疲れが抜け切らなくて、今日もだるい。 なのに明日から京都旅行。 桜が咲き始める頃だし春休み中なので、旅行代金も高いし混雑も予想されるが、観光以外の目的があったのだ。 しかし直前になって、その肝心の目的がキャンセルとなってしまった。 旅行自体もキャンセルしようかと思ったが、既にキャンセル料が発生するし主人も休むつもりで仕事の日程を組んじゃったしという事で、折角だから行く事にした。
で、京都のどこに行こう?と訊かれて、「仁和寺!」と即答した私。 仁和寺と言えば吉田兼好の「徒然草」、鼎を被って抜けなくなった和尚の話で有名だ。 きっと、和尚の耳と鼻をもぎ取った鼎が国宝として鎮座している筈。是非それを見に行きたいと思ったのだが、 「は? そんなもん、ある訳無いだろ」 と主人に一笑に付された。 「えっ、なんで無いの?」 「だって仁和寺はただの寺だよ」 「ただの寺でも、徒然草のお蔭で有名になったのに、肝心の鼎が無いなんておかしい!」 「いや、徒然草が無くても有名だろうよ仁和寺は」 「逆でしょ! 仁和寺なんて徒然草で習わなきゃ、名前も知らなかったわよ」 と押し問答しても仕方無いので、仁和寺の公式サイトを訪問してみた。 しかし、どこにも鼎に関する記述が見当たらない。『よくあるご質問』にもだ。 「そんな馬鹿な。誰も鼎について質問しないなんてあり得ない。よし、こうなったら『お問い合わせ』から質問を」 とメールを送ろうとしたら、 「恥ずかしいからやめろ!」 と主人に止められてしまった。
それにしても、仁和寺にはがっかりだ。 『お守り〜様々なお守りの販売』の頁を開いてみても、可愛らしくて無難なお守りしか売られていない。 鼎の現物が駄目なら、せめて鼎を被った和尚ストラップぐらいはあるかと期待したのに。 鼎を取ると血塗れの和尚の頭が現れるストラップなんか、修学旅行生に人気が出ると思うのに、仁和寺にはやる気が無いのか!
子供を産んで育てているお母さん達って凄いと思った。 そして、うちには子供がいなくて良かったと心底思った。 あんな手のかかる生き物の面倒を見る人達って凄いわ。 私なんて、甥っ子をちょいと抱っこしておむつ換えて(しかもおしっこだけ。うんこは無理)という業務の一部にほんの4日間携わっただけで、全身筋肉痛になるわ便秘気味になるわという体たらく。 クタクタのヘトヘトで、今日はもう何も考えられない。 と言いつつ、自分へのご褒美として毛糸のワンピース買っちゃった! 着るのは次の冬になる訳だが。 だってセールで手の届きそうなお値段になっていたんだもーん。
2015年03月23日(月) |
欧米礼賛から抜け出せ |
知らない人だけれど、シンガポールの偉い人が亡くなったそうで。
裕福な社会を実現し最も信頼出来る安定した欧米の同盟国の地を築きました 代償として厳格な法律の執行、表現の自由の制約が行われました リー氏はアジア的価値観と言う言葉を生み出しました 多民族国家であるシンガポールにとって欧米式の個人の自由主義よりも倹約勤労の精神強い政府の方がより重要だとしています
日本もこっちの道をとるべきだと思う。 個人の自由より社会の安定だよね。
草木も眠る丑三つ時。ふと目が覚めた。 薬の副作用でトイレが近くなるので、この時間帯に目が覚めるのはいつもの事だが、今日のは何となく違っていた。 どうやら単に目が覚めただけらしい。寝直そうと、布団を被り直したその時、 ゴチン! 隣で寝ていた主人が、頭突きをかまして来た。 私も驚いたが、主人も吃驚したらしい。目を覚まして、 「ご、ごめんね。何か夢を見ていた」 とふにゃふにゃ謝る様子がおかしくて、思わず笑ってしまった。
朝になって目が覚めると、主人は開口一番、頭突きの件を再び謝罪して来た。 何の夢だったのか訊いてみたが、それは覚えていないと言う。 それでも自分が現実にやった事はちゃんと覚えていて、謝るところが偉いと思った。 私なんて、寝ていて何度も主人を殴ったにも拘らず、これっぽっちも覚えていないというのに。
とうとう昨日のいやーな夢を主人に告白したところ、彼はこんな話をしてくれた。 ミシン発明者が実際に見たという夢の話である。 発明者は自動縫製機の仕組みは考えたものの、最後に針をどうするかで行き詰ってしまい、悩みに悩んでいたある日、夢を見た。 槍を持った原住民に捕らえられる夢で、その槍の先には、穴が開いていたという。 これだ!と夢から覚めた彼が作ったのが、針先に穴の開いたミシン針であった。 嘘のような本当の話だそうで、ネットで検索したらちゃんと載っていたため、主人の作り話ではない事が確定した。 「だからシオンの見た夢も、もしかしたら、何かのヒントかも知れないよ」 と主人は慰めてくれたが、一体何のヒントになるのか全く見当が付かない。 どうせなら、もっとわかり易いヒントくれよ!1から37までのうちの7つの数字とか!
一方主人は、帰宅途中に、「小さいおじさん」なるものを見かけたという。 「信号から一寸先に、美容室があるじゃん。昨日か一昨日あそこの駐車場で、黄色い合羽を着た小さいおじさんが、トコトコトコって小走りに、車の下に入って行ったんだ……」 と告白する主人に、何でその日のうちに教えてくれないの!と詰ったら、 「だって、仕事で疲れているのかな、とうとう気がおかしくなったのかなと思って……何か言えなかったんだよう」 と、もしょもしょと答えるのであった。 まあわかるけどね、その気持ち。 「そうね、私も嫌な夢の話を伝えるのに勇気が要ったもの。そんな人でなしと一緒に暮らして行けないと離婚を切り出されたらどうしようと」 「大丈夫だよ、シオンが人でなしなのは今に始まったことじゃないから。 でも僕は、この世のものではないものを見てしまった事がショックで。幽霊とか妖怪なんている訳が無いのに!」 と、霊体験豊富な人が言う矛盾。 「あっシオンの実家には絶対話しちゃ駄目だよ。気狂い扱いされるから」 早速妹に話そうと思っていたのに、釘を刺されてしまった。ちぇ。
夢は、一体どこから来るのだろう。
子供の頃から、変な夢を見る事はあった。 グロテスクで気持ち悪くてあり得ない夢。 印象的な幾つかのものは、今でも鮮明に覚えている。 しかし今朝のは、その中でも群を抜いて最悪だった。 イスラム国の首斬りや焼殺など、まだ生温いのではないかと思えるほどの残虐さ。 目が覚めて、
_、_ .(;^ω^)\ | \ / \√| ( ヽ√| ` ̄ ノ>ノ  ̄ レレ (( さすがの俺でもそれは引くわ
というアスキー・アートが頭に浮かんだ。 幾ら私でも、そんな発想が浮かんだ事など無かったのだが、では何故そんな夢を見たのだろう。 夢の中の残虐な事件は私が起こしたものではなく、アフリカか東南アジアの奥地での出来事の新聞報道を私が読んでいるというものだったが、原因が無ければ結果は出ない筈。 いつ誰が私の頭にそれをインプットしたのだろう。 元から私が生まれ持った素質なのか。 そんな事を考えていたら、夢の陰惨さと自己嫌悪が相俟って、朝から憂鬱になってしまった。
あまりに酷過ぎて、一寸ここでは文字に起こせないような話である。 リアルで人に言うのも憚られるし、主人に言ってドン引きされて離婚を切り出されても困るので、暫くは自分の中に留めて置いて、夢の話を主人にした時にいつも言われる言葉を、自分で自分に言い聞かせるしかない。
「それはただの夢だ」
春闘関連のニュースで毎年聞く言葉、「ベア」。 自分には関係無いので、何の事か知らずにこの歳まで生きて来たが、「ベースアップ」の略だったとは! なんて強引な略語……昭和を感じた。
そう言えば、主人も一応職場の労働組合員だった。 「お金に執着しない貴方も、皆と一緒になって鉢巻締めて、『賃金上げろー!』とか『オオー!』とか拳を揚げているの? 想像出来ないわあ」 「鉢巻は締めないけれど、掛け声ぐらいはやってるよ。やる気無いけど。組合が交渉してくれるお蔭で給料が上がるから、一応彼等に敬意を払って最低限参加しているし、組合費も払っている」 なるほど、恩恵にだけ与るのは悪いから、一応お金も払いますよって事なのかね。
春秋兼用のコート カシミアのニットワンピ 皮のジャケット
これらのアイテムが通販サイトで絶賛値下がり中なのだが、とっても悩んでいる。 値下がっても、まだまだ高いのだ。 コートもサイズに悩んでいるうちに、どんどん売れてしまうし。 返品可のサイトならまだいいが、中には今時返品不可と言うサービスの悪い会社もあって、購入に二の足を踏んでしまう。 そうこうするうちに、夏になってしまいそう。
というか、実際に買いに行ければ良いのだが、欲しい物が置いてある店舗が札幌とか東京とか。何それ。 まさに地域格差である。 一票の格差を解消するなら、同時に地域格差も解消しないと不公平じゃね?
今回も転勤は無い模様。 あと1年、このド田舎にいなきゃならないのかと思うと、気が狂いそうである。 だが1年後に転勤が決まっても、引越し先は更なるド田舎なのだ。 私はそんなド田舎で年を取って行かなきゃならないのか。絶望的な気分になる。
はー、宝籤当たらないかな……。 今日の朝に夢で見た数字は、掠りもしなかった。 何故だ。あれはお告げじゃなかったのか。
震災から4年。 普通の生活を送れるってのは、有難い事である。 買い物に行ったいつものスーパーでは、店内放送の内容から察するに、津波の時間に合わせて黙祷を強要されそうだったので、早々に撤退した。 自主的にやるんならいいが、同調圧力が大嫌いなのでな。 帰宅してテレビをつけると、天皇陛下のお言葉を生放送していたので、それだけはちゃんと聞いた。 津波の映像は、いつ見てもドキドキする。 被災地では土地を嵩上げしているが、税金と労力と資材の無駄だと思う。 絶対に、前より人は減る。 現時点で、都市部に避難した人々の中には、過疎地での暮らしより断然快適だという事に気が付いて、そこに腰を据えるつもりの人も多いという。 人工的な復興なんて意味が無いし、自然に対して人間が無理に手を加えるなんておこがましい。
関連ニュースの中で、津波で家族を亡くしたという女の子が、式典にて作文を読んでいた。 なんでも、瓦礫に挟まれた母親が「行かないで」と言うのを残して、その子は自分だけ津波から逃げたそうで。 それを聞いて、耳を疑った。 「行かないで」って何それ。 そこは「私の事はいいから、早く逃げなさい」じゃないの? なんだこの母親……死んで当然とは思わないが、親として最低だ。 子供の心に余計な傷を残してどうするよ。
私の知人は、近所の年寄りか何かの避難を助けていて逃げ遅れたそうである。 自分さえ良ければどうでもいいとは思わないが、災害時の優先順位はちゃんとつけるべきではないだろうか。 テレビ番組なんかでは避難の話になると、老人や障害者などの弱者をどう助けるかみたい話になるが、糞くだらない。 遠慮して誰も言わないので、代わりに私が言ってやろう。 役に立たずに足手纏いになる者、自分の事を自分で出来ない者は、生き残っても仕方無い。 役に立つ若者、未来ある子供達を優先的に救助すべきで、ヨイヨイの老人や障害者は後回しに(或いはこれ幸いと処分)して良いだろう。 でも、多くの人はそうはいかないんだろうなあ。大抵の人間は、周囲の評価を気にするから。 私はあんまり気にしないからな。 4年前の大地震で、自分史上最大の揺れを体験した時、死ぬかと思った。 他人の評価なんて気にして生きて、何になるのか。馬鹿馬鹿しい。
ターシャ・テューダー曰く、「人生は短いのよ。好きな事をしなくちゃ」と。 私も好きな事をして生きたいのだが、先立つものが無くてな。 せめて、好きな事を言って暮らしたい。
今日は飲み会だから晩御飯要らないよ、と言って出かけた主人からメールが。
「飲み会明日だった・・・」
本当に、馬鹿で可愛いんだから。 因みに主人からのメールは、絵文字付きの事が多い。 いいトシした大の男が絵文字を使うなんて気持ち悪い!という人もいるけれど、私は別に。 結局のところ、人によるんじゃないかね。 嫌いな奴だったら、何をやっても気に入らないし、可愛い主人のやる事は大抵可愛い。 そんなものよ。
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