───モカ。 己の名前を呼ばれた気がして、少女はゆっくりと重いまぶたを開けた。 ───モカ。私が見えるか? 彼女の目の前にいたのは、どこか高潔な雰囲気のある長い髪の男性。自分とは違い、何やら動きづらそうなズルズルベッタリなフードを着た青年が、こちらに優しいまなざしを向けて微笑んでいた。 懐かしいような、忘れていたような、そんな切なさにも似たものを覚える笑み。 「・・・・・?」 どうやら向こうは自分を知っているようだが、あいにく彼女の記憶には残っていない。・・・いや、正確に言えば、どこかで会ったような面影は、感じてはいるのだが。 こちらの戸惑いに気付いたのだろう。青年は今度は苦笑を浮かべ、再び言葉を紡ぐ。 ───確かに私が、この姿で君の前に出るのは初めてなのだな、モカ。私が誰かは、さすがに分かるまい・・・。 「ウチに分かって欲しかったら、ちゃんと名乗りでんかい」 モカの言い草に、青年の笑顔に翳りが浮かんだ。 ───無理なのだよ。この世界の私は、自分の名前は名乗れぬから。・・・もどかしいものだな。これまで、ずっと一緒に旅をしていたと言うのに、もはや自分ではお前には名乗れぬ存在に、成り果ててしまうとは。 ずっと一緒に・・・? その言葉に、モカはあまり働かせるのが得意ではない頭脳を、フル回転させる。 自分と一緒に旅をしてきた者・・・。 それは、盗賊であり、鍵開けの天才でもあるブルマン。 操る魔法は確かに強力だが、無口で何を考えているのかさっぱり分からない魔法使い・キリマン。 自分こと、ケンカと冒険が3度のメシより好きな、戦士・モカ。 そして・・・・・。 「・・・・・・あ」 やっと思い出した。と言うよりも、考えがいたらなかったのだ。 確かにずっと一緒にいた。他の2人よりは短い間ではあったが、いつも側にいた。 ある時は剣として。ある時は空を駆けるものとして。自分とずっと一緒に戦いつづけながらも、ついこの間、時空の歪みに巻き込まれて生死不明となってしまった・・・。 「あんさんか・・・どうりでどっかで会った事ある、思うたわ」 彼の名前は、敢えて口にしないモカ。 だって「それ」はまるで、人づてに聞いた御伽噺の登場人物のようなもので。自分は結局、1度として彼の名を呼んだ事はなかったのだ。 だから、この期に及んで口にしたところで、嘘っぱちなような気がしたから。 モカにとっては、「彼」は「彼」でしかありえない。それだけに「あんさん」としか「彼」のことは、例え様がなかったのである。 随分自分勝手な理屈ではあったが、青年には通じたらしい。相変わらずだ、と笑ってから、少しマジメな顔つきになる。 ───モカ、やはり君は、ローレシア大陸に行くのか? 「当たり前やないか。何かすっきりせえへんもん。ごちゃごちゃ考えとるよりはまず行動や。その方がウチらしいんと違うか?」 ───てっきり私は、未知の大陸があるから血が騒ぐ、とでも言うと思ったのだが。 「あ、いや、それもちょっとはある、思うけどな」 ───フフ、君らしいな。・・・だがモカ。もし君がローレシアへ赴くのが、単にアベルとの約束のためなのだったら、そして再びアベルを助けるためだけなのなら、やめておいた方がいい。彼も言ったはずだ。『新しいアベルは自分とはかけ離れた存在になるだろう』と。君がローレシアの『アベル』を助ける事は必ずしも、君の知る『アベル』が望む事では、ないのかも知れぬから・・・。 「何や、それ。禅問答かいな」 モカはかなりムッと来たようだ。 「ウチも言うたはずやで。あんさんと一緒に黒い龍のオッサンと戦うた時に。これからいい事する奴でも、今悪かったらお仕置きするもんや、て。それとおんなじや。もしこれから悪いことする奴やったとしても、今困っとったら助けたる。 大体ウチには、小難しい事分からんさかいなv」 ───モカ・・・。 「・・・何であんさん、いきなりそないなこと言いに来たんや? いつものあんさんなら、そないなこと言わんへんのに」 てっきり分かってくれてると思ってたのに、とまるでふて腐れたようなモカに、青年は寂しそうな視線を向けた。 ───そうだな・・・君と一緒にいた頃の私なら、こんなことは言わなかったのかもしれない。だが・・・今の私は少し不安なのだ。 「何が?」 ───色々と、だ。スマンな。今の私には、それを告げる事はできぬのだ。 「・・・・・・」 珍しく、モカは沈黙した。 かと思うと、おもむろに彼女は、青年の方へと掌を差し伸べるようにする。 果たして───彼の体に触れる事は出来なかった。すぅっ・・・と、まるで幻のように姿が透けて見える。 モカの表情に、いらだたしさがうかがえたのはだが、一瞬だけ。 「ま、ええわ。今度ちゃんと会えるんやから」 あっけらかん、とモカは笑った。 「会えたら」ではない。「会える」と彼女は言った。まるでそれが夢まぼろしではなく、期待でもなく、約束された未来のように・・・。 ───・・・ローレシアの私も、君の知る私とは違うかも知れぬぞ? 「そんなん、会って見んと分かるかいな。ウチはあんさんの側へ行く。ウチが決めたんやから、それでええやろ」 ───君の知る私が、それを望まなくとも、か・・・。フフ、愚問だったな。君はいつもそうだった。結果を恐れず、正しいと思うことを、なすべきことをして来たのだから・・・。 諦めたような、それでいて嬉しそうな目の青年を、しばらくモカは黙って見ていたのだが、おもむろにボソリ、と言った事がある。 「・・・何や。ひょっとしてあんさん、色々ある言うて、そいでウチと会いとうない、会うんが怖い、思うとったんか?」 ───・・・・・・!? 「ウチのこと見損なわんといてや。そないなことでウチは傷つかん。それに、あんさんがウチに会いとうない、言うても、ウチは絶対押しかけて行くからな。そいでまた、一緒に冒険するんや!」 どこか儚げな存在だった青年が、その時だけ目を見開いた。そして、心から嬉しそうに笑った。 ───そうか・・・。なら止めないぞ。君の思う通り、君の進むべき道を来るといい。そして・・・。 何時でもいい。いつかきっと、私に会いに来てくれ───そう言った青年の声は囁きにも、反響ともつかぬ響きを持っていて。 モカの耳には、きちんとは届かなかった・・・。 *********** 「なーんか変な夢、見たような気がするなあ・・・」 旅の途中。起き掛けに朝食と相成ったモカは、ブルマンとキリマン相手にそう呟いていた。 「夢!? モカでも夢なんか見るのか!?」 「・・・何やブルマン、ウチが夢見るのがそんなにおかしいか?」 「イヤ、その、いつも寝に入ったら即座に爆睡してるからさあ・・・」 「△※→×◎」 「キリマン・・・そこで恐々、ウチを拝むんはやめい☆」 「そ、それで、どんな夢を見たのさ?」 「それが・・・全然思い出せんのや。おかしいなあ・・・」 夢を見た。それは覚えている。なのに、どんな夢を見たのかは、覚えていないと来た。 それが夢と言うものだ、と言われればその通りなのだが・・・。 酷く懐かしいような空間に、いたような気もするのに。 「ああ、ええわ。思い出せる時は思い出すやろ」 そう言って立ち上がろうとした時、モカは無意識に腰の「それ」に手をやろうとして・・・違和感にふと、そちらを見やった。 そこにあったのは、ずっと持ち慣れて馴染んでしまった「彼」の姿ではない。グレイト・ソウルにたくされた、ロゴスの牙より作られた黒い、剣───。 「・・・モカ・・・」 心配そうにするブルマンに気付き、モカは気合入れとばかりに、自分の腰をそのままパアン! と叩いた。それからようやく、ロゴスの剣に手をやる。 きっと何時かは、慣れてしまうだろう。「彼」のいない違和感に。 そしてロゴスの剣を振り回すのにも、自分は慣れてしまうのだろう。 だが自分は必ず、「彼」に会いに行く。 違和感をふさぐためでもなく、ましてや約束のためでもない。 自分が会いたい、それだけのために。 「じゃ、早速出かけるかぁ!」 ≪終≫ ************ ※何だこれは、とは言ってはいけません。きっと誰も書かないであろう(涙)、こやま基夫著「おざなりダンジョン」のパロディーSSです。作中ではついに名前を出す事ができなかったエスプリ、彼とモカのコンビがスゴく好きなんですよねえ。 最終巻でモカは、アベルを救う事が出来なかった事で号泣しますが、これってきっとエスプリとの最後の約束を果たすことが出来なかったから、もあるんだろうなあ、と勝手に思ってます。 だから「なりゆきダンジョン」がああ言う形で連載停止したのは、今だにすごく悲しいです。モカはエスプリにも会いに行ったんだろう? だったらせめて、それらしいキャラ出してくれよ〜とか何とか思って。(イヤ、まさかとは思うが、アイツがそうだと言うんじゃないだろうな・・・☆) もしこのSSにピンと来た方は、是非「おざなりダンジョン」全17巻、読んでください。ワクワクしますからv
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