女房様とお呼びっ!
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2001年07月05日(木) 「犬」と「女房」とセックスレス #1

過日某板に「ウチもセックスレス」てなコメントを書き込んだ。本当の事だ。
セックスレスの定義は、提言者によって異なるので、敢えてなぞるのはやめる。
ウチの場合は「夫婦間に性交やそれに準ずる交渉が長年に亘り皆無」な状態だ。
この事実をもって「既に夫婦でない」と断じられれば、ソレは仕方ないのかナ。

それでも夫婦として破綻してない私達がいる。世間がどう評価しようと、だ。
「行為がなくても、愛し合ってるわっ」なんて言い募るのはやめよう(笑)
大体、ウチの場合は「愛」という言葉さえ、世間並の意味で使われないのだから。
ただ、共同しても、お互いの個人は尊重しあっているよ。それは確信してる。

それと、私側の気持ちしか明言できないけど、世界で一番!夫が大事だ。
夫の本心は分からない。でもそうであって欲しいと、せめて5番以内にと願う。
それが、この状態で夫婦として生活を共にする、最大の拠り所なんだね。
自分と同じくらい大切な他者と、認めあい、尊重しあって、共同する。
それを伴侶と呼ぼう、と私は考える。夫はまさに「伴侶」だと思う。

・・・・・・。

っと、先に精神論で自衛してから、本題に入る姑息な私を許して欲しい(笑)
実際、夫婦が必然的に性的なパートナーであるのがナチュラルだとは思うのだ。
生殖のこともあるし、無理がないってかね。手間も掛からないしね(笑)
倫理としても、夫婦は愛の営みが基本、なんて刷り込まれてたりするしね。

その証拠に、テレビニュースで「セックスレス」の文字を見かけると、
その折に、夫が傍にいたりすると、必要以上にギョッとしている自覚がある。
もう何度も何度も、夫が性的には「犬」で、セックス自体に興味がないことや、
私自身も「犬」と無理に行うセックスが互いに空しい、と思い知ってても、だ。


嗚呼きっとコレって誤読されるんだろうな、と既にグッタリしてる私がいる(笑)
だから、手っ取り早く事実を羅列していこう。こんなことがあったと明かそう。
この事実が皆さんの理解に難いものであっても、ドウカ許シテ下サイ・・・。

まず、夫は性的不能者ではない。今でも勃起はしてるし、性欲もあるはずだ。
ちんこの性感は正常だ。まんこに挿入した折、気持ちイイと言ってたもの。
オナニーもしてるらしい(笑)それは私もおんなじだ。お互い必要だよねっ。

・・・・・・。

私達がセックスしたのは、彼が「犬」の時代の2,3度だけだ。マジでそれきり。
当時はまだ婚姻してなかったので、つまり私達は真性セックスレス夫婦だよ(笑)
社会的な単位の家族として、子を設けるかどうかは、何度かちゃんと話し合った。
現在までは不要という結論で、同時にセックスレスを容認する点で一致している。

「犬」との2,3度のセックスが成立した動機は、各回で異なっていた。
最初のセックスは、私が主導して「犬」の童貞を奪う目的。これは萌えたね(笑)
で、それ以降の回は「犬」が主導して、不思議に普通の男みたく振る舞って、
私を「抱いた」のだ。行為そのものははぎこちなかったけど、私は安心を得た。

でもあんまり腑に落ちなかったから、私は「犬」に訊いたのね。何故そうしたか。
すると「青葉様がそれを望んでおられると思ったからです・・・」と頭を垂れた。
それを聞いて、恐ろしく脱力してしまったよ。やっぱ「犬」は「犬」なのさぁ。
でも、ガッカリってな感情ではなかったんだ。なるほどぉと感心し、納得した。

つまり、彼が行為をなし得たのは、それが主への奉仕であると読み替えたからだ。
最初の時は、命じられて、強要されてする行為だったから、彼は興奮できた。
彼の性的興奮の必要条件に、女の体と能動的に接触するシーンはないってこと。
もしかすると受動行為でさえ、世間並のエロ行為では興奮しきれないだろうね。

乱暴な結論だけど、「犬」はノーマルセックスにおいて、精神的に不能と言える。
けれど、「犬」が稀代のマゾヒストであり、性的に隷属嗜好であるのは間違いない。
だから、私達は出会い寄り添った。「主」と「犬」として、互いを必要とした。
結果、「犬」にしか欲情しない私もまた、夫との性交において不能者となったのだ。


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