ほっこり日記
ふー



 クリスマス

クリスマスというのを祝うのにテレがある。
だって信者でもないのにさ。
ケーキ食べて、プレゼント。

自分が楽しんできた年中行事だから
子どもにも楽しませてやりたい。
それだけのことのような気がする。

私には一緒に楽しむ家族がいる。
私には、1人でクリスマスを迎える友達がいる。
言葉を交わさないけど、思う人がいる。

クリスマスをみんな誰と過ごすのだろう。
仕事で帰れない、人もいる。
お葬式を出した友達もいた。

みんな、行ったり、来たり。

私のいとしい人は、少しもそういう私に気がつかないのだけど
気がついている彼に、私が気づかないでいるのかもしれない。



2004年12月25日(土)



 今日も今日とて。

朝からバタバタしたあげく、
とんでもないところに立たされている。
これだけ叩かれるのは、
身から出たさびとはいえ、酷な話だ。

だが、課題をこなせばこなすほど、難しい課題が与えられる。
そう、聞かされた後になってみれば、
他の未熟な人にこなせない課題こそが
私の課題なのだ・・・・と、、、構えてみる。

はあ、そんなのできるわけないじゃない。
私には無理だよ・・・

でも、それでもふんばってきて、自分自身を
認めてもらえてきた先輩が、私を支えてくれている。
噂に頼らず、徒党を組まず、自分で考えて
自分の責任で仕事をしてきたいろんな人が
私を見てくれている。

仕事をしていなければ、こんな目にも会わなかったが
こんな人に会うこともなかった。
難しい課題、come on!である。

仕事上の面倒も先送りにできない事態である。
仮に4月までの仕事として、追い込みに入らなければならない。
4月からもいてるとしてろくな状況ではないだろう、
少なくとも私にとって楽しいとはいえないだろう。
でもそれでいいのだ。

そして私は違う仕事をはじめる。







2004年12月22日(水)



 こじゃみさ。

こじゃみさこのライブにいってきました。

普通のライブとは少し違うけど、
こじゃみさが初孫誕生で「童神」を作ったのだと
初めて知りました。

たまたま真直ぐ正面の席に座ったので、
彼女が私に向かって歌ってくれているようで
彼女しか目に入りませんでした。

「黒い雨」でも涙がこぼれましたが
「童神」では両目からぽろぽろ涙がこぼれて
とまりませんでした。

私はあと10年で彼女のようになれるでしょうか。
家族を思って必死で働いてきて、孫の幸せを祈って
歌うことができるでしょうか。

いや実際に歌うわけではないのですが。
また琉球舞踊をやってみたいと、思いました。



2004年12月18日(土)



 話し合い。

小さくなっている彼を見る。
開き直っている母親を見る。
一人漫才をしている夫を見る。
不満げな息子を見て、天井をにらむ。

小一時間そうしていて、切り上げた。
茶番を。

そして話し合った。
許そう、と。

許される経験のない子は、
許すことができないだろう。
ただ、許す。

証拠もへったくれもないのだが。
そう、話し合えたことが、我が家の成果だ。

2004年12月16日(木)



 友達が結婚?

同僚で年下だけど、かなり信頼をおいているので
友人扱いという彼女が、このあいだは嫌だといっていたお見合いで
「嫌じゃない」と思える相手を見つけたんだそうだ。

吉報。

すごいよ、それって。
嫌じゃない〜! やっぱ同年代ではこれという男は
いなかったんだねえ・・・でも、いいじゃない。
伊達に年喰ってないさぁ。

うらやましいような(?)
なんだか暗い話題が多かったのだけど
オトコと出会うというのは、光明である。
なかなか大変そうではあるが、なんの。

あれだけ嫌がっていた見合いで、一発目、
紹介してくれたおばに一矢報いたい、みたいなことを
いったらしく、彼氏もけっこうくだけて話をしたようだ。

お互い、話せるヤツ、と一目を置く結果となったようで
「嫌じゃない」っていう直感は、オッケーな気がする。
って、何を私は興奮しているんだろうねぇ。
これじゃ、叔母さんと変わらない。

2004年12月15日(水)



 こんなこと、あんなこと。

気持ちの落ち着くようなところに行ってみたいと思う。
12月は、あわただしい。

ネットしている時が一番落ち着いていられるかもしれない。
モニターだけ見ていればいいから。

他人に会っていれば面白いことが勝手に転がり込んでくるんだから
今の仕事は向いているんだと思う。でも、望まれているのかどうか
いまひとつ。自信がない。

昨日はエクセルの研修にいって、基本的なことだけど
まだまだ知らないってことを思い知らされた。
知らないことを知るってのは、楽しい。
知らなかった、ということを思い知るから
また自信をなくす。

一生、こんなのが続くのねえ・・・

夜は夜で、ちょっと厳しい状況だった。
トラブルで人と会うってのは、厳しい。
お宅の子どもさん、うちの子どものもの、盗ってませんか、なんて
すごくいいにくい。。。。でも、いわれたお母さんの顔を見ていると
悪いお母さんではないな、一生懸命だなって思う。

ただね、ぬるいんだよ・・・親も子も・・・
親のそういう対人関係が子どもに反映しているのは
うちもそうだから、聞いている私が責めているのか?悪いのかと辛くなる。
事実関係を詰める前に、その辛さから、投げ出してしまいそうだ。

そして、今日は、送別会。
一度、きちっとお別れをして、けじめをつけよう。
そして、また、一緒になにかしていこう。


2004年12月14日(火)



 千と千尋考

テレビでしていたのでみた。久しぶり。この映画は二回見た。

音楽が印象的で、そのころのことを思い出す。
白が自分の名前をとり戻すシーンは何回見ても鳥肌が立つ。

人は、そうして忘れていたことを、ただ思い出すために
旅に出るのかもしれない。

先日公開されたハウルよりも、世界が豊かだと思う。
ハウルは、ハウルとソフィーはいいけれど、世界観が貧弱だ。
酷評されるのも、千と千尋よりもその背景となる世界の
ファンタジーが弱いからだろう。
骨太な揺さぶりは圧倒的だ。

千と千尋のとき、試写会と同時に行なわれていた講演では、
とてもはしゃいでいた宮崎監督が、あまり出てこないのも
こうして比べてしまうとなんだか分かる気がする。

ハウルの上映中だというのにテレビ放映された今回は、まるで
評判の悪かったDVDの販売戦略なのかと勘繰ってしまう私は
人が悪いのかもしれない。

それにしても他の人々の存在感の大きさといい、千と千尋は、
永く日本アニメの秀作としてその名を刻むであろう。

琥珀と千尋がそれぞれの世界に帰るために別れるというのも、
ハウルどソフィーがハッピーエンドなことに比べると、より
感動を深くしているかもしれない。

私の人生において
「王子さまと王女様は、いつまでも仲良く幸せに暮らしました」
などというハッピーエンドは、ないのだから。

「いくつもの別れと涙をふり返ることなく、ただ生きてきました」
のだから。素敵な人との別れもあったし、そうじゃないこともあったし。
銭婆がいうように、一度あったことは忘れない、ただ思い出せないだけ。

そう、その記憶そのものというより、そのときの感情が蘇る。
別れるのだ、離れるのだ、ただ、そうするのだ、という。
その臨場感を逃さず、絵にした。

巨匠と言えど、あの境地とレベルは超えられないのだろう。
丁寧さと緻密さは超えられても、あの、ぐいぐいとひっぱっていく
あのパワーは、もう二度と結集しないのかもしれない。
それほどの仕事を、した宮崎以下スタッフを称えたい。








2004年12月10日(金)



 ええ感じ。

ちょっと辛いことがあって、こたえている。

今朝は本当に涙が出た。悔しくて。
こんな現場は、あらへんで、と。
本来、なにもしんどいことのないはずの、楽しい職場で。

一体何がそうさせるのか、分からないけれど、
私のせいじゃないとは思う。
私がこんなに辛いってことをだれも知らないだけで
分かってもらえないわけじゃないって。

実際、いいこともあったのさ。

久しぶりにシンちゃんが来てくれた。
あんたがいてくれたらな〜って思ってた。
今は、シンちゃんをかぶって仕事するよ。
で、何年にもわたって出席してなかった同期会の会費を
返金しにお金もって来てくれたんだけどね。
年末の軍資金にさせてもらおう。

ずっと会ってなかったOさんに「会いたい」というと
「会おう会おう、ずっと心配してたのよ」といってくれるし。
もう、それだけで舞い上がってしまいそう。

困難に突き当たって途方にくれても
きっと、なんとかなる、少なくともそれを見てくれている人は
きっといるって、信じている・・・・・

2004年12月09日(木)



 今日も大変。

今日も、大変忙しかった。

それでもいい話も聞けたし楽しかったのだが、
勇気づけられるとともに、これでいいのだろうかと
ふとふり返る。

大きな災害に対応していこうという現場の心意気も
うれしかったが、小さなともし火だよね。
もしかしたら誰も見ていないかもしれない。

それでも本当に、誰か一人のための
ともし火であって構わないんじゃないか、そう思う。

一年一年で勝負してきてて、何もないかもしれないけれど
それでも積み重なっていくんだろう。私のような
小さな誇りの積み重ねが、大きな層を形成するだろう。
何代にも積み重なっていけば。

決して、いいものではないかもしれないが。

落胆することも、ないだろう。


2004年12月03日(金)
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