月に2回行われる、スーパーの安売りに行った。 トイレの紙が残り僅かなので、絶対に買わなければ。 メモを見ても忘れるので、買い物途中に邪魔になるのを覚悟で、スーパーに入ってすぐにトイレット・ペーパー売り場に行った。 色付きの巻紙が、安くなっている。 しかも匂い付き。これは買わねば。 早速、カートに入れた。
買い物を済ませて、車に荷物を積んだ。 帰り道、車内で嫌な匂いがする。 そう、先ほど買ったトイレット・ペーパーだ。 「すっきりさわやか苺の匂い付き」と書いてあったのに、甘ったるくて毒々しい匂いがする。 譬えて言えば、身体に悪そうな農薬の匂いだろうか。農薬嗅いだ事無いけれど。怖いから。 返品も考えたが、面倒だし急いでいたので、そのまま車を走らせて家に帰った。 帰宅してすぐトイレに仕舞ったが、これは、具合悪い時に嗅いだら確実に吐くわ。 この商品、自分用「買ってはいけない」リストに入れておかねば。
主人の知り合いは、地元では一寸した有名人だ。 その有名人の所に、ある日一本の電話があった。 数日後に取材に行くから、インタビューに応じて欲しいと言う、地方TV局からのお願いだった。 しかしその日は仕事の予定がある。 彼は理由を言って、断った。 するとTV局の人間はこう言ったそうだ。
「困ります、もう予定を組んじゃってるんですよ」
オイオイオイ。 それはお前の台詞じゃないだろ。 知り合いはきっぱりと、 「勝手な事を言うな。仕事の予定は前々から決まっていた事で、いきなりそんな事を言われても困る」 というような事を伝えた。 結局TV局が日時を調整して(当たり前だ)、無事に取材は終わった。 「あの連中と来たら、本当に勝手だな。一体、何様のつもりなんだ」 と、知り合いは呆れていた。
主人の知り合いの場合はっきり断れたが、田舎の人は人が好い。 週末の午前中のTVでは地方番組をやっているが、私が偶々見た番組は酷かった。(地方番組なんて殆ど見ないのに) 評判の店にレポートに行ったら「本日休業」の看板が出ていたので、お店の人に開けて貰ってレポートしました〜と言っていたのだ。 折角の休みなのに……お店の人が可哀相とか思わないのか。 何故予め、アポイントメントを取らないのだ。 他人の迷惑を何故考えない? いきなり行って取材させろって、どんだけ偉いんだよ。 中央キー局も酷いらしいが、地方局も酷かった。
2007年05月29日(火) |
墓まで持って行く秘密 |
松岡農相が自殺。 お金に関する問題があったらしいが、命はお金で買えない事を考えると、何も死ぬこたねえだろうと思ってしまう。 でも死を選んだという事は、自分の命よりも大切な秘密があったのか。 だとしても、法に触れるような事があったなら、ちゃんと片を付けてから死んで欲しかったなあ。 ホントに自殺者って自己中。 まあ、自殺を考えている時と言うのは、周囲の迷惑まで考えられない精神状態に陥っちゃうんだろうけれど。 あの世に行ったから楽になれるとは限らないのにね。
ところで本当に自殺だったのかしらん。 検視で不審な点が無いから解剖にはならなかったのだろうけれど、渦中の人の死だけに、疑ってしまう。
情状酌量について私見を述べたが、横浜駅の事件も同じだ。 新潟は三条から、ぶらりとやって来た29歳の精神病患者に、2歳の女の子がナイフで刺された事件が、25日に起こった。 幸い女の子は命に別状は無かったが、運が良かっただけだ。 ここでも、犯人と被害者の間には、何の関係も無い。全くの行きずりの犯行である。 しかし犯人は患者。 という事は、刑法39条によってお咎めナシになってしまう可能性が高い。
患者、行きずり、殺人、と言うと、1人のキ印によって未来ある若者が命を絶たれた事件を思い出す。 今まで知らなかったが、精神病院入院中(犯行時は外出中)の犯人が起こした事件なので、てっきり39条適用でお咎めナシかあと思っていたのだが、僅か事件後半年で25年一杯の実刑判決が下っている。 これはレア・ケースなのだろう。
以前にも書いたかも知れないが、自分でも覚えていないので書いちゃうぞ。 刑法39条は、このままでは駄目だ。 患者が起こした事件だから仕方ない、で済ませては、被害者の無念は宙ぶらりんになってしまう。 世の中には確かに、「仕方ない」事がある。しかし患者が起こした事件・事故については、誰かが責任を取らなければならないだろう。 患者を守るだけではいけない。監督責任は誰にあったのか。 そこを明確にしないといけないのではないだろうか。 勿論、病院には沢山の患者がいる。一人一人をしっかり見張るのは、不可能に近い。特に今は、無闇に拘束したら駄目とか、人権がどうとか、色々煩いからな。 なので、病院に全ての責任をおっ被せるのは、適当とは言えない。 製造責任て事で、親が責任を持てればいいのだが、手に余るから病院に入れるんだろうし、そういう人に限って到底責任を持てそうになかったりするし。 1番簡単なのは、嘗てノーベル賞に輝い(以下自粛)
という訳で、私の中でもこの問題に関しては、まだ答えが出ない。 どうしたら、皆幸せに平和に暮らせるんだろうなあ。
ところで、キチガイと聞くとすぐに「差別用語だ!」とキィキィ叫ぶ人(ドビー?)がいるが、我が家の国語辞典(旺文社第九版)にはちゃんと載っているので、そのまま書いちゃうぞ。 「気が違っちゃってるんだから、仕方ないじゃん。差別でも何でもなくて、事実を言っているだけなんだけれど」とは、主人の弁。 全くもってその通りだと、私も思うんだけれど。
2007年05月27日(日) |
情状酌量って何だろう |
(イエス・キリストが、裏切り者・ユダについて言った言葉)
その人は生まれなかった方が、彼のためによかったであろう。
宅間守などは、まさにこの典型だと思う。 弁護士の仕事とは、依頼者である被告人の利益のために弁護する事なのだそうだ。 でも、本当に被告人のためになるのは、一体何なのだろう。
裁判の報道でよく聞くのが、情状酌量という言葉だ。 辞書には、被告人の同情すべき事情を考慮して刑罰を軽くする事、とある。 光市母子殺害事件でも、1審2審では、被告少年の生い立ちに情状酌量の余地ありとして、死刑ではなく無期懲役の判決が出ている。 しかし普通の場合、1番に同情すべきなのは被告人ではなく、被害者ではないだろうか。 幾ら被告人の生い立ちが悲惨なものであろうと、そんな事は被害者には全く関係無いのだ。
映画化された野沢尚「深紅」のモデルとなった、練馬一家惨殺事件がある。 見方を変えれば、元は被害者が加害者だ。 このような事件では、加害者にも情状酌量の余地がある、と言えると思うのだが、光市の事件の場合、両者の間にそのような因縁が無い。行きずりの犯行だ。 そこで「加害者の事情を酌んでやってくれ」と言われても、酌むべき事情に全く関係の無い被害者からすれば、「ハァ?」となるだろう。 小島よしおでなくとも、「そんなの関係ねえ!」と言いたいところだ。 つまり、私が言いたいのは、
情状酌量の中身が、加害者と被害者の間に無関係な場合、それを適用するのはおかしい
と言う事である。
「テレチカ友の会」会長であるところの友人から、本を薦められた。 「新潮45」編集部の本である。 確かにこれは、食指が動く。 近所の古本屋に無かったので、我慢出来ず、普通の本屋で買ってしまった。 しかも全冊。
「殺人者はそこにいる」 「殺ったのはおまえだ」 「その時殺しの手が動く」 「殺戮者は二度わらう」
早速読み耽っていると、主人に白い目で見られた。 「あーあ、本当にシオンは猟奇殺人マニアなんだから……」 ちっ、違う! マニアなんじゃなくて、心理学や法律の勉強だよ!!! しかしこの本、一気に全部読むのは無理。 すぐにお腹が一杯になってしまうのだ。 1話読んだら他の事をしないと、心に負担がかかり過ぎる。 心が重くて鬱々としてしまうので、用法・用量に注意が必要だ。
シリーズ1作目「殺人者はそこにいる」の「熊本お礼参り連続殺人事件」に出て来る、遺族の言葉が重く胸に響く。
「残された被害者の遺族なんか、惨めなもんです。(中略) 他人が聞くと、そんな馬鹿げたことがあるか、ち思うでしょうが、我々の気持ちは理解できんでしょうね。憎しみと恐怖、それがこの数年間、交互にやって来るとです。 最近は死刑廃止論が盛んに叫ばれとるようですが、私に言わせれば、事件に何も関わっとりもせんもんが無責任な話ばするな、て思います。 だいたい、人を一人殺したら、自分の命でつぐなうのが当たり前じゃないでしょうか。それなのに、無期懲役でも十年経ったら刑務所から出て来て、簡単にまた人を殺す……そぎゃん馬鹿な法律があるでしょうか」
相手の立場になって考えて、というのは、基本的な事だと思うのだが。 子供の頃に親や教師から教わらなかったのだろうか。
24日午後、広島高裁にて、山口県光市母子殺害事件(1999年)の差し戻し控訴審の初公判が行われた。
被告の元少年の言い訳には、吃驚した。 何故ドラえもん……原作者は既にこの世の人ではないが、彼の主張についてどう思うのか、訊いてみたい。 言っている事が1審2審と大きく違う。殺意は無かったと、前言を翻しているのだ。 死んだ被害者を生き返らせるために死姦したって、それってどこの新興宗教だよ。 おまけに、母性を求めて抱き付いた筈なのに、死姦。 つまり、元少年の当時の精神年齢はコドモなのだからと言いたいらしいが、そもそも子供なら死姦しないだろ。 しかも母親を。どんだけ鬼畜なんだよ。 会津若松の母殺し破瓜型少年だって、そこまでしてないだろうが。 ここだけ取ってみても、元少年の主張は、激しく矛盾していると思うのだが、如何なものか。
元少年の主張にも吃驚だが、それを教唆したと思われる22人の大弁護団には、もっと吃驚だ。 私は死刑廃止論者ではないので、彼等の主張の正当性がよく解らん。 死刑は野蛮だ!とか言うが、目には目を、はにわニーハオだろうが。 TVを見ていても、殆どのコメンテーターはこれは酷いと言う見解のようだった。 でも誰も、弁護団に対して、 「こいつらの奥さんが、同じ方法で殺されたらいいのに」 とは言わない。 皆、大人だねえ。 私は言っちゃうよ。 誰かがこいつらの身内を、殺しちゃえばいいのに。 そしたら、被害者遺族の気持ちも少しは解るでしょ。
欲しい物があって、電気店を駆けずり回った。 と言うと多少大袈裟だが、今日中に欲しい!と思ったのだ。 何故こうも計画性が無いのか、私は。
大型電気店を2軒回っても欲しい物に会えなかったので、3軒目にゴー。 ここは近隣では最も大きい店だ。 つまり、ここに無ければもうアウトという事である。 暫くウロウロして、やっと目当てのコーナーに辿り着いた。 何種類かあるが、どれが良いのか判らない……。 どうしようかなと、店員を探して周囲を見渡すと、隣の携帯電話売り場で、女性店員同士がお喋りしていた。随分緩い店舗である。 多分、彼女等は携帯専門だ。私が買いたい物について訊いたところで、欲しい回答は得られなさそうである。 店員は何故、何も買う気が無い時に声をかけてくるくせに、こちらが訊きたい時に限っていないのだろう。 時間も無いし、仕方が無いので、レジまで行って店員を捕まえた。 対応してくれたのは、若い男の子だった。 コーナーまで来て貰い、 「こういうのが欲しいのですが、この中ではどれが1番安くて使い易いですか?」 と訊くと、う〜んと言いながら商品脇の値札と説明書きを見て、 「これですかねえ」 と中の1つを指し示した。 ……つまり彼は、そこにある情報を見て比較しただけであり、それぐらいは私でも出来るんだが。 馬鹿にされたのかね、私は。 しかも彼が示した物の、1つ隣りの奴が1番安かったんだが。 店員なんだから、もっとちゃんと商品説明とかしてくれるかと期待していたんだが、そこまで専門的な知識とアドバイスを求めるこっちの方が間違っていたのかね。 しかしもう、他の店に行っている暇も無ければ、気力も無い。お昼を過ぎていたので、私はいい加減腹が減っていた。 店員が示したのとは違う、1番安い商品を手に、レジへ行って清算した。
駐車場で車に乗り込み、何故か知らないが、包みを開けてみようと思った。 どんな物か、早く見てみたかったのかも知れない。 箱を開けると、開け方が悪かったようで、部品がごとごとと膝の上に落ちた。 しかし、肝心の本体が無い。 落とした?と思って周囲を探したが、無い。座席の下にも無い。 き、消えた?? 空箱を買って帰る訳にも行かないので、部品を元に戻して、店内に取って返した。 レジに直行すると、さっきの店員がいたので、事情を話して箱を渡した。 あれ?入っていませんでしたか?とか何とか言いながら、彼は箱を開けたが、本体は入っていない。 少々お待ち下さい、と言われて暫くすると、彼は別の箱を持って現れた。 今度はちゃんと、レジで箱の中を確認した。本体は入っている。 店員は私に中身入りの箱を渡し、空箱をゆっくりと綺麗に仕舞ってから、レシートを返してくれた。 ……君、それって順番違うんでないかい? 空箱の始末は、客が帰ってからでも良かろう?
責任者呼べやゴラ! と言おうかどうしようか迷ったが、腹が減っては戦は出来ぬ。 家に帰って、昼御飯を食べているうちに、段々と怒りが湧いて来たのだった。
帰宅した主人にその話をすると、 「そういう時はね、同じ人に言ったら、揉み消されちゃうでしょ? だから空箱を持って、別の店員に、『さっきあの人がレジ打ってくれたんですが』って言えばいいんだよ」 と目から鱗の回答をくれた。 なるほどね〜〜〜! 流石、ずっと社会人をやっている人は違うわ。頭いいなあ!と思った。私が馬鹿なだけかも知れないけれど。 しかし、気になる事がもう1つ。 もしかして私、中身だけ抜いて空箱を返したと疑われていないか?
「この子はまだ、夏を知らない」 というCMがある。 洗剤のCMのような気がしていたが、今調べたら、パンパースだった。 それはどうでも良い。
私が気になったのは、このCMで、母親が乳児の隣りに添い寝している事。 「これはCM上の演出です。危ないので、実際にはやらないで下さい」との注意書きも無い。 怖いよ。危険だよ。 どちらかが寝返りを打って、赤ん坊が母親の下敷きになったらどうするんだ。 昔は、危ないから添い寝しちゃ駄目!というのが当たり前だったと思うが、今は恐ろしい事に、寧ろ母親とのスキンシップが大切という理由で、推奨されているとも聞く。 しかし実際、添い寝による事故は起きている。 「FBI 失踪者を追え!3」にもあった。このドラマは勿論フィクションだが、母乳を与えながら添い寝する母親が寝入ってしまい、赤ん坊が母の乳房で窒息死してしまうという事は、現実にあり得えないとは言い切れない。
そして実際に起こった事故もある。 朝起きたら、生後1月にも満たない赤ん坊が、母親の下敷きになって死んでいたのだ。 どんだけ寝相が悪いんだ母親。という問題ではないと思う。 そんな風に母親に殺されたのでは、赤ん坊が可哀相である。 幾ら可愛くても、独り寝が可哀相でも、赤ん坊は別室にベビーベッドで寝かせるという、欧米風のやり方が良いのかも知れない。
天気が良かったので、夕方まで窓を開けていた。 何か煙い。 どうやら、どこかで野焼きをしているらしい。 以前役所に訊いたのだが、ここの地区は一応野焼き禁止となっている。 但し、木や草など、自然に燃やせる物はOKらしい。煙くて嫌なんだけどなあ。洗濯物にも匂いが付くし。 しかし途中から、自然な煙の匂いではない事に気が付いた。 プラスチックか何か、燃やしてはいけない物を燃やした時のような悪臭が混ざっているのだ。 気持ち悪い。 慌てて家中の窓を閉めたが、既に部屋の中は嫌な匂いで充満している。 唯一トイレだけが無事……。 トイレに籠もってみたが、気持ち悪さは取れない。 頭痛もして来た。吐きそう。 ここにいたら死ぬと思った。 どこかに避難しよう。 車の鍵とお財布を持って外に出ると、外の空気はもう綺麗だった。風が流してくれたらしい。 息を吸って止めて、家中の窓を今度は全て開放した。 換気が完了するまでは暫くかかる。外で立ちんぼしているのも変だし、何より辛いので、車の運転席を倒して横になった。 これなら家の方も見えるので、万一泥棒さんが来たら……という不安も無いだろう。 近所の人に見られたら一寸怪しいだろうが、そんなの気にしていられないほど苦しいのだ。 景色が暗くなり、空の光が着えた頃、やっと部屋に戻った。 吐き気は引いたが、頭痛が取れないので、畳みの上に転がった。
結局、食事の支度も何も出来なかったので、帰宅した主人に全部丸投げ。 ホントにごめんな〜〜。 でも1番悪いのは、野焼きした奴だからね!
悪臭が酷い場合、どこに通報したらいいのだろう。 役所?それとも警察? 野焼きか農薬か知らないが、損害賠償請求したいくらいだ。勿論医療費も。 その後3日間、頭痛が続いたのだから。3日目にノーシン飲んでやっと消えたけれど。
なんだか、気分がむしゃくしゃしていたので、主人にだっことお祓いを頼んでみた。 私の背中をポンポンと叩きながら、 「悪霊退散〜悪霊退散〜。
あっ、シオンが空っぽになっちゃった★」
ん? 1、2秒ほど考えて、気が付いた。 つまり私は悪霊で出来ていると、そういう事か!
酷過ぎる……。
会津若松の高校生が、自分が殺した母親の首を切断して、それを持って警察に出頭したという事件があった。 最初にこれをニュースで聞いた時、すぐに、破瓜型かと思った。 無責任な事を言っちゃあいかんと言われそうだが、私の日記だもーん。何書いたっていいんだもーん。(蛇足だが、一応限度がある事ぐらいわかってるから。反論無用) だって、普通じゃないでしょ、殺し方が。 どう見ても、分裂病でしょ。 今はお薬で治るとは言われているが、本当はどうなんだか。
また聞きだが、ある精神科の名医が放ったという名言。 家族「先生。うちの子は大丈夫なんでしょうか」 名医「大丈夫。いずれ立派な本物(の分裂病)になりますよ」 看護婦「……(滝汗)」
医療少年院に送られる事になるのだろうが、彼はいずれシャバに出て来る。 その時、病気が完治していればいいが、そうでなければほぼ確実に再犯を行うだろう。 今回は親族が犠牲になったから、無関係な人間に被害は及ばなかったが、次は誰が標的にされる? それを考えると恐ろしい。
そう言えば、2005年11月、大阪市浪速区のマンションで27歳と19歳の姉妹が殺害された事件がそうだった。 犯人の山地悠紀夫は、その5年前に、自分の母親を殺している。当時16歳だった。 姉妹殺害の公判で彼は、人を殺したい欲求があったとも言っている。 こいつは分裂病ではなかったようだが、明らかに異常だ。 その刃が身内に向いている分には、世間は安心出来るが、殺人の欲求の捌け口が外に、特に無関係な人間に向いた時にはどうすれば良いのか。 何の因縁も無く殺された方は、全く堪ったものではない。 人殺しは病気とか関係なく、全員死刑でいいよ。 格差も差別もイカンのなら、それが1番平等でいいんではないか。と思ってしまう。
2007年05月19日(土) |
出来ちゃった結婚は何故非難されるのか |
少し前の話で恐縮だが、元モーニング娘。の辻希美と、俳優の俳優の杉浦太陽が出来ちゃった結婚!という報道があった。 私はこの日記で、これまでに何度も出来ちゃった結婚を非難しているが、ここでも繰り返す。 早い話が、迷惑なのだ。
私は幸いにも、周囲の出来ちゃった結婚で迷惑を被った事は無いが、やっちゃったね辻ちゃん。 結婚している女性なら兎も角、未婚の女性が妊娠するとは、普通は考えない。 仕事の予定も妊娠は無い事を前提に組むので、突然妊娠しましたと言われても、周囲は本当に困る。 一応結婚はお目出度い事なので、口ではおめでとうと言うが(それが大人の対応だ)、仕事仲間は内心呆れるに違いない。 知り合いの話だが、 「そういう事なので、夜勤は勘弁して下さい。そして何箇月か後には、産休貰います☆」 と言われて切れそうになったと言う。 決まったばかりのシフトを組み直さなければならなくなったので、周囲は大迷惑。 当然本人は、職場で白い目で見られる事になったという話である。
辻ちゃんも、今回の事で周囲に迷惑をかけただろう。 2人揃って、結婚会見でまず謝っていた。その点は評価する。 謝罪が当然と言えば当然だが、サム&安室の時は、終始幸せアピールだけで、謝罪が無かったように記憶している。 こいつらのせいで、出来ちゃった結婚が市民権を得てしまったのだよな。 報道側ももっと叩けば良かったのに。 結局あの2人は子供が小さいのに離婚したし、一体何だったんだろうね……。大きくなった子供が「僕さえ生まれなければ、お父さんとお母さんは結婚も離婚もする事が無かったのに、僕のせいだ」なんて思わないといいけれど。でもそんな子供を見て、親は心を痛めて自分の行いを反省して欲しい気もする。 まあ、辻&太陽には、結婚するからには、ちゃんとした家庭を築いて欲しい。 出来ちゃった結婚でも、良い家庭を築いている仲良し夫婦だっているのだから。
ところで杉浦太陽って、暴行事件起こして捕まってたよね。 あれは結局不起訴だったんだっけか。
1年振りに漢方薬を飲み始めてから、あっという間にアトピーは快方に向かった。 1週間でつるつるのお肌〜♪
虐待夫婦がいなくなって暫くすると、私の順番が回って来た。 よし、今日こそ。 今日こそ「K社のお薬を出して下さい」と言うぞ。 そう決意して、診察室に入った。 変わりはありませんねと言って、ドクターが処方箋を出そうとPCに向かった時に、 「T社ではなく、K社でお願い出来ませんか」 と頼んでみた。 「K社ですか。えーとえーと……」 高齢のドクターはまだまだコンピューターに不慣れならしく、いつもの処方でも苦労しているのに、いきなり患者から難題を出されて、カーソルをうろうろさせていた。 看護婦さんが隣りから覗き込んで、先生そっちじゃなくてこっち、とクリックする場所を教えている……永年のやり方を急にハイテクに変えられて、大変なんだなあ。 「うーん、K社のはありませんね」 どういう事?と訊いてみると、病院で指定した薬じゃないと処方出来ないらしい。 これでは、医薬分業した意味が無いではないか。 何のための医薬分業なんだよ、と言いたいのを我慢して、 「なんとかお願い出来ませんか」 と、まずは低姿勢で頼んでみた。 実際、出して貰えないと困るのはこっちだからな。 手立てが無い訳ではないようで、今日のところは手書きの処方箋を出して貰える事になった。 てか、今日のところは、って……次回以降も手書きじゃ駄目な訳? 大きい病院のシステムは、色々と面倒臭いようである。 「患者様」とか、サマ付きで呼ぶぐらいなら、そっちの方を改善してくれと思うんだが。
システム上の問題だけではなくて、K社のお薬はマイナーなので、取り扱っている薬局が殆ど無いらしい。 取り寄せにも時間がかかるので、私が利用している薬局に病院が連絡してくれるという。 それまでは、残っているT社の薬で凌ぐ事になる訳だが、次回以降来院の際には、予め病院に連絡を入れるようにと言われた。 そして、病院から薬局に、薬を入れるように頼んでくれるらしい。 なんか、思ったよりも面倒な事になってしまった。 もっとK社がメジャーになってくれるといいんだが、私が先駆けになれという事か。
私が通っている総合病院の待合室は、診療科目毎に分かれておらず、色々な科を受診する患者が1箇所に集められている。 そこで、一組の夫婦を見掛けた。 年の頃は、多分ご亭主が70歳代、奥さんが60歳代ではないかと思われる。(他人の年齢を推測するのは、非常に苦手だ。元々人間に対する興味が薄いので) 私は持参した文庫本を読むのに熱中していたのだが、奥さんの声が余りに大きくて耳障りなので、顔を上げた。 太った奥さんは、隣に座った亭主に 「ほら、いつまでもお菓子持っていないで、さっさと仕舞って! もたもたしない!」 と大声で言っている。殆ど、怒鳴っているに近い。 白髪がぽやぽやと残った禿頭のご亭主だが、そんなに耳が遠いのだろうか。 それなら耳元で話せば良いものを、具合の悪い患者もいるであろう病院の待合室で大声を出すとは、何と迷惑な。 眉間に皺を寄せて見ている私に目もくれず、奥さんは尚も亭主を叱る。 見れば、ご亭主の細い腕は、ぷるぷる震えている。 脳外科の患者だろうか。 だとすれば、動作がもたもたするのは仕方ない事なのに……と思ってみていたが、奥さんは怒りっ放し。 怒っても、どうにかなるものでもないのだが。 確かに健康体からすれば、病人がもたもたするのは、もどかしくて苛々するのだろうが、余りに愛が無さ過ぎる。 見兼ねた看護婦さんが、 「奥さん、もう少し旦那さんに優しくして上げてね」 と声をかけていたほどである。 暫くすると受付番号を呼ばれて、その夫婦は診察室に入って行ったが(やはり脳外科だった)、小さい歩幅でよろよろと歩くご亭主に手を貸すどころか、奥さんは後ろから、まるで汚い物に触れるかのように、指で「早く行け」とばかりに突付いていたのだった。
……あんまりだよ(涙)。
夫婦の事は本人達にしかわからぬものだが、ああはなりたくないと思った。 夜、帰宅した主人にその話をし、 「私はなるべく(←絶対じゃないのかよ)、貴方がヨイヨイになっても大事にするからね」 と決意表明をしたのだった。 すると彼はこう言うのだった。 「そうだねえ。シオンが寝たきりになったら、僕は下の世話も何でもしてあげるつもりだけれど、逆の立場だと、おしめの交換は3日に1度ね!とか言われそうだなあ」 「流石にそこまではしたくないけれど、未来の事はわからないから、私より先に寝付いたり呆けたりしないでね。それに、もっと痩せてくれないと介護も出来やしないわよ」 いやホントに切実ですよ、そのお腹。
私が細々とウェブ日記を書いていると言う事を、主人は知っている。 興味も無いようだし、見せてと言われた事も無いので、彼にはURLどころか内容も教えていない。 いちいち検閲が入らない方が、私も気楽に思う存分書けるし。 見せたら怒られそうな事も、沢山書いてあるしな(笑)。
ある日、彼にこう訊かれた。 「シオンは、掲示板は付けていないの?」 「付けないよ〜。お返事付けるのが面倒臭いもん☆」 「そうだな、シオンは面倒臭がりだからな……」 そう言えば、彼はその昔、自分のサイトを持っていたのだった。 結婚してからすぐに、趣味より奥さんの方が大事だからと言って閉じてしまったっけ。 私は別に続けてもいいよと言ったのだけれど、PCに向かっているより、シオンと話している方が楽しいと言ってくれた。 それが今では、鬱陶しがられているような気がするが。 「貴方は掲示板を持っていたよね。管理が大変じゃなかった? どう返事していいのか困るような書き込みとかさ」 「ああ、そういうのあるある。適当にコメント付けたけれどね」 「それよ。私はその適当というのが苦手なの。宣伝コメントの削除とか、管理も大変だし、だから掲示板は付けないのよ。掲示板って、メールよりも塀と言うか、ハードルが低いでしょ? こう言っては悪いけれど、しょうもない書き込みの返事に費やす労力と時間があったら、私は自分の好きな文章を綴る方にそれを注ぎたいなあ。メールを貰う分には一向に構わないのよ。それだけ私に何か言いたい事があるという事なのだから、それは嬉しいし、ちゃんとお返事するもん。尤も偶にしか来ないけれどさ。それに掲示板って、どうしても管理人と同じ考えの人ばっかり集まっちゃうじゃない。類は友を呼んで、排他的になる、それが好きじゃないのよ」 と私が言うと、彼はプッと笑った。 「何よ」 「いや、だってシオンは、『私と違う考えの人間は許さなくてよキィ!』な人間なのに、そんな事を言うなんて」 なんかムカついた。
BS2では午前中に、昔懐かしのアニメを放送している。
「赤毛のアン」を見ながら、昔の「世界名作劇場」は良かったなあとしみじみ思う。 「世界名作劇場」はとっくに終わってしまったが、同じ「名作劇場」でも、新しい物は脚色が酷くて駄目だ。 「あしながおじさん」とか最悪。 原作は高校生ぐらいの女の子が主人公なのに、アニメでは中学生という設定にしていた。 子供向けのアニメという事で、視聴者の年齢に近付けたのだろうが、無理矢理である。 それはさておき、「赤毛のアン」はいい。 最初の頃のアンは無駄にテンションが高くて、自分の子供時代の恥ずかしい思い出がオーバーラップするため直視出来ないのだが、マリラの台詞が良いのだ。 先生の悪口を言うアンに対して、 「あんたは先生の事をそんな風に言っちゃいけないよ」 とビシッと言う。 今の親は、こんな事言えないだろ。子供の言う事を真に受けて、一緒になって先生の悪口を言うんだろうな。 でも、昔はそうではなかった。父兄も弁えていた。 どんな先生であれ、教わる以上は「先生」なのだ。
今のアニメは、楽しけりゃいい、面白けりゃいいというだけで、中身が薄っぺらい。 物語には、教訓が無いといけないと、私は思うのだ。
2007年05月14日(月) |
一部上場企業サービスの実態 |
実家では、朝は必ず連続テレビ小説を見る。 あーなんか、久し振りに見たなあ朝ドラ。 「どんど晴れ」は、はじめの1週間だけちょこちょこと見た。 しかしあの東北弁(盛岡が舞台だから、盛岡弁なのだろうか)が如何にもうそ臭い上、ストーリーが陳腐な予感がしたので、それからは全く見ていない。 その前にやっていた「芋たこなんきん」が面白かったから、尚更だ。芋たこは最初から全部観れば良かったと、激しく後悔した。 因みに友人は、「どんど晴れ」は主人公の恋人が何となくイヤと言っていた(笑)。何でだろう……私もさほど好みではないが。
朝食を食べ終わり、支度をして、実家を後にする。 電車より安いので、バスで県庁所在地へ向かう。 旅のお供は、少し厚くて重いが、京極夏彦「百鬼夜行―陰」。 しかしこれが、苦痛なぐらいに面白くない。 京極本は全て面白いと思っていたので、裏切られた気分だ。 京極堂シリーズが完成版とすると、それを作るために削ったカスを寄せ集めたのがこの「百鬼夜行―陰」である。 カスは所詮カス。美味しくない。 結局移動中は寝て過ごしたのだった。
県庁所在地に着いたのは、丁度昼頃だった。 美味い店を知らないので、街中の立派そうなホテルのレストランで、ランチを注文した。 味は悪くない。 ただ、サラリーマンやおばさま達で店内が混雑していた。 それでも、喫煙席が遠いので助かった。 早く全面禁煙の時代が来ないかなあ。
腹ごしらえをして、NTTへ。 最初に書類の宛先になっている住所に行ったのだが、そこは一応NTT関連会社なのだが本部ではなく、書類だけ預かっているという。なんだとー! 仕方が無いので、街中に引き返す。 大きい所ならまず間違い無かろうと思い、目に付いたホテル(さっき昼食を摂った所だった)のロビーで道を聞き、大きいNTTまで歩いた。 そして待たされた。 しかも対応したのは余り慣れていなさそうなオバサンで、手際が悪い。 おまけに手数料までかかるそうな。千円もしないけれど。 なんつーか、
NTTのサービスって、売る時だけなんだな。 と思った。
会社なんて、大抵そんなもんか。
実家の近所に、ほわ〜んなお店がある。 田舎の住宅街なのに、何故か可愛いお洋服のセレクト・ショップがあるのだ。 客は多くないかも知れないが、潰れずに、10年ぐらい続いているだろうか。 この店、センスが良いのだ。 安かろう悪かろうではなく、そこそこ良い物を仕入れている。 よく妹と2人で、この店の前で、マッチ売りの少女ごっこ(お店に入るお金も勇気も無い時、ショー・ウィンドウの前でシュッとマッチを擦る仕草をし、「ああ、何て素敵なお洋服なんでしょう……」とため息を吐く事。勿論、放火ではない)をしたものである。 しかし今や、妹も自力で稼げるようになったので、昨日はお金を持って、堂々とお店に入ったのだった。
そして今日は午後から、妹の車でショッピング・センターへ。 就職が決まってから買った新車である。 一応親に借金したらしいが、実質買って貰った事になるんだろうなあ。まあそれも親孝行。 はじめは普通車を買うつもりが、アパートで割り当てられた駐車スペースが壁の隣りで、反対側の高級外車が狭い枠ぎりぎりに停めるため、出し入れの際に外車を擦っちゃうんではとびびった妹が、普通車を捨てて軽自動車を選択したのだった。 親は、事故った時に軽では心配だと言っていたので、私が 「最初から新車で普通車なんて贅沢よ。そのうちもっと稼げるようになってから、自分のお金で普通車を買いなさい。それにダイアナ(元)妃だって、立派なメルセデス・ベンツに乗っていたのに死んじゃったじゃん。ベンツだって軽だって、潰れちゃえばおんなじよ」 と返したのだが、それは違うと言われた。何がどう違うのだろう。 さて、妹と一緒に私も昨日ほわ〜んな服を買ってしまったので、今日は見るだけ。 買わなくても、あのお洋服可愛い〜でももう年齢的に着られないとか、あの靴素敵〜でも先が尖がった魔女靴だから痛くて履けないとか、見るだけで楽しめる、安上がり姉妹である。 翌日月曜日から、妹は普通勤務。 しかも朝早いので、妹とはここで別れて、私はバスで実家に戻るつもりだった。 もう夕方だし、そろそろ帰るかね〜と時計を見た。 (買ったばかりの腕時計。妹は案の定、「お姉ちゃんはいいなあ〜働いていないのに色々と買って貰えて」と言う。お姉ちゃんはおうちの中で働いているからいいんだよ。それが永久就職なんだよ! てか永久だといいんだけれど……) んじゃあお見送りするよ〜と妹がバス停まで付いて来てくれた。 付いて来て正解。 最終便は5分前に出発したところだった……恐るべし田舎のバス。 タクシーで帰るか、それとも親に迎えに来て貰うか迷ったが、結局妹が送ってくれる事に(笑)。 再び2人で家に戻り、妹は夕食を食べてからアパートに戻って行ったのだった。 ご苦労。
2007年05月12日(土) |
お姉ちゃんなんだから、は禁句です |
里帰りした。 体調がいまいち宜しくなかったのだけれど、妹も帰って来たので、晩御飯はお寿司屋さんへ。 昔は外食なんて、年に2、3回の贅沢だったのに。 私としては、折角実家に来たのだから、母の手料理を食べたいんだが。 勿論、私は手伝わない。後片付けしか。
月末に初給料を貰った妹は、貧乏学生だった頃の面影はどこへやら、すっかり気分は成金になっていた。 「見て見てー、これ、お給料で買ったの♪」 と言って、真新しい籠バッグを見せてくれた。 トートバッグのように上がパカパカするのではなく、口金で密閉する、コロンと丸いタイプである。 「可愛い! 虫籠みたい〜」 と私が言うと、虫籠じゃないもん!!とキィーとなっていた。 ちゃんと、可愛いって言ったんだけど……。 でも妹は、お給料から、両親に食器をプレゼントしたらしい。 粗品とか色々あるし、実家の食器はバザーに出すほどあると思うんだけれど、まあ親にしてみればその気持ちが嬉しいのかも知れない。 「で、お姉様には?」 「え……」 「お姉様には何も無し、なんて事は無いよね? おむつを替えて貰った恩を忘れたのか?」 「だって、そんなの覚えてないし……」 妹はぶつぶつ言いながらも、一緒に買い物に行った先で、シャツを買ってくれた。 それでも妹は、 「おむつの恩を〜って、この先一生言われそうな気がする」 とまだぶつぶつ言っているのだった。 ちゃんとわかってんじゃん!
夜、電話で主人にその話をすると、 「駄目でしょ。シオンがお姉ちゃんなんだから、ドビーちゃんに何か買ってやりなさいな」 と叱られた。 むう……。 翌日、妹にトイレのスリッパを買ってやった。
2007年05月11日(金) |
どうか正夢になりませんように |
主人が、夢を見たと言う。 「どんな夢? 楽しかった?」 と訊くと、彼は口を開いた。 「何がきっかけかは忘れたけれど、とっても腹が立って、ブチ切れて、茶碗や皿を手当たり次第に投げて壊す夢……嫌な夢だった」 私なら兎も角、平和主義の主人が仮令夢でもそんな事をするとは。 「え……。一体、何に腹を立てていたの?」 「シオンに対して。何でこいつはこんなに理不尽なんだと、沸々と怒りが湧いてさ。シオンは手を付けられない様子で、傍でオロオロして見ているだけだった」 何故そんな夢を……。 夢の中でしか怒りを爆発させられないのか、この人は。 日頃の行いが行いなので、私が悪いような気にさせられた。夢なのに。 「なんだか御免ね。私に対してそんなにストレスが溜まっているの?」 「さあ、どうだろ……。シオンが今日から実家に帰っちゃうから、その間に好きな事をしようという気持ちの表れかもよ。流石に食器は壊さないけれど。まあ、シオンは気にするな」 いや、気にするなと言われても、そんな話をされたら流石に気になるんだが。 もっと家の中の事をきちんとしろと言う事なのか。 夢を使って、婉曲的にそう言っているのか? なんだか不安だ……主人のストレスが。
2007年05月10日(木) |
民営化に騙されるな! |
妹が休みを取って実家に帰ると聞いたので、合わせて私も、この週末里帰りする事にした。 そして帰りには、固定電話の名義変更のために、NTTに寄らなければならない。 ああ面倒くせ。
妹が使っている固定電話は、私の名義になっている。しかも旧姓だ。 つまり、その名義の人間はもういない。 というのも、 私が学生時代に7万円(だったと思う)で加入権取得 ↓ 妹が進学して1人暮らしをするため、私のものをそのまま使わせる ↓ 私が結婚して、姓が変わる ↓ 電話の事など忘れて放置。そして今に至る という次第である。
私が実家に戻ってから妹が進学する前の期間に、もう固定電話の時代じゃないしなあと、加入権をNTTに返そうとしたのだが、ここが電電公社の狡いところ。 7万で売った加入権なのに、買取は二束三文だと言う。 これが普通の商品なら話は解る。中古品の値段は新品より安い。 しかし電話加入権だ。 使った分、何かが減ったの? 加入権の価値がそれで下がったの? 何だか凄くムカついて、それもあって放置していたのだった。 今思い出したぞ。
で、加入権を妹の物にするには、私の旧姓→(名義変更)→新姓→(譲渡)→妹という、2重の手続きを経なければならない。 更にムカつく事に、加入権の名義変更と譲渡は、印鑑証明があれば書類の送付だけで出来るが、なければ本人が身分証明書を持ってNTTに赴かねばならないのだ。 しかも、それを受け付けられるのは、本件電話番号のある都道府県の「加入権センター」のみ。 そしてそれは、各都道府県に1箇所しか無い模様。恐らく県庁所在地である。 実家は県庁所在地ではない。という事は、わざわざ県庁所在地に寄らなければならないという事である。 寄る程度ならまだいい。遠回りになる場合なら、下手すりゃそれだけのためにわざわざ泊まりがけになる事だってあるだろう。 私ぐらいの歳ならまだいい。老人だったらどうすんのさ? そのために印鑑証明があるんですよ!と言われればそれまでだが、個人的に、これだけのためにわざわざそこまでするのはイヤ。
NTTは民営化されて、こんなに便利になりましたよ〜などとアピールしているが、とんでもない。 まだまだ利用者にとって不便で不利な事は沢山あるのだ。 郵便局だって、民営化されたら利用者にとって素晴らしい世界が待っているような事を小泉は言っていたが、ホンマかいな。 愚民共は、もっと物事を深く考えるべきだ。 あ、考えないから愚民なのか☆
書店で、「誕生日大全」という本を見かけた。 もしかしたら、「誕生日事典」の方かも知れぬ。しかし、それはどうでも良い事だ。 手に取って、自分の誕生日の頁を捲ってみた。 社交的とか、営業に向いているとか書いてある。
大嘘吐きめ!
こんな本は買わぬ。 太木の六星占術の方が、まだ当たっていると思った。 そっちも買っていないし、買うつもりもないけれど。
絶叫系の乗り物が好きだ。 20台の頃は友人と、偶に遊園地に行っては、絶叫系ばかり乗っていた。 しかし、組み合わせによっては酔うんだよな。 続けざまに乗って気分が悪くなり、遊園地のベンチで2人、青い顔して座り込んでいた事もあった。 結婚してからは、とんと行っていない。 主人が一緒に行ってくれないのだ。子供連れなら兎も角、あすこは大人が行く所じゃない、と。 そりゃそうだけどさ……。 それに加えて、主人は制限に引っ掛かりそうだ。 でも多分、シートベルトは締められると思う。 一昨年の東京ジョイポリスの死亡事故では、被害者の筈の身障者が叩かれてたっけなあ。 死んじゃった人なのにね。踏んだり蹴ったりだな。
今年のエキスポランドの事故も、死亡したのは太った人(←私にしては配慮した言い方)だった。 これは本人のせいではなくて、運が悪かったとしか言いようが無いものな。 折角のGWに遊びに行った先で死ぬなんて、あんまりだと思った。 事故も酷かったが、犠牲者の写真、あれは何とかならなかったのかね。 あれでは、二重の意味で気の毒だ。 インタビューに答えていた親御さんが、とても気の毒だった。こちらは普通の意味で。
私も家族も、いつなんどき、事故で死ぬかわからない。 どうか恙無く、平穏に暮らして、天寿をまっとう出来ますように。
「トレカ買います」
中古品屋(片仮名だと、リサイクル・センターと言うのか)の前を通りがかると、そう書かれた幟が風にはためいていた。 トレカって何だろう。
テレカがテレフォン・カードの略であるように、トレカもトレなんとかカードの略だと思われる。 そこで、思い付くだけ考えてみた。
トレイン・カード(電車マニアが集めていそう) トレッキング・カード(山登りの人達が以下同文) トレローニー・カード(ハリー・ポッター・ファンが以下同文。でも人気無さそう) トレンディ・カード(なんか格好良さそう) トレモロ・カード(プルプルと細動してそう) トレーニング・カード(勉強用。これが1番あり得そう) トレビアン・カード(素晴らしそう) トレンチ・カード(わけわからん)
正解は、「トレーディング・カード」だった。 トレーディングというからには、交換するのだろう。 ビックリマンとかポケモンとか遊戯王とかあんな感じか。よく知らないが。 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。1個ぐらいは正解があるだろうと思っていたが、全然当たってないし。
最近、妙な形の服が流行っている。 裾や袖が広がっている、丈の短い上っ張りや、バルーン・スカートなど。 バルーン袖とかいうのもある。 短命に終わりそうな気がするので、私は買っていない。
しかし不思議なもので、最初見た時には「変」と思っても、次第に見慣れて来ると「可愛いかも知れない」と思えて来るのだ。 流行って怖い。
結婚してからというもの、専属コーディネーターがいるお蔭で自力で服を選ばなくなってしまった私だが、やはり気になる。 街に出掛けて気になる服を見ると、 「ねーねー、あれは?」 と主人に訊く度に 「駄目。似合わない」 とバッサリ斬られるのだが、懲りないもので、今日もまた 「ねーねー、あれ試着してみてもいい?」 と言って、主人の袖を引っ張った。 そんなに言うなら着るだけ着てみれば〜と言われ、店員さんに許可を貰い、裾&袖広がりの短い上着に、いそいそと袖を通してみた。
「……」
鏡の中の自分を見て、驚いた。 吃驚するほど、似合わない。 店員さんもフォロー出来ずに黙りこくる。 「ほら〜だから言ったでしょ。シオンにはそういうの、似合わないって」 ダーリンが、ヤレヤレという感じで肩を竦めた。 「うむ。自分でも驚いた。こんなに似合わないとは。何がいけないんだろう」 「デザインの問題だね。別にいいじゃん、こういうのが駄目でも、シオンに似合う服は他に幾らでもあるさ」 撃沈したものの、その後別のお店で似合う服を買って貰い、私はすっかり御機嫌になって帰宅したのだった。
世間では黄金週間だが、今年も我が家にはそんなの関係無い。 なんでー? 私が結婚した相手は、普通のサラリーマンじゃなかったのー? 私の父もサラリーマンだったが、偶に急な仕事で夜中に呼び出される事はあっても、カレンダー通りの休みは取れていたので、休日出勤というものが世の中にある事を、私は結婚してから実感したのだった。 まあいいけどー。 私は家の中で好きな事をして過ごすから。
と言う訳で、在庫布の中から選んで、友人の子供用のワンピースを作る事にした。 この布、綺麗な色で生地としては気に入っているのだけれど、私にはNGカラーなのだよね……。 カラー診断前に買った物なので、私とはタイプの違う妹に何か作るかと思っていたが、妹ももう社会人。 金銭的にもそろそろ余裕が出て来るから、自分で好きな物を選んで買うのが楽しくなって、私が作った物には見向きもしなくなるだろう。 それで標的にされたのが、友人の子供である。
それにしても、今の子供はいいよねえ。 私が1番羨ましいのは、赤ん坊が被っている、耳の付いた帽子。 くまさんでもうさぎさんでもいい、私も被りたかった……! その話を人にすると、 「じゃあ子供産んで子供に被せたらいいじゃん」 と言われるのだが、それでは意味が無い。 私が被りたいの! でもまさか、この歳で被るわけにはいかんだろ。それじゃあ変な人になってしまう。 逆に、ちっとも羨ましくないのは、デニムのタイト・スカート。 寧ろ変。見ていて窮屈そう。 子供の普段着は遊び着なのだから、服はもっと動き易い物でなくちゃ。
大人服並に値が張る子供服も駄目だと思う。 子供なんてすぐに大きくなっちゃうんだから、余所行きなら兎も角、普段着にブランドものってどうなの? 以前見たTVで、子供にブランドの服を着せたがる親を特集していた。 父親は普通のサラリーマン。工場でパートをする母親は、その稼ぎを小学生の娘の服に注ぎ込んでいた。 それだけではなく、子供モデルの撮影会とかがあるんだと。 因みにその娘、どう贔屓目に見ても容姿は十人並み。 モデルといっても、それでお金を貰うのではなく、逆にお金を払って写真を撮って貰うというもの。兎に角金がかかる。 因みに父親の小遣いは、昼食代400円/日……いいのん?お父さんそれで。 気の弱そうな父親は、文句はあっても強く言えないようだ。情けない。 母親は兎に角娘に可愛いブランドものの服を着せたいらしい。 子供は親の投影である。 母親は娘に自分の希望を託すものだ。 子供を可愛がるのは良いが、それがその子のためになるのか、将来の役に立つのか、それを全く考えていないように見えた。
バブル時代に青春期を送った人だけではない。 最近見たお昼の番組では、若いセレブママという人を紹介していた。 奥さんはモデル上がりで、ご主人がお金持ちらしい。 就学前の男の子を連れて、高級外車の自家用車でお買い物。 子供服のお店に入り、これなんかどう〜?かっこいいよ〜と男の子に帽子を被せようとするが、子供は帽子キライと嫌がる。 そしてゲホゲホと咳をする子供。 洟も垂れてますが。店より病院に連れて行ったほうが良いのでは……と思った。 TVの撮影だからお母さんも張り切っちゃったんだろうけれど、子供の体調の方が優先じゃないかい? 因みに番組では、7万円の子供服も一緒に紹介されていた。 大人服でも7万円って高いんですけど。すぐにサイズアウトしちゃう子供服に7万円って。 お金に余裕があるなら、子供服に大枚叩くのもいいだろう。 でもなあ、そうではない一般市民がそんな消耗品にお金をかけるのは、如何にもバランスが悪い。 工場パートの母親は、服より教育にお金をかけてやればいいのに、その方がよっぽど子供のためになると思うんだがなあ。 うちの母親はあんなんじゃなくて良かった。
最近、階段が怖い。 昇りはいいのだが、降りるのが怖いのだ。 恐怖度は下がるが、エスカレーターも同じである。
何が怖いのかというと、私にもよく解らぬ。 階段の途中で、足が竦むのだ。 主人と一緒の時は肩に掴まっているからまだ大丈夫なのだが、1人の時は中腰になってしまう。 エスカレーターの場合は初めの一歩をなかなか踏み出せず、生まれて来る段を数えて拍子を取りながらエイと踏み出す始末。 後ろに人がいると迷惑がかかるので、なるべく急ぐのだが、プレッシャーで益々慌ててしまう。
主人にその話をすると、 「それは、眼鏡で視界が歪むからなんじゃないの」 と言われた。 眼鏡をかけると、レンズを通して見る景色の境目が歪んで見えるのだ。 眼鏡生活が長いので普段は気にならないのだが、下を見ると足許が歪む。階段を下りる時は、丁度階段が歪んで見える事になる。 なるほど、それで怖いのだろうか。 確かに、コンタクトの時は気にならないような気がする。
でも、以前は階段でも平気だったんだが。 謎はまだ解けない。
私の腕時計が壊れたので、新しいのを買って貰える事になった。
最近私は、自分の服を自分で選ばなくなってしまった。 というのも、客観的に自分を見る事が出来ないので、ついつい、いつも専属コーディネイターの主人に頼ってしまう。 その方が失敗が少ないし、というか殆ど失敗が無いので無駄な出費をせずに済むし、はっきり言って楽なのだ。自分で考えなくて済むから。 しかし時計の場合、私にも一応好みはある。 まず、デジタルは嫌。 革のベルトは汗をかくと下の皮膚がじっとりするので、これも嫌。 そして、文字盤の周囲をぐるりとブランドの文字が取り囲んでいるのも嫌。 (例:ブルガリ・ブルガリ。参照) あんまり、ブランドを前面に出しているものは好きではないのだ。 以前にも書いたがこっ恥ずかしいし、金を払ったこちらがわざわざ宣伝してやるのも癪である。
一応の方向性は決まったが、時計屋には売るほど時計があるだけの事はあって、色々なメーカーの色々な時計が置いてある。 わからん。 「ねえ、どんなのが似合うと思う?」 と、結局主人に訊く事になった。 「うーん……ファッション・ウォッチっていうの? 一寸洒落た、アクセサリー感覚の物がいいんじゃないの」 助言に従い、お洒落な時計を探して、お店のショーケースを覗き込む。 売り場を一周し、これとこれかなあ、と候補を絞った。 「じゃあ実際に着けてみたら? すみませーん」 といきなり店員さんを呼ぶ主人。そして尻込みする私。 私は、ふらふらとウィンドウ・ショッピングをしていて店員さんが来ると、途端に逃げるタイプなのだ。 一方の主人は、そんなのお構いなし。店員さんにあれこれ訊いた挙句、買う気にならなければ、「じゃあまた来ます」と言ってさっさと店を後に出来るタイプである。 すぐに来てくれた店員さんに、 「これとこれ、試してみたいんですが」 などと言って、ケースから出させている。 「他にも、、これなんて可愛いですよ〜」 とさり気無くオススメ商品も出して来る店員さん。 確かに可愛い。ウサギさんがプラプラしている。 着けてみて、私もホワ〜ンとしてしまった。 でもこの時計は駄目だわ……。 「可愛いけれど、シオンはウサギをどこかに引っ掛けて失くしそうだね」 主人も私と同じ事を考えたようだ。 「私もそう思う。ウサギさんが引っ掛かって、服に穴開けてキィ〜ってなりそうだし。うう、可愛いんだけどね〜」 結局選んだのは、3万ちょいの腕時計。 前のとは大分違うけれど、これはこれでいいかも。 お気に入りになりそう♪ダーリン有難う!
気ー付いちゃった、気ー付いちゃった、ワーイワイ♪
風呂上がりのダーリンを見ていると、何かに似ていると思った。 何だろう。 暫く考えて、答えが出た。
「ねえねえ、貴方って、稚魚に似ているよね! お腹のポッコリ具合が」
「……シオンは失礼だな。旦那を稚魚呼ばわりとは」 「うふふ。痩せないと、裏の川に放流しちゃうぞ!」
「放流したら最後、2度と戻って来んぞ」
それは困るう〜。
高校に合格した時、初めて腕時計を買って貰った。 田舎の学校だし、当時は分不相応なブランドものを身に着けている子供など皆無で、周囲の友人達は、2,980円や3,980といったリーズナブルな時計を腕に嵌めていた。 しかし父が出張先で見付けて私に買ってくれた時計は、当時の高校生にとっては高い物で、デザインも少し変わっており、私のお気に入りだった。 制服の胸ポケットに入れたまま、洗濯機で洗った事も2〜3回あるが、時計はちゃんと動いていたので、社会人になってもそのまま使って来た。 最近は携帯電話を持つようになって、腕時計が無くとも時間がわかるようになったが、それでも時々思い出したように電池交換をし、外出時には腕に嵌めていた。
久し振りに腕時計を出したら、時間がずれている。 おかしいなあ、ふた月ほど前に電池交換した筈なのに、そんなに頻繁に消耗するもの? そう思いながらも、買い物序でに駅前の時計屋に持って行った。 店員は時計を調べて、動いているので電池交換の必要は無い、しかし時間がずれると言うのはどこか故障していると思われるので、製造元に修理に出す事になると告げた。 修理か……幾らかかるのだろう、と考えていると、私の心を見透かしたように、まずは見積もりをと言う店員。 よく考えれば判る話だが、心を読まれたというよりは、マニュアル通りの対応なのだろう。 取り敢えず、見積もりを頼んで来た。
数日後、時計屋から電話があった。 製造終了で、部品も無いそうな……ガーン。 お金はかからないけれど、直りもしない。 出来れば使い続けたかったが、仕方ない。しかし捨てるには忍びない。 後日取りに行くと言って、電話を切った。
帰宅した主人に報告すると、驚かれた。 「そりゃあ寿命だよ、仕方ないよ。しかし20年近くも使っていたって、凄いなあ。充分元も取れただろ」 「そうなの? 私、時計って一生ものだと思っていたのに。歌にもあるじゃない。大きなのっぽの古時計は、100年も動いたのよ」 「うん、でもあれは腕時計じゃないから」 納得がいかずに反論したのに、あっさり返された。 主人にとって、腕時計の寿命は数年らしい。 そりゃあね、婚約記念品を失くしても凹まないぐらい物に執着しない貴方には、解らないでしょうよ。
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