しもさんの「コラムニストを目指して」

2002年01月31日(木) 「指示は『すみこ』さん、という生き方」

ラジオから流れてきた、管理職のアドバイスであった。
指示をする時の注意点、というわけだ。
「す」すぐに
「み」短く
「こ」小言にしない。
この三原則を守らないと、今の若い人たちは不満を抱くという。
ミスをしたら、その場で叱る。あとで・・は意味がないらしい。
短く指示しないと、何を支持されたかわからなくなるらしい。(笑)
そして、指示と小言を混同して話さない。指示は支持、小言は小言。
管理職は簡単な「す・み・こ」という三文字を覚えておこう。
時代は変わっても、一番好きな上司のタイプは
「仕事ができる上司」だということも忘れてはならない。
この三文字、きっと、役に立つはずである。

「指示は『すみこ』さん、という生き方」はいかが?



2002年01月30日(水) 「いるね、と付け加える生き方」

新聞の1ページで見つけた、素敵な言葉の力。
「頑張って」というより「頑張っているね」。
「いるね」の三文字を付け加えるだけで、
あなたの頑張っている姿を知ってるよ、もう少しだけ頑張ってみよう、
そんな意味が加わる気がする。
たった三文字だけれど、人間のこころを温かくする三文字だと思う。
以前「君らしくないぞ」という励ましの言葉を紹介した。
考え方は同じだと思う。普段、頑張っている君を知っている。
だから、今の君は君らしくないぞ、という意味を感じ、
私は幾度も、スランプ、凹みを脱出してきた。
その度に、単なる「頑張れ」は、私の心に響かないことも実感した。
これからは、ちょっとした言葉の心遣いをしたいと思う。
試してみよう。

「いるね、と付け加える生き方」はいかが?



2002年01月29日(火) 「自主トレはキャンプに向けた準備という生き方」

ジャイアンツ・仁志選手のメッセージ。
キャンプインを控えたテレビの取材だったと思う。
スポーツ選手には、シーズンとシーズンオフがあるから・・と
思うかもしれない。
しかし私たちも、念頭においておかなければいけないな、と思った。
担当じゃないから、町の行事にも参加しない、のではなく
いつ、そのイベント担当になるかわからないのだから参加しておく。
そんな心構えが必要だと思う。
どこかに遊びに出掛けても、これって私たちの町にはないな、とか
私の町でも、是非試したいな、という視点で見ることが出来れば
アイデアはいくらでもストックできる。
どこもやってないことを考えるのも楽しいものである。
休暇中にも仕事のことを考えなさい、と言っているのではない。
頭をやわらかくする練習、企画力をつける練習と思えばいい。
この力は、仕事以外でもきっと役に立つから・・。
遊びは、次の新しいことを考えるための準備。そう考えてみるといい。

「自主トレはキャンプに向けた準備という生き方」はいかが?



2002年01月28日(月) 「予想屋から学ぶ生き方」

公営ギャンブルへ行くと、レースを予想する人達に出逢う。
だみ声で、私たちを巧みに引きつける魅力があると思う。
彼ら独特の予想に対して、100円ほどのお礼で情報を教えてもらう。
これを楽しみに会場に足を運ぶのも面白いかも知れない。
株と同様、彼らは自分たちでは、
どんな大穴が予想されても買わないという。
自分で買うことによって、客観的な判断を失うからだろう。
あくまで収入源は、
彼らの予想に対するアドバイザー料?(一件100円程度)と
大穴などを当てた時のお礼にも似た「御祝儀」と呼ばれるもの。
確かに不況で、生活は苦しいと思うが、
レースだけでなく、生き方そのものがら学ぶことが多い。
そんな観点で見ると、ギャンブルがもっと愉しくなるはずである。

癖になりそうな「予想屋から学ぶ生き方」はいかが?



2002年01月27日(日) 「無謀と思えることをしてみる生き方」

始めは、東京六本木のクラブで飲んで、翌日、築地で朝飯。
これくらいのプランしか考えていなかった、部下の結婚祝いパーティ。
しかし、せっかく上京するのだから・・・と話が弾み
独身時代しか出来ないことを・・・と計画が追加されてきた。
「結婚したらギャンブルなんて、なかなか出来なくなるよ」
そんな台詞をアレンジして、世紀のギャンブルツアーが決行された。
朝、一番で平和島で「競艇」、
次が、後楽園か銀座の場外馬券売り場で「競馬」、
そしてクラブが開くまでの間「パチンコ」、
翌日は、開催しているところを見つけて「競輪」「オート」。
まさに、呆れるほどの計画である。
たぶん女性には理解できない計画であろう、と思う。
無謀な、いや馬鹿げた計画も、男にとっては愉しいモノである。
冷めた目で見ないで、試してみて欲しい。

「無謀と思えることをしてみる生き方」はいかが?



2002年01月26日(土) 「子どもに不思議を作ってあげられる生き方」

知人から、子育てに関する面白い話を聴いた。
子どもが小さい時のこと。
朝、出掛けるときは曇だったのでズックで出掛けたのは知っている。
しかし、帰る前には雨が振りそうだったので、
下駄箱のズックを長靴と交換して、そっと帰ってきた。
そしたら、帰ってくるなり子どもがお母さん(知人)に
「ねぇ、今日不思議なことがあったんだ。
僕、ズックを履いていったはずなのに、長靴になってた・・」と
嬉しそうに、そして楽しそうに話してくれたと。
子育てって大変そうだけど、やっぱり大切だし、大事なんだ。
そして楽しそうだな、とつくづく感じてしまった。
たぶん、子どもは目をキラキラ輝かして、報告したんだな、
私は、そんな自分の子どもの笑顔を見過ごしていたのかな、と反省した。
仕事ばかりで、子育てといえることを何もしてこなかった私が
最近、子どもの無邪気な笑顔に出逢うケースが増えた。
きっと神様に、お仕置きされているに違いない(笑)

「子どもに不思議を作ってあげられる生き方」はいかが?



2002年01月25日(金) 「『気の用心』と声を掛けられる生き方」

ラジオから流れてきたフレーズ『気の用心』である。
空気が乾燥しているので注意してください、は火の用心。
しかし同じように、私たちが用心したいものに「気」がある。
仕事に慣れ、ついついミスをしやすい時期。
また、疲れが溜まり風邪をひきやすい季節でもあった。
一番、気を使わなければならない頃である。
「火の用心」は夜だけど、「気の用心」は朝に叫びたい(笑)。
また、自分の周りで疲れている人を見つけたら、
そっと近寄り「気の用心」と声を掛けてあげよう。
何気なく聴いていたラジオ、話した本人もギャグくらいにしか
考えていなかったかもしれない今日の一言。
メモした私は、なぜか凄く得した気分になった。

「『気の用心』と声を掛けられる生き方」はいかが?



2002年01月24日(木) 「雑草のやさしさを感じる生き方」

寒風、吹きすさぶ中、知人の告別式に参列した。
お寺の境内は、予想以上に寒く、足の芯から冷えてくる感じがした。
また、砂利石の上に一時間以上も立っているのは、
腰痛持ちの私には辛い時間となった。
しかし、どうだろう。
境内の所々に生えている雑草の上に立ったところ、
下からの冷えはなくなるし、草がクッションとなって
腰にも負担が少なくなったのを感じた。
踏みつぶして雑草には申し訳ない。
けれど、今日ほど雑草のたくましさ、やさしさを感じたことはなかった。
自然ってすごいなぁ、今日はこのことを書きたいとメモをした。

たまには「雑草のやさしさを感じる生き方」はいかが?



2002年01月23日(水) 「王も、イチローも普通じゃない打ち方と気付く生き方」

もちろん、世界に名を残す彼らも
最初はオーソドックスな基本的打ち方をしていたはずである。
しかし、彼らの球を打つという感性が、変わった打法でも
人並みはずれた成績を残すことが出来ることを証明している。
前日の絵本作家も、同じようなことを言っていた。
最後は「感性」。
今からでも、どれだけ感性を磨くことが出来るか、を考えて欲しいと。
論理的なことばかりしていると、理屈っぽくなる。
素晴らしい音楽を聴き、美しい絵画を観て、感動しまくる。
それが、私たちには大切だということをあらためて知った。
「論より感性」そんなフレーズが浮かんできた。
世界に通用する為には、
基本を自分の感性で変えていく力が必要となるのだろう。
そんな気がした。



2002年01月22日(火) 「読む人も読まれる人も、心が豊かになる生き方」

「読み聞かせ」を大切に続けていきたいという想いから、
わが町出身の絵本作家、宮西達也さんを囲んで話すことが出来た。
読み聞かせの良いところを、彼はこう説明してくれた。
「読まれる子ども達はもとより、読むおかあさん達も心が癒される
ニコニコしてくる、気持ちよくなってくる」
言い換えると「心が豊かになってくる」という事なんだと思う。
折角だからと、本人に自分の作品で読み聞かせをしていただいた。
大人の男性と女性なのに、なぜか、読む方も読まれる方も、
次第に顔の表情が変わってくるのがわかる。
不思議な光景を目にし、私は絵本のパワーを感じていた。
まさしくギブ&テイクではなく、ギブ&ギブが実践されていた。
参加者全員が、喜びに満ちた顔をして会場をあとにする姿は
「読み聞かせ講座」を企画した私たちにとっては、
何よりの嬉しいプレゼントであった。

「読む人も読まれる人も、心が豊かになる生き方」はいかが?



2002年01月21日(月) 「日本を動かした人物を覚えておく生き方」

NHK「その時、歴史は動いた」の特集を深夜、録画で見た。
内容は「日本を動かした人物」
どこかに記録として残しておきたくて、このスペースを使うことに決めた。
アンケート結果なので、異論反論はあるだろうがご勘弁願いたい。

 1 織田信長  6 マッカーサー 11 勝海舟
 2 坂本竜馬  7 源頼朝    12 新撰組
 3 徳川家康  8 ペリー    13 東条英機
 4 豊臣秀吉  9 西郷隆盛   14 明智光秀
 5 聖徳太子 10 徳川慶喜   15 手塚治虫 

情報を何よりも重んじた織田信長。
地球は丸いと、はじめて理解した日本人として紹介されていた。
私も、一番大好きな歴史上の人物である。

PS.ほとんど漢字変換一回で、フルネームが表示される人物。
   彼らの存在があるから、今の私がある。
   そう思いながら、ビデオを見終わった。

「日本を動かした人物を覚えておく生き方」はいかが?



2002年01月20日(日) 「常にソフト事業を意識した生き方」

県立美術館で開催されている「古代エジプト文明展」、
最終日間近の日曜日とあって、当日券を求めるだけで長蛇の列
という予想以上の混雑であった。
確かに場内放送で「車椅子の方にも見られるようご協力下さい」と
アナウンスはしていたが、完全に無視されていた。
階段を利用しないですむエレベーターや、なだらかなスロープなどは
公共施設のほとんどで整備されているが、
ハード整備をしただけで、バリアフリー対策をしたと
勘違いしてはいないだろうか?
大切なのは、ハード整備をうまく利用するソフト事業にあることを
私たちは気付かなければいけない。
車椅子の障害者だけでなく、お年寄りや幼児、こどもたちが
ゆっくり「古代エジプト」に想いを馳せることができる工夫を
(彼ら生活弱者専用の観覧日や、専用ルートの確保等)
しなくては・・と考えながら見て回った。
最近では、バリアフリーからユニバーサルデザインへと
考え方は変わっているが、もっと足元を再確認する必要がある。

ハード整備とともに「常にソフト事業を意識した生き方」はいかが?



2002年01月19日(土) 「使いにくくして文化を育てる生き方」

いい仕事してますね〜で有名な「中嶋誠之助」さんの講演を聴いた。
鑑定を仕事にしているだけあって、
歴史や文化についてもわかりやすい解説があった。
ヨーロッパはシンメトリック(左右対称)の美、
日本は、不完全の美、を追求しているという。
ろくろを回して出来た左右対称の器を、ちょっと指で押してみる、
そしてわざわざ使いにくい器をつくる。そこに日本独特の文化が育った気がする。
使いにくくする、その為には「作法」(ルールとマナー)が必要となる。
それが「日本独特の文化」というわけだ。
なんでも合理的に考えようとする考え方を否定するわけではない。
けれど「日本」を意識した時、
左右対称より、ちょっといびつな形を大切にしたい、そう思うようになった。

時には「使いにくくして文化を育てる生き方」はいかが?




2002年01月18日(金) 「頑張ってくれた人に悪い、と思える生き方」

生涯学習を4月から飛ばして頑張ってきた先輩が、
ある記事を見て「本当に悔しい・・」と呟いた。
自分たちより進んでいないと思われる、某自治体が評価されていたからである。
その時、私は「見てる人は見てるから、そのうち評価されますよ」と思っていた。
実際、やってきたことには自信がある。
だから、そんな記事に惑わされることなく続けていきましょう。
そう考えていたから、さほど気にならなかった。
しかし、先輩には珍しく、いつまでも「悔しい」を繰り返していた。
そして何度か話しているうちに、その本心がわかった。
仕事として頑張ってきた私たちより、
ボランティアとして頑張ってくれた町民に申し訳ない、
そう言いたかったのだと思う。
取り上げてもらえなかった悔しさは、きっと忘れることがないだろう。
しかしその悔しさは、きっと明日からのバネになるに違いないと確信した。

自分たちの評価より「頑張ってくれた人に悪い、と思える生き方」はいかが?



2002年01月17日(木) 「読み聞かせたあと、感想を聞かない生き方」

親が心を込めて、子どもたちに絵本を読み聞かせてあげる動きを広めたくて
一年間頑張ってきた。
何回となく参加者の話を聞くたびに、ナルホドというヒントをいただく。
「30秒で読める文字量を、1分で読むつもりで・・」
「ページをめくったら、すぐ読み出さずに、一呼吸おいてから」
「あまり抑揚をつけずに、淡々と読んだほうが、子どもたちの想像力がつく」
その他、経験から得たヒントは、とても奥が深い気がする。
今回もその一つ。
自分では心を込めて、ゆっくり丁寧に読むことが出来た。満足。
しかし、子どもの反応が気になって、つい
「どうだった?」「面白かった?」と感想を聞いてしまう。
どう感じたかは、子どもが感じ、子どもが自分の中で昇華していくことである。
もう少し、大きな気持ちで読み聞かせに取り組んでみよう。
なんでも、すぐに成果を求めてはいけない。
そう思わせてくれたヒントであった。

「読み聞かせたあと、感想を聞かない生き方」はいかが?



2002年01月16日(水) 「フライパンのジュー、幸せな音だね、という生き方」

テレビで藤村俊二さんが、呟いていた。
別に料理番組ではなかったけれど、トーク番組で肉を焼くシーン。
それをじっと眺めていた彼が、とても幸せそうな顔をしてボソッと呟いた。
何ともいえない雰囲気と、ホンワカした空気が流れた気がする。
今まで「材料が料理される音」に関心を示したことはなかったが、
今日からは、ちょっとだけでも、妻の料理する音に耳を傾けようかな?
そう思わせてくれるフレーズであった。
何気ない調理番組も、なぜか料理の音が気になるようになった。
うぁ〜どうしよう、と思いながらも、
これから続く新年会で、新鮮な材料が目の前で料理されていく音を
楽しみにしている私がいる。

「フライパンのジュー、幸せな音だね、という生き方」はいかが?



2002年01月15日(火) 「修学旅行に行こうという仲間がいる生き方」

同窓会に近い成人式が行われた日、
私たち43歳組も同級生が集まって、新年会を開いた。
40歳の時「二回目の成人式」を手伝ってくれた仲間たち。
彼ら、彼女らなりの成人式論が、私を喜ばせてくれた。
話は「懐かし〜い」から飛躍して、今度は修学旅行に行きたい、と言い出した。
時期は秋がいい、行き先は・・、誰々が会計・・・。
話はどんどん決まっていく。社会での地位なんて関係ない、
私にとってはとっても頼もしい、
そして、なぜか人生を一緒に楽しんでいる仲間である。
そのうち運動会をやろう、文化祭をやろう、なんてことになるかも知れない。
40歳を過ぎ、やっと子育てから手が離れてきた年齢、
気が付いたら友達がいなかった、ではなく
気が付いたら、遊んでくれる同級生がいっぱいいた。
そんな環境が妙に嬉しいと感じた新年会だった。

「修学旅行に行こうという仲間がいる生き方」はいかが?




2002年01月14日(月) 「成人は家族の人が判断という生き方」

ラジオで面白いことを言っていた。
「成人式は、行政がしないで家族の人が判断して行うのがいい」と。
高校を卒業し、就職した人はそれなりのOKが出るのかも知れない。
しかし、大学に行き親から仕送りをされている学生は、
まだ経済的にも自立していない。
当然、国民の義務の一つ、納税もしていない。
そんな彼らを、成人として祝うのはおかしいのでは・・。
税金も納めていない彼らに、税金を使ってお祝いする。
「こいつは、もう社会に出しても大丈夫。責任がとれる」
そう親に判断された人が、成人となれるシステムはできないだろうか。
一番反対しそうな呉服屋、写真屋さえも必要性に疑問符をつけている。
来年はどうするんだろう?成人式。
静岡空港、第二東名の建設については、反対意見を言うのに・・。
こんな時こそ国民からの声が必要である。

「成人は家族の人が判断という生き方」はいかが?



2002年01月13日(日) 「近くの温泉に別荘を求める生き方」

静岡県に住む私たちは、別荘といえば信州などに求めたがる。
東北や北海道に土地を求めて、年に数回訪れることを夢見ている人もいる。
普段の生活とは別の世界を、考えるのが普通であろう。
しかし、伊豆に住んでいる人が、伊豆に別荘を求める人がいた。
家から20分から30分の距離に、温泉付きの別荘。
普通の人から見たら「もったいない」の一言であるが
週末を過ごす場所として、温泉付きにこだわって手にした主は
とても満足そうであった。
エリートとして仕事に頑張るのもいいが、
のんびり自然と楽しむのも悪くないな、と
そばの竹林を眺め、ご自慢の温泉に入れてもらいながら、
一人で呟いている私がいた。

「近くの温泉に別荘を求める生き方」はいかが?



2002年01月12日(土) 「事件を五感で感じようとする生き方」

アメリカ同時多発テロ事件も、最近では話題にのぼらなくなってきたが、
私の中では、まだ知りたいことが・・。それが「音」である。
画像はもう飽きるほど見たのに、音を聞いていない。
勿論、味とか、匂いとか、触れるとかは無理だろうが、
音だけは、デジタルで情報化することが可能ではないのか。
飛行機がぶつかった時の音、ビルが崩れる時の音、そして報復行為の爆弾の音。
これが聞きたい。そして本当の凄さを感じたい。
テレビが壊れるくらいの音がなくては、その凄まじさを実感できないと思う。
誰か聞いた人がいたら、是非教えて欲しい。
すべて、文字・画像といった視覚からの情報で判断してしまうが、
それはおかしいことに気付くべきではないだろうか。
交通事故でさえ、車がぶつかる時の音、タイヤが泣くブレーキの音でドキッとするのに。
今回の事件、音はどこかで規制されたり制限されているのだろうか?
とても気になる現象である。

私流だけれど「事件を五感で感じようとする生き方」はいかが?



2002年01月11日(金) 「プロでも走った後はダフル、と知る生き方」

新春特番で、プロゴルファーが何秒でホールアウトしたか、を競っていた。
画面には、私にとっては信じられない光景が・・。
クラブを何本か持って走る。そしてボール地点までついたらすばやく振る。
結果は、意外にも「ダフリ」。(うまくボールに当たらない)
でも、そのシーンを見て気が付いた。私はいつもダフルわけだ。(笑)
プロでも、呼吸が整わず、リズムが狂ってミスをする。
私なんか、同行者に迷惑をかけては悪いと、毎回打ち終わったあと走っていた。
上手くなるわけがない。
スイングが・・・、パットの感覚が・・・、そんなことではなかった。
基本中の基本、自然体で臨む。それが出来てないということになる。
プロでも失敗することから、自分たちの過ちを知る。
これは、どの分野でも言えそうなことではなかろうか。
そんな視点で、プロを眺めてみよう、面白いことが発見できそうである。
(そういう私も、公務員のプロだった・・・)

「プロでも走った後はダフル、と知る生き方」はいかが?



2002年01月10日(木) 「雪のやさしさを感じる生き方」

雪国の人にとって、雪はいろいろ意味で負担が掛かるのかも知れない。
しかし「詩とメルヘン」という本でこんな事が書いてあった。
「雪で狭められた細い道 行き交う人はどちらともなく道を譲り合う。
 譲られた人は、次は誰かに道を譲る、
 誰に教えられたわけでもない 雪に教えられたいたわりの心」
(全文は著作権の関係で、掲載しませんでした)
やはり、自然はすごいな・・とつくづく感じた内容だった。
私たちがいくら「ゆずりあい、ありがとう」と声を張り上げても無視される
ルールとマナーを、自然は知らず知らずのうちに教えている。
年に一度、積もるか積もらないかの静岡でも、たぶんこの光景は変わらない。
イライラ運転をしそうになったら、思い出して欲しい。

相手への思いやり「雪のやさしさを感じる生き方」はいかが?



2002年01月09日(水) 「幸せなものを考えて幸せになりたい、という生き方」

ある人の年賀状の片隅に書いてあった台詞。これには続きがある。
「幸せになることをして、もっと幸せになりたい」
思わず、メモをしてしまったフレーズである。
どんなことしたら幸せになるのかな?
どんなものを食べたら、幸せになるのかな?
どんな会話をしたら、幸せになるのかな?
そんなことを考えているだけでも、幸せな気分になれる。
だから、いつでも「幸せになれるものを考える」。これっていいよね。
それから、思いついたことを実行してみる。幸せになれるはずだから。
そしたら、もっと幸せになれる。これってもっといいよね。
社会はそんなにあまくないことは、百も承知だけど・・・。

「幸せなものを考えて幸せになりたい、という生き方」はいかが?



2002年01月08日(火) 「困ったら『楽しみは』『喜びは』シリーズという生き方」

ネットで知り合った女性。毎日の短歌を楽しみにしている一人である。
しかし毎日となると、なかなか短歌が浮かばない時があるらしい。
そんな時は「楽しみは・・・」「喜びは・・・」で始めると良い。
そんなことが書いてあった。
短歌ののことは詳しく知らないけれど
「悲しみは・・・」「切なさは・・・」でないところが気に入った。
ついつい、人間の感情としては胸がキュンとなる感情を書きたくなるのに。
毎日、「楽しみは・・」「喜びは・・」で始まる短歌をつくってみよう。
100首もたまれば、きっと気持ちも優しくなってくるに違いない。
明日からでも試してみたらどうだろう・・。

「困ったら『楽しみは』『喜びは』シリーズという生き方」はいかが?




2002年01月07日(月) 「ワールドカップのおかげで、プロ野球が変わる生き方」

朝のラジオで流れていたフレーズ。
今年一年は、間違いなくワールドカップ一色になると思う。
そこで危機感を感じたのはプロ野球。
昨年、イチローを始めとしたメジャーリーグにファンを奪われた。
そして、今年は冬季オリンピック、ワールドカップに・・・。
「人は誰でも自分でその必要を感じない間は、
古いやり方を破棄して新しいやり方を求めようとはしない」らしい。
そしてプロ野球は、とうとうその必要性を感じたようだ。
私たち生き方も、同じことが言えないだろうか?
イヤだ、イヤだ、といいながらも変わらない現状。
原因は自分がその必要性を感じてないことにあるのではないか?
ふっと、そんなことを思った瞬間である。
本当に変わりたければ、真剣に危機感を感じる環境を作ってみよう。
ちょっと厳しいけれど・・。

「ワールドカップのおかげで、プロ野球が変わる生き方」はいかが?



2002年01月06日(日) 「井戸がある公園が欲しい、という生き方」

知人のご主人が、目を輝かして私にこう言った。
わざわざ宮崎から帰省したので、是非逢おう・・と対談が実現した。
彼は、まちづくりに対して、いろいろなアイデアを披露してくれ、
私を喜ばしてくれた。
特に、建築家らしく私には想像も出来ない発想は刺激になった。
「私は、井戸のある公園がいいと思うんです」と切り出し
「花壇の水」「子ども達の遊ぶ水」・・・「防災的にも水道以外の水確保」
井戸の使い道が溢れるように飛び出してきた。
単純に公園があればいいというのではない。
実行できるかどうかは、行政の懐の広さが試されることになる(笑)。
ふと「どんなに整備されていても、誰もいない公園はいらない、
小さくてもいいから、子どもが遊んでいる公園が欲しい」
そういった若いお母さんのつぶやきを思いだした。
思いついたら、声に出してみよう。身近な人に話してみよう。

「井戸がある公園が欲しい、という生き方」はいかが?



2002年01月05日(土) 「素人のように考え、玄人のように実行する生き方」

深夜、テレビで大学の教授がしゃべっていた。
ロボット工学などの話をしていた気がする。
彼は、自分の生徒に研究の仕方を説明するときに、こう言うらしい。
ロボットとはいかないまでも、私たちの生活、仕事でもこの考え方は
応用できる、と思いさっそくメモをした。
いやいや、私だけではない。
小泉総理から、官僚、学校の先生まで、通用する考え方ではないのか。
難しいことを簡単に説明し、間違いなく確実に実行に移す。
または、発想するときは頭をやわらかくして生活者の視点で考える、
しかし、実行するときは、事故が起こらないように慎重に進め、
細心の注意をしてプロに徹してことにあたる、
と言い換えできそうな言葉である。
今後の取り組みに関して、いいヒントになった気がする。

特に仕事は「素人のように考え、玄人のように実行する生き方」はいかが?



2002年01月04日(金) 「見た夢を忘れてしまう生き方」

正月、特に初夢ともなると、夢の話題でもちきりになる。
夢判断、夢占いなんて言葉が、飛び交うことになる。
そのたびに、私は「夢、見たことがないんです」という台詞を
繰り返すことになる。
見ているんだけれど、忘れてしまうということは知っていた。
だけど、なぜか?は知らなかった。
そんな時、テレビで興味深いことを言っていた。
「生き方が前向きの人は、起きてすぐ今日やることを考えるので、
忘れるんです。ストレスが溜まっている人が、夢を覚えている」らしい。
なるほど・・夢を覚えてなくて誉められた気になった。(笑)

積極的に生きて「見た夢を忘れてしまう生き方」はいかが?



2002年01月03日(木) 「ペースを間違えずに走りきる生き方」

箱根駅伝、今昔物語のひとつ。
80歳を越えた日大のOBは、何十年も前の自分を思い出しながら
当時ブレーキになってしまったレースが懐かしそうだった。
感想を聞かれた彼は
「今度はペースを間違えず走ってみたい」と微笑みながら語った。
よく人生をマラソンに例えて話をする人が多いが、
ポイントはここにある気がする。
決して「長い人生にはいろいろある、だから・・・」と言うのではなく
「自分のペースを確認しながら人生を歩む。それが成功の秘訣」と
まとめて欲しいと思う。
他人のペースに惑わされず、走りきる自分のペースを見つけること。
それが私たちには必要なのだろう。

長い人生「ペースを間違えずに走りきる生き方」はいかが?



2002年01月02日(水) 「将来の自分をしっかりイメージする生き方」

我が家の正月行事(笑)、箱根駅伝のテレビ観戦。
今年もいろいろなドラマを生んだ箱根駅伝(往路)。
どうしても、2区での法政アクシデントが取りあげられるが
私のアンテナは違うところに引っ掛かった。
往路優勝の神奈川大学・吉村君の中学生時代のエピソード。
彼は中学時代から
「私は神奈川大学に入って、箱根駅伝で優勝する」と書いていたという。
中学時代から、そこまでしっかりとした夢をイメージしたことが、
私にとっては驚きであった。
目的もなく、高校に進学し、大学を選んでいく若者が多い中、
単なる夢を、確実に目標に変えてきた彼の努力に拍手を送りたい。

彼に習って「将来の自分をしっかりイメージする生き方」はいかが?



2002年01月01日(火) 「習ったことは、試してみる生き方」

毎年、元旦に年賀状がどっと届く。嬉しい悲鳴である。
その中で、たどたどしいパソコン処理らしい賀状が、私の目を引いた。
手書きの「IT講習会の成果です」と書かれたその文が、
私をニコニコにさせてくれた。
一年間の苦労が、この一言で報われた気がする。
全国で、あれだけ多くの人が「IT講習会」を受講したはずなのに・・
と思っていた私にとっては、本当に嬉しかった。
上手い、下手なんて関係ない。
あれを機会に、頑張ってます・・そんなメッセージが伝わってくる。
年賀状から得た教訓

「習ったことは、試してみる生き方」はいかが?


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