女房様とお呼びっ!
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2001年07月30日(月) ご興味のある方はご覧下さい m(__)m

昨日記事に対し、DTMさんがご投稿下さった内容を拝読して、記事中のケースの背景や詳細をご説明したいと思いました。以下、纏まりのない冗長でしかつめらしい文章が続きます。どうか、この点につきご寛恕頂ければ幸いです。

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記事中のシンコとの関係に限らず、人ふたりの間に何らかの関係性が生じた場合、特に性癖を話題する間柄だと、相手の性の方向性やありようについて、相互に解釈しあって、自身のスタンスを決定していきます。そのために、共有する時間や会話を重ねることで得られる相手の情報を、自分なりに整理し、考察する作業をしています。

これまでも、私の関わったM男性についての記事を掲示してますが、出来事と当時の私の心象の描写にとどめた記事にしています。私が当該人物について、当然行っていた考察については、あまり触れておりません。これを語り始めると、記事自体が膨らみすぎて纏まらないのと、語るについて気が進まない私の身勝手があります。

このために記事を読んで下さって、私が本来抱いた心象とは違う心境を得たり、出来事そのものが理解に難いと思われる方もおいででしょう。それは、当たり前のことと思い定めています。むしろ、そうある可能性に期待する所もあります。ま、所詮は私事のひけらかしなので、大きなことは言えませんが(笑)

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> 彼の性の目指すところは、ただの受け身だ。マゾヒズムではない。そう見切った。

シンコについてこう著す背景にも、前述したような交際の歴史と考察があります。


ここで、「ただの」受け身と判じたのは、M的な性向による受動指向ではない、という意味です。SMの関係(プレイ)では、能動と受動が明白に役割分担されますが、そうではないノーマル(?)な性行為においても、時に能動と受動の構図が表れます。各々の行為が等分に行われる必要も必然もなく、各ペアや各人の個性によって、「能動好き」「受動好き」の傾向が出るのはご存じの通りです。

これらの傾向は男女性をもって表れるのではないのですが、実際的な傾向としては「男性が能動、女性が受動」のケースが多く、またこの傾向を是とする判断基準が刷り込まれている情勢があります。このために、男性が「受動好き」である場合、自分の傾向が異性に受け入れられ難く、悩んでしまうこともあるでしょう。

その成り行きとして、自分の求める傾向が明白な男M女Sの世界に期待してしまうのも、自然な流れと思います。実際に、これまで身近でなかった、自分と対の性向を持つ異性と巡り会い、本来の欲求に従った性行為を果たし、同時に愛を育む環境を得た方もいらっしゃると思います。それをSMと呼ぶか呼ばないかは、各ペアが感じるままでいいでしょう。

また、重ねて「マゾヒズムではない」と判じたのは、やはりM的な受動行為は、行為自体が生む物理的な面でも、いわゆる精神的な面でも、ノーマル(?)な性行為上の受動のありようとは違ってくるからです。乱暴な説明になりますが、マゾヒズムは自分の意志と逆行する行為を他者から受けることで性的興奮を得る傾向にあります。

ちょっと回りくどい説明になりましたねぇ(苦笑)すみません m(__)m

つまり、本来望んでいる性行為であっても「いやーやめてー」と抵抗しながら、受動に徹し、最終的に目標に決着することを希望する、いわば快楽を得る為に「ややこしい経過」を必要とする性向を、ひとまずM的受動と呼べば、「ただの」「マゾヒズムでない」受動はそれと一線を画すものだろうと思うのです。

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ところで、記事中の記述では触れませんでしたが、シンコについては、SMのM側たる要素の「サブミッシブ(隷属嗜好)」が旺盛であるとも受け取れませんでした。確かに従順な性質ではありましたが、SM的な隷属=M奴隷になるを目指す程ではないと判じたのです。むしろ止めた方がいいと感じてました。

あくまでも私見ですが、SM的な隷属はその根底にマゾヒズムの下支えがないと達成しにくく、また危険であると思っています。サブミッシブとマゾヒズム、これらの割合は各人各様と思いますが、サブミッシブだけだと、恋愛依存や性行為依存に陥りやすいのでは、と危惧するのです。

何かしらの依存が、かなりの割合で「根元的な愛情の飢え」から生じるのではないかと、私は思っています。これは、多分に巷間の情報に影響されていますが、大きく違えているとは思ってません。そのために、SMを指向するその人の「愛の基盤」とも言える、愛情的な背景を丁寧に見たいと考えています。

その作業の上で、自分が関わるべきなのか?関わってもいいのか?という判断をし、更にはお節介ながらも、その人がSMを指向するのは順当なのか?何かしらの代替行為なのか?という点まで考えたりしています。何とも鬱陶しい、またも偽善臭い所業ですが、少なくとも自分の心うちだけでも納得したい動機に拠るものです。

この点において、シンコの場合、彼の出生や生い立ち、強固なコンプレックス、普段の言動から考えあわせて、おそらく彼は「唯一の彼」として、誰かに愛されることを切望していると判じました。それで、M奴隷を目指すよりも「フツーの女とつき合え」と、口を挟んでいた経過が起きているのです。

蛇足ですが、それなら何故、私が彼を「唯一の彼」として愛してやらなかったか?・・・それは、単純にそこまでの愛が私に生まれなかったからです(笑)愛とはそうしたものでしょう?身勝手な言い分のようですが、それは多分真理です。

# 長々お読み頂きありがとうございました。 m(__)m


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