雑感
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2001年12月19日(水) 傘をささない人たち

冬に雨が降ると、早く冷え込んで雪にならないかしらと思う。
雪なら、コートや帽子に積もるのが嬉しくてうきうきする。
普段、雨が降っても傘をささないクチで、ぴちぴちぱしゃぱしゃくらい
なら、帽子をかぶって早足で行く。降り終わったあとの、傘の処遇に
困るからだろう。折り畳みなら濡れているのを気にしながら、かばんに
入れなければならないし、柄の長い傘は片手を占領されてしまうから。

チェルノブィリの放射能漏れの事故の年、南ドイツの学生街に住んで
いた。めずらしく雨が降った日、通りでは誰も雨の中を歩いていなか
った。学生が傘をさすのはめずらしく、放射能の雨が降ったとき、彼ら
はあちこちで小さく固まって、雨宿りをしていたのだった。

欧州に長く住んで、この社会には傘をさすクラスとささないクラスが
存在するということが、だんだんと輪郭を帯びるようにわかってきた。
19世紀あたりの、淑女の小物として活躍した日傘は、雨傘になっても
真中から上の方のクラスの持ち物かなあと思う。洗練されたデザインの
傘がほしければ、高級ブティックでしか手に入らない。街中では、雨が
降ったとき、化粧品店のようなところが、その場しのぎに売る傘の
デザインや品質はださいに尽きる。

イタリアに1960年代に暮らした須賀敦子の回想録に「雨の中を走る
男たち」という文章がある。雨降りに、傘を持って夫を迎えに行った
時、夫は素知らぬ顔で雨の中を走っていった。当時、社会の下
の方に含まれる男性は、傘をささないのだと知ったと言う。
日本では上流社会の中で生活した著者が、異国で夫の属する下の方
にいやおうなく放り込まれてしまったことをどんな風に感じていたのだ
ろう。著者は、一言も触れないけれど、傘という小物を通して見た階級
社会の片鱗に苦しんだかもしれない。

30数年たった今でも、雨降りのとき周囲をみると、背広姿の男たちは
傘をさしているが、そうでない男たち、ブルーカラーや学生は傘を
さしていない者が多い。

降り続いた雪が雨にかわりつつある。私はいつものように傘をささずに
外へ飛び出した。



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