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現代の日本の要人は、明治維新の頃に欧米を見聞したように、今は、進んだ台湾の災害対策を学んで真似するために遣湾使を派遣するべきだと思う。
やすこさんってすごいな。やすこさんの子供食堂は応援したい。
紗栄子さんという女性も、たいしたものだなあと思っている。
お母さん、ある子沢山の女性がね、わたし男嫌い、って言ってた。 5人子供産んだら、子沢山と私は思うよ。私はお母さんみたいに、3人くらい子供欲しかったんだ。できれば若草物語みたいに4人。思えばお母さんのお姉さんたちは、若草物語のようだったんじゃないかしら。 私は貴女より、ちょっとくすんでいた。なぜだったかわかる?私は三歳まで森の中で育ったから、都会的な女性だった貴女とは違って、デパートなどの人ごみは苦手だったの。貴女はきっと私と楽しくお買い物をするのが夢だったんじゃないの?弟二人で妹がなかったから、きっと貴女は娘ができたことを喜んだ。娘なら主導権を握れる。貴女は生き生きしていて愛されキャラ。でも私はぼやっとしたくすんだ女の子だったと思うんだ。それが貴女を心配させた。イグアナの娘みたいに。だってデパートで私は人ごみにくたびれはてて、ちっとも楽しめなかったの。貴女はきっと私があれが欲しい彼が欲しいと我儘なまでに 意思をはっきり示す元気な少女てあることを期待していたのよ。だから私がお買い物にさほど興味がないのがつまらなかったのね。お前とお出かけしてもつまらない!と貴女は怒ったので、私は自分はつまらない子なんだ、とがっかりせすにはいられなかった。 でも、アルバイトをしている時は、ほんの少し垢抜けたと思うの。自分としてはね。 私が生まれた後に、おばあちゃんが倒れる前に、私に弟か妹を産んで欲しかったな。 それでもやっぱり私は駄目だったかしら? 北野武さんのお母様も、私は父ちゃんが嫌いで嫌いで、って息子さんにおっしゃったんですって。 やはり5人くらいお子さんあったみたいなのね。 羨ましい。やはり陳さんみたいに素敵な人だろうな。 私はボケ。三歳の頃には既に、三人姉妹の末の女の子に怖い目で睨まれてた気がするの。 勘違いなんじゃないの?って思うでしょ?でも私はあの怖い目が忘れられない。 私の原点はね、二人のお兄ちゃんたちがどちらも大好きだったの。でもお兄ちゃんたちは、二人とも 可愛いきれいな歌手とか女優さんとかのポスターを自室の壁に貼ったりして、あんな娘がいい、こんな娘がいい、とキャッキャ言ってて、私はそれを眺めていただけ。そして奥さんたちも、私みたいにぼやっとした女の子ではなくて、しっかり者の美しさ。 お兄ちゃんが私を三人姉妹の真ん中の女性の息子さんのところにやろうとしたのは、絶対に私が生まれたことを恨んでたからだと誇大妄想に駆られることがあるの。。犬の子のように子供を安易にやったりとったりするの私は嫌いよ。事情は色々あるだろうけどね。私は貴女の最初で最後の一人娘に生まれたかった。いくら男の子二人を育てるのが大変でも、私が生まれたくらいで、お兄ちゃんを養子に出しちゃいかんよ。いくら二人居て一人お姉さんに最適だったとしてもさ。産んだ娘はお人形さんとは違うのよ。
お母さん、貴女は愛する人たちを支えたかったのね。
マツコデラックスさん、オウム🦜を飼って欲しいな。オウムって結構長生きじゃないかな? そしてオウムさんにたくさん話して欲しい。 マツコさんくらいになったら、ベニコンゴウインコなどの大型オウムを飼って欲しい。
お母さん、苦しい。
愛情が胸一杯って苦しいよ。
いつまで責められなくちゃいけないのか、いつまで辛抱しなくちゃいけないのかと思っちゃうの。 心掛けが悪いのかな?
苦しい。 お母さん、苦しかったよ。 生まれてきて、苦しかった。 私も病院で生まれたかった。 お母さん、私も頑張ったんだよ。 私は落ち込む。貴女の励ましは私を追い込んだ。 私は貴女とは違う。私は人に何があっても落ち込んじゃ駄目だなんて言ったことはない。 どこにも逃げ場はないんだよね。 私はよくやった。よく頑張った。 自分を誇りに思うよ。 お母さんの子宮の中に戻って眠りたいな。 貴女も一人なのかな?お父さんとは会えたのかな?まだ会えてないの? 私はどうして木彫り彫刻を伯母さんに習おうとしなかったんだろう? アルプスの少女ハイジだったらきっと習ったと思う。
お母さん、そう言えば、今日は、午年のお兄ちゃんの誕生日だね。卯年にも午年にももう迷惑かなと思ってお祝い言わなくなっちゃったんだけど、どうしているのかな。どんな好々爺になっていることやら。
アメリカが今までずっとテロリストだったというのは正確ではないかもしれない。
私も静かに殺されていくのかもしれないな。
私も子供の頃アメリカのアニメを愛しながら10代で鬼畜米英になった母に似てきたのかしら。
英米文学で幸せそうな女性ってあまりいなかった。特に宗教が関わるとね。
あしながおじさん、赤毛のアン、そういえば赤毛のアンの幼なじみのダイアナはあまり登場しなくなったような。戦争の中で奮闘するアンの娘リラ。
米国ではなくて、カナダじゃないの。
米国は、眞子さんや小室圭氏のような人々にとって必要なところなのかもしれない。
でもとにかく、米国政府は信用できない。 CIAがイラクは大量破壊兵器を隠し持っているなどと言ったのは、病気だ。
確かに私にもサッカーの世界大会は全く縁が無いことだった。試合の追っかけなんて信じられない。 スポーツクラブに所属したりするのはやはりお金持ちでないと無理だろう。 ただ子供が小さい頃皮膚科から精神科に紹介されて一ヶ月入院した時、ご主人の付き添いで来ておられた美人の奥様がおられて、その方が共有場所のテレビでサッカーの試合が放送されている時に、あの頃、 カズとかだったかな、試合を応援されているのに引き込まれた。同じ部屋に居ても、僕はああいう試合に 関心を持ったりはできないんだよな、とおっしゃっていた方もあったな。 私はあの時、鬱ではなかったのかもしれないな。 息子のお父さんは、若い頃は仕事の関係でか、プロ野球を応援していたし、今はサッカーとか女子バレーとか見ることがある。 でも私も、アメリカの主婦と同じ、試合を見に行ったりすることはほとんどない。 しかし、新潟に転勤でついて行った時は、何故か、プロ野球の試合とかを観に行きたくなったな。 東京にいる頃は就職することばかり考えていたけれど。 新潟では、ブログで知り合った奥さんに惹かれてイタリアに飛んだな。彼女の写真の表情が素敵だった。 私は何を書いていたのだろう?きっと彼女が私のブログにコメントしてきたのは、私が男の子の母親だったからだと思う。彼女には弟さんもあったが、息子さんはその頃サッカーにも関心があったのだと思う。 サッカー選手のポスターがあった。その頃もサッカー選手はよくトラブルで日本人にはよくわからないが 彼女の言うところの汚い言葉を吐くこともあったように思う。そんなニュースもあった。 しかし思うに、子供は生まれた頃は何も言葉を話さなかった。それが中学生になると、放送禁止用語を 話したりするようになったかと思うと成長とはすごい。 ただ私にとっては、息子がそういう言葉を使わないのも又心配の種になったりする。
お母さん、正直私はとても怖いよ。お母さんは私があの人とずっと添い遂げると信じたまま逝ってしまったのかと思うと、しんしんと一人ぼっちだ。今は例えお母さんが私にそばにいることを伝えようとしても 伝えられない状況だとしてもは実は側で見守っているのだと思いたい。実はずっとことの顛末はあの世で知っていて、今の夫や息子のことも、娘のことも、母は知っているのだと思いたい。 でも実はあの昭和の終わり頃逝ってしまったまま、貴女はわたしのことなど 全く知らずにいるのが本当かも知れないと思うと、私は貴女の生前、ほとんど自分の気持ちについて話したことが皆無だったこと、私がどれ程貴女の助けを必要としていたか何故必死になって伝えなかったか、 愚かだったことを思い知らされずにはいられない。貴女がどれ程私のことを心配してくれていたか。
お母さん、お母さんは女学校を出たのね。お兄ちゃんの奥さんも女子校を出たでしょ? なぜ私を共学校に行かせたの?
女子校に行きたかった。
うそ。お兄ちゃんたちや好きな女の子と同じ高校に行けるものと思ってたんだ。
あの学校に入ったのは災難だった。
あなた方にはついについにそれが何故どうしてこれほどまでに私にとってど災難だったのか全く理解できなかっただろう。 私はそれに言及するのも気持ち悪い。
私にとって世界がこれほどまでに敵であったのは全く私自身の落ち度に拠るものではない。これはひとえにあなた方両親の世の中についての無理解故に陥れられた災難なのだ。
あなた方にもし理解できていたならば私の人生はもっと頼もしいものだったろう。
私って何だろう!
お母さん、私は幸せにはなれない。私は間違いなんだ。
子供の頃お母さんが私を心配していた時、私は驚いた。私は死のうとしたことなどなかったのに、母は心配していたんだ。
確かに人ってそんなに強くない。追い詰められて死んでしまう人もあるし、死なせてしまう人もある。
お母さん会いたいよ。貴女と一緒に眠りたい。今どこに居るの?
お母さん、私ここで結構後ろ向きな気持ちを書いていたかもしれないけど、今日は、私自身にできることが相変わらず少なくて挫折しがちでも、私がネットで見て、素敵だなと思ったことを、どこかの世界にいるかいないかの私の大好きだったお母さんに、お伝えしたいと思います。
今日素敵だなと思ってみたネットでの若い日本の女の子のニュースは、東京で美容師の専門学校を卒業して地元の美容室で働き始めたけれども、就業時間が過酷で半年で辞めた後、農業を始めた若い女性のお話です。
お母さんは昭和二年の七月四日生まれで、昭和六十二年の七月二十一日に亡くなったから、本当にどっぷり昭和の女性だったんですよね。 お父さんは多少携帯電話などを使ったりしていたけれど、お母さんは全くITを知らずに行きましたね。
お父さんは何とかして農家の暮らしを明るいものにするために研究していたけれども、農家を保護しようとした政策は、まるで私たちを過保護に育てたような側面もあったかもしれない。でも、私たちも、農家の跡取りの息子さんや娘さんたちとも触れ合った時がありました。お父さんたちは、私が彼らともっと関わりあえたら喜んだでしょうね。
今日見た農業女子は、農業学校を出たわけではなかったけれど、たまたま農業のアルバイトを続けてみたら、意外と面白くなって、何と、最近流行りのドローンで肥料を蒔いたりするんですよ。すごいよね。 日本も、中腰になって腰を痛めたりしなくても、農業ができる時代なんですよ。
元々東京の美容師学校を卒業できるくらいになって、半年でも過酷な仕事をこなそうと努めただけの力量はあったと思うけど、でも地元のお米を世界に売り込もうなんて夢が大きいよね。 お母様が農家の出身というのは大きいだろうけど。
私は貴女のように子供に癌でもエイズでも落ち込んじゃ駄目よとは言わない。 私は落ち込んでも良いと思っているんだ。 だって落ち込むことがない人なんている? お母さんはおかしかったのよ。空襲を生き延びた人だから? 何があっても落ち込まない人なんていないよ。 お母さんは落ち込まないように頑張り過ぎて疲れ果てちゃったのよ。もっと落ち込んで良かったのよ。 神様は落ち込んだ者を駄目だなんて仰らない。 私は辛くても落ち込んでもそれで自分を駄目だなんて思わない。 お母さんも落ち込んでももっと長生きして欲しかったよ。 貴女がいたら、知らずに済んだのかな。
お母さんごめん。お母さんも精一杯生きたし、私もそうだ。皆そうだ。お母さんありがとうね。 袋田の滝楽しかったよ。
きっと私がいくまではいかずにいてくれるのではないかな。泣きはしないだろうけど。関係ないか?関係ない? 大概は似て非なるもの。
お母さん、最初から、この世に私を歓迎するものなど一つもなかったんだよね。
お母さん助けて。旦那さんの愛情の勢いは痛い苦しい。休みたい。お腹も心も休めたい。
彼以外の人はあり得ないんだろうけどね。
お母さんがご馳走を食べられないからつまらないとお父さんが言ったことがあった。 食べられないのは辛いよね。 お父さんはお母さんが亡くなってから10年以上経ってからお母さんの辛さがわかったかしら?
私はこれからの時代に夢を持てない。元々そんなに自由な世界ではなかった。 私を自由な人などと思っていたひととは続かなかった。私の心を救ってくれた人はアラブ人。 アラビア文字は読めないけどね。
玄関の鍵よりも、部屋の鍵が欲しいよ。
あたし達は永遠のおのぼりさん。
貴女もお父さんも幸せだったと言っていたから良かったけど、私は幸せってよくわからないんだ。 あの人を理解しようとしていたつもりだったけど、間違いだったみたいだ。
きっと私がいくまではいかずにいてくれるのではないかな。泣きはしないだろうけど。関係ないか?関係ない? 大概は似て非なるもの。
お母さん、やっぱりどこまで行ってもだめなのかもしれない。 何か突破口があるだろうか?それとも日本が衰退していくと言われているように私が衰退の元凶なんだろうか?私たちの種は絶滅危惧種なんだろうか?それとも生き残れる見込みは無いのだろうか? どうしても駄目なんだ。でも決して悪かれとしているわけではない。 しかし傷はどうしようもないものだ。傷つけようとしているわけではないのに。
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