衛澤のどーでもよさげ。
2009年03月21日(土) 御彼岸。

会う人会う人に左内腕にチューブが刺さっているのを見せて悉く厭がられている衛澤です。

昨日、友人たちと一緒に映画を観てきました。観たいと思いつつ見逃がしてしまったと思っていたら、私のタイからの帰国のタイミングに合わせたかのように海外の賞を受賞し、リバイバル上映がはじまった「おくりびと」を観ました。

小林大悟は東京で小さな楽団のセロ(チェロ)奏者を生業としていたが、楽団が急に解散してしまい、それを機に音楽から退き、故郷山形に妻とともに移り住む。新たな仕事を探していたところ、求人広告で稀れな好条件の求人を見つけ、大悟は早速面接に向かう。しかしその会社は事務所に棺桶が三ツも置いてある妙な雰囲気の会社で、社長は碌に面接もせず大悟の顔を見ただけで「採用」と言った。
会社の名前は「NKエージェント」。社名の「NK」は「納棺のNK」だと社長は言った。「ノーカン」が何であるかよく判らないまま、大悟は納棺師の道を歩みはじめ―――というのが「おくりびと」のあらすじ。

全編に渡って流れるセロの音は心地よく、納棺師の動きの一ツ一ツは流麗でかつ荘厳です。二時間一〇分の上映時間がちっとも長く感じられない、観やすい映画でした。
「納棺師」という職業を主に見る映画であることは予め知りながら私はこの映画を観たのですが、映画を観る前から、また映画を観てからも、納棺師というのは貴い職業だと思っています。しかし、劇中で大悟はNKカンパニーに勤めはじめて暫くは知人友人にも、そして妻にさえ自分が納棺師であることを隠し、そしてそれがばれてしまうと知人友人は大悟を蔑んだり恥じたりの言葉を本人を目の前にしながら口にし、妻は「汚らわしい」とさえ言います。私は銀幕を見ながら、何故そのように納棺師が忌まれるのか、俄かには判りませんでした。
「死及び死者と相対する」ということに多くの人が偏見を持っていて、ときに卑しいこととされてしまう事実を私は知らず、この日まで想像もしていませんでした。一緒に映画を観た友人たちと鑑賞後に意見交換をしましたが、友人たちも異口同音に「何故、納棺師を卑しく思うのか判らない」と言っていました。私は自分がまだものごとを多面的に見ることができていないと思いました。

私は自分に葬式は不要であるとずっと考えてきました。遺体は死んだときの姿でダンボール箱にでも入れて焼却してくれればいいし、式典は一切せず死亡届を出してくれるだけでいいと、そのように己れの末期を思っていました。しかし「おくりびと」を観て、式典はやっぱり要らないけど納棺だけはして貰いたいかな、と思いました。

暑さ寒さも彼岸まで。そろそろ寒い時期の飲みものが自動販売機から姿を消します。名残りのしるこドリンクを愉しみたいと探しまわっていた私は、このようなものを見つけました。


缶コーンポタージュに続く総菜っぽい缶入り飲料、缶クリームシチューです。190g入り。シチューミックスでつくったものよりも、ちょっとしょっぱみが強いです。
コーンポタージュにコーンの粒々が入っているのでシチューにはミックスベジタブルでも入っているのだろうかと期待しましたが、具は入っていませんでした。具がないと飲んだだけではシチューだと判りにくいです。

当市では本日、桜が咲きました。今日おはぎを食べたところなのに、すっかり春だなあ。

2009年03月17日(火) 春この頃。

毎日キャベツを食べていたら風呂上がりの自分の身体からキャベツの匂いがするようになった衛澤です。

タイで手術を受けてから早くも一箇月が経ってしまいました。先週辺り、腕の術創のかさぶたが剥がれかけて、でも剥がれなくて、やたらに痛がゆかったのですが、今週にに入りましてからかさぶたは少しずつ取れて、かゆみも治まってきました。しかし、腕に管を刺しての生活にはまだ慣れません。入浴や着替えがなかなか面倒です。
術創や刺さっている管を剥き出しにしておくと何かと危険なので左腕前腕部には靴下改造カバーを被せているのですが、今日は春の好天で暖かく、既にカバーが暑いなあと感じました。少しでも肌を露出して熱放出したいのが夏という季節ですが、今年の夏は我慢の夏になりそうです。

私が大好きな「ぐんぐん群馬のうんまい牛乳」を使ったパンやプリンが発売されると聞いて「それはぜひ購入の上、食さねば」と思ったのですが、どうやら関東地方限定販売らしいです。
関西で何不自由なく暮らしている私ですが、今日は少しだけ「関東在住ならよかった」と思いました。

帰国後に読んだ本でおもしろかったもの二作。「とろける鉄工所」第一巻(野村宗弘/講談社)と「PLUTO」第七巻(浦沢直樹/小学館)。
「とろ鉄」は鉄工所に勤める溶接工の御話。溶接工という職業の恰好よさと悲哀がゆったりした笑いの中に見えます。一見人相のよろしくない溶接工のみなさん(登場人物たち)が、読み終わる頃には親しみある人たちになります。ハシラについてはAmazonのレビュアーのみなさんが仰る通りだと私も思っています。
「PLUTO」はいよいよおもしろい。物語が加速して、最高速になろうとしている。第一巻はちょっとだけ我慢が要りますが、第一巻を置いて第二巻を開いたそのときからおそらく最終刊(次巻第八巻)まで、一気に読めてしまえる巧みさがこの作品にはあります。あらすじやあらましを説明するよりも、「とにかく読め」と言いたい作品です。

2009年03月15日(日) 未知。

ランドセルを背負って学校に通っていた頃の私は、同級生やらその他大人を含む周囲の人たちから「何でもよく知ってるんだなあ」だとか「どうしてそんなにいろんなことを知っているの」なんて度々嘆息を頂いては、「そんなに知っている訳ではありません」と謙遜する振りをする一方で、内心ちょっと得意になっているような厭な子供でした。

いまの私は、ほんとうに何も知らない。あまりの無知に、知らねばならぬことの多さに、急き立てられるような焦りを感じながら、できるだけ多くを知ろうと慌てて本などを読みあさっています。もう直ぐ不惑の年令というのに知らないことばかりで、見通しの悪い道を右往左往しながら見えない障碍物にどかどかぶつかりながら、惑い続けています。

さまざまなことに興味を持って好奇心を持って智識を得ることに貪欲でいるつもりでした。勉強は自ら進んでしているつもりでした。でも、いま、知らないことばかり。
自分が何も知らないなんてことは随分早くに気付いたつもりでいたはずなのになあ。

2009年03月13日(金) 二転三転。

帰国後二週間。
前半一週間は調子がよろしかったのですが後半はぐだぐだもいいところで、ずっと寝てました。眠ってもいましたし、起き上がれなくもありました。記事の更新間隔が大きかったので「そんなことだろうと思っていた」という人も多いかもしれません。
さて、ずっと寝て過ごさざるを得なかったのは何故かと言う話をすると、また薬の御話になってしまって一部の薬物好きの人(私含ム)を除いたみなさんにはつまらないでしょうから、それは一ト先ず置いといて。
とにかく私が寝込んでいる間に、私の住居の裏にあった食堂が建物ごとなくなって、きれいな駐車場ができていました。隔世の間眠り続けていたような気がします。

さて、よろしかった調子が何故よろしくなくなってきたかをお話しするには、一ト先ず置いといた薬の御話をしなければなりません。
私はそもそも鬱病持ちで、かれこれ一五年くらい抗鬱剤だの精神安定剤だのを服み続けています。薬に頼らなくてはどうにもならない身体なのですが、これも持病の性同一性障碍の治療のための手術を海外の病院で受けるためには、術前二週間は一切の薬物の摂取をやめなくてはならないのです。
薬を服まなくなった私はふらふらのよれよれのぐだぐだです。大変しんどい状態なので、渡航先の病院で抗鬱剤を処方して貰いました。それが「EFFEXOR」という薬で、その薬の御陰で帰国日前後はそこそこ調子がよろしかったのです。

しかし、EFFEXOR(「エフェクサー」と発音するのがスタンダードのようです)は日本では認可されていない薬なのです。何でもハッピードラッグのような使われ方をすることが多いからなかなか認可されないのだとかで。
だから、帰国後は別の薬を処方して貰うことになります。
帰国直ぐ、つまりいまから二週間前に主治医に受診したときは、これまでしたことのないまったく新しい処方をして貰っていたのですが、これがなかなか効いてくれないので、今日の受診ではEFFEXORに似た働きをする薬に切り替えることで早く復調させようという方針の処方に切り替わりました。トレドミンを投入します。
EFFEXORもトレドミンもSNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬:Serotonin & Norepinephrine Reuptake Inhibitors)という種類の薬なのですが、効き方はそれぞれ全然違って、欧米ではEFFEXORが主流でトレドミンはほとんど使われていないそうです。EFFEXORの方がずっとよく効くということです。私の身体にもよく合っていたようです。副作用もほとんど出ませんでしたし。

さて、服薬内容が切り替わったところで私の体調も切り替わってくれたらいいのですが、トレドミンは立ち上がり(効きはじめ)が遅いらしいです。
薬というのは最初はちょっとずつ服用して身体に慣らし、それから量を増やして困った症状を抑えることができる量に近付けていきます。いきなり症状を抑えてしまえる量を処方すると身体が吃驚して副作用がいきなり強く出たりするので、これはいけません。先に述べた「立ち上がり」には、「ちょっとずつ」から「適量」に移行する期間も含まれます。症状がひどくても少量からはじめましょう、ということです。

こうやって二転三転のドラッグコントロールをしている間にあっという間に次の断薬期(もう一回、性同一性障碍治療の手術が必要なので)がきて、薬を服まない期間をつくらなくてはならなくなって、しんどくなりながら渡航して、帰国後また新たに処方をして貰ってドラッグコントロールをして……という一連の流れが容易に予想されて既に気分はぐったりです。
薬に助けて貰わなくては無事でいられない生活は、大変です。健康なみなさんはその健康をぜひ大切にしてください。

あまり景気のいい話ではありませんでしたので、末尾ながら愉快なドイツの人をお愉しみください。よく判らないけれど愉しそうでよろしいです。

2009年03月09日(月) 痛くないです。※グロテスク注意

海外から帰ってきて何か調子いいなあと思っていたけどそれは海外で処方して貰った抗鬱剤の御陰で、しかしそれは日本では認可されていない薬なので帰国後は別の処方を受けるほかなく、現在二つの処方の間を渡っている途中で中途半端に調子がよろしくない衛澤です。長い。

先月、バンコクに渡ってそこの病院で手術を受けてきました。その一つが性別適合手術の最終段階である陰茎形成術の「準備」手術です。陰茎の材料として「皮弁」というものを使うのですが、その皮弁を拵える手術を腕に受けました。
腕の内側にトンネルを掘って、そのトンネルが塞がらないように半年間メンテナンスしながら組織を育てます。具体的にはこんな風にします。

※腕に穴が開いている写真が沢山出てきます。怪我とか傷とか苦手な人は御覧にならないように御気を付けください。

腕にゴム製のカテーテルが通っているので、これを抜きます。抜いたカテーテルは煮沸消毒します。
トンネルの内側は手術間もない頃は組織でぐちゃぐちゃした状態ですが、時間が経つと組織は落ち着いて乾燥してきます。すると、カテーテルは抜けにくくなってきます。抜こうとして引っぱるとびよーんと伸びて、腕の内側で切れたらどうしよう、とか不安に思います。「タンポンの紐が切れたら」よりも強い不安です。

カテーテルを煮沸消毒している間に、腕のトンネルの中を生理食塩水で洗います。手首側から水をじゃばじゃば流し、肘側から出します。肘側からも同じくじゃばじゃばして、手首側から流し出します。「ほんとに腕に穴が開いてるんだなー」と実感する時間です。

病院で貰った軟膏をトンネルの入口出口に塗ります。これがカテーテルがトンネルを通るときの潤滑剤にもなります。たっぷりつけてカテーテルの先端にも少し塗ります。
病院で貰った軟膏がなくなったら市販の潤滑ゼリーを使用します。充分な潤いがない状態で無理やり挿れたら痛いというのは、オトナのみなさんには想像に難くないことと思います。

煮沸消毒したカテーテルが冷めてから、再度トンネルの中に収めます。自分でメンテナンスをはじめて約半月になりますが、この行程はまだちょっと怖いです。痛くはありません。例えるなら、うどんだとか糸こんにゃくだとかを半分だけ飲み込んでからずるずるっと引っぱり出したときの喉の感触からくすぐったさをなくした感じ、でしょうか。

無事貫通したら手首側、肘側それぞれにカテーテルと腕との間にガーゼを噛ませます。ガーゼの厚みはそんなに必要ありません。カット綿の方が便利なような気もしますが、綿ではなくガーゼを使いましょう。綿だと軟膏で肌に貼り付いてしまいます。

処置が終わったら保護のためにカバーを掛けておきましょう。カテーテルやトンネルを剥き出しにしておいたら、衣類だの家具だのに引っ掛けてしまって大惨事になりかねません。
カバーに使用するのは包帯やサポーターでいいのですが、扱いが面倒なので私は靴下を利用しています。

一〇〇円ショップで買える「踵がない」靴下を買ってきて、指先を切り落とし、自分の手首から肘の長さに合わせて使います。切りっぱなしでも生地がほどけたりしないので安心です。洗濯も簡単。

二月期の渡航入院体験記とともにこのメンテナンスの方法も別記事に仕立てる予定でいるのですが、先刻メンテナンスしていて、カテーテルを抜こうとしているのにびよびよ伸びるばかりでなかなか腕から抜けてくれなくてちょっと怖かったので、この記事をまとめてみました。
あと、トンネル入口のかさぶたをちょっといじってみたらちょびっとだけど出血しちゃって、ちょびっとなのにぴりぴり痛くてヤな感じです。

2009年03月04日(水) 残念ながら。

今冬は自動販売機売りのしるこドリンクに出会えなかった。
紙容器入りで電子レンジで温めることができるしるこドリンクは自宅近隣のスーパーマーケットで売っていたが、このしるこドリンクには粒が入っていなかった。自宅で容器ごと温めることができるというのは、大変ポイントが高いのだけれども。

小豆粒が入っているもの=ぜんざい、小豆粒がないもの=しるこ、という基礎智識は持っているものの、しるこドリンクには粒が入っていてほしい。

2009年03月03日(火) 桃の節句に。

朝は眠りから目覚める。軽く有酸素運動とストレッチをして、二時間ほどトレーニングをする。それから風呂に入って、手術を受けた左前腕のメンテナンスをする。そういう毎日がいまのぼくにはある。

眠ることができて眠りから覚めることができる。目が覚めたら自分の意志で身体を動かすことができて、動かすことで爽快になる。
少しもしんどくない。二箇月ほど続いていた倦怠感も疲労感も憂鬱感もない。
しんどくないというだけで、当たり前に活動できるというだけで、こんなにも快い。何て有難い。ハッピーなことやラッキーなことが起こらなくても、ぼくは充分にさいわいだ。

桃の節句の今日は、当地方は桃の季節に不似合いなほど冷えて、みぞれらしきものが降った。トレーニングで汗をかいて冷えた身体を湯舟に沈めると、その温かさに気持ちがほぐれた。
たっぷりの湯の中で、いま、自分は生きているのだなあ、と思った。
「生きているからラッキーだ」と歌ったのは葉っぱ隊、「生きてるだけでまる儲け」と言ったのは明石家さんまさんだった。世の中には「生きているだけでは倖せとは言えない」という意見も勿論あって、その気持ちをぼくも経験したことがある。
でも、たったいまのぼくは、生きているだけでラッキーでまる儲けだと思う。異国で一回死んできた気でいるので。

「生きている自分万歳」と思いながら、前腕メンテナンスをする。ぼくの左前腕は、いまこんな状態。



左腕の内側にトンネルを掘ってあって、それが塞がらないようにカテーテルを差し込んでいる。一日二回、カテーテルを一旦抜いて煮沸消毒して、腕のトンネルを精製水で洗浄して、軟膏を付けて、またカテーテルを差し直す。普段は包帯やサポーターで保護しておく。
半年間このメンテナンスを続けて、腕の組織を育てる。充分に育った後は、この部分は猥褻物になります。

2009年03月01日(日) 再始動。

帰国後のどたばたも治まり、月も変わったところで、リハビリテーションをはじめる。渡航前に断薬をして動けなくなってから渡航し退院するまでの間、ほぼ寝たきりだった私の身体能力は信じ難いほどに退化してしまっていて、病院のベッドを降りたときには両脚が自重を支えきらないほどだった。

人並みの生活ができるようになるために、今日からトレーニングを再開した。エアロバイクで有酸素運動をし、ダンベルウエイトで筋力向上を図るのが私のトレーニングだったのだが、いま現在は「身体を動かすことに慣れる」ことが主眼である。
エアロバイクは何とか断薬前と同じく六〇分間漕ぐことができたが、ウエイトは以前と同じという訳にはいかない。四〇キログラム挙げていたチェストプレスが、二〇キログラムが精一杯になっている。ベントオーバーロウなどは筋肉の動かし方から忘れてしまっていて、いちいち肩甲骨を意識して動かさなければならなかった。
甚だ心細い。一時はベンチプレスやバーベルスクワットで七〇キログラムを挙げていたのが、ここまで衰えてしまうものか。

一ト先ずは「動く身体」をつくることに専心せねばならないのだが、それは今月一杯で済むようにして、四月からは持久力と筋力の養成に努められるようにしたいものだ。
持久力も筋力も、半年後の次回手術に必要なものだ。特に躯幹部の筋力(腹筋、背筋)は長期間ベッドで寝て過ごすために重要だ。躯幹部の筋力が弱いと長いこと寝ていると腰や背中が痛くなってしまうのだ。

今日のトレーニングは、午前中の二時間。かつてより身体の可動範囲は狭く挙上重量は小さくなってしまってはいるが、身体を使うのは、筋肉を動かすのはとても愉しかった。


エンピツユニオン


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