女房様とお呼びっ!
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2001年08月06日(月) オトナの実験 #1

コドモの頃、夜、布団の中で「死んだことにする」のが好きだったのね、私(笑)
ナンダソリャな遊びなんだけど、気持ちイイのよ。妙なワクワク感もあったし。
ま、未経験の事だから(笑)、自分に都合良く創り上げた「死」の感覚を楽しむの。
鼓動や呼吸が止まり硬直した自分を妄想すると、何か甘やかな感じがしたっけ。

この遊び、初めは「悲劇のヒロインごっこ」だったはずなんだ、幼稚だわねぇ(笑)
当時『赤いシリーズ』てなTVドラマが活況で、儚げな美少女が死ぬ筋ばっかで。
それに憧れて、当たり前に悲劇のヒロイン願望抱いて、劇的な死を夢想してたの。
ところが、死の妄想が余程気持ちよくて、次第にドラマ性が必要なくなったと・・・。

もっとも、「死人ごっこ」に他者を夢想する、気味の良さってのもあったんだ(笑)
私の「死んだフリ」は、死んでる自覚はあるんだけど、体の内側は生きてる感じで、
他者が、私を死体と認識してる意識もあるの。ややこしい説明だけど、解るかな?
幽体離脱ってのとも違うかもネ。んー、ま、これも経験がないから、判らないや。

思春期を過ぎて、いつしかこの遊びは忘れてたんだけど、ある日思い出したのよ。
それも、セックスしてる最中に(笑)・・・アレ?この感じって?って閃いたのね。
快感に身を任せて体や頭を空っぽにしてる感じが、「死んだフリ」によく似てた!
・・あ、コレ、ありがちな「もう死んじゃう〜」てな切羽詰まり方とは違うのよ(笑)

当時は行為にもだいぶ慣れて、刺激を充分に堪能する術が身に付いた頃だった。
意識的に脱力したり、体や自我を投げ飛ばすってなコツを、私なりに得てたのね。
その方法と、かつての遊びの相似に気付いたのよぅ・・・で、次に予感したのさ。
きっと、たぶん「死んだフリ」してセックスしたら、凄いことになるゾと。あはは。

さて、妄想が走る。死んだ私と私の死を認識した他者との行為に期待されるモノ。
一切のコミュニケーションが排除された、完璧にフィジカルな状態ってどんなダ?
己の気持ち良さを独り占め出来るのよ?!ブラボー!何て素敵な自分勝手だろう。
それも、「死」の必然でもって、堂々と排他的でいられるんだ。スゴイわ、感動!

・・・そうそう、私にとって、身勝手とか排他的ってのは、背徳の範疇なのね(笑)
ホラ、小物だからさ、私。人に気を使わないだけでドキドキ出来るのよ、えへへ。

・・・・・。

この思いつきを念頭に置いて、テレコミのSM伝言番組に相手募集の録音をした。
ただ「死」という直接的な言葉を用いるのが躊躇われて、人形のようにと表した。
いや、私的には、かなり違和感はあったんだけどさ。でも、怖かったんだよね(笑)
ほら、マジなネクロフィリア(屍姦趣味)の興味を惹きたくなかったってことさ。

結果、一般的なM女を求めるS男性からの応募が殆どだった。予想してたけど(笑
曰く「貴女は、自我を捨て、相手の思うがままになりたいんでしょう・・・」とかね。
うーん、そう判じた彼らの気持ちは分からなくはないが、やっぱ違うんだよね。
その中にあって、たったひとり、実に冴えた応答を寄越した男がいたの。驚いた。

「自分はネクロフィリアではありませんが」と前置きしてから語られる彼の性妄想。
時の流れが止まり、誰もが動けなくなった中で、自分だけは何故か動く事が出来、
機に乗じて、顔見知りだけど手を出せない女に、性的な行為を存分にしてみたい。
ただ、その最中はもちろん女は無反応で、時が再開しても、女に記憶は残らない。

この妄想、やはり子供の頃見たTVドラマ『時をかける少女』が端緒らしい(笑)

・・・・・。

この彼が、件の天然SなSF、その人だ。きっかけはこんな事だったのよ。あは。
そして私達は、互いの性妄想をマッチングさせる実験に及ぶことになったわけ。


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