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2010年06月29日(火)

 眠いです。もあっとしている。


2010年06月28日(月)

 審判の誤審が点になっていたら、同点に返したイングランドはもう少し頑張れたんじゃないだろうか?
 確かにドイツのゴールはどれも見間違えようもなく力強かったが。


2010年06月25日(金)

 明け方手洗いに起きたら、旦那さんはもうデンマーク戦を見ていた。

 私は期待して負けるとがっかりなので、だめかな〜と覗いてみると、2点も点が入っていてあらまだった。

 ジャガイモをふかしたりしている。複雑なことをこなす根気はないが、一度に一つの事くらいはできる。ふかしすぎかもしれないが、よく火が通っている。特に味付けしなくてもいけるじゃん。


2010年06月24日(木)

 もし私が飛行機に乗るとしたら、エコノミー以外には考えられないけれど、普段ファーストに乗るのが普通の人には、エコノミーに乗せられるのが
屈辱になったりするのか。
 人の苦境を助けたいと思っても自分の現状ではなかなかなので、ブラピやアンジーやビルゲイツさんのようだったらいいなあと思うこともあるが、
さて、私がアンジーやゲイツ夫人になりかわって幸せかどうかはわからない。アンジーが私のように生きるのも困難だろうけど。


2010年06月16日(水)

 今朝は雨降り。

 昨日散歩しておいて正解だった。

 カメルーン戦、いくらカメルーンが不調だったとしても、後半危ないということが何度もあった。だから後半の守備もよかったのだと思う。でもドイツはすごかったなー。
 北朝鮮も後半頑張っていた。

 オランダ料理のひゅっつぽっとって挑戦してみたい。

 割り勘でいくってケチなの?

 でも割り勘ってお互い気分的に楽でいいと思うんですけど。


2010年06月15日(火)

本田啓祐か。覚えてしまった。やっぱり勝つと嬉しいな。単純。

でも勝つと兜の緒を締めなくちゃいけなくなるし。

失礼。本田圭佑選手でした。

それにしても、おもうごとたすくとぐることきはめてありがたしだ。


2010年06月14日(月)

 ゆうべはオージービーフのステーキが美味しかった。炒めたにんにくスライスを沢山食べた。オレンジやアメリカンチェリーも。ほうれん草の胡麻和えも。

 今日は長兄の誕生日。もうすぐ還暦か。母は還暦でいっちゃったけど、どうか長兄夫婦は喜寿米寿を越して欲しい。

 ところで、菅さんはどうして政治家になられたのか、伺ってみたい。

 岡田監督、対戦する前から必勝宣言なんてしない方がいいと思うんですが。スポーツはお祭りだな〜。メッシのゴールは確かにすごい。

 私は同性の姉妹がなかったせいか、あまり闘争心は育たなかった。スポーツで負けてもそんなに悔しいと感じていなかったような。どちらかというと、青虫を育てて観察したりするのが楽しみだった。テレビではウルトラマンだのエイトマンだのアニメは楽しんでいたが、現実に自分が戦うわけではない。
 それが、高校生になった時、スポーツに夢中の友達を知って、世の中にはなかなかいい子がいるものだと感じた。しかし体育会系の部活の生活は私には続けられなかった。私は穏やかな時間に飢えてしまった。

 それはそれとして、オランダって王国だったとは、知らなかったです。
インドネシアでオランダと戦ったことがあったなんて、これも知らなかった。サッカーのワールドカップに関心を持つようになったなんて、10代の頃からしたら、私的にはかなり視野が広がっていますよ。中学で英語が始まって、This is a pen.Ben is a student.という構文だけでも日本語とはだいぶ
異質な未知の世界だもの。でも、辞書を引いてその単語の意味を想像したり、遠くの世界を想像したりするのは、いい気分転換だったんですよね。
自分以外の存在についてイメージする時間は、自分の悩みから離れている時間ですよね。
 デンマークも王国なんだ。日本も同じような構造ですよね。女性の天皇は大昔しか出てないですが。
 共和国はカメルーンだけか。やっぱりカメルーン侮れませんよね。

 先制点取れたからって守りに入らないで。


2010年06月12日(土)

 今朝子供朝ごはん食べて病院へいったのに、空腹時血糖値って書いてある。

 それにしても、南アフリカのサッカーワールドカップの開会式ってやっぱりカラフルで、虹色って感じ。


2010年06月11日(金)

矢野選手顔晴れ


2010年06月09日(水)

 ゆうべ子供がテレビでディズニーのアラビアンナイトやドラえもんなどを
見てげらげら笑っていた。
 笑う角には福がくるといわれるが。

 私が10代か二十歳前後の頃か、テレビの夕飯の時間帯で、高橋留美子さんの『うる星やつら』という漫画のアニメ番組が、毎週だったろうか、放送されていた。それを見て私はげらげら笑っていた。

 今同じものをみて、その頃のようにげらげら笑えるかどうかわからない。

 かなり最近ここ5年以内くらいに、同じ漫画家さんの『犬夜叉』を漫画本で読んだが、この場合私はげらげら笑えるから読み進んだわけではなかったんじゃないかと思う。しかしながら、高橋留美子さんの描かれたヒロイン、ラムちゃんにしても、犬夜叉の、なんていう娘さんでしたっけ?神社のお嬢さん、漫画の絵柄はよく覚えているんですが、名前忘れるなんてけしからんな。
とにかくラムちゃんにしても、犬夜叉のヒロインにしても、嫉妬だとか見栄だとか死霊みたいなものが引っ込んでしまうような活気を備えているのが
、読者の切望を満たしてくれるような気がする。しかし、ラムちゃんの愛にしても犬夜叉のヒロインの愛にしても、本人にしてみれば辛いことの方がおおくて、もし実家の星に、あの虎のパンツをはいたお父さんがおられなかったら、現代の現実の(?)神社の頼りなさげなおじいさまやご両親や弟さんの平和な日常なくしては、とても維持できなかったのではないだろうか。

 22か23ぐらいの頃私は結婚したが、それは考えてみると、恋愛結婚というよりは、お見合い結婚だったのではないかと思う。
 とはいえ、好きだったから結婚したのだ。少なくとも私はね。
 しかし、婚約していた時、とても不幸なことがあって、嫁ぎ先の人たちは
あまりめでたい気分ではいられなかった。
 私は起きたことや言われたことなどを継ぎ合わせてできる限り理解しようとしてきたが、少なくとも私の実家の私にとって主だった人たちが元気でいた間は、結婚した後も私は相変わらずうる星やつらのアニメを見てげらげら笑っていた。
 しかし今考えてみれば、それまで元気だった兄弟を失ってしまったりその他様々な痛手を負っていた人にしてみれば、そばにいても、アニメを見た時の私の悪気のないげらげら笑いはかなり遠いところで響いていたのではないだろうか。

 息子のげらげら笑いを聞きながら、そんなことを感じていました。

 それにしても、王子様を殺せなかった人魚姫が泡となって天へ上ってしまうアンデルセンのお話、どうしても納得できなかったな。

 そういえば、国際安保理や六カ国協議がイランや北朝鮮の核利用を牽制したり制裁したりするというのもおかしいと思う。どこの国も核の平和利用しているのに日本だってしているのに、どうしてイランや北朝鮮だけ核開発してはいけないというのか。それとも表向き牽制しても大丈夫と踏んでいるのだろうか。イランにも北にも知り合いはないんだけれども、世の中って小説よりも変みたいだなと思う。

 「あらゆる生物にたいして暴力や悩みを与えてはならない。独り、サイの角のように歩め。実に欲望はいろとりどりで甘美である。心を楽しませてくれ、満たしてくれる。しかし、欲望の対償には、憂いがあることをみて、サイの角のように、ただ独り歩め。」

「足りないものは、音をたてるが、満ち足りたものは静かである。」

「親の義務とは、子を悪から遠ざけ、善に入らしめ、技能を習学させ、適当な妻を迎え、適当な時期に相続させることである。」

「子らは、すみかであり、妻は最上の友である。」

「人の価値とは、生まれや身分によるものではなく、清らかな行いによって決まる」

 お釈迦様の言葉。

 人の価値が生まれや身分によらず、生き方によるとおっしゃったとは信じられるのだけれど、妻子を置いて出家したお釈迦様が、子らはすみかであり、妻は最上の友である、なんていつおっしゃったのだろうか?と思う。

でも、人生を皮肉にばかり考えるのも片手落ちだ。きっとこの言葉は決して皮肉ではないのだろう。

 私は父に伝える事ができなかったのだが、母は確かに父を愛していた。
しかし母の命を見送った父がそれを知らなかったはずはない。だから悔やむのは止めよう。

 夫にとって妻は容易でない相手である事があるかもしれないが、しかしどんなに憎まれ口を叩いても、また上手に表現する事ができなかったとしても、最上の友人でありたいという願いはあったと思うし、またあると思う。

 それにしても、何を相続するのだろうか。生き方??

Our bodies may grow stiffer with the passing of time, but we should not let the same happen to our minds. The older we are, the more willing we should be to listen to others, especially young people.


2010年06月07日(月)

 結構もあっとした蒸し暑いとも言えないことは無い気候になってまいりました、うちの近所。
 それにしてもペットボトルにしても紙パックにしても、我が家けっこうな量です。なかなか水道の水だけで過ごすということができていない、やはり贅沢でしょうか。

 主人の祖母が、駄目なものは駄目なんだ、気にするな、悪く思うな、と言ったことを思い出した。

 駄目で元々かなと思う。縁の下の力持ちになれないか。


2010年06月05日(土)

 できないことって数えれば沢山ある。

 例えば私は逆立ちができない。これからはともかく、今までのところは。

 どうしてできないかというと、一つには、練習しなかったからだ。どうしても逆立ちしたいという情熱で胸や頭が一杯にならなかった。だから練習しようとしなかった。私は逆立ちにご縁がなかったんだろうか?

 今すぐにはできないが、以前できたことというのもある。

 例えば私は、うつぶせに横になって、背中を反り返して、両足の裏を頭につけることができた。2歳か3歳の頃には。でも今はできない。練習をやめてしまったからだ。たまにしようとしても、しないよりはましだが、頭につくようになるまで練習する根気がない。やる気と言うか、元気がないということか。どうして元気がないのだろうか?どうしたら元気になるのだろうか。

 でも、これから練習してリハビリすれば、絶対逆立ちできないとはだれにも言えない。足の裏を頭にこすり付けるのだって、これから一所懸命に練習すれば、できるかもしれない。奇跡的困難さを伴うが、全く不可能とは言えない。練習する時は難しいと思わず、簡単簡単と思うかな。

 しかし眠い。はっと目が覚めるようなことってなかなかないものですね。


2010年06月04日(金)

何だか完熟トマトをスライスして黒砂糖をつけて頂くのがマイブーム。

鳩山さんお疲れ様。誰が悪いとも思えませんが。


2010年06月03日(木)

 私の父は戦争で食糧や物資が不足することで栄養失調にもなり、成人する頃には既に農業に対する情熱が確立していた。母も園芸が趣味だった。
 それだから私も園芸にはとても憧れがあるのだが、あまりまだその道には遠い。植木鉢でも植物は育つというにな。
 一つには、毎日朝晩の水遣りというような落ち着いた地道な活動が生き物に対する愛情のバロメーターだったりしますよね。
 もし自分ができない時は、人に頼むだけでも違う。例えば鯉や金魚を最初に欲しがったのが私だとしても、夫がその命の維持に関心を持ってくれているということは、とても助かることなのだ。あるいは余裕があれば、技術革新の恩恵を受けたり、情熱如何によっては同じ関心を持つ人々との交流によって育つものもあると思う。

 それにしても、うちの銀鯉、買ってきた時の大きさの10倍くらいになってしまった。稚魚というわけでもなかったが、当初は頭から尾までの体長が3cmあるかないかだったのだ。髭も見えなかったので、鮒か鯉かわからなかった。

 時折、自分の器の小ささに絶望的な気分となり、器の大きさって生まれつき決まっているのかなあとため息をつきながら遠くの山を眺めたりする。
 それにしても何が人物の器の大きさを決めるのか。大きくなければいけないのか。自分の意図というわけでもなく何かのきっかけで何かに関心を持つ
こともあれば、今まで自分が無条件に受け入れてしてきたことに一服して思いをめぐらせてみる時間があってもよかろうと思う。

 それにしても勿体無いくらいいいお天気。


2010年06月01日(火)

 冬エアコンをつけていても悴んでいたことを思えば、暖かくて素晴らしい。いつまでもこんな気候であって欲しい気がする。
 もっと体力があって若かったら、この気候の素晴らしさを味わえるためだけにでも、もっと過酷な場所に敢えて挑戦したかったと思う。


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