏やかに暮らす私達は、今更、あの頃のことを語ることはない。 いや、片思いの私としては、当時のあれこれを、夫と共に回想するのは面映ゆい。 と同時に、夫にとっては、あの頃の記憶は負担なのではないかと憶測もするのよ。 あれは一時の夢だったと、記憶の果てにしまい込みたいんじゃないかしらってね。
だから、不意に、「犬」の記憶を語った彼の言葉に、酷く動揺してしまったの。 あぁ、記憶を捨て去らずに憶えててくれたんだと、嬉しかった。心から感謝した。 私達の出会いや、あの奇妙な生活は、確かに束の間の夢だったかもしれないね。 けれど、その想い出を抱きながら、あなたと共にいることが出来て、幸せだわ。
***
「 そういえば誰かが言ってた、 マゾにとってお仕置きが快楽であるならば、 お仕置きされないということが最大のお仕置きである。 ということは、 マゾにとってはお仕置きされないということは 最大の快楽ということになる。 」
『夕方のおともだち』 山本直樹著より抜粋引用
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