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2003年02月02日(日) 空回りする信頼

パソコン通信の時から数えると私の電子メール歴は10年くらいになる。
もっと長い人はたくさんいるけど、
去年始めたとか最近はじめたという人と出会うことのほうが多い。

電子メールをインターネット経由で
使うようになった頃にできた友人と、
「昔はよかったなー」と時々話すことがある。
今みたいにDMやワームが出回っていなかったから
メールの受信をするだけで不快な気分になることはほとんどなかった。
それに、その当時に出会った人のほうが
いろいろな意味で信頼できた。

インターネットの初心者が急激に増え、
いわゆる個人サイトがたくさん増え始めた頃だろうか。
その初心者さんが「文字だけのコミュニケーションは
つながりが希薄」というのを聞いた。
でも、当時の私が知っていたメールでのコミュニケーションは
希薄と思えるものではなかったから、
「そういうふうにしてるのは自分たちなんじゃないの」と思っていた。
少なくとも、自分がちゃんと接していれば
相手もこたえてくれるだろうと思っていた。

でも、hotmailのようなフリーメールがあちこちで
使われるようになってからだろうか。
一人でたくさんメールアドレスを持てるようになると、
突然コミュニケーションが切られてしまうことが増えた。
もともとサーバの管理がゆるいせいで
サーバが止まったままになって自然消滅というパターンもあったけど、
最近多いのは一方的にコミュニケーションを切られるパターンだ。

一番最近のは、喧嘩をしたわけでもないのに
相手から一方的に自分の都合だけ並べられて
連絡手段を絶たれてしまうというものだった。
いろいろ考えてみたけれど、
もう理由を聞くことはできないのでその人のことは考えるのはもうやめた。
だけど、もともと怪しい感じの人や評判の悪いユーザサポートならともかく、
個人同士で普通に言葉を交していただけでもこういうことがあるのでは、
何を信用していいのかわからない。

連絡がとれなくなりそうなときは別の手段を用意するけど、
私にとってメールが重要な連絡手段であることには今でもかわりはない。
文字でしか気持ちを伝えられないからこそ、
不安にさせたり誤解をまねくようなことはできる限り避けていたのに、
それでも、首をかしげるようなことはおこってしまうのだ。

ここ数年、そう思いたくはないのに、
「初心者」の人に言っていたとおりメールでのつながりは
希薄なものだと思えるようになってしまった。
相手がいつ消えてしまうかわからないのに
こうやって言葉を交し合う意味はあるのだろうか、と
メールの送信ボタンを押すたびに思うようになった。

つながりを希薄にしているのは
電子メールじゃなくて、その当事者同士だ。
だから、自分がちゃんとしていればうまくいくものは
うまくいくのだと思ってはみるけど、
つい「この人はいつまで私とこうしていて
くれるのだろう」と考えてしまう。

顔が見えようが見えまいが
信じられる人は信じられるし、だめな人はだめ。
騙されたとしても、騙すほうが一番悪いのだから
信じるのをやめてはいけない。
そう思ってはいるのだけれど、
私の軽い人間不信はしばらくなおりそうにない。



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