私が初めてお笑いコンビ「南海キャンディーズ」を知ったのは、M1グランプリ決勝の生放送を見た時だった。 2004年の第4回大会か、翌年の第5回だったかは忘れた。 ちっとも面白くなかったので、多分、彼等が最下位だった2005年の大晦日だったのだろうと思う。
その片割れのしずちゃんこと、山崎静代。 彼女のどこが面白いのか、私にはよく解らないが、最近よくTVのCMなどで見かけるようになった。 別に嫌いではないので、ふーん、売れて来ているのかしらね、ぐらいに思っていた。 私の主人も、 「この子、最近よく出るようになったね」 と言ったが、続きが凄かった。 「そのうち、『いちごの日』みたいな事になるぞ」
解説しよう。 「いちごの日」とは筒井康隆の短編で、醜い女の子が小さい頃から「貴女はとっても可愛いのよ」と言われ続けて育ち、本人が完璧にその気になったところで、「ハイ、これは嘘でしたー。貴女は本当は不細工なんですよ!」と皆が笑うと言う壮大なビックリの、残酷物語である。
「このままでは、この子のために良くない。誰か彼女に現実をちゃんとしらせてやらないと」 と主人は言った。 うーん、確か彼女は、アイドル・オーディションに応募した事があると聞いた覚えがある。 主人の言う事も、もしかすると当たっているのかも……。 しかし彼の言う事だから、どこまで本気なのかは、誰も知らない。
主人と2人で歩くと、食品売り場を除いては大抵、私が後から付いて行く形になる。 デパート等で上りのエスカレーターに乗ると、目の前は彼の背中だ。 背中を触って、手を少し下げると、そこはお尻だ。 一応後ろを振り返り、誰もいないのを確かめて、お尻を触る。 「やめなさい」 軽く手を叩かれて、こう言われた。 「どうして人のお尻に触るの」 「えっ、どうしてって言われても、そこにお尻があるから(byマルロー)」 「……シオンはイギリスには住めないね」 「どうして?」 「イギリスには、町の至る所に監視カメラがあるからさ。『この人、いつも旦那に触ってるよ。変態だな』って言われるぞ」 良かった、ここは日本で。
そしてまた上りエスカレーターに乗って、何の気無しに主人の後ろポケットに指を引っ掛け序でに、お尻を触ると、下りエスカレーターと交差する所で視線を感じた。 上り線には我々の他に誰もいなかったのだが、下り線に乗った中年のご婦人が、ギョッとしたようにこっちを見ていたよ……ありゃりゃ。 エスカレーターを降りたところでそれを主人に話すと、「それ見た事か」と叱られるかと思いきや、 「じゃあ叫べば良かったかな。『キャ〜〜〜、誰か助けてええ』って」 この人はいつも、私の予想しないところを行くなあ。
「オーラの泉」が、水曜23時から土曜の20時に引っ越した。 昨年まで私の水曜の夜の過ごし方は、海外ドラマ(BS2)→オーラの泉→NANA(日本テレビ系)とTV番組の梯子をしていたのだが、今年に入ってから海外ドラマの放送時間帯が変更されてオーラの泉と重なったため、すっかりこの番組を見なくなっていた。
それでも好きな番組なら、録画してでも見るだろう。 一時期、興味深く見た事もあった。森公美子がゲストの回など、特に面白かった。 しかし、宣伝の番組があった。何人かのタレントの座談会という形で、口々に「オーラの泉」を褒め称えるのだ。 その中に、森公美子もいた。 タレント達は仕事だからやっているのか、それとも本当に心酔しているのかはわからない。 だが、あれだけヨイショされると、見ているこちらはすうっと気持ちが引いてしまった。 そこまで凄い番組か?と。
江原啓之は多分、本物だと思う。 他局だが、「天国からの手紙」という特別番組があり、これは好きなのでなるべく見るようにしている。 一緒に見る主人が言うのだ。この人は本当に見えているかもね、と。 私にとって1番信頼の置ける霊能力者である彼が言うのだ。信者である私はあっさり信じちゃうよ。(そして騙される) しかし美輪明宏は、果たしてどこまでわかっているのだろうか。 よく番組を見ているとわかるが、江原啓之の言った事を受けて、非常に当たり前のコメントしか言わないのだ。 なので、ああこの人は本当に見えている訳ではないのだろうな、と思う。 ただ、江原啓之も結構いい加減だ。 彼が、劇団ひとりの巻きで言った事と、新潮45で述べた事とは、矛盾しているように思う。 多分、番組では美輪に合わせて言っているのだろうな、と私は推測するのだが、どうなのだろうか。
私は、前世だの来世だのに興味が無い。 それも、この番組への興味が薄れた理由だろう。 でも、番組タイトルのオーラについては興味が無い訳ではない。 主人は少し、見えるらしい。 私のオーラの色を聞いてみたところ、「橙色で、縁が暗めの銀色」という答えだったので、どんなのかなー♪と「オーラの泉」の公式サイトで調べてみた。
橙色=庶民的でおっちょこちょい 違う。 それ、私のイメージじゃないから!!と猛抗議すると、 「ホントに橙なんだけどな……んじゃ、赤にしとけ」 と言われた。 じゃあ赤って事は、情熱的なのね♪と納得していると、 「いや、攻撃色。シオンにぴったり」 ……赤が攻撃色なのは、心霊写真ですよ!
これは昨年、TVドラマで見て嵌まった。 原作も読みたいと思っていたのを、先日やっと古本屋で購入。 文庫本にしては厚いが、一気に読み終えた。
感想:どんなに生い立ちが可哀相だろうが、こんな奴とは絶対に関わり合いたくないわ〜。
その他の登場人物に「逃げてー、全力で逃げてー!」と言いたくなった。 そして、読んでいて一寸苛々する。 というのは、私はやはり、悪事を働く人間には須らく天罰が下るべし!と考えるからである。 勿論、生きているうちに。 読者の想像に任せるというのは小説の手法の1つなのだろうが、私はきっちりそこまで見届けたいのだ。 そうでないと、読み終わった達成感を得られないではないか。
小説は小説、ドラマはドラマで面白かった。 小説では明かされない、主人公達の心情の描写がドラマにはあるので、彼等に同情して涙した人は少なくないだろう。 私もその1人だ。 しかし、やはり悪事は白日の下に晒されなければならない。 生き残った被害者の人間の尊厳に関わるため、非常に繊細な問題ではあるのだけれど、罪を重ねて生きるよりはずっといいと思うのだけれど、結局こういう人達は「自分さえ良ければ」なのだろう。 そういう点で、私は同情仕切れなかった。 ただ、切ない。
役者について。 綾瀬はるかは小説の雪歩像とはかなり違うが(小説の方が遥かに恐ろしい)、これはこれでアリ。 そういや彼女、マックス・ファクターのCMにも出ているな。 肌の透明感が羨ましい。若いっていいねえ。 女優の美しさもいいが、ドラマで1番の見所は、武田鉄也だと思った。 武田鉄也と言えば金八先生とか、「101回目のプロポーズ」のお兄ちゃんとか、いい人役が多いが、「白夜行」では炯眼の刑事役。 最初は、ミス・キャスト?と思ったが、とんでもない。 この人、金八先生より、こっちの方がずっと合ってるよ! しかも回を追うごとに、ジャン・バルジャンを追うジャベール刑事のように、執念深く昔の事件を追い続けるこの刑事が、格好好く見えて来たりして。 演じているのはちんちくりんのオッサンだというのに、どうしたんだ私! というぐらいに、武田鉄也が良かった。 山田孝之よりも鉄也にときめくとは、とんだ伏兵だった。ふう。
最近、気に入らない事。
「真逆」という言い方。 一体誰が言い出したのだろう。 普通に「正反対」じゃ駄目なのか? いい歳こいた大人が遣っているのを見ると、殴りたくなる。
若い男の子が眉を作る事。 女の子じゃあるまいし、不自然で気持ち悪いよ。 放って置くと眉が繋がるから眉間だけそるならまだしも、細く残して剃るなんて、アホかと思う。
若い男の子繋がりで、男の子なのに中高生でも「さん」づけで呼ぶ事。 働いている社会人なら兎も角、高校生までは「君」で充分だ。 これは、男女差別だのジェンダー・フリーだのと見当違いな事を言っている馬鹿どものせい。 そうやって男女の境を曖昧にするから、同性愛者が増えるんだよ、気持ちわりい。
呼び方繋がりで、犯人には「容疑者」と付けるのに、スポーツ選手は呼び捨てにするニュース。 どう考えてもおかしいだろ、ソレ。 特に、現行犯で逮捕された奴については「容疑者」は要らんだろ。 どうしてもって言うなら、現行犯の奴には「犯人」って付けてやれ。
高校生と言えば、間違った「学生」の定義。 英語で言えば全てstudentだが、小学生は「児童」、中高生は「生徒」、大学・短大・専門学校生は「学生」である。 従って、最終学歴が高卒の人に「学生時代」は存在しないのだ。
それと、最近流行の「勇気を貰う」「元気を貰う」系の言葉。 気持ち悪い。 そうとしか形容し難い。 偽善の匂いがプンプンして、聞いていて、ムズムズする。 やめろー!と叫びたくなるのだ。
いと悪し。
先日、習い事の祝賀会兼昼食会があった。 出し物をやるので手拭いを持って来るように言われたのだが、手拭いなんて持っていない。 仕方ないので、薄いタオルを持って行った。
箪笥の中を整理していると、手拭いが1枚見付かった。 こんな所にあったのか。 もっと早く見付けていればなあ〜と思いながら、後でアイロンをかけて、タオル類と同じ所に仕舞っておこうと、そのまま出しておいた。
帰宅した主人がそれを見付て言った。 「懐かしいなあ! そう言えばあったな、こんなの」 「懐かしいって?」 「貰ったんだぜ、これ。凄いレアものだぞ」 得意げにそう言いながら彼が手拭いを広げると、畳んである時には気付かなかった字が、そこにでかでかとプリントされていた。
……祝賀会前に見付けなくて良かった、と心底思った。
「週刊英会話」とか、「週刊そーなんだ!」等のCMでお馴染みの、ディアゴスティーニ。 多くのシリーズが出ているが、私は1冊しか買った事が無い。 「週刊100人」の2回目、アドルフ・ヒトラーの巻きである。 中身は満足行くものではなかったので、それ以後は全く買っていない。 「漢方ライフ」は一寸興味あったのだが、あれを買うよりは、普通の本を買った方がいいのではないかと思った。 因みに主人は、「週刊土井善晴のわが家で和食」「週刊服部幸應のしあわせクッキング」を欲しがっていた。
最近私が気になっていたのが、「週刊人体模型」。 しかしこれはディアゴスティーニではなく、アシェット・コレクションズ・ジャパンという会社が出しているもので、正しくは「アーサーが教える体のふしぎ」と言う。 さては、2匹目の泥鰌を狙ったな。 TVのCMを見て、 「いいなあ、これ欲しい」 と呟くと、主人に 「そのうち模型じゃ物足りなくなって、僕の事切り刻むんだろ」 と変態扱いされた。そんな事しねーよ! 何と言われようと、欲しいものは欲しい。 本屋に行ってみたら、あった。 しかし、表紙を見てがっかりした。 目玉の入った骸骨が、にっこり可愛く微笑んでいるのだ。 何なの、この絵は! こんな骸骨あるか〜〜!! 私は、もっとリアルな人体模型を欲しかったのに。 所詮、子供向けの教材なんだろうか。 勿論買わずに帰って来た。
しかしそれで良かったのかも知れない。 ネットで調べたところ、全てのパーツを揃えて人体模型を完成させるには、総額10万円近くかかるらしい。 やはり高いのね、人体模型って。
2007年04月23日(月) |
長崎は今日も血の雨だった |
統一地方選挙は、まだ終わっていなかったらしい。 第2弾となる長崎市長選を目前に、現職市長が暗殺された。 立候補は締め切られていたが、候補者が死んだ場合の特例があるらしく、投票3日前に、補充候補者として新たに2人が立候補した。 1人は西日本新聞社社員・横尾誠氏、もう1人は長崎市役所職員・田上富久氏である。 横尾氏は暗殺された伊藤一長氏の女婿であり、弔い合戦に打って出た横尾氏の立候補を受けて、世襲の是非を問うた田上氏も参戦した形になる。 公務員が選挙戦に出ると自動的に退職になるため、背水の陣で臨んだ田上氏が僅差で新市長となった。
一夜明けて、TVの報道を見た。 「伊藤一長」と投票用紙に書いて、 「ええっ、無効なんですか!? 娘婿に票が入ると思っていたのに〜」 とインタビューに答えていたおばちゃん……アホ過ぎます。 気持ちはわかるけれど、せめて「伊藤一長の娘むこ」まで書かないと、死んだ人に投票した事になってしまうよ。 女婿は伊藤姓じゃないからねえ。 ちゃんと投票前に、入れたい候補者の名前ぐらい覚えて行かないとねえ。(お前が言うなと、突っ込みの声が聞こえる。幻聴か?)
見たんだが、死んだ市長の娘、怖いんですけど! 選挙は大変らしい。 特に候補者とその身内は碌に睡眠時間も取れないほどらしい。なった事無いけれど。 この娘も寝不足と疲労のピークだったのだろう。 「父が愛する長崎でこのような仕打ちを受けるとは、本当に思いませんでした」 と気絶しそうな表情で言った彼女は、何かに憑依された霊媒師のようで、とても怖かった。 後で正気に返った時にこの自分の映像を見たら、恥ずかしくなるんじゃないかなあ、と他人事ながら心配してしまった。 でも、民間は落選しても後戻り出来ていいよね!
歩いたので疲れた。 引き籠もりのもやし人間なので、大型ショッピング・センターの中を散策しただけで疲れるのだ。
帰宅して、足がだるい〜と嘆いていたら、主人が呆れつつも、 「これ貼っとくといいよ」 と、薬箱から探して、サロンパスを渡してくれた。 どこに貼ればいいかわかんない〜と足を出すと、足の裏、土踏まずの辺りに貼ってくれた。 もっと酷い時は、CMのように、足の甲にも貼って挟むようにするといいらしい。 あのCMが流れるずっと前から、主人は足がだるいと、こうやって疲れを取っているのだという。 ぽっぽぽっぽしていた足の熱が、すーっと取れて行くようで、何だか気持ちいい。
夜、お風呂に入る時にサロンパスを剥がした。 蛇口を捻ると、お湯が出るまでに少し時間がかかる。 その水が、いつになく冷たい。 まるで、季節が冬に戻ったみたいだ。 お風呂から上がってから気が付いた。サロンパスのせいだ。 サロンパスのひんやり感が残っている足に水をかけたので、あんなに凍えそうに冷たかったのだ。 次回は気を付けようと思うが、それまでに忘れそうだ。
2007年04月21日(土) |
ハンニバル・ライジング |
1991年「羊たちの沈黙」(あの衝撃を私は忘れない) 2001年「ハンニバル」(ジョディ・フォスター主演じゃなかったのが非常に不満だ) 2002年「レッド・ドラゴン」(1人で観る度胸は無いので、映画館に妹を付き合わせた。2人で肩寄せ合って恐怖に戦いたっけ) そして2007年、「ハンニバル・ライジング」。
TVの宣伝で見た時から、この映画は絶対映画館に観に行くと、心に決めていた。 私はレクター博士ファンという訳ではないのだが、このシリーズは好きなのだ。(主人に言わせれば、私は猟奇殺人ファンらしい。勿論私はそれを強く否定する) そしてそんな妻のために、貴重な休日なのに、興味も無い映画に付き合わされる亭主。 映画の感想は、以下の通り。 主人公が可哀相。 でも怖い。 あの美青年が歳を取っても、アンソニー・ホプキンズにはならんだろ。 しかも、レディ・ムラサキって何よ。(個人的には、マダム紫ならまだ許せるのだが) ハンニバル青年の亡き伯父の連れ合いというのが日本人と言う設定なのだが、これまた演じているのが何故か中国人。 (「サユリ」も中国人が演じていた。あの映画は観ていないし観る気も無いけれど。だって、芸者の衣装が何故舞妓さんなのだ?) そして映画の中で、秘密の小部屋にわけわからんお面をジャラジャラ天井からぶら下げて、 「これは先祖を祀る儀式なの」 と、鎧兜にお供え物をするレディ・ムラサキ。 ……。 まあこんな感じで、細かい所で突っ込みどころ満載。 日本人から見ると、とってもヘンな映画だった。 どうして欧米人は自分達の勝手なイメージで映画を作りたがるのだろう。 他国の文化をもっと尊重しろよ。
最後にハンニバルが正気を失う場面があるのだが、それを観たうちの主人曰く、 「でもさあ、そんなの最初からわかってる事だよね。だって、彼が生き延びたって事は、妹の人肉入りスープを飲んだって事でしょ。あそこまで頭の切れる人間が、あの男に指摘されるまで、何故そこに気付かない?」(←ネタバレにつき、見たい人は反転してどうぞ) ごめん、私も貴方に言われるまで、そこに気付かなかったよ。 やはり映画を観る時には、解説役が一緒だといいわあ。
アトピー再発からひと月近く経つのに、症状は一進一退。 このまま夏になったら、もっと酷くなると思ったので、重い腰を上げて病院に行って来た。
最近来ていませんでしたねえ、と医者に言われた。そうです済みません。 漢方薬は体質を改善するものなので、ずっと飲み続けてはいけないと聞いていたので、何年も同じ薬を出し続けるのってどうなの?と疑問だったので質問したのだが、はっきりした回答を得られなかったのでなんだかなあと思い、症状が出なくなるとそのうち面倒になって、通院するのを勝手に止めてしまっていたのだ。 しかし本日医者が処方しようとしたのは、普通の飲み薬。 「ええと、以前出して頂いたような漢方薬がいいのですが……」 と私が言うと、 「ハイわかりました」 と言って書き直してくれたが、本当に大丈夫なんだろうかこの先生。
薬局に処方箋を持って行き、薬剤師に指摘されて初めて判ったのだが、同じお薬でも、以前と分量が違っていた。 これでいいんですか?と訊かれたが、私には判らないので、薬剤師が病院に電話してくれる事になった。 そうだ、序でに別の会社から出している同じ薬にして貰えないかと頼むと、それも訊いてくれると言う。 一応病院からT社の何番(漢方薬には番号が付いている。一応全社共通らしい)と指定されているので、薬局で勝手に別の会社のお薬に変える事は出来ないらしい。 受話器を置いた薬剤師が言うには、分量はこれで良いという事、病院でT社と決めているので変えられないという事だった。 仕方ないので、今回はそのまま薬を受け取って来たが、次回は直接医者に頼んで、別の会社の薬に変えて貰おうと思った。
私が会社に拘る訳は、T社は漢方薬の最大手だが有名な割りに効かず、K社の薬が良いと聞いていたからである。 それでも以前飲んでいた薬はT社だったが、そんなにいいならK社にしてみようと思ったのだ。 帰宅して、2社の何が違うのか、ネットで調べてみた。 どちらの会社も、お薬情報については「ここから先は医療関係者か医学生しか見てはいけません」と通せんぼされたので、嘘を吐いて「YES」と答えて先へ進んだ。 だって薬効成分を見ないと、何が違うのかわからんではないか。 素人さんお断りにしている理由も解らないし、こちらはそれでは困るので、仕方なく嘘を吐かせて貰った。 比較してみると、1日に飲む量の中の、ある成分だけ分量が違う。 他の成分は同量だが、1種類だけ、T社はK社の半分なのだ。 それがどう影響するのかわからないが、単純に見ればK社の方が効きそうな感じだ。 よし、次はK社で頼むぞ。
山道に、気になる建物がある。 道沿いではなく少し入った所にあるので、車で通り過ぎるだけの我々にはよく見えない。 木々の間から覗くその建物群は、シンデレラや眠り姫の物語に出て来るお城のような、三角帽子の屋根を付けている。 こんな山奥にこんなお洒落なお城、一体どういう施設? 採算も取れなさそうだし、第3セクター系? 前から気になって、 「ねえねえ、あれは何?」 と主人に訊いたのだが、確かこの辺に子供向けの施設があった筈だから、多分それだろうという返事だった。 偶に通りがかる度に、寄ってみたいなあと思いつつ、子供向けの施設に子供のいない夫婦が立ち寄るのは一寸おかしいので、今度主人の甥っ子を借りて行こうと思っていた。
甥っ子ももう小学生。 もたもたしていたら、中学生になってしまう。 気が重いが今年の夏にはまた皆で主人の実家に行くだろうから、その時にでも一緒に行こうと思い、何と言う施設か調べる事にした。 地図は車の中。取りに行くのは面倒臭い。 そんな時には便利なネット。そして便利な主人。 ネットの地図を広げ、お城のあった場所を教えて貰い、拡大する。 しかし幾ら拡大しても、施設名どころか住所も出て来ない。真っ白である。何故だ。 仕方ないので、別窓で自治体(市町村)のサイトを調べる。 「あった。これかな? ○×こどもランド(仮)」 と早速施設のサイトへ飛ぼうとした私だが、主人に止められた。 「待って。住所が違う。○×こどもランド(仮)の住所だと、山の中じゃなくて川の反対側になるよ」 「地図では、この場所に間違い無いのよね? じゃあ市町村じゃなくて件の施設って事?」 県のサイトも調べたが、該当する施設は出て来ず。 「うーん……」 「もうこれは、直接行ってみた方がいいんじゃない?」 とすっかり突撃する気満々の私だったが、主人は慎重だ。 キーワード「○×(地名) 施設」を打ち込んで、検索をかけ始めた。 「出た。これだな」 と主人が示したのは、
「特別養護老人ホーム ○×苑(仮)」
「……子供向け施設じゃなかったのね。寧ろアダルト」 「そうだな。これじゃあ竜太(甥っ子)よりも、シオンの方が近いかもな。シオンがここに入れるように、僕も一所懸命働くよ」 いや、こういう所に世話にならずに済むよう頑張りますよ。
私は、1度に2つ以上の事が出来ない。 当然、複数のおかずを同時進行で作るのは苦手で、料理なんてのは、もはや苦行の域だ。 食卓でも、向こうにあるソースを取ろうと手を伸ばし、目の前にある醤油差しをドーンと倒すなんてのは日常茶飯事だ。 私の脳は、1つの事に目が行くと、他の事が見えなくなってしまう仕組みらしい。
その日、義妹が来ると言うので、私は慌てて片付けをしていた。 仮令到着30分前の連絡であっても、アポ無し訪問よりは遥かに有難い。 仕事が休みで在宅していた主人に手伝って貰いながら、余計な物を魔窟に仕舞いこんでいた。 右手で押入れに紙バッグを突っ込み、左手で押入れの戸を閉める筈が、何故かそれを同時にやってしまったのである。 「ぐおおお!」 丁度肘の骨の所を勢い良く挟んでしまい、悶絶する私に、冷たい視線を投げかける主人。 更に冷たい言葉でも投げかけるのかと思いきや、ふうと溜め息を吐いただけだった。 ……言葉よりも、余計冷たかった。
お茶でも飲んで行けばと勧めたが、義妹一家は上がらずに、玄関先で帰って行った。 あの苦労は何だったのかと。 数日経って見ると、肘には黄色い痣が出来ていた。 青いのも目立つけれど、黄色いのは老人ぽくて何だか嫌。
この冬、足を捻った。 と言うのもその時、両手が荷物で塞がっており、何とか鍵を開けて足で玄関のドアを思い切り開けたら、地面に着いていた方の足がグキッとやってしまったのである。 うおーうおーと暫く唸っていたが、その内に痛みが引いたので、そのまま放置していた。
それが、ひょんな時に痛むのだ。 捻った方の足に体重をかける時、小走りになる時、痛みが蘇る。 病院に行くまでも無いと思ったので放置していたのだが、それが悪かったのだろうか。 しかし今更病院に行ってもなあ。 そして主人に言われた。 「シオンももう、怪我が治り難い歳になったんだよ。僕もそうだった。それだけの事さ」 ……全力で逆らいたい気分である。
外出の際に香水は欠かさなかったのに、昨年の秋に吐いて以来、私は香水の類が一切駄目になってしまった。 あの時つけていた香水だけでなく、他の物もうええとなってしまう。 それまでは香水は好きだったのに、最早それらは洗面台の下で、無用の長物と成り果てていた。 特に自己臭が気になって仕方ないという訳ではないので、それでもそんな生活に慣れていたのだが。 (寧ろ自己臭好き。但し自分で楽しむの限定だが。主人の匂いと同じぐらい好き。尤も主人のは、加齢臭かも知れない……)
うちでは時々お香を焚く。主人が好きで、色々と持っているのだ。 1番好きなのは伽羅。しかしこれが馬鹿高い。1箱1万円。 新婚当時、主人に恐る恐る、 「無くなったら買ってもいいよね?」 と訊かれたなあ。 あの頃箱一杯だった伽羅香も、今では残り数本となったので、街まで買いに出かけた。 落ち着いた雰囲気のお店で、上品な老婦人店主は、オマケに香木を付けてくれた。 後で主人から聞いたところでは、ここはいつも何かしらのオマケを付けてくれ、店の感じもとても良いので気に入っているとの事であった。 帰宅してお香を焚いていて、ふと思った。 そう言えば、お香の匂いは以前と変わらず何とも無い。 うちには竹の籠も無いし万一火事にでもなったら怖いので、昔の人みたいにお香を焚き染めるのは大変だが、抽斗に入れてみたらどうだろう。 取り敢えず1箱だけを、お香グッズを纏めて入れてある小さな抽斗から洋服箪笥に移し、オマケで貰った香木も別の段の抽斗に入れてみた。
翌日、抽斗から出した洋服を着たら、ほんのりと移り香がした。 これは良い。 オマケの香木もいい匂いがする。 香水はまだ無理だが、暫くリハビリも兼ねて、これを続けてみよう。
2007年04月15日(日) |
ツキを呼ぶ「魔法の言葉」 |
主人の実家に行った時の話。 義母が、1冊の本を出して来て、くれると言う。 題名は、『ツキを呼ぶ「魔法の言葉」』……何だかとっても胡散臭い。 ぱらぱらと捲って見ると、「ありがとう」「感謝します」「ツイてる!」。この3つの言葉を唱えると、人生がいい方向にガラリと変わるという話らしい。ホンマかいな。 主人にも見せながら、 「『ありがとう』と『感謝します』って、英語で言ったら同じじゃないの?」 「だよねえ。それに、感謝の言葉は普段から遣っているけれど。昔気質の男じゃないんだから、普通に奥さんにも言うよねえ」 「『ツイてる』はあんまり言わないけどね。代わりに『ラッキー♪』じゃ駄目なのかなあ」 と2人で話しつつ、必要性を感じなかったので、結局その本は置いて来たのだった。 「ありがとう」って普通に言うよね?家族に対しても。
まあそれで、人生がガラリと変わったかどうかはわからないけれど。 取り敢えず今のところはそんなに不幸じゃないからいいのか。
才能はあると思うんだけれど、持ち札が良くない。 貧乏籤ばっかり引いていないで、早くいいカードを引き当てて下さい。 と、主人に対して思った。
諦めたら、そこで試合終了ですよ。
中学生の頃、部活動に入部すると、「炭酸飲料は、肺活量が少なくなるから、飲んではいけない」と言われた。 元々私の育った家庭では、炭酸は勿論、清涼飲料のジュースも無いのが普通だったので、別に不自由も感じなかった。 大人になっても、進んで炭酸を飲む事は無かった。(麦酒は好かんので、チューハイぐらいか)
結婚相手は炭酸大好き人間だった。 冷蔵庫にはコーラかジンジャー・エールが最低1本はあるのが普通。 結婚当初は主人の健康を考えて、「コーラは1週間で500mlまで!」と制限を設けてみたが、半年も経たぬうちに相手が切れたので、もう勝手にせえという事になった。 主人がとても美味しそうに炭酸飲料を飲むので、私もひとくちチョーダイと言う。 しかし、飲み慣れていないからか、飲むのが下手なのだ。 頑張って飲んでみても、口に含んだ途端に液体は泡に変わり、ぶくぶくと蟹さんのように泡を吹きそうになる。 何故私が炭酸苦手なのか。 炭酸は刺激物だ。 私は辛い食べ物が苦手だし、炭酸の刺激も辛味に似ている。 だからすぐに飲み込めずに、口の中で刺激に慣れようと液体を留めているうちに、炭酸が気化してしまう。 それで、飲む頃には口の中の泡を持て余して、飲めなくなるのだ。 今日もグフウと変な音を出し、 「ホントにシオンは炭酸飲むのが下手だなあ!」 と主人に呆れられた。 因みに、炭酸を飲むと肺活量が減ると言うのは、根拠が無いと主人が言っていた。 都市伝説なのか?
実家から引き取ったばかりのコップが、早速壊れた。
毎週水曜日は、FBIの日。 これは、私が今季唯一観ているTVドラマである。 23時と言う遅い時間の放送になってしまったのが残念だが(昨年までは22時枠だった。それぐらいが丁度良いのに何故だNHKよ)、私はこれを観ながら週に1度の晩酌を楽しむのだ。 昨夜も、コップと一緒に実家から貰って来た梅酒を飲みながらこの番組を観ていた。 しかし希釈が上手く行かず、水を足したり梅酒の原液を足したりしていたら、全部飲み切れなかった。 (20台の頃は余裕でいけたのだが、年を取ると酒量が減るって本当なのね。私の父は還暦過ぎまで変わらなかったが、私はこの歳でもう駄目だ。面目無い) コップ半分ほどに残った梅酒。 翌朝に響くと困るので今は飲めないが、捨てるのは惜しい。 ラップで蓋をし、冷蔵庫に仕舞った。
残りは今晩、夕食の時にでも飲もうと思っていた。 しかし晩飯の支度中、冷蔵庫を少し勢い良く閉めたら、中でガチャンと不穏な音が。 嫌な予感がした。 扉をそっと開けてみると(何故閉める時にそっと閉めないのだろう。今更そっと開けた所で無意味なのに)、予感的中。コップが割れて、冷蔵庫の底には梅酒が広がっていた。 こんな事になるぐらいなら、さっさと飲んどきゃ良かったよ。
不幸中の幸いは、割れたコップが、余り気に入っていない方だった事か。 いや、幸いでも何でもないか。
私の携帯電話を買い換えた後に、主人のも新しいのに変えた。 私のは型落ち品だったが、主人が「これがイイ」と指定したのは、比較的新しい奴。 当然お値段も結構した。 本人は仕事で忙しく、買いに行く暇が無かったので、私が代理で買って来たのだが、値段を報告すると、 「そんなに高い機種だったのか……ごめん」 と何故か謝っていた。 幾ら私でも携帯電話ごときで怒りませんって。
夕食時、ピロピロピ〜♪と主人の携帯電話が鳴った。 いつもの着信音と違う。 誰から!?と色めき立った私だが、 「あ、誰某からメールだ」 と主人。 「メール? うちはiモード契約してないのに、どうしてメールが届くの?」 「知らないよう。送信出来なくても、受信だけ出来るとかじゃないの?」 そんなアホな。 まさか携帯電話会社に勝手に契約内容を変更されたんじゃ?と、私の頭の中に、陰謀説が浮かぶ。 一方主人は、 「あ、返信出来た。シオンのにも送れるかな?」 と携帯をいじっていた。 間も無く、ピロピロピ〜♪と私の携帯が鳴った。 どれどれ、と開いてみると、主人からメールが。 記念すべき初メールである。 私もすぐに返信した。 うむ、これは面白い。
電話会社の陰謀でも何でもなく、どうやらこれは、ショート・メールというもので、特に契約していなくても短い文章や絵文字を送る事が出来るシステムらしい。 しかし送れる絵文字とそうでないものがあるようだ。詳しくは解らないけれど、機種によるのか?
「さて、実験も終了したし、消すか」 と主人。 「消すって?」 「今のメール。必要無いし、取っとくと携帯に負担がかかるでしょ」 と言って、彼はさっさと削除してしまった。 私の記念すべき初メールを……。
2007年04月10日(火) |
うちの町内で一大事が! |
今、町内で大変な事が起こっている。
回覧板が回って来た。 「4月から新年度が始まり、ごみの収集車のコースが変わります。 8時半までに、決められた場所にごみを出して下さい」 という内容だった。 今までも、ごみは8時半までに出さなければならない事になっていたが、ごみ収集車がこの地区に来るのは大抵お昼過ぎだったので、2度寝しても充分間に合っていた。 しかし昨年の4月はじめ、お昼頃出しに行ったらもう無いではないか。 それから8時半までに出すようにしていたが、暫くすると収集車は昼過ぎに来るようになり、私も余裕を持ってごみを出せるようになっていた。 それがこの告知である。 去年は無かった回覧がわざわざ回って来たところに、強い決意が窺える。 これはまずいぞ。 冬の間なら外の物置にごみを置いていても問題は無いが、暖かくなると危険である。 窓から見ていると、4月第1週には、ごみ収集車は8時30分台で来ていた。 第2週の1回目も、そのペースは崩れない。 という事は、これからずっと同じ時間で来るであろう。 これは私にとって、由々しき事態である。
うちの地区は最後の回収でいいですよ!
我が家には、硝子のコップが無い。 普通の透明の硝子製の、所謂普通の「コップ」である。 結婚当時には半ダースのセットがあったのだが、1つ割れ2つ欠け、やがて全滅した。 リサイクル店で幾つか買い足したが、それも壊れたので、湯飲みやマグカップで代用する生活が暫く続いていた。
先月実家に行った折、物置部屋で未使用のコップを2つ見付けたので、その他の目ぼしい物と一緒に持ち帰った。 デザインは違うが、どちらも少しスリムで少し長い、ちょいとお洒落なコップである。 そのコップで、冷たいジュースを飲んでみた。 「む」 どうした?と主人。 「一寸これで飲んでみてよ」 と主人に渡したが、主人は普通に飲める、何とも無いと言う。 「おかしいな。このコップで飲むと、ちゃぷんって顔に飛沫がかからない?」 「かからない」 即答である。 「いや、私はかかるんだけど」 と言って実演して見せると、主人はぷぷと笑ってこう指摘した。 「それはさ、シオンが飲んだ後に、傾けたコップを勢い良く元に戻すからだろ。それでコップの中の液体が跳ねて顔にかかるんだよ。コップじゃなくてシオンの飲み方の問題だ」 「いや、それは違う! だって今まで使ったコップは何とも無かったもん。私の飲み方は変わっていない筈よ!」 とムキになって反論してみたが、あーハイハイそうだねコップのせいだよねと棒読みで返されてしまった。
コップの1つは、冷たい物を注ぐと色が変わった。 現れたのは、凶悪なご面相の熊の絵と、「Welcome! 21st century」の文字。 いつのオマケだよ……。
2007年04月08日(日) |
障害者は最早弱者ではない |
コンサート・ホールで盲導犬を見た。 いいの? 幾ら盲導犬でもホール内に連れて入ってもいいの? 帰宅して、ネットで調べてみた。 東京の有名ホールでは、受け入れ態勢も整っていて、どんと来ーい!という感じのようだ。 という事は、それが普通なのか……。
知り合いから聞いた話。 音楽コンクールに、盲導犬を連れて入りたいと、ゴネた人がいたらしい。 盲人1人だけではなく、目明きの連れもいたので、主催者側が、 「ホール内はご遠慮下さい。犬はロビーでお預かりします」 と申し出たのに、何が何でもホール内に連れて入ると言って聞かない。 「コンクールですから演奏中に何かあると、審査の方も困りますし、他の来場者の中には、犬が苦手な人やアレルギーの人がいるかも知れません。だから犬はご遠慮下さい」 と主催者側が説明しても、盲人は全く聞き入れない。 「そんな事は無い! いつもこの子(=犬)を連れて歩いていますけれど、1度もそんな事を言われた事はありません。皆、可愛いと言ってくれます」 そりゃそうだろうよ。 犬嫌いな人間は、わざわざ近寄って犬キライなどと言いはしないだろうから。 そして、 「しかるべき所に訴えますから!」 と盲人に半ば脅迫されるような形で、結局主催者側は 「じゃあこの回だけですよ」 と折れてしまった。 どうやら、盲人の身内が出場するので、その部分だけ許可したという事のようだ。
盲導犬の役割については、一応理解しているつもりだし、盲導犬もそれなりの訓練を受けていて、そんじょそこらの人間よりもずっとお利口さんなのだろうと思う。 でも、遠慮してくれと言われているのに、権利ばかりを振り翳して無理を通そうとするのは如何なものか。 以前、東横イン騒動の時にも書いたが、何か履き違えている気がする。 平等と甘やかしは違う。 因みに件の盲人の捨て台詞。 「障害者だからって差別する気か!?」 ……いやね、だからそうじゃなくて。 今や、障害者問題は腫れ物だ。 障害者全部がこんなじゃないだろうが、こういう人はホントに困る。 自分の事ばかりじゃなくて、こちらの言い分を通そうとすると困るという人の事も考えようよ。
子供の頃から、私の一人称は「わたし」だった。 他所の子供のように、自分の名前を一人称として遣う事は、甘ったれた馬鹿っぽい子供のようで恥ずかしい事だと教えられていたからである。
しかし結婚してから、気が付くと一人称が名前になっていた。 これは主人が私の事を名前で呼び捨てにするからである。 因みに私は、どんなに仲が良い人からであっても、呼び捨てにされるのを非常に嫌う。 ただ、大抵他人を呼び捨てにする人間というのは、呼び捨てをフレンドリーな事だと勘違いしている礼儀知らずなので、そういう人と親しくなる事は決して無い。 (子供の頃は別。田舎の男の子達は、人を呼び捨てにするものだ。下手に「さん」「くん」付けすると、なに気取ってんだとからかわれる) しかも私と仲の良い人は非常に数が少ないので、私を呼び捨てにする人間はいなかった。
主人も最初は私を「シオンさん」と呼んでいたが、結婚してからは私の許可を得て呼び捨てだ。 まあ、亭主の特権のようなものであるが、家の中では我々2人、私は殆ど家にいる。 そうすると、私の話し相手は主人以外におらず、その主人が私を「シオン」と呼ぶので、私も鸚鵡返しのように自分を「シオン」と呼んでしまっている。 勿論外の人と話をする時はそんな事は無いが、実家で自分の事を名前で言ってしまうと、 「ハッしまった」 と思うのだ。 なので、結婚してから私は、甘ったれた馬鹿っぽい子供になってしまったのである。 まあ確かに甘やかされているか。どんどん馬鹿になってるし☆アハハ!
主人は、ストラビン大スキーだ。 一方私は、ストラビンもプロコも苦手。どうにも受け付けなかった。 でも最近はCM等で、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」をよく耳にするので、試しに全曲聴いてみた。
うん、まあ大丈夫かな。
次に、ストラビンスキーの「火の鳥」も聴いてみた。
おっ、格好いいじゃない。
更に、同じくストラビンスキーの「春の祭典」も聴いてみた。
うう、これは駄目かも。 余りにギャーギャー騒がしく、祭りが盛大になるにつれて苛々して来るため、途中でムキーとなってイヤホンを耳から毟り取ってしまった。
好かん。 「春の祭典」は、もう2度と聴かない。 私がそう言うと、主人は一寸がっかりしたような顔をしていた。
最近のマイ・ブーム、それは「まいっちんぐ」。 家の中でしか遣わないけれど。
一緒に習い事をしている人から、 「ええっ、春さんて30歳台だったの? てっきりまだ20台だとばかり思ってたわ〜」 と言われた。 それを主人に報告したところ、 「その人って、80歳とか90歳とかなんじゃないの。年寄りから見たら、20台も30台も変わらんだろ」 それは、その人にとっても失礼だと思う。 「でも、妹のお友達からも言われたのよ。『えーっ、ドビーちゃんとお姉さんてそんなに歳が離れているの? 5つぐらいしか違わないと思ったー』って言ってたんですって♪ セールスの電話の人にも『おうちの人に代わって下さい』って、子供の声と間違われるし。いや〜ん、まいっちんぐ☆」 と照れてみせると、ストップがかかった。 「駄目。それは駄目。本当に若かったら『まいっちんぐ』なんて言葉、遣わないから」 そりゃそうだけど……確かに昭和の遺物だけどさ。 「そう言えば、今日、職場の同僚も『まいっちんぐ』を遣っていたよ。うちの妻も遣っているとは流石に言えなかったけれど」 「あら、言っても良かったのに。でも来たか。まいっちんぐブームの再来ね。よーし流行らせるぞ!」 と息巻く私に、 「いや、その人50歳台のおじさんだから。若い人は言わないって」 と主人。 でも今後まいっちんぐを普及させたら、若い子も遣うから、そんなの関係無いと思うよ。
今年の4月には統一地方選があるそうで、何が統一で何が地方なのかよくわからないが、兎に角選挙があるらしい。 しかし投票日の日曜日は、主人が仕事で投票所に行けそうに無いので、外食序でに期日前投票に行こうという話しになった。 外食という事は、夕食の支度と後片付けが要らないという事なので、ワーイと言って着いて行った。 勿論選挙葉書を持って。
期日前投票は、役所で行われる。 我々2人だけではなく、仕事帰りの人達だろうか、何人かいて、受付や投票をやっていた。 いつもの投票と違うのは、初めに紙を貰い、質問事項に答えなければならない事である。 まず、そこで躓いた。 日曜日の選挙に来られない理由は?との問いに、主人は「仕事があるから」と答えれば良いが、私の場合、ごくごく私的な用事なのだ。 しかもそれで丸々1日が潰れる訳でもなく、面倒だし主人と一緒に期日前投票してしまおうと思ったのである。 そんな軽い理由では駄目なのか? うーんうーんと考えた挙句、「外出」に丸をつけ、場所は「市内」と正直に書いた。 市内のお出かけなら当日に投票出来るじゃねえか!と怒られるかとビクビクしたが、ちゃんと紙は受理して貰えたし、特に何も注意されなかったのでホッとした。
次なる躓きは、肝心の投票であった。 えーとえーと、誰に投票しようと思ったんだっけ?? いつもの選挙のように、台の目の前には候補者の名前がずらりと並んでいるのだが、何故か殆ど全員無所属。嘘こけー!! 何だよ、今まで某党の議員だったくせに、選挙の時だけ無党派層を意識して無所属って。なめてんのか。 しかも、「氏名(無所属)」だけで、略歴等は全く書かれていないのだ。 そういや今までの選挙もそうだっけな。氏名と所属政党しか書かれていなかったという記憶が蘇って来た。 しかしこれは困る。 主人に助けを求めて隣のブースを見たが、もういないし! しかも部屋の中を見渡してもいない。私がもたもたしているうちに、さっさと投票を済ませて退室してしまったのだ。 どうしよう……と青くなる私。 投票用紙を持ったままここから動いたら、ピピーッと警笛を鳴らされて、選挙無効にされちゃうのかしら。 そうだ、そこでずらりと私を監視している選挙管理委員会の人に「○○を××した人って、どの候補者でしたっけ?」って訊いちゃ駄目なのかな。でもそれってカンニングに当たるから、やっぱりピピーッ無効!とされちゃうんだろうか。 ああどうしよう……とブースを1つ占拠したまま、頭を抱えて悩んだが、候補者名を覚えていないのだからどうしようも無い。 ここは消去法だ。 候補者氏名と睨めっこして、この人は違う、この人も違う、この人はさっきポスターで見た人で私の投票したい人とは違う人だ、と記憶を頼りに、候補者を絞って行った。 残ったのは2人。3文字と5文字。さあどっちだ? 確か、長い名前だったような気がする。 ええい、ままよ。と5文字の名前を書いて、投票箱に入れた。
部屋を出ると、主人が待っていた。 「随分遅かったね。どうしたの?」 事の次第を話し、○○を××したのって、5文字さんでいいんだっけ?と訊くと、 「そう、その人で正解。てか、何故シオンは候補者の名前を覚えて来ないのさ? 前にもそんな事あったよね?」 「うん……あった」 「もうホントに学習能力が無いなあシオンは!」 散々笑われたので、次回の選挙こそ、ちゃんと候補者名を覚えて行こうと決意したのだった。
実家から荷物が送られて来た。 中身は、私の忘れ物、母の手作りのお菓子、そして妹からのプレゼント・金のたらこであった。 先日一緒にスーパーに行った時、買うとたらこストラッププレゼント!というパスタソースたらこを見付け、いいなー欲しいなーと言っていたのだが、早速買ったらしい。 しかし折角の金のたらこなのに、何故私にくれるのだろう。 妹にメールで訊いてみると、
「うんこみたいだからイヤ。私は普通の赤いたらこが欲しかったのー」
だと……そうか、お前はお姉様にうんこを送ったのだな。 私は金のたらこが欲しいと思っていたのに、そう言われるともう金のうんこにしか見えない。 どうしてくれるんだ!
私も同じ商品を買っていたのだが、こちらに入っていたのは普通の赤いたらこだった。 携帯電話にぶら下げようと思っていたのだが、金と赤と揃ったので、2人仲良く壁に並べて、画鋲で留めて飾る事にした。
お稽古の後、同じ教室の先生や生徒達と一緒に、レストランでランチ・メニューを食べた。 どうやら、先生のお孫さんの1人は障害児で、この春に小学校に入学するとの事。 色々と大変よね〜という話から、生徒の1人が、従兄弟の子も障害児で、従兄弟夫婦は手を焼いているという話をし始めた。 「自閉症で、普通にしている分にはいいんだけれど、思い通りにならない事があるとキィーってなって、手がつけられないんですって」 と聞いて、私は思わず噴き出してしまった。 怪訝そうな顔をする一同に、私は正直に言った。 「いや、思い通りにならないとキィーってなるって、私と同じだなあと思って」
笑われました。 でも、ホントの事なの……。 主人にその話をすると、 「それだけじゃなく、アルツも漏れなく付いているよね!」 と言われ、ますますキィーとなった。
私は結構好きなのだが、主人は時代劇がさほど好きではないらしい。 理由を問うてみると、 「織田信長も武田信玄も、皆標準語で話すから。もっと史実に忠実に、当時の言葉を遣わないなんて、時代劇なんて嘘ばっかり」 なんだそうで。 それでは貴方が好きで飽きもせずに何度も読み返している、北方謙三や宮城谷昌光の「水滸伝」はどうなのさ? 時代小説こそ、細かい人間関係から台詞まで、その殆どが筆者の憶測によるフィクションじゃないのよ、と言い返してやると、 「いいの! 水滸伝も三国志も、ロマンなの、あれは」 と訳のわからぬ事を言う。 つまり、私が時代劇を好きなのに時代小説は苦手なのと同じか。 同じと言うか逆と言うか。
最初の何回かだけ観て、あとは観なくなってしまった大河ドラマ「風林火山」だが、同じ時間の「笑いの金メダル」がつまらなくなったので、最近またちょくちょく観るようになった。 去年の大河ドラマは面白そうだったが、今年はそんなに魅力を感じない。 主役の内野さんは好きなのに。 理由は、勘助スタイルが内野さんに似合わないからである。 でも、それだけではない。 何故だろう。
先日実家で「風林火山」を観た時に、謎は解けた。 「判った! 今年の大河は何だか観る気がしないと思っていたら、主役が仕える御屋形様が余りにも不細工だからなんだわ!」 と思わず叫んだ私に、大笑いする父。 「わははは、確かにそうだなあ」 「でしょ? こんな不細工でもTVに出られるって事は、歌舞伎役者の子供かしら」 「そうだなあ、市川ナントカって書いてあったから、そうかもなあ」 「いいよね〜歌舞伎の子は。歌舞伎の子だってだけで役者になれるし、不細工でもTVに出て、普通の人よりも稼げるんだもの。いいよね〜」 と、昨年末のM1グランプリで「ええな〜アタシも高橋英樹の子供に生まれてたら、フジテレビのアナウンサーになれたのに〜」と言った変ホ長調のような事を言って来たのだった。
そして今日も観ていてそれを思い出したので、主人に言ってみたところ、 「シオンは酷い事言うなあ……」 で済まされてしまったのだった。 アラ! 歌舞伎通じゃない普通の視聴者にとっては「誰?この不細工」としか思えないし、一兵卒なら兎も角主要な役柄なんだから、見た目も大事だと思うんだけど。 主人から酷い奴扱いされたので、「石原デブ次郎に似てるし、ゆうたろうみたいに笑いやった方がいいんじゃない?」という台詞は言わずに仕舞っておいた。
|