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| 2002年09月30日(月) |
神を頼らずウォーキング〜みずひきぐさ |
今日はこのあたりしとしと雨であったかと思われますが、わが心にも涙降って いたわけではなくて、風邪薬飲んで寝てました。
ところで、私はウォーキングというのをしておりまして、これは体調が良くてやる気のある時にはなかなかいいものだと思っておりますし、また風邪が治ったらやりたいと思っているのですが。
なんだか人って愛らしいというか、不思議な面白い生き物だなと思われることがありました。
何が不思議か、って。。。うまく説明できるかな。わけわかんないかもしれませんが。
私はただウォーキングとかお散歩を、楽しんでいるので、それでいいと思うのですが。
神に頼らずウォーキングしませう、というキャッチフレーズのお誘いがあったのです。で、お誘いは嬉しかったのですが、何故、神に頼らず、というフレーズが出てきたのだろう、という不可思議にひっかかって、立ち止まってしまいました。
私は神に頼ることとウォーキングとを結びつけて考えていなかったので、およっと思ったんです。
神頼みは神頼み、ウォーキングはウォーキング、と思っていたのです。で、神頼みってちょっとだらしないじゃないかとか他力本願じゃないかとか汚らわしく感じられる向きもあるかと思われます。それはそれでけっこうなのですが。
私ウォーキングのついでにお参りしちゃったりすることもありました。それはそれで自由だと思うし。
で、神に頼ってウォーキングしたっていいじゃないですか、という気がしたので、 なんだかそのお誘いに乗っていけなかった。風邪だったせいもありますが。ちょっと残念ですが、なんだかそういう励ましがまだシンドイので、当分1人か家族と 歩くのが楽な気がしました。
で、私自身、神も仏もあるもんかい、神様って酷いわ、とか、今までに、散散神仏に悪態をついた覚えもあるんですが、なんだか変ですよね、空中に向かって怒っている。そんなら自分で頑張ればええもんを、やっぱりいざとなると1人じゃ心細いもんで、神様助けてぇ、私のそばにいてよぉ、とかってばたばたしたりして、随分とお見苦しい点の多々ございます、自分勝手な信徒ですから、きっと神さんも、ふんっ、なにさ、ぽよよんなんて、そんなやつ、わしゃ知らんわ、と眉間に皺を寄せておられるかも知れませんし、ぽよよんがあまり栄えないのも無理は無いと思われるのですが、それにしても(ま、私は、マイゴッドがただ静に私を責めずに黙ってそばにいてくれると信じられただけで安らいでいるおめでたいやつです)。
ほかの人もやっぱり何だか内心色々と大変なので、それで、突如として、神を頼らずウォーキング、などというキャッチフレーズが出てきたのかな、と。いや、きっと私みたいな呆けを救おうとしてくださったに違いない。
で、神を深く信仰している人たちが、戦争だテロだと騒いでいるわけですから、神なんか信じたってろくなこたあねえ、と思われる向きがあるのも当然という気もするのですが、しかし、やっぱり人間って。
宗教的な儀式をしたりするのはやっぱり人間だけですよね。そこにうさんくささとか人間臭さとかいやらしさとかが渦巻いているように思われるのですけれど。
宗教が人間を堕落させるのか、人間だから宗教を求めずにいられないのか。宗教を 否定したりするところにもまた人間臭さがありますね。
それにしてもイラクを攻撃する大義名分ってあるのかな。独裁政権だから?気に食わないから?自由を守るためには人殺しも止むを得ない?アメリカが大量破壊兵器を持っているのは構わなくて、イラクが大量破壊兵器を持つ自由はないのかな。勝てば官軍っていうことかな。
まあ正直なところは、イラクのフセイン大統領の人柄よりはブッシュさんのほうが 今の私には親近感は抱けるような体制に置かれているのだけれども。イラクの大統領の人柄はあまり素直に伝わってこないですものね。でもイラクの人たちだって 同じ人間だと思うんだけど、戦前の日本みたいに、やっぱりアメリカに対抗するような体勢になっているということかな。日本のマスコミは、イラクの大統領の 談話とかを、アメリカとかイスラエルとか抜きで取材できたりしているのでしょうか。アメリカさんはイラクをスケープゴートにしようとしているんじゃないのかしら?ブッシュ大統領とフセイン大統領との友好的な会談というのは成立しないのかしら。成立したらブッシュ大統領ってとっても素敵だな。そんなことは有り得ないのかしら。アメリカとイラクが万が一仲良くしたら、イスラエルがご機嫌悪くなったりするのかしら。アメリカとイラクって仲良かった時代もあるんですよね?ほかの国と喧嘩してたときは?なんだかどこでもくっついたり離れたりどたばたしているもんなんですね。しかしイラクがアメリカに面と向かって闘うべ、と言っているわけでもないのに、秘密裏に危険な兵器を作ってアメリカを滅ぼそうと意図しているなんて考えるのは、なんだか私の神頼みよりも余程重い精神病的なものを感じるのですが、失礼でしょうか。めくそがはなくそを笑うようなもの?イラクは、というより、フセイン政権は、正々堂々としたフェアな国ではなくて、秘密裏に他国を 滅ぼそうとしているようなやつではないか、というような考えにとりつかれている ように見えてしまう。それってすごく失礼なきがする。でもブッシュ大統領の方が主張がシンプルでわかりやすいし、こうなった以上こうするしかないみたいな緊張した気持ちはわかるような気がしてしまう。でもイラクの立場に立ってみても、アメリカには大量の兵器があるのがわかっているのに、全面降服というか、親米でないと承知しないみたいな脅しとか、内政干渉みたいな態度は、何だかやっぱり不愉快なのが普通じゃないかなと思う。
それにしても、私暇というわけでもないのに、時事ニュースにもはまっているんだな。やっぱり去年の9月のビルの事件が衝撃的だったからかしら。知らなければ 他所で何が起こっていようと気にしないでいるのに。きっと自分のことを直視するのが耐えられないんですね。だから遠い国のことに想いを馳せたりするわけだ。 誰だって病気になったら優しくされたいと思いますよね。煩わしいことは面倒になるし、元気がないときに人のいうことを素直に聞くのは大変で、面倒は嫌だと 思う。それで時事ニュースの世界に逃げるんですよね。たぶん私は。そういう時なんです。
あぶはちとらず。そうだ。明日は病院だし。明日は都民の日で学校お休みらしいのですが、病院はお休みではないのかな。都立なのに。先生、仕事熱心なあまりに、 火曜日は祭日だと気づかずに子供の診察の日に指定されたのではないかと思ったりするので、朝電話で確かめてから行こう。
それにしても四季の移り変わりのある日本の自然。
母が水引草という野草を好きだと語っていたのを思い出します。バラの花みたいに 華やかな花ではないのです。萩の花ほども華やかではないのです。赤いちょんちょんとした花ですが。それで、名もない路傍のお地蔵さんなどを見るのが好きだと語っていた。
私はけっこう有名人というのは一角の人だろうと思ってますが、でもそんなふうに無名のものをいとおしんだ母に可憐な貴いものを感じます。そして、もしかすると 主人には母に似たところがあるような気がしたりすることがあります。
しかしどうかなあ。イラクにもアメリカにも信心深い人は沢山あるでしょうけど、 大統領っていうのもやっぱり信仰を持っている? 小泉総理も神社を参拝するということは。 やっぱり世の中の怖さから身を守りたいというか。安心したいというか。そういう 時に、もしかしたら、やっぱり自分の命を捨てて守ろうとしてくれた存在というのは、ありがたいと感じないわけにはいかなかったと。アメリカ人だって身を捨てて 人々を守ろうとした消防士さんたちとかにヒーローを感じて頭を垂れるだろうし。
それにしてもどうして日本は大陸に侵攻していったのか。同じアジア人だという 感覚、善意がもしかして大東亜なんとかになったとしたら、やっぱりその前に自分はしがないちっぽけな1日本人に過ぎない、ということをわきまえておくのも、友好の仲にも、必要かな、と思いました。
うるさいな、と思っても、かまってもらえると、憎めなかったりすることもあるけれど、でも、人種的な相違というのは面と向かっていつも違いを見られるけれど、 東アジアの人々とは外見上さほど違わない分気をつけたいですね。でも中国の人が 喧嘩するほど仲がいいという言葉を使っているのは正直に話し合おうということで、いいと思います。 歴史を知って加害者だったことをわきまえて行動するのは相手を理解するのに大切だと思いますが。あたし自身が中国の人を殺したわけでもないのにどうしてこんなに言われなきゃいけないの?みたいなのもありますよね。
そうしてみると、私の生き別れた娘なんかでも、自分のせいじゃないのに何かあるとどうして嫌な目に遭わなくちゃいけないの?みたいな気分になることもあるに違いないと思います。でもあの時私は親だったら子供の奪い合いはしないものだみたいな父親の理屈に負けて親権捨てたんですから、もうどうしようもないですね。 自分が悪かったとも思えないし。
ところで中国の庶民の人はお葬式とかどんな風にするのかしら。北朝鮮ではやっぱり金日成主席とか正日主席とかが信仰の対象みたいな構造なのかしら。イラクでも?庶民はどんな形式でお葬式とか結婚式とかをするのかしら。
アリランってありましたね。どういう意味合いのあるものなのかな。きれいなお祭りなのかな。
青年の独立心のようなものが、もう子供なりに自分の中で美意識ができつつあるのに子ども扱いされるとむっとするように、私の中にも何か未分化の美意識のような ものがあるのかもしれない。で、私は、個人的には気の置けない人と交流したいという希望はあるけれども、あまりエネルギッシュに多くの人と社交していくのは今の私の自然じゃないんだな。
独り言言っているのが気楽な時もありますね。
欝というのはたぶん食欲もなにも無くなるんじゃないかと思うので、自分が眠くても眠っている子供を起こして学校に行くようにしようとするのは、欝とは違うだろうとは思う。
例えば社会に出たばかりの新入社員のような初心とか、赤ん坊が生まれたばかりの 若い母親の初心とか、いかにも初心者の時と言うのはやはりいいですね。
いつまでも初心を忘れずにいたいと思うのに。
でも今晩もまだもっと眠るつもりです。咽喉の痛みは引いたみたい。
それにしても、私の生きがいって何なんだろう。やっぱり子供なのかな。
それともこんなふうにぐじぐじ思い煩うのが生きがいなのかな。
しかし人は何故何かを面白いと感じたりつまらんと思ったりするのだろうか。 ちょっと不思議な気がしました。
だって息子が生まれた時、息子は、ぼよよーん、とした、もにょもにょ動く 物体であって。。。
それが今では、らんま2分の一のアニメを見て、見てみて、これ絶対面白いよ、などと黄色い声で言うのですが、一体何を基準にして面白いとかおかしいとか思うのか、不思議だと思うんです。きっとこういうのが普通だとかまともだとかいう基準が子供の中にできてきているからそれにはずれていたりするとおかしいと感じて笑うんじゃないでしょうか?
しかし何がうちの息子の基準なのか?考えると怖かったりする。
ゆうべは暗い部屋の中で、私の傍らに何も語らないが理解している眼差しの神が 偏在したいた。私に何も求めずにただ傍らにいてくれる。部屋の中一杯にその存在が感じられる。
家族で夕飯などの買い物に出る。
月並みですが、ベルリンマラソンの高橋尚子選手、優勝すごいですね!
以前ビアフラの子供の痩せてお腹がぽっこり出ている写真とかがあって、だから 食べ物を粗末にしたくないなあと思っていたのだけれど、だから、病院とか給食とかで出されたものは、何でも美味しく残さず平らげたし、それが礼儀のような気がしていた。
でも考えてみたら、私が出された食事を残さず平らげたからって、ビアフラの子供や戦災で大変なアフガニスタンの子供たちが助かるというわけでもないのに、私の 中で動く理屈というのもおかしなものだね。
なんだかストーリー性のある夢を見た。すぐ上の兄が夢の中に出て来た。
例えばヴェルレーヌにしても、私はその兄に影響されたのだった。2人の兄たちは たぶん弟は兄とは違う人間でありたいかのように違う性格だけれども、両方とも 私には影響を与えていたのだし、私にとってとても大事な存在だったし、たぶん 今でもそうなのだ。
2人でもそうなのに、兄弟が8人とか10人とかだったら、そりゃいろいろとあるだろうな。
貧しくても子供は沢山生まれる。貧乏人の子沢山?余分の食料があるから生まれるというわけではないのか。
そういえば、フランスは自分たちの子供が飢えて死んでいくのにマリーアントワネットはパンがないならお菓子を食べればいいのにという感覚だったのでその王妃を 殺しちゃってそれからすさまじくギロチンで血が流れたところなんだな。フランス 映画と言えば、憂愁の秋みたいな背景色のロマンスものとか、それからあのばかげたピンクパンサーみたいな警部のコメディとか? それからママが死んじゃったのに、ママに会いたい、とかいってパパを困らせる 小さな女の子、あの映画もフランス映画だけれども。
あーいらいらする!なにをいつまでもぐじぐじやってるのさ!!とぶちきれるひとが続出しそうな映画だな。
それにしても、夢の中で、兄は、失敗した、と言うのだった。何を?失敗したのだろうか。浮気が奥さんにばれたとか? しかし兄が浮気で奥さんに怒られたという話は今までにただの一度も聞いたことは なかった。なにしろ私の兄たちは、この何十年来、愛妻にぞっこんなのであって、 兄嫁は兄が子供生んでもいいよと言うのは優しさのつもりなんですよねなどと憤っていたけれども、兄たちは、どうなじられても、ただただ兄嫁や子供たちを裏切ることなどできない、私にとっては兄とは今でもそういう存在なのだ。というよりも、兄はロケットが飛んでいるのを見ていれば幸せな人?娘の父親がそんなふうに 表現していた。男っていうのは、B級映画でも、ゴジラがいてロケットが飛んでおればただただ嬉しいものだって。ほんまかいな。それも今は昔の物語かもしれない。
本当に私は自分を粗末にしてきた。でも仕方ないじゃないか。誠意は尽くしたんだからな。誰も私を理解しなくても、私は理解してあげる。ものわかりがよすぎるのも問題かな。わからないほうがいいってことあるかもね。
いざなぎのみことはいざなみのみことがくさっているのをみて百年の恋もさめる。
やっぱり山姥って愛らしいよね。実にチャーミング。でも私も浅はかだからな。 いざなみの髪の毛に蛆虫がたかっていたら、近寄りたくないかもしれないな。 それにしても、マザーテレサは、ハンセン氏病患者の人たちのために尽力して、 随分長生きなさったんだなあ。やっぱり違うなあ。それはやっぱり信仰と情熱なのかなあ。修道女はイエス様のお嫁さんになったの?
拉致された家族の人って羨ましいなとふと思った。あんなふうに全身全霊で総理大臣に訴えることができる。やっぱり私は他人だ。でもとにかく納得がいくようにしなくてはいけないな。希望をポイッ (/・・)/ ⌒わけにはいかないだろう。
納得のいく人生ってどんな人生だろう。これだけ努力した。だからよしとしようって。
そういえば、子供の頃、通っていた小学校の児童と、朝鮮学校という学校の人とが 喧嘩をしたとかしないとかいう話があった。理解できなかった。私の父の尊敬していたご夫婦は、お子さんができなかったが、韓国か朝鮮で身寄りのなくなった少女を引き取って育てていて、その少女が韓国の人と結婚して生まれた女の子が私の クラスメイトだった。元気な少女だったな。
みんないいこだったし、いい人だったような気がする。あのご夫婦が下さった漆器 には、この小箱に2人の夢を、って書いてあった。その小箱にはまだ娘のへその緒が入っているし。そんなものいらないかな。
仏さんていうのも羨ましいな。もう責任もないし。もう苦しむこともない。
私に責任があるの?責任能力が無いって言われたんじゃなかったの?専業主婦なんて責任の重い仕事はもう無理なのよ。どうして私は入院しないのかしら。旦那さん はどうして私にものを頼むのかしら。
でもとにかく私はできる限りのことはした。きっと神様はよくやったってにこにこして迎えてくださると思う。
ヴェルレーヌの詩ってありましたよね。
巷に雨の降る如く わが心にも涙降る
かくも心ににじみいる このかなしみはなにやらん
って。
秋の日のヴィオロンのため息の
っていうのもありましたね。今その詩集を探したんですが、どこにやって しまったのかな。捨ててしまった?まさかあの詩集を? 探している時に限って出てこない、って別に詩集が私に意地悪しているわけじゃない。
私はフランス語の響きってなんだかおセンチなかんじがして 湿ったかんじがして、子供の頃ドイツ語を取ったりしたのですが、じゃあ ドイツ人はウエットじゃないのか?そんなこともないような気がしますね。 激しいですよね、クリームヒルトとか。ニーベルンゲンリートのお話とか。 愛って怖い、そんな気がしますよね。あのお話にしても。
子供の頃の話って、今は大人ってこと?
裏切りも恨みもなきに、わが心かくもかなし
ふうん、そうなの?
うん、そう。
たとえば疲れて帰った時に、おかえり、といってくれるおじいさん。神様になっちゃ駄目だよ。神様に会いたい、そう思ったけど。神様は忙しいから、私のことなんて構っていられないんだ。だってもっと大変な人が沢山神様を必要としているんだものね。そんなことないよ。ぽよよんさん。神様はあなたのこともよく考えてくださっているの。ちがうよ。思い知らせてやろうと思ってらっしゃるのよ。身の程を わきまえろって。そして生きる屍になれっていうの?そんなふうに考えちゃいけないわ。ほっといてよ。
オフィーリアが水に浮きながら歌を歌っていた。その心はどこへ行ったのか。 神様はオフィーリアを憐れまれると信じていたけど。そりゃ神様ならオフィーリアを憐れに思われると思うわ。だって神様は全知全能だけあってわがままなのよ。 それに嫉妬深いから。だからオフィーリアならば文句なしに、よしよし、よくきたよくきたって歓迎するんじゃないかと思う。でも私はオフィーリアじゃないもんね。
何をすねてるの?
その人は私を待っている。畑仕事をしたりしながら。魚をとったり山羊を飼ったり しながら。 山羊かい??アルプスの少女ハイジのアルムおじさんかい??
アルムおじさんってさ、あまり人に感心されない人だったんだよね。 (^-^*)(・・*)(^-^*)(・・*)ウンウン でもね、私がハイジならアルムおじさんもああいうふうになったけど、 私はハイジじゃないもんね。きっとアルムおじさんは、私に、あのね、俺東京 きらい、あんたきらい、って言うんじゃないかな。
あんたが東京で育ったのはあんたの責任じゃない。そのことに傷つく事はないじゃないか。
ふるさとは遠くにありて思うものよしやうらぶれて異土の乞食になるとても帰るところにあるまじやそのこころもて遠きみやこにかえらばや
ぽよよんさん、なにか拘ってるね。拘ったって仕方ないんじゃないの。拘らなくちゃ。私自身のために。拘ってやらなくちゃ自分がかわいそうだと思うの。
そういえば、冷静にならなくちゃと思っているけど、誰がなんと言おうと俺は自分だけでもあいつを倒してやりたいんだ、あいつの存在は許せねえ、と一国の大統領でも感情を露にする。あれも演技?その立場に立つとそうなるしかないというような流れの中で?それは正義感? たとえば銭形警部はルパン3世を地の果てまでも追いかけないわけにはいかないというような?
あのさ、ハイジだって、アルムおじさんのところで暮らす前に、母方の叔母か誰か のところにやられていたよね。山の子ってわけじゃなかったのよ。だから問題は。
一体何?
ああいうふうに、ってどういうふうに?
ほら、アルムおじさん、孫娘だっけ、ハイジを愛するようになってから、偏屈だったのに、つきあっていなかった街の人たちと打ち解けるようになったんじゃないの?
どうして実際接触してもいないうちから相手のことをこうなんじゃないかって 決め付けるの?この間はこういわれたから今度もそういわれるだろうとかって。
ハイジはハイジ。私は私。私がハイジのようでないからいけないってことはない 。私がじゃりんこちえと違うから悪いってわけでもない。
そうだ。言ってやろう。あんなやつ大嫌い。そうでしょ?嫌いでしょ?あんなやつ。
そうよ。きらいきらい。あんな呆け死んだってちっともかなしくなんてならないよーだ。あんなやついなくたって私平気だもん。
あんなやつを好きになったからこんな詩集を大事に取っておいているわけじゃないんだ。忘れてただけだよ。くだらない少女趣味。きっとあの人は私がこの詩集の 作者みたいに死ねばいいと思っていたんだ。金子みすずさんなんて。全然関係ない。
でもいいなあ羨ましいなあと思います。
おかあさまはおとなでおおきいけれど、おかあさまのおこころはちいさい、 だっておかあさまはいいました、ちいさいわたくしでいっぱいだって。 私は子供でちいさいけれど、ちいさいわたくしのこころはおおきい、 だっておおきいおかあさまでまだいっぱいにならないで、いろんなことを おもうから。
おかあさまもおおきくなりたい。
会うは別れのはじめなり。さよならだけが人生さ。
って寝ろ寝ろ。酒も飲んでいないのに、酔っ払いみたいなこといってるんじゃな。寝ててくれた方が助かる。薬は飲んだろ? (^−^*)(・・*)(^−^*)(・・*)ウンウン 飲んだ。
じゃあ寝ろよ。
はあい、おやすみなさい。
なんだろうこの日記は。やっぱり妄想だね。
ああ、思い出した。あの人のホームページの中でのダイアログ。あのひとも自分の中でもがいていたんだな。
あの人もけっこうウエットな人だった。お前は俺に似てるんだ、なんて。え?どこが?こんなふうにしょうもないことぶつぶつ言っているところが、似ていたのかな。
なきべそかいたりしていたんだな、でもおかあさんにはそのなきべそみせないようにしていたんだね。
今朝はパンを食べてしまったので、生活習慣病検診いけなかったの。そりゃそうでしょう。風邪ひいているんだったら風邪薬飲めば?
でもいつかのあのお医者さんおかしいな。ガンだって診断したんなら、どうして 薬はありません、普通に生活していいです、って言ったのかな。ガンだって診断したんなら、いくら初期でも、はやいうちに取ったほうがいいとか言いません? 私は死んだほうがいいということですよ。違う違う。ただ家庭円満にやってくれというだけの話。だって親は無くとも子は育つんだし、私がいる必要なんてないじゃない。奥さんの替わりなんていくらでもあるだろうし。
奥さんはいらないけど、子供はかわいいですよね。お前が好きじゃなかったら、 子供がかわいいわけないだろう、とあの人は言った。じゃあ今はかわいくないと思っているのかな。
疑問に思っているのならば、伝えてみろ。
石の上にも何年だっけ。
眠れ。
そうか。あの人には妹さんがあった。6人兄弟妹?でも妹さんは亡くなったんだ。 先に。それなのに、女は強いなんておっしゃっていたなあ。
不条理とか理不尽とか。そんなものでしょ。うん、そんなもの。こころうらはらとか?
おかあさん、空襲にあっても不幸そうじゃなかったな。おねえさんのだんなさんが 戦争で亡くなっても。残ったのは穴の開いたヘルメットだけでも。おかあさんの旦那さんはおかあさんより先に行かなかったし。だから羨ましいと思うな。もんぺでもきれいだっただろうな。ふんなにさ、自分は戦争を知っていると思って。あはははは、醜女のぶつぶつ。
おじいさんは私が生まれるまで待っていてくれなかった。だから私が生まれようと 死のうとおじいさんにはどうでもよかったんだ。私のおじいさんたちはわたしが生まれたことさえ知らずにいってしまったもの。わたしがどうなろうとしったこっちゃないんだ。しらぬがほとけだ。でもたぶんおじいさんはおとうさんやおじさんのことは待っていたんだな。そして毎日息子になんやかんやいっていたんだな。うんざりされるようなことを。
彼女は男が嫌いだったら子供も持ちたくないのかな。じゃあ頑張って生きても孫の顔は見られないのか。頑張っても仕方ないか。
子供は眠ってしまった。私が薬飲ませるの忘れていても、自分で薬飲まなくちゃって思っている。薬飲んで生きたいわけがあるんだな。学校のお祭りのリハーサルが 楽しかったんだな。お祭りしようと思っているんだな。
夕べの夕飯は、蟹海藻サラダと明洞冷麺。牛薄切り焼き肉とキムチ入り。無花果を食べる。
うーん、やっぱり食べる量過多だろうな。ダイエット中にしては。
ほかの事でもっとストレス発散すると。食べる事以外の趣味でね。寝食を忘れるほど好きなことってある?
TOEICのテストの対策もしたいし。
食欲があるのは健康と考えるかな。
しかし今はどうも痩せにくい時だ。吸収しやすいみたいだし。
生活習慣病検診真面目に受けよう。
今日子供は社会科見学。お弁当持っていくんだ。
うちの息子はバナナが嫌いだ。どうしてかなあ。美味しいのになあ。三日月みたいで、それに、黄色だから、色付けにもいいんだけどな。忙しい人に朝食バナナもいいよって書いてあったけどな。好き嫌いせんと何でも食べた方がいいと思うのだが、嫌いなものを無理に食べさせようとしても余計嫌になるかな。私は今は納豆好きだけど、嫌いな時期があった。その時に特に誰からも健康にいいから食べろ食べろと勧められたことはなかったけれど、また自然に好きになったのだ。無理に勧められなかったから良かったかもしれない。
私のようにいつもビアフラの子供を思って残すのが悪いような気がしてしまうというのも考えすぎかもしれないが、しかしもっとご飯や肉魚だけじゃなくて野菜を食べて欲しいし。
テレビで、桑山氏という精神科医のボランティアの音楽活動の話を見る。生きがいを見出せた人は確かに素敵だな。
ホームページを検索していて、立ち向かう楽観主義という言葉が目にとまった。 悲観的になる必要は無い。まだ生きているんだからいくらでも可能性はある。 と思うのだが。
今晩は早く寝て、そして、検診受けよう。とりあえず。
どんな夢をみるかな。
私も風邪ひいた。風邪薬飲んで眠ろう。検診はまたの機会か。この間風邪薬もらってまだ全部飲んでなかったのだった。パパさんがごほごほいっていたのに私もひいていないはずはなかった。どうも不調なはずだ。咽喉が痛い。
眠りたいのだが、ちょっとした葛藤を抱えていて眠れない。我ながら馬鹿なやつと 思う。子供は元気になったのだからいいじゃないか。
そういう問題じゃないよ。
どうもやっぱり煙草依存症から日記依存症にかわったのだな。そうとしか思えない。
だってさっき風邪薬飲んで眠ろうと書いているのに、それを忘れてまたここにきた。
風邪薬飲まないのか?
だいたい私がこうして生きているということが間違いだ。
考えるのはやめなさい。
飲んで眠ってから明日考えなさい。
夢でも見なさい。
体調が悪いから考えてしまうのではない。それとこれとは別だ。
自分のことなんだから真剣に考えないと。
| 2002年09月25日(水) |
子供退院〜エコグラムの性格診断と生ゴミ処理機 |
公開日記みたいな露出症的なものにはまっていてこんなことを言うのはちゃんちゃらおかしい様な気もするが、人に認められるために頑張るのでは傷つく危険性が高いと思う。 誰が嘲笑しようが誰1人として歯牙にもかけなかろうが、私はやるのだ、という 孤独な試みでありたい。 ただ、自分ひとりのプライベートな日記よりも、人の目を気にする緊張感というのはよくすれば自分を鍛えてくれているのではないだろうか。成長できるのではなかろうか。そうであれかしと思う。 でも、大人ってなんだろう。
そういえば、金木犀が咲いていますね。秋ですね。懐かしい花です。
エコグラムの性格診断というのをしたら、えっと、なんだか、法律家とか警察官とかは無理みたいです。。そりゃ、警察官はいくら逆立ちしても無理ろー、と確かに思います。でも世の中には警察官に向いている人もあることを思うと、やっぱり生来のものってあるのかなー、と思います。で、私は、、、芸術家。。。えーー。。んなことないやろ。夫婦生活とか家庭的には割合点数が高いのだそうです。んじゃ やっぱり専業主婦向きと言えるのかしら?
金木犀もそうですが、萩の花も咲いていますね。萩の月って仙台のお菓子がある。 ネットで知り合ってもう会えなくなってしまった人が、萩の花が好きだとおっしゃっていたことを思い出します。仙台の方の情にほだされた(?)ことがあったのだろうなあ。私が萩の花に出会って見知らぬ萩の月のような女性に想いを致していることなんてあの人は思ってもみないだろうな。
生ゴミの処理についていつも頭に引っかかっていたけれども、生ゴミ処理機に地方自治体等から補助金が出る場合があるという話があった。 どうしてこんなことを検索してみたかというと、生ゴミ処理機を試してみないかと いう話があったからだ。あやしい商売じゃないか?と思うでしょ。主人に相談してみると言うとご主人に相談なさるときっとあやしい商売だろうと言われそうだから どうか奥さんの一存で、というところがいよいよあやしい。そんなふうにこそこそ するより、もし小さな会社でも良い製品だったら、ポリ袋みたくに、東京都推奨の 製品だとかって言ってもらえるように自治体に理解を求められないのだろうか。 東京都の下水道の廃水処理はとてもよくなって、すっかりきれいな水になるのだが、もし生ゴミを燃えるゴミに出した場合、紙くずならばすぐ燃えるが、水分を 含んだ生ゴミを焼くのは負担だろうと思う。それだからこそ、コンポストなどを 自治体は推奨したりするのだろうが、比較的田畑等の余裕のある地域ならばともかく、マンション等の多い都市部では、生ゴミだけためておいてそれを堆肥にすると いったスペースがそもそもない。紙くずだって焚き火ができるような広々した地域ならば焚き火をして芋でも焼くのに使えると思うが、都市部で焚き火をするのはとてもとても怒られそうな気がしてしまう。 うちは貸しアパートだが1階で地面があるので、生ゴミを土の中に埋められないかと考えたが、1回2回ならともかく、埋めた生ゴミが即堆肥になるわけでもないので、猫の額のようなとこにそう何度も生ゴミは埋められないし、結局清掃局の可燃ごみを頼りにしてしまうのだ。しかしながら心配なのは、せっかく肥料にもなりそうな生ゴミであるのに、焼却炉で紙くず等と共にじゅくじゅく水っぽいまま燃やされるのはいかにも勿体無い気がしていた。 そこでもし生ゴミを可燃ごみに出すよりも排水溝で攪拌して下水に流した方が下水道の浄化施設は優秀だからその方が環境にも東京都のゴミ処理問題の経済にも良い ことだというのが正論だとしたら、いくらゴミ処理問題に関してお役人だけにゃあ任せておけねえ、というような気概があったとしても、あたしのようなミーハー主婦のために、お役人にもそりゃいいことだ、推奨してやろうと思わせるような方向で持って行ったほうが、もし良い製品ならば、いいと思うのだが、如何なものか。 私は東京都推奨のポリ袋とか、素直に買っておりますから。
眠りたい。
それにしても痩せられそうな気が全然しない。やる気がないのだろうか。どんどん皮下脂肪が増えそう。山奥の川の渓流のそばの山村かどこかであまり毎日ご飯作ること掃除することに追われずに暮らせるようなことって、ないか、私には。
ご飯用意しなくちゃ。
今日でたぶん子供は退院だ。
しかし鼻炎がひどい。
昨日は早く眠ったが、今朝目が覚めたらすぐには起きられない。とてもしんどい。昨日よく歩いたせいかもしれない。私も年だなあと思う。そういえば、習字の練習しよう。
暑さ寒さも彼岸まで、か。随分涼しくなってきたと思う。今日は半袖を着て出たが。
また久しぶりに精神科の先生に予約を入れてみたが、もう何年も前なので、きっとあの先生はほかにかわられているのではないかと思っていたが、そうではないようだった。人気の先生なのかもしれない。10月後半まで予約一杯なのだそうだ。 あの先生は私に月経前緊張症候群という病名をつけたのだけれど、女性なら誰だってそうだろうと思うが、それが激しいのだそうだ。私って激しい???そんなぁ! 大人しくて穏やかだと思っていたのに。
でも私は無料の成人病検診に申し込みしているのだから、こちらを先にしてみても いいと思う。
朝は腰が重痛くて起きられないかんじだったが、今は別に痛くない。夕べよく眠ったせいだったかもしれない。
とりあえず掃除してから、お習字をしたい。
もっと食べて太らなくちゃという人もあるらしいが、誰もが標準体重にならなくてもいいと思う。
一応来年の7月までに痩せたいと決めたので、とりあえず7月まで努力してみる。
子供は明日退院にしてもらった。お習字も掃除もいいが、眠りたいというのが本音だ。
そうもしてられないか。
入院費払わないといけないし。いくらかかるんだろう?怖いわあっ\(◎o◎)/!
今日はお天気だったので、風を通して掃除したらまあ少しきれいになったんじゃないかな。もうちょっと入院していてくれると助かるんだけど、そういうわけにも いかないか。
| 2002年09月23日(月) |
マッサージ 子供の外泊 |
ゆうべはオクラとやまと芋の引き割り納豆和えだけのはずだったが、その納豆に大根おろしを入れたいと思ったら、あるスーパーが夜10時まで開いていると主人に聞いて大根を買いに行き、そこで閉店時間前に割引になっているカルビやタンなどを見つけて買ってしまった。 沢山買ったね〜、よし、焼き肉食べて風邪治すか、とパパさんは言って、子供は いないが、ホームプレートにクッキングシートを敷いて、2人で焼き肉食べながら ワインを飲んだ。それから納豆でご飯も。やっぱり和牛だね、和牛の味がする、と パパさんは言ったが、私はオージービーフのビフテキ用の2枚で500円も考えたのだが、パパさんが和牛の味がすると言って機嫌よく食べたのだからこれでよかったのだと思うことにする。全部は平らげずに明日の子供の分を残した。
先日子供が入院した日に知らずに遊びに来て見舞ってくれた親戚のおねえさんは 五十肩で右手が上がらなかったので、少しマッサージさせてもらったら、とても 具合がよくなった、商売できるくらい上手だと電話で明るい声を聞かせてくれたので嬉しかった。普段から背伸びしたり柔軟体操をしておくことは大事だと思うが、五十肩になってしまったからには、多少できれば夫婦とかパートナーの人が、力任せでなく、やんわりやんわりと無理の無い程度に腕を上げるヘルプをすれば、毎日少しずつやれば必ず治ると思うのだ。マッサージというのも、テレビを見ながら片手間にできるというものではない。心を澄ませて、相手の辛さに耳を済ませるように注意深くツボを探っていかなければ満足のいくマッサージにはならない。まるでショック療法みたいな豪快な整体よりも、私はやんわりするのが好きだ。マッサージって1時間1万円とかチラシを見かけるが、これで商売したらさぞかし儲かるだろうなどと思ったりすることもあるが、とてもではないが、私にはできないと思う。だってとても神経を使うものなのだ。旦那さん一人で手一杯だ。でももし 私の中に泉があるならば?その泉が親戚のおねえさんに届いたなら嬉しい。出張マッサージだってする。
ところで、ふくよかになる人ってけっこう努力家なんですね。頑張りやさん。それに健気で優しい。謙虚でもある。それなのに、細くてかっこつけのサドおけさみたいな人にまるで怠け者でどうしようもないやつみたいに言われるのは納得がいきません。え?そんなこと言ってないよ、って?自分で落ち込んでいるだけだろ、って?あは、そうだったかしら?? 私子供の頃今よりもたかびーだったかもしれないけど、全然努力家じゃなかった。 したいことしかしてなかった。ラーメン一人で作って兄貴に分けてあげずに自分だけ食べたら、兄貴に、そういうところに優しいかどうか出てしまうんだぞ、とか言われたけど、何よ、妹だからってそんな説教せんと、おいしそ〜、ねえねえ僕にも頂戴よ〜〜〜って言えば、あたしだってそれ程鬼でもないのに、とか思ってましたけど、その頃は、けっこう痩せてスリムでしたもんね私も。旦那のため、子供のため、よのためひとのため、なんていい人になりたくなったりなると、どうもあかんわという気もふっとしました。 必死に頑張りたくないなあ。のんびりとやりたい。別に怠けたいとかずるしたいとかいうわけじゃないのよ。こめかみに青筋たてたくないしねえ。
さて、病院に子供を迎えに行って、今日は外泊、と言っても、自宅だが、子供は やっぱり病院より家がいいと言う。きれいな病院なんだけどなあ。
昨日子供は夕飯の後だったか、テレビカードで見られる病室のテレビでバラエティ番組を見ながら、隣の病室まで響き渡りそうなけたたましい笑い声をたてた。ここは病院なんだから他にも患者さんあるし、静かにしてね、みたいに言っていたのだが、駄目だ、面白すぎる、と言ったきり、息子はかんらからからとお笑い番組を素直に楽しんでしまうのだった。なんだ、明るい子じゃん、とわが子ながら思ったが、ところが、その番組のせいなのかわからないが、ほらみて、と息子のしぼんで いたあそこが元気なのを見せられて、母としてどう反応していいかとまどった。 だいたい私は40過ぎた今でも、どういったメカニズムで男の子は元気になるのか そのへんのデリカシーがよくわかっていないのだ。 看護婦さんが、あら、元気になってきたじゃない、とほっとしたような表情を見せてくださった(息子は看護婦さんには元気になった部分を見せはしなかったが)。そのくらいの声で朝おはようって挨拶できるといいのにね、と私が言ったせいか、帰りがけに、いろいろな挨拶をしこたま言ったが、どうもうちの息子は、ただいまとおかえり、などの呼応がまだちゃんとしてなくて、これって、やっぱり病気の母親と母一人子一人みたいな生活してきたからじゃないかなどと思うが、まあ、二十歳になった頃にはその場にあった挨拶の呼応など、わかっているのではないかと思うのだが、しかしながら、TPOに対応した器用な生き方をいつでもできるかどうかだけで判断されるわけでもないよね。 ところでパパさんは風邪ひきさんだ。日曜日行くって言ったのにって言うだろうな、でも風邪移しても悪いし、とごほごほ言っている。早く見舞いに行ってあげてよ、かわいそうだろ、とパパさんは言うが、くたびれている私は、おかあさんは かわいそうじゃないのね、などと言ってしまう。やっぱり私には愛情がないのかしら。 中秋の名月? ゆうべの月は朧月夜だったが、菜の花畑に春とはちがうか。雲ではっきりしなかったが、確かに満月だったみたいだ。
| 2002年09月21日(土) |
禁煙による過食症のコントロールその2 |
子供が入院している病院に、私も以前入院していたことがあるが、その頃は、 もっと遠回りな大通りの道を通って通っていた。
今朝だったかな、あ、もう昨日の朝ってことになるのかな?住宅地の中の並木道を通るコースを通って近道を見つけた。 けっこう快適なウォーキングコース。最初正門の玄関と違う裏門なので、道に迷ったが、地下1階からいけるのだ。知らなかった。
今日は子供食欲が今ひとつだった。まだ点滴が取れない。
今日のカロリーは、1400キロカロリー程度のつもりだったが、夕飯にパパさんの作った焼豚入りのモヤシラーメン、これじゃちょっとカロリーオーバーかな。 子供の食べ残しのインゲンなんか食べて。
でも以前は、煙草吸いに喫煙室を探す時間が必要だった。これがなくなっただけでも、ほかのことができる余地が増えたと思うが。改善されつつあると考えていいのかな。
それはいいが、やはり睡眠取らないと。今午前1時30分になるところ。おやすみなさい。
7時20分だよ、と言われて目が覚めた。ゴミの始末などをしてから8時半か9時頃子供の病棟へ行った。担任の先生が見えてくださった。
歩いて病院から30分程の金融機関へ行ったらもう残高照会と引き出しだけ。 そうよね。土曜日。よくわかってない。記帳も可能かと思った。
そうだ。旅ではなくて、ダイエットの方にジャンルを移そうかな。今年の7月一日 から禁煙して、もうすぐ3ヶ月たつが、来年の7月まで禁煙をする予定で、それは楽勝と思うが、ダイエットも7月一日までに10キロする。なんだかこれって宗教にはまった時のおかしさと似てない??でも一応志を立ててしまったので、とりあえず来年の7月までは努力する。ウォーキングも1時間するとけっこう汗ばむわ。 それに私って子供の頃から、厚ぼったいカバンで重い荷物持って学校に通っちゃうようなところがあって、だからっていくらもその中の本読むわけでもないのに。 どこまでもダサいおばさんじゃないこと? 私が高校生の頃のヤンキー(?)なかんじの学生(生徒か??)の姿を思い出すと、おそらくカバンは薄くて軽いのがかっこよかったのかもしれない。でも私は それを自分がしたいという望みは持たなかった。 私は何を望んでいるのだろう。
気管支喘息で息子が入院。1週間前後の予定。朝7時の朝食と夕方6時の食事に付いてやること。
徒歩何分かかるか、ウォーキングになると思う。
ここのところ私もあえぎがちだったので、建て直しにとても助かる。なんと言っても、子供に栄養のバランスの取れた食事が規則的に出るし。
生活習慣病のHPを閲覧したり。
来年の7月1日までに、私自身は10キロ健康的に減量したいし、子供ももう少し引き締まって欲しいと思う。
今は少し体重が重い。毎日10キログラム抱えているのは難儀だ。
1日1400キロカロリーにすること。
食べたものを記録する事。
3食きちんと食べる事。30回以上噛んで食べる事。30分以上かけてゆっくり食べる事。夜9時以降は食べない事。
自分の腹をゴミ箱にしないこと。無意識に、勿体無いからと残り物を食べたりしないこと。
あまり必要以上に買わないこと。
今朝眠かったー。ですが、旦那さんが起こしてくれて、7時に病院に着いて、徒歩 20分かからないな、子供の豪華な朝食を食べさせてきました。朝からほうれん草のおひたしが食べさせられるなんて感激だわ!
往復40分のウォーキング、×2で、80分のウォーキングだわ。
今日から私もダイエット食だったりして。節度のある食事量ですわ。バランスも考えて。本気でダイエットしないと、即糖尿病へ一直線って気がする。ほんましんどいもの。でも煙草やめて息切れは緩和されてきたんじゃないかな。
昨日は38度5分くらい熱があったらしい。しかし出された朝食はほぼ全部平らげて『ドラえもん』の本を読んでいる。
お隣のベッドの男の子は2つくらい年下、ぴっかぴかの1年生、だが、うちに帰りたいとゆうべ泣いて、その子のおかあさんも涙ぐんでいたそうだ。私より可憐なおかあさんという気がする。そういえば、私も以前息子が入院した時は、うちの息子も帰りがけに泣いたし、私もなんだかけっこうわけわかんない泣きべそをかいて フィリピンからお嫁にきた若いおかあさんに励まして頂いたんだった。
うちの息子は今度あそこの病院に行ってみたい、などと言っていたその病院なので、ゆうべはパパさんに、バイバイ、とクールだったようだ。
昨日のスケジュール表に書き込んだ自分の書き込みを読み返してみると、かなり 落ち込んでいて、不調だったんだなと思う。 今日は風邪や頭痛の薬ももらってきた。なかなかてきぱきと仕事できないが、主人が不調に対応してくれていると思うので、気が楽だ。もしそんなことじゃ困ると責められても、からだがだるくて対応しきれない。抗欝剤って効果あるだろうか、運動も楽しんで心身ともに少しでも健康でありたい。 赤十字で献血したら2回も3回も成分献血依頼のメールがくる。血が濃いから献血した方がいいと言われたが、くれくれと催促されるとちょっと気後れしたりしていた。
日朝関係の国交が開かれたことは私はいいことだと思う。主人はやはり拉致されて 既に亡くなってしまったらしい被害者の家族は納得できないよねと憤っていて、その通りだと思うが、北朝鮮を敵対して追い詰めるよりも太陽政策のほうが妥当だと思う。お互いに必要以上に相手に怯えるような状況は不幸だ。それにしても13歳で拉致されてなんて、なんだかなあなんでそうなるかなあ、人間って、私のように精神科に入院した経験があるものでなくても、けっこう小心でばかげた事を考えるものなんだなと思う。小説の世界だけの話じゃなかったのか。しかし、北朝鮮の人から見たら、日本人は野蛮なことをした人々に違いない。それをお互いに謝罪の言葉が言えるのは、アジアの文化じゃないかと思う。
テレビの英会話の番組で、
You do not have to be so defensive.そんなにむきになることないじゃないか。
というフレーズがあった。これは、私自身についても言えるし、どこかの国の 政策についても言えると思う。
私はまたちょっと無防備に傷を逆なでされるようなことがあって、そのきっかけから、主人にまだ両親が健在なことや、家族や友人がなごやかにいて好調そうに見えて、いくら表面上優しくても、結局はみんないざとなったら主人の味方で、私の味方なんて一人もいない、みたいな気分になって、ちょっとdefensiveになっていたと思う。
ゆうべはいつも主人が飲んでいる酒をストレートで3杯くらい一気飲みして酔っ払った。最初は泣いていたが、そのうち酔いが気持ちよくなって饒舌になり、それから、寝床に横になってもぐるぐると天井がまわった。 小学校1年生か2年生の頃に40度の熱で入院した時も、そんなふうに天井がぐるぐると回ったことを思い出した。 それから、離婚する頃、今は亡き実家の父とスナックに飲みに行って酔っ払ったこと、それから、 パート先の上司が海外に転勤するときの送別会とか、あの時もゆうべみたいに 完全に酔っ払って、だってけっこう濃い水割り沢山飲んで、アンダルシアから来日したスペイン人さんたちと歌って踊って、今日人類が始めてー木星に着いたよ、ピテカントロプスになる日もちかづいたんだよ、とか歌って、タクシーおりてから、スーツのまま土の上で横になって眠ってしまった。目が覚めたら家の中で、いつも間にか蒲団の中で眠っていた。馬鹿やろう、ただの酔っ払いじゃねえか、と主人が言った。 で、ゆうべもやはりちょっと飲み過ぎて(でもものすごく久しぶりだ)、ふらふらとなって焦点があわなくなって、寝床で、トイレに行こうと、吐き気を覚える余裕もなく吐いた。主人に、大丈夫?風呂場で洗ってと言われて風呂場にいるうちに、 蒲団や枕などの汚れを洗ってくれていた。またありがとうとも言わずに眠った。 ガーシュイン大好きな人との破局(??)でもそんなに大酒は飲んだりはしていなかったので、今回の一気飲みはとても精神的にブレイクして助かった。 それにしてもどこまでも駄目母だ。おかあさん、まるでフラレタみたいに泣いて 悲しんでいたんだよ、などと息子がパパさんに言っていた。パパさんは、おかあちゃんも今日みたいにおとうちゃんと明るく酒飲めばいいんだよ、などと笑っていた。
断崖
子どもが久しぶりにキーボードでトルコ行進曲などをやっている。私は久しぶりに ベートーベンのソナタの第2楽章をリクエストして、いい曲だなあと思う。ピアノ を家に置けたらいいなあと思うけど、置いてそんなに練習できるかどうかもわからない。タッチの重いピアノを練習できたら、元気になると思うんだけど。桐の箪笥を捨てて、電子ピアノを置くか。 きっと児童館とかにオルガンとかってある。そこに楽譜だけ持って、練習させてくれないかって頼むわけにはいかないだろうな。子どもの遊び場だものな。
昨日も一昨日もよく眠った。
子どもは、透明人間がご飯を食べさせてくれる夢を見たと言っていた。それから 透明人間が背中に乗せてくれて、空を飛んで、家の最寄の駅まで送ってくれたのだそうだ。目が覚めて、ああ夢かと思ったら、まだ寝床で透明人間も寝ていたのだそうだ。怖い透明人間ではないみたいだ。
敬老の日に葡萄を送ったら、祖母を介護している叔母が遊びにおいでと言ってくれたけど、気力が出ないので、失礼する。どうせ行っても、旦那さんは優しいというしかないし。
我が家が一番。ここでいつまでも幸せに暮らしましたとさ。とは信じられないですけどね(^^;
そういえば、昨日学校の親睦会も行けなかった。お子さんだけでもって言って下さって、子供は途中から行かせた。
アメリカは引けないのか?イラクに軍備をポイッ (/・・)/ ⌒ことを要求するなら まず自分が軍備をポイッ (/・・)/ ⌒したらすごいけどな。
欠食児童が約1名。どうして毎日食べさせなくちゃいけないのかな。断食している 人だってあるのに。痩せているわけでもないのに。
クリニックで薬を買うべき?人生は一度きり。諦めずに何を望む?
穏やかな川の流れ。
美しい地球。
もうみんなおわったことなのに、わたしはなにをしているのかな。
おかあさんもおばあちゃんもそうだったのかな。
わたしがほしいな。
| 2002年09月13日(金) |
不調でごめんなさいって |
不調の時、ごめんなさい、とイチローは謝るのか。日本人ていうことかな。十分 働いたんだから謝る事ない。いつもいつもずうっと好調なんて神業だし、変わるのが普通だ。でも、思っちゃうことあるな、不調だと、済まないな、って。応援してくれる人に対する気持ち。不調を口惜しいのではなく申し訳ないと思うのは、やっぱり疲れたのだろう。
| 2002年09月12日(木) |
セカンドチャンスの再放送〜たまちゃん横浜へ |
今日はぼおっと過ごして、それから、夕方久しぶりにチャットしました。 そういえば、ゆうべも久しぶりにチャットしたんだわ。たまちゃんの姿の写真を見せてもらえました。
今日、午前中は、TBSテレビでやっていた、『セカンド・チャンス』だったっけな、田中美佐子さんと赤尾英和(?)さん主演の連続ドラマの再放送を見て、途中で何度かぐっときて泣けました。どこで泣いたんだったかな。 田中美佐子さん演じる未亡人春子さんには息子が3人、赤尾英和さん演じる バツ1父さんの娘が転校したてに惚れた男っぽい息子と、その娘に良かれと 思っていろいろ尽くしてもケンモホロロにあしらわれてしまう女の子みたいな 顔をした次男坊。顔立ちが美形の金持ちの坊ちゃん顔なために、その女の子にものすごい思い込みと偏見で決め付けられて傷つく。本当は彼女と同様大変な暮らしなのに。その落胆している弟に兄貴が言ってやった言葉がよかったんだよなー。赤尾バツ1父さんの娘は苦労してしっかりものでなにもかもわかったようなちょっと意固地な娘にならざるを得ないような不憫なところがあるけれど、 まあこの父さんと私の前夫とはちがうけれども、なんとなくドラマの中の娘の父親に対する情愛の形が、ひょっとしたら生き別れた私の娘にも共通した性質をもって いるような気がした。つまり、幼くしてかなり世の中を知ってしまったような ところがあっても、気がついていないところがある。それに気がつかせてあげたい、と抱いていた私の気持ちを、もう少し明確に感じさせてくれるようなドラマだった。でも私の娘にも、彼女のシナリオと流れの中で、きっと思いがけない幸せに気がつくようなこともあるんじゃないかと私は楽観している。
しかし、どうかイラクを攻撃しないで欲しい。テロも戦争もいやだ。アメリカは傷ついているだろう。憤懣やるかたないだろう。しかしながら、イラクが従順じゃないからというだけで、イラクがアメリカを武力攻撃したわけでもないのに、 アメリカがイラクにその矛先を向けて武力攻撃を行使したならば、反米感情があるからというだけで武力攻撃を行使したとしたならば、アメリカは国際社会の中で 大義名分をどう持てるというのだろう?イラクがあの世界貿易センターを攻撃した というわけではないと思う。アメリカに好意を抱けないものの存在を許せないとしたら、単なるガキ大将になってしまう。相手が自分を嫌っているのは楽しい気持ちにはなれないが、しかし、人は全ての人に好かれる必要は無い。全ての人に好かれるのはどんな英雄にも不可能だ。自分を嫌っている人の存在を容認したほうがいいのではないか。自分を憎むもののために祈れとイエスキリストは語っているではないか。
今日はプールの授業参観お天気で良かったです。
朝方旦那さんと喧嘩(?)して、やっぱりうちの夫婦は合わないんだ、相性が悪いんだ、今日こそは、離婚届をもらってこよう、と思ったのですが、だって、今日授業参観だと言ったらもっと早く言ってよ、行かないよ、と言うんですもん、このやろう、 けさはあれがきてお腹は痛いし、折角旦那さんの休日に授業参観なのにぃ、と思ったけれども、私も子供の泳ぎを見たいみたいと思っていたので、まさか今日生理が くるとも思わなかったので、私が参観するつもりだったんです、この人はいつも 私が苦しんでいる時におかあちゃんがこうこうしなかったのが悪いんだろ、としらっとした顔してしきりやがって、人をいいように使いやがって。。。もう今日こそは離婚して一人で生きていくほかはない、 と怒り心頭に達して眠ったけれども、 かわいそうに、あの気のいい息子は、こんな心貧しい家庭に生まれてきてしまって、なんて不憫な子だろう、こんなおやじでもあの子にはいいおやじなのだ、と思って、しばらく眠って目が覚めたら、プール2時間のうち1時間は終わっていたけれども、お腹痛くてもやっぱり見たいと思って行きました。 すると、学校の中で迷って屋上のプールの斜め上の金網の向こうに出てしまって、 まるで私が檻の中の熊みたいに、んがぁ!と金網越しに子どもの姿を探すが、 どの子がうちの子かわからない。また元の廊下に戻ってみると、参観していたお母さんの一人が、こっちよこっちよ!と教えにきて下さった、あら、やっぱり東京だって全然冷たいところなんかじゃないじゃないのねえ?と内心思いながら、よたよたとその奥さんにくっついていきました。その奥様は私に負けないくらい体格のしっかりした方ですが、いつだったかなー、ママさんバレーボールの時に私の目にとっても輝いてみえた奥様です。セッターじゃなかったかな?もう一人そのバレーの時にお顔を存じ上げるようになって何とお名前まで知ってしまったスリムで美人の奥様があって、その方が、よしよし、よかったよかった、という表情を送ってくださいました。 そこでめでたく子どもたちが泳いでいるプールの場所に着いて、他の保護者のひとたちのところへいって、それからプールサイドからうちの子どもを捜すが、みんなどの子も同じように見えてしまって、うちの子ってぜんぜん目立たない。 どこかなどこかな、と思って探しているうちに、行かないよ、と言って家で寝ていたお父さんがやってきた。そしたら、途端に偶然子どもの姿が見えて、何とか参観できました。 なんとなくかっこ悪いけれど、一応クロールの息継ぎはしていて、一応泳げるみたいです。どうもありがとうございます、でした。
あ、そうだ。今日は世界貿易センターがテロにあった日ですね。大変でしたよね。 これからも大変だと思いますが、どうかどうか傷が癒えますように。
あ、白血病克服して仕事復帰された、えっと女優さん?モデルさん?あるんですね。よかったですねー!!
旦那さんが家を買いたいという気になることはないのかな。仕事は不調というわけではないのに。
ウォーキングを続けてみよう。
こんなおやじでも、って随分失礼な言い方ですよね。こんなにしてやってるのに、 おかあちゃんはわかってない、こんなははでもははははは、ってところなのに、 ってところかな。
| 2002年09月10日(火) |
アダルト・チルドレン〜自信はないけど、生きていく(西山明著) |
午前3時過ぎなんですが、目が覚めちゃった。もう少し眠った方がいいと思うけど。
朝方また眠ってから7じ過ぎに起きて朝ごはん用意したが、今朝トイレでぼおっとしていたら、なんと子供が私がトイレから出るのを待っていて登校時刻を過ぎていた。
今日は不燃ごみだわ。眠いです。
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洗濯機がピッピと鳴った。カーテンが揺れているけれど、もう少しカラッとした 天気だといいなと思う。でも湿度は高くもなく低くもなく60パーセントって 程よい具合だ。
さて、今日は、昨日図書館で借りてきたアダルトチルドレンに関する本、2冊読んで。
ちょっとこのところ私にしては頑張りすぎかしら、などと思うこともある。相変わらず体内時計が不規則で、心配事で夜中に目が覚めたりするわけだから、好調とは 言えないが、しかし食欲もなにも旺盛で旦那さんと仲良くしている、これは不調とは思えない。それになにしろ私、あまり泣かなくなった。子供は昨日財布なくした 上に歩いて帰ってきても家の鍵閉まっていて泣いていたが。私も小学生の頃は鍵閉まっていて泣いたことあった。親子だな。でもウォーキングの効果はあると思う。もっと体動かさなくちゃね。家事でもいいけど。あ、そうだ。お習字の練習だ。
コンサートも行きたいな〜。
さて、アダルトチルドレンという用語はどうも1980年代からのことで、これは ひょっとして私の世代に関係あったりするかも知れないと思って、どんなものかと 借りてきました。西山明さんて東京都出身なんですね。うーん、読んでいて、私もそうみたいというところもあるし、そうじゃないなというところもあるし、大人に なりきれない大人?ピーターパン症候群?大人になんてならずに済むならそれにこしたことはないと思うけど、大人だってみんな子どもなんだもの。いやおうなく 私がボランティア精神で大人にされちゃうしかないみたいなのね。そんなのあり?って思うわ。子どもも素直にのびのび育って欲しいと思うけれど、自分も素直にのびのびいきたいと願う。人並みに。でも自分はADだと思うことで救われるのかな。 もうけっこう素直にのびのびと生きているのかも。私は私だわ。人は人。でも うちのお父さんもほかのひとも、みんなADのような気もする。
今日は1時間弱昼寝した。まだとてもしんどいのでもっと眠りたいが、洗濯物干してからだ。それからお習字かな。この前練習したのはいつだったかな。なかなか たどり着かない。お習字の練習まで。今日はするぞ。疲れていたらしなくてもいい。ゆっくりでいい。またもう少し眠りたい。
アダルトチルドレンの本の中で、依存症とか中毒とかいう言葉が出てくるが、 何かに依存していない人があるだろうか。誰だって何かに誰かに依存している。 父の酒はかなり嫌な印象もあったので、私は今の旦那さんの酒が穏やかで円満で優しく感じられて仕方がないけれど、アルコール依存症ではある。 私も煙草依存症だったと思うが、なぜ私は煙草をやめたのだろうか。煙草より 旦那さん依存症になったのだろうか。それとも日記依存症になったのだろうか。
きっと夫婦でも、まだそれほどお互いを知ってはいないのかも知れない。
精神科とか神経科のクリニックにもう長い事行かなくなったのは、きっと異質でも 触れ合える理解しあえると希望を持っているからだ。他の人に気持ちを聞いてもらわなくても、本人と直接話し合って自分なりの印象とか感触を確かめればいいのだ。話にならないと絶望しがちだったからこそ、ちょっとした会話の成立でもなんだか安心したりできるのかもしれないと思う。でも、そう思うようになった流れの 中で、人に相談せずに解決できたとも思えないし。それに精神科の病棟ってとても 勉強になるところだったし。
おとうちゃんがもてているのはうちでだけさ、とパパさんが言った時、私はけっこう我が家って捨てたものじゃないんじゃないかとふと思ってしまった。私より会社とのつきあいのほうが長いと思うけど。
北の国から、後編見られなかったわ。残念だなあ。
ところで最近の私の口癖は、うろちょろしないで、と息子に向かって叫ぶ事。
だってアニメなどを見ながらハラハラどきどきして、ただでさえ狭苦しい部屋の中を檻に入った熊みたいに行ったり着たり行ったり着たり落ち着かないったらありゃしない。他所のお子さんはもっと落ち着いて見えるんですけど。気のせいでしょうか?
落ち着きなさい、と怒るんですが、すぐまた椅子から腰が浮く。
| 2002年09月09日(月) |
大田区探訪その2〜多摩川古墳群 |
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昨日日曜日は、子供がお父さんを誘った(ねばった)ので、3人でウォーキングを できました。
先週多摩川まで歩いた時(息子とデート〜9月4日水曜日)、駅2つか3つ分を1時間で歩いたのですが、その間車の排気ガスとビル以外に、それほど気がついたことはなかったので、昨日はお疲れのお父さんにそんな苦労はかけたくない、と思って、そこは電車にしました。降りてから田園調布の住宅地を通って古墳のお山を歩きました。3時間弱かな?ウォーキングしたのは。
子供や私は大通り以外に知らなかったのですが、お父さんは古墳へ行くまで、けっこう抜け道を知っていました。以前この辺を仕事で回っていたらしい。このパパさん私の知らない事を沢山知っているんだ。髭面で天使みたいな顔して眠っているくせに。
あ、こんなことを申しますと、欲求不満かと不憫に思われるかもしれませんが そうではありません。そういうときもありますが、どうも今はそうじゃないみたいですね。ゆうべはポテトサラダを作りました。お父さんはチンじゃおロースーを 作ってくれました。
お孫さん2人を連れて湿地で遊ばせながらビールを飲んでおられた老夫婦からちょこっと離れたベンチに、日傘を差した上品な白髪の老婦人が座っておられました。美しい老婦人でした。でもなんだか寂しげ。きっとデリケートな文学少女奥様じゃないかしら。缶ビールをのんでおられた老夫婦のほうの奥様は髪を赤く染めておられたわりにはそれほど美人というかんじでもないおばあちゃまだったけれど、私はなんだか年取ったらパパさんとこんな夫婦でもいいなと思いました。おそらく昨日はたまたまその白髪の美人老婦人は寂しげに見えただけで、普段はおうちではにぎやかな奥様なのかもしれないですけどね。缶ビールの赤毛のおばあちゃまは普段は寂しいときもよくあるのかもしれないですけどね。。
さて、今日は路面がぬれています。子供は長靴じゃなくて運動靴だけれど、傘を差して登校しました。洗濯物は部屋の中に吊るしています。
昨日は午前中は曇っていたのですが、午後はけっこう快晴で、多摩川から青空の真ん中を通る飛行機雲が伸びていくのを見上げました。
そういえば、先週、池上の本門寺さんに行く途中に、第2京浜の手前に、真宗の お西のお寺さんがあって、そこの掲示板に、みつお、って、けっこう有名な現代詩人ですよね?自筆っぽい詩集を出している、その人の詩が載っていました。
空を見上げてごらん
ゆったり悠遊
雲もゆうゆう
鳥も悠遊
小さな自分がわかるから
というんですね。それからなんだったかな。
自分で自分の始末をつけられないのが人間のかなしさである
というのもありました。人に始末をつけてもらわないといけないんだ。
さて、昨日のウォーキングで訪れた多摩川の古墳群についてですが、多摩川には亀の甲古墳というのをはじめとして、けっこう沢山古墳が残っているんですね。縄文式か弥生式か、縄文土器だったら狩猟ですよね。弥生式は稲作始まってましたか?歴史の勉強自信ないですが。竪穴式住居とか横穴式住居とかありましたね。どうもそこの陳列室にはお米の貯蔵なんかの様子も描かれてましたから、弥生かも。そして、埴輪はにわが沢山埋められているわけですね。殉死するかわりに埴輪とかを一緒にお墓に入れてあげたという。。
ところで、今日は図書館で借りた本を返す期限です。図書館行ってこなくちゃ。 月曜日って開いているかしら?
先日、3冊借りちゃったんですよね。本。一つは、FEAR OF FIFTY by ERICA JONGでしたが、後2冊は。
Autobiograghy of a Face by Lucy Grealy(実川元子訳)
『ぼくは日本兵だった』(J.B.Harris著)
で、ハリスさんというかたは、『百万人の英語』というラジオ番組で、けっこう 顔でしたよね?ラジオ番組なのに、顔というのはなんですが、とにかく、私は このお名前と西洋人らしい顔立ちの紳士を覚えておりましたよ。でも、この方が 太平洋戦争の時に日本兵であったこと、英国人のお父さんと日本人のお母さんの ハーフだったということは知らなかったので、へえええ!と思って借りてみたの です。なかなか面白いです。面白いと申し上げるのは語弊があるかしら。考えさせられる、といいますか。
それから、上記の本、ノンフィクションものでしょうけど、『顔を失くして「私」を見つけた』という本の原題は、Autobiography of a Faceですが、訳本で読みました。子供の時に事故で顔を酷く損傷した女性のお話。
私はほっぺたを猫にひっかかれた程度ですが、けっこう友達できにくく疲れやすくなりましたから、やはり大変なことだと思うんです。顔じゃないよ心だよ、と いう言い方があってそうだと思うのですが、やはり顔で損したり得したりしている んじゃないかと思われるような時もあります。それに、そういったショックとか心理的な傷というのは、気にしないようにしていれば大丈夫、というものでもなくて、まったく予期していない時に何の悪気もない人にぐさっとえぐられるものなんですよね。これは参りますね。でも、自分は自分だものねえ。自分はかわいいから、やっぱり人や自分を粗末にしない選択というのは、どのへんにあるのか、と模索しているのです。
ハリスさんの本で今売れているのは、楽しい英会話という300円くらいの本だけ みたいですが、I was a Soldier of the Emperorという原書を読みたいです。
と思って検索していたら、ハリスさんの原書は見つからなかったのですが、Lucy Grealyさんの原書は見つかったので買ってしまいました。それから1500円以上買うと送料無料なのに、1400円くらいなので、童話のような本も買ってしまった。どんな童話かも知らないで。
それにしても遅いなあ。水泳の日なのに。あ、帰ってきた。
そういえば、『北の国から』みたの、先週だったかいつだったか。今晩やっているのはドキュメンタリーかな? 『北の国から〜2002年の遺言』ってまだ終わってないですよね。廃材の家って本当に廃材で出来ているのかな。だったらすごいと思う。
北海道って家族旅行で一度行っただけですけど、家の形に夢が感じられましたよねえ。
そうだ。娘の修学旅行は北海道って言ってたな。秋か。楽しい旅行になりますように。
私は高校の修学旅行で緊張し過ぎて神経疲れておねしょしちゃったもの。九州だったけど。集団行動は苦手なのです。体育気張ってもずっと最低でしたから。ごめんなさーい。
図書館に本返してきて、また3冊ほど借りてしまいました。げ、4冊だった。 そんなに読書してどうするつもり?えーい、やけくそだい。 何を借りたかといいますと、田辺聖子さんの『なんぎやけれど〜わたしの震災記』 と。それから。 『枕草子』の上巻。春は曙、夏は夜、秋はなんだったっけな、と思って見たら、 秋は夕暮れでしたね。
子供が水泳教室でお財布を落としたらそこに通っているお子さんが拾って届けて 下さったらしい。どうもありがとう!!子供は歩いて家まで帰ってきたのですが。 駅3つ分。2時間かかったかしら。1時間かしら。心配になってもう少しで110番しようかと思っちゃった。お財布が届いたのでスクールからお電話頂いてから しばらく子供の所在がわからなかったのでどうしようかと主人に相談したらスクールまで見に行けというので電車に乗って出かけました。でもその時に鍵を閉めて出たので、スクールで財布を受け取ってからまた電車で帰宅してみると、玄関(というほどのものではないが)のところで息子はうずくまって泣いていた。今はけろっとしているけど。
主人の叔父にあたる人が肺ガンで亡くなったらしい。信楽の狸のような体型の魅力的な人柄だったのに。もっとお話聞きたかったな。残念だな。@@@(彼の甥、つまりうちの主人の名前)は浮気はしないと思うよ、@@@のことはあんたにまかせたからな、と私に言った叔父さん、いいおじさんだった。もっと長生きして欲しかった。主人のおばあちゃんかわいそう。
昨日は5キロメートルを6,7時間かけて歩いたということは、時速1キロ以下 だったんじゃないかと思うのですが、しかし、一応目的地に行けたので、成功だと 思います。
暗くなってもまだ最後の目的地に着いていなかったので、諦めようという言葉が 出たりしたけれど、でもそれだったら、水泳教室を休んだ甲斐がなくなる。水泳の用意を持って、時間になったらそちらへ直行する予定だったのに、土壇場の時間にになってもまだ全体の半分にもなっていなかったので、お休みの電話を入れました。水泳は仕事じゃないけれど、でもお月謝払っているのに勿体無かった。 でも子供が、もし目的地を諦めたらプール休んだ意味がなくなる、と言った言葉 が印象的だったので、ま、いいか、と思ってしまいました。
| 2002年09月07日(土) |
大田区探訪〜馬込図書館〜郷土博物館〜馬込桜並木道〜第二京浜〜本行寺・本門寺 |
今、夜の9時半過ぎです。朝の11時40分に子供とリュックしょって家を出発してから、えんえんと歩く事歩く事。
最後の目的地本門寺に到着したのが夕方6時40分。でも門が開いていたので感激だった。すっかり夜になってから、暗い墓地の中に浮かんでいる五重塔。1608年の塔だけど、リフォームは今年、平成14年にできたんですね。 天辺の方は相輪(そうりん)っていうんですね。
電車やバスでいけばこんなに一日もかからないのに。ウォーキングって時間かかりまふ。まっこと。でも、なんとなく、東海道53次とかわらじ履いて歩いて旅してもけっこう楽しかっただろうなと思いました。あ、そうだ。帰りはバスでかえりまひた。
今朝はこのあたり雨です。ニュースで京都付近では雨乞いしてはるゆうことですので、うちの息子の学校では今日最後の水泳なので、午後の雨は京都の方へとんでけとんでけ〜〜〜〜!親も見学できるのにな。ま、思い通りにはいかないですね。天の神様の言うとおりだ。
『カラーパープル』という映画見たいなと思っています。スピルバーグ監督とウーピーゴールドバーグ主演というのが魅力です。スピルバーグ監督は『E.T.』と『太陽の帝国』いいと思いました。
多摩川にウォーキングした時、ちょっと生活廃水についてもう少し考えたいなと 思いました。多摩川も一時よりはましになったのではとも思うのですが、しかし、 飛び込んで泳いだり水を飲みたくなるような透明さでは勿論ないですよね。鶴見川ほどではないかなあ。
指揮者の小沢征氏さんてやはり人柄が素敵ですね。やはり最後の演奏とか指揮とかの時に、当然かもしれないけれど、人に対する感謝の気持ちのような感動のような ものを涙ながらに表現されるのは、素敵ですね。そういう人の音楽だからきっと 国境を超えて人の心を動かすのだろうな。
『北の国から』って9時からやっているの、見てみたいな。私はこのシリーズそんなに見ていたわけではないんですが。
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息子が、3つのキャラクターを示して、どのキャラが一番好きかと私に聞きました。 一人は、力が強くて、ちょっと頭が悪くて、人に迷惑ばかりかけてしまいがちな 男の子、もう一人は、頭はよくて悪い事もしないけれど、体が弱い男の子、今一人は、いたずらっ子で、人を騙したりする男の子。そういうキャラが漫画に出てくる らしいです。 私は一長一短だけれど真ん中の体の弱い男の子がいいと言ってしまいました。 わかってないということはあるし、いたずらっこもかわいいところあるけど。 ずるい子はいやだし、でもやっぱり、健康であって欲しいし。
今日はごろごろ日です。午後昼寝しました。お腹もすかないし。子供は幼児向けの 番組を見てうほうほ喜んでいます。感受性は乏しくないと思うけど。雨が降ったら お散歩は延期。
晴耕雨読といきますか。ベランダが少しすっきりしたけれど、もっと整理する余地は多々あります。でも、今日はごろごろ日。
同じ一人の人を、日記に書く時、人と話す時、本人と面と向かって話す時、いろいろな呼び名で呼ぶのは、やはりそれによってその時々の雰囲気が決まってくるなあと思う。夫、主人、パパさん、おとうさん、旦那さん、というのが一人の人にも 関わらず、主人と言う時は、なんだろう、何かに対する緊張感があるし、旦那さんという呼称のほうが少しリラックスしているかもしれない。パパさんにはちょっと 甘えているかもだし。
この頃パスタはアラビアータというのが好きです。自分で魚介類とかキノコとか 炒めて市販のソースに加えるかな。あ、ワインが欲しいかも。。
北の国から、見ています。
| 2002年09月05日(木) |
ハングリーな人が欲しくなるのは |
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今日はこのあたり雨は降っていませんが、曇っていて、湿っぽい空気です。 でも、掃除機をかける時は窓を開けてかけたいです。
朝ごはんはお結びと蒲鉾と牛乳飲んで子供登校。餃子の後なのに、今朝は歯磨きしなかったのではないかと心配。
昨日はまた子供の水泳の級が上がったので驚いた。25メートルクロールで泳げる人は我が家では息子だけ。
しかし子供って、子供に限らないだろうけど、努力が認められると、元気で朗らかになる気がする。当たり前かもしれないけれども、イライラしていると、もうちょっとこうしてくれればなということばかり望んだりする、これが、『這えば立て、立てば歩めの親心』というものかしら。
真面目に自己チェックしていると、チェック項目がどんどん増える。掃除機をかけていると、ふき掃除をせずにはいられなくなる。
クーラーせずに掃除をすると汗びっしょり。運動しているじゃありませんか。
昨日の夕方、多摩川の駅で電車の切符を子供と一緒に買おうとしている時、あー 腹減った腹減った、とお仕事が済んでほっとしたげな日焼けしたおじさんたち2,3人の人の一人が、息子の肉付きの良さをご覧になって、うまそうだ、食べたいな、とか食いたいな、とか私におっしゃたような。笑っちゃったんですけど。ま、笑顔の交換というのは偽善的と言われても、私は悪くないんじゃないかと思うんですけど、ちょっとハンニバルレクター博士を思い出したんですが、博士も、あー、腹減った腹減った、とおっしゃって帰宅なさったりすると、ちょっとお茶目かも。しかしちょっと想像できないな。それにしても、おじさんたちは冗談というか、 羨ましいな、という意味で言われたのだろうけど、もしこれが私のようなおばさんじゃなくてもっと知らないおじさんに不信感を抱いている人だったらとんでもないわと表情がもっと強張ったんじゃないかなあと思う。親戚のおねえさんだって親しみの表現で、うちの息子のほっぺた食べてしまいたいくらいだなんていうことも あるけれど。
そうだ。昨日は4キロほどを2時間かけて歩いたようなきがする。5キロあっただろうか。徒歩って時速4キロくらいだったような気がするのだが、2時間かかったのは。子供の足が遅いからですが、それでも、昨日は意欲的に歩いていました。 以前は頭にくるくらいてれてれとしか歩こうとしなかった。一緒に歩こうとしてもつきあってられなくなることがある。はっと気が付くと、私は黙ってとっとと子供より先に歩いていたりする。まるで怒っているかのように、というより怒っているとしか見えなかっただろう。だから子供は首がすくんでしまったのだと思う。体力がないというよりも。。なんだろう?とにかく成長はしている。どんなことになるのだろう。
自分が子供の頃などに子供が気楽だと思ったことはないので、子供っていいなあとかあの人はいいなあとか思うのは間違いだと思う。けれども、何かに押されて羨ましく感じてしまうことはよくあるなあ。
今日はオフ会があったが、子供の保護者会のためにドタキャンしてしまった。 とっても残念だ。
自分の家で作るより、市販のお惣菜を買った方が安いらしい。普段はそれほど食べたくも無いので市販のお惣菜を買って済ませることも少なくない。しかしそれでも家で作ったおかずのほうが美味しいし上質だという。
実は昨日習字の練習したいと書いたが、しなかった。保護者会に出る前の時間に、1時間、しばらく練習する。
さて、あ、そうだ。英語のテストの申し込みをしよう。
今までは郵便局で支払いしていたが、カード決済にした。以前初めてカード決済しようとした時は、いろいろな入力ミスで、何だか何かに失格、みたいな落胆をよく覚えさせられた。ほんのちょっとのことで浮いたり沈んだり。他愛ないものだ。
慣れてくると、どおってことないのに。
やはり人生に誤解やパニックは付き物かもね。
プーチンみたいな男、という歌の流行に、プーチン大統領は困惑しているというところがちょっといいなと思った。
無事保護者会が終わった。それにしてもうちの息子は忙しい先生を通せんぼしたり するらしい。なにしてるんだか。でも頑張っている、いい顔しているって先生がおっしゃった。 他のお子さんの自由研究は素晴らしくみえるけれど、宿題はとりあえず孫悟空を 見てから。西遊記の孫悟空とは違うのよねー。孫ご飯とかが出てくるアニメね。
そうだ。明朝は粗大ゴミだ。アイロン台が壊れてしまったのだ。粗大ゴミ券を 貼って出さなくちゃ。
うちの息子をプールに誘ってくれた男の子に道で出会ったので、挨拶した。本当は お礼が言いたかったのだけれど、彼は何となく心ここにあらずだったので、ちょっと心配になった。心配することないと思うけど。たぶん。元気なかったんじゃないかしら?そんなことないかしら。。彼も照れ屋のほうだと思うけれど。
それにしても、専業主婦でも忙しいのに、兼業主婦だとどうやって時間をやりくりしているのかしらと思う。独身の人でも一人暮らししたら親の小言からは開放されると思うが、掃除洗濯やご飯もけっこう面倒なんじゃないかなと思う。
今日はごみ捨ての日でもないし、子供を学校にやってのんびりしています。
朝チョコレートパンと牛乳ってどうかなと思うけど、食べないでいくよりは ま、いいか、と。歯磨きさせるのもアトピーの薬飲ませるのも一苦労です。ほっておくと目を覚ますのは12時頃だったでしょう。
お父さんは休日で、まず午前中一杯は白川夜船だと思います。
そうだ。お習字の練習しようかな。掃除機をかけるとしたら苛めみたいだし。
ご自分で活けたお花のお写真をネット上にお出しになっているのを拝見して、違うなー、と思いました。なかなか生け花を生けるという境地には達しませんが。でも ドライフラワーになったお花が備前焼の花瓶にいけてあるし。斑入りの植木も 元気です。
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どうも息子は盆栽のようにきめ細かな手入れと言いますか、躾けを今ひとつされていないけれども、毎日根気よく声をかけていく、知ったり気づいたりしながら成長していけると思う。
主人の故郷から送られてきた無花果の甘煮が甘すぎなくて、美味しい。これは いけると思うが、一晩テーブルの上に出しっぱなしにしておくとカビがくる。 美味しくて無添加ものは早く頂く。
餃子作ることできるかな。
夫が目を覚ましてご飯を食べてから黙って外に出たので、どこへ出かけたのだろうと慄然としたら(蒸発したか、彼女に会いに行ったかと思った)、亀さんの水槽を外の水道で洗っていた。私ってどこまでも頭悪いと思う。
餃子の具だけ練り込んでから、帰宅した息子と子供の社会科地図を携えて、街探検ということで、多摩川までウォーキング(1時間半)した。
餃子を子供やパパさんに包んでもらって焼いて食べたら美味しかった。
今日も青天。
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ママとかパパって私の知っている家庭とは違うって思っていたことがあった。
子供の頃私は親のことをお父さんお母さんと呼んでいた。お父様お母様とは呼んでいなかったし、パパママとも呼べなかった。おとうちゃんおかあちゃんでもなかった。ダディマミィでもなかった。
先日13〜14年ぶりに娘と再会した時に、娘が彼女の父親のことをおとうさんと呼んだので、私も自然に彼女の父親の事を彼女との会話の中でおとうさんと呼べたことに、なんだか内心私はほっとしていたような気もする。一緒に暮らしていた間、私は彼のことをお父さんと呼んだことがなかったような気がするのだ。役職名(?)で呼んでいた。しかし、子供に話す時には、お父さんはねと言っても自然ではないだろうか。おとうさんであることには変わりないわけだ。彼女の父親はお母様のことを私の前でお袋と言っていたが、お母様は彼すなわち息子さんとの会話の時に彼のお父様の事をパパと呼ばれたことがあったので、ああ、この家庭では以前パパママと呼んでいたのねという気がしたことがあった。
先日夫がファンクラブに入っているミュージシャンの女性が、コンサートの別れ際 私の夫の事をお父さんと呼んだのを聞いて、そうか、この人はおとうさんなのね、 と思った。
で、既に私は息子と話す時おとうさんと呼んでいたかもしれないけれど。 なんだか不思議だなあと思うのです。
憎みあったり敵意を抱いたりするのは嫌だ。かなしい。でも時々、はりねずみのような心になることもある。和解氷解を祈る。
子供に読書というと、年相応の本を一人で読むのは難しくて、一人で読めるのは、 幼児向けの童話だ。でも、それでいいと思う。まだ心が幼いのかもしれないけれど。ゆっくり成長すればいい。そうは思うが、とにかくつい声を荒げてしまう。 早く寝られるようにさっさと早く明日の時間割を揃えなさいって。
明日もし子供が下校してから余力があったら、多摩川まで歩こうという話だが、 ちょっと歩くには遠すぎるだろうか。地図で計ったら、歩いていける距離に 思えたのだが、私一人で自転車ならば行ったことがあるけれど。今は自信がない。
でもやってみたいと思う。
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近所のカトリックの日曜学校に出席したいと思いました。10時頃かな、と思いました。でも少し10時を過ぎてしまいました。教会の入り口の戸を少し開けてみると、やはり何か集会の最中でした。でも気後れして入っては行けませんでした。 入り口の外で、賛美歌のような歌がもれてくるのを拝聴しておりました。 ご自由にお取り下さいというパンフレットをいくつか頂いて帰りました。生憎財布は持っていませんでした。今度持っていきます。250円。だって8月号は250円とか書いてありました。でも、それ以前の号だと、ご自由にお取り下さい、とところに置かれていたので、自由に取ってよかったんですよね。でもカトリックの相談でもやっぱり3千円から5千円とか寄付が必要なんですね。弁護士さんでもそうでしょうね。最低でも1回5千円はかかるのですね。そういうものなんですね。独力で自力で働いてそれを払おうとするのは無理でしょうか。例えば夫にお金を借りて、後で返すとか。信用がないでしょうか?
修道院のHPを検索してみました。私が女子修道院に入るのは無理でしょうか。
神様は死んでもいいよとおっしゃっているような気がする。でもどうして私は 死を恐れるのでしょう。
神は私をも愛しているということだ。わたしの喜びや悲しみを共にして下さるのであれば、私の悲しみくらい理解している。そんなことは当然だとおっしゃるのだろうか?
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、か。
それにしても、独身の人は、結婚しないで済むならしない方がいいんじゃないか と思う。人のことはいいか。もしやり直せるならば、一生独身で修道院で過ごしたいと思っただけのこと。ならば、これから考えてもいいのではないかと思ったのだが、今の場所で奉仕活動しなさいってところですね。眠ろう。
いつになったらお迎えがくるのかな。200年とはかからない。
身を捨てて、永遠の命を得る。このかわいいわが身を捨てれば永遠の命が得られる のかな。
死んで花実が咲くものか、だよね。死んでもいいけど、もし明日死ぬとしたら 何をしたいかな。
離婚して一人で生計を立てていきたい。わがまま?無理?やってみなくちゃわからないですよね。夢か。
ところで中国が京都議定書の批准書を提出したんですね。大変だけどいいことですよね。環境がよくなるといいですね。だったらそろそろクーラーを消したら?って まだクーラーつけていたいんですよ〜。
ちょっと今カトリックの信仰のパンフレットを読んでいたのですが、やはりかなり 血生臭いかんじがしました。
だって、拝領唱(ヨハネ6.54)っていうの、
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を持ち、わたしは終わりの日に、その人を復活させる。
でしょ。怖いことおっしゃってますよね。普通の人には言えませんよね、こんなこと。
そうですか、ではでは失礼して、ということで、例えばハンニバルレクターみたくな人が、がぶりって噛み付いて生きているイエスさまのほっぺとかを美味しそうに食べてしまったらどうするんですか。
やっぱりイエスキリストってただの人ではないですよね。愛の人ですね。
私なんて清らかとも思えない男の子に、何の根拠もなく、薄汚ねえな、って言われた事あります。
主人にも、私の血を汚いって言われたことあります。
こういうことはたぶんよくあること、普通のことでしょうね。
私の血が汚いんだったら、パパさんも汚いんだ。
神の様にイエスキリストのように神の子のように全くあれというのだったら、私も、言わなくちゃいけませんね。
私の血を飲む者は、永遠の命を得る、私は最後にその人を蘇らせる。
って?
嫌な感じ。何で生まれてきたんだろう、って思っちゃう。
活かすことってできないの?
あるからとか、余力があるから差し上げるのでは福音の精神ではありません、というケルンのフリングス枢機卿の言葉というのを拝見して、なるほどな、余裕があるから差し上げるのではなくて、余裕がない時こそ人を援助するということに意味が あるんだな、と感心したりする。
しかし眠りたい。
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