天上天下唯我独尊

2007年03月31日(土) 副委員長

拉致被害者の味方になってお株を上げ、「権力の頂点」(この国会中継の時、私は、タイヤ交換かオイル交換の出来上がり待ちで、ガソリン・スタンドの煙草臭い待合室にいた。一瞬迷いの色がちらりと見えたが、あーあ言っちゃったよ安倍さん……と思いながら見ていた。亀井のしずかちゃんと対決した時だった筈)に上り詰めた安倍さんだが、就任以後はどうもパッとしない。
期待が大きかっただけに、その姿には、多くの国民が失望したのではなかろうか。
何だろうな〜と思っていたのだが、実家の家族が安倍さんを「安倍副委員長」と呼んでいるのを聞いて、なるほどと思った。

人間には、大きく分けて2種類ある。
それは、トップに立って統率力を発揮する人間と、2番手でトップを支える才能を持つ人間だ。
そして後者は、2番手にいてこそその力を惜しみなく発揮するのに、トップに立つとてんで駄目なのだ。
安倍さんは、まさにこのタイプなのだろう。
だから「副委員長」なのである。
母に言わせると、
「小泉委員長の指図が無いと、何も出来ない木偶の坊」
という事らしいが。

統率力に欠けているのは確かに困るが、私がそれよりも何とかして欲しいのは、安倍さんの国語力と発音である。
「〜でごじゃーます」という答弁に、苛々してしまうのだよ。
滑舌の悪さと言うのは、頭よりも、どうしようもないんだろうか。



2007年03月30日(金) おうちが1番

亭主の実家に泊まりがけで行くと疲れるという話しはよくあるが、私の場合、自分の実家に行くと確実に体調を崩す。
新築でもないのに、あすこに泊まると駄目なんだよなあ。
アレルゲンの温床なのか。
だから実家を出てからアトピーが良くなったのか?
……いや、そうでもあるまい。
実際、学生時代にも実家を離れていたが、アトピーは変わらずだったからなあ。
すると、精神的なものか?
実家が嫌いな訳じゃないのに。
寧ろ亭主の実家の方が(以下自粛)。

電車とバスを乗り継いで、草臥れて自宅に戻ると、洗濯物が溜まっていたので、早速洗濯機を回す。
そして掃除。
一応クイックル・ワイパーをかけた形跡はあるが、床のざらつきが気になる。(気にしない時は全く気にならないのに、疲れている時に限ってとても気になるのは何故だろう)
だから長期間家を空けるのは嫌なんだよな〜。
主人は自分の身の回りの事は出来るけれど、それ以上の事はやらない。仕事があるから仕方ないんだけれど。
私も疲れているので、本当は養生して、掃除や洗濯は明日以降に回したい気分である。
しかし今やっておかないと、心が晴れないのだ。
だって明日に回したら、明日は2回も洗濯機を回す事になってしまう。そうしたら、干す場所に困るではないか。
床に這い蹲って雑巾がけをしていると、主人が仕事から帰って来た。
「ただいま! おかえり!」
と言って飛び付くと、嗚呼帰って来たんだと実感する。
「アトピーが酷くなっちゃったの……」
と言って顔を見せると、
「ああ、ホントだ。可哀相にねえ」
と、彼は眉根を寄せた。
「醜い奥さんでごめんね……」
と言うと、
「アトピーで大変だなあ、可哀相だなあとは思うけれど、醜いと思った事は無いなあ。どんな顔でもシオンはシオン」
と答える。
いい亭主だ。

晩御飯は、疲れているので(ここ強調)帰りに寄ったお店で買った、出来合いのカツで済ませた。
自宅はいいんだけれど、自分で食事を用意しなきゃならないのが苦痛〜。



2007年03月29日(木) 餅は餅屋

引っ越し当日。
朝早く起きて、妹を起こして、朝食を済ませて身支度をすると、引っ越し業者がやって来た。
こちらは指示するだけで、荷物をどんどん纏めて行ってくれる。
1時間か2時間ぐらいで作業は終了し、後は引っ越し先で。

引っ越し業者と入れ替わりに、不動産屋がやって来た。
妹のアパートは、結構ボロ物件である。
入居時から風呂桶には罅が入っていたのに、それを自分のせいにされそうになって、妹は怒っていた。
私は畳替えの費用が店子負担と言うのが気に入らなかったがな。
契約書にそう書いてあると不動産屋は言い、確かにその通りだが、入居時にそこで揉めたら住めないし、店子が圧倒的に不利じゃないか。
こういうのって、国土交通省に訴えればいいのか?
まあ、畳代は私が出す訳じゃないけれど、不動産屋の若造には色々とムカついた。

不動産屋に鍵を渡して、妹と2人、車で引っ越し先に向かう。
この土地も最後なので、どこかでランチでもしようと思っていたのに、新居での引っ越し業者との待ち合わせ時間に間に合わなさそうなので、昼食はドライブ・スルー……侘しいのう。
新居を契約した不動産屋で鍵を貰い、新しいアパートへ。
引っ越し業者に荷物を運び込んで貰い、さて段ボールの解体!と思っていたら、
「じゃあここにサインと判子下さい」
って!
「ちょっと、荷造りだけで荷解きは無いの?」
と訊くと、荷造りだけコースなんだと……なぬー!?
契約書のコースと業者のコース一覧表を確認したが、この業者って「荷造りあり・荷解きなし」コースが最高なのかよ!
妹も「そうだよ?」ときょとんとして私を見ているし……何なのこの子は!
取り敢えず、仕事が終わった引っ越し業者には帰って貰い、すぐに妹に問い質すと、
「えー、だって、荷解きなんて自分でやってもいいし☆」
じゃあ自分でやれよ、私は帰るからな。と帰ろうとすると、
「お姉ちゃ〜ん」
と泣き付く。
この借りはボーナスで返せよ!

その後も荷解きやら掃除やらをし、窓の寸法を測り、カーテンを買いに行ったりで、私は結局1週間も家を空けてしまったのだった。
妹は楽しそうだったが、私はもう疲れたよ……何だかとっても眠いんだ。
結論:引っ越しは宅配業者では無理。引っ越し専門業者に頼むべし。



2007年03月28日(水) 逆しもべ要請

何故だ。
何故、私の引っ越しでもないのに、私があれこれやらねばならんのだ。

愚妹の引っ越しである。
しかし妹の部屋を見渡すと、引っ越し必需品の段ボールが無い。
「あれ? 引っ越し屋さんから段ボール貰っていないの?」
と訊くと、
「荷作りやって貰うコースにしたからいいの〜」
との返事。
じゃあ何故私を呼んだのだ。
卒業式も謝恩会も終わったから、私はもう帰るぞ!と言うと、
「え〜、引っ越し先でも色々と不安だから、お姉ちゃん一緒にいてよ〜」
と泣き付く。
今回だけは手伝ってやる。
借りは初任給で返せよ!

引越し屋さんから貰った冊子を見ながら、
「各種手続きは済んだの? 水道、ガス、電気、電話、郵便」
と妹に訊くと、
「水道とガスと電気は大丈夫。郵便って?」
と首を傾げる。
お前、4年前にも引っ越ししてるだろー!
仕方が無いので、郵便局まで連れて行き、住所変更葉書に記入させた。
「電話は、まだお姉ちゃんの名義だから、どうしようかなと思って」
そうか。妹の固定電話は、私が学生時代に使っていたもので、名義変更をせずにそのまま妹に使わせていたのだった。
「んでね、引っ越したらフレッツって言うの? 光回線にしたいなと思うんだけれど」
NTTに確認すると、名義変更やら加入権譲渡はすぐには出来ないとの事。
仕方ないのでこれは後日やるとして、全てがこんな感じで妹から丸投げされるのである。

手続きの合間に家への土産などを買い、引っ越し前夜にはガスを止められてしまったので、2人で温泉に行く。
しかし遠くて湯冷めしそう。
もっと近場に温泉施設は無いの?と妹に訊いたが、
「わかんな〜い。でもここが1番新しくて綺麗みたいだよ!」
……そうだね、ラーメンの件で懲りずに、またお前に任せたお姉ちゃんの失敗だよ。
引っ越し準備でネットに繋げないのが残念だ。
ネット環境下にあれば、自力で調べられるんだがなあ。
遠いのは不便だが、確かに綺麗でいい施設だった。
しかし、愕然とした。
私のお肌がボロボロ……。
ここ数日の激務(?)で、この3年ほど鳴りを潜めていたアトピーが悪化!
謝恩会でこんなにならなくて良かった〜とは思うものの、やはり恨めしい。
もう気疲れする仕事なんて御免だ。



2007年03月27日(火) ワイドショーねた

妹とTVを見ていた時の話。

事件好きの私はワイドショーが好きだが、芸能ネタには興味が無い。
しかしワイドショーを見ていれば、嫌でも耳に入って来る。
歌舞伎者・市川海老蔵と別れたタレント・佐藤江梨子が、自分のブログに、涙を流した自分の顔写真を掲載したと言う。
その話題を見て、ドン引きする我々姉妹。
姉「うわあ、幾ら何でも、そんな奴おらんやろ〜」
妹「どんだけ構ってちゃんなのさ。私の知り合いの、リストカットを繰り返すボーダーちゃんみたいだ……」
姉「私は最初から、海老蔵にとってはただの遊びだと思っていたけれどね。ポイ捨てされて血迷ったか、サトエリは。正気に返ったらブログの記事は削除しそうだな」
妹「おねーちゃん凄ーい! どうして判るの?」
姉「そりゃ、海老蔵はあの若さで隠し子がいるのに、子供の母親とは結婚していないし、歌舞伎者にとって、付き合う女なんてのはそんなもんでしょ。んで、結婚はちゃっかり、それなりの家のお嬢様と家庭を設ける。松たか子の兄の市川染五郎だってそうだし、梨園の世界はそうなのかと思っていたけれど、違うの?」
いや、そんなの只の想像だけれど。
だから、尊敬の眼差しで見ないように。

元モーニング娘。加護亜依の2度目の喫煙発覚。
未成年なのに喫煙、そんなの普通じゃん〜などと言う人もいるが、そういう連中は、自分の育った家庭環境の劣悪さを自ら披露しているのである。恥を知れ。
私に言わせれば、普通の日本人なら未成年者の喫煙は法律で禁止されている事と、喫煙は身体に悪い事を知っている筈で、その違法行為を普通と言い切ってしまう事自体が普通ではない。
(勿論法律の中には無い方がいい物もあるだろうが、未成年者喫煙禁止法にはそれなりの意味があると思う)
しかも一緒にいた男は35歳。
いい大人なのに、何故そのまま煙草を吸わせていたのか。何故窘めないのか。不思議である。
不思議と言えば、
「加護ちゃん可哀相。18や19で喫煙なんて普通の事なのに、芸能人だからってこんなに騒がれて。解雇処分は厳し過ぎる」
などと平然と言うコメンテーター達。アホか。
立派な違法行為をして、しかも2度目なのに、それでも事務所解雇は厳しいと言うのか?
こんなぬるい事を言うコメンテーターなど必要無い。もっと辛口でいいよ!

引っ越しの準備をする間も、ワイドショーを見ながら盛り上がる姉妹であった。
まあ、荷物詰めるのも引っ越し屋さんがやってくれるらしいので、楽ちんなんだけれど。
それより大変だったのが各種手続き。
この愚妹ってばホントに……ハァ。



2007年03月26日(月) 謝恩会

卒業式の後は謝恩会である。
会費は出すから美味しい物でも食べておいで、と母に言われたのだ。
そんな事言われても、知らない人ばっかりだしな〜と思ったが、お姉ちゃんも行こうようと妹にしつこく言われるし、只で美味い物を食べられるならそれもいいかと思い直して、出る事にした。
仕事で謝恩会場のホテルをよく利用する教授も沢山いるんだし、ホテル側だって安くて不味いオードブルなどは出さないだろう。

レンタルの袴の返却期限は、16時。
しかし謝恩会は15時〜16時半なので、謝恩会が終わってからでは間に合わぬ。
卒業式会場から着付け会場に直行すると、学生はまだ誰も来ていなかった。
予めお願いしていたので、場所だけ借りて妹の着付けをさせて貰う。
袴を穿く時は着物を短めに着るので、袴を脱いで帯を結ぶだけでは振袖の着付けにならない。
振袖の着付けは会場の着装師との契約の範囲外なので、私が着付けをし直さなければならないのだ。ヒー。
でも着付けを手伝ってくれる優しいおばちゃん。このおばちゃんは、頻りに妹の振袖を褒めてくれたらしい。
私としては、自分のペースで好きなようにゆっくり着付けをしたかったのだが、衆人環視(卒業生がまだ来ないので、他の着装師達は暇→自然に私が注目されてしまう)しかも百戦錬磨のプロの中でド素人の私が着付けをするというのは、とっても緊張して焦るんですが。
何とか帯も結んで、荷物を纏め、おばちゃん達にお礼を言って会場を後にした時には、私はもうぐったりしていた。

ホテルのロビーで時間を潰し、謝恩会場へ。
受付を済ませて中に入ったが、朝会って挨拶した妹の友達数人と父兄1人以外は、やはり知らない人々ばかりである。
会が始まり、まずは学部長以下数人の挨拶。これが長い長い。
立食形式なので、椅子など無い。
若いのは兎も角、私よりうんと年寄りの教授&父兄でさえ、突っ立ったままじっと話を聞いているが、普段引き籠もりで基礎体力が低下しまくりの私はふらふらである。
このまま我慢するか、こっそり外に出るかは……自由だ〜!
少なくとも、我慢し過ぎてその場でぶっ倒れるよりは遥かにマシと思い、後ろのドアからこっそりとロビーに抜け出した。
ソファに深く凭れて、ふ〜っと一息ついていると、やっと挨拶が終わったらしく、会場の中からざわめきが聞こえて来たので戻る事にする。
他の父兄達は会場の隅で、親同士固まっているが、私は親じゃないしどうせ知らない人ばっかりだし今後関わる事も無いだろうし、食べなきゃ損!とばかりにさっさと箸を持って、並んだ料理を片っ端から皿に盛って行った。
勿論、目指すは全種制覇である。
食べるのに飽きると、教授達に挨拶して回っている妹の所に行き、一緒に挨拶し、
「お母様ですか? 随分お若いですね」
と言われると
「いいえ、母でも継母でもありません。姉です〜」
とにっこり笑い、妹に「これ美味しいよ。食べてみ」と食わせ、卒業生の余興が始まると前列に行って見物し、好きなように振る舞っていた。
後に妹の友人をして、
「ドビーちゃんのお姉ちゃん、会場内を自由に泳ぎ回っていたよね」
と言わしめるほどだったという。
何じゃそりゃ!

気になったのは、一組の老夫婦が、部屋の隅でポツンと詰まらなそうにしていた事。
大学まで行かせて貰ったのに、子供は何しとるんじゃ。
確かに謝恩会は師に感謝する会なのだろうが、親を放っておいて、それってどうなのよ。
と一寸思った。まあ結局そんな子供に育てたのは親なんだけどさ。



2007年03月25日(日) これでいいのか最高学府

愚妹の卒業式に、両親代理として列席した。
妹の着付けのために早起きして、和装用の化粧をしてやって、着付け会場(妹の着付けはプロに頼んだ。袴はレンタルだし)へ送り届け、妹のアパートに取って返す。
(前日に下見をしたとは言え、不慣れな土地なので迷いそうだったが、「太陽が左手にあるから、このまま直進でいい筈」「あの看板には見覚えがあるから、ここで右折か」と、野生の勘&記憶力を働かせて何とか帰宅)
休む間も無く、今度は自分の着付け。
天気も良いので、洋服ではなく、家から持って来た江戸小紋を着る。訪問着にしようか迷ったが、どうせ私は主役じゃないんだし、これでいいや。

式典会場近くの待ち合わせ場所に行くと、着飾った卒業生達がそれぞれに写真撮影をしていた。
妹はすぐに見付かったが、髪がボサボサである。
いや勿論、着付け会場で美容師さんにちゃんとやって貰ったのだが、毛先がパサパサなのだ。
本人は、卒業式まで髪を伸ばして、終わったら切ろうと思っていたらしいが、毛先ぐらいは揃えておけよ。
何故そこまで考えが至らぬのだ、この子は。

卒業式は、学長の話が案外良かった。
そこを突っ込んでもう一言あれば、こちらの話に繋がるのに惜しいなあとは思ったが。私が事前に添削したかったよ。
酷かったのは、卒業生たちの態度。
専攻毎に立ち上がり、名前を呼ばれた代表者が壇上へ上がるのだが、それ以外の卒業生は、携帯やデジカメで写真を撮っているのだ。
つまり、自分は会場で立っているのに、代表者が卒業証書を受け取る様子を写真撮影しているのだ。
式典とか、公的な場という意識が全く無いのだろうか。
二十歳を少しこえた程度では、そんなものなのか?
自分の場合、どうだったろう。
写真機能付き携帯やデジカメは無かったが、そんな事をしたら、確実にうちの親は子供を叱るよなあ。
そう思っていたら、隣でジーコジーコと螺子を巻くような音がする。
見ると、隣席のオバサンが、使い捨てカメラで壇上を撮影していたのだ。
総代である娘を撮影するのに、使い捨てカメラかよ!(笑)
そりゃ名誉な事だから、写真に収めたいという気持ちは解るが、スマートじゃないよな。
こういう親では、子供が卒業式で壇上を撮っても、それを叱る事は出来ないだろう。何故なら、その資格が無いから。
子供の行事の度に傍若無人にビデオカメラを回すような親に育てられた子供は、こんな風になるのだなあと思った卒業式であった。

そして、思わぬ再会があった。
会場の入り口で、「先生!」と声をかけられたのだ。
私が結婚前に、一寸だけ勉強を見ていた子だった。
そうか、妹と同じ大学に入ったと聞いていたが、ストレートなら今年で卒業だものね。
もう社会人か〜感慨深いなあ。
何年も会っていないのに、私だとわかって声をかけてくれた事が嬉しかった。
彼女に会えただけでも、卒業式に来て良かったと思った。



2007年03月24日(土) 主役よりも裏方の方が大変

2007年03月16日〔金〕どうした学会?
2007年03月19日〔月〕バンコ・デルタ・アジア 追加。


実家から車2台に4人で分乗して来て、その日のうちに両親は、大きい方の車を父が運転して帰って行った。
小さい方の車は、私と妹がここで、引っ越し当日まで使う事になる。

卒業式の前日には、妹が着る振袖や帯や小物を揃えて着付けの会場まで持って行ったり、卒業式の会場を下見したりで、忙しく過ごした。
尤も忙しがっていたのは私だけのようだが。
妹は暢気なもので、美味しいラーメン屋を知っているから食べに行こうとか、あそこのお店で服を見て行こうとか、勝手な事を言うのだった。
しかも美味しいラーメン屋なんて見付からなかったし!
バイパスを車で飛ばして隣町近くまで行ったのに、
「あれ〜? この辺だと思ったんだけどなあ……」
「それっていつの話よ?」
「んーとね、去年の夏、誰某ちゃんの車で連れてって貰ったんだけど」
そうだね、自分の運転じゃないとなかなか覚えないもんね、道順って。
というか、お前はそんな不確定な情報で私を振り回していたのか。
結局、とっくに昼時を過ぎた昼飯は、ありふれた学生向けレストランで済ませたのだった。
味はまあまあ良かった。割とお洒落だし。
ただ、今時分煙ぐらいはして欲しいよなあ。

妹の卒業式なのに本人はいたって暢気で、何故か私があれこれ世話を焼いている図にどうにも釈然とせず、それを電話で主人に愚痴ると、
「まあいいじゃない。ドビーちゃんも、久し振りにお姉ちゃんと一緒に過ごせて嬉しいんだろう。甘えさせてやりなさいな」
と言われた。
嬉しいかどうかは兎も角、確かに傍に頼れる人がいると、ぽや〜んとなってしまうものだ。
そう言えば私も、大学の卒業式の時、自分では何もせず、全て母任せにしていた事を思い出した。
因果は巡るのか。



2007年03月23日(金) 危険な運転

2007年03月15日〔木〕あり得ないスープ・スパゲティ 追加。
何があり得ないって、もうホントに。

愚妹ドビーはこの春、目出度く学校を卒業し、社会人になる。
学校に残って勉強したいという希望もあったらしいが、
「ちょっとお、お父さんとお母さんを2人きりにしておいたら、何かあった時に心配じゃないの。私はもう結婚して遠くに行っちゃったんだから、アンタはさっさと実家に戻って、両親の手許にいて、安心させてやんなよ」
と姉である私が言い含めたので、実家の近くに就職したのだ。
それでも妹は
「お姉ちゃん酷い、長女の癖に家を出ちゃって〜」
とぶつぶつ言っていたが、
「フン、そんなの早い者勝ちよ」
と私が捻じ伏せた。無理矢理である。
職場は、実家の近くとは言え、お寝坊さんが通うには少し辛い距離なので、アパートを借りる事になる。

今回の里帰りは、私が老親に代わって妹の引っ越しを手伝う事が目的だと思っていたのだが、なんと、私が老親に代わって妹の卒業式に出よとの事。
それがちゃんと私に伝わったのは、里帰りの2日前であった。
「どうしてお母さんが出ないの?」
と母に訊くと、
「だって、疲れるじゃない」
との返事……私は疲れてもいいの?
しかし母は昨年病気をして以来、少し疲れただけで寝込んでしまう。無理はさせられない。
でも卒業式って、何を着れば……?
手持ちの服できちんとした物と言えば、和服しか持っていない。
だが雨が降ったら、着物では出かけられない。ではスーツ?
しかしそんなものはとっくの昔に処分したので、慌ててデパートで、それらしく見えるジャケットを買った。
そう、上だけ。下はある物で済ませる。

春休みなので、妹は既に実家に戻っていた。
私が実家に泊まった翌日、家族4人で妹の学校近くのアパートに行き、その日のうちに両親は実家に戻る予定で、車2台で出かけた。
前の車には母と妹、後ろの車には父と私。
復路は父が運転するので、往路は母と私がそれぞれ運転したのだが、怖い。
前を運転する母の車が、路側帯に寄り過ぎなのだ。
確かに教習所では、車線の真ん中より少し左を走るようにと言われたが、そんなものではない。
左側のタイヤが、路側帯の線を踏み越えているのだ。
「あれは怖いなあ」
「だよね!? お母さん寝てるんじゃないの? お父さん、ドビーの携帯に電話してよ。あれじゃ危ないって」
「うむ……」
唸ってばかりで、全然電話する気の無い父。
怖い怖いと言いながら、高速道路の出口まで来てしまった。
妹のアパートは近くである。着いたら母に運転を注意しなければ。
高速料金を精算しながら、料金所のおじさんが、母の運転する車を顎でしゃくってこう言った。
「あの車の後をずっとついて来たの? 大変だったね〜
思わず父と爆笑してしまった。
料金所のおじさんに同情されるほど酷い、母の運転って……。

因みに母は、寝てはいなかったらしい。
本人は至ってちゃんと運転していたつもりだという。
でも気を付けてね……もう歳なんだから。



2007年03月22日(木) 母の慧眼

2007年03月13日〔火〕梅酒の梅
2007年03月14日〔水〕高校野球なんて要らない
 追加。

実家にて。
母の視線が、私のほわ〜んな鞄に止まったのがわかった。
まずい、と思ったが、既に遅かった。
「あら、いい鞄ね、それ」
「そ、そう?」
何を言われるかわかったものじゃないから、なるべく母には見せたくなかったのに。(それでも実家に持って来てしまったのは、やはり気に入っていたから)
「素敵な鞄ね。高かったんじゃないの?」
値段がばれたら、そんな高い物を亭主に買わせるなんて!と叱られる、と思った。
真実を伏せておかなければ。
「んー、そんなに高いって程では。幾らだと思う?」
と言うのが、真実を伏せるのが下手な私には精一杯だった。
母は鞄をじっと見て、
「そうねえ……10万円。7万〜10万ってところかしら」
と言った。
真実どころか、母がずばり言い当ててしまった(店頭販売価格は10万円、私の購入価格は7万円)驚きを隠せない私は、
「凄い! どうしてわかったの? 値札も付いていないのに!」
と思わず興奮してしまった。
「大体見ればわかるわよ。良かったわね、そんないい物を買って貰えるなんて。○○さんに感謝しなきゃねえ」
高い買い物を叱られるどころか、私が結婚相手に大事にして貰っていると判って、母は安心したようである。

そんな母だが、私が履いて来たほわ〜んなブーツを見て、溜め息を吐いた。
「また、あんたって子は……
右と左と違う靴を履いて幼稚園に行こうとした頃と変わってないのねえ
親は何故か、子供がすっかり忘れてしまったような子供時代の事を良く覚えていて、事ある毎にそれを持ち出して来る。
幼稚園の頃のある朝、私が左右色の違う靴を履いて行こうとしたのは、それが変わっていてお洒落に思えたからで、それに気付いた母親が慌てて玄関から私の靴を持って来た時には、私の企みを親に阻止されて軽い落胆を覚えたものだ。
しかしその出来事をこのブーツに結び付けるとは。
確かに田舎で履いたらかなり目立つようなブーツだが、そこまでがっかりされるとは心外だ!



2007年03月21日(水) 阿鼻叫喚

2007年03月11日〔日〕我が心のヒーロー
2007年03月12日〔月〕噂話 を追加。

実家の用事で、1週間ほど留守にする事になった。
主人は、掃除以外の大抵の事は自分で出来るのだが、私がいないと寂しいのか、体調を崩す。
いや、私がいても崩す時は崩すので、余り関係無いかも知れぬ。

またもや、先月にも行った、永年の友人の実家に遊びに行った。
彼女はひと月以上も実家に長逗留している。
亭主をほっといて大丈夫なのか?と問うたら、浮気しても仕方ないやと思っている、との返事。
愛情が無い訳ではないらしいが、浮気は許容範囲らしい。私には理解出来ないが。

事前に電話したところ、今回は嫁いだ妹の子供達(幼稚園〜小学校)を預かっているので、外では会えない(彼女が外出すると、守り役がいなくなってしまうため)と言う。
なので、また私がお邪魔する事になった。
電車の中から電話すると、甥も姪も私が行くのを楽しみにしていると言う。
面識も無いのに何故?と訝って訊くと、なんと、
「ピアノの先生が来るよ〜♪」
と彼女が甥姪に言ったらしい……嘘吐きめが!
ちょこっと弾ける程度で、人に教えちゃいないっつの。

突然だったので甥姪の分は無くて悪いとは思ったが、今回は張り切って、彼女の子供の服を縫って行った。私の子供服デビューである。
しかも、裏付きデビュー。細かい所はあまり見ないでね、と言って渡したが、喜んでくれたのでホッとした。
前回大人しかった子供は、周りにいとこ達がいるせいで、すんごいはしゃぎよう。何をする訳でもないが、一緒になって只管走り回っていた。
小さい子はあれだけでも楽しいものなのかね。
一番上の姪っ子は、いつも弟妹の面倒を看ているからだろう、実にしっかりしていて、それが何だか不憫だった。
「お姉ちゃんだからって言われて、下の子の面倒看なきゃならないんだもん、1番に可愛がられなきゃやってらんないわよね〜」
と思わず言ってしまったよ。
尤も私は、しっかりしてなかったけどさ。

しかしあれだ。
男の子って、どうしてあんなに落ち着きが無いの?
可愛いことは可愛いのだが、何と言うか、不思議な生き物だった(笑)。



2007年03月20日(火) JRの英断が台無し

2007年03月09日〔金〕セレブ生活
2007年03月10日〔土〕Dr.鍵穴 追加。

新幹線に乗った。

素晴らしい。

全席禁煙。

よくやった、JR!

と気分が良かったのも束の間。
トイレが煙たかった……。
煙草を我慢出来ねえんなら新幹線なんか乗るなボケが!!
ニコ中死ね!!!

取り敢えずJRは、トイレ内で煙を感知したら、天井から大量の水が降って来るような仕掛けを作るべきだ。



2007年03月19日(月) バンコ・デルタ・アジア

夜9時、TVで天気予報を見終わって、そのままNHKにしていると、ニュースが始まった。
アナウンサーが、北朝鮮関連資金のニュース原稿を読んでいる。
その時、PCで遊んでいた主人が、突然目を剥いてTVを振り返った。
「なーにを聞き違えてるんだか」
私が鼻で笑うと、主人は目を丸くして私を見た。
「凄いなシオン、どうしてわかったんだ?」
「わかりますよ、それぐらい。凄い勢いでTVに食い付くようにしてたもん。『バンコ・デルタ・アジア』の『バ』が『マ』に聞こえたんでしょ。嫌〜ねえ」
「うん。だって、そう聞こえたんだもん……吃驚したよ、そんなの公共の電波に流していいのか!?って」
まあね、鼻をつまんで「ま」って言うと、「ば」になるもんねえ。



2007年03月18日(日) 間抜けなる一族

2007年03月08日〔木〕我が恋は成就せりを追加。


「華麗なる一族」最終回を観た。
このドラマ、最初から欠かさず観ていた訳ではなく、3回目当たりからちょろちょろ観ていた程度。
まあ一応最後だし、拡大版だし、取り敢えず観ておくかぐらいの軽い気持ちだった。

普通に泣ける終焉だったが、「戦時中の混乱でよくあるミス」って……オイオイ。
何だか余りにも間抜け過ぎて、大笑いしてしまったら、
「今、恐らく日本中が涙しているであろうこの感動の場面で、大笑いしている奴はシオン唯1人だろうな」
と主人に言われてしまった。
だって私、冷血妻ですから。
今ならDNA鑑定があるけれど、当時はそんなもの無かったんだろうし、仕方が無いのだろうか。
1度っきりの血液型検査を信じ込んでしまうなんて、無知は罪だなあ。

木村拓也の演技が良かった!と言う人もいるだろうが、やはり私は彼の芝居が好きではない。
これは妹も同意見で、先月里帰りした折にも、
「キムタクの演技って、どの役やっても同じでつまらない! ハウルは良かったのにさ〜。俳優よりも、声優やった方がいいんじゃない?」
と、私と全く同じ事を言っていたのには驚いた。
凄いわ、姉妹DNA。
この子とは笑いのつぼも同じで、主人の門外不出ブラック・ジョークを再現して聞かせたところ、
「お義兄さんって面白い〜。最高!」
と、私と同じように腹を抱えて笑っていた。
勿論、外でこの話はするなよと釘を刺しておいたが、同じ親から生まれて同じ家庭で育つと、同じような思考になるのだなあと面白かった。



2007年03月17日(土) 上半身不随(加筆修正版)

2007年02月26日〔月〕放火母
2007年02月27日〔火〕東北新幹線を止めた男追加。

頭痛いよ〜〜。

朝起きたら、背中が痛かった。
寝違えたような痛み。
変な寝方をしたか、それともマットレスか枕が合わないのか。
しかしもし布団が合わなかったとしても、今更買い換える訳には行かない。
昨年末に買ったばかりだし、13万だよ、13万……。
主人にはこれで合っているらしいので、私が我慢するしかないのか。

で、以前酷く寝違えた時と同じく、引っ繰り返った亀のように、なかなか起き上がれなかった。
寝返りを打とうとすると、背中に激痛が走るんだもの。
起きてた方が、ずっと楽。
そして今は、背中の痛みに加えて酷い頭痛。
背中から来ているのではないかと思われる。
ノーシン飲んだが、まだ効かない。
早く効け〜。

来週にはまた、主人を残して、実家に行かなければならない。
妹の引越しの手伝いやら、色々とあるのだ。
親はもう歳なので、きついからと、私にお鉢が回って来たのだ。
それに、母が手伝いに行くと、仕事をしている父が1人で留守番をする事になってしまう。
それは不安だ。自分の事さえちゃんと出来るかどうかなのに。
主人曰く、
「お義父さんを家にひとりにするより、僕がひとりで居た方がまだましでしょ」
と、1週間の里帰りを快諾してくれた。
いい旦那様だよ。ホントに。

あー、頭いてえ。
早く健康体になりたい……。


午後7時。
30分ほど眠ったらスッキリ〜。
お薬が効いたみたいで、頭痛は吹っ飛んでいた。
背中はまだ痛いんだけれど……こりゃノーシンじゃ無理か。
痛くて死にそうだったけれど、どっこい生きてるシャツの中。



2007年03月16日(金) どうした学会?

裏でどんな話し合いが行われたか、或いは何の圧力があったか知らないが、最近アーサーデモス教団だかのCMをとんと見なくなった。
ああ良かったとホッとしていたのだが、代わりに台頭して来たのがこのCM。

 元気ってボナピー (ボナピー?)
 勇気 鉢巻 いい天気
 元気っていいね
 元気が1番


創価学会のテーマソングなのか何なのか知らないが、歌詞がいまいちよく聞き取れない。
「勇気の次、何て言ってるのかよくわからないんだけれど、鉢巻でいいのかな?」
と主人に訊いてみたが、勿論信者ではないので、そんなものは知らぬ。
だから、
「勇気 腹巻 じゃないの?」
などと適当な事を言う。
「腹巻? 花巻じゃなくて?」
「こりゃまた随分ローカルなネタで来たなあ。東北人にしかわからんぞ」

よくよくCMを聞いてみたところ、正解は鉢巻でも花巻でもなく、「早起き」であった。
そして「ボナピー」ではなく、「どんな木」と言っているようである。
ボナピーって何だよ、ボナピーって……。

で、創価学会は何を目的としてこのCMを流しているのだろう。
これまで宗教系CMと言えば、夏場に流れる天理教の「こどもおぢばがえり」ぐらいだったが、今年の創価学会は一体どうしたのだ。
アーサーに負けたくない一心なのか?
よくわからない……。



2007年03月15日(木) あり得ないスープ・スパゲティ

今日の晩御飯は、主人が作ってくれたオムライスだった。
私が作るよりも早いし美味しいし。
鶏肉の入ったケチャップ味のご飯に、ふわふわの卵。
食べながら、
「そうよね、これが正しいオムライスよね……」
と思った。
では、正しくないオムライスとは?

先日、就職を控えた愚妹の入居先を探した時の話。
愚妹ドビーと2人、不動産屋を探して車を走らせていると、比較的新しくて綺麗な建物の食事処を見付けた。
「ねえねえ、あのお店、何となく美味しそうじゃない?」
「いいね。不動産屋の帰りに、あそこでお昼にしようか」
まだお昼前だったのでその時は素通りしたが、不動産屋で入居先を決めて戻った頃には、13時半を過ぎていた。

閉店ガラガラ。

……ランチ・タイムは14時までじゃなかったのか。
がっかりしたが、かなりお腹が減っていた我々は、仕方なく、他のお店を探した。
しかし不慣れな土地で、どこに何のお店があってどのお店が美味しいのか、全く情報が無い。
街の中心部に行き、暫くうろうろしてみるも、腹が減り過ぎて、全く勘が働かない。
一応百貨店のレストランなら、そう当たり外れも無いだろうと考えた我々は、地元百貨店(一応スーパーではないらしい)の最上階に行った。

しかし、田舎の百貨店を舐めてはいけない。
14時過ぎでも営業中だったが、客が誰もいないのだ。
嫌な予感がした。
だが、背に腹はかえられない。現に、背中とお腹がくっ付きそうなほど、腹が減っているのだ。
エプロンをかけたおばちゃんが、水とお品書きを出してくれた。
決めるまでに余り時間もかけず、私はオムライスを、妹は海鮮スープ・スパゲティを注文した。
水を飲みながら、店内を見渡す。
店の中央には「幸福の木」系の観葉植物が纏めて置いてあり、その天辺には、くまのプーさんとハローキティが縛り付けられて、仲良く鎮座している。
この微妙なセンスでは、やはり味も期待出来ないか……と待っていると、私のオムライスが来た。
腹が減っているので先に食べるも、お世辞にも美味しいとは言い難い。寧ろ、歯に衣着せずに言ってしまうと、こんなに不味いオムライスは食べた事は無いというぐらい不味い。
決して料理上手ではない私が作った方が、まだなんぼかマシである。
何がこんなに不味いのだろう。ケチャップ?
カゴメやデルモンテなら、こんなに不味くは無い筈。どこのメーカーだ?
しかも卵がちっともふんわりしていない。ただの焼き卵だ。
妹にも食べさせてみたが、私ほどの拒否反応は示さなかった。
主人のお蔭で、私の舌もだいぶ肥えたらしい。(肥えたのは舌だけじゃないけどさ)

妹の頼んだ物も、じきに来た。
しかしおばちゃんが運んで来たのは、洋風丼と言うか、陶器のボウル。
そして何故か、スプーンとお箸が付いている……フォークじゃなくてお箸?
スープスパはお皿に入っているもの、という固定観念を持っていた私は、ここでまた度肝を抜かれた。
そして更に驚くべき事に、ボウルの中に入っていたのは、キャベツ、烏賊、海老、鶉の卵……しかもスープにはとろみがついている。
「……ドビー、アンタ何を注文したんだっけ?」
「海鮮スープ・スパゲティ……」
「でもさ、これ、どう見ても八宝菜だよね? その麺、パスタじゃなくて饂飩なんじゃ?」
妹は、麺を箸でつるつると食べた。
「違う。麺は饂飩じゃなくてスパゲティだ。茹で過ぎて饂飩みたいになってるけど」
「海鮮もスパゲティも入っているし、一応スープだけれど、でもこれはスープスパじゃないよね……」
空腹を満たすために食べたが、ある程度腹に入ってしまうとそれ以上は箸が進まず、一抹の罪悪感を感じながらも、私はオムライスを残したのだった。
驚いた事に、妹は八宝菜スパを完食していたが。

勿論ちゃんとお金は払ったが、何だか割り切れない思いで、店を後にしたのだった。



2007年03月14日(水) 高校野球なんて要らない

高校野球には興味が無いので私は知らなかったが、専北の野球部といえば、岩手県では名門らしい。
で、そこから早稲田大学に進学した(どうせスポーツ推薦なんだろうが)野球部の選手が、プロ球団からお金を受け取っていた事が問題となった。

法律的に問題は無いのだろうが、学生野球憲章とやらに違反するらしい。
球団としては、将来有望な選手にはツバを付けておきたいので、卒業したら是非ウチに!とお金を渡す。
高校生や大学生は、それって悪い事なんじゃ……とは思いつつも、黙ってればいいべ!と言われて、うちの子は金の卵と言われて舞い上がってウハウハな親を見れば、貰ってしまうのだろう。貰える物は貰っといたらいいと思うだろうし。特にお金ならば。
お互いの利益が一致しているのだから、他人が文句を言う筋合いは無いとも言えるが、普通に考えて、働きもしないのに大金が転がり込んで来るというのは、教育上宜しくないと思われる。
そういう事もあって学生野球憲章ではお金の授受を禁じているのだろうが、自分達で決めたルールを裏でこっそり破って、それが慣例化していたというのは、世間を馬鹿にしているとしか思えない。
表向きはお金のやりとりなんてしていませんよ〜と言いつつ、裏でこっそりやっていた訳だから。
今のところ、専北しか出ていないけれど、絶対他所でもやってるって。賭けてもいい。
アメリカに行っちまった松坂だって、貰っていたかもよ?
ところで専北の校長、記者会見でとっても他人事な態度だったが、あれは如何なものか。
知らなかったと言っているが、万一本当に知らなかったとしても、あすこは学校の責任者として謝罪の一言ぐらいはあってしかるべきだろう。

野球なんてどうでもいいけれど、ここまで騒ぐんなら、いっそ高校野球なんて潰してしまったらいい。
別に不都合なんて無いし、それどころか、夏じゅう高校野球で馬鹿騒ぎする連中を見ずに済むので万々歳だ。
甲子園で地元の学校が出る試合だと、全試合放送しているNHKに加えて、テレビ朝日系の局まで放送するんだもの、ムカついてしようが無い。
どうしてチャンネルを2つも使って流さなきゃならないのさ?
そんなに野球が好きなら、野球専門チャンネルを作って、そこで放送してくれよ。
こっちは野球のせいで観たい番組が潰れて、その度に嫌〜な気分にさせられてるんだよ。
私は、野球が悪いとは言わない。それに夢中になり過ぎて暴走している連中が嫌いなのだ。



2007年03月13日(火) 梅酒の梅

屋敷しもべ妖精が帰ってしまった。
便利だったのになあ。
もう就職してしまうから、ここには滅多に来てくれなくなるだろう。
それも寂しいものだ。

妹を駅まで送り、買い物を済ませて帰って来た。
今日はもう、車で出掛ける事も無いだろうと、梅酒の梅をポリポリ食べた。
梅酒は好きなので減りが早いが、瓶の中に残った梅をのまま捨てるのは勿体無い。
だから偶に、おやつ代わりに食べるのだ。
しかし梅酒ほど美味しいと思えないので、こちらは全く減らない。
しかも1度に食べられる数は、そう多くは無い。
どうしようかね……。

そうだ。
いい事考えた。

窓から外に、ポポポポーン。
取り敢えず、2つ、投げてみた。
雪の上にコロン〜と転がって鎮座する筈が、勢いと重みとで、ズボッと埋まってしまったのは計算外だったけれど。

夜、帰宅した主人に報告した。
「ねえねえ、今日、梅酒の梅をお外に撒いてみたの」
「……それでシオンはまさか、春になると芽が出て、梅酒が生るとでも思っているんじゃないだろうね? それって、3年間水に漬けといた赤ん坊を、干したら生き返るかな〜♪って水から引き揚げるようなものだよ?」
どうして、どうして貴方はそういう変な喩えを思い付くんですか。
「違うよ! 私の考えはね」
そのうち、烏や雀がこれを突っつく。
雀は鳥獣保護法で捕獲が禁じられているけれど、酔いが回って行き倒れた烏を、見せしめとしてごみ捨て場に吊るすのだ。
主人からは、冷たい視線が返って来ただけだった。

数日後、雪は融けたが、梅はどこにあるかわからなくなっていた。
土に還っちゃったんだろうか。



2007年03月12日(月) 噂話

今年は暖冬で、もう雪掻きする事も無いかと思っていたが、昨夜から降り続いた雪がこんもり積もっていた。
「もう雪は終わりかと思ったのになあ」
出勤なのに……と愚痴る主人に、
「鼬の最後っ屁みたいね」
と言うと、シオンは喩えが汚いと言われた。
じゃあ何と言えば?

雪掻きをすると指の痛みがぶり返しそうなので、私は肉体労働を出来ない身。
ここで、屋敷しもべ妖精出動である。
妹に雪掻きをさせ、私は家の中の片付けと掃除。
「ドビーが来る前は、ずっと暖かかったのにねえ。お前が来ると雪が降るよね。雪女?」
「いいよ、どうせ私は下っ端だし。おうち(実家)に帰っても雪掻き要員だもん」
と己の運命を受け入れて、ドビーは外に出て行った。

それぞれの仕事が一段落着いてお茶を飲んでいると、ドビーがプンスカして言った。
「近所の斉藤さん(仮名)とこ、いっつもおじさんが雪掻きしてるんだよ。あそこの家、息子と大きい孫2人もいるのに、最年長のおじさんに雪掻きさせるってどうなの?」
斉藤家は、老夫婦と、息子夫婦とその子供達という家族構成である。
そして息子の嫁は離婚して出て行ったので、今の嫁は新しい嫁である。
「そりゃイカンね。大体あの家はなってないよ。おじさんもおばさんもいい人だけどさ、あすこは子育てに失敗したね。同居しているけれど、おばさんはお金の事でうちのお母さんに愚痴っていたらしいよ」
「へえ、どんなの?」
と体を乗り出す妹。
「息子家族はうちに少ししかお金を入れない、って。でもそんなの、ちゃんと2世帯で話し合って決めればいい事じゃん。他所の人に愚痴を言うなんておかしいよ。まああれだ、息子を下手に可愛がって駄目にしたってパターンじゃないかな」
「息子と言えば、うちに年賀状だけれど、結婚しました葉書送って来たの見て、ドン引きしたよ」
「うわ……そりゃ引くわ。いい歳こいて再婚で『結婚しました』葉書かよ。お嫁さんも、よくあんな大きい子供のいる家しかも両親と同居って悪条件の男と結婚しようなんて気になったよね」
「それがね、離婚後すぐの再婚だったから、お母さんは『前の奥さんがいた頃から浮気していたんじゃないの?』って言ってた」
恐るべし母の慧眼……当たっていればだけれど。
少なくとも、うちは老人に肉体労働を強いないようにしようと思った。
他所に何言われるかわからないし。



2007年03月11日(日) 我が心のヒーロー

私と妹ドビーは、歳が離れている。
なので、私にとってドビーは、妹というよりも玩具であった。
一方、妹にとっての私は、何でも知っていて勉強も教えてくれる、自慢の姉だったらしい……歳が離れていればそれだけ長生きしているという事で、妹が知らない事を知っていて当たり前なのだが。
だから、うちのお姉ちゃんは学校の成績も優秀!と信じ込んでいたのだな。恐るべき誤解。

そんな、お姉ちゃん大好きの屋敷しもべ妖精だが、こいつはいつも、寒そうな格好でやって来る。
ここはお前の住んでいる所よりも寒いんだから、もっと暖かい服を着て来なさいと言っているのだが、お洒落優先な年頃なのか。
今回も例に漏れず、上はババシャツに薄手のセーターだけという服装だったので、ババシャツの上にこれを着ておきなさいと言って、タートルネックのカットソーを渡してやった。
これは私が縫った物で、一寸首周りが狭い。
もっと伸ばしながら縫うべきだったなあと、作り終わってから思ったのだが、首がぎりぎり入る程度である。
ところが。
「お姉ちゃん、頭が通らない〜」
「先にこれを被りな。摩擦が少なくなって、着易くなるから」
とスカーフを渡したが、それでも頭がなかなか出て来ない。
「うわーん」
「頑張れ、もう一寸だ!」
と応援したが、私は気付いてしまった。
黒いスカーフを被った丸い頭が、タートルネックの丸い穴から覗いている。
こ、これは……。
「わははは! お前のその格好、今まさに肛門から出ようと頑張っているウンコみたいだ! 写真に撮ってもいいよね? 一寸待ってて、今デジカメ持って来るわ」
と私が鞄を取りに行こうとしたところ、妹は激しく抵抗。
「駄目! 絶対駄目!! それより何とかしてよう〜」
格闘の末、妹の頭は何とかタートルネックから生まれて来たのだった。
「おめでとう。大変な難産だったね」
と私が言うと、妹は真っ赤な顔して憤慨していた。
「酷いよお姉ちゃん、人をウンコ扱いして! 大体何でこんなに首周りの狭いの作ったのさ!」
「確かに狭いけれど、私はそんなに苦しむほど……あ、そうか。背格好は同じぐらいだと思っていたけれど、ドビーの方が私よりも頭が大きいんだ」
うんこ扱いされた上に顔がでかいと言われ、益々顔を赤くしてキィ〜となる妹であった。

こんなに酷い扱いを受けても、私は妹のヒーローらしい。
小さい頃に可愛がっておくと、屋敷しもべ妖精はよく懐く。



2007年03月10日(土) Dr.鍵穴

「これが世界のスーパードクター」という番組を見た。
こういう最前線で働く医者は大変だなあ。
名誉もあるが、同時に大きな責任があるもの。

主人は、頭が良い。
少なくとも私はそう思っているので、訊いてみた。
「ねえ、貴方ぐらい頭が良ければ、医学部なんて余裕で行けたんじゃない? 何故行かなかったの」
「んー、人が痛がっているのを見るのが嫌なんだよね。血も嫌いだし」
……詰まらんのう。
「それに、」
と彼は続けた。
「うちの親が言ったんだ。『医者や裁判官といった、他人様の生き死にに関わるような仕事に就くなら、それなりの覚悟をしろ』って」
……それは、重い言葉だなあ。
確かに半端な気持ちで医者になられたら、患者は堪ったものではない。
勉強が出来る子供は取り敢えず医学部に、と考える愚かな親や教師がいるが、そういう人達に聞いて欲しい言葉だと思った。
しかしそれと同時に、こうも思った。
「なるほどつまり、貴方にはそれだけの覚悟が無かったって事か」
「うん、そう♪ 他人の命に責任なんて、怖くて持てないや。僕はシオンだけでイッパイイッパイだよ」
うむう。

番組に登場した医師の1人で、福島孝徳という脳外科医が印象的だった。
この人の手術は、「鍵穴手術」という手法を用いるもので、手術による傷口が小さい分、患者への負担が少ないという。
確かに医療技術は素晴らしい。
しかし人格的にというか性格的に、「うわーこんな人と一緒に仕事したくないわあ」と思ってしまった。
手術が終わって、スタッフと一緒に飲みに行く場面があったのだが、ここでもDr.福島オン・ステージ。
「全てはねえ、キーの穴、鍵穴なんだよ」
長広舌で鍵穴手術を自画自賛する福島氏に、箸も動かさずにじっと俯くスタッフ。
そして、食卓の上で放置される河豚刺し……。
「ああ〜勿体ねえなあ! 折角の河豚刺しが乾いちまうよっ」
「ああいうジジイは『そうですよね〜、先生は凄いですよ!』と適当に持ち上げとけばいいんだから、スタッフも『ほらほら、河豚が乾く前に食べちゃいますね』ってさっさと食べちまえばいいのに」
と、遊びに来ている妹と盛り上がっていると、主人がこう言った。
「誰かさ、5mm程度の穴の開いた紙を、『さ、先生、この穴からどうぞ』って言って、この人の前に出してやればいいんだよ。『おっ、難しいな。しかしこれが鍵穴の極意! あっ河豚が穴に引っ掛かって取れないぞ?』と1人でやって貰えばいいのさ。そしたらこいつも、ああ鍵穴が全てじゃないんだって、自分の愚かさに気付くだろうよ」
どうしてこの人は、こういう事を思い付くのだろう……。
勿論、私と妹は腹の皮が捩れるほど大笑いしたのだった。

「ところで、脳外科医ってどうしてこういう、俺が俺がって自己顕示欲の強い人が多いんだろ」
と妹。
友人の医学生のところの脳外科の教授もこんな感じの、俺様タイプなのだという。
その教授の目下の望みはテレビ朝日の「本当は怖い家庭の医学」に解説役の医者として登場する事なのだが、未だ叶っていない。
そして、「福島さえいなければもっと俺様が脚光を浴びるのに」と思っているらしい。
色々な逸話のある人で、周囲からはアスペルガーの疑いを掛けられているという。
俺様だから脳外科を選ぶのか、脳外科医をやっているうちに俺様になってしまうのか、それは謎である。



2007年03月09日(金) セレブ生活

屋敷しもべ妖精がやって来たので、早速おニューの鞄を見せびらかす。
「凄い、本当に買ったんだ……。お義兄さん、優しいなあ」
と私の前では言っていた妹ドビー。
ところが主人の前では
「お義兄さん、お姉ちゃんを甘やかし過ぎですよ〜」
と来たもんだ。
それに対する主人の答え。
「まあ、世界で1人ぐらいはシオンに優しくしてやってもいいかなと」
「1人だけかよ!」
妹、大笑い。

朝、頭が痛くて起きられなかった。
出勤する主人を、布団の中からお見送り〜。
頭痛が治まった9時頃、漸く起きたのだった。
その晩、夕食の時に、妹に言われた。
「お姉ちゃんって、いい暮らししてるよねえ」
「何それ、どういう事さ」
と訊くと、
「だってー、朝ゆっくりしててもいいし、あんな高い鞄買って貰えるし、子供もいないし仕事もしていないのに、いい生活だなあと思って」
つまりニートって事か?
すると間髪入れずに、主人が言った。
「僕もそう思うよ」
ぶはあ。そう来たかっ。
私も妹も大笑い。
「でもさ、家の中の事はちゃんとやってくれるし、まあ偶にはご褒美もやらないとね」
家の事……してるかなあ。
と一寸考える私の横で、
「でも私がいると、家の事半分しかやらないよね、お姉ちゃん」
とブツブツ言う妹であった。



2007年03月08日(木) 我が恋は成就せり

恋の炎は、簡単には消えない。
私には高嶺の花だと知っていた。
けれど、やはり諦め切れない。
だから私はあなたに恋し続ける。
触れるどころか、その姿を2度と見る事すら叶わなくても。

廃盤だと聞いて永遠に諦めた筈の例の鞄だったが、私は何かに取り憑かれたようにネットで探していた。
公式サイトから消え、オークションでも色違いしか見付からず、あちこちの輸入代行業者に問い合わせては入手不可と言われ、嗚呼もう駄目なのか……と絶望しかけた時、最後の代行業者から連絡メールが来た。
諸経費込みで、7万円。
店頭価格よりは安いが、それでも庶民には迷える値段である。
しかしここでまた見送ったら、私は再び、いや三度、後悔する事になるだろう。
ネットバンキングで代金を振り込み、待つ事1週間。
ほわ〜んな鞄は海を越え、とうとう私の家にやって来た。
うふうふうふ。
包み紙を剥がして大きな箱を開け、薄紙に包まれた鞄を手に取る。
嗚呼、幸せ……。

「ジャジャーン! 買っちゃいました♪」
帰宅したダーリンの目の前に、鞄を突き付けると、彼はこう言った。
「えっ、ホントに買っちゃったのか……」
え? だって貴方、廃盤と聞いて凹んでいる私に、こう仰いましたよね。
そんなに欲しかったら、買ってもいいよ〜って。
「もしかして」
鈍い私もやっと気付いた。
「廃盤で、どうせ手に入らないだろうと思っての『買ってもいいよ』発言だったの?」
「ハハハ、そういう事。まあ、買っちゃったんだから仕方ないか。暫くシオンのお小遣いは無しだな。シオンに対して出る扶養手当は、ひと月1万5千円なんだから、5箇月分か」
でもいいの、やっと手に入ったのだから、ダーリンありがとう。
大事に使います。



2007年03月07日(水) 運命を受け入れられない人々

2007年02月25日〔日〕ブルガリアン美人追加。
店長、いや小林さん、お待たせしました。例のネタでございます。


2005年8月10日、埼玉県上尾市の市立上尾保育所の本棚の中で、榎本侑人君(当時4)が熱中症になり死亡した。
両親は2007年3月7日、保育士等が園児の行動を充分把握していなかったのが原因などとして、同市に約8400万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。

この事故は覚えている。
園児達がかくれんぼをしていて、この子は本棚の引き戸の中に隠れたものの、誰も見付けてくれずに2時間が経過、そのまま熱中症になってしまったらしいという話だった。
まあ、子供だから、誰某ちゃんがいない事に気付かなくても仕方ない。
では、責任は誰に?
事故から1年以上経った昨年10月、侑人君への注意を怠ったとして、業務上過失致死の疑いで、当時の所長等3人が書類送検されている。
そして更に半年経ってから、今回の訴訟である。
会見で父親は、「事故の真相を知りたい」として提訴したというが、果たしてそれは得られるのであろうか。
園で虐待があったなら兎も角、殆ど事故だと思われるのに何故?
昨年の書類送検にしても、「保育士は園児の行動を充分に把握しなければならない」と言っているようなものだ。

園の中だから、保育士に責任を負わせたいというのは解る。
では逆に、親はどうなのだ?
森ビルの回転ドアに挟まれた男児にしろ、植え込みに落ちて躑躅の枝が頭に刺さった赤ん坊にしろ、「その親は子供の行動を充分に把握しなければならない」という事になりはしないか。
それならば、ビルの責任者と回転ドアの製造会社や、動物公園の管理者である千葉市が責められるのは、明らかにお門違いである。
法律は、全ての人に平等でなければならない筈だ。

自分は被害者だから、金を持っている奴から搾り取ろうという動機ではないにしろ(弁護士は多分このような動機だろうが)、何かと言うと裁判に訴えようとするのは、果たして得策なのだろうか。
全国の産科や小児科の医者が減っているのも同じである。
日頃の業務がハードな上に、一寸乱暴な物言いをすればやれドクハラだと言われ、何か事故があれば医療ミスだとすぐ訴えられるのでは、誰がそんな仕事をしたがるだろうか。
そして、子供を預ける親と預かる園との関係もそうだ。
園児が事故で死ねば園は訴えられ、それが嫌で病気の子供は預かりたくないと断れば、うちの子も預かれとごねられる。
結局は利用者が、自分の首を絞めているのである。



2007年03月06日(火) 小学校高学年女子

2007年02月24日〔土〕天使な悪魔追加。

一昨年12月、京都の学習塾で、小学6年生の女の子が殺された。
殺したのは、大学生のアルバイト塾講師・萩野裕24歳。
その裁判が京都地裁で行われたが、求刑無期懲役に対して、判決は懲役18年であった。

遺族は「検察には控訴して欲しい」と言う。
気持ちは解らんでもないが、現実的ではない。
判決としては、まあ、妥当だろう。
と言うか、弁護側の頑張りが足りなかったのではという気もする。
でもまあ、アスペルガーとか精神的に追い詰められていたから心神喪失とか耗弱とかいう方向に持って行くのは、どうにも嫌いだ。
障害者を差別するなーとか言うなら、刑法39条を無くさなくちゃな。

この被告を弁護するつもりはさらさら無いが、あの年頃の女の子って、生意気なんだよなー。
(自分も嘗てそんな糞生意気な餓鬼の1人だったので判る。思い出したくない過去だ)
しかもその両親から塾を通してクレームが付いたというのでは、塾講師としてプライドが傷付くのは理解出来る。
勿論それで普通殺そうとか思わないけれど、ムッと来るのはよーく解る。
文句付ける位なら、親が自分で教えろよ!!と思うもの。
少なくとも親は子供に、教師或いは講師に生意気な態度を取らないよう、躾ける事が大切であると思われる。
だから、コメンテーターなどが阿呆のように繰り返す、「被害者に非が無い」なんて事は、私は全く思わないのだ。

という話を現役教師としていたら、
「でもムカ付く子供を片っ端から殺していたら、切りが無いよー」
と言っていた。
そんなにいるのか……教育現場は大変だな。
「でも、ムカつく子供より、ムカつく親の方が遥かに多い」
んだそうで。
やはり親が問題だよな。



2007年03月05日(月) 離婚予想

2007年02月23日〔金〕DV妻追加。

宇多田ヒカル離婚。
やっぱり、という感じである。
彼女の母親も10台で前川清と結婚して離婚しているので、娘ヒカルが10台で結婚を発表した時、母親と同じ道を辿るのでは、と思ったからである。
というか、藤圭子は自分の経験から、娘の結婚の破綻を危惧しなかったのだろうか。
自分の失敗を踏まえて、もう一寸交際して様子を見てからの方がいいんじゃないの?とか忠告しなかったのだろうか。
それが不思議である。

寺島しのぶ結婚。
私の中で、彼女は脱ぎ専用女優という位置付けである。つまり女優の中でも下の方に格付けされる。
幾ら演技が上手くても、所詮精神的売春婦である。
そんなヌード女優が、おフランス人と結婚したという。
相手の写真を見るまでは、金髪碧眼の線の細い男とじゃあ、永くは続かないだろうと思っていたが……、嫉妬するほどの容貌でもなかったので一寸拍子抜けだった。
黒髪のもじゃもじゃなら、割と永続きするかも知れぬ。
しかも未婚の父(事実婚が破綻)子持ちだし。

数年後には、安達祐実が離婚するかなあ、と勝手に予想を立てている。
だって、相手の男が駄目過ぎだもの。
出来ちゃった結婚発表の頃、芸能レポーターが
「祐実さんのお母さんが怒っていましたよ」
と告げると、井戸田潤は、
「えっ、何で!?」
と驚いていたのだ。
馬鹿か、こいつ。
普通の親なら、手塩にかけて育てた娘がどこの馬の骨とも知れぬ男と出来ちゃった結婚なんて、ショックだろうに。
(尤もその場合、娘にも責任の半分はある訳だが、そんな事は吹っ飛んでしまうのが娘の親である)
相手の立場と心情を忖度出来ぬとは、、男として、人間として駄目である。
申し訳無いとかいう気持ちは、微塵も無いのだろう。
こんな馬鹿男と結婚、しかも出来ちゃったなんて……安達祐実の程度が知れてがっかりである。



2007年03月04日(日) 少子化問題

2007年02月22日〔木〕還らぬ人々追加。

昨夜、みのもんた番組をやっていた。
私の嫌いな山本一太とムネオちゃんが非常に煩かったのでちゃんと見ていなかったのだが、格差社会をテーマにした章で、「シングルマザー・子育ての苦悩」というのをやっていた。
シングル・マザーという言い方は、私は嫌いである。
死別なのか、離婚なのか、はたまた未婚の母なのか、全部ひっくるめては何が何だかわからぬからである。
大黒柱が死んでしまって母子家庭というのなら、保護してしかるべきだ。
しかし離婚家庭の場合、自分の勝手で結婚して離婚したのである。
先の見通しが甘かった、本人のせいである。
そんなところに貴重な税金を投入しないで欲しい、と納税者として思うのだ。
未婚の母など、言うに及ばずである。とっとと野垂れ死ねとすら思う。
そんな馬鹿女の1人が
「貧乏人の子供はいい学校に行けない」
などと言っていたが、そんな事は無い。
お金が無くとも勉強は出来る。
大学ぐらい、塾にも行かず、家庭教師もつけず、それでも入れるものだ。入れないのは馬鹿だからである。運もあるが。
学費なら、何とかしようと思えば、何とかなるものだ。
奨学金制度だってあるし、大学生ぐらいの歳ならバイトだって出来る。
お金に余裕が無いから、などというのは言い訳だ。
こいつ、言っていて恥ずかしくないのか?と思った。

少子化だし、子供は社会全体で面倒看ましょう、と最近言われている。
私は、悪い事をしたなら、他人の子供でも容赦なく叱る。
問題は親だ。
それで、迷惑かけてすみませんと言える親ならいいが、そうではない馬鹿親は困る。
うちの子は騒いでも可愛いから周囲も大目に見てくれるとでも思っているのか、自分では子供に注意しない上に、他人が注意すると目の敵にする奴がいる。最悪。
そんな馬鹿の子供など、誰が面倒看てやるもんか、と思ってしまう。税金で補助など以ての外だ。
ところで、少子化って、そんなにいけない事なの?
世界的に見れば人口はどんどん増えており、中国では一人っ子政策が行われて久しい。
そしてデブの小皇帝が家庭の中心になっている。変なの。
ここで日本の人口が増えれば増えたで、食糧問題とか住宅問題とか言って騒ぐのだろう。
政治家が、子供が減って困ると騒ぐのは、年金計算がおかしくなるからだ。
そもそも、年金制度の最初がおかしかったのだ。
殆ど掛け金を払わずして、年金だけ受け取ってウハウハした奴がいる筈。
自分で自分の年金の面倒を看るのではなく、次の世代に負んぶに抱っこという方式にした奴が悪いのだ。
そして、人間が減ると消費が減る。
産業界の人間も政治家と一緒に、何とか子供=消費者を増やしたいと躍起になっているのだ。
それだけの事である。
少子化は自然の摂理なのだと思う。
仮令自然淘汰で日本が滅びたところで、それは運命なのではないか。
人口など、人間がコントロールしようとしても、なかなか上手く行かないものだ。
人間が下手に手を加えると、必ずどこかが綻ぶ。



2007年03月03日(土) これはもしや……

2007年02月21日〔水〕托卵ポスト追加。

喉はまだ痛いし、疲れ易いし何となくだるいが、タミフルのお蔭でインフルエンザは快方に向かっている。
今日は朝からゆっくりしているが、昨日は起き上がって、溜まりに溜まった掃除と洗濯をする事が出来た。
私から感染しているだろうと思われる主人だが、昨日は医者には行かず、何と、出張に行ってしまった。
病気の妻を置いて!!
前から決まっていた事なので仕方ないと言えばそうなのだが、シオンと一緒にいない方がこれ以上うつされなくて済むからなどと言って出掛けてしまったのである。

インフルエンザは落ち着いたものの、新たな問題が。
手と足がざらざらして、痒い。
よく見ると、小さな赤いぷつぷつが沢山!
病み上がりで、体が弱っているから?と思ったが、それなら何故寝込んでいる時は何とも無かったのだろう。
最近変わった事……と考えていると、思い当たる節が。
そう、薬を飲んだ事である。
タミフル以外の薬も出されたので一緒に飲んでいるが、一応タミフルを調べてみると、「重い副作用」として、「蕁麻疹、全身発赤」というのがあった。
しかも、「滅多にないが」と但し書きが。
じゃあ私は、もしかすると、その稀な患者の1人?
うわーん。
月曜日に、もっかい病院行って来よう……。



2007年03月02日(金) 怯むな大阪市!

2月20日分書きました。


大阪市でまた、「市」対「ホームレス&支援者」で揉めているというニュースを見た。
何でも、今まで受理されていた住民登録を、居住実体が無いからと市が一方的に登録抹消を始めると言った事で、何でやねんと騒いでいるらしい。

大阪って、しょっちゅう宿無し関連で揉めているイメージだ。
報道は「ホームレスに対する人権侵害! 住民登録が出来ないと、選挙権も年金も貰えないのに、一方的に抹消するなんて酷い!」という感じで、随分宿無しさん達の肩を持っているように聞こえた。
しかし一方的って……一方的に宣言して公園に住み着いているのは、どこのどなたなんでしょうか。
しかも、選挙権も年金も欲しいんだよね?
国民の3大義務って、何だっけ。
納税・教育・勤労なんだが、教育はさておき、彼等は細々と勤労しているようだが、果たして納税はしているのだろうか。
義務を果たさずして権利だけ貰おうとは、盗人猛々しい。

悪いのは宿無し達だけではない。
「支援者」といって、炊き出しだの警官隊との小競り合いだのに参加して、俺は人権のために体張ってるんだぜ!みたいな顔をした連中である。
こいつ等が1番性質が悪いと、私は思う。
本当に支援する気なら、一時凌ぎの食い物を恵んでやるだけじゃなく、彼等が社会できちんとした立場で働けるように支援してやらんかい。
それこそ、市民の憩いの場である公園なんかじゃなく、お前ん家の軒先を住居として提供してやれよ。
「うちはマンションだから……」とかいう言い訳は要らないからな、そん時ゃ一部屋ぐらい空けて住まわせてみろ。
それぐらいやったら、立派だと思うよ。
それを、何かあったらしゃしゃり出て来て、
「俺は他人のために、こうやってお上に楯突いてるんだぜ!」
みたいな事やってるだけじゃ、そんなのただの自己陶酔にしか見えないんだよ。
こういう連中はどうせ、核マルだの赤軍派だの、若い頃に学生運動やって「思想のためにお上に楯突く俺ってカッコイイ!」とか酔ってた元学生なんじゃないかと思ってしまう。

それと、弱者の味方=正義の味方を気取ったTV局の報道を見ると、実に腹立たしい。
本当に守られるべきは、まともな市民生活を送っている人間じゃないのか?
普通に働いて税金を納めた人が、その税金で管理された公園を、憩いの場として使う事が出来るようにする事が、本当なんじゃないのか?
お金が全てじゃないし、村上ファンドの長みたいに「納税している人を讃えましょう」なんて馬鹿な事を言う気は更々無い。
だが、義務を果たさずして権利だけ求める奴を、私は大嫌いなんだよ。



2007年03月01日(木) タミフル飲んだ

☆↓ちょこっと下、2月18日&19日分更新。


昨夜から熱が出て、1日を布団の中で過ごした。
1時間おきに目が覚め、寒さでガクガク震えたり、暑くて汗びっしょりになったりの繰り返し。
トイレに立つのすら億劫だった。だって寒いんだもん。
普通の寒さではないのだ。
ブルッと足許から這い上がって来る身震いが、何とも嫌あな感じなのだ。

夕方4時、主人が帰って来た。
「どうしたの? 今日は飲み会だって言っていたのに」
「うん。幹事だったんだけれど、他の人にお願いして帰って来たよ。病院には行ったの?」
ううん、何をするのも嫌だったから行かなかった、と答えると、じゃあ今から行こう、と言われた。
午前中よりはまだましだったので、すぐに着替えて病院に連れて行って貰った。
もしかして、心配して帰って来てくれたの?と訊くと、
「いや、僕も具合悪かったから。職場で熱を測ってみたら、37度5分だったんだよね。もしかして、うつされたかなあ」
と言っていたが、多分、飲み会<奥さん なんだよね、と思って安心した。
というか、そう思いたい。

病院で熱を測ったら、39度だった。うひょひょ。
長ーい綿棒で鼻の奥の粘膜を採取され、座薬を入れ(これは自分で。でも病院のトイレって嫌い)、すぐに処置室にて点滴。
点滴しながらぼーっと寝ていると、ドクターが入って来た。
「やっぱりインフルエンザでした。A型です」
A型……? 私はO型なんだけどな……ああ、インフルエンザがA型なんだ……。
理解するのに少し時間がかかった。熱のせいだと思う。多分。
ドクターは続ける。
「それでですね、今話題のタミフルなんですが」
タミフル!! ドキドキ。
「厚生労働大臣は、タミフルと異常行動との間に因果関係は認められないと言ってましたがね。ありゃやっぱり因果関係はあると思いますよ(後日、別のドクターも同じ事を言っていた。これが現場の共通認識というものだろう)。但し、今のところ、タミフルに代わるインフルエンザの薬が無いんです。そして異常行動は、未成年者の、しかも特定の条件でしか出ないんですよね。成人や高齢者の異常行動例は全く報告されていないんです」
と丁寧に説明してくれたので、安心してタミフルを飲む事にした。
失言する機械が馬鹿の一つ覚えみたいに「因果関係はありません」と言うより、こっちの方がよっぽど安心出来る。
そうじゃないと、厚生省は中外から賄賂貰ってんじゃないかと余計な勘繰りもしたくなるというものだ。

点滴が終わると、看護婦さんが、
「ご主人が大分前からお待ちですよ」
と耳打ちしてくれた。
点滴の間、時間がかかるから、1時間後に迎えに来てと言っておいたのだが、それよりも早くから来ていたようだ。
それが、妻を心配する夫として、看護婦さんには微笑ましく映ったらしい。
しかし実際は、
「買い物が済んだから、そうだ待合室で漫画でも読もうと思ったんだけれど、さっきは誰もいなかったのに人がいたからさ、この歳で漫画も恥ずかしいじゃん。だから何もしないで待ってたの」
と、微笑ましいというよりは、間抜けな話であった。
「インフルエンザ確定だから、貴方も診て貰ったら良かったのに」
座薬と点滴とタミフルで少し落ち着いた私が言うと、彼は
「いや、根性でもインフルエンザには罹らんぞ。自慢じゃないが、今までインフルエンザにだけは罹った事がないんだ」
と妙な意地を張る。
「シオンもタミフル飲んで、大人しくしてるんだよ。全裸で外に飛び出して、途中で我に返って、岩に頭を打ち付けて死んだりしないでね」
そんな死に方嫌です。


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