2006年09月30日(土) こねーる。
せっかく貰ったオリーブ油を調度品としてしか使わないのもあんまり勿体ないので、強力粉をこねてフォカッチャをつくってみることにした。
フォカッチャも、パンも中華まんも、基本的な生地の成り立ちはほぼ同じで、中華まんは実家に住まわせて貰っていた頃によくつくったものだ。だから、つくり方は概ね判る。その通りにすればいいのだが、いまの住まいに引っ越してから、その生地づくりに成功したことが、まだない。
生地は薄力粉と強力粉を混ぜるか、または強力粉のみにイーストと油とぬるま湯少々を加えてこねて、発酵させた後ガス抜きをしてつくる。その後蒸すなり焼くなりすれば食べられる。実家にいた頃は、炬燵やストーブの熱を発酵に利用していた。おもしろいほど生地がふくらんで、ガス抜きが愉しかった。現在の住まいでは、何とか炊飯器の熱で発酵させられないかと試行錯誤しているが、まだ成功したことがない。
しかし、炊飯器レシピ本などでは発酵も炊飯器ですると指示しているものも多いようなので、不可能なのではなくぼくのやり方が不味いだけなのだろう。今日も炊飯器で発酵させてみている。
現在まだ製作途中なので、成功か失敗か判らない。もしもとても巧くいったら、きっとうれしくて明日にでもこの頁に書くと思う。
こねている段階では、生地は巧くまとまったし、混ぜてみたバジルの匂いが立っていい感じだったのだけど、どうなるものか。
【今日の徹底】
「暴走族」と呼ばず「珍走団」と換言することを徹底する決意。
2006年09月29日(金) 枠の外にいるよ。
一寸先は不透明の衛澤です。
まだ世を忍ぶ仮の女性だった頃、ぼくは或る会社で現場のチームリーダーをやっていたことがある。「アシスタント・スーパーバイザー」というとても偉そうな役職名が付いていたが、やっていることは学級委員と大差なかった。現場で一番偉い人からの通達を現場の人みんなに伝えたり、現場の人を代表して偉い人の小言を聞いたり、備品の管理をしたり、そんな仕事をほかの人よりも余分にしていた。
この余分な仕事のひとつに「日誌を書く」というのもあった。
当然、その日誌は手で書いて提出する。当たり前に必要事項を書いていたが、書いたものを見て吃驚してくれる人が割りと多かった。吃驚の内容には「見掛けによらずきれいな字を書く」というよろこんでいいのか怒った方がいいのかよく判らないものもあったが、他方で結構頻繁にこういうことも言われた。
「〈喋る〉や〈貰う〉を漢字で書くって、すごい」
言ってくれる人はその度に違って、また、どの人もほんとうにそう思って言ってくれているのだということは判っているつもりではあったが、あまりうれしくなかった。ぼくはやって当たり前のことをやっているだけだと思っていたからだ。「歩くときに左右の足を交互に出すなんてすごい」と言って貰っているのと同じ気分だと言えば御理解頂けるだろうか。
本心で誉めて貰ってもうれしくないことはあるのだと、ぼくはこのときに知った。
さて後年、別の場面で似た気分になることがあった。ぼくが世を忍ばなくなってからのことだ。
三〇歳を過ぎてから、性同一性障害当事者として他人さまと会う機会が増えて、そういう肩書きでお会いした人の半数くらいが「苦労されたんですね」とか「大変でしたね」とか「乗り越えてきたんですね」とか言ってくださる。ほんとうに感心してそう言ってくださるようなのだが、その共感がぼくはあまりうれしくない。その度にぼくは、口には出さないけどこう思う。
「御免、おれ苦労してないんだ」
確かに大変な思いをしたこともある。そのことを話すこともある。でもそれは大抵、その大変さを「笑う話」としてしているつもりなので、感心されてしまうとぼくは「喋りが下手になったか」とちょっとへこむ。ぼくは普通に生活してきた中でちょっとめずらしい体験をしただけで、「苦労して、乗り越えて」きたとは思っていないからだ。道を歩いていて、とてつもなくでっかい石にけつまづいた、くらいのことだ。小さい石に爪突いても大きな石に爪突いても、転んで起き上がる苦労は大差ない。小さな石に爪突くなんてことは誰でも経験しているだろう。
苦労して耐えて乗り越えて成し遂げている当事者も確かにいる。それはそれは凄絶過ぎてフィクションとしか思えないような、現実離れした苦労を経験をして、乗り越えている人も決して少なくはない。でも、「みんな」じゃない。
でも大抵の人は、めずらしい(=自分とは異なる部分を多分に持った)人を見ると、いろんな意味で気の毒に思いたいのだ、ということも何となく判ってきた。誰かを気の毒に思うことで安心しようとしているのだ、と。その安心を邪魔する権利は自分にはないなと思うので、たいしたことではないことに「すごい」と言って貰うときも、たいした苦労をしてはいないけど「苦労されたのですね」と言って貰うときも、それを否定しない(肯定もしない)ことにしている。それが最近は面倒ではなくなってきた。
ということを、先日或るメディアの人に話したら、「ほかの当事者さんはそのような考え方ができてはいないようですが、その境地に辿り着くにはどのようにしたらいいと思いますか?」と、とても差し迫った口調で訊ねられてしまった。ぼくは「他人さまが思っていることなどをいちいち考慮に入れないで、自分本位にいることでしょうか」と、かなりいい加減でちょっと反道徳的なことを答えておいた。
あれ。
書き出しに書こうと思っていたこととは違うことに辿り着いてしまった。内容が一貫していないけど、今日この日に考えたこととして、これはこのままで置いておくことにする。
近頃、こういうことも必要かな、と思うんだ。未完成であることが完成型である、みたいなことを。
【今日の新商品】
チロルチョコレートの「黒ごまたると」、ぼくは好きだな。
2006年09月28日(木) 貰う。
とてもいいオリーブ油を、大きな瓶で貰った。
しかし、ぼくはここ数年「油」というものを使わない食生活をしている。炒め油さえ使わない。だから、急にいい油を貰っても使い途が判らない。
「オリーブ油を使う料理」をインターネット検索で探してみても、かなり手の込んだものばかりが出てきて、一人者が休日の朝に喰うようなものがない。オリーブ油を頻繁に使う土地の人だっていつも手の込んだものを喰ってる訳ではないのだろうに。
おまけに季節の変わりめのためか体調のリズムが不揃いだ。喰いたいものが思い浮かばない。つくって喰ってみたいものはあっても身体が巧く動かない。
こんな次第で、オリーブ油は棚の飾りになってしまっている。
酒と油は貰っても調度品にしかならないことが多いんだな。ぼくにもっと智識が沢山あって、もっと機転が利けば、使い途なんて幾らでも見つけられるのだろうにな。
【今日の傾き】
好きな分野を、「フェチ」でも「萌え」でもなく、「専」で言ってしまう偏り方。
2006年09月27日(水) 或る単語。
昨日ね。
トレーニングジムのテレビに「安倍内閣間もなく誕生」って感じの特別番組が映ってたんだ。午後のことさ。こういうことじゃいかんのかもしれないけど、ぼくは政治や経済にはとんと興味がなくて、その番組を見るともなし聞くともなしにウエイトトレーニングをしていたんだ。
そしたらね。
テレビの人が何度も「鬼コーチ」って言ってるのが聞こえたんだ。ぼくの脳髄の検索エンジンは反射的に何の迷いもなく宗方コーチを検出したよ。
若くしてこの世を去るんだよね、飛行機の中でね、最期にその場にいないひろみに言うんだ「岡、エースをねらえ」ってね……と「鬼コーチ」というキイワードから芋蔓式に検出された記憶を反芻している間にもテレビは何度も「鬼コーチ」と言ったよ。
懐かしい記憶を辿る一方で「安倍氏の組閣に鬼コーチっていったいどんな話なんだろう」という疑問も持っていたさ。でもウエイトを提げたまま他所見したら危ないからテレビの画面は見なかったんだ。
その後。
ウエイトトレーニングのメニューを一ト通り終えてテレビの傍で給水していたときにまたテレビが「あっ、鬼コーチさんです!」と言ったので、テレビの画面を見た。テレビには建物の入口に入ってくる背広姿のおじさんが映っていて、文字テロップが出ていた。テロップはこう書いてあった。
「尾身幸次(73)」
オミコージ……オニコージ……鬼コーチ。ああそっかーあはははは。
聞き違いそれ自体はありがちなパターンだと思うんだけど、「鬼コーチ」で迷わず宗方コーチに辿り着いた自分がちょっと厭だったんだ。ちなみに聞き違い第二候補は「森功至(もりこうじ)」で、これは誰かっつーと藤堂さんの声を演じていた人さ。どうしても「エースをねらえ!」、しかもアニメーション版の旧い方に絡んでいこうとしてるのな。
自分はとことん「ヲ」だなあと思った。そういうことより日本の明日に思いを致そうよ、とぼくだって思わない訳ではないのだけど、どうも外した方向へ行ってしまうのはどうにもならないらしく。
【今日のあまり聞き入れて貰えない】
プロテインのチョコレート味はおいしいんだってば。
2006年09月26日(火) 好きだよったら。
ぼくはチーズ鱈が好きだ。
チーズ鱈と言えば鱈のすり身を紙のように薄く伸ばして焼いたものの間にプロセスチーズを挟んで、それを細長く切った食べものだ。ちょっとハイカラな食べものだと思っていたが、いまでは誰もが知る食べものになってしまって、ときには駄菓子として扱われるほどに馴染み深いものになった。大抵の人が一般名詞だと思っている「チーズ鱈」とは
株式会社なとりさんの登録商標だが、ぼくは必ずしもなとりブランドでなくても好きだ。
しかしときどき、チーズ鱈の鱈の部分だけをひたすら食べ続けてみたいと思ったりもする。きっといつまでも腹がふくれなくてかなり沢山食べられるんじゃないかと思うんだ。
【今日の関連商品】
携帯ストラップ。
2006年09月25日(月) 日記を読む。
インターネットを介して古書店で、矢野徹先生の「
ウィザードリィ日記」を購入した。一九八七年だかその辺りに確か早川書房からハードカバー版が刊行されていて、一九九〇年頃にぼくはそれを購入して読んだ。後にこれが角川書店から文庫として刊行される。それが今回購入した本だ。
ぼくは一度読んだ本はずっと手許に置いておきたいのだが、金銭に困って泣く泣く換金してしまった本はかなりの数になる。「ウィザードリィ日記」もそういう本の一冊だった。
日本のパソコン文化黎明期にはじめてパソコンなる謎の機械にさわった還暦過ぎの老人、つまり矢野先生が如何にしてパソコンユーザになったかが、日記形式の平易な文章で書かれている。この本が書かれた当時のパソコンは現在のように「買って直ぐに誰もが簡単に使える便利な機械」ではなかった。OSの存在を常に意識して、何をするにもユーザが自分の手でキイボードからOSに対する命令文を英文字でいちいち入力してやらなければならなかった。
そんな面倒な機械だし、現在のパソコンに比べて著しく低機能の上に一台何十万円もする高価なものだったから、若者でさえパソコンを手許に置いて日常的に使おうなどと考える人はまだまだめずらしかった。
そんな時代に、還暦を過ぎた老人の矢野先生はまったく予備智識がないところからパソコンをはじめた。これは偉業である。きっかけはコンピュータゲームだった。
任天堂の「ファミリーコンピュータ」が家庭に普及しはじめた頃の話だから、コンピュータゲームがようやく家庭に入り込みはじめたところで、コンピュータゲームと言えばヒコーキで飛来する敵を撃ち落としたり、髭のおじさんを操って谷を越えたりブロックを壊したりと、反射神経が必要なものを大抵の人が思い浮かべていた。一方でとても狭いパソコンの世界では思考型ゲーム―――アドベンチャーゲームやロールプレイングゲームが大人気だった。この頃のパソコン界の大ヒット作が「ウィザードリィ」というダンジョンロールプレイングゲームだったのだ。
さて、「ウィザードリィ」がどのようなゲームで、矢野先生がこのゲームを通じてどんな風にパソコンに親しんでいったかはぜひ「ウィザードリィ日記」を通して愉しんで頂きたい。物語好きなら親しめるはずだ。
ぼくがこの本を再読して驚いたのは、遥か二〇年ほど以前の、科学技術の面では太古の昔と言えそうな時代の、一人の老人の身辺雑記のような本が、いま現在読んでも充分に愉しいものだということだ。いまでこそ「日記」を「自分ではない者」に読ませることを前提として誰もがいつでも読める場所に掲載しておくことはめずらしくなくなっているが、当時は目新しかった。それだからおもしろかったのかも、と思っていたが、どうもそうではなさそうだ。
自分ではない者がいつでも誰でも読める日記を、いまではぼくもこうして書いている。書きながら、「自分ではない者が読む」ことを前提として書くなら多くの人に興味を持って貰えそうな、或るいは興味を持って貰いたい事象を題材に取り、文中に挿入する情報はなるたけ最新の、正確な、精密なものを収集・選択し、物語を書くときと同じように構成に気を付けて、誰もが愉しめるものを書かなくてはならないのでは、と常に何時もという訳ではないが、考えていた。そうでなければ「おもしろい日記」にはならないし、それでは読みに通ってくださるみなさまに申し訳ない。と、考えていた。
しかし、日常の些末な事象を捉えて、これといった主張もなく、ただ「こういうことがありました」とだけ書いておいても、それはそれでおもしろい読みものになるのだということを、「ウィザードリィ日記」を再読することで確認できたように思う。
勿論、矢野先生の御著書はそういった記事ばかりではないのだが―――何だか書くときにいろいろ身構えすぎかなあ、おれ。なんてことをいま更思った次第だ。
古書店で安く購入したのだが思いのほかおもしろく読めた「ウィザードリィ日記」、気候が頃合いになってきたので読む本を探しているという方にはぜひ手に取って頂きたい。また、この本と似た時期、まだ「インターネット」というものがなくて電話回線で繋がれた「パソコン通信」が一部のパソコンユーザの間で行なわれていた頃、矢野先生が中心になって運営されていたフォーラムを一冊の本にまとめた「
矢野徹の狂乱酒場」も、ネット黎明期の流行や思想が見えておもしろい。合わせてお読みになることをお勧めしたい。
【今日の確信】
日本のカレーは米の飯に合うようにつくられているんだなあ。
2006年09月24日(日) 晴れた海に艦を見に行く。
さわやかに晴れる秋の休日。我が街の港にめずらしい艦が来ました。砕氷艦「しらせ」です。基準排水量11600トン、速力19ノット、推力はディーゼルエレクトリック。海上自衛隊所属艦ですが兵装はありません。南極観測のために文部省(現在の文部科学省)の予算で建造されたというちょっと変わった経歴の艦で、文部科学省では砕氷艦ではなく「南極観測船しらせ」と呼ばれます。
砕氷船と言えば南極昭和基地開設に関わったことで有名な「宗谷」があります。この「宗谷」と「しらせ」は同じ所属と思いがちですが、「宗谷」は海上保安庁の艦で、「しらせ」は海上自衛隊の艦。お勤め先が違います。
毎年寄港する護衛艦とは違うバース(岸壁)に着岸していて写真を撮る角度も少々違っているので雰囲気も違いますが、肉眼では護衛艦より大きく見えました。カラーリングのせいかもしれません。上の写真では明度低めの赤色に見えますが、実際はもっと鮮やかなレスキューオレンジで塗装されています。写真に撮ると色合いが全然違うなあ。
海上自衛隊の艦が寄港する度にその艦のスコードロンキャップ(所属部隊ごとの制帽)を購入するのですが、「しらせ」のキャップは艦体と同じレスキューオレンジで、あんまりにもめだちすぎるので買わずに帰りました。街中で被るのはちょっと恥ずかしい。
でも、海の青色と補色関係にある彩度が高いオレンジ色は、常に身に着ける習慣をつけておけば災害で遭難したときなどに発見して貰いやすくていいのだと思います。
【今日の難易度C】
シュークリームをうつくしく喰うのは難しいざんすよ。
2006年09月15日(金) カサ!
出張第一日めの一昨日は、大阪には大雨が降っていました。傘を持たずに家を出た私は通り抜けできる建物があればそこを通り、軒が広い建物があればその下を通り、何とかしのいでいましたが次第に雨はひどくしのぎきれなくなってきて、その日の宿の近くのコンビニエンスストアでとうとう傘を購入してしまいました。宿の近くだからその日はもう傘を使う予定はなかったのですが、ま、翌日以降も続きそうな雨だったから買っても無駄になるまい、と。
翌日の大阪は晴れていました。その日は移動日で、高速バスに乗って長野県に移動します。「台風が近付いているようだし、長野は雨かもしれない」と自分を納得させてバスに乗りました。
行った先は快晴でした。
一ト晩明けて、今日。いい天気です。大阪に向けて帰ります。大阪は天気が崩れているかもしれないと自分に言い聞かせて復路のバスに乗りました。大阪もいい天気でした。
大阪から自分が住む街に戻る途上も、とてもいい天気でした。一度も傘を開くことなく帰宅しました。くそう。
大阪到着が早い時間でゆとりがあったので、
MBS毎日放送に立ち寄って、らいよんチャングッズを買ってきました。下の写真はストレスリリーサー。ぎゅうぎゅう握ってストレスを発散するというアイテム。
何とも言えない「ふよん」とした握り心地が変に気持ちいいです。脱力系キャラクタのらいよんチャンにぴったりの感触と言うか。
【今日の安堵&】
三日振りに布団に寝られます。
2006年09月14日(木) 構成の妙。
出張第二日めです。昨日とは違う土地で書いています。
移動に六時間ほど掛かりまして、移動車両の中で、とある国産ファンタジー小説を読んでいました。とても長い小説で、厚めの文庫本で上・中・下巻と三分冊されています。その中程まで読みました。中巻を読みかけているということです。あと半分は復路の車中で読む予定です。
この小説はおそらく国内ではかなり有名な作品で、私もいろいろな場所で書評を見掛けました。その中で割りと多かった意見が「導入部が長すぎる」というもので、全巻まとめて購入したものの読破できるかな、と多少の不安はありました。しかし、その意見が的外れであることが読んでみて判りました。
この作品は「第一部」と「第二部」に分かれています。現代日本の東京辺りに住んでいる少年が或るきっかけで異世界への扉を開き、或る目的のために異世界を旅するという「指輪」「ナルニア」「ゲド」の三大ファンタジー以降に多く発生した物語パターンの御話で、「第一部」は異世界の扉を開けるまで、「第二部」は異世界での旅立ちから目的を果たすまでが描かれているのですが、先の「導入部が長すぎる」という意見を述べた人はおそらく「第一部」がまるごと「導入部」である、と読み違えているのだと思われます。
私が読んだ限りでは決してそうではなく、導入部はもっと早いうちに終わっていて、「第一部」の終盤は全篇に幾つかある物語の起伏の、最初の大きなひとつに当たっています。
私の解釈が間違っていて、「第一部」がすべて「導入部」であるという読み方が正しいのだとしても、この作品の「第一部」はとても読みやすく、「長すぎる」と言ってしまうのは物語を読む力に欠けているのではないか、と思います。これが「長すぎ」て「冗長」だとか「まどろっこしい」と感じているようでは「指輪物語」は読めません。「『指輪』に挑む者、序章に倒れる」だとか「『指輪』を制す者は序章を制す」だとかいう言葉がファンタジー読みの間にはあります。
作品の「読ませる力」は確かに大切ですが、作品に力が充分にあっても読者の「読む力」が足りないと、よい作品も「よい作品である」という評価が受けられなくなってしまうことの例を見るような思いです。
このように偉そうなことを書いている私も「読む力」にさほど富んでいる訳ではないことは自分で承知していたつもりでしたが、主人公の「亘」という名前を何度も「豆」と読み違えて違う作品の主人公を想起してしまったりする自分には些か閉口であります。
【今日の回答】
バナナはおやつに入ります。くだものはおやつです。
2006年09月13日(水) 価値を認めるということは。
出張先で書いています。
出張では大抵、主たる用事以外の時間は移動中を含め自由に使うことができます。この「自由」は選択肢が幾つかあるという自由です。たとえば、電車の中で目的地に着くまでの間はぼんやりしていてもいいし、本を読んでもいいし、音楽を聴いていてもいいし、考えごとをしていてもいい、というくらいの。思いつくままに何でもできる自由とは違います。
そういう自由がある一方で、食事などは少し不自由になります。「自分で調理する」という選択肢がなくなるからです。そうすると、飲食店に入って料理を注文するか、そうでもなければ何処か落ち着ける場所を見つけてコンビニエンスストア等で購入したものを食べることになります。
これが私の場合、近頃は少し難しいのです。
私は一人で飲食店に入るのは苦手なので、大抵はコンビニエンスストアでおにぎりかパンを買って宿で食べるという選択をします。宿に落ち着く予定がなければ落ち着ける場所に辿り着くまで食事は延期です。
で、自分が食べそうな量の食事を仕入れてから落ち着く場所に行く訳ですが。
自分で「自分が食べそう」と思う量と、実際に自分が食べられる量とに、差異が出てきたのです。これくらい平気で平らげるよなあ、と思う量―――以前は平気で平らげていた量―――を仕入れると余ってしまう、つまり喰える量が減ってきた、ということです。
年令が一ト桁だった頃は同い年のほかの人の二倍ほども喰う燃費が悪い子供だったし、それを反省して量を控えるようになった二〇代の頃でも他人さまの「当たり前」よりは多く喰うことができる身体だったので、喰う量が減ったと言っても人並みになっただけです。
だから「エンゲル係数が低くなった」とよろこんでいいくらいなのですが、「自分が思っている自分」と「実際の自分」との間に大きく差異があるというのは、あまりよろしいことではありません。
これは喰う量だけにとどまらず、運動量や、記憶量や、自分が持っている能力についても同じことが言えます。「自分自身の実寸」というものを自分がきちんと捉えていないと、たとえば能力などで言えば、自分の能力を過小評価したり或るいは過信してしまったりということになってしまいます。
自分の能力―――実力が「一」なら「一」、「五」なら「五」、「一〇」なら「一〇」と、他人さまよりも秀でているか劣っているかは別にして、正しく捉えていないと、「一」を「五」や「一〇」と誤解していればあらゆる挑戦は失敗して痛いめを見るでしょうし、「一〇」を「五」や「一」と勘違いしていればあらゆる挑戦を試みる前に諦めてしまうでしょう。そういう不都合が生じます。
自分を正しく知ることが安定した自分をつくる、と私は思っています。安定した自分は安定した他者との関係を築き、そうするといろいろなことが巧く循環するようになります。
ということは、いまの自分や自分の周囲は、巧く循環していないのだな、ということになります。確かにたったいま目の前に、消費されずに滞ってしまっている食べものが封を切られないままで転がっています。循環の輪からはみ出たものがこういうかたちで存在している訳です。
これは明朝の食事にまわすとして、次からはこういう「余分」をつくらないように「自分」をきちんと捉えなおす必要が、ただいま現在の私にはあるということです。
【今日の学習】
いまだに「電車に乗って遠くへ行く」ときには「おやつ」が必要と考えてしまう。そして「おやつは三〇〇円まで」で「バナナはおやつに入りますか」という疑問。
2006年09月10日(日) 調整中。
季節柄か体調が急変したのか、心療科で処方して貰っている常用薬が効き過ぎている模様です。先日眠くて眠くてどうにもならなかったのは、このせいです。
ひどく眠くならないようにこれから服薬内容を調整していかなければならないのですが、調子を崩してしまっているのと予定が詰まってしまっているのとで病院へ行っている暇がないのが難点です。
今週は火曜日の夜から出張で、帰宅は週末になります。自宅にいないということ、服薬の調整ができないということ、これ等が重なりますために当頁の更新も滞るものと思われます。御了承ください。
【今日の不摂生】
二日間で三キログラム減。
2006年09月08日(金) 眠いよう。
眠いよう。
【今日の眠気】
眠いよう。
2006年09月07日(木) うつろひ。
ふと思い出したのだが、ぼくがはじめて海外へ行ってはじめて腹を切って内臓を取り出す手術を受けたのは、昨年の九月四日だった。
余談だが「内臓を取り出す」という話をする度にぼくはどうしても「内臓もうないぞう」と言いたくて仕方がない。言うと聞いた人がどっと疲れるので言わないように気を付けてはいるが、我慢するのも結構大変だということを、今日この頁をお読みになったあなたには知っておいて頂きたい。
さて、更に自分でつけた昨年の記録を確認してみると、手術を受けた日は日曜日だった。彼の国でも日曜日はお休みのはずなのに手術してくれたんだねといま更思う。
そしていつの間にか一年が過ぎたのだとちょっと吃驚する。手術を受けた本人としては、もう遠い昔のような気がしている。たかだか一年しか経っていないなんて、つい最近のことじゃないか。
腹を切って一年も経たないうちに今度は目蓋を切った。これも術日から一週間ほどしか経っていなくて抜糸も済んでいないのに、もう随分以前のことのように感じる。年を喰ったから時間が経つのを早く感じるようになったかな、と考えてみたが、もっとよく考えてみるとぼくは高校生だった頃から「気が付いたら長い時間が経っていた」ことが多かった。タイムワープ経験者だ。
原稿用のペン(当時は何故かロットリングを使っていた)を持って原稿用紙に向かい、ふと壁掛け時計を見上げると時計の針が二時間分くらい大幅に動いていて吃驚することが度々だった。これを「集中力がある」とするか「長時間ぼんやりさん」とするかの判断はぼく以外の人に御願いするとして、時計を見上げたときにその原稿用紙は真っ白のままだったことの方が多かったことを付け加えておく。
ぼくは
このFlashが非常にとても大変気に入っていて、あんまり好き過ぎてとうとう
このCDを買ってしまった。これが今日届いたので早速トラック6ばかり聴いてうっとりしている間にやっぱり一時間ほど経ってしまっていた。すっかり異世界にトリップしていた。こんなぼくをあなたはおバカさんと言うだろうか。
ちょっと自分でもアレだなと思ったのは、この曲のヴォーカル部分はヒンドゥー語でしかも意味をなさない語の羅列なのに、ちゃっかり日本語で口ずさめてしまう自分がいたことさ。いい感じいい感じ〜。
【今日の幼い夢】
大きくなったらアメリカンショートヘアになるんだ。
2006年09月05日(火) 時間が隔たると。
先月三〇日に目蓋の手術を受けた。その術創の腫れも半分くらいには引いて、術日よりは目立たなくなってきたので、トレーニングジムに九日振りに行く。腫れもさりながら、何より縫合糸にこびりついた血が落ちてくれたのでスプラッタホラー風味が消えた。これだったら他人さまがいるところを徘徊しても大丈夫かな、と思った。
トレーニングは継続的に行なわないと却って身体がしんどい。だから中三日以上は空けないように気を付けていたのだが、医師から「術後は安静にするように」と釘を刺された。だから術後五日間は自粛したが、限界だ。これ以上じっとしていたら身体が動かなくなる。
ジムに行ってみて愕然。ウエイトの挙上可能重量の限界値が下がっている。
身体能力は毎日衰えていく。動かしてやらないと身体は動き方を忘れてしまうのだ。一五キログラムを持ち上げることができた筋肉も、暫く持ち上げるということをしない時期が続くと一五キログラムをどうやって持ち上げていたのかが判らなくなってしまう。頭は憶えていても筋肉は忘れる。
今年の前半はあまり調子が思わしくなく、トレーニングもさぼりがちだった。後半に入ってからは気持ちを切り替えて励もうと、少なくとも隔日ペースでジムに通って、ようやく鈍りがちだった筋力も上がってきて、同時に順調に体脂肪率も落ちて(≒筋量が増えて)いたのにまた逆戻りだ。がっかり。
ウエイトを扱う運動は衰えがはっきりと表れて疲労感も強かったが、有酸素運動は入院前よりも楽だった。持久力は身につくのも緩やかなペースだが、衰えるペースも緩やかなようだ。何もかもが衰えてしまったのではないことが判ってほっとする。息の上がり方もウエイトよりも有酸素運動の方がましだ。
ジムからの帰りに書店に立ち寄った。毎月読んでいる雑誌を手に取って、一ト通り平積みの本を見てまわる。これは早や二〇年以上続いている習慣。現在話題になっている本や新刊を確認する。
新井素子さんの「
扉を開けて」(集英社コバルト)が新装版になって表紙画が変わっているのを見つけて、「竹宮恵子さんの画じゃなくなったんだ」と、少し寂しく思う。そう言えば高校生だった頃に、一九八七年までに書かれた新井さんの小説は全部読んだな、と懐かしく思い出しながら帰宅。
そしてネット検索で調べてみて、竹宮恵子さんが表紙画を描いたのは「
星へ行く船」シリーズだけだったことを思い出した。コバルトの新井作品は全部竹宮さんが表紙画を描いていたと勘違いしていた。
思い出しはじめると記憶は芋蔓式に蘇ってくる。ぼくはセーラー服を毎日着ていた頃(こう書くと服装倒錯者みたいだ)、学食で昼食を食べるために親から貰っていたお金をすべて本代にしてしまい、昼休みは昼食を食べずにずっと本を読んでいた。当時は新井素子さんがとても好きで、昼食が化けた本はほとんどが新井作品だったのだけど、「星へ
行く船」シリーズが完結してしまって、それで気抜けしてしまったのか、それ以降新井作品はぷっつりと読まなくなってしまった。
丁度似た時期に本名だった「新井素子」という名は筆名になってしまった。その頃の新刊「
結婚物語」がテレビドラマになったっけね。新井作品が好きではなくなった訳ではないけれど、二〇年前の「読まねば!」と逸る気持ちはいまはないんだな。
【今日のちくそう】
淡泊な食事をしている我が家に狙ったように必ず何処からか流れてくる豪華な匂い。
2006年09月02日(土) 旨いは倖せ。
少し以前に、友人からバナナ酢を飲んでいるという話を聞いた。飲みやすくて身体の疲れが取れやすくなって、腰まわりも細くなったのだとか。つくり方を聞くととても簡単でおいしそうだったから、ぼくも少し前につくっておいた。
バナナを適当に刻んだものと黒糖を等量、器に入れて、それが浸かってしまう程度の酢を加え、少し加熱すればでき上がり。一ト晩も浸けておけば飲める。水や湯や牛乳で割って清涼飲料として飲んだり、ヨーグルトに混ぜて食べたりすると旨いとのこと。
先月末に松本市に出向く前につくっておいて、今日はじめて飲んだ。大さじ一杯程度を二〇〇ccの牛乳で割って飲む。……旨いじゃないか!
酢のつんつんしたすっぱさや匂いはなく、バナナの甘い香りがする。黒糖で甘味とコクが出ていて、確かに飲みやすい。材料費も安価だしつくる手間はさほどないし、飲んで旨くて身体にいいなんて、偉いじゃないかバナナ酢! アイドル歌謡風に言うと「オヤジ、バナナ酢に感動」だ!
つー訳でお勧めですバナナ酢。浸かったバナナは食べられます。でも、酢よりもバナナの方がすっぱくなっているので、普通のバナナのつもりで食べると吃驚するよ。
今日はこのバナナ酢牛乳(字面はおいしくなさそうだが旨いんだってば)と、自分宛てに買った信州土産のまるごとアップルパイ(下の写真)を頂きながら、先日購入した
らいよんチャンDVDを観賞して御満悦ですよワタクシ。
こうしてゆっくり休んで、また来週からは一生懸命仕事をするのさ。
仕事同様、トレーニングも再開したいのだけど、
この眼のままでジムに行ったら吃驚されるだろうなあ。かと言ってサングラスをかけたままトレーニングする訳にもいかないしなあ。どうしたものか。
【今日のまだあるよ】
「冥王星が消えた」とか「さよなら冥王星」とか巷でよく聞くけど、冥王星はなくなった訳じゃなくて地球での惑星の定義から外れただけなんだってば。
2006年09月01日(金) 怪しい人に怪しいカード。
とうとう九月になってしまった。すっかり秋だ。ぼくが松本市にいる間にぼくが住む街も随分涼しくなっていた。
今日は定期通院日に当たっていて、かかりつけの心療科医に常用薬を出して貰って、別の病院ではホルモン注射をして貰わなければならない。目蓋の術創が他人さまに見えないように昨日と同じく帽子を深く被って出掛けた。
待合室でも診察室でも帽子を取らないでいた。幼稚園や小学校で「屋内では帽子を取りましょう」ときちんと教わったから、とても気が引けた。注射をしてくれる看護師女史には「今日は顔に傷が入っていて目の毒ですから、帽子を被ったままで失礼します」と断った。やっぱり他人さまに何かして頂くときに頭に何か乗っけているのは失礼だよなあ。
心療科医には眼の手術に行ってきますと予め言っておいたので、帽子を取った。予め言っておいてもやっぱり吃驚していた。
病院を出るとそろそろ午だったので一旦食事のために帰宅した。しかし、もう一度出掛ける予定がある。随分以前に更新申請した精神障害者手帳を受け取りに保健所に行かなくてはいけない。
保健所と、その直ぐ近くにある友人宅に立ち寄り、その両方に行く前にサングラスを購入することにした。サングラスと言っても、ぼくは眼鏡をかけていないと風景がすり硝子で囲まれたようにしか見えないので、眼鏡にクリップで挟むかたちのものを、一〇〇円ショップで買った。早速それを眼鏡に取り付けたのだが……。
確かにパッケージに「大きめレンズ」って書いてあった。しかし、これほどツラの大きさとの間に不均衡があるとは思わなかったよ。ここでも世界の均衡が(以下略)。これと前鍔の帽子を着けていると却って怪しい人じゃないか。しかも、このクリップ式サングラスはクリップの分だけ重い。眼鏡に着けるとどんどんずり落ちてくる。
友人はともかくこれで顔出してしまって保健所の人御免なさいだ。保健所の人には親切にして貰ったのにな。
ぼくが住む街では障害者手帳を持つ人にバスカード、タクシー利用券、公衆浴場回数券を発行してくれる。バスカードは月に二日だけ市内を走る路線バスに無料で乗ることができる。同じように、タクシー利用券は月に二回だけタクシー料金が五〇〇円引きになり、公衆浴場回数券は月に二回だけ入浴料が無料になる。但し、何れも指定されたバス・タクシー会社、公衆浴場のみ有効。これ等を精神障害者手帳と一緒に貰ったのだが……。
バスカードはこんなもの。何だか不思議でしょう。
気付きましたか? このバスカードには、すんごく大きな字で性別が書いてある。バスに乗るのに何故性別が必要なんだろう。一方、公衆浴場回数券には性別記載はない。むしろそっちにこそ記載が必要な気がするのだけど。タクシー利用券にも性別記載はない。
これをくれるときに保健所の職員さんが先ず精神障害者手帳の記載事項を確認して、そのときに「性別も間違いないですか」と念を押してくれた。実は更新手続きのときに、写真のない精神障害者手帳に戸籍上の性別を記載されると、提示したときに「これはお前の手帳じゃないだろう」と疑われることがあるので「男」と記載してほしいと申し出ておいたのだが、後日「市はOKと言ったが県が駄目と言ったのですみませんが……」という連絡があって、仕方がないなと思っていたのだ。
そんなこともあったので「申請のときに御願いしたけど駄目だったんですよ。ややっこしくてすみません」と言ったら職員さんもとても申し訳なさそうに「いえ、こちらこそ」と言ってくれた。
それからバスカードをくれようとしたのだが、職員さんは最初は障害者手帳の記載に従って「女性用」を手に取った。そこで申請時と同じ理由を述べて「男性用を貰えたら有難いのですが」と申し出ると、上司に相談の上「これはうち(保健所)で融通できるのでいいですよ」と上の写真の現物をくれたのだ。
保健所は市の部署の一つで、しかし精神障害者手帳を交付するのは県で、市と県との関係によってこんなことも起きている。
さして困ることでもないのでそのつもりはないのだが、「もし性別記載について文句を言うとしたら、県の何処に言えばいいのですか」と訊ねると、職員さんは県精神保健福祉センターだと教えてくれた。
県精神保険福祉センターと言えば、ぼくが性同一性障害の自助グループ活動をするときに一番世話を焼いてくれている公的機関だ。センターの職員さんたちはとてもぼくとグループに好意的で親切だ。県も市も職員それぞれはとても親切で性同一性障害当事者であるぼくを気遣ってくれる。でも「県」だとか「市」だとかの団体になると途端にお堅くなってしまうのは、どうしてなんだろうね。