凪の日々



■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■

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2007年03月03日(土) 愛情

田舎の母から荷物が届いた。
うんざりして開ける。
中身はいつものごとく、母が趣味で作った野菜。
ほうれん草だの、キャベツだの。

濡れタオルにくるんで菜の花と野の花まで入っていた。
素朴な春の花を見て、私の心が癒されるとか、田舎を恋しく思うとか、そんな乙女チックな感傷を期待して送るんだろうけれど、うちは市内でもそこそこ田舎なので、こんな花は道路わきにも生えてるし、菜の花だってちょっと行けば見れるのだ。
母の安っぽい思惑が手に取るように分かるだけにうんざり。
貰った相手が喜ぶもの、じゃなく、自分が贈りたいものを送る母の一方的押し付けにげんなり。


来月のアユムの入園式にはやってくるつもりらしい。
姪達の時の入園入学時は見に行くという発想すら起きていなかったくせに。
いくら当時母も働いていたし、生活に余裕が無かったからとはいえ、今現在同居してくれている義姉の気持ちも考えてみてくれと言いたくなる。
「うちの子の時は一度も見に来た事が無いのに、やっぱり実の娘が産んだ孫の方が可愛いのね」なんて、義姉が寂しく思ってしまう事くらい、想像つかないのだろうか。
「私達の時は一度も見に来たことないのに」と、姪達が寂しく思うんじゃないかという事は。

思わないんだろうなぁ。
おそらく、私に対する負い目から、私の娘達を可愛がるんだろう。
アイやアユムの誕生日や行事にはマメに連絡をし、こうして荷物を送り、顔を出し。

我が子の誕生日にお祝いなんかしてくれた事ないくせに。
クリスマスのケーキすら、ねだらないと買ってくれない親だったくせに。

「あの時してやれなかったから」とよく母は言う。
「あの時ああしてやればよかった」と愚痴と後悔をダラダラと話す。
「仕方ないよ。あの頃は大変だったんだから」と慰めの言葉を返してもらう事を期待して、「ああしてやればよかった。でもあの時はできなかった」と。
色んな後悔を。グズグズダラダラと。言い訳のように。

だからといって、穴埋めするように今あれこれやっても、もう意味無いんだよ。
風邪ひいて熱がある時に「水ちょうだい」って言う病人に、「今は急がしくてそれどころじゃないから寝てて」と水をやらず、治ってから「あの時水をやれなかったから」と水を渡すようなもので。
通り過ぎてから後であれこれやりだしても。手遅れなんだよ。無意味なんだよ。
我が子にしてやれなかったから孫にしてやるってのは、貴女的には筋が通っているんだろうけれど、私から見たらまったく無意味で、なんの喜びでも感謝でもないし。
私はそれらを貴女から受けずに育ってしまったわけだし。
貴女が今、せっせと私の為にと思ってやってくれていることは、結局貴女の自己満足にすぎないんだよ。

思いは渦巻くけれど、言葉に出したりはしない。
母の人生ももうカウントダウンみたいなものだろうし。
人生の総仕上げにかかっているようなもので。
遣り残した事をやりつくして悔いの無い人生で終われたら本望だろう。

こんな事してもらっても嬉しくもなんともない。
うっとおしいだけ。だけど、それを言っても誰も愉快な気持ちにはならない。
分かっている。ここは、孫を可愛がってくれる祖母に感謝し、我が子を気にかけてくれる母に感謝し、有難いと思い、


母にここまで愛情を抱けないのは、愛情を感じずに育ったからなんだろうなぁ。
自分が貰った事が無いものは、人にあげようが無い。持ってないから。
だから、母に対しては、義務とか礼儀とかでは接するけれど、愛情を持って接する事は、きっと出来ないまま、終わるんだろう。
でも、母はそれに気がつかないままだと思う。
気づかせない事は礼儀だと思うんだけど、案外これが愛情なのかな。

とりあえず、私は、我が子が欲している時に、それらを与えるタイミングを逃さないように、育てていこうと思う。







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