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2002年10月31日(木) ADSLの速度よりISDNのほうが速かった

私には北朝鮮に一人も知り合いがないからマスコミを通じてイメージするだけだけど。

どうして日本は北朝鮮には核を捨てろと言って、アメリカには言わないのかな。
弱っている小国だから叩こうとしているんじゃないの?虎の威を借りて。

日本人って北朝鮮よりも誠意を示しているとは思えないな。朝鮮半島や大陸に対して犯した罪悪感をしっかりとわきまえていないのは日本人も同じじゃないか。そりゃ自分が手を血に染めたわけではない世代が多くなっているけれど。それを拉致されたという人を殺したというわけでもないのに謝罪したのは口先だけだなんて相手の胸のうちを開いて見てもいないでどうしていえるのだろうか?自分たちもその程度の意識だから相手もそうだろうと思うんじゃないのかな?だいたい日本国内に失業者やホームレスが沢山いるのに他国の経済支援だなんて見栄っ張りもいいところかもしれないよね。この間、子供を餓死させて自分も衰弱して動けなかった母親が日本にもいたじゃない。それはただ一時のニュースで終わって忘れられていく。自分たちがちゃんと約束を守れているわけでもないのに相手にたいする疑惑ばかり膨らませていく。

誰だってぴりぴりしたような関係じゃなくて、本当に目の前が開けるような交流を
求めているのに。

それにしても、ADSLってISDNよりもどう考えても速度が遅すぎますね。

鬱病のHPでは、半年か1年薬を飲んで休養すれば直るという。私は怠け者なのだろうか。主人は申し訳ないほど精一杯やっている。でも私は夫や子供に何かしてあげたいという気持ちがなかなかわいてこないのだ。私は逃げたいのだ。アンドロメダとか四万十川の渓流とか。ぼおっとして。家事とかには一切金輪際死んでも
心を振らないで誰のことも考えないでただ、川の流れを眺めていたい。コンビに弁当とかを気兼ねなく食べて、お金はみんな自分が稼いだものだと思って、気兼ねせずに使いたい。

アンドロメダに行くんだ。いつか必ずアンドロメダのアルコン星に行って、そこは
私の星なの。アンドロメダ大星雲のうちのひとつくらいきっとある。

私の子供だって私の子供ではない。私の家だって私の家ではない。でもいつか、アンドロメダでは、ターザンみたいな紳士がいて、私はやわかもしれないけど、そこでは漆に触ろうと毒草に触れようと、私の肌はなんでもないし、猿とも恐竜とも
気持ちが通じるの。私は物怖じしたりしないで、姉御みたいで、即断即決で、少しくらいのことではめげたりしないで、顔を煤で真っ黒にしながらでもほがらかに
苦難を苦難とも思わずに進んでいくの。ターザンが不安になるくらいに。

昨日パパさんと買ってきた寝袋で、息子はぐっすり眠ってしまった。これなら明日は早起きかと思ったらまた目を覚ました。

よくなるわけがないとは考えない。悪くは思わない。思い通りになるとも思わない。なるようになるだけのことだ。

譲り合わなければどちらもつまらない思いをするだけ。












2002年10月30日(水)

子供だけ登校させてまた何もしないで眠っていました。
旦那さんがご飯を作ってくれたけど、できればご飯も食べない方が良かったと
思います。おいしいけどね。
私が食べてどうするのと思う。


2002年10月28日(月)

どうもセルシンが精神安定剤とは思えない。5錠くらい飲んでみたが、効かない
効かない、と泣きじゃくると、飲まなくていいから買い物に行こう、と夫が言った
かもしれない。

ゆうべは3人でラーメン屋さんに行った。

ゆうべもよく眠ったが、今日も子供を登校させてから午後まで眠っていた。

先週末は子供の水泳も自分のTOEICの英語のテストにでかけるのもみな忘れていた。

子供の時間割そろえるのと水泳の用意は忘れないのはなせだろうか。

でも実際のところ、もう本当に前に進む力は残っていないのだ。子供を登校させようとすることで精一杯。

いつかトンネルを出られると信じる。

というより、ここは別にトンネルの中ではない。



2002年10月26日(土) 曇っているけれど

精神安定剤って睡眠薬と違うかな。欝だから?疲れているから?
朝晩飲むと朝晩眠ってしまって生活の立て直しにはなりそうもない。
欝でも薬を飲まない方がもっと動けるのではないか?と思ったりもするけれど。
とにかく処方されたのだから次の受信日までは飲んで、これじゃ仕事に
ならないと言おうか。薬を飲まずに治したいと言おうか。
出産の時の苦痛は子供が生まれてくる楽しみがあるから耐えられたかも
知れないけれど、私が欝の苦しみから逃れたいと願うのは無理なのだろうか。
それとも、薬を飲みながら、成長することを望めるのだろうか。
とにかく、飲みながら、努力してみよう。
そして、次の時、できれば、薬はなくして治したいと言おう。でも治るのかな。
私は今元気になるのは無理のような気がしている。楽になりたいと思うより、
苦しみを受け止めた方がいいと思うんだけれど。

喜怒哀楽に影響されることもあるけれども。

喜怒哀楽に関係なく続けていくこと。

仕事を片付けたらどこかへお散歩に出かけよう。

と思うが、なんだか出かけられない。

主婦でこういう人はけっこうあるようだ。

そういえば、蜷川のマクベスの舞台ってすごかった。あれだけ舞台の上を駆け回ったり、大きな声で台詞を言ったりするのは、なんというエネルギーだろう。それを
毎日毎日、一日2回とか3回とか演じるのは、やっぱり元気なのかな。才能があるのかな。生まれつきの才能なのかな。若い頃からこうした活動が続けていければ
いいだろうなあ。

そういえば、着付け教室で出会った銀座のママさんが、大竹しのぶさんってぶりっこみたいに思われたりするけど、あれって天然なのよね、と語っていたのを思い出した。

フローリングでソファとかベッドのある部屋。

やっぱり22歳の時が最高だったかな。何が良かったの?そのあとはよくなかったの?

亡くなった母の弟の奥さんにあたる叔母が電話をくれた。祖母はかなり呆けてきたが、お誕生日会をするという。元気だしなよ、みんなの元気もらいにきなよ、と言う。

やっぱり私は元気がないのかな。どうすると元気が出るのかな。よくわからない。

中学の時、理由はわからないが、私のことを嫌っていそうな女の子があった。理由がわからないのであまり気にしなかったが、なんだか嫌われると元気が出るのだ。
私は一人でも平気、などと思ったりする。

人を敵対すると、その嫌いな相手にエネルギーをあげることになるかもね。

それにしても、セルシンは駄目だ。余計物忘れが酷くなる。月謝1万円も払って
いるのに、すっかり今日が水泳の日だということを忘れていた。私が忘れても子供は覚えていて欲しいな。

どこか遠いところに行きたい。

なんだかまた泣きたくなった。トンネルを抜けることってあるのかな。

でもいい。とにかく禁煙と同じで自分の意志でやめたんだから。前途洋々でしょ。
どこが。

やっぱり眠ろう。一生。体の中一杯に何か毒がつまっているんです。

墓に持っていかなければいけないこともあるんだとか言っていた人があった。
でもその人が墓にまで毒を持っていったとは思えない。日々毒を吐いているんだと思う。
何故私が恨みを抱いたまま生きていかなければいけないのかわからない。








2002年10月25日(金) ことわざ辞典で〜ボランティア活動できるかな

なんとなくやはり元気が出ないので、セルシンを飲むとすぐ眠ってしまう。また洗濯物を溜めてしまった。乾燥機つきの全自動洗濯機と言う手もあるとは思う。でもなぜか私はパパさんの洗濯物の干し方を気に入らなかったりするのだ駄目だなと
思う。もっとぴちっとしわを伸ばして干さないと気持ち悪い。ならば自分でやれっていうのよ。やりまんがな。わかってまんがな。そういえば、神社にお参りでも
行くかな。元気になりますようにって。でも、そんなの諦めたほうがいいような
気もする。元気ないのにがんばって何をしようっていうの。

息子のお友達が遊びに誘ってくれたので、児童館かどこかで遊んでくれると有難いと言ってしまった。お菓子代だけ500円くら渡して、お友達の家の方に遊びに行ってもらうことにした。5時半くらいまで。ごめんなさい。これじゃ地域の子育て
ママさんのサポートなんてできませんねえ。ご恩はいつか。。。

ことわざ辞典というのをぺらぺらとめくってみる。

合縁奇縁。あいえんきえん。男女、友人、夫婦など、人と人とのつきあいがうまくいくのもいかないのも、すべて縁の働きによるということ・合縁機縁、相性機縁ともいう。

ふみゅう、私、この言葉、知らなかったです。人に合縁奇縁、血の分けた親子でも
仲の悪いがあるもの。

雨降って地固まる。困難やもめごとがあったあとで、その試練のお陰で物事がより良い状態になること。

過って改むるに憚ることなかれ。あやまってあらたむるにはばかることなかれ。
過失があったと気づいたなら、はたの思惑などを気にせずに、ただちにあらためなければならないということ。孔子が上にたつ者の心構えをして説いた。

北朝鮮は全体的にそれほど裕福ではないのかもしれないが、キムヘギョンさんのような純真で素直そうな少女をこの乱れていないとも思えない日本に連れてくるのはなんだか心配なきもする。
もみくちゃにされたらかわいそうだと思うんだけど、余計なお世話?けっこうしっかりしているのかもだけど。

それより私自身が元気になることだわ。

脳性麻痺で車椅子で生活している青年とチャットしました。チャットでは普通の人
のようで、まったく障害者だとはわかりません。先日チャットした時には、メルアドを控えるのを忘れていました。今日はまた偶然彼のチャットルームを発見することができて、メルアドを教えてもらったのですが、どうなることか、少し楽しみです。

私のような主婦は、まあ子供がそれなりに育ってくれることを願いながら、自分は
少したそがれ時のように感じているのですが、これは贅沢なことなのでしょうか。

息子はいつまでも子供でいたいようなことを申しておりました。うちは幸せな家庭なのでしょうか?
もしちゃんとせめぎあいの家庭で暮らしていたら、子供は見てろよ、いつか大人に
なったら。。とかいう思いがあるのが当然のような気もするのですが。

貧乏難儀は時の回り。貧乏したり苦労したりするのは時のめぐり合わせであるから悲観することはないということ。

貧乏は達者の元。


2002年10月24日(木) ADSL〜洗脳されているという認識〜独り言

うちのPC,ADSLになったみたいだ。少し軽くなったかな。

拉致被害者の家族の人が帰したくないと思われるのは当然だと思うが、いくらわが子でも、この子は洗脳されているんだ、というような言い方はちょっとと思う。

夫婦のことなどでも、価値観とか環境の違う相手と結婚している場合に、実家の親
や親戚などに心配された場合、自分も腹が立ったり傷ついたりした相手でも、そんな悪い人たちではないと胸が痛み、弁護したくなることがある。そうしたことは、
洗脳されたとかいうようなことではなくて、長年つきあってきた友人などを家族に
悪く思われたりするのは、如何に自分に対する親兄弟の情であっても、とても辛いことだと思う。勿論拉致されたことを認めるわけにはいかないけれども。
いくら若い時に拉致されてカルト教団に入れられたような過程があったとしても、
拉致被害者が北朝鮮人民共和国の人たちの思いというものを自分なりに理解して
きたということは、既に大人として対処してきたのであって、家族の人にも、あまり北朝鮮を敵視しないで暖かい目で見てもらいたいという気持ちは、むこうにもいい人はたくさんあるという被害者の言葉から伺えるのではないかと思う。甘いだろうか?自分の思い入れのある友人などについて人格攻撃をされるのは、自分を責められることよりももっと辛いところがあると思うのだが。
常識的かどうか別として、核施設はあると悪びれずに言うというような対応は、
それほど陰険な人々は想起させない。憎めないところがあると思う。もう用はない、家族で帰れ、と言われた、というのも、乱暴な言い方のようだが、北朝鮮にもきっと年老いた親は尊重して敬えというようなモラルはあるところで外交的な難航や不信感を突きつけられていることに対する落胆の表現であって、非人間的な匂い
ではないような気がする。
今後このようなことはないようにするとキムジョンイル総書記(主席って書いてしまいました、失礼)が公に認めて約束していることを、信用できないと疑い、まるで何カ国もの大国が取り囲むようにして脅しをかけるような状況は、何だか拉致被害者の心を痛めたりしないかと心配になったりする。あ、別に脅しのつもりじゃなくて、お願いですよね。俺たちの言うことを聞かないと殴るぞみたいな態度はお互いに慎めるような関係になれないかなと願う。

しかし私などでも、子供が1,2時間行方不明になってもほかのことが考えられなくなるとういかそれしか頭になくなってしまうので、拉致被害者の家族や応援の人たちが不信感を募らせるのは当然だろうなとは思う。核施設も発電所くらいにしておいてもらいたい。穏やかに過ごしたいな。

それはそれとして、私は人のことより自分の体調と生活だわ。もっと落ち着いて整理して状況に対処していきたいと思う。

久しぶりに以前入院した時のお医者さんの予約が取れたので、少しまた通おうかと
思う。
夕べはセルシンという安定剤を飲んだら夜眠くなって眠ってしまった。以前は月経前緊張症候群という病名だったので、生理前の情緒不安定な時期に頓服的に飲むように言われたけれども、生理前と限らないような気がするので、毎日飲むことになった。
けれども、涙もろくなったり、死にたいという落ち込みはなくなったが、この精神安定剤を飲むと、逆に、これじゃだめだわ、という気持ちが強くなるので、子供や
主人にきついことをばんばん言ってしまって(当たり前のことだという気もするけれど)、なんだかこれも嫌だなあと思う。でも、時間割をそろえることなどの習慣を自分で言われなくてもできるようにするには、やっぱり少し強く言ってやることが必要なんじゃないかと思う。私は世話好きというタイプではないのでこれはあまり気の進む仕事じゃないけれど、やはり私が関知しないというわけにもいかない。

それでも1年生の頃に比べれば、靴だって左右間違えることもほとんどなくなって
きたし、成長していくと思うのだけれど。

お洒落でしゃきっとしているお子さんを見るとついいいなと思ってしまう。うちの
子にはうちの子の輝きがあるんだわ。

ところで、最近のうちの息子のお気に入りのテレビ番組は、天才@@教授の生活
だったかな??歌舞伎役者系出身の、あれはなんという役者さんだったか、それからその教授の妻役は、松原千恵子さん。末っ子の娘役は、ちゅらさんのヒロイン役の人。うちの息子はきゃっきゃと面白がって見ていた。

マクベスだけにバンクォーの亡霊が見えてしまう、あのバンクォー役の役者さん、何という人だったか、迫力ありました。あ、蜷川のマクベスの舞台についてです。
昨日渋谷で見たんですけど。音楽がすごく迫力ありました。悲劇的な不幸を予感させる重厚な音響。

マクベス夫人も平気でいようとしても罪の意識に苛まれて狂い死にしていく。罪は
殺されたものの不幸だけでなく、気にしていないつもりの罪を犯してしまったもの自身を苦しめ陥れるのに、その苦しみはどこまでも孤独なものにならざるを得ない。例え共犯者でも互いを暖めあうことができずに滅ぼされていくものなんだな。
身の程知らずの権力欲って気の毒なものだなあ。


2002年10月23日(水) 数年ぶりの精神科受診と蜷川幸雄のマクベス

昨日は友達とお芝居を見に行きました。罪の意識に苛まれていくマクベスとマクベス夫人。岸田今日子さんのマクベス夫人の不気味な凄みよりも、大竹しのぶさんは
かなり可憐さの際立ってしまうマクベス夫人だというかんじがしましたが。

あら、10000票越えた。嬉しいわ。

舞台装置が面白いですね。舞台演出というのでしょうか。赤と黒の色彩が毒々しい
雰囲気、そして非常に内心の不安や恐怖を想起させる色彩ですね。穏やかな心象風景ではないという。


2002年10月22日(火)

いろいろなところがあるよ、でも羨ましいとは思わないんだ、とパパさんは言いました。ぼおっと結婚してしまった割には、けっこううちのパパさんの人柄ってなかなかの掘り出し物さ。とっちゃいやよ。

今月は入院費などでピンチだが、何とかもう少し。


2002年10月21日(月) ヴィジョンを持つということ

今日は曇りです。もう2時だ。

出かけてみたら、雨降ってました。不調だけれど、主人に言われた用事。

ADSLの何かがきました。レンタルのモデムかな。私はISDNで十分なんですが。
なんだか画像とか音声とかのサイトで見にくいのがあるらしいです。

今日は私は子供の水泳の用意のことすっかり忘れていましたが、子供は私が
留守の間に家にランドセルを置いて、泳いできたらしい。

子供も私も、私の長兄の家のようにきちんとはしていないけれど、別段引きこもり
というわけでもないみたいだな、などと思う。

物事は常に私が当然こうだろうという理屈のシナリオのようには行かない。

推理小説等の最後を先に読もうと気がはやっているとパパさんは邪道だと言って
いたが、確かに物事は、どうなることか先がわからないからどうなるんだろうどうなるんだろうと読みすすんでいくのが楽しみということだよね。先が見えたような
気がして憂鬱になるよりも、実現するとはとても思えない夢の実現を信じたい。

何を信じたいんだ?




2002年10月20日(日) 中国のエルトンジョンって?

今日も一日眠っていました。

パパさんがシーザーサラダを作ってくれました。

笑点やちびまるこちゃんやさざえさんを見て、パパさんも息子もけらけら笑っていました。
私も別に苦虫かみつぶしていなくてもいいのにね。もともとこういうの好きだったのに。

パパさんのお気に入りのキロロの中国公演を見ています。上海かな。


2002年10月19日(土) わーい!来週は友達とお芝居を見に行くのだ

昨日も神経科のクリニックに行こうか行こうか命の電話にしようかという不調だったが、チャットしているうちに結局行かずに済んでしまった。

やっと図書館に本を返却した。不調のため返すだけでとっとと帰ってきて、
また閲覧するほどの余裕はなかったでふ。

あ、でもウォーキングはしたのだ。


2002年10月17日(木) 想うもの

自由。闊達。真摯。

希望。

ユーモア。

私はどうするのか。どう生きていくのか途方に暮れる。

明るくほがらかにしなやかに。

理想を持ってもギャップに悩むのなら持たないほうがましかな。

逆に、うーんと暗くなってやれ、うーんと陰険になってやれ、と思っても、ほがらかになりたいと思ってなれないなら、そんなに陰険にもなれないね。それでいいんじゃないか。気の毒な人の事を見聞きしてけらけら笑っていたらそれってほがらかと言える?笑顔に救われた事があるからって、いつもわけもなく笑顔でいなくてもいいじゃないか。

欝でも何かする力がまだ残っているならば、ガーデニングにでも凝れないかなと思う。
いつだったか買って、まだそのままになっているハーブの種の育て方を読んでみると、10月はまだ辛うじて撒きどきのうちだ。駄目元で気軽に試してみたら?

でも本当に気が重い。これ以上生きていない方がいい、嫌になる一方だ、という
気持ちと、それでもまだ生きているなら何とかならないかという気持ちと。
後者のほうでいくべきだと思うんだけれども。

だって死ぬ前にはやっぱり身辺整理をしないといやだと思う。やっぱり後の事を心配するんだ。といってまだ身辺整理をする気にもならない。もっと眠りたい。
とりあえず子供が帰ってきたら、図書館に行く。

図書館今日も行けなかったよ。ごめんなさい。返却しないつもりはないんです。
明日は行きます。返却期日遅れていたら具合が悪いのだったらとりあえず図書館に断りの電話くらい入れてみればいくらかでも誠実でいられるだろう。それより
明日はとりあえず考えるより図書館に出かけなさい。買い物なしの散歩でも無意味じゃないよ。あるいは明日こそ食事を抜いて検診を受ける。それもいいね。

娘は彼氏にも会わないようにしてメールも控えて猛勉強中だそうだ。以前は彼女の方からどんなもの食べているのかとか聞いてきたことがあったのに、私がどんなもの食べているのかと心配すると、そんなことでメールしてられるほど暇じゃないねんと言う。
はっはっは、言ってくれるじゃないか、って?素晴らしいじゃん、とうちのパパさんは言うが、やなやつ、と私は思う。私にもあんな身勝手さがあるかと思うとぞっとする。私が彼女の彼氏の母親だったら、あんな娘に息子を翻弄させられとうないわ。












2002年10月15日(火) 24年ぶりの帰国

北朝鮮と国交が回復してよかったと思う。

きっと拉致被害者の人たちは北朝鮮の人たちにも情が移っているだろう。あまり北朝鮮をならずもの国家という白い目で見ると、被害者のお子さんも気の毒だ。普通に自由に行ったりきたりできるように段々なっていくといいなと思う。

それにしても映画が好きで韓国の映画監督を拉致したとかいう金正日主席ってやっぱり呆れてしまう。。。やっぱり憤りはちゃんと伝えないといけないな。

ところで、従軍慰安婦として働かされた台湾女性が個人で日本に賠償金を求める訴訟を起こしても日本の裁判所は駄目だって言ったってどういうこと?台湾の政府に働きかけて台湾政府が日本政府に要求してあげないと認められないということかな。
台湾は中国には認められていなかったら、そちらとの交渉が大変で、従軍慰安婦に
ついては手が回らなかったりするかも??

今の日本にも親の借金のためとかのために風俗で働いている女の子とかあるかも
しれないけれど。でもそれは一応自分の自由意志で、、、?????

弱ってくると何が自分の自由意志かわけわかんなくなったりするけれど。私は
投げやり?

今晩のおかずは。

散らし寿司にしようかな。鶏そぼろ散らし、っていう寿司の元が、半額バーゲン
だった。

それにしてももう少し元気になりたい。頭痛がする。明日は検診に行こうかな。
そうだ。図書館に本を返却しなきゃ。







2002年10月14日(月) 体育の日か

この頃毎週見ているテレビ番組は、TBSの世界うるるん滞在記。やらせー、という
感じもするが、見られないほどでもないかなと。出演者はけっこうハードそうだが
いい経験になった的な感じが悪くないと思っている。

土曜は情緒不安定の度合いが強くて、また離婚しようとパパさんに言ったけれども
どうも実現しそうではないです。

今日は多少落ち着きましたが。しかしその時は本当に苦しいのです。もう少ししたら今月はお医者に行くと思いますが、あまり旦那さんをうんざりさせないようにしたいとふと思いました。嫌われるだけならまだいいけど、旦那さんの体を酷使して先にいかれると困ります。それほどでもないかな?

dynamic

static

今日もいいお天気です。だいぶ涼しくなってきましたね。とりあえず風を通す。

子供は水泳へ。

今晩はトマトシチューのようなスープのような、ミネストローネのような。





2002年10月13日(日) 途方

この頃息子はお相撲さんのような雰囲気を醸し出す。

出口はないのかな。

ビーナスフォートに出口はあったけど。

トンネルを抜けると雪国だったのか。

ねえねえ、タイムホールって知ってる?光の速度より速くなると、タイムホールに
行けるんだよ、と息子が言う。

ブラックホールのこと?ドラえもんの話?

うーん、そんなようなものかな、と笑う。

ねえ、どの時代に行きたい?

そうね、ちょっと未来。お前が二十歳くらいになった頃どうしているか。

親子か。どうにかして上手に消えてあげたいけれど。


2002年10月12日(土) 白い足

体重が減ってきた。

やっぱり頑張らない方が痩せる。

眠ると痩せるというのは面白い。

母の白い足を思い出す。私はあの冷たい足に触ってみた記憶がある。すべすべ
していたのは、きれいにしてもらったからなんだろうな。

母のところへ行きたいと思ったが、どこへ行けば会えるのだろう。

新宿からお墓へ行くバスが出ていた。あそこへ行って花をいけるか。行きかた知らないけど、検索すればいけるかも知れない。

もう随分遠くなってしまった。会いたいなあ。

検索してみたら、1人で電車やバスで行けないこともない。火曜日あたり行こうかな。

でもいないんだ。あの荒涼とした墓地畑に母がいるようには思えなかった。

どこへ行ったのだろう。極楽トンボ?

何か食べたい、と子供が言った。




2002年10月11日(金)

空が青いようだ。

そういえば、どうして14日が祭日なのに10日が祭日だと勘違いしたのかわかった。インストールしたスケジュール表の10日が祭日になっていたんだ。

松茸のお土産くらいいいんじゃないかと思いますが。いけないんでしょうかね?
毒入りとも思えません。その300箱を抽選で300名様に差し上げるとかいう
のはだめなんですかねえ。問題の品としてそのまま悪くしてしまったら勿体無い
のではないかと心配になります。

そういう問題じゃない?


2002年10月10日(木) 旅

どうして私が元気になる必要があるのだろう。

もうみんな終わったことだ。

元気にならないといけないから?

どうして元気がなくちゃいけないの?元気が無くてもいいんだって。そういって
下さった方があった。

もう頑張らなくてもいいのよね。いついったってかまわないんだし。どうしていかないの?

やっぱり孫の顔を見たいから?もっとほかに楽しい希望を抱いたらどう?

そういえば、歩いて旅をしたいって子供の頃思ったんだし。これでもいいじゃない?

スーパーマーケットの中だけでも一生分の情報がある。

この食品はどこからやってきたの?って見るだけでも、そこには旅があるね。

自分が食べたいと思うと、自分のために作るんだよ。ラーメンとか。生命力あるね。

80歳の老人の世界という本が病院の売店に売っていた。永井明という50歳くらいの男性が、80歳の老女のハンディを持って街を歩いたり老人ホームなどに潜入したりする話だ。10代の男の子が割合優しかったという。

その本はそれなりに面白かった。でも本当に自分が80,90になって、どう感じるのかはわからない。老人がどう感じるのか、という一般論は言えないと思う。
同じ80歳の老人でも千差万別だと思う。同じ年齢でも老けている人と若々しい
人とあるからいつまでもきれいに若々しくありたいと願うことも時折あるが、なんだかそれもむなしい。

今日は子供の喘息の診察日だった。これを覚えていたのは◎だが。
先回小児科の先生に、10日の午後に来られますか?と聞かれて午後4時と約束したのに、昨日は何だか今日が祭日なので診察の日になったのではないかという考えに囚われた。先回の診察の日が都民の日で子供の学校が祭日だったのでこういう勘違いをするというのは我ながらちょっと怖い呆け方だ。まあ悪質さがないところが
救いと言えば救いだが、今はまだましな段階なのではないだろうか。

今日は診察のあとで支払いしてから薬局窓口で薬を受け取ったのだが、支払いした後薬局の方はすぐにはできないので、売店の方に行っていた。その後行ってみると
皆窓口は閉まってしまいつつある時間帯だったので、気持ちが混乱した。既に支払っていたことは会計には記録されていたので悪い事は何も無かったのだが、支払ったという記憶がないのだ。こういうことって幽霊よりもずっと恐ろしいマリアナ海溝だ。

痴呆症というのは物忘れの酷さとは違う、人格の崩壊を伴うものだとある。

人格の崩壊というのは例えば一体どんな事態が起こった時に特定されるものなのだろうか。

私はどうして精神科にまた自分で行く気になったのだろうか。一つには、偶然子供の入院で、久しぶりに訪れる事ができて、それから徒歩でも遠くないと感じたからだ。

今からどうして治りたいと思うのだろうか。治るとは思えない。でも治りたい。治らなくてはいけないと思う。何を治さなければいけないのだろうか。治してどうでありたいのだろうか。どうでありたいのだろうか。楽になりたい。楽になりたい。楽じゃないの?

子供が酸素吸入が必要なくらい酷い発作だったって知らなかった。父は僕は冷たい
人間なんだと言っていたが、私は別にそうは思わない、気の小さな人だっただけだ。そのように私も冷たい親かもしれないが、別に親でないわけでもない、ただ
気が小さい、器が小さいだけなんだろう。

大丈夫。怖がる事は無いよ。きっと昔からこんなことはよくあることだ。

長生きすればするほど悪化するような気がする。今のうちにいったほうがいいような気がする。でもいけない。

だって死んだら、吹く風を感じることもできないだろう。私は風が吹くのを感じるのが好きだもの。

自分の呆けを自覚して気にするのはたいしたボケじゃない。いつかパパさんが、ああ、おかあちゃんは、これは、呆けるなあ、と呟いた時、私は何を言っているの?
と思っていた。
病気の自覚が出てきたということはまだ希望があるんじゃないの?何の希望?
つまり自分が自分の思うような自分ではなくて、相手から見た自分だということ。

人が私をどう見ようと人の勝手よ、と私は思っている。だって人の心は縛れない
ものね。











2002年10月09日(水)

このところけっこう長く使えていたようなきがするが、またPCが不調になったので
PCも入院しなくちゃいけないみたいだ。

今日は夕飯の買い物をしたので1キロくらいはウォーキングしたんじゃないかと
思う。昼間お風呂にもはいれたし。

でも、材料は買えたんだけど、夕飯作ることは出来ずに眠った。

もう少し元気になりたいな。


2002年10月08日(火) お好み焼き〜柿はやはり秋ですね法隆寺は聖徳太子の発願???キャラミル研究所で性格のタイプが変わった

ゆうべも、パパさんが、足揉んで足揉んで、というので揉んでいましたが、特にそれ以上、あそこまで揉んじゃおう、という遊び心に加速せずに、適当なところで眠くなって私もよく眠りました。

子供の学校はお祭りだそうです。

お好み焼きしようとパパさんとお話しました。

ウォーキングとかぶらぶら歩き、したいんですけどね。そのうち。あ、一昨日は
大井町のヨーカドーまで行ったし。でもこれは電車でです。昨日はどうしたんだっけ?外に出たかな?

そういえば、社会福祉センターでファミリーサポートセンターというのがあって
もう少し元気になったら参加したいと思ったりしているんですが。今が一番かな。

昨日柿食べる?とパパさんに尋ねたら、明日の朝食べるからむいておいて、と言います。じゃあ明日の朝むく、と申しますと、えええぇ?誰がむくの?とパパさんは驚きます。ママが、と私が自分の鼻に人差し指を向けても、パパさんは、ええぇ?
ママが明日の朝起きてむいてくれんの?と言います。毎朝せっせとお母様がお弁当をお作りになるのが当前のご家庭よりも、我が家の方が感動的なところもあるではありませぬか。
勿論今朝は私、自分の言葉通り、パパさんに柿をむいて差し上げたのです。えっへんですわ。つんつん。たかびーなぽよよんでした。これじゃだめ?

そういえば、私の母は、学生結婚した兄がまだ大学院生の頃(兄嫁はお勤めしていた)だったかお勤め始めた頃だったか、息子夫婦に毎日お弁当作ったりしていたんだわ。やっぱり初めての子供って羨ましいな。親が若くて元気な時期が長くて。
私20代の頃親にお弁当作ってもらえなかった。って焼きもち?でも出戻っちゃったなあ。頑張ってたのに、無理があったんだ、って。苦労かけたなあ親に。私は
これからまた自分の子供にあんな苦労かけられるかと思うとぞっとするわ。なにゆうとんねん、あたしがおかあさんに苦労させられてるんやないか、と言われるな。

子供の朝ごはんは、えっと、夕べ炊いたかぼちゃ(南京ともいうらしいですね)と、ウインナーとご飯、だけだったかなー。

さて、どこへお散歩に行こうかな。あ、あそこか。漂泊のおもひやまず、とかって
いう文章ありましたっけ?それからお好み焼きの用意して。うーん、こんなペースだとうちの息子はしっかりと寅さんへの道をまっしぐらのような気がするが。ほかにどうしたらいいか。

ええと、キャラミル研究所というサイトを、いつでしたかこのエンピツのお気に入りの人の日記から見つけて行ってみました。そこで、けっこう2,3回はタイプ2
という診断で、これはゴーイングマイイェイ!というものでした。今回また暇人らしく、これで遊んでみた所、タイプ4というものになりました。このタイプは、
のれんに腕押し、煙のような味わい、というものです。こっちの方が普段の私らしい気もします。ナチュラルにはタイプ4かな、と。タイプ2はオープンでホットで
ロウですが、タイプ4だと、オープンでクールでロウなんですね。このほうが私としては楽だったりします。

人は多分風邪を引いたり疲れたりすると、心をクローズして、社交性もクールにして、他者への関心も低くすると、また回復してきたりしますね。

自分として変えたことは、自分の限界を認めたということですね。無理で危ない事は考えなくなったので、辛くなったらノーと言うようになったということですね。この辺が、13年ぶりに子供と接触してみて、ある変化がでてきたというか、調整されつつあるような気がするんです。

きっと娘も何だか私の様子のほけほけさに心配になって、世の中いろんな人がおんねんでと心配してくれたんだと思うんですよね。例えば食品の偽装があるというのは怪しからぬことですが、だからといってその店に本当にそれだけ買ったのか疑わしい金額の補償を請求するような人もおるんやで、と娘は私のほけほけさを心配してくれていたのですが、しかし、義理や人情もありますが、やはり自然の法則のようなものがあって、それは人の都合とも私の都合とも関わり無く働いているような
法則があることに、安心するような。

あ、そうだ。用事があったの忘れてた。パパさんに文句言われちゃう。おこづかい
請求されてたんだった。

数字のグラフって面白い。目標が高すぎると、いくら努力しても達成感が持てないけれど、目標を低く設定すると、少しやるとやったということが目に見えて嬉しい。子供だましみたいだけれど、今の私には妥当な線かもしれない。ウォーキング
今日は50分。目標を5ぶんの1にしたら、今日一日で全体の5パーセントくらいになったので笑ってしまった。

そういえば北朝鮮と韓国って第2次大戦の後でも朝鮮戦争があったところですよね。ロシアとアメリカで引っ張り合いになったりしたんだ。拉致された家族の人も
大変だったと思いますが、朝鮮半島の人もやっぱり大変だっただろうと思います。

韓国のラジオインターナショナルというHPを聴いていたら、ね、ね、というのは、
はい、とか、ええ、とかいう肯定の言葉で、あにょ、というのが、いいえ、とあるようだ。チェコスロバキアの方では、アノ、というのが、Yes,で、ネ、というと、
Noの意味だったような気がする。













2002年10月07日(月) 紫蘇味の餃子

子供の着る物が小さくなったので、買い物に行った。

夕飯は餃子。豚のひき肉、ニラとキャベツのほかに紫蘇の葉を沢山沢山入れたので
紫蘇の味が強かった。パパさんはゆず味などはそれ程好まないけれど、紫蘇は好きだな。パパさんの故郷からの定番の甘味噌の紫蘇の葉揚げは確かにいける。ニンニクのみじん切りも入れたし。それから片栗粉。塩コショウ。キャベツは茹でてから入れた。ごま油をけっこう入れたが、市販の餃子はラードが沢山入っている場合が多いのだと言う。豚のミンチだからラードも入っているだろうが。餅粉入りの皮で包んでホットプレートで焼き蒸す。パパさんはこの餃子に何となく団欒を感じて皮包みもすすんでしてくれる。酢醤油ラー油。ここにいの一番を入れたかった気もする。この次は海老などにしてみようかと思う。

新米ってやっぱり美味しい。古米は子供の頃からほとんど食べなれていないので、酒を入れてもどうも味気ない味だ。

いつか頑張ってパートとか仕事に出てお金を稼がなくてはという気持ちを捨てたので、とても気持ちが楽だ。

今朝は雨だったので子供は重装備で出かけたが、今は晴天だ。今朝はヨーグルト。

それほどしゃかりきになってやらなければいけないことなんて私にはそれほどないのだと思う。

あ、いけない。今朝子供に薬を飲ませるの忘れた。副鼻腔炎は治ってきたみたいだけれど。まだ薬が残っている。ちょっと具合が良くなるとすぐ忘れてしまう。

今晩は夕べの餃子のミンチの残りを3等分して、片栗粉を塗してハンバーグみたいにして、クッキングシートを敷いたホームプレートで焼く。油が染み出てきて、
油抜きになるみたい。ケチャップソース。茹でカリフラワーにはマヨネーズ。
残りのやまと芋を摩り下ろして昆布だし醤油、カボス、きざみ海苔。このやまと芋は私だけ。子供は納豆ご飯だった。

子供今日も水泳に行く。

あ、そうだ。まだ図書館に返却していない。明日は行かなくちゃ。



2002年10月06日(日) 秘密

子供って秘密が好きなんだなあとパパさんに言うと、だってママだって昔は子供
だったでしょ、と息子は言いました。

おかあさんと交換日記をしようパパに内緒でと言ってキャラクターの絵がついているノートとカラフルなボールペンを買って手紙のようなものを書いてやったら嬉しそうで、早速秘密なんだよ秘密なんだよ、とパパさんににこにこして知らせていました。

内心、げ、やっぱりうちって変な親子かな、こんな性格じゃ息子も私も社内機密とか国家機密とかには携わらせてもらえないだろうし、女の子にも、ママと交換日記ぃ?と引かれてしまうと思いますが、しかしこれは不幸でしょうか?別にいいじゃん、法律に触れることか?人倫に触れることか?とつっぱっております。。
別に二十歳の息子とやっているわけじゃないんだよって。しかしなあ。。。。。。

私の因果が子に報いてしまったら子供がかわいそうだ。私の因果は自業自得でなくちゃいけないと思う。影響はやはり多少は与えざるを得ないのかな。でも踏み越えていく子供の力を信じる。自然と。


2002年10月05日(土) 秋刀魚の塩焼き

ゆうべは秋刀魚を4匹と大根とかぼすを買って、塩焼きにした。私は秋刀魚の心臓が好きだ。

私が入院したいと言うと、パパさんは、入院したい、なんて、どうしたの、疲れちゃったの?と言う。

入院してよくなるならば。

治らないんですか?と父が尋ねた時、無理でしょうねと答えた精神科の先生の言葉を思い出す。しかしよくまああんなに自信たっぷりに断言できたものだ。感心する。ところで何を治さなければいけなかったのだろう?性格が悪かった?でも
娘の父親は性格が良すぎるって言った。パパさんもだ。人が良すぎるんだって。
ということは、人が悪くなれば治ったというわけ?要するに馬鹿は死ななきゃ治らないと言っただけでしょ。死んでも治らないの?つまりどうしたってどうにもならないがどうにかなるとおもうしかないというくらいのことかな。

すぐには治らないと思いますが、と入院したところの先生はパパさんに言ったらしい。退院してからしばらく通ったが、面白くも無いので通院をやめてしまった。
治るという希望が持てないのだ。それはあの最初に診てもらった先生の言葉がひっかかっているから?

傷ついて心を閉ざした人間がちゃんと言われたことを聞えていることを考慮しないで他人のことをよく知りもしないであんなふうに断言する精神科医が存在するのは、感心するというか、笑ってしまう。

アメリカ人ってやっぱり元気だなあと思う。肺ガンになったら煙草会社からお金を取るなんて元気だ。

私は保険会社に月々支払っている保険から入院給付金を請求する手続きをするのも面倒というか疲れる気がする。

柴角ふみさんのあすなろ物語という漫画を少し読む。
確かに物語の世界に入ってその主人公が生きているように感じられる醍醐味というのは捨て難いな。
虚構の人物なのにどうして生き生きと存在するような気がするのかな。
不思議だな。

やっぱり現実よりも物語の世界のほうが安らぐね。

私の娘の場合のように、ちゃんと居場所がわかっていても、10年以上ぶりに子供に接触すると、そのギャップがヴィヴィッドで戸惑うのだから、娘を探していて孫が出てくるということの戸惑いはいかばかりかと思う。狐につままれたようなかんじではないかと思う。

納得のいく人生を送れている人ってそれほどなくて、なんとなく狐につままれながらどこかで妥協して、喜怒哀楽に翻弄されていくことが多いかな。

息子久しぶりに水泳に行く。

そういえば、久しぶりに自転車に乗ろうとした。補助輪つきだ。保育園で紹介された児童心理学の先生が、自転車に乗れるようになるといいですよ、とかおっしゃったので買ってみたが、息子は一向に関心を持たなかったのだ。今頃どういう風の吹き回しだろうと思う。

知り合いの人のホームページで、またしても東山魁偉の絵のように幻想的な
霧や雲の穂高連峰の写真というのを拝見する。仙人が眺めたら笑っちゃうような
私。







2002年10月04日(金) 母親よ強くあれというタイトル

娘から元気出せよと元気そうな便りがあったので嬉しかった。

そうだ。図書館に本返さなくちゃ。枕草子とアダルトチルドレンとか借りていた。

でも、

皇后陛下の読書の勧めの会合の話は新聞に載っていた記事では別段悪くないと思ったのですが、朝主人がつけていたテレビの続きのワイドショーで、母親よ強くあれ、とかいうタイトルつきなのを見たら、吐き気がした。

皇后陛下は欝のようになった時に、あなたがそんなふうに悩む人でなかったら
私はこれほどあなたのことを好きにならなかっただろうな、と天皇陛下がおっしゃったのでほっとできたとかおっしゃっていたような記憶がある。

確かに読書に助けられることもあるので、母は自分は出版社に勤めていたくせに、兄や私が部屋に引きこもっていると心配したが、やはり私には、一文の得にならなくても、読書は必要だ。しかし母親に読書を勧めるのは引きこもることも必要と説いているのではないかしら。本を読んでいるのと、引きこもりとはだいぶ様子が違うのかな。

やっぱり熱を計ったら38度ある。体調が悪くなると機嫌が悪くなるのはちょっと
まずい精神構造だと思う。これからどんどん年を取って体調が悪くなってくるのに
体調が悪いと気持ちもとげとげしていやだな。ゆったりと信頼感を持って、仕事に励み、趣味やスポーツ、人との交流や読書などで落ち込まないように自分を高められたらいいなと思うけれども、しばしば心が浮つく。

子供に本を読ませたいが、やっとひらがなの童話やアニメの説明本とかで、男の子って本当に子供だなあとため息をついたりする。もっと私が本を読んでやればよかったものを。私は末っ子だったので、家に大人の本が沢山あって、三島由紀夫だとか安部公房だとかわけもわからず読んだりしていた。だから自分が本を読むのは
好きだが、子供に読んでやるのはけちんぼうだ。

でも背伸びしなくてもきっと私の子供にも何か触手のように伸びていく物があって、自分の才能が活かされる場所に自然に向かっていくのだと思う。

本当かしら?正直とても心配だ。祈ることしかできない。






















2002年10月03日(木)

ちょっと頭痛がします。微熱があるので風邪かもしれません。鼻も咽喉もすーすー通ってますが。頭痛で気が重い。体調も脳味噌も好調ではないですが、昨日はたっぷりパスタを食べて、旦那さんとも仲良くしました。ただ私が元気でというわけではなかったです。たぶん主人とは合っているのだと思いますが。

ゆうべ子供に時間割を揃えろと言っていて、突然自分が給食当番の割烹着を洗って
アイロンをかけていなかったことを思い出して愕然としました。ごめんなさいです。夜中に生乾きのをアイロンしました。

でも昨日は子供の学校のPTAの当番を忘れずにいたのでよしとしませう。

そういえば、自転車でしか行ったことがなかったところまで台風の中歩いて行ったので、次の日は筋肉痛でした。

今日は一日眠っているのが楽です。これでは悪いかなと思うけど、眠りたい。何も考えずにぼおっとしていたいです。



2002年10月01日(火) 台風?

hyuu

そんなに大きな台風なのかな。

私の日記には、それにしても、でも、しかし、が多くて鬱陶しいと思う。

午前中は子供の喘息の診察へ。出かける前は雨はまだ降っていなかった。私の傘だけ持って子供は長靴。

都立病院って都民の日休診てわけじゃないみたいだ。助かった。何となく何年か前
入院した時に見たお顔の看護婦さんとか見かけて、なつかしいような恥ずかしいような。もしかして私の外見は以前とだいぶ変わって向こうは気がつかないような気がする。髪型も違うし。

午後はけっこう風雨が強くなってきていたが、雨になると元気に外出したくなる私は信用金庫まで記帳しに出かけ、ついでにその近くのスーパーで買い物。そこは今まで決して自転車でないと来る気にならなかった距離だ。つい個人商店を素通りしてスーパーマーケットで買い物してしまいがちだが、たまにいつもと違うスーパーで買い物するのも新鮮だ。

夕飯はゆうべパパさんが作ったロールキャベツと、レバニラ炒め。韓国風の、なんていうんだっけ、プルコギエンというたれで味付け。


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