2006年10月30日(月) じーりじりとー。
数日前のこの頁に、「リフティングベルトの穴が一ツ分余計に締められるようになった」というような内容のことを、確か書いたように憶えている。ベルト穴一ツ分、腰まわりが小さくなったらしい。巻尺で測ってみたら、確かにそうだった。
しかし、たいした変化ではないと思っていた。それが、今日久し振りに―――三箇月ぶりくらいに会った人たちに「肩がごつくなったね」、「顔が小さくなったね」、「お腹がすっきりしたね」とよってたかって言われた。もとい言って貰った。傍目に見て判る程度には身体が引き締まってきたようだ。トレーニングジム通いは決して無駄にはなっていないことが判ってうれしい。
ぼくは二年ほど前、或る媒体で小説を毎月連載していて、それを書いている間は原稿に掛かりっきりで、運動も食事もとても大変非常に著しくいい加減な生活をしていた。不健康窮まりない。その結果、一年で一五キログラムも肥ってしまった。生命の危機を感じた。
ぼくの父親は糖尿病が原因の腎臓癌で他界し、実姉も現在糖尿病を患って自分でインスリン注射をしている。糖尿病に罹りやすい家系のようだ。そのような家系に生まれ、更には定期的にホルモン注射をして身体に負担を掛けているぼくは、人一倍健康には気を付けなければならないのだ。
そういう訳で、ひしひしと危機感を覚えたぼくは連載執筆が終わった頃から自宅トレーニングをはじめ、自宅にある一〇キログラムのウエイトではもの足りなくなったその後はトレーニングジムに通うようになった。
二、三日に一回、有酸素運動とウエイトトレーニングを取り混ぜて二時間半程度の運動をするようにして、食事の制限も多少した。食事の制限の仕方はいろいろと試してみたが、一向に体型にも体重にも体脂肪率にも変化がなかった。しかし、今月に入ってから食事をローカーボ(低炭水化物)にしてみたらうそみたいなハイペースで体重が落ちはじめた。と言っても四キログラムほどしか変わらないのだけど。
それでも身体の変化は結構大きいようで、一昨年には身体の寸法が大きくなり過ぎてはけなくなってしまったズボンを昨日試してみたら、以前よりも楽にはけるようになっていた。ぱっと見ためには全然変わらないのに、たいしたものだ。
毎年、念のために病院で血液検査をして貰っているが、運動をする習慣をつけた御陰か、取り敢えず数値の上では健康だ。遠くへ出歩く体力もついた。持病の鬱も比較的出にくくなった。少しずつでも続けていればじりじりとでも変化は起きるのだな、と思った。
ところで、今日の表題を見て思わず歌ってしまった人、その歌を歌っていた人が現在、雑貨屋さんを営んでいることを御存知ですか?
【今日のささやかに】
いい御天気の日に洗濯ができるってことは、倖せだねえ……。
2006年10月28日(土) おじさん、丼に感動。
「チキンラーメン」というインスタントラーメンは、ぼくが生まれる前から世の中に出まわっていた。「湯をかけるだけで喰えるようになる魔法の食べもの」だった。ぼくも幼い頃からよく食べているが、ぼくが幼い頃のチキンラーメンは麺が四角かったように憶えている。
現在の円い麺に施されている「たまごポケット」加工も当時はなかった。だから、生卵を丼に入れると必ずと言っていい確率で卵は丼の端っこに落ち着く。
その上、蓋付きのラーメン丼なんてものはなかったから、大抵は鍋の蓋を代用することになる。するとどうしても丼と蓋の間には隙間ができて、そこから熱も蒸気も逃げてしまって、卵が熱凝固しない。結果、生卵を絡めてラーメンを喰うことになり、それはあまり旨いものではなかった。
だから、現在テレビCMで見るような、「卵が半熟になって麺の上に乗っかっているチキンラーメン」は当時のぼく等には夢物語であり、ぼくはこれまで一度も御目に掛かったことがなかった。
そのぼくの前に現れたのが「チキンラーメン&フタつき白いどんぶりセット」。チキンラーメン一ト袋と、チキンラーメンを喰うために最も適した規格の丼鉢が一ツのパッケージに入っている。
チキンラーメンを喰うための規格がどういうものかと言うと、蓋と丼の隙間が限りなく小さく、熱や蒸気が逃げない加工をしてあるため、生卵を乗せて調理した場合、いい具合に卵に熱が加わって半熟に仕上がるらしい。ぼくが幼い頃の夢物語を現実にしてくれる丼だということだ。
これがその「白いどんぶり」。
一九九〇年から起用されているというキャラクタ「ひよこちゃん」がワンポイントになった、シンプルな白い丼。
これに、チキンラーメンの麺を正しく真っ直ぐに収め、麺の真ん中に施された「たまごポケット」にそっと生卵を乗せる。
おお、収まり方がうつくしい。「たまごポケット」をはじめて利用したぼくはこれだけでも充分にうれしい。
そして、これが熱湯を注いで蓋をして、三分間待って蓋を開けた瞬間。
卵が、卵がちゃんと熱凝固している! チキンラーメンの麺の上で白く熱凝固している卵の白身を、ぼくは肉眼ではじめて見た!
……時代はこんなにも進んでいたんだね(´□`!)。
上の写真では卵の黄身までがきちんと半熟にはなりきっていないが、これはぼくが不精をして「丼を予め温めておく」という行程を省いたため。使用した湯の温度が冷たい丼に奪われて下がってしまい、卵に充分な熱が加わらなかったのだろう。手を抜かなければCM画像通りの仕上がりになるものと思われる。
丼のデザインもごてごてとした飾りも色もないぼく好みで、電子レンジ調理にも使える材質なのでとても気に入った。気に入った器を使うことで同じものでも更に旨く喰うことができるということを、ぼくははじめて体験したのではなかろうか。
三〇年以上生きていても、知り得たことなんてほんの僅かしかないものなんだなあ。まだまだ沢山のことを知る愉しみが残されているということだ。
【今日の著しくツボに】
ドラマ版「のだめ」に登場するミルヒのはげしいまでのインチキ外国人くささ。すごい。
2006年10月26日(木) お茶の間にて。
N○K教育テレビにて午後八時から放送の「
ハートをつなごう」という番組を見る。昨日と今日の放送はテーマが「性同一性障害」で、一箇月ほど以前にさるスジから今回の放送の情報を得ていたので愉しみにしていた。
「性同一性障害」についての理解を求めるときに厄介なことは「専門用語」が沢山あることだ。ぼくは、この特殊な言葉群が、理解しようとする人の邪魔をしているのだと思っている。だから、二年前に書いた「性同一性障害」が主題の小説の中でも、ぼくはその類いの言葉は一切使わなかった。
それに、理解を得ようとするときに、伝えなければならない情報量が多すぎるのも難点だ。一遍に沢山のことを言われても、大抵の人は理解できない。混乱するだけだ。
数年前まではテレビ番組で題材として取り上げられても、やはりこの辺りがネックになっていて、当事者ではない人には小難しいものが多かった。
しかし、今回の「ハートをつなごう」は上手に難しいことを省いて、でも大切なことを外さないように、当事者と非当事者それぞれの生の声を伝えていたのではないかと思う。
「性同一性障害」についての放送は昨日と今日の二回で、ぼくは昨日の放送を急用で見ることができなかったのだけど、再放送があるらしいので改めてその日に見ようと思う。
再放送は一一月一日(水)、一一月二日(木)、それぞれ午後一時二〇分から。
昨日今日の放送を見逃がしてしまった人はぼくと一緒に、ぜひどうぞ。
それにしても、会って話したことがある人たちがテレビ番組のメインゲストとして画面の中で喋っているのを見るのは、何だか不思議な気分だ。
【今日の順調】
ローカーボ(低炭水化物)生活は巧くいってますよ。
2006年10月25日(水) 懺悔。
夏から秋への季節の変わりめには、多くの人が体調を崩しやすくなる。持病がある人は尚更だ。精神面の病気もこの時期には具合いが悪くなりやすい。
その、季節の変わりめの不調の見本のように鬱症状がひどくなっていたぼくは、先月から今月の初め辺りまで寝たり起きたりを繰り返していて、一〇分後の自分が大丈夫か不調で動けないかの予想が自分ですらできない状態だった。
そんなときに、今月二二日に大阪で行なわれる大きなイベントに誘ってくれる人がいて、ぼくもそのイベントにはぜひ参加してみたかった。しかし、持病の調子が調子なので、出先で自分自身がしんどくなる可能性があるのも厭だし、しんどくなってしまって同行者や周囲の人に面倒をかけてしまう可能性も大きいのも厭だし、せっかくだが予めお断りしておいた。
そういうことがあったことを忘れた頃の、徐々に復調しはじめたぼくの許に観艦式乗艦券が届き、よろこびと昂奮に舞い上がりながら支度をしてぼくは横浜に出掛けた。洋上にいるぼくの、普段滅多に鳴らない携帯電話が鳴り、出てみると先に述べたイベントに参加中の人(月初に誘ってくれたのとは別の人)からだった。今日のイベントに参加しないのかと。
浦賀水道を航行する護衛艦の飛行甲板上でぼくはやっと思い出した。「今日は記念すべき第一回
関西レインボーパレードの日だ」。
「体調が悪いから大阪まで行くのは不安」と断っておきながら、当日のぼくはもっと遠いところまで行って浮かれていました。月初に誘ってくれた人、当日に連絡くれた人、関西レインボーパレードに関わった同志の皆さん、御免なさい&おつかれさまでした。
関西で放送された「関西レインボーパレード」のニュース(動画つき)【今日の明るい未来】
未来の「全自動洗濯機」は、汚れものの回収から洗濯・乾燥・たたんで箪笥に入れるまでを全自動でしてくれる。
2006年10月24日(火) 充実ぽん。
横浜駅からの夜行バスは二三日早朝に地元に到着した。帰宅して、先ずその日は洗濯だの掃除だのとやってしまわないことには休めないことをして、あとの時間は旅の疲れもあるし夜行バスの中ではもともと睡眠障害を持っているぼくはきちんと眠れなかったから、休んでおくことにした。
翌二四日つまり今日は、遠い街へ、しかも人が沢山いるところへ行ったことで、パニック障害を持っているぼくは他人さまよりも精神面の疲労がひどくて、きっと寝込むだろうと自分で予想していた。しかし、思いのほか元気だった。
朝は当たり前の時間に目覚め、寝覚めはすっきり、気持ちは充実して直ぐに身体を動かしたくなって早速トレーニングジムに出掛けた。いつも淡々とやる各種トレーニングが何だか愉しくて仕方がない。
トレーニングを終えて昼食を摂った後は、幾つかの用事のために地元市内を自転車で走りまわる。自転車を漕いでほぼ市内を一周し、何人かの人と会って話した。「人と会って話す」ということは鬱病を持っているぼくにはちょっとした重労働なのだが、この日はまったく平気。鬱症状が顕著なときとは別人のようだ、と他人さまに言われるまでもなく自分で思った。
夜には長いこと会っていなかった友人から「お茶でも」と連絡が入ったので、また出掛けて深夜までいろいろなことを沢山沢山話した。
何と、今日という日は食事の時間以外の寝るまでの時間はずっと外出していて、しかも身体を動かしているか人と話しているかのどちらかだった。非常にアクティヴな一日だった。寝込むどころではなかった。
何より気力が充実していて、やっていることの一ツ一ツが愉しかった。横浜に行く前の、取り敢えず不調ではないがいつ不調になるか判らない不安をいつも何処かに感じていた自分とは、明らかに違う。ぼくの中の、何かが切り替わったみたいだ。
改めて思う。行ってよかった横浜。有難う横浜。
【今日のいいこと】
愉しそうな人を見るのは愉しい。
2006年10月23日(月) 横浜(街篇)。
二一日土曜日の夜に出発する夜行バスに乗って、生まれてはじめて横浜市に寄せて頂いた。到着は二二日の早朝だった。
横浜市は二〇年以上も前からぼくの憧れの街だった。ぼくがはじめて自分の小遣いで買った文庫本は或る映画のノベライズ版だったのだが、その小説の舞台が横浜だった。ミナト・ヨコハマ。マリンタワー。山下公園。氷川丸。旧いものを大事に残し新しいものを広く受け容れる粋でハイカラな街。それがぼくがその小説を通して知った横浜という街だった。
その小説はぼくにとって特別な作品でもある。その作品を模倣することからぼくは文章を書く練習をはじめた。その作品がなければぼくはいま頃、小説を書いてはいなかったかもしれない。創作の題材に横浜という街を取り入れたことはまだないが、小説に限らずぼくが何かを書くときにはいつも何処かにかの街を感じているように思う。
だから、行ったこともないのに親しみを感じる街だった。一度は行ってみたい街だった。しかし、二〇年以上もの間、その機会は得られることがなかった。
それが、今年まさかの幸運で、海上自衛隊観艦式乗艦券を入手することができた。観艦式については昨日付の当頁に既に書いたのでそちらを御覧ありたい。ぼくが入手した乗艦券が指定した艦は、横浜市の瑞穂埠頭から出ることになっていた。観艦式予行演習を見学できるのも横浜という街を訪れることも、千載一遇の機会だ。乗艦券が思いがけず自宅に届いてからぼくは慌てて旅の支度をした。
移動手段は夜行バスを使うことにした。地元の鉄道駅から横浜駅まで直通で、鉄道を利用するよりも時間は掛かるが料金が安い。そのバスの時間に合わせて日程を組もうとすると、観艦式日程を終えてから復路便発車までの時間が四時間ばかり空く。この時間を利用して街を見ようと思った。
いまはインターネットという便利なものもあって、観光情報を集めるのも比較的簡単だ。だがぼくには横浜という街をよく知っている知り合いがいた。
桜井弓月さんである。以前に仕事を御一緒させて頂いたことがある。とはいえ、インターネットを介してしかお互いを知らないのだけど。
桜井さんは横浜市在住の作家。御作に横浜の街を描写したものがあり、それを拝読したぼくは古くからのかの街への憧れを更に強くしたものだった。この人に訊ねない手はない。多少厚かましいかとも思ったが、ぼくは早速メールで「横浜初心者が見るべき横浜を教えてほしい」と連絡を取った。
桜井さんはとても親切で、直ぐに丁寧な解説を綴ったメールを返信してくださった。それに従ってインターネット上の観光情報を閲覧してみると、如何にも愉しい。訊ねて正解だった。しかも頂いたメールのお終い近くにはこう添えられていた。
「よろしければなのですが、衛澤さんが横浜巡りの計画を立てられてみて時間が空きそうでしたら、ご一緒にお食事でもいかがでしょうか。
せっかくの機会ですし、実際にお会いできるチャンスも滅多にないでしょうから。」
何と! うら若き乙女から食事のお誘いを受けるとは! おじさん吃驚だ!
「ぜひ御一緒に!」とパソコンモニタに向かって声に出して言ってしまったさ。実は御作やサイト日記等を拝読していて一度お会いして御話してみたいと、ぼくもずっと思っていたのだ。でも「そっちに行くから会ってくれんか」というのはあまりにも図々しかろうと、言うに言えなかった。そこへ持ってきてのお誘いなのでこれは二ツ返事で承諾しなければなるまい。
モニタに向かって口頭で返事をしてから、改めて「ぜひよろしく」のメールを送信した。舞い上がって書いたので、送信した後で「失礼なことを書いてはいなかっただろうか」と少し不安になったりした。
その後数通のメールをやり取りした後、お会いすることが実現した。直前に頂いたメールでは、プライベートの連絡先を教えてくださった上で「当日、何かお困りのことがありましたら、待ち合わせの件でなくても、横浜にお着きになった朝の時間帯でも構いませんので、どうぞ遠慮なくご連絡下さい。」というこの上なく親切な御心遣いをくださった。何て親切で行き届いた人なんだろう、とひたすら感心する。
観艦式のついでに街を歩いてみよう、と日没後の日程はほんとうに「おまけ」くらいに考えていたのだが、実際には昼も夜も同じくらい重要かつ有意義な時間となった。
待ち合わせは横浜駅改札口前で、現れた桜井さんはほっそりとして、可憐な人だった。どれくらい可憐かと言うと、御姿を拝見した途端に「可憐だ」と小声で呟いてしまったほどだ。土産ものを買うのに付き合って頂いた後、地下街で食事を御一緒することに。
地図を見ながら「何が食べたいですか」と訊ねてくだすったので、ぼくは「中華がいい」とお答えした。観艦式予行を終えた艦が入港するときに、街から中華料理の旨そうな匂いが押し寄せてきてぼくの胃袋を鳴らしたからだ。では、と地図を見つつ店に向かったのだが、暫く地下街を徘徊することになった。
ぼくも桜井さんも、二人揃って地図を見ながらでも迷ってしまう方向音痴だった。
何とか無事に辿り着いた店はラーメンと餃子の店。席に着いたところで名刺交換。シンプルかつかわいらしいデザインの御名刺を頂いた。白い紙面にピンク色の桜の花が流れるように散っている。その優雅さは「桜井弓月」という御名前に似合っているし、御本人にもよく似合っている。
それから、横浜の街について簡単な質問などさせて頂くことから、話をはじめる。桜井さんはほんわかとした喋り方をなさる人で、暴走しがちなぼくの話をにこにこしながら聞いてくれて、上手に相槌を打ち、笑ってほしいところで笑ってくださる。はじめて会う人と話すときにはぼくはひどく緊張しがちなのだが、桜井さんは他人を緊張させない雰囲気を漂わせていて、ぼくははじめて話す気がしなかった。
これと言ったテーマを決めることもなく、ラーメンと炒飯のセットをずるずるがつがつやりながら、思いつくままにぼくは喋った。相手によっては話題の取り方やネタの混ぜ方で怒られたり厭がられたりすることもあるので、ぼくはときどき「こんなことを話していいのかな」と訊ねたが、すべておおらかに許してくだすった。些末なことにこだわらない人らしい。とても有難い。
街の話、観艦式の話、仕事の話、家族の話、漫画の話、Jの人(笑)の話、どんな種類の話題にも、たとえヲタクっぽい話にでも食いついてくれるし、聞くばかりでなく突っ込みも入れてくれるしいろいろと話題を提供してもくださるので、話してとても気分がよかった。一〇歳ほど年令が違うので話が合わなかったらどうしようかと思ったりもしたが、杞憂だった。お会いできてよかったと、ほんとうに思った。
店内にぼく等以外の客がいなくなるまで話した。二時間ほどだっただろうか。桜井さんに許された時間一杯まで話し込んでしまい、それにぎりぎりで気付いたぼくがそれを告げると、桜井さんは「あっと言う間ですね」と仰った。うれしかった。二時間と言えば映画一本が見られる時間だ。その長い時間を短く感じて頂けたということは、ぼくと話すことを愉しんで頂けたということだと思っていいのではないだろうか。よかった。ほんとうによかった。
遅くまでお引き留めしてはいけないので、話はそこまで。店を出ましょうというところで桜井さんは何と兼ねて御用意の御土産を手渡してくだすった。何ということでしょう。お休みの日にお付き合いくだすった上に御土産まで。御世話になりっ放しだ。
重ね重ね有難うございます。頂いた横浜銘菓、おいしく頂きました。少しずつ喰えばいいのに一日で喰ってしまった。だってほんとに旨かったんだ。
横浜に行ってよかった。ほんとうにそう思う。まだ街を見てまわるということはできていないが、ぼくは横浜という街を以前よりもっと好きになった。愉しい体験ができたからだ。日中も日没後もほんとうに愉しかった。お別れ際に「また呼んでください」と言うと、桜井さんは頷いてくだすった。つくづくいい人だ。
必ずもう一度横浜を訪れたいと思っています。そのときにはメールで勧めてくだすった街を一緒に歩いてください。そして、これもお勧めの豚角煮まんを一緒に食べましょう。これはぼくが奢ります。よろしく、桜井さん。
……あ、何か恋文みたいだ(^_^;)。
ちなみに御案内頂いて買った土産ものはこれ。
「
シュウマイくんとギョーザちゃん」という、横浜名物をキャラクタ化したもの。写真はシュウマイくんキイホルダー。これはオーソドックスな白色だが、ほかに緑色や赤色や黄色など、風水にちなんだ色のものがあった。
白色以外は焼売だと判りづらいのが難点か。頭の天辺にはグリンピースが乗っている。
2006年10月22日(日) 横浜(洋上編)。
横浜市に行ってきました。横浜という街とぼくとの関係については明日付の記事に譲って、先ずは観艦式について。
海上自衛隊の観艦式は三年に一度行なわれます。観艦式とは、海上自衛隊の各種艦艇及びその他装備や自衛官の練度を、自衛隊最高指揮官である内閣総理大臣や国民に見て貰う式典です。主に装備品展示と訓練展示で構成されます。
装備品には兵装品だけでなく艦艇や航空機なども含まれます。「展示」と言っても置いてあるものを勝手に見てくださいというものではなく、自衛官が日頃の訓練の成果として実際に動かしてみせます。訓練の成果、つまり練度も展示するもののひとつです。訓練展示も同じことで、洋上航行や海中からの浮上のほか砲雷射撃や空中爆撃なども実演してみせます。
何故、三年に一度かと言うと、陸上自衛隊の観閲式と、航空自衛隊の観閲式と、一年に一度ずつ交替で行なうからです。海上自衛隊の場合だけ観閲式と言わないのは、主に艦と艦隊行動の練度をを観て貰う式典だからです。予行演習が二回と式典本番が一回行なわれ、それぞれの参加艦艇に民間人も乗艦することができます。但し民間人の乗艦は乗艦券配布の抽選で当選した者に限られます。
観艦式参加艦艇乗艦を希望する者には、葉書もしくはインターネット上からの申し込みをして抽選の結果当選すると、このような乗艦券が送付されます。
上図は艦艇が停泊する港構内に入る際に提示して、半券をもぎった後のものです。自衛隊が回収する半券には住所、氏名、年令、性別が明記されていて、記載の本人以外は乗艦拒否の対象となります。
乗艦券を提示した後は、空港に設置されているのと同じゲート型の金属探知器をくぐって、更に手荷物検査を受けます。軍事機密を盗まれたり爆破されたりしてはいけないので、厳しくチェックされます。
この日、ぼくが乗艦を許されたのは護衛艦「まつゆき」。艦番号130、全長130メートル、排水量3050トン、速力30ノット。兵装は62口径76ミリ速射砲1門、74式アスロック(対潜水艦ロケット砲)1機、20ミリ機関砲2門、68式3連装短魚雷発射管2門、対艦誘導弾(ハープーン)8門、短距離対空誘導弾(シースパロー)1機。
上の写真は「まつゆき」の上甲板から見た、前方(艦首側)に停泊中の護衛艦「さみだれ」(左)と試験艦「あすか」(右)。「あすか」へは「さみだれ」から桟橋が架けられていて、「あすか」に乗艦する人は「さみだれ」の甲板を通り抜けてそれを渡ることになります。
「まつゆき」も護衛艦「さわゆき」と並行して海側に停泊していて、「さわゆき」を通り抜けて乗艦しました。港から「さわゆき」へ、「さわゆき」から「まつゆき」へ、2回桟橋を渡ったということです。
この日は一日曇天との予報でしたが、時折雲間から陽が差し込んで「ヤコブの梯子」が見えました。
並んで停泊している2隻の間はこんな感じ。隙間なんてほとんどないくらいにぴったりくっついています。写真中程に見える2本ずつ並んだ筒はハープーン(対艦ミサイル)発射装置。左右両舷に装備されているもので、「さわゆき」の右舷のものと「まつゆき」の左舷のものとが並んで映っているのです(艦首側から艦尾側に向かって撮影)。
上図は「あすか」出港作業の様子。どのような秀れた艦艇もタグボート(曳航船…右側に写っている小さな船)の協力がないと入出港ができません。タグボートに引っぱって貰ったり押して貰ったりしてバース(港の岸壁)から離れたり寄ったりするのです。航空機を飛ばすのはパイロット一人の力ではないのと同じです。
観閲は各7隻からなる観閲部隊と観閲附属部隊が各一列縦隊で並行に航行している間を、対面から航行してくる8群23隻からなる受閲部隊、3隻からなる展示艦艇部隊、8群9機からなる受閲航空部隊が、それぞれ通り抜けるというかたちを取ります。ぼくが乗艦した「まつゆき」は観閲附属部隊の先頭から2番めを航行していて、その後ろには護衛艦「あぶくま」、潜水艦救難艦「ちはや」ほか3隻が続いてきます。
上図は「まつゆき」の艫(艦尾)に掲げられている艦旗越しに見える「あぶくま」と「ちはや」。航行する艦を艦首から見るのはめずらしい経験です。ぼくははじめてでした。
観閲部隊・観閲附属部隊と受閲部隊が擦れ違って観閲が行なわれるのだということを民間人のお子さんに説明している二尉殿。「二尉」とは「二等海尉」、旧海軍で言う中尉殿です。澄んだ黒色ネイビーブラックの常装第一種制服(冬服)の袖に光る階級章が恰好いいですね。水平線上にはこちらに向かってくる受閲部隊の艦影が見えます。
航海中は幹部(士官)も曹士(下士官・兵)も大抵作業服を着用するのですが、この日は観艦式という式典(の予行演習)なので正式な服装である常装を着用しています。
さて、これからが艦艇・訓練展示です。
観閲部隊旗艦(一番偉い人…今回の場合は内閣総理大臣が乗艦する艦)である護衛艦「くらま」の前方45度の位置を基準点として、先ず受閲部隊第1群3隻が祝砲として5インチ短装速射砲を撃ちます。砲が火花を吹いた数秒後にドン!と轟音が空気に響きます。
続いて後続の第2群がボフォース対潜ロケット弾発射、第3群艦載回転翼機(SH-60K哨戒ヘリコプター)発艦、第4群旗艦を除く潜水艦3隻によるドルフィン運動(急速潜行・浮上)、第5群補給艦「ときわ」による洋上補給、護衛艦「はるさめ」によるIRフレア(熱源追尾ミサイルを騙す燃焼剤)発射、護衛艦「やまゆき」による甲板散水(生物化学兵器を使用された際に艦体を洗浄する)、第6群ミサイル艇・LCAC(水陸両用ホバークラフト)高速航行、救難航空機US-1A離着水(US-!A機は超低速飛行と洋上に降りたり洋上から飛び立ったりができる)、対潜哨戒機P-3CによるIRフレア発射と対潜爆弾投下、等々が行なわれます。
何れもこういう機会にしか見られないめずらしい展示で、それが近接距離で見られるために非常に昂奮しました。特に潜水艦の、喫水線が明らかに見えるほどのアップトリム(仰角)での急浮上や、P-3Cから落とされた対潜弾が海中で爆発したときに上がる大きな水柱や自分が乗艦している艦体に響く爆圧は、写真や映像では体感できない迫力があって、何と表現しましょうか、一ト言で言うなら「たまらん!」
それなのに、訓練展示の写真が1枚もここにないのは、観艦式に参加できることで舞い上がったぼくが出港時から携帯電話のカメラ機能でばしばし写真を撮りまくって、訓練展示がはじまる頃には電池切れでカメラが使えなくなるという間抜けたことをしてしまったからです。
でも、観艦式の様子はきっと再来月号辺りの「
世界の艦船」に特集記事として掲載されるでしょうからそちらを御覧ください。まあ何てひどいオチ。
代わりと言ってはナニですが、雑誌等ではおそらく見られない写真を1枚。
「まつゆき」の艦内食堂から見る厨房です。ここで給養員(調理師や栄養士の資格を持った自衛官)が乗員180名分の食事を毎日つくるのです。
2006年10月20日(金) 鋭意準備中。
「いつもと違う」ことがたったいまではなく少し先にあると、それがいいことでも厭なことでも落ち着かなくなって、ひどくするとパニック発作を起こしてしまうこともある衛澤です。
今日は発作を起こすほども焦ってはおりませんが、少々緊張しています。明日はちょっと忙しいのです。
明日二一日は県の催しに性同一性障害当事者として参加します。ビッグ愛(という名前の建物があるのです)の二階にある人権ギャラリー・研修室で、久し振りに背広を着て人前で喋ります。うー、緊張するなあ。
催しは午後一時からはじまり、ほかの参加者の皆さんに混じってのことですが、私が喋る順番はおそらく午後二時前辺りにまわってきます。近隣地域にお住まいの方で御時間等に余裕のある皆さんはぜひお立ち寄りください。
催し後半には交流コーナーもありますので、その時間まで残って頂ければ衛澤に直接さわったり話しかけたりもできます。御遠慮なくどうぞ。
夕方まで上記催しに参加した後、夜行バスで横浜市に向かいます。翌二二日に海上自衛隊観艦式の予行がありまして、横浜市の港から出る参加艦艇に乗艦させて頂くために行くのです。八時間もの間、洋上にいる経験などこれまでになかったものですから、これにもちょっと緊張しています。
その夜には現地で或る人にお会いする予定が入っています。以前から交流はあったものの直接お会いするのははじめてなので、これもどきどきしています。これは遠足前夜に似た愉しいどきどきですが。
その後は同じ日のうちに再び夜行バスに乗って帰郷、翌二三日の朝に到着予定です。少し休んでから、その夜には市の催しの説明会に参加する予定が入っています。わあ、忙しい。
このようにこの週末から週明けに掛けては予定が詰まっていて、そのための準備にただいま大わらわです。書きかけている三〇〇枚口の原稿も気になって仕方がないし、あああ。
このような次第ですので、明日から週明けまではこの頁の更新は、多分できません。御了承ください。
【今日のこよなく】
ぽよ毛ラヴ。
2006年10月19日(木) うまうま。
ビスケットを一ト箱貰った。
ビスケットは好きな菓子だが自分で買ってまでは食べない。幼い頃は「マリー」だとか「チョイス」だとか「ムーンライト」が好きで、やはり自分では買わなかったが、二人いる姉たちがどちらもこういう菓子が好きでよく買っていたので分けて貰って食べていた。
前述の銘柄のビスケットは人気商品らしく、現在も絶賛発売中である。
今回貰ったのは「
マリー」。やっぱりいまでも好きだ。そのまま食べても旨いし、ぼくは湿気ってふにゃふにゃになったものも好きだ。アイスクリームを挟んで食べたりする人もいるらしい。
これを貰ったので、レアチーズケーキをつくってみることにした。
何故ビスケットを貰ってチーズケーキなのかと言うと、「ビスケットを砕いてチーズケーキの台にする」という記事を以前に読んだ記憶が残っていて、やってみたくなったからだ。
ビスケットは粉々に砕いて、溶かしバターを染み込ませてケーキ型に敷き詰めるのが当たり前のつくり方らしいが、我が家にはバターというものがない。嫌いな訳ではないが買わないことにしている。要はビスケットがしっとりすればいいのだろうと考えて、バターでなく豆乳を混ぜてみた。ケーキ型も我が家にはないのでグラタン皿で代用。
そのビスケットの台の上に、クリームチーズと生クリームを等量ずつとその半量のヨーグルト、レモン汁少々を混ぜてよく練ったものを流し込んで冷やせば簡単レアチーズケーキのでき上がり。
……旨い! 見栄えは決してよろしくないが、旨くできた。ビバビスケット、ビバおれ! 思わず万歳。
ケーキ屋のケーキに引けを取らないとまでは言わないが、少なくともスーパーマーケットやコンビニエンスストアで売られているものよりは旨い。……って、ビスケットとクリームチーズと生クリームにヨーグルトと、喰って旨いものばかりを混ぜたんだから旨くて当たり前だよなあ。
これ等の材料でつくる場合は砂糖は一切要らない。ビスケットが甘いからだ。ビスケットの甘味とクリームチーズの酸味で丁度いい味になる。出来合いのホイップクリームを使うなら尚のこと。
ケーキ専門店で買うより安い値段でワンホールのケーキができてしまうのでお得と言えばお得だが、一人暮らしの者がこれをやるとワンホール全部を一人で喰わなければならない訳で。
【今日の聞き耳】
トレーニングジムに集まるボディビルダーの皆さんの雑談によるとEMSよりロデオボーイだそうだが、そんなものを使っている暇があったら腹筋運動やれってさ。
2006年10月18日(水) ふくらんだ。
昨日発酵させたパン生地は、そろそろ気温も下がってきたが室温でも充分にふくらんで、拳大のパン四ツになった。使った強力粉は100g。
パンの中身はハムとチーズ。安いチョップドハムとおやつ用のカマンベール「入り」プロセスチーズだ。我が家にはオーブンがないので電子レンジ用の蒸し器で蒸かした。ちゃんとふわふわのパンになった。
つくり方はとても簡単で、ぬるま湯にドライイーストと塩、砂糖、油を溶かして、これで強力粉をこねて二度発酵させたものを蒸かせばよろしい。
もともとこのつくり方は中華まんのつくり方として教わった。もう一〇年ほど前のことだ。当時ぼくは会社員で、その勤め先に製菓学校を出たという人がアルバイトに来ていた。この人は製菓師の資格を持ち、菓子づくりを学ぶために独逸に渡ったこともあるという本格派だった。
その人が直々に手書きで教えてくれた中華まんレシピが以下の通り。
とても丁寧に書いてくれていて、この通りにつくって旨い中華まんができたことがとてもうれしかった。御裾分けと言ってはおかしいかもしれないが、書いて貰ったそのままをここに転記しておく。
仮名遣いなども原則原文ママである。
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中華まんじゅう−包子−
材料(12個分)
〈※転記者註……肉まん6個、あんまん6個ができる分量〉
〈皮〉
強力粉 カップ3
薄力粉 カップ2
砂糖 大さじ1
塩 小さじ1/2
ぬるま湯 カップ1と1/4
ドライイースト 小さじ1
〈あん〉
◆あんまんの場合
あずきあん 300g
ラード 大さじ3
塩 小さじ1/2
◆肉まんの場合
豚ひき肉 100g
白菜 2枚
しょうが汁 少々
ねぎ(みじん切り) 少々
しょうゆ 小さじ2
塩 小さじ1/2
ごま油 大さじ1
ラード 大さじ1
化学調味料 少々
−作り方−
1.小さい器にイーストを入れ、ぬるま湯(約45℃)カップ1で溶き、砂糖、塩、ラードを加えて溶かし、ふるった小麦粉に注ぎ箸で混ぜつつまとめる。
2.全体がまとまったら手でこね、耳たぶくらいのやわらかさでなめらかになるまでよくこねる。
3.上にぬれ布巾をかけ、約30℃の温度のところに置いて約1h半ねかせる。
〈※転記者註……h=時間(hour)〉
4.丁度2倍くらいに発酵してきたらもう一度よくこねてガスを抜く。
5.棒状にのばしφ5cmの太さに12等分する。しばらくそのままにし再度発酵させる。
〈※転記者註……φ=直径〉
6.めん棒か手のひらで軽く平らにのばしφ約12cmの大きさにめん棒でのばす。
7.あずきあんは鍋にあんを入れ、ラード、塩を加えて火にかけ、よくねってから冷まし、6個にまとめる。
肉まんは、豚ひき肉にねぎ、しょうが汁、ゆでた白菜のみじん切り、しょうゆ、塩、ごま油、ラード、化学調味料を加え、6等分する。
8.皮の中央に各々を置き、ひだを寄せながら包む。
9.肉まんはひだを上にし、あんまんはひだを下にし、手で形を整え、もうしばらく発酵させてからせいろに間隔をおいて入れ、あんまんは20m、肉まんは15〜20m、強火でいっきに蒸す。〈※転記者註……m=分(minutes)〉
(↑絶対せいろ、それ以外は邪道というわけではない。そんなもの必ず各家に備わっている筈はないので蒸し器で良い。)
〈※転記者註……以下はレシピに添えられた点心についての基礎智識〉
中華まんじゅうは点心に分類される。
点心とは簡単に言えば軽食とかおやつだが、正確には中華料理のなかから前菜や料理、或いは酒の肴を除いた軽食類の総称。
点心を大きく分けると
ご飯もの(飯)……点心ではあるが主食もしくはそれになり得るもの。
麺類(麺)……日本のそばやうどんと同様のもの。
粉もの(粉)……小麦粉やその他の穀類の粉を使用したものの総称。
デザート・お菓子
となるのだ。
これを細かく分けると
飯……炒飯、粥、中華丼など
麺……あえそばなど
粉……餃子、焼売、わんたん、包子など
デザート・おかし……これはもう見たり食ったらわかる。いわゆるデザート・お菓子なのだ。読んで字の如し。
----------------------------------------------------- ここまで↑
「肉まんのつくり方を教えて」と言っただけで、かの同僚は便箋二枚を使ってこれだけ書いてくれた。教え方が上手で丁寧だ。この通りにすれば誰でも旨い中華まんがつくれる。少し手間は掛かるが、かじった途端に肉汁が溢れてくる肉まんなんて、出来合いを買ってきたのでは食べられない。
余談だが、ぼくは肉まんの餡には白菜でなくキャベツを、挽肉は豚と鶏の合い挽きを使う。ちょっと淡泊な味になる。
このほかにも、チョコレートケーキのつくり方やプリンのつくり方、常々疑問であった「クッキー」と「ビスケット」と「サブレ」の違いなど、沢山教わった。ぼくが現在、パンや御菓子を自分でつくろうと思ったり実際につくったりするのは、家庭科の授業で教わった御陰よりはこの人の御陰だと言うべきだろう。
あなたと一緒に働いた時間は短くて、しかもそれから一〇年以上が経っているけど、ぼくはいまでもあなたに教わったことを愉しく実践しているし、あなたに教わった智識を大切に思っているし、教えてくれたあなたに感謝しています。
あなたがいまも元気でありますように。
【今日の長短】
同じ「裾五厘」という指定をしても、以前通っていた理髪店といま通っている理髪店では仕上げの長さが違う。いま通っている店は以前の店より料金が一〇〇円安いから一〇〇円分長く残すのか?
2006年10月17日(火) ふくらむ。
先日、自宅でフォカッチャをつくってみたが生地の発酵が巧くいかなかった。この話はこの頁にも書いたので憶えておられる方もおいでかと思う。
あれから、巧くいかないのがどうにも口惜しくて何度かつくり直してみた。やはりどれも駄目。一旦は諦めたのだが、過去に巧くいった方法でつくって今般巧くいかないことにどうしても納得できていなかったようで、また気になりだした。仕事も手につかなくなってくるので、さっさと再試してみた。
できた。きちんと発酵して生地はふくらんだ。先日と同じ材料で同じ工程でやってみたが、巧くできた。唯一先日と違うのは、ドライイーストを新しく買ったことだ。
市販のドライイーストの中には「はずれ」があって、それを使うと巧く発酵しないのだ、と或る料理研究家氏のWebサイトに書いてあった。先日のぼくはどうもそれに当たっていたらしい。
「はずれ」というのは不良品ではなく、売れ残って店舗の棚で古くなってしまったもののこと。食べても害はないが、できるだけ店頭で製造年月日を確かめて新しいものを買わなければならないということだ。
試作が巧くいったので改めて生地をこねて、今度は中にハムだのチーズだの具材が入ったパンにしてみようと計画。ただいま発酵過程の真っ最中だ。
【今日の急な話ですが】
週末に大勢の前で喋ることになりました。久し振りだけど巧く喋れるかなあ。
2006年10月16日(月) こーん。
今日、トレーニングジムからの帰途上でやたらに食べたくなったのはスイートコーンだった。缶詰を買って帰宅。生のとうもろこしを買うより安くて手間が要らない。
帰宅直ぐに缶を開ける。運動した後だったので腹が減っていて、あっと言う間に喰ってしまった。旨かった。それで腹がふくれてしまって、夕食は喰わずに済ませた。
喰いたいときに喰いたいものを、沢山ではなく適当量喰えるというのはとても倖せなことだと思った。
この二年ほどは、自分が喰いたいものが何か判らないという不思議なことも少なくなかった。自分のことなのに判らないのは非常に厄介だ。喰いたいものが明確に頭の中に現れるということは有難くすらある。
【今日のほんとだ】
うわー、ほんとに「ぎゃぼーっ」って言ってるぞ。本編は如何に。
2006年10月15日(日) ぼちゃ。
窓外はさわやかな秋晴れだったが、今日は一日中自宅で集中して原稿作業。枚数はあまり増えなかったが、少し前までは鬱症状のために散漫になりがちだった意識が持続して集中するようになってきた。いい兆候だ。
集中して書き進んでいくと、何故だか無性に南瓜が食べたくなった。書いているものに南瓜が出てきたり南瓜を連想させる話だったりする訳では一切ない。そのうち食べたくてどうしようもなくなってきたので買いものに出掛けた。
直ぐに食べたかったので出来合いのものをと思っていたが、煮付けたものは売られていなかった。しかしどうしようもなく食べたいもので諦めがつかない。生の南瓜二分の一個を買って帰る。
行きつけのスーパーマーケットと自宅を結ぶ途上には洋菓子店があり、その店先にはジャックランタンの風船人形が飾られている。そう言えばそろそろ万聖節だ。南瓜をまる一個買ってくり抜いてランタンにしてから煮付けてもおもしろかったか、と考えた。
さて南瓜だが、実はぼくは生の南瓜を調理するのは一七年ぶりだ。実家に住まわせて貰っていた頃に夕食の総菜として煮物を拵えたことがあるが、一ト口大に切り分けるのが固くて苦労した憶えがある。それ以降は「南瓜」=「固くて調理しづらいもの」という図式がぼくの頭には固定されていて南瓜を調理しようと思うことがなかった。
だが、案外簡単に南瓜は煮えた。味も巧くついた。一七年前と何が違うかといえば電子レンジを利用したことだ。一七年前にも電子レンジという家庭用調理器具は存在したが、当時は電子レンジは「冷えたものを温める」機械であって下拵えや調理に使う機械ではなかったのだ。
調理に取り掛かる前に買ってきた南瓜をそのまま(包装は外す)電子レンジで五分ほど加熱するとやわらかくなって、切り分けるのも皮を削ぐのも簡単なら煮る時間も短くて済む。煮る工程にも電子レンジを使っても構わないが今日は鍋で煮た。仕上げに水分を飛ばすために乾煎りしたかったからだ。
そうしてできた南瓜の煮物は夕食に食べた。旨かった。何故いま南瓜をこんなにまで食べたくなったのかは判らないままだが旨かったからいいんだ。
【今日の仕方ないでしょう】
冷たい冷や奴は苦手なんだ。
2006年10月14日(土) これから。
なかなか書き出しが決まらなかった三〇〇枚口原稿の方向性が定まり、一〇分の一程度書き進みました。最初の一〇分の一辺りというのはぼくの場合は、主要人物たちにぼく自身が慣れるための場でもあります。慣れないうちは巧くは書けないので何度も書き直します。ひどくなると第七稿や第八稿くらいが決定稿になることもあります。
その部分の概ねのかたちが決まったので、これから執筆のペースを上げていきます。筆の調子がよすぎるとこの頁の更新が滞る場合があります。だからと言って、毎日きちんと更新されているときは筆が滞っているって訳ではないです。多分。きっと。
来週末に遠方に出掛ける予定があるので、それまでにもっと書き進んでおきたいと考えています。時間を詰めて執筆作業をする予定です。更新が少なかったら御免なさいです。
【今日の開き直り】
おじさんがかわいいもの好きだったり甘いもの好きだったりしちゃいけませんか。
2006年10月11日(水) ない!
絞っても何にも出てこないときっつーのは、あるのな。今日は、そんな日。
【今日のバクゼンと】
「ぐんぐん群馬のうんまい牛乳」を飲んでみたいさ。
2006年10月10日(火) そんなバナナ。
なとりのバナナチップス、うめー。はじめて喰って、吃驚だ。
バナナブーム到来。生バナナもバナナラッシーもバナナプリンも旨い。
でも口が寂しいときは干し貝柱を喰う。少ない量で沢山噛んで満腹になるし、タウリンが摂れるので疲れにくくなる。難点はちょっと高価なことだ。
【今日のいい感じ】
ショコライフはちょっとだけ食べたいときに有難い。
2006年10月08日(日) 静かな。
運動会の季節。たまたま門前を通り掛かった近所の保育園も今日が運動会。門扉越しに入場行進している園児たちが見える。そして聞こえてくる行進曲は「笑点のテーマ」。
行進している園児たちの心境や如何に。
カンパンを食べながらテレビを見た。自分がカンパンを咀嚼する音がうるさくてテレビの内容が判らない。
「カンパン」とは「缶パン」ではなく「乾パン」のこと。だから缶に入っていなくても「カンパン」なんだよ、と言うと思いのほか感心して貰える。誰でも知っていることだと思ったがそうでもないようだ。「イシャリョウ」は「慰謝料」であって治療費つまり「医者料」ではない、という話に似た話。
「やる気満々でも身体が疲れていると思うように動けない」を実体験。六〇キログラムを挙上している真っ最中に不意にに身体から力が抜けて慌てる。無事にウエイトを下ろした後「力を吸い取ったのは誰だ!」と辺りを見まわす。
ストローで吸い取られたみたいな力の抜け方だった。
【今日の思い立って】
秋刀魚飯を炊いて喰わなければ。
2006年10月07日(土) うまいうまい。
昨夜は十五夜だった。台風の影響で大雨の日が続いていた当地方も夜には雨も上がり、きれいな月が出た。ベランダに干した洗濯もの越しに月を見ながら、串団子を頂いた。
三本入りの串団子。一本は御三時に頂き、同じものをもう一本、月見の友に頂く。御三時に頂いたときには「ちょっと期待外れだ」と思った団子は、月を見ながら頂いたときには別のもののように旨かった。風がとても強くて沢山の雲が流れて月を隠していたが、時折訪れる雲の切れ間に見えた月は円くて白く透明に光っていて、きれいだった。
団子の残りの一本は、今朝の朝食になった。
さて、話はまったく変わるが、今日の午後のこと。トレーニングジムでリフティングベルトを締めてみたらば、月初の断食前よりも穴一ツ分余計に締まった。穴一ツ分と言えば五センチメートルはある。それだけ腰まわりが縮んだらしい。断食の効果だろうか。
帰宅してから巻尺で計測してみたら、確かに朔日よりも五センチメートル小さかった。誤差と呼ぶには大きすぎる違いだから、ほんとうに寸法が変わったのだろう。
ぱっと見はまったく変わっていないけど。
【今日のいま更ですが】
普通のものはあまり好きではありません。外して外して。
2006年10月06日(金) うそのような。
一通の葉書が届いた。差出人は海自の横監。「カイジのヨコカン」とは何のことかと言うと、海上自衛隊横須賀地方総監部のこと。海上自衛隊は自衛艦隊と五ツの地方隊で構成されていて、横須賀地方総監部は五ツの地方隊のひとつである横須賀地方隊の中枢部分。簡単に言えば事務所。
さて、その横監から届いた葉書が一体何なのかと見てみれば、何と!
平成一八年度観艦式乗艦券!
三年に一度しか行なわれない観艦式。参加艦艇に乗艦させて貰える民間人の人数なんて限られている。乗艦申込をしたものの、よもや当選するとは思っていなかった。何たる幸運! うそみたいな話だ。
今年は体験航海の乗艦券も当選したし、こうしてみると今年のぼくというのはとんでもなく運まわりがいいのかもしれない。
こんな訳で、今月下旬に行なわれる観艦式に参加致します。この機会を逃がしたら次はいつ参加できるか判りません。はじめて横浜市に伺います。横須賀市にいたことはあるのに横浜ははじめてなのです。周辺地域のみなさま方、どうぞよろしく。
あ、ああ、あ、夜行バスとか、旅費とか、時間とか、手配しなくては。わたわたわた。
【今日のちょっとがっかり】
「
猫フトン」はおにぎりくんの奇声が収録されると踏んでいたのだが、なくて残念だ。
2006年10月05日(木) がっくりぐったり。
断食明け。
しっかり眠れなくなって随分経ちます。とてもとても厭な夢を見続けて、眠るのが怖かった時期もありました。ここ暫くは、まだ眠りが浅いもののひどい夢は見ずに済んでいました。が。
原稿用紙を机上に広げて、万年筆を構えている私がいます。しかし私の頭には何も浮かんでこず、一ト文字も書けないまま時間だけがどんどん消費されていきます。幾ら書けないと言っても、一行や二行くらいは書けてもいいものを、一ト文字も書けずに万年筆が空を泳ぎます。時間は刻々と過ぎていきます……。
という悪夢を見て、今朝は目覚めました。目が覚めた瞬間に脱力して、三日くらい徹夜したような疲労感を覚えました。これまで見た夢は「とても厭な夢」ではあったけれど「悪夢」ではないと思っていましたが、今朝の夢ははっきり悪夢だと思いました。
でも、こうやって書き出してみると、よくある笑い話でしかない。見た本人はほんとうに苦しくてもがいていたのですが。
目が覚めてから暫くは床から動けずにいましたが、その後何とか朝食を摂りました。昨日の決意通りにバナナを食べました。甘味が身体に染みるようでした。
【今日のqあwせdrftgyふじこlp;】
う、うそーん……ほんと? ど、どうしよどうしよ(°△ °≡ °△°)
2006年10月04日(水) ぐた。
断食三日め。
腹が鳴らなくなり、空腹感も薄れ、食欲が消えました。そろそろ危険です。断食は今日まで。明日から少しずつ常食に戻していく予定です。
断食前の計量と比べて、体重が二キログラム落ちています。しかし、これくらいは通常食を摂るようになれば直ぐに戻ります。
即席スープと水以外を断っている最中に、偶然にも名曲
「みかんのうた」Flashに出喰わして、ポンジュースを飲みたくなってしまいました。
しかし、蜜柑の産地として他県に決して引けを取らない当県には
ジョインジュースというものがあり、ポンジュースを飲むことには多少の後ろめたさがつきまといます。
明日の朝食にはバナナを食べる決意。
【今日の緩慢】
頭の回転が静止に限りなく近い状態。
2006年10月03日(火) ぐるぐる。
断食二日め。
即席スープしか摂っていないのにトレーニングジムに行って頭ぐるぐるになったヨ。みんなは真似しないでネ!
頭の中がぐるぐるなので、短く。
空腹感自体はそれほどでもないのだけど、音がすごい。胃が鳴る音。漫画みたいに「ぐるぐるぐるきゅー」って、隣室にいる人にも聞こえそうな派手な音がする。おもしろい。
昨日テレビで見た「名探偵コナン」実写版。BGMがアニメーション版のサウンドトラックそのまま流用だったので違和感はどうしてもあったけど、陣内孝則さん演じる小五郎のおっちゃんだけはまったく違和感がなくて吃驚した。違和感がなかったことに違和感を覚えるくらい。陣内さんの芝居のテンション=神谷明さんのテンション、ということかな。
こんなに原作と実写版との差異が感じられないのは、「ガラスの仮面」の月影先生以来ではないだろうか。御話の細部とかセットのつくりとか、目暮警部とか、そんなものはどうでもよくなって、小五郎のおっちゃんを見ているだけで愉しかった。
【今日の寸感】
アメリカンショートヘアのマーブル柄って、何となくおいしそう。
2006年10月02日(月) ぐだぐだついでに。
トレーニングジムに行く機会を逸しすぎて体力が衰えてきたという話を昨日付の当頁に書いた。同じ時期、生活の活動さえもが不可能になっていたので、仕事の方も大きな声では言えないごにょごにょという状態だった。復調したところで遅れを取り戻さねば、と久し振りに万年筆を執ってみれば、自分で判るくらい下手になっていた。
自分の手を自分で動かしているということを疑いたくなるほど筆の持ち方が不器用になっていて、自分が思っている自分の字を、自分の手が書かないという甚だもどかしい状態。学生時代に御世話になった書道の先生が「毎日書かないと下手になります」と仰っていたのはこういうことだったのだと改めて得心する。
文章の方も、雑文は当頁その他で書いているのでさして劣化は見られないのだが、「小説としての」文章は、トレーニングし直さないといけない。字を書いたり運動したりに限らず、大抵のことは毎日やらないと日に日に衰えていくのだと、些か戦慄する。日々精進が肝要。
さて、自分のぐだぐだ振りが自分に対して露呈したところで、更にぐだぐだな部分が。腹である。思い当たるところはある。オリーブ油だ。
日本人はオリーブ油に不慣れだから、料理にオリーブ油を沢山使うギリシアだとかイタリアだとかに旅行して腹を下す人が結構いるのだという。ぼくはパン生地に練り込む程度の少量しか摂っていないけど、はじめてだから腹が吃驚したのだろう。
過日つくったフォカッチャは、まったくの失敗ではないものの、成功とは言えないできだった。分厚いナンのようなものができた。やっぱり炊飯器での発酵は難しい。もう少し寒くなったら炬燵でやってみよう。
腹が下ってちょっとばかり食欲も失せているから、これを利用してこのままプチ断食に突入してみる。規則正しい食事は健康な毎日を過ごすためには必須だが、たまにその規則を乱して身体に刺激を与えるのは、決して悪くないことらしい。
但し、いきなり喰わなくなって、断食後にいきなり通常食をどかっと喰うと腹だけでなくいろんなところがおかしくなるので、断食してみようという人はかかりつけ医などにやり方を教わってからにしてください。ぼくは、過去に経験した大腸ファイバー検査(腸カメラ検査)のためのボンコロン食を応用してやっている。
空腹感が窮まると幻を見る、というのは、漫画などの表現上の手法であって現実にはないものと思っていた。しかし、実際にも起こり得るのだと、ぼくは大腸ファイバー検査前日の絶食時に実体験を以て知った。あまりの空腹のために動けなくて、ベッドに横たわってぼんやりしていた目の前に、妙な現実感を持ってラーメンが見えた。入院中の病室でのことだ。
それ以降にも数回、似たような経験をしたのだが、空腹の極限に見る幻は何れもラーメンだった。さほど好物でもないのだが、どうしてだろう。
【今日の豪勢】
プライムタイムの四時間を費やすとは、10ちゃんの名に賭けてがんばっている。
2006年10月01日(日) 改心そしてぐだぐだ。
月が改まりました。今日から一〇月です。
昨月は急激な気温の変化や、気圧の変化や、環境の変化などのためか、どうにも体調が低迷していて、人間らしい活動をしている日が数えるほどしかありませんでした。ほとんど動けずに寝込んでいました。
毎日の記録をつけている手帳を繰って確認してみると、トレーニングジムに行った日が八日しかありません。一箇月定期券を買ってる意味がないじゃねえか、と些か憤慨すると同時に、気付かない振りをしていた身体の緩みが実感されます。
この頁ではわりと頻繁に言っていることですが、トレーニングは三日も休むと運動能力の衰えが見えはじめてしまいます。だから、休養は大切ですが、休みすぎると駄目。一週間も空けてしまうと挙上できるウエイトの上限が下がってしまう場合もあります。
更に、一〇日も休むと「歩く」とか「万歳する」などの日常の基本動作のための筋肉までもが弱くなりはじめます。少し歩くだけで直ぐに疲れてしまう、肩が凝りやすくなるなどはこの兆候です。
運動は継続して行なうことが肝要です。動けないときは動けないので仕方がないことではありますが、この一箇月で弱まってきた筋肉や心肺機能を、これから年内一杯をかけてもとに戻すトレーニングをしなければなりません。
気候が徐々に安定しつつあるのと、かかりつけ医によるドラッグコントロール(投薬内容改善)の御陰で体調快復の兆しが確かにあることを感じた昨日のことに、「明日から月が改まることだし、気持ちを入れ替えてトレーニングだ!」と意気込んだものの、一夜明けてみたら今日の当地方は朝からしとしと雨です。市内の移動にはほとんど自転車を利用するぼくは出足にけつまづいたような気分です。
多少の雨なら傘をさしてでも出掛けるのですが、雨樋がじょばばばばとはげしく鳴るような雨量では、傘をさしていてもきっとかなり濡れてしまうでしょう。夏の盛りならいざしらず、いまの季節は気を付けなければ。
しかし。
関西人たる者、こんなことではいけないのではないか、と思いました。関西人ならこんなとき、迷わず自転車に「
さすべえ」を装備すべきですよね。いや、いままで装備していなかったことが恥ずかしいと言って差し支えありません。後ろカゴは装備済みなのに、詰めが甘い。
とまたもや、当初に思い浮かべた反省点とは違うことで反省している或る日曜日のできごとです。黒いバイクは街を走る、です。外はもう冬巡る頃、です。旧すぎる上に一般の人置いてけぼりのことを口走ってしまいました。
ガタイ専のG誌を読んでトレーニングに対する気合いも充実してきましたから、しっかりがんばりますよ。と、方向修正したつもりがまた一部の人限定のことを。もうぐだぐだ。
【今日の提案】
枕にバニラエッセンスを振りかけて寝れば、甘い夢が見られるかも。