浅間日記

2004年10月31日(日) 広大な国土の閉塞感

マイケル・ムーア監督の初作品「ロジャー&ミー」を観る。
GMの工場が閉鎖され多くの失業者を生み出した監督自身の故郷のドキュメンタリー。
GMが全世界だった人生や家庭が、根底から崩れていく。
それなのに、馬鹿明るい慰問パレードが街を行きかい、音楽ホールでは
慰問のタレントによるショーが繰り広げられる。
失業者は、これらに興じているうちにさらに気力や財力や家を奪われ、
緩慢な死に向っている。



広い国土をもつというのも、考え物だ。
日本ならば同じ距離で台湾や中国やベトナムなどの異国を意識することができても、
アメリカのような広大な国土では、せいぜい東海岸から西海岸に到達するだけだ。まだアメリカなのだ。

住んでいる人達はそういう自覚があるのか知らないが。
アラスカとフロリダは別天地と思い込みバカンスに出かけても、そこはどのみちアメリカなのだ。

アメリカ人はアメリカから逃れられない。
どこまでいってもべったりとついて回る。アメリカの資本が。
同じ広告、同じ商品、同じ言葉、同じ文化、同じ価値観。選択の余地はない。

常に何かを消費し、サービスを受けることから逃れられない。
知らず知らずのうちに、自分の自立心も命も、大資本に吸い取られていく。
こういう、笑いながら死ぬような運命から、死ぬまで逃れられない。

この映画を観ていて、この国のそういう恐ろしさを感じた。



2004年10月30日(土) 都市公園事業

曇天の中、HとAと、アルプス安曇野国営公園に出かける。
最近一部開園したばかりの公園である。

国営公園というのは都市公園法に基づき国が整備する公園で、
現在16ヶ所が開園している。管理は主に公園緑地管理財団という
財団法人が行っている。



随分と、林を開き土地を造成して、キレイな公園になっている。
どうしてこの場所に「都市公園」なんだろうか、
田中康夫知事が酷評していたのも、これは仕方ないな、と
ぼやき半分、一方で植栽のしつらえのよさに関心半分で園内を巡る。

モノは考えようだから、
北アルプスへ強行軍しようとする、中高年登山者の振り分け先として、
まあこういう場所があってもいいのかな、とも思う。

しかしこれだけの施設を整備する金を、
周辺のしょぼくれた森林の手入れにつぎ込めたら、またそうでなくても
小規模でも、地域の住民が利用しやすい公園整備に振り分けられたら、
どれだけよくなるだろうね、とHと話しながら、園路をたどった。



2004年10月29日(金) 陛下万歳

赤坂御苑で28日に開催された秋の園遊会で、天皇陛下が
学校現場での日の丸掲揚と君が代斉唱について、
「強制でないということが望ましいですね」という発言された、というニュース。

これは、「日本中の学校に国旗を揚げ、国家を斉唱させることが
私の仕事でございます」という、東京都教育委員会委員の
米長邦雄さん(61)の発言を受けたもの。

この人は棋士という肩書きがついている。
それが何の意味をもつのか、また教育とどう関係するのかわからないが。



やんごとなき皇室の、天皇陛下は、決して不必要なことはお言葉になさらないけれど、
「…させることが私の仕事だ」と張り切るこの米長という人に対して、
私は遠慮なく、陛下の言葉の上の句を思う。

そのように言って、あなたは満足かもしれないが、
それを仕事とするあなたは嬉しいかもしれないが、

強制でないということが望ましいですね、と。

教育分野のニュースで、久々に胸のすく思いをした。



2004年10月28日(木) 生死への共感

朝刊一面に目を通す。
新潟での、母子三人の救出・生存を巡る報道。
イラクで人質となった男性の救出を巡る報道。

誰もが感じるように、人質の記事は扱いが小さい。
前回の人質事件とは、比べようもないほど小さい。
あの時は昭和天皇崩御並みの文字の大きさだった。

土砂に埋まる事件が二つ、三つと増えれば、
おそらくこちらも扱いは小さくなる。

またそうでなくても、もしこれが大きな地震に伴う土砂災害でなければ、
同じように取り扱われたかどうか(救出方法も含めて)は、わからない。

報道というのはキャパがあり、情報は相対的な重みを持つ。



人の命は平等に尊重されなければならないが、
人の生き死にへ共感することは、そんなに簡単なことではない。
それは精神衛生上のプロテクションでもあるから、悪いことではない。

全ての生死に対して、今回の土砂で埋まった親子のように共感していたら、
とてもではないが、自分自身の生を維持することはできない。
このことは、ホスピスケアワーカーが職務上大変なストレスをもつことでもわかる。



しかし、共感するかしないかを決めるのは、常に自分自身でありたい。
報道の時間や新聞記事の大きさではなく。

また、それがたとえ、自分には縁がなく共感できない生死であっても、
そこには必ず、一つのかけがえのない物語があるのだ、ということを忘れずにいたい。

人は皆、生まれてきて、そして皆いずれ死ぬ。
土砂で埋まらなくても、いつか死ぬ。運が悪ければ殺されたりもする。
人間とはそういう「生き物」なのだ。



2004年10月27日(水) PTSDメーカー

被災地へ、ささやかな義援金の募金をし、アレルギー用の粉ミルクを送る。
郵政公社では被災者への救援対策として、現金又は物品を送る場合の
送料免除
を実施している。



PTSDについて、ラジオで取り上げていた。
専門家曰く、今はとにかくきちんと寝られ、食べられ、
風呂に入れるなど、身体を休められることが一番大切、とのこと。
身体と心はつながっているのだから、と当然のコメント。

災害時の恐怖や緊張は、災害が起きたという事実だけでなく、
避難時の非日常的な生活など、非日常的な防災体制の雰囲気によって
生み出されるところが大きい。

ところがこれを増幅するかのように、報道ヘリがうるさく飛び交い、
TVが現地入りし、あちらこちらで記者が恐怖や緊張を確認しにやってくる。
アナタは恐ろしいのですね、つらいのですね、大変なことになりましたね、
身近な人が亡くなって悲しいのですね、と。

被災者の方々はマスコミによってPTSDになるべく刷り込まれている。
気の毒でならない。

これはきっと、きちんとした専門化が整理して、
番組を提供しているスポンサーへ苦情をいうのが
一番阻止力があるのだろう。



私の想像だが、
郡部が被災地となった今回の震災は、
阪神のような都市部のそれとは異なる面があると思う。

地域のコミュニティがしっかりしていることなどは既に報道されているが、
小千谷市あたりの人々は、土地を知り、過去の災害を知り、人を知り、
自分達の地域の管理は自分達でやってきた、という、
足腰の強さをもっている、と想像する。

もちろん大変なことには変わらないが、
早くその足腰の強さを、自らの復旧活動に駆使できるように
この急場を支援することが、国をはじめ外部の人間の使命ではないかと思うのだ。




2004年10月26日(火) 被災

早朝より家を出て、朝一番で都庁へ。
午後もみっちり拘束される。

帰りの電車の中で読もうとカバンに入れた本も、
疲れて読めず。

ご実家が長岡だという、元職場のMさんは、
大層憔悴していて、とてもお気の毒であった。

ブログというのは、NY同時多発テロ後の情報交換に大層活躍して、
そのことが普及のきっかけになったと聞いているが、
今回の地震では活用されているのかな、などと、
睡眠の足りていない頭で駄考を繰り返しつつ、
夜汽車に揺られていた。



2004年10月24日(日) 毒を喰え、皿まで

地震の深刻なニュースよりこっちを優先させるのも何であるが、
捨て置きがたいのが、米国産牛肉輸入再開の記事である。


この件については、
勝手に師匠的日記とさせていただいているJIROの独断的日記で、
大変詳しく解説されている。
そして本日付の同氏の日記でも、23日のBSE協議の件についてふれられている。



腑に落ちないのが、今回の輸入再開が、
日本の国産牛のアメリカ輸出解禁と、バーター取引であるような臭いがすることだ。

「クレージーメーカー」という本を読むと、アメリカという国の大変お粗末かつ
危険な食糧事情がよくわかる。
アメリカ人の脳のお粗末かつ危険な事情、と言い換えてもいい。

そういうことをするのはアメリカだけだと思っていたが、
日本よおまえもかという感じだ。
今回の協議結果は、国民の健康を代償に、国内食肉産業界を支援しようという思いが、そこここに感じられる。



2004年10月23日(土) 曇天

Aの運動会。Hが予想外に早く帰国し参列できたのでよかった。
いい天気とはいえないまでも、雨や嵐でなく屋外でできただけよかった。



家に戻り仕事の段取りをつける。
これからは自分で自分の仕事の金額を決めなければならないと思うと、
少々気が重い。

金のネゴシエーションをするのが嫌なんである。
あれは自分の経験分野では完全に男社会の枕芸で、私にはできない。
しかしそれをやらないと、一人前になれないこともわかっている。

できればやはり、サラリーをもらって暮らしたいものである。



2004年10月22日(金) はんらんの話

重慶で、民衆が暴動を起こしているそうだ。
市庁舎を3〜4万人もの群集が取り囲み、催涙弾などで鎮圧されたらしい。

一体何故重慶という土地で、
日本人がバッシングの標的にされたり、
人々のこのような怒りや悲しみや閉塞感が噴出するのだろうか。

能力のあるリーダーや組織によって起きた事件にはみえない。
たまたま道端にいた一人の市民の戯言が、このような暴動につながったのだから。

日本をはじめ海外の事業所が多いことが、一つのきっかけではないかと、想像する。
資本主義国の文化を身近に感じ、隣の芝生が見え、
自国の統制に対する不満や不条理に気がついてしまったのではないか。
そういう群集心理に対して、害虫を駆除するように催涙弾で追い払っても、解決にはならないと思う。
しかし中国の文化を解さない私の考えだから、間違っているのかもしれないが。



ローカル紙の一面は、ここはメコン川かと思うような、千曲川の写真。
チョコレート色の水が本来の河道が判別できないほど、広がっている。

蛇行を繰り返す千曲川の防災上の弱点は、土砂が溜まりやすい曲線部にある。
写真に写っている氾濫場所も、やはり曲線部であり、
氾濫で残された水域は、地理の授業で習った三日月湖そのものである。

今回の台風23号は、河川だけでなく山々にも、結構な傷跡を残した。
晴れ渡った空に現れたアルプスのココそこに、爪で引っかいたような崩落地がみられる。



自然災害は、まことに大変なものだ。
三位一体の改革で防災関連の国庫補助金も削られる予定だが、
こんな国土規模の大災害の復旧を、
たまたまそれが発生した小さな山奥の村や町が担わなければならないのだろうか。
それとも緊急時のことは、「地方にできることは地方に」の対象から外れるのだろうか。

山村で暮らしたことのある政治家でなければわからないこともある。
都市票を重視した政策を重視することも分からなくもないが、
地方政策については、こういう点が今後心配である。



2004年10月21日(木) 嵐の後に来るものは

台風が過ぎ去り、翌朝のさわやかな青空とともに、Hがインドから帰国。
そして、私には新しい仕事が入り、
どうやって東京通いの算段をつけるか思案する日々がまた始まる。

なにもかも示し合わせたようなタイミングで始まる、新しい日々である。



2004年10月19日(火) 運転憎悪

自動車免許の更新にゆく。

受付時間は一日のうち、午前と午後のそれぞれ1時間しかない。
着いたその時には、既に行列である。
馬鹿みたいに番号の指示に従い馬鹿みたいに列にならんで、
馬鹿みたいな金を払う。

「交通安全協会にご協力いただけますか?」の問いに
「いいえ交通安全協会には入りません」と明快に返答する。

「高いなあ」とぼやいていた隣のおじさんのその手にも、
交通安全協会の、過剰に高品質に印刷された冊子が握られていた。
観察していると、ほとんどの人が迷いもなく協会に加入している。
この不景気にみんなリッチだなあと、思う。



1700円も払わされた安全講習で、見るからに警察OBと思しき講師が、
最近交通事故が増加していることを、自慢気に、とうとうと語る。

「じゃあ、この安全講習は何の成果も上げていないということですね」、
とひとくされ思う。

交通被害者の悲しみや怒りを食い物にしたビデオ。
こんなもので安全運転の動機になるわけがない。

同じ日に同じ交差点で、しかも片側四車線もの複雑な道路で、
右折と直進車の衝突事故が二度も起きるということなどは、
もはや運転者の問題だけではなく、
その交通システムに問題があるとしか思えない。
分析不足を棚に上げ、偉そうに運転者だけの過失にするなよ、と思う。



飲酒運転や劣悪な運転をする非常識な連中だって、確かにいる。
しかし免許の更新にやってくる人の大半は、常識的な市民であると信じている。
免許は文字通り免じる許可を与えるものであるから、
別ににこやかで丁重なサービスを求めているわけではない。緊張感は必要だ。
また運転不適格な人に免許を維持させないようなシステムは必要である。
しかし、そういう風には、免許更新の現状は全く機能していない。

もっというと、環境問題がこれだけ叫ばれており、
メーカーも努力しているのだから、
空ぶかしや整備不良の車を運転した場合の環境に与える影響や、
できるだけ車を使用しないで生活する方法なども、教育するべきだと思う。
警察は環境問題など知らん顔しそうだが、環境犯罪は年々深刻な社会問題となっているのだ。

もし自分や自分の家族が不幸にして交通事故の被害者になったら、
それも劣悪な運転者による事故などにあってしまったら、
加害者よりも先に、ここを訴えてやるぞ、と思いながら、
高圧的な態度に半日さらされた憤怒にかられつつ、家路についた。



2004年10月18日(月) 管制塔は象牙の塔

バンコク発東京国際空港行きの、オリエント・タイ空港のジャンボ旅客機が、先月19日に東京タワーの上空200mをかすめるなど、
都心部の上空をすれすれで飛んでいたらしい。
都心内部に今回のような大型旅客機が侵入することは、かなり異常な事態であるそうだ。

「飛行機を追っていると、都心部に向かっているのであれっ?と思ったら旋回して空港を向いたので、そのままにした」というのが管制官のコメント。

テロでなければ都心に飛行機が突っ込んでも構わない、
とでも思っているのだろうか。



同じ先月の初めには、
2001年に起きた日航機ニアミス事故で誤指示を出した管制官と、
その指導にあたっていた管制官の初公判が先月あった。
二人の管制官は無罪を主張している。
降下指示をする飛行機を間違え、指導官はそれを見過ごしたくせに。
それによって、乗客はひどい怪我やとても恐ろしい思いをしたというのに。

管制塔の中、というよりも国土交通省東京航空交通管制部というところは、
一体どういう体質で出来上がっているのか、
改めてマスコミは追求するべきだと思う。テロの恐怖以前の問題だ。



人的ミスの背後には、技術提供側の、技術に対する驕りがある。
三菱自動車の一連のクレーム隠しや、医療事故や原発事故などをみても、
そのように思う。

航空技術や医療技術は確かに大したもので、
素人が容易に理解できるものではないかもしれない。
だからそういうところに「どうせ解らないやつは黙って利用されていろ」
という気持ちが芽生える。技術に酔いしれた大いなる驕りだ。

自分が人間であるという自覚、
人間の犯す間違いについての理解、
社会に貢献しているという責任と想像力、
こういうものは、技術水準が高まれば高まるほど必要になるのだと思う。



ちなみに人為ミスについての分類にはこういうものがあるらしい。
・オミッション・エラー(実行すべき行為をしない)
・コミッション・エラー(実行したが正しく行わない)
・入力エラー(聞き間違い、見間違いなど)
・媒介エラー(判断や記憶の間違いなど)
・出力エラー(言い間違い、ボタンの押し間違いなど)
・スリップ(意図していないことをしてしまった失敗)
・ミステイク( 目標形成、意図自体の失敗)




2004年10月17日(日)

日中がさわやかに、雲ひとつなく晴れていても、心は晴れない。
その分だけ、朝晩が冷え込むからである。

これは放射冷却という作用のためだ。

その予想は的中し、夜半にはぐんぐん気温が下がるのがわかる。

これから春先まで一体何度、自分は寒さについて書くことになるだろう。

冬の時期にただ一つはっきりしていることは、
夜はさっさと暖かい布団にもぐりこみ、寝てしまうに限るということだ。
寒さに凍えながら世の中のことなど考えていてはいけない。

だから、政府が導入を検討しているサマータイムよりも、
ウインタータイムを導入してほしいと、私は切実に思うのである。



実のある日記は明日にしよう。
それも、できれば陽のあるうちに、書くことにしよう。



2004年10月16日(土) 前腕部怪奇譚

昨日、Hの夢を見た。
Hの前腕部の夢を見たと言ったほうが正確かもしれない。

長らく旅に出ているHの、影膳ならぬ影床を据えている。
つまり寝床を一人分、余計に敷いている。
ただ単に、広々眠りたいだけでそうしているのだけれど。

夢の中で、私はその影床に手を伸ばしていた。するとそこには、
間違えようのないHの前腕部があり、私はそれに触れたのである。
帰ってきているのだ!ただいまも言わずに布団の中にいる。

事実を確認するためとはいえ、朦朧とした意識を覚醒させるのは嫌な作業だな、と思いながら、よく考えてみたらそんなことは在り得ないから、
やはりHは帰ってきていないのだと気付いた。

夢のようだ、と言うのは夢でない時に吐くべきセリフなのに、
夢のようだと思ったら夢だったというオチは、滑稽だな、
と思い可笑しくなった、まさにその時まで、私は夢の中にいた。

そして、あのHの前腕部の生暖かい筋肉質な感触だけを残して、朝になった。



デリーまで下りてきたHから、予定よりも遥かに早く帰国できそうだ、
という連絡が翌日入り、これだったのかと思う。
察するに、腕だけ先に、家へ帰ってきたのだろう。
ボルヘスの小説のように、時空を超えて。



しかしだからといって、諸手を挙げて嬉しい訳ではない。
私は急いで、人に会うなどの色々な予定を、
とりあえずキャンセル又は調整せざるを得ない。

HはHで、万感の思いで家路を辿るのであり、
それなりに出迎えられることを期待しているのだろうけれど、
それにはそれなりの心構えや準備というものがあるのだ。

だから、帰国予定日までゆっくりタジマハルでも見物しててくれ、
とも思うのである。



2004年10月15日(金) 群集の力を確信する人

本日から新聞週間というものなのらしい。
ローカル新聞が、特集を組んでいた。
導入文は、このように綴られている。以下抜粋する。

混迷の時代に、新聞はこれまで以上に役割を果たすよう、求められている。
世界各地でテロがやまない。国内でも、虐待や自然災害で弱者が犠牲となる出来事が続発。暮らしの中で景気回復は実感しにくく、閉塞感が私たちを覆っている。「何かおかしい」「こうじゃないか」。そんな思いを抱く一人ひとりと新聞が、地方から共同作業で声を上げていくことが重要だ。(抜粋終り)



長野県というのは、実はいくつかの優れた出版社を生み出した土地である。
岩波書店然り、筑摩書房然り。
かつて教育県といわれた気風の表れかもしれない。

そして、そのうちの一つである、理論社の創業者である小宮山量平という方の話が、件の特集記事のメインに据えられていた。再び抜粋する。



「今は、政治のあらゆる場面で、『無理が通れば道理が引っ込む』という状況になっています。かつてなら考えられなかったような法案も、右から左へすっと通っていく。新聞などのマスコミもその問題点を一生懸命書いてはいるけれど、状況は変わらない。−中略−…有名人がスクラムを組んでも、いとも簡単にすり抜けていくむなしさを、私たちはこの間、何度となく体験させられてきました」(抜粋終り)

このように主張する小宮山氏は、有名人やメディアよりもむしろ、
群集の立場を鍛えることに、権力への有効な対処法の可能性があると言う。
そのためには、群集が一人ひとり自分の言葉をもち、
相手のつぶやきを認め合うモラルを確立することが大切だ、と訴えている。
最近の、ネット上での出来事なども背後に置きながら、冷静に分析している。

またその場合、「命が一番大事」という根源的でシンプルなものが、
群集が言葉を紡ぎ出す求心力たり得るだろう、とも言っている。

敗戦後の、日本人の思想・言論をリードしてきた人の眼差しは、
鋭すぎるほど鋭い。そして、話に無駄がない。

私も、自分の言葉をもち、人の言葉を尊重し、今生きている事実を一番大事なこととしたい。本当にそう思う。



2004年10月14日(木) スピーカーズコーナーで話したことのある人

何もせずに過ごしているようで、結構雑事を処理していて多忙。

車で移動中、国会中継を聞く。
日本のイラク支援継続について、郵政民営化について、等々。

なんだか筋書きのできている、三文プロレスみたいだなと思う。野次も含めて。
質問する議員も、話し方に抑揚なんかつけないでくれ、と思う。

確かに国会はわが国の立法機関として権限を有し、
議会制民主主義を象徴する神聖なる議場なのだろう。

しかし国民は馬鹿ではない。というよりも、利口になってきている。
ショー化された討論の舞台を見抜く目や、議論の質を見極める力がついている。



ネットの普及によって、情報の質と量と速さが飛躍的に向上した。
人々にとって情報は瞬間的に処理し、判断するものとなってきている。

だから、まるで相撲のように開会したり閉会したりする国会での議論は、既に情報鮮度が落ちていると感じる場合がある。
そんなこと、我々は既に議論しつくしたぞ、という場合が。



さらにネットという世界で、誰でも簡単に情報発信できるようになった結果、
−異論に対する誹謗中傷という、ネットコミュニケーション成熟過程の問題があるにせよ−
自分の考えを持ち、能力のある人は理論的にそれを組み立てることができ、
そのような情報を見聞することでまた自分の考えが成熟する、という現象がおきている。

要するに、ハイドパークのスピーカーズコーナーが、世界中に存在していると言うわけだ。



国民は利口になってきている。賢くなっているかどうかは別だが。
だから国会は、一つ一つの議題についてきりりとした議論で結論を導いてゆかないと、
この国の権限の在り処と議論の在り処に乖離が生じてきて、
少しずつその権威が失墜してくるのではないかと思う。

あの、だらだらとテーマを変えて話し続け、だらだらと回答するやりとりも今風ではなく、何とかならないかと思うのである。

いっそ、国会はウエブ上の掲示板か何かでやってはどうかという気すらする。



2004年10月13日(水) 奴らの足音のバラード・秋冬編

まったく認めたくない事実だが、朝晩がひどく冷え込む。
アレが、あのシーズンが、ついにやって来てしまう。

日差しは日に日に短く弱弱しくなり、それと平行して寒さもすすむ。
しかし心も身体も、未だ寒いシーズンを受け入れる気になれず、
この自然現象に対して、全く意味のない抵抗と葛藤をするのである。

そんな、10月中旬から冬至までの期間が、
私の信州暮らしの中で一番つらい、乗り越えどころである。



今年は灯油代がかかりそうだな、と覚悟を決めるが、
高い灯油を買うことで、戦争の風をふかせ、原油を買い占め儲けた
桶屋達の財布を暖めることになるぐらいなら、
いっそ薪ストーブでも入れようか、とも思う。



2004年10月12日(火) 声に出して読む手紙

昼過ぎに家に戻る。

H君に託された、インドのHからの手紙がポストに入っていた。
Aに急かされて読みあげる。

「…そういう訳で今BCにいます…、これでフィンは断念です。云々」

努めて冷静に読むが、ちょっと声が詰まりそうになる。



でももう、明日からは違う思考で行こうと思う。
仕方ない。それだけだ。

失敗は、私の結果ではないし、
落胆は、私の役割ではない。



2004年10月11日(月) 動物の悲哀

すっきり晴れない空の下、上野で久しぶりにKちゃんと会う。

動物園をぶらぶら歩きながら、とりとめのない幼馴染の会話をし、
一緒についてきたAにライオンやペンギンを見せてやる。

東京都は、バブル期の前後に、大々的な動物園の改修をやった。
「ズーストック計画」、というのをつくって、
動物園というものを戦前からの珍獣展示場から、
希少動物の種の保存に貢献する施設に生まれ変わらせた。
また園舎も、これまでの飼育場然としたものから、
動物の生態展示にシフトして、トラやゾウやゴリラの園舎などは
すっかり作り変えた。

そのせいか、動物園に固有の動物の悲哀が、以前ほど感じられない。
故郷には遠く及ばないにしても、動物達の
生き生きと飲み、喰い、眠る様が観察できるのである。




近くの質素な観光ホテルでデイユースをとり、
Aが寝入った後で、Kちゃんと本題に入る。

Kちゃんが抱えている深刻な問題についての、
近況を聞く。思いを聞く。

Kちゃんは話しているのではなく思いを吐き出しているのだから、
内容は真実であって真実ではない。意味があって意味がない。
でもとにかく、言葉に出して顕在化させることは大切な作業なのだ。

うんうんと頷きながら、自分の心根を掘るための
シャベルやツルハシを差し出す作業は、私は別に嫌いではない。
他ならぬKちゃんのことでもある。

小さかった頃や両親の話を語り合ううちに、私の目の前には、
ジャンパースカートにショートカットヘアの小学生のKちゃんが、
肩を震わせながら小さくさめざめと泣いていて、
私はとてもせつない思いがした。

誰もが皆、違う文脈の中で生きている。過去から未来へ。子どもから大人へ。
でもそれは、一人ぼっちということとは違うはずだ。



じゃあねといって、早いうちの次の約束をとりつけて、
今日は散会した。



2004年10月10日(日) 他人の無念

数日前に、どういうわけか、Hと一緒にいるはずのH君から
メッセージが入っていた。

「今日本に戻ってきたところです。ちょっと怪我をしてしまったので、
僕だけ先に帰ってきました。詳しい状況については今説明する訳にいかないのでまた電話します」とあった。

あの連中は、いつもいつも、シリアスな状況を、
七掛けか六掛けぐらいにして送ってよこす。
バーゲンセールのように。小学生の根性試しのように。

だからもう私は馬鹿馬鹿しくて、七掛けなら七掛けのまま
連中の状況を受け取めることにしている。あっそう、と。

そんなH君となかなか連絡がつかなかったが、やっと電話がかかってきた。
実はその時までに、私は留守本部のIさんから
大体の話を聞いてしまっていたのだけれど、
H君の元気な声を聞くことができて、やはり良かったと思った。

H君は、カムが外れて落ちたのだけど、ロープが結構出ていたことと、
鐙に足を引っ掛けてしまったので、靭帯を激しく痛め、
登攀不能となったのらしい。

そして、隊は、−Hは−、一応は山頂へ行ったらしいけれど、
所定のルートでの登攀は達成できなかったのらしい。要するに失敗である。
これまでにない最強メンバーで挑んだ、多分年齢的にも最後のトライが、
無念に終わったのらしい。
今は、口直しに二つ目の山を登っているはずだとのこと。

「皆さんの足をひっぱちゃって」とすまなそうに言うH君に、
そんなこと関係ないよ、一緒に行ってくれてありがとう、と思う。



電話を終わって、台風通過中の中、駅ビルに買い物に行く。
こぎれいな店内で、沢山のオリーブオイルやバルサミコやアルプス岩塩やサンダルフォーのジャムなどを物色する。
あれもこれも、買い足しておかないと向こうでは手に入らないなあと思いながら、まとめ買いの算段をする。

無念だっただろうな、と、考えないようにしても、ところどころで
思いが顔を出す。

人が直面する無念が、自分の中に流れ込んでくるというのは、
今日の嵐のようにハードだ。
棚にびっしり並んだオリーブオイルを物色することぐらいしか、
なすすべがない。

あの連中はまた、無念さも7掛けや6掛けで報告してくるので、
その時はやはり7掛けや6掛けで受け止められるように、
私は頑張ろうと思った。



2004年10月08日(金) コースか単品か

下北沢で食事をする。久しぶりの人と沢山会う。
こんなに沢山の人と話をするのは久しぶりである。

ブログについての解釈。
ネットで発信されている情報というのは、
ブログの特性がそうであるように輪切りにして読むか、
それとも発信した人を軸にしてたてに読むべきかについて。

たて読み派の私に、
「発信者をそれほど俯瞰することに意味があるの?」
というTさんの考え。

Tさんのような客観的な人が言うのだから、多分それは正しいのだと思いつつ、
でもやはり私は、人が表現するものは、
情報の集合体ではなく、経験の積み重ねとしか認識したくない、
と我侭を言うのであった。

当たり前の答えに何故早くもっていかないの?といいたげに、
「好みの問題だから、どっちもありだよ」、と、Yさんが最後に言った。



2004年10月07日(木) 大義書き換え上のご注意

来週、東京でイラク支援国会議というのが開かれるらしい。
パウエル国務長官が、支援額の早期拠出を要求しているらしい。
日本は2007年までに50億ドル、今年は15億ドルを拠出するらしい。

基金に参加していない国も多く、支援金も十分に集まっていないそうだ。
間違った戦争をしかけた張本人のアメリカが、会議を舵取りしている限り、
当たり前の話のように思う。全く笑止千万だ。



イラクに大量破壊兵器がある、ということを大義名分にしていたのなら、
小泉首相は、早く間違っていたと表明したほうがいい。
ご自分のためである。

大量破壊兵器はなかったけれどアメリカに協力した判断は間違いがない、
という態度は、つまり、大量破壊兵器の有無とは関係のない、
別の判断基準に基づいて政策を執ったということである。それはつまるところ、
「私は、その国のトップの態度が気に入らなく、国連にも協力的でなく、
なんとなく危なそうであり、アメリカの勘にさわるような国であれば(アメリカに利益のある国であれば)、戦争に協力します」
と言っているようなものである。

「あったと思ったからこの判断は正しいと思った。」、と言った方が、
いくらかましではないだろうか。



2004年10月06日(水) 至福上京

雨の行楽の、翌日の晴天ほどやりきれないものはない。
相変わらず雨が続くのは、さらにごめんだけれど。

*

本日上京す。祈るような、わくわくする気持ちで。
待ちに待った、ジョアンジルベルトの東京公演である。

私にとっては、否、多くの聴衆にとっては、
興行・公演などというものではなく、ジョアンの音楽に会う、と
表現したほうがいい、これからの数日間である。
奇跡と言われた昨年の来日に引き続き、
まさかの、しかもこんなに早い再来日が決まり、
胸を躍らせたファンは数知れない。

だから、開演が1時間以上多少遅れたり、
ステージの途中で30分も沈黙したりすることは、
興行としてはあってはならないことかもしれないが、
私たちはそんなことは全て、受け入れられるのである。

人生で出会える素晴らしいステージというのは、
人生で出会える友人と同じぐらい、数少ないものである。そう滅多にはない。
その宝物のような出会いが、一つから二つになる確信と喜び。

さらに急遽中止という事態も、充分あり得るのだが、
そこはもう、祈るしかないのである。
彼が「今ここで歌いたい」、と思うように。



2004年10月04日(月) ますらおぶり

家の外が騒がしいので外に出たら、神輿が練り歩いていた。
先頭は家主のKさんである。
やる時はきちっとやる、という姿勢で、威勢のいい掛け声で
若い衆を先導していた。

日頃をよく知っているだけに、格好いいなと惚れ惚れした。
ますらおぶり、という言葉を久しぶりに思い出した。



2004年10月03日(日) ナガランド州を探せ

北東インドで爆破テロ。

ナガランド州って何処よ、Hのいるところは何州よ、と、
しばしネットを彷徨う。

インドであることが不自然なほどの場所に、ナガランド州はあった。
ネパールと、バングラディッシュの、そのまた東である。

分離独立を求める反政府組織による連続爆弾テロだと報道されている。



分離独立を求める反政府組織。
組織の区分としては、昨今ではもう、目新しくもない。

誰が使いはじめた表現か知らないけれど、
「求めるが反している」というのは詳細を判断しかねる響きをもっている。
「反したことを求めている」というのとは違うようだ。
どちらかと言えば、「受け入れ難いことを求めている」、
と考えるのが妥当だろうか。

では誰にとって受け入れ難いのか、ということを突き詰めていくと、
そこに弱者と強者、マジョリティとマイノリティの関係が
浮き上がってくるのである。

イラク戦争を始めたブッシュ政権を、開戦を求める反平和組織、
とは、少なくとも公然とは、誰も言わない。



今回事件のあったナガランド州やアッサム州などインド北東部というのは、
宗教も言語も文化も民族も、インドの中ではかなり特異であるところらしい。

国家というのは、大国であろうとすればするほど、
こういう国内のフリンジを大切にしたほうがいい。
発現していないDNAとして、いざという時には
国力の底力になるはずなのである。

またこういう国内の異分子地域は、国境部分に位置していることも多く、
それもまた重要だと思う。
文化や言語や習慣において、隣国と共感できるグレーゾーンが
あるということは、何よりも平和の礎であり防護壁なのだ。

自然界に例えると、森の外縁部には、独特の種で構成され「ソデ・マント群落」といわれる植生がある。
これが森の外側とのバッファー的な役目を果たしていて、これがなくては森林内の環境や生態系は安定しない。



Hのいるところはウッタラーンチャル州という、中国との国境部分であった。
それがどういう意味かよくわからないが、
ここで心配していても仕方ないので、情報収集はもうやめにすることにした。



2004年10月02日(土) アート

地域の祭りの準備をする。
注連縄(しめなわ)を張るので、その間に挟む紙を折るように、と、
家主のKさんからのお達し。家主と言えば親も同然なので、ここは素直にチャレンジする。

大量に支給された奉書紙を机に積み、同じく支給された道具でとりかかる。
指定どおりの切り込みを入れて、指定されたように折る。
よく見慣れた、あのギザギザの折り紙ができあがる。
名前さえ知らなかったが「四手(しで)」、というのらしい。

自分の折った四手で、近所に注連縄が張り巡らされる。
全く都合のいいもので、自分で作ってみたそれは、何だか
清々とした現代アート作品に見える。いいではないか、などと感心してしまう。

しかし張り終わった30分後にそれは、
折からの雨でほとんど濡れ落ちてしまうのであった。


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