浅間日記

2004年08月31日(火) リピート日記

色々な手続きや片付け。サラリーマンから足抜けするには、
山のように面倒な手続きや、資金が必要なのだ。



何だかこの日記も間延びしている。
書くべきことは書いた、という気もする。

私は別にジャーナリストではない。
考えが及ばないことに、事の詳細だけを書いても、
それは最早、日記の体をなさないのである。

「ここまでのパートを三回繰り替えし」とでもしておくのが、
当面の措置としては適切か。



2004年08月29日(日)

Hより、これからデリーを出てガンゴトリへ向う、という連絡。
Aは電話口で、「団子を取りに行くのか?」、とご愛嬌。
口に出さないが不在をとても寂しがっている。
Hの口真似をしてやると、少し笑う。

台風前に帰宅。
不夜城から、夜にはきちんと静けさと闇が確保された我が家へ。



2004年08月28日(土) 勝って嬉しい花いちもんめ

大学通い終了。
楽しい3日間であった。



谷亮子が「ママでも金」、つまり、
自分は北京オリンピックまでに出産をして、そして再び金メダルをねらう、
という意味の発言。

彼女はメディアを利用し自らを追い込んでいるのだ、ということに、
恥ずかしながら数日後気づいた。

簡単にメダルがとれると思って、こう言った訳ではないと思う。
血のにじむような日々と内臓を吐き出しそうな緊張の世界へ、
仮に母になったとしても、私は未だ留まりますという、そういう話なのだと思う。



呑気にオリンピックなど観戦しているが、
自分自身は競技経験や勝負の場面から、久しく遠ざかっている。
スポーツ分野に限るとさらにご無沙汰であり、もはや記憶にすらない。

だから、どんなハイビジョンの映像をかぶりつきで見ていても、
北島選手の「チョー気持ちいい」という言葉に、本当は共感できないし、
負けた選手の悔し涙というのも遠い世界にある。



人生には、スポーツ競技のような、明確な勝敗ラインがない。

少なくとも自分はそう確信し、別にそれが悪いことだとは思っていない。
人生は「満足か不満足か」に意味があり、勝敗は存在しない。

ただ、そういう価値基準の曖昧さのために、逆にいうと切れ味が悪い。
迷ったり間延びしたりするんである。

これに比べて「勝負に臨む」という行為は、
シリアスであるが実に明快で美しい。

「いい試合で満足」というのは意味がなく、
とにかく勝つことだけが自己実現なのである。
それはまるで、ピカピカと研ぎ澄まされた刃物のような
生の瞬間のように思う。



そういう行為を、十何年も切れ目なく継続している谷亮子の、
自らをきりっと追い込む姿勢をみて、
「勝負に臨む人」というものにたまにはなってみたいと、少しだけ思った。



2004年08月27日(金) 男と女戒厳令

某大学で3日間の研修を受講。
偽学生としてキャンパスに侵入しているのである。
都内で、毎日同じ場所へ通うのは何年ぶりのことか。
集団行動というのもまた然りである。
PCが何十台も置かれた部屋に半日もいるのは、
自ら受講したとはいえ、疲れることだ。



東京都教育委員会が、ジェンダーフリーという用語の教育現場からの排除を決定するというニュース。

ジェンダーフリーについて良し悪しを述べる以前に、
自分達が扱い切れなくなったものを、
権限に任せて「言葉狩り」する東京都の強行姿勢には全く恐れ入ることだ。
人間を統制する具体的な方法を、よくご存知である。
次にターゲットにされる言葉は「民主主義」か何かだろうか。

しかし、二次性徴期前の子ども達への男女意識の刷り込みに、
なぜそこまで神経質になるのかわからない。

子どもは子どもとして存在する権利がある。
まずそのことが大切だと思うが、私の勉強不足なんだろうか。

子どもというのは発達成長の過程にある生命体であり、
そういう属性を伝える方が、いいのではないかと私は思う。
子どもの夢や希望は、そういう自意識の中にあるように思うのだ。



2004年08月22日(日) fado for climber

Hを見送りに、成田へ。デリー行きエアインディアである。

見送りで出かける国際空港というのは、どうにもつまらない。
ビジネスでもバカンスでも、わくわくしているのは出かける人だけ。

私といえば、「ボンベイはムンバイと表記するようになってどのぐらいかな」などと
非日常的でインターナショナルな世界に一瞬身を浸したかと思うと、
帰りのNEXに乗ったとたん、
「千葉へ行って帰ってきただけの現実感」とともに、
日常の雑踏へ逆戻りである。

Aは、ずいぶん我慢していたようだが、別れ際にべそをかいて、
Hを困らせていた。
季節ひとつ分も会えないのは、
この人にとって永遠の別れに等しいのかもしれない。

遠征登山の見送りはもう何度もやっているので、
自分にとってはあまりドラマチックではない。
今度は頂上に立てればいいね、という思いぐらいだ。

それに、人生の真ん中にクライミングが居座っていると言って憚らず、
一日の半分以上、垂直の世界に思いを馳せているような、
そんな男と日常生活を共にしていれば、
「私のところに戻ってきて」と望むのは、
今さら始まったことではないのだし。



2004年08月21日(土) 日焼けオヤジの放物線

せっかく開催されているのだから、
一回ぐらいはアテネオリンピックのことが
書けるとよいな、とは思っていた。

そうすることに最適な出来事は、なかなか現れなかったが、
(沢山の選手の頑張りが素晴らしくなかったという訳では決してない)
昨日のアーチェリーのおっちゃん=山本博さんの銀メダルへ至る道は、
まことに私好みの朗報であった。

磨き上げられた酒米が極上の酒になるような、
スマートな選手人生からは、失礼ながらかなり遠い場所にいたのではと思う。

同年齢の選手が次々引退していくであろうし、今回も
教え子ほどの若さの選手が競争相手であったし、
よく現役選手として自分を維持したなと、感心至極である。
タフな生き方だし、よい年のとり方をしている。

自信たっぷりに、自分を「オヤジ」と称し、日焼けした顔で
「帰ったら皆でメダル触ろうな!」とカメラ越しに生徒へ呼びかける様子。
こういう風に伝えたい相手、それも未来を担う子ども集団を身近にもちながら、
オリンピック競技に参加できる人は幸せだろうなあと思った。

そして何でもいいから、自分の生き様を見せるられる人こそが
教師ってものだなと、しみじみ思った。



2004年08月20日(金) 「うちの社長は駄目社長」と客に言う社員

やはりこっちは暑いではないか。と、誰に言うのでもなく一腐れ。
朝晩肌寒いぐらいの信州とは大違いである。
その「信州県」の知事界隈が、県内では色々取りざたされている。



田中康夫を知事に担ぎ出した本人である八十二銀行元頭取の茅野實氏が、
知事へ最後通告と言われる要望書を提出
出馬当初のブレインが、最近、どうもこの方の元から、
次々と離脱しているのらしい。

要望書の内容は「人の意見を聞きなさい」など、
なんだか、子どもに向かって説教しているような様相だ。
まあ、こういうおかしな人はどこにでもいるのだけれど、
知事となると珍しいのだろう。与える影響やかけられる迷惑も大きい。

それにしてもこれほど県職員に嫌われている知事というのも
珍しいのではないだろうか。
県の職員やOBの面々と話をするとき、
必ず知事の悪口を挨拶がわりにする。
研修会など県が主催する公の場面でも、変わりがない。

これはこれで腹立たしいもんである。
「アナタが悪く言っている知事を選んだのは私たち県民なんだけど」と
突っ込みたくなるし、
だいたい自分達の会社の社長を公然と悪く言うなどというのは、
一般企業では考えられないことだ。

知事の首は選挙ですげ替えればいいが、
こういう常識のない地方公務員をそっくり教育しなおすのは容易ではない。



2004年08月19日(木) 教育クライシス

夏の熱気が冷めるのを待って、上京。
夜風はまあ涼しいではないか、と満足。



全国知事会、国庫補助金の削減リストを決定。
もちろん、注目すべきは、このうちの義務教育費の削減枠である。
三位一体改革か何か知らないが、
こういうところの予算が平気でばさばさ削られるのは、
教育を受ける年齢の子ども達が「票」を持っていないからだ。

教育に関する予算が潤沢にあることと、
よい教育を受ける機会に恵まれることは
必ずしもイコールではない。

しかし金と法律の在りようで、
国や自治体の考えは大体推し量ることができる。
だから「子どもの教育の予算を削る」という態度については、
全くやりきれない思いである。
国民の質に関わる問題だと認識しているのだろうか。


学校という機関は、教育の機能をもはや失っている。
そういう組織で疲弊する、良心ある教師が気の毒だと思う。

極論かもしれないが、教師の数を減らし、
医師や弁護士並みに高給待遇にし、
本当に勉強したいという意志のある人だけが
学業につけるようにしたってかまわないと思う。
中学高校の段階からそうなってもよいのではないかと思う。

勉強がそれほど好きではない人は、
読み書き、そして現代の算盤はパソコン操作技術であるから、
その辺りだけ教わって、早く社会参加したらいいのだ。
少なくとも、安い予算で、質の低い教師から質の低い教育を
もっともらしい顔をして、義務として受けさせられるよりは、ずっといい。

大切なことは、学業を志した生き方も、そうでない生き方も、
それぞれ尊重しあえることが大切なのである。

そのためには、子どもを育てる親に対して、
「○○しないと子どもが大変苦労し、取り返しがつかない」という
脅し文句で脅迫することも、そういうことに怯えることも、
もう、いい加減脱却しなくてはならない。



人生は一度きりしかなく、十代の時期というのは、
独特の季節だと思っている。大切に、生きるべきだ。



2004年08月16日(月) 戦没ということ

終戦記念の行事。
ラジオで流れる天皇陛下のお言葉
「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」のくだりで、
Hがぼそっと「戦争行ってるじゃないか」とつぶやく。



戦死者を語る場合、
整理しておかなければいけない二つの立場があり、
それは、戦争に行かせたものと、行かされたものである。

政治家や官僚という、職務上、戦争に行かせたものの延長線にある人は、
ここのところをわきまえるべきではないかと思う。
市井の人々の無念と悲しみを前に、
ただ頭を垂れ死者の声を聞いて欲しいと思う。
先の大戦で損害と苦痛を与えられたのは、
この国の国民だってそうなのである。

だから、ただでさえ、イラクに自衛隊を派遣している小泉政権などは、
先の戦争で人々が死んでしまった悲しみを、
一般国民と決してシェアしてはいけないのである。

それなのに、「祖国を思い家族を案じつつ戦場に散り」などと
戦没者に対して筋違いのセンチメンタリズムに酔いしれている。
首相の演説に言いようのない不快感を抱いた理由が、これである。

この人には「護国の道具として国民を使う、そういうリーダーになってみたい」
という願望があるのではないかと思わせる。



戦没者達は、みじめな、無念の死であり、
死にたくない、という叫びの中で、
国策によって紙くずのように命を使われた。
やりたくもない殺戮を、恐怖のなかで強いられた。
家族は、本当はかけがえのない大切な人を、
よくわからない戦争のためなどに、失いたくはなかった。

戦争で命を落とすことのリアリティは、これではないのか。
だからこそ、「もう二度と嫌だ」と思うのではないか。

そういう遺族や国民の心と口をふさぎ、
この国の戦後を支えた英霊だ英霊だと祭り上げる気味悪さ。



2004年08月14日(土)

山の家に緊急避難。
ふらふらでハンドルを執りたどり着く。

一日中、寝て過ごす。眠っては目覚め、目覚めては眠る。
今日は「寝たきり」という言葉に、
一切の悪いイメージをもつことができない。

槿は、もう少し低く刈り込んだほうがよいだろうか、と庭先から問う父に
布団の中から、満開の濃い桃色の花を眺めつつ、
そのままでよいと思うと応える。

疲れてむき出しになった感情の芯線が、
少しずつ被覆されはじめる。



2004年08月12日(木) トウキビ災

全くひどい気分で、一日を過ごす。
原因は、二日前の生活態度にある。

40度近い熱のなか、トウモロコシ50本を茹でていた。
気温ではない。体温である。

普通の人は、40度近い高熱でトウモロコシを茹でたりしない。
病院へ行って、点滴でも打ってもらうか、少なくとも
横になってねているはずである。

高額契約のキーマンだから客先に立ち会わなければならない、とか
半年前にやっとアポがとれた要人と会わなければならない、とか
重大な過失のクレーム処理に行かなければならない、とか
何百万部の出版物の締め切りに、原稿を間に合わせなければならない、とか
大事な国際会議に出席するための海外出張に行かなければならない、とか

そういうビジネスベースの類ならば、まだ格好がつくが、
そうであっても、本当はやるべきではない。
所詮トウモロコシとあまり変わりない。

死にそうな高熱をおしてでもやっていい事は、
親の死に目に会うことか、
それに自分が命をかけていると思える作業だけだ。
(そして私は、50本のトウモロコシを茹でることに決して命をかけていない。そうするための宗教上の理由もない。)

成り行きや社会的責任や金目で休むことを許されなかった記憶は、
「その時とるべきだった休息」を手に入れるまで、
その人の心の重荷になって海の深みに横たわり続ける。



大鍋で、薄緑から黄色に、鮮やかに変色していく、
はちきれそうに豊満なトウモロコシを、綺麗だなとぼんやり眺め、
茹で上がった一本一本を、ラップフィルムで包む。
届ける際に入れた箱に、
「40度でボイルしました」と落書きしようかと思ったが、
意味がないので、やめることにした。
そんなホールデン・コールフィールドみたいな
子どもじみたことをするのなら、最初から人に頼めばいいんである。



不必要な頑張りを、不必要な責任感でやってしまったために、
生きていく力を、すっかり使い果たしてしまった。

生きる力は、スプーンひとさじも残っていれば、
ヨーグルト菌のように、また増えていくものだ。
それを、歯磨き粉の最後の1cmを搾り出すように、
無理に押し出した自分が悪い。
すっかりなくなってしまっては、まさに、元も子もないのである。
人様から分けてもらいにいかないといけない。



しかしそれでも、本当に心身共にボロボロでも、
こういうことを「書くことはできる」自分が不思議だ。



2004年08月11日(水) ニュース満載

地元の、少しのんびりした新聞を読む。
「山ろく清談」とタイトルされた、著名人へのインタビュー特集。
本日は、バイオリニストの高嶋ちさ子さんという方だった。



色々と思いの至る記事が多い。
珍しい日なので、思うところを全て記す。



美浜原発事故 点検対象漏れ放置
事故の原因は、廃管部分の「減肉」と呼ばれる磨耗現象だったようである。
運転開始以来、27年間一度も点検されていなかったのらしい。
この「減肉」という専門用語も、すごい響きをもっているが、
やがて一般の知るところになるのだろう。

科学の専門家というのは、時に専門用語でしか理解しない節があるから、
どなたか専門用語を身につけた一般人が、高度な専門用語を駆使して、
防げて当たり前のミスを指摘して下さらないものだろうか。

冷却水の配管といっても、破損した辺りで140度もあったらしい。
さらに、配管の中は約10気圧の圧がかかっていたので、一気に蒸気となって噴出したのだそうだ。

この出来事で、学生時代のある「事故」のことを思い出した。
学校の研究室で、圧力鍋という便利な調理用具を使っていた時、
どういう勘違いか、鍋の扱いを知らない先輩が
常識的に扱えば決して開けない安全弁を開けて、圧抜きをしてしまった。
煮えたぎったシチューが、間欠泉のように天井まで噴出して、
大変な騒ぎになった。
あの時顔面が鍋の前にあったら、あの人は相当な重症を負っていただろう。



サマワ宿営地数十メートルに着弾 迫撃弾3発確認
三次要員が来るから3発か。
「日本の政府筋は『個人的見解だが、日本を狙ったものとしか考えられない』と述べた。」の記事。
そんな、発言者の立場が明確にできない、しかも個人的見解などなら、
載せるなといいたい。
何故、宿営地数十メートルに着弾しているのに、
はっきりと、「日本が狙われた」と書けないんだろうか。
迫撃弾に送り先でも書いていなければ、判断できないのだろうか。

それはそれとして、最近私は、自分に
現地に赴く自衛隊員に対して、同情や苦労を労おうという気持ちが
少しずつ失せつつあるのを感じている。
あまり彼らにシンパシィを抱いてはいけない、という風に思い始めている。



不登校2年連続減少 文科省調査 本心は行きたくない子も登校
行きたくない子も登校している、というのはフリースクールの代表者のコメントである。文科省の調査でそこまでたどり着いたわけではない。
しかし推測するにかなり実態に沿ったものだと思う。

「不登校児への積極的な関わり」という国の上意下達によって、
教師達は勧誘員と化し、不登校児の家庭へ日参した、
その成果というわけである。
そこには、絶対に、ノルマが存在していたはずである。

不登校の子どもの心中を図ることもなく、
頭数としてだけの存在として、ささやかな安住の地から、
引きずり出される子ども達を気の毒に思う。

もうこの際言ってしまうけれど、
私は学校や教師というものが得意ではない。客観性に欠けるからだ。
未だ微熱が残り頭が回らない体なので乱暴に断言してしまうが、
もう、学校というシステムは、教育機関として機能していない。



戦争の記憶継ぐ意味は 東京で「崩れゆく歴史」展
夢の島公園の中にある「第五福竜丸展示館」内でのイベント案内。
歴史は過去のものになる、人は忘却する、という厳しい原則を認識してこそ、
記録を検めることに意味が生じ、現代に生かそうという活動が発展する。
そう思わせる、タイトルであった。
「私たちは忘れない」というふうに訴えるよりも、説得力がある。



阻止された二万人集会 中国当局2300人拘束 サッカー日中対決と同日
注目した点を整理すると、ざっとこんな感じである。
・この集会を計画した李小成という人は、7月後半に、北京市へ、集会とデモの申請書というものを提出していた。それに対して中止命令は出なかった。
・7日はサッカーのアジア・カップ決勝と重なったこともあり、中国政府は力ずくで封じ込めたとみられる。
・集会の内容は、官僚腐敗や土地の強制収用に対する農民や住民の怒りを訴えるものであり、これに類する内容の直訴は、激増している。
・地元政府は直訴阻止のため、公安当局のほか、暴力団を動員している。

これで解決するわけがない。またそのうち何か起きると思われる。
内政の不満からくる小さな火花をスパークさせていると、
自由と平和を謳うあの国から、火薬をもった武器商人達がやってきて、
常時小さな紛争をしていなければならない国にされてしまうと危惧する。



2004年08月10日(火)

風邪で発熱。
今年は、何だかしょっ中、寝込んでいる。

厄年とかそういう節目を、全く意識せずに生きているのだけれど、
もしかしてそういうものなのだろうか。

「それはそれとしてやることはやって」という厳し目の方々との
気合を入れたやりとりの後で、
ひどく体調を気遣ってくれたTさんの言葉がありがたく、
不覚にも落涙しそうになった。

保育園なんかで、いい大人が、である。

とても恥ずかしいので、早く治そうと思う。



2004年08月06日(金) 後付日記

時事社会のくせに、事後に書いている。
2日も3日もためて書いている。
小学生の夏休みの宿題のようである。

ライブドア堀江社長が、球団設立の意志を表明

スポーツ界は、何だか賑やかしいことであるが、
堀江社長は、よいライフワークを見つけられたようで何よりである。
何となく、従来の既得権益に挑む、という点で、
道路公団に詰め寄った猪瀬直樹と同じ匂いがする。

こういう活動が、後の政界進出などへの
皮算用でない限り、氏を応援したい気持ちだが、
そこのところはわからないものだ。

浪速の商人は、優れていればいるだけ、
生涯商人でいて欲しいのである。



2004年08月05日(木) 合体ロボットの歴史

夏の休暇の準備を整える。

Hと簡単な昼食を済ませながら、サッカーの話題。
いっそ日本のサポーターは、よい機会であるから、
中国チームを応援して「正しい中国チームの応援の仕方」を
教えてあげたらどうだろうか、
と、どうも間の抜けた会話。



日本の山国では、
中国からみればせいぜい猫の額ぐらいの関ヶ原に集まるのが
「天下分け目の決戦」だったと言われている。
「峠一つ越えれば言葉も文化も違う他国」の感覚の下で、人々が
万障繰り合わせて、山川越えて参集するのは大変な作業なんである。

現代社会ではそういう困難さはなくなってしまったが、しかし
「人が一同に会して群集となることは、(あるいはその群集から外れることは)、その個々人に、何かの目的やモチベーションがあるはずだ」
というのが、習慣的に日本の判断常識となっている。

全共闘とか、宗教活動とか自然保護運動でも何でもよいが、
その本来の目的だけでなく、異性にモテるとかお金が儲かるだとか、
何か個体としての自分のプラスになるものがあるはずなのである。

しかし、私が思うに、中国という国は、違うのだと思う。
とにかく集まって群衆になっておいて、その後何をするか考えよう、
自分に徳か損かは、さらに後で考えよう、という、
日本のそれとは全く逆のプロセスになっている気がする。

まるで子どものアニメ番組に出てくる合体するロボットのように、
簡単に何万人、何十万人による人間の集合体を成立させ、
別の人格やうねりを作り出すことができる。

長い歴史の中で、群集になることに慣れているのだ。
これは、民度が低いという一連の出来事に対する批判とは
別のところにある、中国という国の、底力である。

そこには日本人には理解できない群集心理や
群集としての生態というのが、きっとあるのだと、私は推測する。

そこを上手く弄れる「群集使い」のような部分が、
彼の国の指導者には資質として求められるのだろう。



2004年08月04日(水) 家なき子

「川島芳子獄中記」を、何となく読む。
映画「ラストエンペラー」で、
皇帝溥儀の奥さんを阿片中毒にさせていた人だ。

ここは川島芳子が女学校時代を過ごした場所なのであるが、
清朝王家のお姫様であり、日本の金持ちの養女であり、
東京という都会からやってきたシティガールであり、
あらゆる面で、何一つ、自分達との接点がないこの川島芳子という人を、
この土地はもちろん受付けなかった。
休学後の復学拒否と言う形で放校されたのである。

そういう土地の人が、
後にこの人物の記念的出版物をつくったり、
記念碑を建てたりすることの滑稽さ。

話はとぶけれど「ヤンキー母校へ帰る」の義家センセイも、
故郷である信州と肉親から、追い出された人である。
だから長野県教育委員会は、この人を
絶対に講演会になど招聘できない立場なんである。

別に「後に有名になったり立派なことをした人の過去」や、
山国故の、信州人がもつ偏狭さのことを問題にしているのではない。
「自分達と違う」という理由で、
所詮ちっぽけなコミュニティから多勢に無勢で人を排除するというのは、
動物的で原始的な衝動なのかもしれないけれど、
それだけに、なんかみっともないことだなあ、と、思うわけである。



件の獄中記は、養父である川島浪速の秘書が編集したとあるので、
本当に本人の著によるものかどうかはわからない。
だいたい川島芳子本人も、処刑されず生き延びたという説もある。
記録とはあやふやである可能性があり、そうしたことを前提に読む。

この人は性同一障害だったんじゃないか、
幼少時からその傾向があって、
だから実父が養子に出す時に、養父へ
「君に玩具を進呈しよう」などと言ったのではないか。と推測するが、
一般的には違うとされているらしい。

養父から性的な交渉を強いられたため、
あえて男装するようになった、との説もあるらしい。

しかし、やはりこの人は女性性を全うすることはなかったのではないか、
と、どうしても思う。
獄中記最後の、執拗なまでの女性性、母性賛美と、
女性性を隠すのではなくよく知り、楽しみなさい、という姿勢は、
単なるジェンダー論者には書けない気がする。

もう完璧に根拠のない思い込みであるけれど、
男でもなく女でもない、中国人でもなく日本人でもない、
そのような川島芳子のアイデンティティは、おそらくは、
王家という血筋から受け継がれる、
民衆を俯瞰する視線だけだったのではないか、と思うのである。

民衆が笑って暮らすのを見たかったがために、
やたらと日本と中国の間や女と男の間を行ったり来たりしたばかりに、
その目的が平和であることを理解できない人々によって、
この世から排除されてしまったのではないだろうか。

憶測ばかりなので、あまり真面目なものではないのだが。



2004年08月03日(火) ブログディスクロージャー

インターネットが生活に入り込んでから、
早いものでもう6年か7年近く経つ。

当時は「ホワイトハウスに手紙が出せる」とか、
「クリントン家の犬の写真が見られる」とか、
そんな、今考えればどうでもいいエピソードに、
ウェブの世界の驚きと感動をはきだしていたものだ。

動画も音声ももちろんない世界だったけれど、
ネットのもつ世界の広がりの意味は、
今よりも手ごたえのあるものとして感じられた。



インターネットは、
世界中のどこにでも簡単に公開されアクセスできるという
特徴があるけれど、
可能となる世界の広がり方に対して
使う方はそれほど間口が広がった訳ではない。
だから、ポータルサイトも国別で、さらにジャンル分けされている。

情報検索には便利な機能ではあるが、
コミュニティサイトでも同じようにテーマやジャンルなどが分かれ、
「ブレのない」相手との交流ができるように便宜が図られているのである。

不特定多数と繋がることができる可能性の中で、
特定の者同士集まろうとするのだから、
人間とは不思議な生き物である。

さらに昨今のブログや、そのトラックバック機能というものは、
本当になんだかよく分からないのである。

開かれたインターネット世界の片隅の、
サーバ業者に囲い込まれた一角の、さらに
色々にグルーピングされた狭い一室で息をする不思議。

確かに、大海の要所に整備された港のように、
ネット上で拠点となる、心休まる場所は必要だと思う。

しかしこのような場で自分自身を表現したり
誰かとコミュニケーションをとる際には、
「業者の提供したコミュニティサービスの中におり、
それはかなり閉じた世界である」
という自覚が必要なのだ、という気がしている。



2004年08月02日(月) 休業脳

朝晩の空気に、ごく微量であるが秋の気配が混じり始めた。
その証に、晩にはコオロギが鳴いている。

ニュースをザッピングす。
民法が全面現代語化、新潟での山岳遭難事故、
多国籍軍への参加を定める恒久法の準備、
防衛大綱改定への中間報告。

しかし本日は思うところなし、なのである。
神経が季節の狭間に囚われてしまって、どうもいけない。

渡り鳥ならば旅立ちを決意するような、
そういう部分のスイッチが、自分の中で押されている感じだ。

こういう体たらくに、お粗末な言い訳をするならば、
自分には何か書いて吐き出さずにはいられない
陰惨な事件や醜悪な失態が起きるぐらいなら、
呑気に脳を休め、季節を味わっている方がずっといい。

とにかく今日はダメだ。こういう日は。



2004年08月01日(日) 水難事故多発

水難事故のニュースが、小さく紙面に出ている。

何年か前に、海水浴場で目撃したことがある。

遊泳禁止区域というのは、それなりに理由があるのであって、
潮の流れにとられてしまった小学生の女の子と男の子とその親が、
水平線の彼方へ見る見るうちに追いやられていった。

遠く波の間にまに見え隠れする、ごま粒のように小さな二つの頭が、
お兄ちゃんと妹のようであった。
当然浮き輪も何もつけていないはずで、
それでよく何分も浮いているものだと思った。水も相当冷たいはずだ。

まもなくレスキューに助けられた父親は、浜辺で号泣していた。
続いて救助されたお兄ちゃんは、震えていたが自分で立って歩いていた。
小さな妹は見えなくなって、浜辺の人々はみな目を凝らして
何分も何分も、水平線の彼方を探した。

姿を見失った妹の救出の目処が立たず、
もう帰ろう、と帰路につく途中、救急車とすれ違ったが、
既に死亡していた女の子を載せていたことは、翌朝の新聞で知った。



何となく夏の風物詩のように取り上げられているが、
水の事故は、いや自然の災害とは、
実際は足がすくむほど恐ろしいのだと思う。


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