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■ 父。
前回の1月の日記には、父の苦しみが、書かれてる。
あの日記のあと、どんどんそれはひどくなっていった。
2月には人格が壊れたとしか思えない言動、いらいらして母に八つ当たりする等々
3月には、主治医の言うことも聞けなくなり、徘徊、諦めたような目つき、暴れる、等々
もう出て行ってくれといわんばかり(言ってたーー;)の病院、トラブル、暴言・・・
のんびりとしてヒトゴトとしてしか対応しないソーシャルワーカー・・・
呼ばれて夜間の泊り込みが三日も続き、目の離せない父を母と交代して見守り
遅刻して出勤・・・さすがに私も堪えていた。
母は、心労でうつ状態。
クリニックで受診したが、そこで処方されたドグマチールを
かかりつけ医が否定して、内科で処方できる薬にかえた。
この時期、唯一といっていい明るいニュースが、次男の高校合格。
弁護士の相談に東京まで母を伴って出かけた日。
東京の地下鉄でメール受信。
いつもはけんかばかりしてる兄が同行してくれて様子を聞かせてくれた。
合格してほしいって、本気で思ってて、うれしかった。
後で聞いたら70人以上落ちたらしい。すごい、よくがんばった。
長男は、来年を期す。
4月、転院。
母を泣かせたソーシャルワーカーに見切りをつけて自分たちで
あちこち回ってみた。その中の一つでとても心温まる対応を受けた。
親身になってくれる病院があるんだと、涙でそう・。・
今、その病院にまだいてる。
3ヶ月たっても出て行けとは言わない。
外泊してても帰ってきていいよといってくれる。
私たちは、一息つくことができた。
新しい病院でも落ち着くのに2週間ほどかかった。
漢方を処方されている。
不思議な、不思議な精神科の閉鎖病棟。
彼らからしたらごく普通の仕事場なんだろうけど
家族のような狭い距離感と、薬でボーっとしてる感じと
事情をお互いに知っている安心感。
知らない人に、父のことを話さなくていいこと、気を使わなくていいこと。
私も入院したい・・・疲れてるのかな。
病院からの呼び出しがなくなって母も落ち着いた。
今は、退院までの環境作りをしている。
私も、環境の激変と、父のおちつきぶりに、持病復活(苦笑)
薬も飲まなくなっていたため、聴力が本気で落ちてきてたみたい。
今、集中点滴やってます。5日目。
ステロイドが最初の半分になったね、って看護婦さんが言ってくれる。
明日も明後日も、休みの病院にいってきます。
点滴バッグ見ながらボーっとして、次の朝には手のむくみを握り締めながら朝のお参り。
なんとか、やってます。
いろいろ、一応、あったことだけ。
振り返っておこう。
父には、もうその記憶はないことだから。
新しい父を生きてもらうのだから。
過去の父は、母や私や妹が、負うのだ。
タバコを落としたのか、携帯に夢中だったのか、
検察官も本当の原因が知りたいといっていた。
ちょっとした不注意で、父は、もう、別の人になってしまったんだ。
2009年07月18日(土)
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