来週は一寸忙しくなる。 行くなら今日しかないかなと思い、ネットで探して市内の美容院に電話してみた。 最近はどこも予約制なのかと思ったら、予約制じゃないんだって。いきなり行っていいんだって。 行き当たりばったりの人生を送っている私のような者には、こっちの方が有難い。
小まめに通うとお金がかかるし何より面倒なので、暫く切らなくてもいいように、更に短くしてもらった。 そしてまた褒められた。「頭の形がいいですね」って。 頭蓋骨の形が綺麗な人は頭がいいと言うけれど、ええまあどちらかと言えばいい方かな〜ふふふ。 と、誰も言ってくれないので自分で言ってみる。 但しこの頭、余り世の中の役には立っていない。
主人に見せると、 「カリメロみたいだな」 と言われた。 カリメロ知らないけれど、褒められていない事だけはわかった。
基本的に、大阪の事は大阪人が決めればいい事だと思うが、やはり二重行政の無駄はなくすべきだ。 橋下大阪市長が提示した「大阪都構想」は、構想自体は良かったのだが、問題点を改善出来ないままに住民投票に突入してしまったのが失敗であった。 まず、「大阪都」というネーミング。「都構想」なら仕組みとして理解し易いが、「大阪府じゃなくて大阪都になっちゃうの?」という疑問を置いてけぼりにしてしまったのは、非常に拙かった。 名前など二の次で、まずは二重行政の無駄をなくす事を優先させ、きちんと「大阪府は府のままで、システムを変えるのです」と説明しておけば、余計な反発を招く事もなかっただろう。 それと、区割り。「あの区とは絶対一緒になりたくない」という周辺区民は少なくなかった筈。例えば、関西事情に疎い私ですら知っているほどの悪名高き西成区とか。 二度手間にはなるが、「区割りは後で考えるとして、まず都構想の可否を決めましょう」だったら、結果は違っていただろう。 思うに、橋下市長は急ぎ過ぎた。せっかちなのか。面倒臭くなって、さっさと白黒付けようぜと言う気分だったのか。 もっと腰を据えて戦略を練れば、勝てた戦だったのに。 勿体無い事をしたなあと思う。
市長は任期を満了したら、政界を退くという。 スッキリした顔で会見に臨み、悔いは無い様子だったが、風を巻き起こしはしたものの、結局中途半端で終わって残念である。 せめて、不正があったという噂を払拭すべく、監視員の元、開票作業をやり直したらいいのに。 未練ではなく、市長の仕事として、責任を持ってそこまでやって欲しいと思う。
2015年05月13日(水) |
京極夏彦著「死ねばいいのに」読了 |
朝方の地震ですっかり目が覚めてしまい、無駄に早起きしてしまった。 久し振りに大きな揺れで、建物がミシミシするほどだった。 原子力系の施設さえ無事なら、揺れようが津波が来ようが、別にいいんだけれどね。
そして久し振りに本を読んだ。 今週になって体調が上向いて来て、ジョーバに乗れるようになったので。 なかなか読み進まない本の時はジョーバに乗る気も失せたので、本選びは大事だと思った。 その前に読んだのは野沢尚「魔笛」と伊坂幸太郎「首折り男のための協奏曲」だったが、どちらもハズレで、買ったからには勿体無いから最後まで読む!という姿勢の私にしては珍しく、途中で投げ出してしまった。 野沢尚の他の作品は面白くて一気に読んだし、伊坂幸太郎の本を原作とした映画も面白かったが、文章になると話は別なのか、どうにも駄目だったのだ。 気を取り直して今回読んだのは、京極夏彦。 京極堂シリーズではないので、それほどくどくなかったし(但し比較の問題)、ほど良い感じで読めた。 「ほど良い」というのは、そこまで夢中になる事無く、ジョーバに乗りながら毎日15分か30分感読むには丁度良いという事である。これがグイグイ引き込まれてしまうような本だと家事に支障を来たすので、それはそれで困るのだ。 特に何かの教訓が含まれる訳でもない、一寸不気味な感じのする話だった。 でも悪くない。 少なくとも、京極堂シリーズのようなイライラ感は無かったので、私は割と好きだ。
主人の職場の同僚が、妹の高校時代からのお友達のご主人で、義弟の友人だったと判明した。 妹夫婦と同じ大学で、卒業後は地元つまりこの地に戻ったのだと言う。 そして妹夫婦の披露宴にも来てくれていたそうな。 お友達の顔は覚えていないけれど、一度ぐらい実家に遊びに来た事はあったかも知れない。
社会の中で生きている以上、仕方無い事なのかね。 嫌と言うほどの事ではないけれど、一寸吃驚した。
未亡人となったうつみ宮土理が、記者会見を開いていた。 TVでちらっと見たが、これほど意味がわからない会見も珍しい。 愛する配偶者を亡くして悲しいのは当たり前だし、いちいち記者会見と言う手法をとるのも、会見なのに夫の死に方に関する質問に切れるのも、全く理解出来なかった。 しかも受け答えが過剰に芝居がかっているので、見ていて決して気持ちの良いものではなかった。 そして会見の最後に、自分の舞台か何かの宣伝。 なるほど、このための会見だったのかと、不思議な会見の意味がやっとわかったのであった。
TVの画面に「うつみ宮土理(71)」と表示されていたのが気になったので、実家に電話してみた。 うちの母は、うつみ宮土理と同じ大学で学び、彼女と同時に卒業している。 勿論、当時の日本には飛び級制度は無いし、母は浪人も留年もしていない。 「お母さんって、うつみ宮土理と同級だったんだよね。お母さんもまだ今年の誕生日を迎えていないけれど、71歳じゃないよね」 と確認したところ、72歳だと言質を得た。 ウィキペディアによると、うつみ宮土理の生年月日は1943年10月1日となっているが、1943年生まれではあり得ないのだ。 と言う訳で、うつみ宮土理の生まれ年は1942年ですよ!とバラしておく。
とは言え、以前週刊誌上で2つも年齢をサバ読んでいたそうだから、それよりは真実に近付いただけマシなのか。 うちの母によると、彼女は同窓会に来た事が無いそうで、その時は、彼女が2つも若く偽っていたる、皆で憤慨していたそうである。女性とはそういうものなのだ。 私はてっきり、芸能人だから忙しくて出席出来ないのかと思っていたが、その後、不倫略奪婚だったと知り、嗚呼そりゃ出席出来ないよな、と合点がいった。 女子大だしあの年代では同級生は殆どが本妻の立場の主婦だから、流石に顔を出し難いだろう。
でも、添い遂げたのと、前妻との約束を守って子供を作らなかったのは偉いなと思った。 他人の家庭を壊して迷惑かけたけれど、その後ちゃんと幸せになって周囲に認められたのなら、全ての人を不幸にするよりは良いのかなと。
2015年05月10日(日) |
日本は観光立国を目指してはいけない |
箱根で入山規制がかかり、周囲の観光地は打撃を受けているらしい。 TVでは矢鱈と「風評被害」だの「行って応援」みたいな事を言っているが、ほんっとうに無責任だよなーと思う。 福島原発の事故以来、「風評被害」の誤った遣われ方がすっかり定着してしまった。
君子危うきに近寄らずと言う。 君子じゃなくても、今は一寸危ないみたいだし万一何かあったら大変だから行くの止めとこうか、となるのが普通の人間である。 観光地は箱根だけではないのだから、他の選択肢を選べば良いのだし、それは観光客の自由である。 全ては客の気分次第。 このように、観光業と言うのは非常に不安定なものなのだ。 それなのに、カジノを作って日本を観光立国に!とか言っている現政権は、馬鹿としか思えない。 他人の懐を当てにして媚び諂うなんて、プライドは無いのか。 日本はこれまで通り、良い物を作って商売をするのが良いだろう。 それが日本人の気質にも合っていると思うのだ。
2015年05月09日(土) |
万載一遇の機会を逃す |
体調運が悪いのだから、せめて金運ぐらい良くないと割が合わないよね!と思っていたのに、千載一遇のチャンスを逃してしまい、結構凹んでいる。 嗚呼何故自分はあの数字をマークしなかったのかと。 していれば、今頃億万長者確定だったのに。
あ、数字選択式の富籤の話ね。
天の声はどこから来るかわからない。 聞き逃さないようにしようと改めて決意するのであった。
一番酷い時よりはマシだが、相変わらず「確実に快方に向かっている」という実感がまだ得られないでいる。 ここ2、3日の状態は横這いで、咳も痰も減ったが、喉と鼻が乾いて時々酷く咳き込む。 なので病院に行ったら、「まだ薬あるよね? 何で来たの」みたいな対応をされた。 だって、また休診日の土日に悪化したらと思うと怖くて。 それでも、治るから大丈夫と言われて一寸安心した。 そういや病名訊くの忘れた。気管支炎でいいのかな。 追加で出された薬も全て飲み終わる頃には完治するのだろうか。
自分の亭主の悪口を延々ツイッターで愚痴る人がいるが、ありゃ何なんだろう。 文句があるなら本人に言えばいいと思うが、言うと切れるんだそうな。 切れたから何なの?と私が思うのは、うちの主人が滅多に切れないからか。 しかし、冷静に話し合い出来ない亭主ってどうなの。会社でどうしてんの。 そんな男を選んだ妻もどうかと。 ここまで来ると、まあ自業自得ですな。
いい天気なのに、今日もパジャマで過ごした。 顔も洗ってない。 喉はずっと痛い。 でもオカマ声から場末のスナックママぐらいには戻った。 咳は結構出る。そのせいで昨夜は眠れなかった。 だから一寸昼寝した。
しかし明日から、主人は通常勤務。私の看病をしている余裕は無いのだ。 私が元気にならないといけないのに、この調子だと、明日も無理そう。 一番酷かった土日に比べれば、連続で咳き込まなければ頭痛もしないし、食欲も戻ったので、少しぐらいは動けるとは思うけれど、まだ体が本調子ではない感じ。 明日は掃除と洗濯ぐらいは出来るだろうが、歯医者はキャンセルして、ごろごろ寝て過ごそう。 辛くて死にそうな状態からは抜け出せたものの、快方に向かっている実感が無いのは何故だろう。
今年の黄金週間は散々だ。
先々週の金曜日から喉が痛くて、次の土日は寝たり起きたりだった訳だが、それだけでは終わらなかった。 喉の痛みは残ったが、取り敢えずは起きられるようになって、このまま順調に回復するかと思いきや、とんだ事になるとは。 4月最終日りの夜にはまだ元気で、 「ねえ、なんかオカマみたいな声しか出ないんだけど。タマを取って貰おうかな……って元から付いてないけど!ギャハハハ」 「序でに豊胸もして貰えばギャハハハ」 「ギャハハハ(殺意)」 みたいな馬鹿な会話をしていたのに、その直後から咳と痰が出るようになり、おまけに熱も出てフラフラして来たので、翌日金曜日の朝にはすぐ近くの、主人の行き付けの医院に行ってみた。 そしたら先生いませんって!今日は薬の受付だけだって! そういや旅行が趣味なんだっけ、連休だから、またどこかに旅行なのだろう。 「チッあのジジイ使えねえな!」 と心の中で毒づいて来た。声が出なかったので。 仕方無いので、次に近い病院に行った。徒歩圏内だが歩く元気が無いので自分の運転で。 そこは割と大きくて施設としては新しく、主人が仕入れて来た評判によれば結構良かったという話だったのに、担当してくれたのがどう見てもこないだ国試に受かったばかりでしょ?という感じの若造。 新患をバイト研修医に任せるの?担当替えてよ!といつもの私なら言っただろうが、そこは病人。 慣れない熱と咳による疲労で判断力が鈍って、 「炎症を抑える薬は無いの? インフルエンザの検査も無し?」 と疑問をぶつけられなかったのが悔やまれる。 喉から声を搾り出すのが本当に辛かったのだよ。 しかしその後の苦しみを考えれば、それぐらい言えば良かった。 帰宅後からは頭痛も加わって、昼も夜も食べては吐いた。多分食後の薬も吐いたのだろう、症状は改善されなかった。 土日を殆ど布団の上で過ごし、眠りたくても痰が詰まって苦しくなるか咳が出るかで、長くても30分程度の浅い眠りを繰り返していた。 この状態で「あなたの病気は治りません、一生このままです」と言われたら、安楽死を考えるだろうなと思った。 「僕は病気慣れしているけれど、普段健康な人が病気になると、こんなに弱るものなんだねえ」 と主人は面白がったが、「休日当番医に行って来な」とも勧めてくれたので、月曜担当の耳鼻科に行ってみた。 大変な混雑だったが、3時間以上待ったが、それでも行って良かった。 やっと効く薬を出して貰えて、久し振りにぐっすり眠り、今日は漸く起き上がって掃除と洗濯も出来た。 今回わかったのは、主人のリサーチ力はいまひとつという事。若い人の情報じゃなくて、ベテランの「あの病院、結構藪で有名ですよ」という情報を、私が受診に行く前に仕入れてくれれば良かったのに。 そしてやっぱり餅は餅屋という事か。「喉が痛いから風邪→内科」じゃなくて、最初から耳鼻科に行けば良かったのだな。 最後に、やっぱり健康っていいね!という事である。
あとあれだ、 急病人以外は休日診療に来るんじゃねえ! 咳してても騒げるぐらい元気な餓鬼なんか連れて来んな馬鹿親共が!
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