この家に転居して約10ヶ月 私は 今更ながら気が付いたことがあります。
1階トイレのドアを内側から見たとき 取っ手上部にあるカギを閉めた状態で
よーくみると
いや よく見なくても なんとなく アヒルっぽい。
・・・というか あっという間にコックさん♪
・・・っぽい。
いや 私は1階のトイレを滅多に利用しないので (ライナーやナプキン類を2階のトイレにしか置いていない為) 気付くのがこんなに遅くなってしまったわけですが 気付いたときは ひとり トイレの個室で 吹き出してしまいましたよ。下半身露出したままですけどね。ええ。
それにしてもこのコックさん。 目が×なのが いい味出してます。
私は彼に←♂なのか? 「ビッキー」 と 名前をつけました。
もちろんこのことは 家族には内緒です。
・・・。
えー 2度目の顔のカサブタがとれました。
まだまだ老人性角化症の治療は続きます。 3月中にあと2回は施術をしてもらわねばと思っている四十路です。
でもってここんところスギ様のお陰で目が痒いし おまけに奥歯のあたりが微妙に不快。 どうやら随分昔に治療してかぶせてあるインレーの下に違和感がある模様。
よく 家電に不具合があらわれるときは次々と壊れるなどと言いますが 四十路の体も同じようなもんなのでしょうか。
というわけで 私の2月はいつも微妙に不具合続きです。 目に漂白剤、目に杉花粉、歯にガタ、肌に老人性...orz
まだインフルエンザとか流行性感冒に罹患していないだけマシってことでしょうか。
・・・明日は歯医者です。
ああ神様 私の春は、いまどこに?
目が痒くて ではありません
あまりにもおかしくて腹が痛くて こんなにパソを前に笑ったのは久しぶりです。
「姉ちゃんの自作詩発見した」
既に書籍化もされているとのこと。 今更発見している私は遅れてきた四十路。
でもこれってば 本で見るのもいいけど スレごと見たほうが腹筋にはキクと思われ...
それにしてもルイーゼ、よくやったw
2007年02月22日(木) |
(つд⊂)カユカユ...... |
(つд⊂)ゴシゴシ...
(;゚д゚)
(つд⊂)カユイ...
_, ._ (;゚ Д゚) マ、マサカ…?!
杉様やおすぎが空気中に飛び回っていらっしゃいますか???
(´Д⊂
目が痒いです、目が痒いです... 開けてらんないくらいヒリヒリしばしばカイカイぐっすんです。
去年はそうでもなかったので 私って改質改善?と思って暢気に構えていたのが大間違いでした。
外へ出れば目が開けてられないほどに目がヒリヒリ。 ドラッグストアに売ってあった競泳用のゴーグルみたいなの(でも花粉症用)を買おうかと真剣に考えたほどにたまりません。
それにしても私は一体なんでまた おすぎだって杉様だって好きなのに 好きなのに何故アレルギーなんですか??? どーゆーこと?!ねえ、どーーゆーこと?はっきり言って頂戴っっ!!!
と ここでおすぎの真似をしても誰も答えてくれるわけもなく 私は目薬をさしつつゴシゴシしたくなる衝動を抑えて目をしぱしぱさせているのです。
どーしようかなあ ゴーグル買おうかなあ... でもあんなのつけて子供のお迎えなんか行ったら息子笑い者だよなあ
と悩んでいたら 68歳にもなって相変わらず能天気な母が言いました。
「100均で売ってるお面あるじゃない?あれ付けてったら?目のとこに透明のセロハン貼れば花粉も入らないしっ♪」
・・・なんですて?
コレですか???
・・・来週、眼科行って来ます。
えー 目下、顔面の老人性角化症治療の為 2週間に一度 液体窒素で顔面をジュージュージュージュー焼かれている哀れな四十路です。レアでお願いします。
1度目に焼かれた部分は一週間もしないで真っ黒なかさぶたになって落ちました。 恐い、恐すぎるよ。
そして2度目の焼き四十路。 今度はいつもより余計に焼かれております。 ヒリヒリヒリヒリ....
これも数日すれば真っ黒なかさぶたになってポロリンでしょう。 ポロリンしちまえばこっちのものです。
具体的にどんな感じなのかといっても 口で説明するのには限界がありますので 私がかかっている医院ではありませんが 以下のワードで調べれば出てくると思います。
脂漏性角化症の液体窒素凍結療法
参照先にありがちなデカいサイズではありませんが これより小さいのがいくつもあった私の肌って一体...
というわけで まずはこいつを完全除去したのち 残りのシミの治療(レチノイン酸&ハイドロキノンによる)を行う予定。
もー、いっそのことスチールウールで顔面の皮膚はぎ取って再生させたほうが早かろうにという感じの手間暇かかる治療ではありますが、四十路は気長に地道に頑張りますよ。だってもう若くないんですもん。ドクターの手をかりなければ、もう再生不可能なところまできてるんですもの!ねえ、そうでしょ美香さんっ!?
いやいやいや それにしても美白の道は遠い、遠すぎる。
2007年02月17日(土) |
スケーターズワルツ。 |
過日、学校の課外授業でアイススケートの体験学習をしてきた息子は 以来「スケート連れていってよー!!!」と五月蠅いので 本日カーナビ様にお伺いをたてましたところ 我が家から15キロ先にスケート場有りとのお告げがあり。
てなわけで今日はスケートです。
私はしませんよ?だって四十路ですよ? 最後にスケート靴履いたのはいつだったろうかと記憶をさかのぼってはみましたが、さかのぼりすぎて前世までいっちゃうんじゃないかと思ったほどに遠い昔でしたよ。
今のお若い方はご存じないかもしれませんが、私が高校生の頃まで天神のど真ん中(現在のソラリアプラザビル)には福岡スポーツセンターという広い広いアイススケート場があったんでございますよ。横には洋画の再映専門映画館・センターシネマもありました。卓球場もあったなあ。このスポーツセンターでは大相撲九州場所も行われておりました。プロレスも来てたなあ。ナツカシス...
で、私がアイススケートに興じたのはこの福岡スポーツセンターが最初(小学生)であり最後(高校2〜3年生)なのでございます。今でもソラリアの前を歩くとセンターシネマやアイススケート場を懐かしく思い出す、どこまでいっても嗚呼、昭和の女な私。
ああ、あれから24年。 今では息子をスケート場に連れていくような歳になってしまいました。嬉々としてスケート靴を履き手袋とヘルメットを装着した彼をリンクに送り出し、私はぬくぬくとした部屋でコーヒーでも飲みながら眺めていました。
1時間くらいたった頃でしょうか。 戻ってきた息子が言いました。
「かーちゃんもすべってよ!!!」
あいたー やっぱりそーきましたか。
しばらく抵抗を試みましたが無駄でした。 なので覚悟をきめてスケート靴を
靴を。
...24.5が入らない私の足って一体。
(´Д⊂
気を取り直してスケート靴を
25.0の
あたしゃオカマかよ....
スケート靴を履いて、リンクに出ました。
えー 息子は3日ぶりのリンクでしょうが 母は24年ぶりです。
恐ろしいことです。
恐ろしいんですが息子の手前手すり磨いてる場合じゃありません。
周囲を見渡して上手な人の動きから学ぶことに致しました。 そーでしたそーでした 片足ずつ体重移動して進めばいいんですよ。
というわけで リンクに立って数分でなんとか滑ることができるようになりました。
と 私の後ろから 「待ってよー」 と 小走りに走ってくる子供がいます。
息子です。
息子は滑るというより走っています。 走って勢いつけて両足でつーっと滑るのです。
走らないでくださいよ、お客さん。
息子はとにかく走って両足滑りを続けるので、転倒もしばしば。壁際でないと一人で起きるのもままならないので、私はそれを起こすために彼の後ろをついて滑ることに致しました。
なかなか始めると面白いもんですよ。スケート。 リンクの真ん中あたりにはやたらに上手な人がスピンとかしてます。 恋人同士できているのに彼がオタオタしてて彼女がリードしていたり やたらと8の字だけを書きまくっているスノーボーダーみたいな風体のお兄ちゃんとか。
こんな光景をみているうち、私の頭の中には昔懐かし福岡スポーツセンターで繰り返し聞いたスケーターズワルツが響いてきます。 昔のスケート靴(貸靴)はすぐに足の先が冷たくなって長い時間滑っていると寒くてたまらなかったもんですが、今は素材が良いのかちっとも冷たくありません。氷面も昔のようにびちゃびちゃしていないので、転んでもすぐにはびしょびしょに服が濡れることもありません。ボイラーの前でかじかんだ手を何度も温めたり、濡れた服を乾かさなくても大丈夫です。
昭和レトロな私の思い出の中のスケートとは違い、今ではまったく快適になっていたことには心底驚きました。
すっかり滑ることにも慣れた頃 息子と私は リンクの外に懐かしいものを見つけました。 カップヌードルの自販機です。(写真とりわすれた)
昔と違うのは、プラスチックの透明フォークでなく、ワリバシが置いてあることでしょうか。
3時間滑り通しだった息子はさすがにお腹が減ったらしく この自販機をみるなり「ホットヌードル」をねだりました。
ほっとっと、ほっとっと、ホットヌードル〜。 マルチャンです。
たしかにホットヌードルしょうゆ味は旨いよね。 息子は立て続けに2杯も喰いました。 相変わらずよく喰う7歳児です。
その後、30分ほど滑って時刻は午後6時半に。 さー、そろそろ帰るよ。
それにしても息子。
途中で父ちゃんに電話して 「ボクねえ!スピンできるようになったよ!」と虚偽の報告をするのはよしなさい。キミがスピンといってるそれは、ただの「Uターン」ですからして。
えー 我が家の敷地すぐ横の歩道にある植え込みに 看板を立てようが犬の忌避剤をまこうが とにかく犬の糞を放置しっぱなしにするバカ飼い主が多いことに頭を悩ませていた私&母ですが(特にうちの母)、ある日100均をうろついているとき、高さ25センチほどのワイヤーでできた小さなフェンスを見つけまして。
ぱたぱたと広げると横幅も1つ35〜40センチはあるかな?といったシロモノ。 同色のものがいくつもあったので、これをあるだけ全て購入し、早速植え込みに設置することにいたしました。
高さがあるわけではないので、どれだけの効果があるもんだろうかと期待半分あきらめ半分で経過観察しておりましたが、あれから二週間以上だった今、一度も犬糞を発見しておりません。
悪戯とかされるかなーとも考えましたが、そこまでするバカはいなかった模様。
というわけで、忌避剤よりやはりフェンスが一番だったなと思い知った私であります。
と 今日、二階の窓をあけて部屋の掃除をしていると 外で話し声が聞こえてきました。
どうやら私と母が設置した植え込みのフェンスについて話をしている様子だったので、バルコニーに出てちらっとその方向を見てみますと、お散歩途中らしき町内のおじいちゃんと、毎度おなじみご近所のおばあちゃんであります。
結構な声で話しているので、ついつい聞き耳をたててみましたら、こんなやりとりをされておりました。
「いやー、これはいい。わざわざつけられたんですかね」 「私もつけたいんですよ。でもイヤですねえ、飼い主は平気で放置していくんですよ。悔しくてねえ」 「私は正露丸をばらまきましたよ。結構ききめがありますよ」 「ああー、正露丸ですか、死にませんよね?」 「薬ですからねえ、死なないでしょう」 「毒でもまいてやりたいですけどね。さすがに毒はまけないし」 「毒はだめですよ。毒は」 「正露丸ねえ、臭いからねえ」 「いいですよ、正露丸」
・・・町内に植え込みが正露丸臭い家があったら、それは紛れもなく爺ちゃんの家だ。
2007年02月13日(火) |
なんて素敵なアヒルレース。 |
※12日の日記の続きであります。
やってきましたラクテンチ。 フルネームは「別府ワンダーラクテンチ」と申します。
ここは昭和4年創業の、まさしく戦前戦後の苦難を乗り越えて生き残ってきた歴史ある遊園地です。経緯はどうあれ、こんな山の上を切り開いて立派な遊園地を作ったものでありますよ、創業者様。
さてさて 念願のラクテンチに足を踏み入れてまずはびっくり。 遊園地に温泉があるんですねー。 入浴料も乗り物チケット一枚(300円) 温泉までもアトラクションの一つですよ。
しかもやたら見晴らしのよさげな場所にあります。
見晴らしがよさげといえば、そのすぐ近くにある大吊り橋。
うひょー♪
これがまた高所恐怖症の人にとってはスリラー館状態だろなって同情したくなるほどの微妙な揺れと不安定さ! 私はこういうのが好きな性分なので100円支払ってぞろぞろ渡りましたよ。
ですが前にいた酔っ払いのチビオヤジがしつこく吊り橋を揺らして周囲のヒンシュク買いまくっていたのは憐れでしたね。 あれも所謂ひとつのかまってちゃんなんでしょうか。絶対昨日は秘宝館に行っていた口ですよ、ありゃ。←勝手に決めつけているようだが絶対確実間違いなく行ってるはずっ(゚∀゚)ノケテーイ
さて 吊り橋を渡ったところで発見しました、アヒルレース♪ もー、はやく行きたい私の心を焦らしたいのかなんなのか 息子はゴーカートのコースのようなものをみつけて「これがいいっ!」と一歩も譲りません。 なので7歳児と生活習慣の酷似した五十路に同乗していただき、ブイーッと出発して頂きました。
息子は自分の出来ること、出来ないことを承知した人間なので、ゴーカートの運転は「出来ない」と判断し、五十路にハンドルを委ねようとしたんですが、係りのおじちゃんが「絶対大丈夫!ボクがハンドル握ってごらん!」と説得して息子がハンドルを握ったわけですが、あらあら不思議、息子は見事なハンドルさばきでカートを進ませるではありませんか。
・・・聡明な皆さんはもう既にお気づきですね。
これはゴーカートでなく「ロマンスカー」という名前で、ハンドルさばき無関係で一定の速度でもってぶつかることなくアップダウンの激しいコースをぶいぶい自走してくれるものだったのです。
しかし これまで遊園地のアトラクションにほとんど乗ったことのない息子は、そんなからくりを知るよしもなく、自分がひとりで操縦しているものだと勘違い。大喜びで戻ってきたのでありました。
もちろんまた乗ると言ったのは自然のなりゆき。 いいですよ、あなたが満足するまで乗ってごらんなさいな。
2度目は一人で乗ったもんだから、これまた鼻高々の大喜び! おもしろかったー!と満足げで、3度目をねだります。
いいですよ、どうぞどうぞ。
・・・3度目も張り切って乗って行った彼でしたが、最後はハンドルから手を離し、憮然として戻って参りましたよwやっと気が付いたんですね。
「もう乗らなくていいや」
そうでしょうそうでしょう。 自分で気付けてよかったね。
さあさあ 今度こそアヒルレースですよ!
8羽のアヒルがおりまして それぞれ首輪で色分けしてあり 我々はこの中のどの子が1着になるかを賭けるわけです、1回100円。 予想が当たるとお菓子か記念品(アヒルハンカチ)がもらえます。
アヒルの可愛さとお利口さんぶりもさることながら、何がいいかっておじさんの口上がいいんですよ。おじさんが「走れぇ〜」といえばアヒルは走り、「ぼちぼち歩け」と言えばぼちぼち歩き、「止まれぇ〜」といえばピタッと止まり、「よくお客さんに顔みてもらえ」と言われれば、客のほうに顔を向けてくれるわけなんですよ、アヒルたちが〜っ!!!
よく顔みてもらえ〜
レースは直線レース、障害物レース、パン食い競争、大障害物レースとあって、特に順番は決まっておらず、その時々でおじさんが決めている模様。
ゲートに入って...
各羽一斉にスタート!
中でも可愛いのはパン食い競争。 おじさんがコースの途中にパンをちぎって並べ、「パンをよーく見てこい」と言われると、アヒルはパンのところまで歩いてじーっと見ているわけですが、中には食いしん坊が食べたそうにいつまでも離れなかったり、つい食べそうになったりと、この仕草がかわいいかわいい!
直線レースでは強かったアヒルも、パン食い競争ではついついパンに夢中になって後れを取ったりするなど、どれが1着になるかどうかはなかなか予想がつかないわけです。
ハマりにハマッた我々ですが うちの息子はめっぽう強かった。 10回位レースを見て賭けましたが、彼は4勝6敗。 おじさんも「ボクは運が強いなあ」と言うておりましたが、いやいや子供のカンは侮れませんなあ。
四十路と五十路は一度ずつくらいしか賭けませんでしたが、もちろん当たるわけもなく。
息子はお菓子を4つもゲットして大満足でしたよ。 私は一つぐらいアヒルハンカチを選んで欲しかったんだけどなあ。 ですが選ぶ権利は勝者にあり。次回は私が自ら勝利してアヒルハンカチをゲットしたいものであります。
そんなこんなですっかりアヒルレースを堪能しまくり、その後しばし息子のアトラクション巡りに付き合い、なぜかある動物コーナーをしばらく見物し、昼になったので温室のような食堂でカレーを食い、カレーを食って外に出ましたら、こんなものを発見。
天国と...バ、バブル地獄???
何かのアトラクションなのかと思い、周囲をぐるぐる回ってみましたが、どうやらこの巨大な看板のみ。
これをかの山一、長銀、日債銀、拓銀あたりの元関係者様あたりが見たら、心の中に枯れ葉が舞うのではないかと心配したりなんかする私の老婆心。いやいや、当時バブルの渦中で浮かれ踊った日本国中の皆様ならば、かの時代のちょっぴり皮肉なモニュメントでも見るような気持ちでこの巨大看板を見上げることでしょう。
深い。 深いよラクテンチ...
やがて我々もこのラクテンチを去る時間となりました。 出張から戻った夫と高塚地蔵尊で待ち合わせであります。
高塚で合流ののち、黒川方面に向かい美味なる蕎麦の山川草木で口福。その後、満願寺温泉で銘水を汲んで、この旅も帰路につくことと相成りました。
しょっぱなからアクシデントでいつもとは違うパターンとなった今回の旅でしたが、なかなか思い出深いものとなりました。 というか、別府は決しておしゃれな観光地ではありませんが、つっこみどころ満載のなかなか楽しい温泉地であることを再確認いたしました。
一泊くらいじゃ満喫できない別府。 次回は夏休みに行く予定であります。
ラクテンチ、また行こうっと!!!
と 息子と私が盛り上がる中、夫は「そげん面白かったとや?」と怪訝な顔。 彼が見たらきっと驚くだろうなあ。
もちろんコレにですよ。ええ♪
バ...バブル地獄にですか???
さあ! 別府の夜明けですよ皆さん!!!
・・・と、振り返っても五十路と7歳児は爆睡中。
どういうことなんでしょう。この方々は。
昨夜、夕食食ったらとっとと寝てしまった五十路と7歳児は、私が午前6時に目覚めたときにももちろん爆睡中。まあ、旅の空だし致し方ないと私だけ6階の展望露天風呂で朝風呂をゆったりと満喫し、やがて別府湾から美しい朝日がのぼりはじめ、嗚呼、なんていい眺めなんだろうと感動し、部屋に戻って3人でこの朝日を見ようとおもって戻ってはみたものの、未だきゃつらはピクリともしやしません。 なので私一人
この朝日を部屋の窓から化粧水はたきながら眺めました。
私のメイクが終了しかけた頃、ようやく五十路と7歳児起床。 何時間寝れば気が済むんでしょうか、君たちは。
てなわけで朝食のバイキング会場へとレッツ・ゴーゴー。 昨日の夕食がなかなかなものだっただけに、プチ期待をしていましたが、微妙に裏切られました。びっくりするほどシンプルです。
ですが私は思いましたね。 ホテルの朝食がしょぼいほど、別府の町は逆に潤う、と。 人々は朝の満たされない思いを、これから出向く観光先の地獄蒸しトウモロコシやゆで卵、はたまた地獄蒸しプリンにぶつけていくのです。
ヘルシー!別府 ハラショー!別府
というわけで朝食を済ませると、チェックアウトまでしばし時間があることに気付き、私が昨晩入浴した一階の大露天風呂に3人で行くことに。 上の露天とはまた違って広々とした露天は気持ちよく、ついついのんびりまったりとしておりましたら、この風呂が9:30から掃除時間になることを確認していなかった我々の目の前に、掃除のおばちゃん&おじちゃんが登場。
もちろん、おじちゃんは飛び上がってドアを閉めて出ていきました。
まあ、まだ湯船につかってたからいいけどね。 それにしてもここ最近の私の旅は微妙に由美かおるです。
朝風呂完了後、帰り支度をすませてチェックアウト。 さあさあ、これから行きますよ!
どこへ?
アヒルレースですよー!!!
ガアガア
別府にある唯一の遊園地「ラクテンチ」名物・アヒルレースが本日第一の目的地です。
さあ 果たしてラクテンチとはどんな場所なのか???
四十路も五十路も7歳児も 初めて足を踏み入れるラクテンチ。
期待しつつ、続く。
雨女の私ですが 今回は天気も上々
四十路と五十路と7歳児が 息子曰く「かーちゃんのオンボロ車」←1500ccというだけで息子にボロ呼ばわりされる新車で購入してまだ10ヶ月しかたってない哀れなステーションワゴン。 に乗り込み、別府目指してのドライブが始まりました。
始まりましたといってもですよ 狭い九州、私んちから高速のICまで15分もかからない距離であります。 高速に乗ってしまったら別府までただひた走るだけじゃないですか。
なので途中下車 全員の旅の安全と人生の安泰を祈願すべく高塚地蔵尊へお参りをすることに。 息子は元気に石段をダーッと登って行きましたが 四十路と五十路は死にものぐるいです。 涼しい顔をしつつも心臓はバクバクです。
お社についたときは、おもわず旅の安全よりも私の健康長寿を願ってしまいました。不届き千万。
さあさあ それでは改めまして別府へGO
ナビにおたずねして初めていくお宿へもなんとかスムーズに案内していただき、荷物をおいて窓の外をみますと、おやまあ、ここは地獄の一丁目。徒歩でいけるところに地獄がうようよあるわけですよ。
てなわけで地獄訪問することにいたしました。
あれこれありすぎるのでどれかひとつチョイスして・・・と思って歩くうちに、こんなものを発見。
秘宝館。
そう、あなたと私の心のオアシス「秘宝館」。 四十路と五十路は、きっと7歳児連れじゃなかったら入っていたに違い有りません。 違いありませんが、今日は7歳児連れです。ここで欲望にかられて7歳児とともに入場したと想定してみましたが、絶対学校でこのことをクラスメイトや先生に言いふらすに違いないと容易に判断されるため「しゅー君のお母さん=変態」と確定されない為にもここはグッと我慢の好奇心というわけで。
なのでこちらのサイトで中に入った気分にさせていただくことに致しました。 別府秘宝館 〜「ニッポンの歩き方」より〜
・・・どうです?子連れでないご旅行の際には是非。
まあ それはさておき 我々の目的地は地獄です。
というわけでこの秘宝館の真ん前にある「鬼山地獄」へと向かいました。
鬼山地獄の名物は鰐です。鰐は鰐でも全裸の鰐淵晴子だったら世のお父様方も秘宝館に引き続きますますハッスルハッスルだったことでしょうが違います。ベルトや財布やバッグでお世話になっておりますありがたい爬虫類様です。
まずはここの地獄で飼育されていた、故・巨大ワニの初代イチローくんの見事な剥製に出迎えられ、いざ地獄&ワニ園へ。 地獄はもうもうとした湯気ですごい迫力なんですが、その奥にあるワニ園のワニはもっとすごい迫力です。
2代目巨大ワニのイチローくんは横綱のように一人部屋で淋しげでしたが、その他大勢のワニ軍団の姿といったら。
お前ら、エサ?
誰か落ちてこないかなー・・・といった様子で、みんなして客のほうをじっと見つめているんですよ。ドキドキします。鶏肉買ってきて放り投げてやりたい気分ですが、それは禁じられていると思うので、考えるだけでやめときました。はい。
一週間のうち数日は、朝の10時過ぎくらいから、ワニの餌付けショーがあるらしいんですが、残念ながら今は午後四時。次回は是非とも餌付けが見たいものです。きっとすごい迫力だろなー。
地獄見物を終えて、土産物屋などが並ぶ坂道をくだり、ホテルに到着。 ひとっ風呂浴びに展望露天に行ってみましたが、別府湾が眺められるほんに良い景色ですよ。
でも絶対私も眺められているに違いないというくらい開放感に満ちた、町のど真ん中に位置するホテルの六階露天桶風呂×3。いい感じ。
夕食は別府ならではの城下カレイやアジなんかが出て参りまして、お値段のわりに充実してる感じ。私はついついついついお銚子あけまくりで、えーと何本飲んだ?まあいいか。
印象的だったのはものすごく多忙で大変そうだけど愛想の良い仲居さん。低料金なのに部屋食なんで、おねえさんひとりで運んで並べてと、息切らしながら働いていました。仲居さんガンガレとチップを渡すことを忘れない私は頑張る女性労働者の味方です。
さて 夕食も済んで連れの五十路と7歳児はとっとと寝てしまいました。 歳は離れていても生活習慣のよく似た2人です。
夜分にロンリーになった私は一階の大浴場へ行き、星空をながめながら鉄輪のお湯を満喫。
あとからドヤドヤとやってきた社員旅行らしきおばちゃんの団体の会話を面白く聞きながら、あー、私ももっとおばちゃん(ここで言うおばちゃんは60歳代であります)になったら、女友達だけでこんなふうにおばちゃん温泉旅行を賑やかに楽しみたいなーと、羨ましく思ったりなんかしたわけであります。
早く60歳代になりたい と思ってるのは私だけなんでしょうかしら (´∇`)
明日へ続く。 ※本日のお宿「ホテル山水館」
2007年02月10日(土) |
別府と私と息子と行かず後家。 |
・・・なんてタイトルにしたので 同行してもらった友人が見たらきっと怒り進藤一馬でございましょうが 悲しいかな紛れもない事実なので致し方ありません。
※STUDY※ 「進藤一馬」 リンク先参照。 福岡市が誇る名市長。 こういう人物はもう日本には登場しないのでありましょうか。残念な時代です。
さて 連休なので息子をどっか連れていかないと 休み明けに学校で「僕はどこにも連れていってもらってない」 などと 愚痴られてはたまったものじゃない、と 2月始めに夫が「別府の宿でも予約しとけ」という指令を私に下し 早速探しまくったものの、連休ど真ん中はどこも予約で一杯。
すっかり諦めかけたところで ワラをもすがる思いでアクセスした楽天トラベルにて 別府の中堅温泉ホテルの空き室を一つだけ発見。
やっとのことで宿を確保し あーよかったと安堵しておりましたところ いきなり前日になって我が夫にものすんごい急用発生。 しかも県外に出なければならないわけでありまして まったくもってこの日の旅行に彼は同行できなくなるという 緊急事態が発生したんでありましたよ。
キャンセルはしたくないし、息子と私だけで温泉ホテルなんか行きたくも泊まりたくもないし、どーしたもんかいなと考えた結果
私の友人知人に電話をかけまくって誰か一緒に行ってもらえないもんだろか大作戦に出たところ 一人ゲットですよ。
それが 件の友であります。
ありがとーねー、いつもすまないねー、無理言ってごめんねー 困ったときの○子ちゃんですよ。ほんとに。←行かず後家とかタイトルにつけたくせに今更なにを言う
というわけで こういうメンツでの旅となった連休でありました。
出だしは快調ですよ。天気も気分も上々です。 それではレッツ・ゴーゴー♪
どこへ行く 四十路と五十路と 7歳児 続く。←ひっぱるような旅なのだろうかどうだろうか。
えー 風呂掃除に勤しんでおりましたら アクシデント発生。
漂白剤をスプレーに入れて タイルの目地に吹き付けていたところ 勢い良すぎてはね返り 私の左目にかかったんでありました。
マズった...
ってな感じでとりあえず掃除を中断し 3分間ほど目を流水で洗い 掃除を再開。
しばらくすると瞼の内側あたりからジンジンと痛みが襲ってきました。
やばー
掃除も終わったのでもう一度目を流水で洗い これは眼科だなということで 目に入った漂白剤の種類を確認して記憶し 近所の眼科へ向かったわけです。
私、視力は悪くないんで 自分が眼科を受診するなんてこれまで数えるほどしかなく そーとー久しぶりだなとおもいつつ、佐賀に越して初めての眼科へ。
と まあ! なんと!!!
田舎の眼科医院=古くて医師はじいちゃん、受付はおばちゃん、待合室のベンチはビニール
という私の勝手なイメージがガラガラと崩れ去る医院ではありませんか!
広くて清潔、落ち着き&シンプルだけど高級感ある待合室に 美人の受付姉さんたち&看護婦さんがこれまた美人&優しく手際よし! ドクターは若くてイケメンですよ!しかもこれまた手際よしで説明も丁寧ときたもんだ。
あー驚いた驚いた。
驚いちゃって目の痛みなんかどっかにいきましたってば。
そうそう 漂白剤の入った左目の処置ですが 目が痛くないように麻酔(目薬式)をし その後、何度も丁寧に洗浄してもらったあと 眼球の検査をしていただいて、表面の損傷具合をチェック。
眼球チェック後、再度目の洗浄をしてもらって目薬をしてもらい 治療は完了したわけでありました。
私の場合は最初に流水でよく洗ったのがよかったのと かかった量が少なかったのが幸いして さほどトラブルはない模様でしたが
それでも漂白剤がかかった部分から感染などおきちゃなんねえので、数日間は大事にするようにと、目薬を処方していただき一件落着。
明日、目が充血していたり、何か異変があったらすぐに受診してくださいね、とのことでした。
いやいや、よかったよかった。
今度から風呂掃除のときはグーグルゴーグルして挑みます。
どちら様も、目は大切に。
私は学生の頃 国語や古文、社会だのの類では確実に良い点を稼げましたが 英語、数学は調子よくて平均ギリギリ たいていは平均を下回り 毎度毎度、先生に呆れられていたものでした。
私としては ハナっからこの不得意な2科目を捨て 点数がとれるもので確実に高得点を出すことで 平均を引き上げようという 愚かしい考えでもって学生時代を切り抜けてきたわけであります。
高校時代のある日 クラブ指導の先生にこう言われました。
『好き嫌いは極力なくすよう努力をしろ。 食い物、教科も同じことだ。 嫌いなものも我慢して食う努力、苦手な教科も捨てずに頑張る努力をしろ。 これが人の好き嫌いをなくすことにもつながる。 好き嫌いをなくす訓練をする場所が学校だ。 学生時代に好き嫌いをなくす努力をしておけば、社会人になって必ず役立つ』
・・・・。
私は当時、この意味がわかりませんでした。 好き嫌いをなくす努力をすることが 一体社会人になって何の役に立つというんだろう、と。
あれから 随分時が経ち ようやく先生の言葉の意味が おぼろげながら わかりました。
学生時代に好き嫌いをなくす努力をしなければならない というのはつまり
「将来仕事、職場、環境、対人関係、人生に柔軟に前向きに対応していく努力をするための訓練なんだぞ」
と 先生が言わんとする この意味に 何年かかって気付いてるんでしょうか、私は。
クラブの練習中にのっそり現れ 態度が悪いだの気合いが入っていないだの 指導がなってないだの何を学んでいるのかだのといっては集合させ 私たちのお尻を杖でパッシンパッシン叩いていた先生でした。 痛かったなあ...
先生 私の解釈間違っていたら申し訳有りません。 だとしたら天国で 「違うっていいよろーが!」と 杖を振り回しているところでしょうか。
私が旦那と結婚した翌年 胃ガンで53歳でお亡くなりになった先生。
先生 私の息子も小学生になりました。
具体的に成績が目に見えるようになってきたり 運動会やマラソン大会で順位がでるようになったりして 数字の上で他の子と比較できることが容易になってきたわけですが
たしかに順位も大事だけど 人には得意不得意、好き嫌いがあって だけど、その好き嫌いをなくす努力をしているんだったら それは褒めてあげなきゃだよなと ふと 思ったりなんかした私でした。
一位になれた課目があって 苦手だけど結構がんばった課目があって
学生時代の私のように 投げていないならすごいこと。 捨てていないなら 頑張ってるなら 楽しむ努力をしているのなら 認めて褒めてあげようと
あらためて思いました。
...先生頷いてくれるかなあ?
完璧求めるのが学生の本分じゃないですよね。 好き嫌い なくす努力が学生の本分、と。
...私は学生のときにそのことに気付かなかったので 社会人になっても好き嫌いが治らず、そのぶん山あり谷あり泥沼ありの人生でした。 先生がお亡くなりになって 遅まきながらこのことに気付き 今、一進一退なれどなんとか努力しているところです。
先生って すんごい仕事ですよね。
でも いま、ほんとに「先生」って人は どれだけ存在するんでしょうか。
威厳をもって生徒に対峙してくだるような そんな先生は いま、どれほど存在しているのでしょうか...
はいはい どうせ私が鬼ですよ。
と 今年の豆まきは豆をぶつけられまくった41歳老人性疣贅治療中女でございます。悪かったわね老人性で。えーえ、どーせ世間ではババジミとか言うやつですよ。ケッ!←逆ギレ中
まあ それはともかく。
昨日、友達に赤ん坊が生まれました。 私の息子が生まれたとこと同じ某総合病院です。
いやー 昨日生まれたばっかりなんで ちっちゃいちっちゃい!
これがまたおとなしいんだわ
ウラヤマスイ
うちの息子は生まれた翌日から新生児室で大泣きしまくりでしたよ。日がな一日。
ふつー新生児ってのはぐーぐー寝てるもんでしょうが。 だのに息子は新生児のくせして朝から晩まで泣きまくりだったんですよ。 当時の婦長さんも呆れかえってましたよ。
「こんなに甘えん坊の赤ちゃんはみたことがない」と。
その甘えん坊も七歳。 小学生であります。
いや、長かった。
この病院に来ると、当時のことを思い出してε-(;-ω-`A) フゥ… と思う私であります。
さて 39歳で初産の友人。 陣痛から4日がかりの自然分娩だったそうな。
まあまあまあまあまあまあ!!!
母子共に無事だったので 終わりよければ全てヨシなんでしょうが それにしても4日間も陣痛でイテテテなんて
・・・・
あ、 私、陣痛の痛み知らないんでしたー(゚∀゚)ノラッキー!
まあ、 そーとー痛いんでしょうよ。大変でしたね。
アッチも切ったそうですし あいたたたー
あ、 私、アッチは切れてなーい、なんでしたー(゚∀゚)ノ ラッキー!
でも腹はザックリ切られましたけどね!←そのほうが痛いっちゅーねん
いやー 出産も人それぞれです。
でもって 友人を見舞いに行ったとき ちょうど彼女が赤ちゃんに対して「はじめてのオムツ交換」をするところだったんですが おっかなびっくり、おぼつかない手つきで交換しているのをみていると
新鮮〜
って思うわけですよ。
でも 彼女も言ってましたが
「体力的にはアレだけど、でも私はこの歳で産んでよかった。こんな時代だし子育てしていく上でもやっぱり精神的にも経済的にも安定してて落ち着きがある状態なのがいちばんですよね」 って、これですよ、これ。
そうなんですよ 故に私は 秘密結社大日本晩婚晩産奨励推進連合会会長を名乗っているわけですからして。←秘密結社かよ
よく 若いうちに産んで早く育てて・・・ なんていいますが ( ゚Д゚)ハア? 花の命は短いんですよ?
ピチピチムチムチした体がなんでまた出産・育児なんかしなきゃならないんですか???
30歳までに仕事も恋愛も勉強もやりたいことやっといて、30歳になったら避妊やめればいいんですよ。花の命は短いけれど、子宮の命は結構長いんですからして。
それに 政治家の皆さんがこぞってヤキモキしている出生率の低下ですが これも自然ななりゆきなんで しょうがないってことじゃダメなんですかね?
人口増えなきゃ、将来ふんだくれる税金や保険料が足りなくなってどうのこうのってことだそうですが ちょっとまってくださいよ? これまでみんなが支払った分を増やすこともせず運用もせず まるで自分たちが稼ぎ出した金でも使うかのように 偉そうな顔して使いまくっているのは誰ですか???
ってね 国なんてそんなもんですよ。
国民なんてお上からはいつの時代も年貢治める農民としか考えてもらえませんのでして、凶作でも年貢はきっちり治めろとせっつかれ、昔は避妊ってのも普及してませんので子供は生まれまくりでますます貧乏スパイラルだったわけなんでしょうが、今は「凶作なので産まない」「コメのメシが食えなくなるから増やさない」選択を農民がしているだけだってのに、お上は「貧しかろうがなんだろうが子は国の宝だ。産めよ増やせよ」って言うわけですよ。
子は国の宝だなんて そんな心にもないこと言ってるといつかボロがでますよー。 ・・・って、もうボロ出したのが大臣ですか。こりゃまた出るのが早かったねー。
まあ 「将来の年貢治める農民だ!」 「有事の際の貴重な特攻隊員だ!!」
ってな真実を言われるよりかマシかもねってことで^^ 生暖かい目で見てあげましょうよ。 子供なんかより年寄りをお大事に!
というわけで 秘密結社・大日本晩婚晩産奨励推進連合会々長、友人の赤ちゃんを見に行って帰宅後息子に豆をぶつけられるの巻。終わります。
一頃前の私は 「雪」 から連想するものといえば
風雪ながれ旅 ↓ サブちゃん ↓ 北の漁場 ↓ サブちゃん ↓ 函館の女 ↓ サブちゃん ↓ 永谷園 ↓ サブちゃん ↓ .................
と、 サブちゃんスパイラルに陥ったものですが 今日の私は違います。
雪→津軽恋女→雪列車→さざんかの宿... と 来ましたよ。
あっと驚くタメゴローです。
というわけで 本日の佐賀県は雪。 降りつもる雪雪雪また雪よ(※津軽恋女/新沼謙治) ってな感じです。
佐賀の雪はしみじみとした静かな雪なのであります。
子供の頃にみたのと同じ 大きなゆきを見ました。 ふわりふわりと大きなわたが降ってくるようなかんじで それが庭のさざんかに降り積もっていくのです。
匂うように 笑うように 雪が降る と 雪列車で糸井重里は表現しましたが 私が今日みた雪は
焦らすように 誘うように 降っておりました。
寒いのだけれども 外に出てこいと誘うように だけどぼすぼすと積もるわけでなく 焦らすように ふわりふわりと もったいぶって 降るのです。
いいなー と思いました。
佐賀県民で嬉しいです。
齢41 不肖私も重い腹腰をあげ 長年私の顔面にとりついたシミをどうにかすべく クリニックへと向かいました。
問診票に 「今日はどのような症状でいらっしゃいましたか?」 という欄がありまして 私は大きな文字で
「シミ」と書かせていただき 診察室に呼ばれる順番を待っておりました。
やがて可愛いが愛想のない看護婦が私を呼び 美人で愛想の良い院長先生とご対面。 カウンセリングを受けたわけでありますが そこで
心の奥底ではわかっていたけれども 受け入れられずにいた言葉を聞きました。
「シミ、じゃないのよね...」
そう 私の顔に巣くうのは シミなんかじゃないことくらい知っていましたとも。
・・・人面瘡?←だったら楽しいが
でなく 老人性疣贅(ゆうぜい) ですと。
老人性。
...orz
※STUDY※ 【老人性疣贅(ろうじんせいゆうぜい)または脂漏性角化症(しろうせいかくかしょう)】 ・中年以降に発生し加齢とともに増える皮膚の良性腫瘍。 ・皮膚の老化現象のひとつとされる。 〜「gooヘルスケア」より抜粋〜
(´・ω・`)ショボーン...
というわけで 今日から顔面の皮膚を焼きとっていく治療が開始されます。 ヒリヒリヒリヒリヒリヒリ.....
生まれ変わる四十路にこうご期待!!!←誰が?
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