浅間日記

2004年09月30日(木) 日記の初日観察日記

人の日記の、最初の一日目を読むのが好きである。
書くことに対する姿勢が、一番正直かつ明確で、
まるで生まれたての赤ん坊のようである。

そのうちに、
読み手を意識した日記になったり、
洗練された執筆のスタイルが決まってきたりする。
なんだか分からない「書こう」という塊が、
手や足に分化されてゆくんである。
このことは面白くもあり、またつまらなくもある。

でも結局、見たところおおかたの人は、
所詮、初日の日記の気持ちからそう遠くへは行かない
−行かれないと言ったほうがいいのかもしれないが−ものだ。
そういう書く人のもつコアな部分が、日記の第一日目にあることが多い。

何作も著作を生み出している作家の、第一作目の作品を読んでいても、
時々そう思うことがある。



2004年09月29日(水) ルナティックタイフーン

ラジオでは台風のニュースが続く。沿岸部の危険を報じている。

高潮についての解説。気象庁のHPでも同じ内容が書いてあった。

昨日が中秋の名月で、通常より潮位が高い時期であること、
また夏の気温の影響で海水温度が高く海面が膨張していること、
さらに紀伊半島付近では黒潮の影響などで、既に10cm以上潮位が高いことなど、ただでさえ高潮の傾向があることに加えて、
台風による風は「吹き寄せ効果」という現象を起こし、低気圧は「吸い上げ効果」という現象で、1hPa低くなるごとに約1cmの海面上昇をもたらすのらしい。
(吹き寄せ効果について今回の台風では、南向きに開いた湾が危ないということだそうである。)

こうしたことを総合すると、今日の昼の段階で、潮位は通常より40cmぐらいあがっている、ということだ。40cmの海面上昇である。これに暴風が重なると、高波という次の現象が現れる。

漁港や海岸では、高波による越波や高潮を防ぐために、沿岸域で波の力を殺したり陸域への影響を抑えるための海岸防災設備が色々しつらえてある。
防波堤や消波ブロックのほかに、海面に沈めた潜堤というものもある。
しかしそういう防災設備にも限界があり、安心することができない。
被害にあう前に、厳重な注意が必要なのである。



山国にいて海岸防災を語るのも場違いだし、
自分の住んでいる県内では台風に加えて火山が噴火しているというのに、
海の心配をしていていいのかとも思うけれど。



都市部の人々にとっては、今回の台風もテレビの世界だと思う。
交通機関がマヒしないか、というあたりが、主な心配ごとになるだろう。

しかし、近くに海や川や山や丘陵地があったり、低地に住んでいる人は、
テレビを一度消して、自分の家の周辺をよく見回って、
災害の兆候がないか見つけることが大切である。

川の水は増水又は減水していないか。水は濁っていないか。
斜面地から落石はないか。変な臭いはしないか。

そして、兆候を見つけたら、避難勧告が出ていなくても
とにかく早くその場を離れることである。自分で判断しなくてはならない。
このことは、ラジオでも解説者が、何度も注意を喚起していた。

報道ニュースは、視聴者にカスタマイズされた情報は提供してくれないからだ。



2004年09月28日(火) 声と花

多忙の日。
開店休業状態にも、そろそろ終止符を打たなければならない。
何よりも、ビジネスワークは楽しい。

車中でアマリア・ロドリゲスを聴く。
私の一番好きな楽器は、多分人間のボーカルなんだなと、しみじみ思う。

女性の美しい歌声を聴くのは、花の匂いを利くのに似ている。
感覚の研ぎ澄ませ方が近い気がする。

それぞれに個性があって、イマジネーションをかきたてられる。
また、若木の花の香りと老木の香りも、それぞれに趣がある。
一輪で満たされるものと、花の集団として賑わいを持たせるものもある。

そして、もって生まれたものを惜しみなく使い切る、真摯な生き様だ。



2004年09月27日(月) 不在善哉

友人のTちゃんとMちゃんが来訪。
一緒にやっている活動の、年間予定を立てる。
もう少し規約なんかも作って、組織をきちんとしよう、と話し合う。

Hという人がどういう人だったか、だんだん忘れてきちゃったんだよね、
と、Tちゃんに話す。
彼がインドへでかけていって、もう一月になるのである。

人となりの輪郭がぼやけてくるのと平行して、
あんな意地悪なことを言わなければよかったとか、
彼の山人生をもう少し支えてあげるべきだったとか、
自分の中の積み残しばかりが頭に浮かぶ。

「それは、死んだ人に対する感情だよ」、とTちゃんが言う。
彼女は看護士なので臨終期や遺族の心情には詳しい。
どんなに心を尽くして看病したり老後を支えていた人でも、
見送った後は、○○してあげればよかった、と悔やむ気分になるのだそうだ。

という訳で、Tちゃんいわく、
私とHの関係は、どうやら一旦成仏してしまっているらしい。
そういうことがHが海外遠征に出かけるたびに繰り返されて、
関係が再生しているのらしい。これはなかなか悪くないではないか。

世界中のどこへでも、リアルタイムで連絡がとれてしまう昨今で、
物理的に音信不通になれる贅沢である。

来世での再会まで、もう一月かかる。



2004年09月24日(金) リセエンヌの男料理世界

紅玉を大量に入手してあったので、ジャムを煮る。
ついでに大玉2つをとっておいて、冷蔵庫にあった
ヨーグルトと小麦粉と卵で、定番にしているケーキを焼くことにした。

昨晩読んだ「修道院のレシピ」という本はよかったな、と思いながら粉をふるう。

この本はフランスのリセ、つまり修道院を母体とする女子高の、家庭科の教科書なのである。
リセは花嫁学校が前身だったことから、料理の授業など生活技術に関することを、結構きちっと教えるらしい。

フランス料理本といえばオーギュスト・エスコフィエの「ル・ギード・キュリネール」が有名だ。
フランス料理のバイブルとも言われているこの本もそうだと聞いているが、「Cours de Guisine」を原題とする、この女子高生向けに書かれた料理教本も、料理法が大変に体系的にまとめてあって、感心する。
単なるレシピ集ではない。料理体系本なのである。

例えば、ソース。
バターと小麦粉と水又はブイヨンと塩コショウで作るのが、ホワイトソース。
ホワイトソースの、水の代わりに牛乳を使ったものがベシャメルソース。
ホワイトソースの、水の代わりにムール貝のゆで汁を使ったものがムールソース。
ホワイトソースの、バターをよく焦がしてつくるのが、ソース・ブロンド。
ホワイトソースに、グリュイエル・チーズを加えたのがモルネ・ソース。
ホワイトソースに、トマトピュレを加えたのが、オーロラ・ソース。

そしてこれらのソースがベースとなって、ホワイトソースはさらに
二親等から三親等へ枝分かれしていくのである。非常に分かりやすい。

肉料理、魚料理、野菜料理なども、だいたいこんな感じで体系化されているし、煮詰め具合や焼き具合などの調理技術も、同じように体系化されている。

一つの料理世界が完結してあり、フランス文化の底力を感じてしまう。
またこういう風にまとめられた料理法というのは、大変男性的で私好みである。

このところ料理本を読んで料理するということに飽きていたのは、
ちょこちょこっと作ってみました、とか、自由な発想で、というレシピ集の風潮に、少し飽きていたのかもしれない、と思った。
久々に質実剛健な料理本を読んで、「調理の喜び」というのを思い出した。

温まったオーブンへケーキ皿を放り込みながら、
もし無国籍料理という分野で、このような新しい体系を完成させることができたら、世紀に残る文化的偉業だと思うのだけれど、誰かやらないんだろうか、クイーンアリスの石鍋シェフなどやるべきではないんだろうか、と、思った。



2004年09月23日(木) 気づいてしまう日

三歳の子どもにタバコの火を押し付けた、という虐待のニュース。

ラジオでアナウンサーが読み上げる言葉に、何?何?と、Aが反応する。
音量をさりげなく下げようとしたが、遮られる。真剣に聞いている。

「3歳の子どもがタバコの火を押し付けちゃったんだって」と語る。
Aの理解が追いつかなかったことに、ほっとする。
虐待という言葉も、今回はAの中を素通りしたようで、胸をなでおろす。

この頃のAは自分をとりまく世界がどうあるのかにすごく興味をもっていて、
たまに他所で見るテレビでは、ニュースに釘付けになる。
大人たちは何を話しているのか。それはどういう意味なのか。

イラクやロシアで人が死んでゆく映像に向って、これは何?と聞く。
適当にお茶を濁すと、すぐにばれ、ちゃんと説明せよという。

でも、戦争について説明するよりも、今回のこの虐待ニュースへの反応が、
自分には最もつらく、しんどい出来事だった。

言葉に窮し、しょぼくれていた私に気付き、
Aは話題を変えたり、歌などうたいだしたりする。
そしてそれがまた、私をなんだか悲しくさせるのであった。

次世代にこんな気遣いをさせて、大人として本当にすまなく思う。



2004年09月22日(水) 先達はあらまほしきかな

ばんばん予定を入れていかないと、家に引きこもって、
掃除や冬支度や、何だか色々な食べ物づくりなどに精を出し続けそうで、
これはいけないと思うのである。と言うわけで午後は外出。



東京国立近代美術館で「RINPA」展が開催中である、との記事。
「RINPA=琳派」とは、尾形光琳とその影響を受けた江戸時代の絵師たちの総称である。
今回の展覧会では、これを芸術のある志向性を示す言葉として解釈し、クリムトやマティスもその範疇に入れて展示作品に加えている。

琳派は、直接の師弟関係や明確な流派ではなく、光琳の作風に傾倒し、光琳を慕う、ということによって成り立つ芸術の志向性なのだそうだ。

坂本龍一が、ショパンからドビュッシー、そしてアントニオ・カルロス・ジョビンに至る(そしておそらく坂本龍一自身まで)つながりを
「音楽の家系図」と表現していたことを思い出す。

記事に引用してある、早稲田大学教授の村重寧という方の言葉がいい。
「隔世の師から作品を通して間接的に学んだ」というものだ。

隔世の師から学ぶ。作品を通して間接的に学ぶ。塩野七生みたいである。
彼女の場合は舞台がローマ帝国であるから、100年どころではないが。

いずれにしても、隔世の師を内にもてるとは、私にはめまいがしそうな贅沢である。
同じ時代に生を受けなくても、一つの思いを共感できるとは。



2004年09月21日(火) それでも地球は回る

スーパーのレジの脇で、中秋の名月観賞用の、
お月見団子や、何かよくわからないお供え物の類が並ぶ。
鑑月会の案内が街中にでる。

どうもこの街では、極めてトラディッショナルなお月見をするのが一般的らしい。

当のお月さんといえば、未だ上弦の月である。


小学生の4割が、太陽が地球の周りを回っている、
つまり天動説を実際の姿だと思っていたらしい。
たまたま開いたニュースサイトにでていた、
毛利さんの「いいんじゃないんですか、私も最初はそう思っていました」
という、大らかなコメントがいい。
もっとも、同じセリフを言って様になる人はそういないが。

確かに、地球が回っているということを生活の中で実感することは難しい。
だからコペルニクスやガリレオのような「そのことばっかり考えてる人」が、
一生をかけて訴えて、それでも周りからは認められず宗教的な弾圧を受け、
違うのに!という無念の中で人生を終えていった。

人は、人から教わらなければ、なかなかたどり着けない
科学的事実というのがあるものだなーと、興味深く読んだ。



話は変わるけれど、この天動説と地動説をめぐる歴史は、すごく面白いのである。
超大河ドラマであり、哲学や科学や宗教など、とにかく世界観がひっくり返るような場面で、
人間が、特に権力者と科学者がそれをどう認識し判断するのかの貴重な前例である。

16世紀にコペルニクスが刊行した「天体の回転について」という著書が
一応天動説の初めの公的文書とされているが、それまでもみな
なんか変だ、とは考えていたようである。
300年も暦上の矛盾を放置していたというのもすごい。





2004年09月20日(月) 山からの不労所得

山の家で栗を拾う。

栗というのは、紅葉が始まってから収穫しては遅いのだ、
ということに、恥ずかしながら今年気がついた。

今年はいつもの場所に、一番乗りである。
獣も人もまだ誰も手をつけていない。奇跡だ。

埃っぽい林道の落葉落枝の間に、ピカピカツヤツヤの実を見つける。
落果した際に、イガから外れたらしいのが、沢山転がっている。

虫食いの穴を検査するが、なし。無事合格である。
山のように、とれた。

ついでに鬼胡桃を拾い、土に埋める。
腐らせて種子を取り出すのは、来月か再来月である。



栗や胡桃がここまで実を成熟させるまで、
自分は畑仕事のように汗をかいたわけでもなく、
ただ口をあけて時期を待っただけである。
つまりは栗の、子孫を残そうという努力の、上前をはねているわけである。

こういう不労所得は、何となく罪悪感がぬぐえないので、
山の神様でもしつらえて感謝とともに自己申告しよう、というのが
秋の祭りなんだろうか、とぼんやり考えながら山道を下りた。



午後は大根の間引き菜の葉をざっと洗い、軒下に干す。
これが最高に美味い飯の友になる日を思い、うっとりする。
また、風呂に入れて身体の芯から温まる冬の日を思い、わくわくする。



2004年09月19日(日) アフターダーク

村上春樹の新書「アフターダーク」を読む。

夜の街と少年少女を題材にした物語を志向したのは、
一昨年前に「The Catcher in the Rye」を翻訳したからだろうか。

眠らない女の子と、眠り続ける女の子の、ある夜の話である。

前作「海辺のカフカ」が少年の物語だったから、
これは少女の物語かな、と読み進めたけれど、
主人公は19歳であるところをみると、違うのかもしれない。
19歳は大人であり、ある種の不安定さを脱却していなければならない年齢だ。希望的に言えば。

村上春樹は、たまに女性を主人公にした物語を創るのだけど、
どうもいずれも存在感に乏しく思う。チェシャ猫のように読み終えた瞬間に消えうせ、何も残らないのである。
なんといっても、脇役で描かれる女性の方が生き生きしている。
何より、皆、とってもチャーミングである。

だから、夜の街と少女がかもし出す魔術のような物語は、
村上龍の「ラブアンドポップ」の方が、
私には現実的であり、同時に物語性があると思った。
作品がシンプルであることが、雑多なものを浮き上がらせることもある。



このことは、まあ作者が正直な人だからだ、ということにしておこう。
それにアフターダークが作品としてつまらないという訳ではない。

大都会が夜へ入ってゆく様が、くっきりと文章から浮き上がる冒頭は、
私をすっかり満足させたし、
主人公の女の子の前に現れる、楽器をもった男の子−作者自身を投影しているのだろう−が語る、裁判を傍聴し続けていて感じたことやなんかの話からは、作者の正統で健全なメッセージを受け取ることができる。

それに10代の人たちが読めば、また違う世界−サリンジャーの描くような−が、見えるのかもしれない。
もし、そうであるならば、この人の作品をそのように読めるのならば、
羨ましい限りだと思う。



2004年09月18日(土) 「的」的考察

何年か前、ひどくつらい思いをしたことがあって、
もう生きていたくないなあ、とHにこぼしたら、
「俺は自殺行為はしょっ中やっているけど、自殺はしないなあ」、と言われた。

聞いた相手が悪かった、と後悔したが、
似て非なる言葉の意味がおかしくて、話はそれきりになってしまった。



政治と、政治的。

家庭と、家庭的。

そして、病気であることと、病的であること。
今日は、特にこのことを思う。

病気であるということは、専門医師の診断を受け、
治療の方針が立ち、本人が全てを自覚し、
解決への道が内定している状態である。
つまり定義済みなのである。

病的であることは、これに対し曖昧である。
何かの不具合や異常で人に心配や迷惑をかけたりするが、明確ではない。
当事者がそれを自覚できるほど客観性をもった状態にないので、
解決の道筋がつかない。未定義なのである。

始末が悪いのは、圧倒的に後者のほうだと思う。
病的な事象が蔓延するこの世の中で、
病気であるということは、むしろ健全なのだとおもう。



リストカットや拒食症など、青少年の心の問題の解決が難しいのは、
既に明らかに「病気」であるのに、
本人が「病的」な状態のまま、そこから先に行きたがらないことにあると思う。

これはいささか経験的に、そう思う。

大人や社会に対する不信感が、病気という定義づけを拒否するのだ。
安易に治せばよいというものではないと、深い深いところから訴えているのだと思う。



2004年09月17日(金) 気配

帰宅。

駅のすぐ傍で一週間も過ごしていたので、
鉄道や駅や商業施設の気配がない我家に戻り、ほっとする。

秋という季節は何故「深まる」と形容されるのかしら、などと
久しぶりに山々を眺めながら、思った。



2004年09月16日(木) ワークアウト実感

久しぶりに運動をして、汗をかく。

運動をして運動不足を実感するのは、
病院へ行って摂生不足を実感するのに、どこか似ている。

身体を、その部分を意識しながら動かすことは、
大変気持ちのよいものである。

インストラクターは、
「私はその悦びを知っているぞ」という嬉しそうな表情で、
リズミカルな動きを続ける。

私は、すっかり息があがりながら、
「私もそれは知っている、かつては実感もした」と屁理屈を唱える。



2004年09月15日(水) 減れば平和か?増えれば繁栄か?

ロシアのプーチン大統領が相次ぐテロに対し、
中央集権体制を強化する国家機構改革案を発表。
これに欧米が「民主化改革の後退だ」と批判。欧「米」がである。
先日、彼のイラクに大量破壊兵器がなかった、と仰ったパウエル国務長官が、
である。片腹痛いとはこのことだ。


国連人口基金が、世界の人口が63億7760万人と発表。
有史以来の人口の推移を示すこのグラフは、インパクトがある。
まさに、ヒトの異常発生である。

世界の息苦しさは、この現実に源を発するのだ。
そう思うことが、何故か、自分を救う。

ある為政者やあるテロリストやある宗教家やある経済界の人物や、
あるいはそうした人々の集団によって、
この世界は舵取りをされているのではない、ということが。



何かが異常発生した場合のコントロール方法は色々あるが、
最も安易な方法は駆除することである。
雑草や害虫は、化学薬品で大量に殺す。刈り払う。焼き払う。

これに対して、増殖を抑えることは、根気が必要だが、
人間が人間に対して行うには、最も妥当な方法だ。
これが「リプロダクト・ヘルス」「リプロダクト・ライツ」として提唱されている。
国連人口基金の発表する「世界人口白書」によると、
これがどうも十分ではないのらしい。

また、リプロダクト・ライツの保障は、途上国だけの課題ではない。



妊娠出産は当事者となる女性が決定する、性と生殖の健康は権利である、
という聞けば簡単なことが、実はそれほど簡単にゆかない。

10代のセックスで、相手に嫌われることを恐れて避妊をしない子。
結婚して、家族のプレッシャーから子どもをつくろうとする女性。
子どもを産みたいと願っても経済的理由から実現できないケース。
「産めない女は一人前でない」という、根強い価値観。
人工生殖技術や出生前診断がはらんでいる、生命倫理上の様々な問題。

生殖行為というのは、究極の自己愛だ。
当事者である夫婦以外の家族など「第三者」の自己愛を押し付けられる形で
生殖がコントロールされるのは、これは不幸なことだと思う。

妊娠出産は産む女性が決定権を持つ、というこの権利については、
念を押しても押し足らないぐらい、重要かつ揺らぎやすいことである。

まして、政府がおしすすめている少子化対策によって生殖が奨励されるなどは、もちろん論外である。
一般市民が、政治家の自己愛を受容して子産みする理由などない。

大切なのは国民の数ではない、質である。



2004年09月14日(火) 情報とコミットメントのバランス

目白の田中屋へ。

お祝い用か慰め用か、どちらの用途になるかは未だわからないが、
Hが帰国した際に迎えるため、マッカランの18年を奮発する。
帰国はまだ当分先であるが、良いシングルモルトを入手できるチャンスは
それまであまりなさそうなので、決心の末購入。



ここ数週間の出来事を振り返った記事。
不安や怒りを掻き立てられるものばかりである。ついさっきも。
その中で、イチローの記録更新などは、世間では数少ない、
ささやかな、嬉しい知らせのようである。

イチローみたいな、自分の目標に向かって突っ走る人も、
チェチェン人によるテロとか、幼い兄弟が殺されて川に捨てられた、というような陰惨な事件について、気にしたりするのだろうか。
9.11には色々思いを馳せたりするんだろうか。
それとも、自分の仕事のために、あえて耳をふさいでいるのだろうか。

色々な事件や国際事情について、なぜ知らなければならないか。
知ってどうするのか。もしかして、自分には知らなくてもよいこと、
また処理できないことまで、耳に、目に入るのではないか、と、最近思う。

むろんこういう考えは逃避でしかない。よくない考えだ。
しかしそうしないことには、自分を損なわずに生きていくことがとても困難である。
世界中の悲劇が、容易にかき集められてしまうこの時代に、
本当に私は、どう生きればよいのだろう。

「社会にコミットする気がない人間が、新聞を読むなんてお笑いだね」と、
その昔、新聞を読みながら朝食をとるHを、腹立ち紛れに皮肉ったことがあったが、つまりは、そういうことである。



2004年09月13日(月) 厄年センサー

今年はどうも体調を崩すので、
ひょっとして厄年か何かか?と思っていたら、
本当にそうであった。

年回りとか運勢とか方位とかいうものに
日頃どちらかというと意図的に無頓着にしているので、
こういう発見があると、厄年の信憑性に感心するというよりも、
自分の感覚にまず、「正解!」と少し得意になってしまう。

一月と空けずまた風邪を引いているが、こういうセンサーが利くうちは、
おそらく自分は大丈夫だと思う。色々な意味で。

早速、調布の深大寺にて厄除けのお守りを購入。
気付いた以上、然るべき対策は必要である。

Aにもキティちゃんの入ったお守りを買ってあげる。
「キティちゃんが守ってくれる訳じゃないんだけどね」と言ったら、
自分で確かめるように、そのことを何度も繰り返して言う。



2004年09月12日(日) あるベクトル

続く話をそっちのけに、日々を記す。
あれは時間がないと書けないのである。

小学生に留年を、というニュース。
教育という分野は、その活動をあるベクトルに向けたくて仕方がないようである。

小学生にあたる5歳から12歳という発達過程にある年齢では、学年があがるということと体と心が成長する、ということは、不可分のことなのだ。
少なくともこれまでの教育を受けてきた自分にとっては。

だからそれは、九九が覚えられなくても漢字がかけなくても、
生命体としての自分は成長し、それは等しく肯定される喜びなのだ。
留年制度というのはそういう自己成長感を否定するような制度に思う。

だったら最初から学校など行かなければいい。



街角で自衛官募集のポスターを見る。
若者へ、言葉巧みに、そこに生きがいがあるかのようなメッセージ。
華氏9.11で、貧困地域を兵隊募集のため徘徊していた米兵が出てきたが、
彼らの言葉と全く同じである。

学校教育で、当然あるべき自己肯定感や生きがいを奪い、
すっからかんになったところへ、「国のため」という媚薬を与える。

あるベクトルというのは、本当に大したものである。



2004年09月11日(土) 死と悲嘆の必要性

長い報告になる。

朝の新幹線で郡山へ。
「日本ホスピス・在宅ケア研究会全国大会」というのに参加。
お目当て一番は、佐藤初女氏の講演。

佐藤初女氏。
まるで泣いているような話し方で、聴衆に語りかける。
内容は決して脆弱ではない。
「人の身にあったことは、やがて我が身にある」
これを信念に、悲しみに暮れる人のケアの話をされる。
沢山のエピソードとともに、
「体験ほど尊いものはない。私はその確信をもって、80年間の人生で体験したことの中から、悲しみに暮れている人が求めているものをそっと差し出すのが仕事」と仰る。

柳田邦男氏。
息子さんを亡くされたことは有名である。
自分の中に生き続ける死者とともに現在の自分があるという。

「自分が死んでもきっと、誰かの心の中で生きられるだろう。そしてそれは自分がどういう生き方をしたかの延長線でしかありえない」という言葉。

訳書「エリカ」という絵本の紹介。第二次世界大戦中の、輸送中の列車の中から放り出され命を助かったユダヤ人の赤ん坊の話である。実話だそうだ。

在宅ホスピスケアワーカーの関本氏。
遺族のグリーフ(悲嘆)ケアについて。
悲しみの過程に影響する因子として、
突然死、子どもの死、トラウマとなる目撃(大量出血など)、死を防げたという思い、愛と憎しみの相反する思い、現実味のない死(遺体と対面できないなど)等、11項目を整理。
これに対し立ち直りに有効な因子として、
患者が納得できる状況で亡くなること、死亡時穏やかであること、遺族ができるだけのことをしたと思えること、など5項目を整理。

報告は、まだまだ続くのである。



2004年09月10日(金) 雑踏行進

上京。

新宿駅の雑踏を、Aは緊張した面持ちで歩く。
手と足を伸ばし、小走りで行進するみたいに歩く。

周囲の大人たちの迷いのない歩き方と
同じにしなければならないと思っているようだ。
時々、これで間違ってないか、とでもいうように、辺りをきょろきょろする。

手を引きながら、いいよいいよやめとき、と思う。

頑張ってみても、この雑踏はあなたが期待しているような
視線は返ってこないのだから、と。
えらいねーとか大人みたいだねーとか遠くから来たんだねーとか。

小さいコミュニティから都会に出てくる若者は、
まずここのところでぶつかるのだろうな、とふと思った。
「この街では自分を誰も気にしない」、ということに気がついた時、
それはそれは寂しい思いをするか、あるいは、開放感を味わうかなのだろう。

Aは雑踏に流されて歩くなんて、まだ10年以上早い。



2004年09月09日(木) ペンは剣

子どもというのは、もっと絵を描くものだと思っていた。
おかまいなしに、そこいら中に。

だのにAは、何やらミミズのような、トンパ文字のようなものを
不要になって与えた伝票に、せっせと「記入」している。

そして時々、電卓をたたいては、ぶつぶつ言って
そこに書き込んだ内容を確認する。さらに私に同意を求める。
やれやれである。



ある年頃に達した幼児は、文字を覚えたがるものだが、
Aを通わせている保育園ではこれを封印している。

その代わり、大きな紙に何枚も何枚も絵を描かせ、
そこに子どもの気持ちを表現させる。本当に一人一人違う。
保育士は丁寧に、そこから発せられるメッセージを読み取る。

食事と睡眠をしっかり摂って身体を健全に発達させ、
友達とのケンカと仲直りの経験を積み重ね、
怒りや不満や悲しみの感情を健全に噴出できるようになり、
さらにこれらをコントロールできるようになってやっと、
文字を学ぶ段階に至る、という訳である。

「剣よりも強い両刃の剣」を自分のものにするためには、
それなりの資格と適切な時期が必要なのである。



遊びで鍛えた集中力と好奇心が支えとなって、ここの子ども達はだいたい、
小学校にあがって半月ぐらいで文字などは覚えてしまうらしい。



2004年09月08日(水) 認識させなければならない

台風の後だが、湿度はそれ程高くない。

一日かけて、家中の掃除。
ソファのカバーを外し、洗濯機へ放り込む。
散乱した本を、保存と処分に分け、保存は書架へ。
何故か山のように存在する大型ダンボールを切り刻み、
リサイクルラインにのるよう準備する。

昼。昨日作ったインドカレーを温めながらラジオを聴く。
Aが食べるからスパイスはほどほどの加減に作ったものに、
マサラを追加して辛味を増やす。

防衛庁自衛隊50周年記念式典での、石波防衛庁長官のコメント
「日本もしくは日米安全保障体制と戦った場合、決して勝利は得られないであろうということを相手方に認識させなければならない」

「認識させなければならない」、という意志の気持ち悪さ。
この人は、「こういう主張を国民に「認識させなければならない」」、と、
間違いなく思っている。

メディアを通じて多くの国民に届く発言なのだから、
そこまで言うのなら、相手方というのが一体誰かということや、
その理由および状況を明示する義務があると思うのだが。

「学校でいじめにあわないためにカッターナイフを持参してもよいか」と、
もし子どもがたずねたら、この石波長官という方は、
「大いにそうしたまえ」と言いそうである。



2004年09月07日(火) 待ったなしの経営判断

終日雑事。色々未決事項が多く見通しが立たず。

そばの花が、満開である。可憐な白い花が風に揺れている。
作付面積は最近増えたのではないか、と思うほど存在感がある。

栽培収穫を体験して分かったが、そば粉の元になるそばの実は、
こっちでひと房、あっちでひと房、という具合に順々に実が熟する。
ちなみに、大豆や小豆もそんな感じである。

だから収量を上げるためには、コンバインで一気に刈り取るというよりも
丁寧に回数を分けて熟した実をむしりとるのがよい。
少なくとも素人が趣味でやる範囲では、それが適切のように思われる。

また実がぼろぼろと落下してしまうので、収穫のタイミングを逸すると、
地面に落ちた大量のそばの実をみて、悔しい思いをすることになる。

夕刻、台風が近づいているニュースをラジオで聞きながら車で家に戻る。

途中なんと、もう稲を刈り取ってしまっている田が、結構あった。
確かに、すでに頭を垂らしている黄金色の稲が
今回の大規模な台風にもつかどうかは、定かではない。

刈り取った田の主は、まさに待ったなしの経営判断を迫られたのであろう。補償があるとかそういう問題ではなく、農作物が被害にあう、というのはつらいことなのだ。



2004年09月06日(月) スポーツマンのスーツ

プロ野球選手会がスト権の行使を決定。
古田選手は、昨今では選手というより
会長と呼ぶほうが馴染みがいいようだ。

しかし、投げて打って捕ってなんぼのスポーツ選手がスーツを着て、
本来業務ではないこんな事務仕事をしているのが気の毒だ。

昔国鉄がJRになった時に、「なんで鉄道マンの俺がこんなこと」、と
泣く泣くホームで駅弁を売っていたおじさんを思い出した。

古田という男が、そのへんで商談していてもおかしくないような、
知的な面立ちであることが、せめてもの救いだろう。
これがもしドカベン風だったら、泣くになけない。



2004年09月05日(日) 道路と自然

リンゴの産地として有名な、県北部の三水村というところへ。
観光パンフレットなどではこの界隈を「北信濃」とか言うらしい。

山の形がやさしい。アルプスの切り立った山の周辺とは
地質が異なるのである。

地質の差は地形の差を生じ、土壌の差を生じ、地形と土壌の差は
その上に存在する植物の差を生じさせる。
植物の違いは、生息する動物の差を生じさせる。

こういうものが総合されて、自然の景観が異なってくる訳である。
気候風土とは、本当に面白きものである。

細い細い道が幹線道路になってる上に、まともな案内板がないので、
行きつ戻りつしながら運転する。



ここの農村風景が美しい訳を、もう一つ発見。
道が地形になじんでいる。

別にわざわざそうしている訳ではなく、察するに道路改修の当てがないだけだと思う。
整備されていない、旧来の道を舗装しただけの道路は、
アップダウンのある地形にのっぺりと張り付いている。
横断面、縦断面をとったらすごい図面になるだろう。

切土盛土の造成がされていない道とは、こんなにも風景に溶け込み、
心が落ち着くものであるかと、ハンドルをとりながら見とれた。

地形を改変した結果生じる、道路ののり面というのは本当にやっかいで、
立派な道路ができ利便性が高まることの代償として、
構造物としての存在感をみせつける。
この影響を如何に少なくするかが、道路屋さんの技術的課題なのである。

アップダウンの多いのっぺり道の運転を楽しみながら、
そういえば東山魁夷の作品で、このような道を描いたのがあったことを思い出した。
日本画家の巨匠が人生になぞらえて描いたその道は、本当に素朴な野道であった。のり面は当然、ない。



2004年09月04日(土) もてるものとそうでないもの

華氏9.11についていつか書こうと思っていた。

あくまでも映画作品としての評価である。
だから9月11日に書くとか、そういう気配りはしないのである。

「一つの方向に大衆の目を向かせるためには、他の方向を隠すことが最も効果的である」、というのが全体を通しての感想。

これは一神教という宗教観のなせる業だとおもう。あまり根拠がないが。
ムーア監督は、必要な情報を隠蔽し恐怖と権力を織り交ぜて国民を支配しようとするブッシュ政権を批判しているが、しかし、そのように言うムーア監督自身も、結局は作品の構成にそうした排除的な要素を取り入れている。

だから、この映画の中にネオコンのネの字も出てこないのはおかしいのではないか、ブッシュをスケープゴートにしているネオコンの戦略に、ムーアは一役買っているのではないか、などという意見もある。
別にどちらでもいい。これは重要に見えて瑣末なことだ。多くの観客はそう判断する。

彼の監督としての優れている点は、市井の人々の物語を丁寧にすくい上げ、説得力をもたせているところだ。息子を亡くした母親の悲しみの言葉には、普遍性がある。上手い。

次に、まともなドキュメンタリー映画で問題提起しても寄り付かない層の関心を惹き付けたところだ。映画作品として共感をよび、受賞した理由はココだと思う。



映画を通して、戦争は悲しみと怒りと一部の人間の利益以外に何も生み出さない、ということが強烈なメッセージとして伝わる。そしてもう一つ。

アメリカという国で反戦を叫び実現したいのならば、まず金持ちになりなさい、ということだ。
「もてる者」にならなければ、舵取りの仲間には入れず、自分の命でさえ意思決定できない。虫けらのように戦争に駆り出され、殺されるのである。
このことは自分にはものすごくシビアで、恐怖を感じた。

さらにもう一つ。
爆撃で死んだ少女の遺体を、トラックに載せながら怒り悲しむ男性の、「何故こんな少女を殺す、俺を殴れ。死ぬことを恐れないものは死なない」という言葉。

感想などという生易しいものではなく、自分のとても深いところに刻み付けられた。



2004年09月03日(金) 屈折した人の話

コマワリとフキダシの話は、まだまだ続くのである。

Hが出発前に何度も念を押していたのが、愛読している「月刊アフタヌーン」を忘れずに買っておいてほしい、ということだった。

それが未踏峰のインドヒマラヤに挑む男の望むことかね、と呆れつつ、
ご要望に応じておく。

世間様は往々にして間違いがちなのであるが、高所を目指すクライマーは、植村直巳やクリスボニントンのような人格者ばかりではないのである。

素晴らしい人生観をもち、積極的に社会参加している人もいるが、少数派だと思う。大体は、世間よりも空気の薄いところでないと生きていけない、愛しくも可哀想な人種なのだ。長年ウォッチングしていてそう思う。

ちなみに野口健という有名な人がいるけれど、彼の場合、登山家がボランティアなど社会的な活動をしているのではなく、社会的な(それも極めて社会的な)人が登山活動をした、というふうに私は解釈している。



話がそれてしまった。
今日はマンガの話を書かなければならない。徹底的に。

この、月刊アフタヌーンというなんだかマニア向けで不可解な月刊誌の中に、
一つだけ、私の大好きな作品がある。単行本が出たので手に入れようと思っている。

リトルフォレスト(五十嵐大介 月刊アフタヌーン)
東北の小森(東北地方には地名や山の名前に森という字がとりわけ多くみられる)という集落の、四季折々の様子を描いたものである。

農作業と農作物の加工作業をゆっくりした時間の中で丁寧にこなし、収穫物を本当に美味しそうに味わう様子が、丹念に綴られている。

それはそれで美しい精密画や小説のようで大変いいのだけれど、この作品のよさは、通り一遍のナチュラルライフ賛歌でないところにある。

主人公の女の子は母親が失踪中であるし、都会の生活に順応できず、手ひどい失恋などもして都落ちした過去もある。近所の女友達と深刻なケンカなどもする。こういう屈折した背景が、うな重の山椒のようにぴりりと利いているのである。

これがなかったら、この作品は、よくできたただのスローライフガイドとして、政府刊行物のような、ちょっといやらしい代物になっていたと思う。

まことにストーリーテラーとは、大したものだ。



2004年09月02日(木) 根気よく人を説教する話

再びコミックの話題。もうやけくそ気味である。

「昭和の男」(入江義和、講談社モーニング)。
前作「のんちゃんのり弁」という漫画では、手料理というものを本当に美味しそうな心のこもった食べ物ものとして描いていた。今回の作品は、下町の頑固な畳職人の箕浦茂男という人物を中心に物語がつくられている。

この作者は人物描写が一級品である。グータラでだめな男や子どもの教育に入れ込む母親や、頑固な親父とその連れ合いの特徴をみごとにつかんでいる。

この人のすごいところはそれに留まらず、そういう特徴をもった人々が集まったところにどんなコミュニティが成立し、どんな関係が築かれるか、という部分を、実にリアルにつかんでいるのである。

物語づくりの土台をしっかり築くことができる作家の、その土台の上に思うがままメッセージを載せられる、という自由自在な感覚が羨ましい。羽根が生えて空を飛べる人のようだ。

物語中の「しげじい」こと箕浦茂男が、居候でダメ男の二ノ宮貴久に、疲れながらもこんこんと説教をする場面は、これはおそらく作者のフィクション世界で、作品に盛り込みたい思いの一つではないかと思う。

ダメな人に、話せばわかると信じながら面倒を見続けるなど、今の社会ではまったくのフィクションである。だがそこのところが何よりも私を惹きつけ、この作品を優れたものにしている。



2004年09月01日(水) 転籍日記

登録ジャンルを変更。
これで拡張子が違うような違和感から開放される。
格式高き時事社会日記は、自堕落日記に変貌するのである。



しょうがないから嫌だけど支給してあげましょうという感じの職員の態度が苦手で、
職安へ行くのを延ばし延ばしにしていたが、意を決して出頭。
ことのほか早く終了し、早々に退散する。

金を徴収する時は卒がないが、これが逆に支給する場合になると、
インフォメーションは不親切である上に手続きが大変、というのは
何とかならないのだろうか。
年金など受け取る際は、さぞ難解な手続きが待ち構えているのだろう。



片付けがてら、はるき悦巳の「じゃりんこチエ」をぱらぱら読む。
ばくちに明け暮れる父親テツを養うためにホルモン屋を営む小学生チエの話だ。
第一巻は母親が家出中で、かなりシリアスである。
全体を通じて、作者の現代社会に対する筋の通ったメッセージが貫かれており、単なるコメディ漫画ではない。だから結構熱烈なファンがいるらしい。

テツの恩師で仲人である花井センセイという人が、家庭訪問する場面。
ひとしきり説教を終えた後、「日頃のモヤモヤを吹き飛ばすんじゃ」といい、酒の飲めないテツと小学生のチエに酒盛りを強要する。

これをたしなめた、同じく教師である息子に向って、花井センセイは
「おまえみたいな教科書どおりの教育で、この異常な一家が救えるのかー」と恫喝する。

週刊誌に掲載された漫画のセリフとは思えない迫力。

もちろんこんなことは現実の世界ではありえない。
しかし、こんなことがあってもよいのではないか、という出来事を
不自然なく描き切れるような、作品世界を創れる、ということは、才能だ。


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