衛澤のどーでもよさげ。
2006年11月30日(木) 過眠期。

不眠期と過眠期が交互くらいに訪れるというのは、以前にもこの頁に書いたように思う。暫くの間は不眠気味ではあったものの「全然眠れない」という状況でもなく、そこそこ眠れてきちんと起きられるという「不眠でも過眠でもない」丁度いい状態が続いていた。
しかし、先日の(私にしては)快挙「一日で三〇枚口の短編一本仕上げ」の後間もなく、過眠期がやってきた。

持てる能力の限界まで発揮してしまったから暫く眠って養生しなければならなくなったのだろうか。などと考えて、そんな漫画が昔あったよな、と思い出す。ああ、あれだあれ。「符法師マンダラ伝カラス」。
克・亜樹さんというとこの作品を思い出すのだけど、これを知っている人の方が少ないのだろうね。知らない方がいいのかもしれないけどね。私はいまだに思い出すと笑ってしまいます。「あんたキュートな顔してるぜ」とかね。


【今日の過眠の弊害】
背中が痛い。食事が摂れないからふらふらする。今日の天気が判らない。

2006年11月28日(火) 月9に踊らされる。

昨日の放送を見て「おなら体操」を取り敢えず一緒に踊った人、挙手(´・ω・`)ノ


ー△‐

お ど る よ ね ?

上野樹里ちゃんがどんどんのだめになっていく……。


【今日の気分】
鰻丼! 鰻丼! おにぎり! 鰻丼!

2006年11月26日(日) 大きく。

ほぼ季節に一回のペースで集まる高校生時代の友人たちと、今日はハニートーストをつくりました。以前にもつくったことはあるのですが、あまり巧くいかなかったので、今日は再挑戦です。

先ず、食パンの上辺を切り取ります。

食パンを切る

食パンの中身をくり抜きます。

食パンをくり抜く

そして、くり抜いた中身を賽の目に切ってバターを塗って焼き、その間に同時進行でくり抜いた外側も香ばしく焼いて、それぞれが焼けたら中身をもとに収め直します。
そしてはちみつだのチョコレートシロップだのをかけて、アイスクリームをトッピング。

ハニートースト3斤分

上図ができ上がり図。一緒に写っているコーヒーカップと比べて頂くと判りますが、この食パンは大きいです。三斤分の大きさです。この大きさのパンををまるごとハニートーストにしたいという乙女たちの希望で実現しました。トッピングのアイスクリームはそれぞれ普通サイズのカップアイスまる一個分がそのまま乗っています。でけえよ。

でも、六人で寄ってたかって喰ったらものの一五分くらいでなくなってしまいました。乙女の胃袋は四次元なのだな。
前回はガスバーナーで無理矢理焼いてあまり巧くいかなかったのですが、今回はきちんとオーブンで焼くことができたので香ばしくカリッと仕上がりました。サイズは前回と同じです。


【今日のまだそんな】
近頃は何処も空調設備が行き届いているから今日もTシャツ一枚だった。

2006年11月25日(土) !

いやっほうっ!
昨日書きはじめた三〇枚口の短編が何と昨夜のうちに書き上がりました! オレ様ブラボー! ビバオレ様! 自分が言わねば誰が言う!
勿論、それは初稿に過ぎず、これから何度か書き直して仕上げるのですが、たった一ト晩で一編が書き上がるとは自分でも予想しておらず、ただいま吃驚中です。

今日、トレーニングジムで見ていたテレビにプリンセス天功女史が映っていました。「エンターティナーにとって大切なことは?」と問われて女史は「!」と書いたフリップを見せつつ「おったまげーしょんまーく」と仰いました。
「!」即ち「驚き」や「新鮮さ」を御客に提供することが重要、ということを仰りたかったようですが、それよりも女史の「おったまげーしょん」がとても気になった私です。
「たまげる」という動詞の強調された形「おったまげる」と「!」の正式名称「エクスクラメーションマーク」がくっついちゃったんだと思うのですが、はじめて聞いたもので新鮮でまさに「!」ですよおったまげーしょん。
一九七〇年代に「びっくらげーしょん」という言葉がちょっぴり流行ったよね、なんてことを遠く思い出しました。この「びっくらげーしょん」が栗本薫さんの「魔界水滸伝」第一巻に出てきたので吃驚したのが一九八〇年代後半のことでした。まだ完結していないんですよね、「魔界水滸伝」も「グイン・サーガ」も。


【今日のちょちょっと気になる】
三角筋って発達しづらいのかなあ。

2006年11月24日(金) 読む。書く。

定期通院日。
今日の心療科での診察も、ほぼ半分は浦沢直樹氏の作品の話に終始する。「20世紀少年」は編集の方針で何度も無理矢理話をねじ曲げられていて、それが読んでいてつらいとか、「PLUTO」は発刊ペースの遅さでもしかしたら「風の谷のナウシカ」を凌いでしまうのではないかとか、こんなヲタク話が平気でできるかかりつけ医って、貴重かも。
漫画話は私からするのではなく、いつも医者先生から振ってくるのですよ。浦沢氏が西原理恵子氏との対談で「いつ駄目になるか判らないから将来は漫画喫茶を経営しようと計画している」と発言した、なんてことは医者先生が教えてくれました。
この医者先生は「うつうつひでお日記」を貸してくれた御本人なのですが、読んで鬱を貰ってしまって三、四日寝込んでしまいましたという話をしたら「やっぱりね」と仰いました。

急遽、三〇枚口の短編を書くことになりました。締切が結構近い。三〇〇枚口の長編は一旦置いといて、これからちゃちゃちゃと書いてしまいます(予定)。F出版さんの仕事ははじめてだ。


【今日の昇格】
チョコバナナビスコは我が家の常備菓子に。

2006年11月23日(木) どうしても。

ここ暫く疲れ気味でジムトレーニングと原稿以外はしたくない状態が続いています。今日も気分も身体も両方怠いのでこの頁の更新はお休みさせて頂こうかと考えたのですが、どうしてもみなさまにお伝えしたいことがあり、いまこの記事を書いています。

これを見てください。「カレーパンのうた」。
ただいま脳内強制ヘビーローテーション中。何となく倖せ……?
この妙な倖せを、みなさまにも。ぜひ。

あと、今日ふと思ったのですが。
本来好きではないのですが身体のために毎日少しずつ納豆を食べるようにしてみました。食べながら思ったのです。髭がきちんと生えるようになったら伸ばそうと計画しているのですが、髭を伸ばしたら納豆なんか喰ってる場合じゃなくなりますよね。喰う度に洗髪ならぬ洗髭しなければならなくなってしまいます。
髭か納豆か。この二者択一なら私は髭を択びますよ。


【今日のやっぱり思う】
ギョーカイって、狭いね。

2006年11月21日(火) 赤い赤い柿の実赤い。

競泳のイアン・ソープ選手が引退を表明したことで、とても残念に思うと同時にこれから何がはじまるだろうとわくわくしている衛澤です。取り敢えず次の世界水泳は見る理由がなくなりました。

ぼくの自宅近所には自動車進入禁止の遊歩道があり、そこはトレーニングジムに通うときに必ず通る道でもあります。ところどころに休憩所があって、そこのベンチではよくネコたちが集会を開いていて、だから休憩所周辺は自転車で通る度に気を付けて見るようにしていましたが、そのほかは特に注意して見ることがありません。風景よりも行き違う人や自転車に気を付けないと事故を起こしてしまうので。
余談になりますが、ぼくは誰か知った人と街で出会っても大抵素通りしてしまいます。歩いているときはぶつからないように気を付けるのが精一杯で、人の顔を見る余裕がないからです。知った人も知らない人も障碍物としてしか認識できないのです。だから擦れ違ったときに知らん振りしていても「冷たい奴」とか「無愛想な奴」とか思わないでくださいね。

そんな感じで、屋外を移動するときに風景をあまり見ていないぼくですが、今日はたまたま、遊歩道傍の或る民家に目が行きました。とても鮮やかな色が見えたからです。
その御宅には塀を越えて道路に張り出すほどの立派な柿の木があって、沢山の実がなっていました。その柿の実のとても熟して赤いこと赤いこと。それは最早や柿の赤い色ではなく、まるでトマトが木になっているような見事な赤さでした。それが、数えられるほどではなく、沢山沢山、鈴なりになっているのです。

あまりに鮮やかに赤い柿が、見事に沢山なっているので、携帯電話のカメラ機能で撮影しようかと乗っていた自転車を一旦停めました。けれども、この鮮やかさは手持ちのカメラの機能と自分の撮影技術ではきっと画像の上に再現されないだろうと思って、撮らずに通り過ぎました。
それでも、その柿の赤さの鮮やかなことが忘れられずにいるので、ここにこうして書きとめています。
柿右衛門が白磁の上に再現しようとしたのは、普段のぼくたちが思っている「柿色」だったのか、それともぼくが今日見たまるでトマトのような熟した赤色だったのでしょうか。色彩心理学では、赤い色は生命力に影響したり、生命力そのものを表現する色ということになっています。

今日の表題は「うさぎの唄」から。


【今日の着便】
ネット古書店でハインラインを五冊購入。書籍本体よりも送料の方が高い。

2006年11月19日(日) いまも昔も。

金曜日の午後から土曜日の早朝まで、一丁気合いを入れて原稿作業。通常よりも沢山の枚数を書き上げておいて、土曜日の夜の外出に備える。
昨日土曜日の夜には大阪に住む友人宅に招んで貰って、もう一人の友人と一緒に三人で、韓国味噌を使ったちょっとびりっと辛い鍋を喰った。ほんの少ーしだけど、八年ぶりくらいに酒を飲んだ。前に飲んだのはまだ女性として働きに出ていた頃だ。前に飲んだときと同じように頭の天辺まで真っ赤になった。
野郎ばかりが寄り集まって夜中に飲みながら話し込むのも、結構愉しい。

行き掛けは電車で、帰りは一緒に御邪魔した友人の自動車で移動した。行き掛けの電車の中ではMP3プレイヤで音楽を聴いていた。一九八〇年代後半から一九九〇年代半ば辺りの曲が沢山入っている。一曲聴く度に「この曲が流行った頃は……」、「この曲を聴いていた頃は……」と何となく思い返された。どの曲の頃もぼくはいつも「書いていた」。
無作為に複数のアーティストの曲を選択して収録しているのに、どの曲も例外なく原稿を書くときに聴いたことがあるものだった。ぼくはどんなときにもいつも「書く」ということをしてきたのだと、改めて思った。

電車の中でぼくの近くの席にすわっていた二〇歳過ぎくらいの女の子が、学校帰りなのか鞄の中からファイルを取り出して開いていた。ちょっと覗き込んでみるとそれは譜面で、五線譜を見ただけではぼくはどんな曲なのか判らないから譜面上に曲題を探してみてみると、ベートーベンの交響曲第七番だった。テレビドラマ版「のだめカンタービレ」のオープニングに使われている曲だ。
おそらく音楽学校の生徒なのだろうその女の子よりも、傍に立って吊り革に捕まっていた白髪混じりのおじさんの方が一生懸命にその譜面を見ていた。「食い入るように」とはこういうことを言うのだと思った。


【今日のどないなん?】
床に直接座椅子を置いて、それにすわって長時間書きものをすると腰が痛む。腰痛予防に円座クッションは有効だろうか?

2006年11月17日(金) 集中したい。

年を喰うと根気がなくなってくるから、根が付くものを喰って根気を養わなければならない。先年他界したぼくの父はよくそういう意味のことを言って度々大根や蓮根を喰っていた。
大根や蓮根などの根菜を喰うことでほんとうに根気がつくのかどうかは判らない。ぼくの父は根気が「なくなった」のではなく、もとから「なかった」と言うのが正しい人間だったから。

効果が定かでなくとも沢山根菜を摂ってみようかな、と考えざるを得ない状況に、現在のぼくはある。根気と言うか、集中力が続かないのだ。
さあ書くぞ、という気になって原稿に取り組んでも、直ぐに注意が他所へ逸れてしまう。そのために先日までまったくと言っていいほど筆が進まなかった。無理矢理机に向かってみても頭の中に何も浮かばない。一ト文字も書けない。こんな風になるなんて、二年ほど前にはまったく考えられなかった……ああ、こういうときに人は危険な薬物にでも手を出してしまうのだろうな、と思った。

確実に頭をすっきりさせてくれて、考えたいことをいつでも集中して考えられるようになる薬物が簡単に手に入るのなら、法を犯すことも生命を縮めることも構わずに使ってしまう。そんな各種クリエイターの話を時折聞くが、その気持ちはよく判るような気がする。それくらい、ぼくの集中力は細切れで、とても困っている。

取り敢えず、いま抱えている三〇〇枚口の原稿は筆が乗ってきたので何とかなりそうだけど、別名義での連載も控えていてその構想も練らなければならないし、三〇〇枚口の仕上がりが遅くずれ込んでしまったら毎月二、三本並行して書かなければならなくなってしまう。だが、ぼくはそこまで器用な人ではない。可能な限り回避したい状況だ。
いまのぼくにできることは精一杯に書くことだけだから、多重執筆にならないように、ひたすら書くしかない。一方で、少しでも集中力を高める方法があるのなら知りたいと思っている。御存知の方があれば、どんな些細な情報でも構わないので教えてください。


【今日の練習】
片仮名語を人並みに使えるように、沢山書く。……先ず「片仮名」を「カタカナ」と書けるようになることからはじめるべきか?

2006年11月16日(木) スポーッ。

ぼくが通っている小さなトレーニングジムには、有酸素運動を長時間する人のために雑誌が置かれています。ぼくは有酸素運動をするときには持参したMP3プレイヤで音楽を聴くので雑誌を読んだことはありません。
今日、何となく雑誌が並んでいる小さな本棚を見てみたら、「月刊ボディビルディング」や「IRONMAN MAGAZINE」と「MAQUIA」や「VoCE」が肩を並べていました。ジムの利用者層を見ると納得がいく品揃えなのですが、棚だけ見ると何とも言えない気持ちになります。書店ではあり得ない並び方。

さっさと原稿を書かなければならないのでゆっくり観戦している場合ではないのですが、やっぱりチャンネルを合わせてしまいます「世界バレー」。気になって画面を見てしまうし、そうしたら筆が止まるし、テレビを点けておかないと気になって仕事にならないし。
でも、昨日のオランダ戦は日本が勝ってよかったなー見てよかったなーって。原稿も自分にしては結構進んだしね。世界最小最強セッター竹下佳江キャプテンを徹底的に応援。


【今日の(*´△`*)】
め……めっちゃくちゃ欲しい、効果音CD。仕事中に聴きたい。

2006年11月15日(水) ああん。

随分以前から巷で話題にはなっていたしそれは聞き及んでいたけど、中身を知らないし知ることができないので、いまひとつ何処にどんな魅力があるのか判らないままになっていたmixi。先日、友人が住人だということが判ったので「招待してーや」と取り敢えず言っておいたら、ほんとうに招待してくれた。
よく判らないまま招待を受けてよく判らないまま登録してよく判らないままプロフィールと日記頁をつくってみたが、やっぱりよく判っていない。ああん。
判るまでには、もう暫く掛かるでしょうね。何となくやっているうちにね。

去る二月に納稿して、うんともすんとも返事がなかった原稿が、今月発売号に掲載されますというメールが突然届いた。連絡が発売一週間前ってどないなん。
半年以上も経っているし、没になったものだとすっかり思い込んでいたので、その原稿をもとにした短編をつくり直して別方面に納稿しようと思っていたのに、これじゃネタが被るじゃありませんか。ああん。
そっち方面の原稿は急いで書き直します。
二度手間にはなったけれど、今年のうちに入る原稿料が増えたのは有難い。これは全部、性別適合手術費用として貯金ね。

久々に「IN THE LIFE」を聴いたら、まんまとチョコレートケーキが食べたくなってしまった。三曲めのせいね。簡単に影響されてしまう自分って、ああん。


【今日のなめらか】
筆の進みがいいと「おれさまブラボー!」とか、言いたくなるよね?

2006年11月14日(火) 気紛れだ。

昨日まで大丈夫ではなかった持病の具合いは、今日は大丈夫だった。多分明日以降も大丈夫じゃないかな。
昨日は身体を起こしているだけで目がまわっていたのに、今日は六〇キログラムを肩に担いで立ったりしゃがんだりできたりするんだから、鬱って病気はほんとうに気紛れだ。よく判っていない人が鬱病を「怠け病」と言ってしまう気持ちも、判らなくはない。

一〇年前、まだ女性として会社勤めしていた頃のぼくは、両腕を一杯に使っても三〇キログラムを持ち上げられなかった。それがいまでは片手で三〇キログラムのウエイトを提げて歩きまわれるのだから、人間の身体ってすごいなあ。鍛えれば強くなる。刃物で切り裂いても一週間も経てばその傷も塞がってしまうしね。

トレーニングジムからの帰り掛けに、たまたま近くを通り掛かった駄菓子専門店で、先日から探しまわっていたチョコバナナ味のビスコを見つけた。
買い占めた。
支払いを済ませた後、哄笑しながら立ち去る。
「わーっはっはっはっ、これがオトナのやり方だ!」


【今日の強く主張】
パセリ喰え! 残すな! 元気になるんだぞ!

2006年11月13日(月) 窓の外はとても天気がいいけれど。

もう大丈夫と思っていたが、案外大丈夫じゃなかった。
些細なきっかけで出てきた鬱症状は地味に、ほんとうに地味に生活を少しずつ邪魔してくれている。自分で食事の用意をしてそれを喰えるくらいには元気だけれど、外出するには大きな決心と短時間で済ませる入念な段取りが必要というくらい。起きていると目がまわるから、床に寝ているほかない。

……原稿書きたいなあ。

床の上で天井を眺めながら思う。
「あなたと少しでいいから話したい」
いろいろな話をしたい。他愛もない話を沢山。書いたり読んだりする人がいい。ぼくのプライベイトの連絡先を知っているあなた。あなたのことです。少しでいいからぼくと文字で話してくれませんか。

一人でいることは少しも苦痛ではないのだけど、ときどき、ほんの少しだけ、寂しくなったりもする。……それだけ年令を喰ってしまったのかな。


【今日の大きな声では言えないけれど】
床の上で、せめてネタ出し……出てこないよう(´△`;)

2006年11月11日(土) おれはどこだ。

昨日、かかりつけの心療科医に借りた「うつうつひでお日記」がおもしろかったので、昨日のうちに読了した。鬱病持ちの私には共感できる部分も多く、何よりアルコール依存と鬱とを抱えて不安定な状態なのに、吾妻氏は毎日少なくとも原稿を二頁と日記はきちんと描いていたのだということに励まされ、「自分もがんばらねば」と発奮したりした。読んでいる間は。

読み終わってしまうと急激に対象のない焦燥感(抑鬱の独特の症状)が出てきて、慌てて眠剤を服んで眠った。不安も恐怖も焦燥も眠ってしまえば判らなくなる。
しかし、一サイクル(レム睡眠とノンレム睡眠のサイクル一ツ分。約二時間)で目が覚めてしまい、今度は眠れない。眠前の焦燥感は引き続いていて、それがひどくなって今度は対象のない恐怖(対象が判然としない恐怖感は精神医学では「不安」と称するが、ここでは「恐怖」と言った方が当を得ていると判断)が全身にまといついてどうにもならない。不安発作の主症状である過呼吸が起きそうだったので意識的に深呼吸をしつつ、久し振りに頓服として処方して貰っている精神安定剤を服む。
そして、ようやく再び眠った。

次に目覚めたのは夜が明けてからだったが、眠くてたまらない。眠くてたまらないのに目が覚めるとは何たる理不尽か、と思う暇もなく気分降下。「原稿書きたい」という強烈な欲求と、倦怠感が著しく強くて身体に一切の力が入らないことが一人の人間に同時に起きている裏腹さにひどく焦る。
もう一回、精神安定剤を服んで、少し眠った。

これでようやく症状が治まった。つい先日まで元気満々だったのだが急にどうしたかと言えば、これはおそらく「うつうつひでお日記」のまえがきにきちんと書かれていた注意を守らなかったため。まえがきにはこう書かれている。
「一気に読むと鬱になるかもしれないので注意してください」
だいたいにして鬱病持ちは他人の鬱症状を無意識に取り込んでしまって自分の鬱をひどくしてしまいがちだ、ということくらいは知っていたはずなのに何をしているか自分。何年鬱やってんだ。

こんな例もあるので、これから「うつうつひでお日記」を読む人は御注意ください。て、私が言うまでもありませんね。


【今日の真面目な話】
このガンダムは気迫に満ちて、ほんとうに恰好いいと思う。

2006年11月10日(金) イシャはどこだ。

定期通院日。いつものように心療科に診察券を出しておいて、待ち時間を利用してホルモン注射をして貰いに別の病院へ行く。
注射は筋肉注射だが、上腕部にして貰う。以前、他所の病院で注射して貰っていたときは例外なくどうしようもないくらいに痛い注射をされていたが、いま通っている病院はほとんど痛くない。

でも、今日はちょっと痛かった。看護師さんが急いで薬液を送ったのかな。しかし文句を言うほどでもない。以前の病院はもっともっと痛い注射をした。
痛かったので、注射した部分をよく揉んでおかなければならない。揉まないで放っておくと痛みが長く(ひどいときは数日)続くことがあるからだ。病院を出て、心療科に戻る道を歩きながら肩に近い上腕部を揉んだ。

揉みながら歩きながら、何だか「ねじ式」みたいだ、と思った。

心療科の医師に「うつうつひでお日記」を貸して貰った。医師の話によると著者である吾妻ひでお氏は典型的なアルコホリック鬱らしい。
少し前には「失踪日記」や「長い道」や「さんさん録」を貸して貰ったり、浦沢直樹作品の話で診察時間一杯盛り上がってしまい病状の話をしないまま帰ったこともある。かかりつけ医と漫画の趣味が合うというのも如何かと思ったりもするが、愉しいからいいよね。


【今日のひざかっくん】
一週間振りにバーベルスクワットで七〇キログラムを挙げてみたら翌日膝がくがくで歩きづらいったら。

2006年11月09日(木) 安価でオッケイ。

昨夜のこと。
床について照明を落とし、もう寝ましょうというときです。眠りに落ちるまでの間に、翌朝に食べることにしていたバナナのことを考えていました。三日間の断食で、空腹感というものはさほどなかったものの、やはり身体が怠く気力も落ちていて、甘味があるものを食べるのがとても愉しみでした。

黄色い一本のバナナを思い浮かべます。
黄色という色を思うだけで気持ちが浮き立ってきます。実を食べるとその甘味が怠さを薄め気持ちを落ち着かせてくれるのだろうと考えると、食べないことから生まれていたと思われる不安がすうっと消えて、何とも言えずほわっとした気持ちになるのでした。
ああ、おれ倖せだわ。眠りに落ちる寸前に、そう思いました。

バナナ一本思い浮かべるだけでこの幸福感。何て安上がりな私。バナナを思うだけで倖せに浸れるという倖せを、重ねて感じたのでした。
今朝食べたバナナは、やっぱりおいしかったです。おいしいバナナを育ててくれた農家の人、おいしく育ってくれたバナナ、私の手許に届くまでにバナナに手を貸してくれたみなさん、有難うございます。


【今日の旅】
どうしても食べたいチョコバナナビスコを探して販売店を梯子。見つからないので泣き出しそうになった三六歳。

2006年11月08日(水) 再断食(三日め)。

流石に摂取熱量が基礎代謝量以下の日が三日も続くとぐったりします。
今朝は今秋一番の冷え込みで、立冬も過ぎたし、日中は暖かくなったけれど滅茶苦茶に寒くならないうちに炬燵を出しておこうと、布団を干したり卓上を片付けたりしました。
炬燵に炬燵布団を掛け、電源コードを差し込み、いつでも使えるように設置し終わった途端にぼくはくたっとしてしまい、自分でも気付かないうちに何か呟いていました。

「パトラッシュ、もう疲れたろう? ぼくも疲れたよ。何だかとっても眠いんだ」

炬燵を出すだけでそれだけ疲れてしまった訳です。凍死寸前です。
食事を摂らない、それだけで人間はこんなに動けなくなってしまいます。みんな、食事は三食きちんとおいしく摂ろうね! 腹が減ると動けなくなるだけじゃなくて、碌なことを考えなくなるぞ!
食べないと「何だかとっても眠く」なるのもほんとうです。腹を一杯にし過ぎると眠くなりますが、腹が減りすぎても身体が消費熱量を制限しようとして眠くなるので、きちんと食べましょう。

明日の朝にはバナナを食べるんだ(*´▽`*)。


【今日の哀】
チョコバナナビスコが食べたいのに自宅近隣の店には売っていなくて哀しい。

2006年11月07日(火) 再断食(二日め)。

断食には危険が伴うが、しかし得るものも多い。断食が終わる頃には「飯が喰える健康な身体がある」ということ、「喰う飯が直ぐに手に入る」ということ、「喰うことによって身体や気力が養われることを実感できる」ということ、などなどの非常に有難いことの数々が、しみじみよく判る。頭で理屈を理解するだけでなく、身体で実感することができる。

返して言えば、断食中は「喰わないことで気力体力が削がれていく」ことが体感できる、もとい、せざるを得ない。今日などは目覚めたときはいろいろと一日の予定を考えていたが、いざ行動をはじめようとすると、思ったように頭も身体も動かない。「喰う」ということ、「栄養を摂取する」ということが生きるために如何に大事かということが思い知れる。
こういう体験をしておくと、喰うものがあるということ、喰う時間があるということ、喰える身体があるということを、食事の度によろこぶことができる。

食事のはじまりには「いただきます」の挨拶をし、そのときには両手掌を合わせる合掌印を結ぶ習慣が、我が国にはある。合掌印は自分の前にあるものを拝むというほかに、有難いこと、感謝の意を表す印でもある。また、食事の終わりにも「御馳走さま」の挨拶とともにこの印を結ぶ。
ただ「こうしなさい」と教えられて何気なくやっているのでは意味も判らず、ときには「こんなことしなくても」などと思ってしまうかもしれないが、何度かどうにも喰えない時期や、今回のように敢えて喰わない時期を過ごした経験があるぼくは、御陰さまで食事の度に心からの感謝を以て合掌印を結ぶことができるようになった。

よろこびと感謝が毎日ある。それもまたとても有難くうれしいことだ。

というようなことを改めてここに記すほど、現在のぼくは断食明けの食事を夢見ています。断食はもう一日続きます。
「断食」とは言ってもまったく何も食べていないのではなく、一日三回、いつもの食事の時間には野菜ジュースかコンソメスープをコップに一杯(二〇〇〜二五〇ミリリットル程度)、飲んでいます。胃が食事の時間や消化の仕方を忘れてしまうと困るからね。


【今日のよいニュース】
みっちゃまのオールナイトニッポン、愉しみだ。

2006年11月06日(月) 再断食(一日め)。

先の出張時に御世話になった先では「これでもか」とばかりにたらふく食べさせて頂いたものですから、多少胃拡張気味になったのではないかと思い、胃を縮小させるべくプチ断食をはじめます。
今日はまだ第一日めなので空腹感もなく、身体も元気一杯です。いまのうちに断食明けの食事を用意しておかなければなりません。腹が減ってへろへろになったら調理する気力もなくなるかもしれませんから。

先月から食事をローカーボ(低炭水化物)に切り替えて、夕食には豆腐を半丁と野菜を少し食べていました。豆腐は調理しなくても食べられて、安価で、旨くて、半丁も喰えば満腹になる上に熱量が少なくて、減量には適した食品です。しかし、そろそろ気温も下がってきて、冷や奴で食べるのはつらくなってきました。
そこで、つゆもの。
スープの類いも低熱量で腹が一杯になって野菜が沢山摂れるので減量に適しています。スープをつくって豆腐を投下、こうすれば豆腐を温かく食べられて野菜も摂れます。そうだそうしよう。

という訳で、早速買いものに出掛けて材料を買い込み、調理しました。つくったのは豚汁。基本は味噌汁なので小学校の調理実習を経験していれば誰でもつくれます。要は野菜を刻んで豚肉と一緒に出汁で煮て、最後に味噌を溶かせばいいだけ。
とは言え、自分で豚汁をつくるのははじめてだったので、ちょっとどきどきしながら調理しました。小一時間で仕上がったものを味見すると。

旨い。旨いものができてしまった。おれ偉い!

でも今日はこれ喰っちゃいけないんだよねー。それに旨いものができるのも良し悪しです。何故って旨いと沢山喰ってしまうからさ。
今日できた豚汁はあと二日寝かせて断食明けに食べます。豚汁はつくりたてよりも何度か煮返したものの方が白菜がとろけたり大根に味が染みたりして、ぼくは好きです。断食明けが愉しみです。


【今日のひしひしと】
ぼくの周りの人はどの人もみんな善良で、ぼくはとっても倖せです。みんな有難う。

2006年11月05日(日) 帰ってきた。

三日間の出張から帰ってきました。近畿北部へ行っていました。いつも被っているイージス艦「こんごう」のスコードロンキャップが「競輪場にいるおじさんチックにばっちり似合っている」とか、「湯呑みが似合う」とか、「座椅子が似合う」とか、いろいろ言われてきました。愉しかったです。

「帰ってきたウルトラマン」ははじめて地球に来たのに「帰ってきた」とか言われてかわいそうだと思います。「ウルトラマン」のウルトラマンと「帰ってきたウルトラマン」のウルトラマンは、別人です。


【今日の今後の予定】
取り敢えず、再びプチ断食。

2006年11月01日(水) ありがとさーん。

最近……そう、最近ですねえ。二〇代後半まではそうでもなかったのですが、最近は「有難う」と思うことが多いのです。思ってみれば身の周りの大抵のことは有難いことです。「有難い」と思えることそれ自体も有難い。いいことをしてくれる人も厭なことをしてくれる人もみんなみんな有難う!って気持ちでいます。

だから、先週後半辺りから風邪気味で、昨日今日とちょっと寝込んでしまいましたが、「風邪をひいたのもこの辺りでちょいと休みなさいっていうどなたかの思し召しなのかもしれんなあ、有難いことですじゃ」と思うことができています。
でも、全然原稿が進まなくてどうしようどうしようとあたふたしている真っ最中に、諸般の事情で締切日が繰り上げられてしまうという呼吸が止まるかと思った夢にだけは、「有難う」とは思えません。わたくしまだまだ小さいでしょうか。

今日の表題は坂田師匠風に。


【今日のうれしさの続き】
先日購入の白い丼は食卓にヴァライアティをもたらしてくれています。食事が愉しいって有難いね。


エンピツユニオン


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