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2002年12月29日(日) |
家族の食卓/わからなくなった |
私は昔から食事するということにそれほど興味がなかった。 拒食症になったりすることはなかったけど、 おなかがすいたら味はともかく何かをいれておけばいいと思っていた。 だから、期限切れだろうがまずかろうが特に気にしなかった。
幼い頃から、私はあまり食べたいものを 食べたことがなかった。 大抵は母の好きなものか、母が父に作ってあげて 「いらない」といわれたものがこちらに回ってきた。 たまに自分が好きなものが出ても、 父が「それが食べたい」というとほとんど食べられなかったり 全部とりあげられたりすることがあり、 いつも父の顔色をうかがいながら少しずつ食べていた。 父は家計をささえている人なのだから、 食事くらいわがままを言うのは仕方ないのだろうと思っていた。
ある時、父が「まずいから」と言って 残した焼き魚があった。 私は一口食べてみてそれが気に入り、 自分だけがそれを食べていいことがうれしくて ぱくぱく食べ始めた。
すると突然父はその皿をとりあげ、 焼き魚をべろべろなめはじめた。 ひととおりなめると私の目の前に捨てるように 皿をおき、「そんなに食いたければ食え」と言って笑った。
泣いたらよけい父を喜ばせることが わかっていたから泣きたくなかった。 でもあまりのつらさに隣の部屋に行って 声を殺して泣いた。 母が「なんでそんなことをするの」というと 父はさらにげらげら笑いはじめた。 自分の好きなものを食べることに罪悪感を感じたのは それがきっかけだったのかもしれない。 家族で囲む食卓は、いつも楽しくなかった。
今の彼と付き合い始めて、一緒に献立を考えることが 楽しいことだとはじめて知った。 前の彼の時も彼が好きなものしか作らなかったので、 食事というのはこんなものだろうと思っていたけど、 そうじゃないこともあるのだと知った。
今日は何が食べたいのか相談して、 一緒に作って、一緒に食べる。 豪華ではなかったけど、お互いの気持ちを尊重して 決めた食事はいつもとてもおいしかった。
何もとりあげられない、 お互いのために一緒に決めた食事。 その食卓を囲むのは笑顔。 私がほしかったのはこれだったんだ、と 思えたら少し涙が出た。 彼がそんな私の様子を見て、心配そうに 「どうしたの」と聞いてきた。 私は、カラシをつけすぎちゃったんだといってごまかした。
それ以来、私の中に暗く沈んでいた 楽しくなかった家族の食卓の光景は、 彼との楽しい光景におきかわった。
この先二人の間が壊れてしまっても、 きっとずっと感謝しつづけると思う。 いやな思い出を消してくれて、 食べたい具で作るあたたかい味噌汁のおいしさを 教えてくれて、ありがとう。
先日、日記を削除しようとしている人がいたので お疲れ様ついでにメッセージを送った。 数日後、明らかに怒っているような書き出しで 返事がきたのでお詫びのメールを出したら、 自分のメールをよく読んでいないとさらに怒られた。
確かに内容的には私の意見に賛成しているように 見えるけど、その書き出しの論調のまま書かれて しかも最後が「返事はいりません」じゃ やけくそで同調しているようにしか見えなかった。
相手のこの調子だとどう書いても だめそうだなと思いつつ自分の現在の気持ちを そのまま書いて返信したものの、 相手からはピリピリした長い文章とともに 「俺にはかかわるな。今度メールがきたら捨てる」という返信がきた。
私は、相手をかえようとしたわけでも 自分の意見を押し付けたかったわけでもない。 ただ、日記の一ページを読んで思ったことを書いただけ。 それが相手にとって受け入れられるものかどうかは相手次第だ。 だめなら無視すればいいし、気に入れば返信すればいい。 でも、初めてメールを出した相手から、 自分のことを完全に理解できなかったからと言って そんなに怒られるようないわれはない。
そんなことがあり、知っている日記作者さんの中で 悩んでいるっぽい人がいても、声をかけづらくなった。 私が声をかけなくても誰かが声をかけるのだろうけど、 つらそうな人の前を素通りするのは心苦しかった。
がんばってね、では相手をもっとつらくしそう。 応援してるよ、では何を応援してるのかわからないのにおかしい。 誰にでも悩みはあるさ!ではなんだか突き放しているみたい。 いつでもメールしてね、では相手の気持ちが メールじゃ解決できない問題だったら無責任だ。
どうすればいいのか、わからなくなった。
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