喉が痛い。 部屋が乾燥していたかなあ、マスクして眠ればよかった〜と思っていたが、午後になってからどうにもだるい。 布団を敷いて寝た。
夜、目が覚めてトイレに起きると、丁度主人が帰って来た。 具合悪いから寝てたと言うと、 「僕も寒気がするんだよ、震えが止まらなくって」 「貴方もなの? 私達って、仲良しね♪」 「タミフル下さい。飛び降りますから」 ぶはあ。 やっと熱の下がった妹(多分こいつが犯人。何故なら私は昨日まで里帰りしており、妹は40℃の熱を出して実家で寝ていたのだから)は「タミフルでも飲んどけば〜?」と言って来たが、流石主人は違う。 この人の、こういうところが好きだ(笑)。 彼は続ける。 「飛び降りようとしたら、止めようとした妻をベランダから突き落としてしまったんです。1階のベランダから落ちた妻は、頭を強打して……」 何故そういう馬鹿な事が、次から次へと口から出て来るのだ、この人は。
「熱は?」 と彼に訊かれた。 「わかんない」 「計ってないの?」 「うん。だって、こないだ電池がなくなって、その後まだ買えてないもん」 「……」 だって、お店に置いてなかったんだよう。
2007年02月27日(火) |
東北新幹線を止めた男 |
その日、私は仙台駅に居た。 実家から、主人の待つ自宅に戻るためである。
駅では、こんなアナウンスが流れていた。 「那須塩原駅付近で、お客様が線路に入ったため、下りの東北新幹線が遅れております」 うわああ〜、迷惑な奴だな。 何故線路に? こないだのお巡りさんを死なせた女みたいな自殺志願者か、それとも新幹線の写真を撮りたかっただけの迷惑新幹線マニアかわからんが、どっちにしろ碌な奴ではないな。 大抵の人間は、生きている内に1度はJRを利用する。つまり、JRにとってのお客様だ。 しかし、こんな奴を「お客様」呼ばわりする必要は無い! 普通に新幹線を待っているお客様の方が、よっぽどお客様だし。 後でネットで調べたところ、こいつは28歳の男だったようだが、名前も職業も出ていないし、私が知る限り、TVでこのニュースが流れる事は無かった。 (翌日ワイドショーでちらりとやっていたが、おふくろさん騒動で、耳毛作詞家の住む青森に向かう新幹線に森進一が乗っていたという話で、ちょこっと触れられていただけであった) という事は、キ印だったのだろうか。 何にしろ、迷惑である。 いっそ轢かれてしまえば良かったのに! でも、ホントに轢かれちゃったら、新幹線がもっと遅れてもっと大変だったか。 あ、19日にも、携帯メールに夢中になっていて線路に落ちた馬鹿女がいたな。 こいつも轢かれちまえば(以下同文)
私も以前、乗る予定の電車が遅れた事がある。 私は実家に戻るだけだったので遅れても大した事は無かったが、お仕事の人は本当に大変そうだった。 ビジネスマンと、回って来た車掌さんとの会話。 「19時までにBに行きたいのですが……」 「申し訳ありません、その時間には無理かと。18時にA駅に着きますので、そうしますと18時25分の乗り換えで、B駅には19時何分になります」 「19時から会議なんですが……」 「申し訳ありません」 こんな感じで、本当に災難だなあと思ったものだ。 その時は線路侵入じゃなくて雪で遅れたのだけれど、やっぱりJRのせいではないから、どうしようもないよなー。
1月29日未明、埼玉県熊谷市の民家が全焼し、老夫婦と5歳の孫が焼死するという出来事があった。 それが実は、老夫婦の娘で5歳児の母親、斉藤綾(26)による放火だったと判明。 彼女は自宅に灯油を撒いて火を着け、自分の実の両親と、自分の腹を痛めた幼い息子を焼死させた訳である。
しかしまあ、出るわ出るわ……この女、結婚したものの離婚して、子育ては親任せ、自分は夜遊びし放題の生活だったらしい。 凄いなー、本当にこんな母親っているんだ……。 先日会った私の友人は、里帰り中のお気楽実家生活だったが、ちゃんと子供の面倒は看ているようで、 「自分の子供って可愛いよ。子供を殺すとか一緒に死ぬとかニュースで見るけれど、そんなの絶対にあり得ないね」 と言っていた。 まあ彼女は歳も歳なんだけれど、極めてまともに母親業をしているようで、友人として本当に安心した。 さて、この放火母だが、夜遊びを母親に窘められ、それで怒って火を着けたのではないかと見られている。 凄い逆切れである。
調べに対して、「死にたい」と言っているようだとの報道を聞いて、私は思わず、 「こないだ線路に入って、代わりにお巡りさんを死なせた女もそうだったけどさ、死ぬ死ぬ言っている奴に限って死なないよねー」 と言ってしまった。 それを聞いていた父親も 「確かにそうだなあ」 と同意していたが、それは本心かどうか。 だって私は、この家の王様なのだから……。 あれ以来、実家の家族の言う事に対しても、疑心暗鬼である。
私は里帰りしていて見なかったのだが、「世界の果てまでイッテQ!」とかいう番組で、欧州1の美人大国だというブルガリアで美人を探すという企画をやっていたという。 その方法は、「あなたが美人だと思う人を紹介して下さい」と次々に紹介して貰って美人を辿り、その10人目を1番の美人と認定する、というもの。 そして、その番組を見ていた主人によると、 「9人目がシオンに似ていたよ。惜しかったね」 と言うのだ。 惜しいというより、9人目が私って、それは客観的に見て、大して美人ではないだろう。
後日、インターネットで調べて主人に見せたところ、 「あれ? 9人目じゃなくて8人目だったかも」 と言う。 順位、下がったのかよ! そして色々な人がこの番組について書いたものを見ると、7人目と10人目が本当に美人だったらしい……間の8人目9人目じゃなくて、7人目か10人目に似ていた方が良かったのに。 まあ、言っても仕方ないのだが。
しかしこれは主人の言う事で、私は8人目も9人目も自分に似ているとは思わなかった。 私より、私の従妹に似ているかも。垂れ目具合とか色の白さとかが。 でも、どっちも普通の日本人なんだけどなあ。
数年振りに、友人に会って来た。 小学校からの付き合いなので、一応幼馴染という事になるのか。
彼女も結婚して、子供がいる。 子供には初めて会ったが、これが予想外に可愛い。 一般的に「悪魔の2歳児」と言うので、どれほど悪魔なのだろうと覚悟して行ったが、天使じゃん! 丁度ご機嫌の良い時間帯だったからか、騒ぎも泣きもしないし、とても良い子だった。 彼女と私が話をしていると、隣室から次々と指人形を持って来て、 「これはドキンちゃん、これはアンパンマン……」 とテーブルに並べてくれる。 おいでーと言うと、とことことやって来て、私の膝にちょこんと座る。 軽いわあ。 そして頭をくんくんすると、いい匂いがした。 子供の匂いだ。 本人の了承を得てほっぺにも触らせて貰ったが、つるつるすべすべのぷにぷに! 羨ましいわ〜……。 しかし友人曰く、 「でもねえ、赤ん坊のほっぺはもっとつるつるのすべすべなんだよ。人間って、生れ落ちた瞬間から老化の一途を辿るんだねえ」 と。 なるほどなあと思った。 携帯のカメラを向ければ何故か決めポーズは全てヘン顔、そして1秒しかじっとしてくれないので、撮れた写真は全てボケボケであった。 そう言えば、ペット屋で犬の写真を撮らせて貰った時もそうだったなあ。 携帯のカメラもデジカメも、シャッターボタンを押してから実際に写真が撮れるまで、タイムラグが生じる。 その間に犬が動くので、私が撮る写真は全て、犬のおしりだったり犬のいない風景だったりするのだ。 どうも私は、写真家としての才能が無いらしい。 今回撮れた子供の写真も、どうにも微妙なのばかりであった。
まだまだ可愛いけれど、これからどんどん重くなって、どんどん悪い言葉を覚えて、どんどん可愛くなくなって行くのよね……。 でもそれに(反)比例して、どんどん賢くなって、どんどん役に立つようになって行くのだ。
またの再会を約束して別れたが、自分の母親に育児を丸投げしている様子も無く、きちんと躾もしているようだったし、彼女がいい母親の顔をしていたのに、とても安心した。
夕方の報道番組の1コーナーで、妻が夫に暴力を振るうという、逆DV夫婦を取り上げていた。 その推定年齢30歳台の夫婦は、気の弱そうなご主人と太り気味の奥さんという組み合わせである。 一見普通の夫婦なのに、どこがどう問題なのだろう。
夕食後に2人でTVを見ていると、ご主人がうとうとし始める。 すると、奥さんは怒るのだ。 「折角の2人だけの時間なのに、どうして寝るの!?」 ええっ、そりゃ仕事して帰って来て、その上家事まで全部させられるんじゃ、疲れて眠くもなるでしょ。 それにお腹が膨れてるんだし、そんなの当たり前だと思うんだが。 奥さんは怒り続ける。しかもねちねちと。 そしてご主人の足を蹴る! 私も仕事で疲れた主人に食事の支度から後片付けをさせる事もあるし、大概鬼嫁だと思うが、この女に比べたら天使だよ。 感謝の心も無いなんて、あり得ないよ、この思考回路。 ところがご主人は、その間ずっと、黙って俯いているのだ。 昔「おしん」であったなあ。 「下を向いていれば、嵐は頭の上を通り過ぎて行くものだ」 というような台詞が。 しかし彼には非が無い筈なのに、何故言われるまま? こっちもこっちであり得ないよ……。
その後、専門家が言っていた。 「暴力を受ける方も、止めて欲しいという意思表示をしないと、どんどん暴力はエスカレートする」 と。全くその通りだと思う。 しかしこれは、暴力亭主を持つ妻でも同じ事だ。 妻が被害者の場合、大抵夫だけが悪いと言われる事が多いが、それを助長する妻も悪い。 ガンジーだったか、「無抵抗の抵抗」という人がいたが、そんなのは加害者にとっては屁でもない。 大抵こういう暴力は、被害者の死で終わりになる。 生きて離婚した堀ちえみもいるが、彼女も暴力亭主に逆らわず、びくびく怯えて暮らしていたという。 ところがその態度が、暴力亭主の中の加虐嗜好に火を着けるんだよな。 そして加害者にも良心はあるので、暴力を振るってすっきりした後我に返り、埋め合わせのためにすんごく優しくなるのだ。 しかし時が経つとまた同じ事の繰り返し。 下手すると、どんどんエスカレートして行く。 因みに私は加虐嗜好の気があるので、暴力亭主の気持ちは少しはわかる。勿論私は配偶者に暴力は振るわないが。 (私が振るう暴力は、睡眠中の肘打ちだったり、抱き着こうとして加減がわからず腕で首を締めてしまったりだったりする。いずれにせよ暴力の意思は無いので、無罪という事で……)
帰宅した主人にこの話をすると、やはりあり得ないと言っていた。 そして、そんな女を妻にした夫も馬鹿だと。 まあ結局、割れ鍋に綴じ蓋なのか。
横田夫妻が、来日中のチェイニー副大統領に面会し、アメリカは北朝鮮のテロ支援国家認定を解除せぬよう求めたという。
そう言えば、最初は「北朝鮮とは差しで話しはしない」と宣言していた筈のアメリカだが、いつの間にか2国間協議をやり、どんどん北朝鮮の要求を飲んでしまっているようだ。 (上手いな北朝鮮。常に弱腰な日本も、こういうところはもっと見習った方がいい) そして今度は「我が国は、テロ支援国家ではない」と言っている訳だ。 なるほど、確かに「テロ支援国家」というよりは「テロ国家」なので、言い分はその通りかも知れぬが、悪の枢軸である事には変わりない。 しかしこれ以上、北朝鮮の我が儘を通してはいけない。 もっと制裁を!というのが、拉致被害者&その家族である。
ここでいつも思うのだ。 昨年4月に、早紀江夫人が訪米して、ブッシュに面会した時もそうだった。 何故、何かあるとすぐアメリカに泣き付くのだ? まずは、日本政府が何とかすべきだろう。 日本は、独立した1つの国家である。 アメリカの属国ではないのだ。 しょっちゅうアメリカから無理な要求をされ、それを飲んでいるが、それではいけないのだ。 国民としては、うるせえ口出しすんじゃねえよ!ぐらい言って欲しいと、いつも歯痒く思っている。 それなのに、困った時のアメリカ頼みってどうなのさ。 確かにアメリカは自称世界の警察官だが、普通の警察よりよっぽど性質が悪い。寧ろ悪代官である。 言う事聞いてやらん事も無いから、あれをしろこれをしろと、ますます日本への要求が酷くなるやも知れぬ。 では拉致被害者家族はどうすれば良いのか。 まずは自国である日本に、それでも駄目なら国連に言えば良いのだ。 日本が何ともしてくれないからじゃあアメリカに頼もう!という気持ちは解らんでもないが、それは違うと思う。 そして日本政府は、他国との連携も結構だが、他所は他所うちはうちという断固たる姿勢も大切なのではないだろうか。
ところで、めぐみさんはじめ、未だ還らぬ拉致被害者はどうなっているのだろう。 うちの主人は、もう死んでいるのではないかと、もっと正確に言えば、北朝鮮に消されているのではないかと推測している。 死にましたと発表した以上、後になって、実は生きてましたというのもおかしいし、生かしておくのは北朝鮮にとって危険だから消してしまったというのは、なるほどあり得る事だろう。だって北朝鮮だし。 主人は言う。 「ずっと待ち続けている家族は気の毒だけれど、そう考えた方が妥当なんじゃないかな」 うーん、やはり超能力捜査官しか判る人はいないのか。
今回の「デスパレートな妻たち2」には泣いた。 アメリカでは、今の日本よりも普通に且つ簡単に養子を貰えるものと思っていたが、結構大変らしいと知った。 本決まりになるまでは、実の親の気分次第で仮親は子供を手放さなければならないなんて、あんまりである。
日本では、ドイツに倣えと、どこかの病院が「赤ちゃんポスト」なるものを導入するなどと言い出して、議論を呼んでいる。 因みに、私は反対である。 こんなものを設置したら、出来ちゃったけどどうしよーと言っているうちに堕ろせなくなって産んじゃったけど育てらんないからポストに入れちゃえーでも殺すよりマシだよね☆なんていう馬鹿を助長させる事間違い無しだと思うからである。 しかもこういうのに限って犬のように安産で、ポコポコ子供産むのな。
「赤ちゃんポストなんて、名前が悪い。赤ちゃんを物扱いしている」 などとおかしな所で突っ込みを入れる人もいるが、そんな事は本質ではない。 しかし私も赤ちゃんポストという名前には反対だ。生易し過ぎる。 どうせなら子捨て箱にすれば良い。 子供を望むものの不妊という夫婦は、結構いる筈だ。 そういう夫婦がもっと気楽に養子斡旋所に登録する事が出来るようにし、親になる資格があるかどうかを、しかるべき機関が審査する。 捨てられた子供は、そんな夫婦に養子にやれば良いのだ。 そして、子供を捨てた親は、その子に2度と会えないようにするのだ。 そうでなければ、子供も施設も、養子に迎えようとする夫婦も、コロコロと気が変わるだろう実の親に振り回される事になってしまう。それでは余りにも気の毒だ。 人生、どうにも取り返しのつかない事があるのだ。 子供を捨てるなら、それぐらいの覚悟で捨てろという事である。
こう言うと、「捨てられた子供が長じて、実の親に会いたがったら?」という人がいるだろう。 しかし、自分の出生を知り、実の親の素性を知り、再会を果たす事が本当に幸せだろうか。 それよりも、育ての親でも、慈しんで育てられる事の方が幸せなのではないかと私は思うのだ。
我が家にも子供はいないが、正直養子が欲しいかというと、今のところ微妙である。 主人はどんな子でもいいから欲しいと言うが、私には、そこまでの覚悟は無い。 以前、スーパーで実母に捨てられた子供がいた。 悪いが、余り聡そうではない子供であった。 そして暫くして見付かった実母は、ウヘェという感じの人であった。 「あんな酷い親の所に返すぐらいなら、私が引き取るよ。子供なんて3人も4人も同じ!」 という人がいたが、正直偉いと思った。 私は無理だわ……モズやホオジロのように、カッコウの子供を育てるなんて。 それに、子供のうちは良くても、長じて遺伝病が出る場合もある。 遺伝的な精神病の女性が子供を産み、到底育てられないので遠くに養子に出したが、担当者は母親の病気を一切伏せて、その子を養父母に渡した。 酷い話だが、実話である。 藤沢周平の「蝉しぐれ」のように、子供のいない夫婦には、どちらかの兄弟にあたる、子供の複数いる夫婦から養子を貰うというシステムは、合理的だと思う。 それに、血が繋がっているというのは、やはり安心だろう。
アパート暮らしなので、我が家の郵便受けには頻繁に、様々な工務店のちらしが舞い込む。 営業マンが直接訪ねて来る事もあるが、転勤族だと言って、全てお断りしている。 勿論、主人の上司や同僚には、便利な所に建てた家に妻子を残して本人は単身赴任という人も少なくないが(稀な事案として、田舎の農家のような古民家を買って住み、ペットとして牛を飼っているらしいという話まで流れた人もいる。流石に牛はなかったが、否定されるまで、さもありなんと皆納得してしまっていたのが可笑しかった)、家族がバラバラに暮らすなんて私には考えられない。 尤も主人の頭の中には、近い将来彼の親が1人になったら、家を建てて引き取る考えがあるようだが、私としては何とかして回避したいものである。
素敵な家作りを応援しますなどと書かれたちらしを見ながら、主人が言った。 「『地下室がある家』だって。いいなあ」 私が子供の頃から抱いている地下室のイメージは、酒樽やロープやがらくたのある暗い物置だが、最近のは違うらしい。 防音が施されて、一家の主が趣味のために使える部屋なのだそうで、随分とお洒落である。 「好きな音楽をヘッドホン無しで、近所に気兼ねせずに聴けるなんて、いいよなあ」 彼はうっとりと言った。 「そうよね、地下室って防音がいいらしいわね。地下牢とか、叫んでも声が外に漏れ難いって言うし」 と主人の空想に水を差す妻。 「それに、自分の家なら犬を飼えるからいいよなあ」 またもやうっとりする主人は、無類の犬好きである。 私も犬は嫌いではないが、どうにもアレルギーの気があるのだ。 それに、飼えば慣れるのだろうが動物の匂いはやはり気になるし、寄生虫など衛生面も気になる。 おまけに動物は保険が利かないため、治療費が恐ろしく高いと聞く。 「犬ねえ……飼うなら庭じゃないとね。ペットは家族じゃないもの、幾ら可愛くても所詮人間じゃないわ」 「僕も、ペット=家族という考えは好きじゃないな。でも飼うなら一緒に家の中で生活したいなあ。子供の頃からそれが普通だったし」 と私に合わせようとしながらも、譲らない所は譲らない彼。 「でも私は家の中で飼うのは抵抗があるな。アレルギーがあるし。それに、子供のいない夫婦が犬を飼う図って、好きじゃないのよ」 「どうして?」 と、きょとんとする主人に、私は言い放った。 「だって、痛いじゃない。子供の代わりに犬を可愛がっています、って感じが嫌なの。犬を猫可愛がりして『うちの子』とか呼ぶのって、どうなのよ? 所詮犬なんて、永くて10年一寸の命なのよ。人間より先に死んじゃうし、そしたらペットロスとか言って鬱になったりしてさ。犬は子供じゃないのよ」 うはーまた私ってば冷たい事を言ってるわ、でもこれが私の本音なんだからなあと、つい言ってしまった。 また退かれるかしらと思いつつ彼を見ると、 「じゃあ、猫可愛がりしなきゃいいじゃん☆」 って……うーんそれは一寸違う。 「つまりね、私が言いたいのは、子供がいてその上でペットを飼うのは、教育上宜しい事だけれど、子供がいないのにペットを飼うのはどうにも嫌なの。傍目に痛いと思うから、自分はしたくないの」 きっぱり言われて、主人は少ししょぼくれてしまった。 ごめんね、でも私はそうだと思うの。 子供はペットじゃないし、ペットは子供じゃない。 頭で理解していても、きっと感情は代理を求めてしまう。
2007年02月19日(月) |
東京マラソン2007 |
私は、マラソンが嫌いだ。 小学校低学年の頃はそこそこ足は速かったが、喘息を患い、走るのが辛くなってからは、毎年マラソン大会の日が近付く度に、如何にさぼるかばかりを考える子供だった。 今は大人になって、強制的にマラソン大会に参加させられる事も無くなった。 大人っていいなあ!
2月18日日曜日、東京都では東京マラソンという行事が行われた。 市民ランナーも3万人ほど参加したらしい。 しかもこれは抽選で、応募者数は10万だったとか。 勿論、強制参加ではない。奇特な人々だ。 「東京の名所を見ながら走る」のが売りだと言うが、普通に考えて、走りながら景色を楽しむ余裕なんてあるのか疑問だし、あんな空気の汚い所で走ったら余計に健康に悪いと思うのだが。 それでも参加する人がいるというのには驚きだ。 しかもかなりの年寄りまで参加して、途中で倒れる人もいたという。 ……何故倒れるまで走るのか不思議なのだが。そこまで苦しくなる前に、自分でリタイヤしようよ。迷惑だし。 救助した人のインタビューなんかをTVで見たが、一体何のための大会だったのかと思う。 まあ人助けはいい事だけどな。 ……でも何だか釈然としないのだ。
出勤前、一緒に朝のTVを見ていた、やはりマラソン嫌いな主人は、 「凄いな、バナナと水が出るのか。てか、雨の中走って、バナナと水だよ? そんなにバナナが欲しいのか」 と、大会のために用意された3万本のバナナと飲料水に驚いていた。 「ホームレスなんかが沿道からひょこっとあの中に紛れ込んで、バナナ貰ってさっさと帰ったりしないのかな」 とも心配していたが、参加費用は1人1万円と、一応のホームレス対策はしていたようである。 しかし、1万円払ってまで雨の中走ってバナナかよ……どんな苦行だ。 いや、寧ろ1万円払ったからこそ、雨だろうが倒れるまで走ってやるという事なのか。
大会は大成功!みたいな方向の報道だったが、一体この東京マラソンに、どれだけの費用がかかったのだろう。 日刊ゲンダイによると、「予算は12億5000万円。その内訳は都の補助金1億円、1人1万円(10キロ組は5,000円)の参加費の合計2億5000万円、協賛金9億円」という事だが、これは収入の内訳しかも予算で、支出の内訳が判らぬ。 問題は支出だ。 バナナ代や水代、仮設トイレ代、その他諸々に一体幾らかかったのか、インターネットでは簡単に答えが出て来なかった。 東京都にでも問い合わせれば良いのだろうが、私は都民ではないので止めておく。電話代もかかるし。 それにしても、莫大な費用がかかった事は間違い無い。 果たしてこれが、参加費と協賛金で賄えたのかどうか、気になるところである。 仮令賄えたとしても、動員された警察官5,000人の手当、これは税金から支払われるのである。 ボランティア(しかもこのボランティアセンターが、あの笹川スポーツ財団内。普通はここで、参加を見合わせるものではないかと思うのだが……)を募って、市民参加型のマラソン大会!みたいな雰囲気にしようとしても、そんなのは、まやかしに過ぎないのだ。 でも皆まやかされちゃうんだろうなー。
どうにも石原都知事はこういう派手なビッグ・イベントがお好きなようだが、税金の支出を抑えるためにと都響の給料を下げたくせに、こんなところに湯水のように税金を遣ってしまうのは如何なものかと。 それと、自分の飲み食いぐらい自分の懐から出せよ。そんなんじゃ折角の都響の質が落ちるぞ。
主人の携帯がいよいよ駄目っぽいので、一緒に買いに行った。
お気に入りのラーメン屋でお昼を食べ、そのまま近くのドコモショップへ。 主人の審査は厳しい。 「どれでもいいよ」と言いながら、あれこれ煩いのだ。 今持っている1台目の携帯電話は、私が適当に1円の物を選んで買って来たのだが、これが幸いにも、本人には丁度良かったようだ。 それまで携帯電話という物を良く知らず、まあこんな物かと思って使っていたの主人だが、次に買うとなると、前の物との比較になってしまう。 「今の奴より薄くて軽くてコンパクトなのがいい」 と余計な注文が増える。 店内をぐるぐる回り、ああでもないこうでもないと見ていたが、 「無い」 の一言。 「じゃあどうするの? ソフトバンクかauでも見に行く?」 と私が訊くと、 「ううん、もう面倒臭いから帰る。それに、こないだは通話不能だったけれど、あの後何故か復活して、今は使えるようになったから、また暫くはこのままでいいや」 じゃあ今までの時間は一体何だったのかと……。 「待って!」 私は、さっさと店を出て行こうとする主人に声をかけた。 「私の携帯買ってもいい? 可愛いのがあったんだけれど……」
主人の携帯電話を買い換える筈が、私のを買い換える事になった。 ここで、カメラ機能がイカれた半年前に来ていれば、無償で修理して貰えたという事を知る。一寸しょっく。 何でもそうなのだ。おかしいと思ったら、その時に訴えなければ!と心に刻む。(何度目だろう……) どうにも最近の携帯は、矢鱈とスタイリッシュで機能的で、可愛さに欠ける。 そう、こういうのがいいの!という物に巡り合ってしまったので、迷わず決めた。 すっぽりと片手に収まる大きさと形、ほわ〜んとした色合い、お洒落な模様がすっかり気に入ってしまった私は、 「可愛いでしょ♪」 としつこく何度も主人に見せていた。 しかし頑として相槌を打ってくれない主人……まあいつもの事だが。 非の打ち所の無い携帯と思っていたのだが、買ってから、案外使い辛い事が判明。 パカッと開かないと、写真機として使えないのだ。今までの奴と違うので、これは不便。 そして買ってから気付いたのだが、これまた三菱電機の製品なのだった。 という事は、これもまた1年半でデータでパァになり、2年後には写真機として使えなくなるのか……?
2人とも手が利かないのでは仕方が無いので、私も何度か病院に行ってみた。 1回目は痛くない注射を打たれた。 これなら楽勝じゃん♪と思っていたが、待合室に戻ると、針を刺した場所が徐々に膨れて、痺れを伴う痛みが! 看護婦さんに訴えると、 「お薬が吸収されれば元に戻りますから、大丈夫ですよー」 と言われたが、痛みに弱い私には、泣きそうなほど痛かった。 勿論大人なので泣かなかったけれど! 2回目は痛い注射を打たれた。 実際は痛くはなかったのかも知れないが、ぶっとい注射器の中に、透明な液体が並々と入っていたので、視覚的に痛かったのだ。 それってホントに指示通りなの!? 医療ミスじゃないよね!? そんなに大量の液体を一度に入れたら死んじゃうよ、もっとゆっくり注入してよ!! と心の中で叫んでいたが、どうやら看護婦さんに私の声は届かなかったらしい。 「ハイ、終わりましたよー」 と絆創膏を貼られた後も、死ぬかも死ぬかもとヒィヒィ心の中で泣いていたのだった。
この歳になっても、注射って怖いわ……。 小さい頃はしょっちゅう点滴受けていたし、献血も大好きなんだけれど、刺す瞬間に痛みの全てが決まるからねえ。 因みに主人も、子供の頃から、注射・点滴には日常的に世話になっていたらしい。 そして、1度も注射で泣いた事がないと言う。 何故なら、注射をすると、体調が良くなる事を知っていたから。 注射の痛みより、具合の悪さの方が耐え難いんだと。 子供の頃、おしりにぶっとい注射をされて泣き喚いた私の負けである。
2007年02月16日(金) |
想像してみて下さい……ギャー!! |
事故から丸1日経って、昨夜包帯を替えた時の主人。 「痛い……昨日の30倍位痛い」 とべそをかいていた。 痛みに慣れていると言うより、一寸鈍感なのでは?と思ってしまった。
仕事中の主人から、電話があった。 「保険証持って来てー」 病院に行きたいんだってさ。 今になってたまらなく痛くなって来たんだとさ。 馬鹿じゃないの、もう……そんなの当たり前だろ。 だから早く病院に行けと言ったのに。 本人は、放っときゃ治るとか言っていたが、放っておいたら化膿するだろうが。
保険証を届けた序でに、病院まで車で送って行く途中の話。 「皆に、『その指、どうしたの?』って訊かれるから、訊く人訊く人に『爪削いじゃった』って説明すると、皆蒼い顔して『ごめん、話さなくていいよ……』って遮っちゃうんだよねー」 いや、いたって普通の反応だと思うよ。 だってだって、爪が半分しか残っていなくて、後は赤い肉が見えてるんだよー!? 自分がそうなったら、と思うと、誰だって頭を掻き毟って、ウギャ〜〜〜〜!!となる筈だ。 面白いのは、爪に関するその手の話が極端に苦手な主人が、いざ自分の爪に災難が降りかかると、全くもって平気な顔をしているという事である。 曰く、 「他人がウギャーな反応をするのを見るのが楽しい♪」 んだそうで……このサドが。 私がそんな目に遭っても、絶対に爪の話なんて聞いてくれないくせに!
手の痛みが治らん。 しかも、痛い指を庇って負担がかかるからか、別の指まで痛くなって来る始末。 これでは、ゲームも暫くお預けだ。
食事の支度と後片付けは、主人に丸投げ☆ ところが。 主人が何やら呼ぶので、台所に行ってみると、こう言われた。 「ティッシュ持って来て。それと消毒薬とガーゼと包帯もお願い」 うへえ……。 庖丁でスパッと切った、ぐらいならまだいい。それなら傷口は数日でくっ付くのだから。 彼は何と、爪半分を削ぎ落としてしまったのだった。 「んで、爪はどうしたの?」 と訊くと、ごみ箱に捨てたと言う……それって正解なのか? でも、キャベツ塗れの爪をくっ付けておく訳にも行かないのか。 包帯を巻いて、料理の続きをしようとする彼を、私は押し留めた。 この状態で料理をさせたら、それこそ鬼嫁になってしまう。 私も手を痛くしているが、血が出ていないだけ大分マシである。 ああ、でも皿洗いとかすると、また悪化するんだろうなあ。
これで暫く、晩飯は、出来合い決定だな……。
線路に入り込んだ自殺志願の女を助けようとして、重体だったお巡りさんが、とうとう死んでしまった。 で、安倍さんが弔問に訪れたものの、お巡りさんの名前を「ミヤケさん」と言ってしまったと言う……。 因みに正解は「宮本さん」である。
そのニュースを一緒に見ていた主人が、呟いた。 「やっぱり、安倍さんって、頭悪いのかなあ」 気付くの遅っ!! 「だーかーらー、前々から私が言ってるじゃん。安倍さんの頭の悪さは、フジテレビの笠井アナと同じだって」 「それはかなり、頭大ワル子ちゃんだな……。安倍内閣の支持率低下は、総理のリーダーシップの問題かと思っていたけれど、総理の頭が悪いだけだったのか」 それでも、安倍さんに期待したい自分がいる。 口八丁手八丁の小泉よりは、まだマシと思いたい。
ところで、どの番組を見ても、誰もがお巡りさんの死を悼んでいるのに、誰一人として 「お巡りさんじゃなくて、女が死ねばよかったのに」 とは言わないのね……皆大人だわ〜。 そんなに死にたいなら、わざわざ人から見えるような所を選ばず、ひっそりと首吊りでもすりゃあ良かったのに。 飛び降りも酷いが、鉄道自殺は自殺方法の中でも最悪だ。 だって、電車を止める事になるんだよ? 多くの人が迷惑するんだよ? しかも、遺族には多額の損害賠償が請求されるのだ。 こういう奴は死ねと言いたくなるが、死んでまで周囲に迷惑かけんなよと思う。
アンナ・ニコル・スミスと、パメラ・アンダーソンの違いがよく判らなかった私。 金持ちの老人を篭絡した方が、アンナだったのね。 しかし、うまいやり方だよなあ! 老い先短いジジイと法的に有効な結婚をして、1年後にジジイ死亡。何て理想的なパターン。 でも、ジジイに先妻の子供がいたのがまずかったよなあ。あんだけ揉めるなんて。 ま、どれだけ大金があっても、あの世には持って行けない訳だが。
最近の私は、手ん棒生活を送っている。 先週から利き手を痛めているが、一向に良くならない。 良くならないのは、手を使うからだという事が判った。 「手を使わないで安静にしていれば良くなる」 とは言われたが、普通に家事をしていて利き手を使わない訳には行かぬ。 しかし、手を使うと痛い。 ど、どうすれば……と考えて、手を使わなければ良いという結論に達した。 何をするにも、左手メイン。 已むを得ず利き手を使う時も、痛い指は隣の手に添えて、なるべく独立して動かさないようにする。 そうすると、自然に指と指がくっ付いた形になる。 子供時代に「手ん棒」とからかわれた、野口英世の左手のようになるのだ。
困るのは、雑巾しぼりである。 これは、片手では出来ない。 従って、掃除は掃除機をかけるだけ。 これも利き手は使えず、通常より時間がかかる。利き手で掃除機を持つと痛いのだ。 床用ワイパーも試してみたが、利き手を使わないと、自分の意思とは違う方向に行ってしまう上、力の加減が難しいので諦めた。 料理も難しい。 左手で包丁を握るのは流石に怖いので、出来合いの物を買って来て、何とか凌いでいる。
有体に言ってしまうと、家事の放棄である。
いや、勿論必要最低限の事はやる。 しかし、必要最低限の事しかやらない。 当然、負担は主人へ……悪いとは思うが、仕方あるまい。 食事の後片付けが嫌になった彼が言った。 「明日は外食にしようか」 「嫌。この前贅沢をしたばかりだから、暫く節約生活しましょうよ」 と私が拒否すると、彼は言った。 「シオン、それじゃあまるで、巨万の富を銀行に預金したまま死んじゃう人みたいだよ。お金は生きているうちに遣わないと!」 そして、こう語り始めた。 「落語で、蕎麦通の話があるんだけれど、知ってるかい? 『つゆなんてのはなあ、蕎麦に一寸だけ付けるもんなんだよ。どっぷりつゆに漬けちまったら、蕎麦本来の味がわかんねえだろ!』と言っていた蕎麦通が、死ぬ間際に、『ああ、おらぁ1度でいいから、蕎麦にたっぷりのつゆをつけて食べてみたかったよ……ガクリ』って死んじゃう話。シオンはそんな感じだね!」 そんな感じって言われても……。 でも、何だか酷い事を言われている、という事だけはよく判った。
昨夜は初めて聘珍樓で晩御飯を食べたのだった。 そう、聘珍樓デビュー。 聘珍樓なんて、冷凍のやつしか食べた事が無かったのだ。しかも片手で足りるほどの回数。 庶民にとっては、聘珍樓は高嶺の花なのだ。 それを、生で食べられるなんて! 感動的に美味しかった。高かったけれど。 これで、暫く贅沢は出来ないな。
仙台で1泊し、市内の百貨店などをちらりと見て、帰途に着いた。 そしてTVを見ながら、「テスト・ザ・ネイション2007 人間関係力テスト」をやってみた。
感想:最高につまらん。
普通のIQテストの方がよっぽど楽しいよ! 成績もだけれど。 この人間関係テスト、我々夫婦はどちらも偏差値93。 私の場合は初めから予想内だからいいが、主人が93て……。 彼は視力が悪いので、目に頼っていない。 つまり、直感や霊感で、雰囲気を敏感に感じ取り、それで判断する事が多いため、TVの画面を見ながらのテストでは、いまいち点が伸びないのだろうと思われる。 私は前半部分は調子が良かったのだが、後半、特に終盤の「自己制御力」(だったかな? 兎に角、自分の感情を抑制出来るかどうか、という部門)がほぼ全滅だった。 ま、まあ……これも予測は付いた事だが、こっちにつけたら確実に点数が取れないと判っていながらチェックするのも、辛いものがあった。 ところが主人はここがほぼ満点。流石バランス夫婦。 「嫌な出来事を思い出すと、その時の怒りの感情も一緒にぶり返してしまう」という設問で、彼と私の違いがまた明らかになったのだ。 「どうして!? 普通は、嫌な目に遭った事を思い出したら、その時の感情も一緒に思い出すでしょ?」 と驚く私。 しかし彼は首を振る。 「ううん。ああ、そう言えばそんな事もあったなあ、と思い出すだけで、感情までは付いて来ないなあ」 何故……何故だ? 「駄目よ、そんな事では! 『感覚の再現』よ、マヤ! それが出来ないようでは、紅天女は演れなくてよ!!」 と私がキィーとなってみても、彼にはそんな事どうでも良いらしい。 私にとって彼が不思議な生き物であるように、彼にとっては私がそうなのだろう。
2007年02月11日(日) |
松島や ああ松島や 松島や |
連休2日目は、松島へドライブ。 放射冷却現象で、お日様は出ているのに寒い事寒い事。 景色が良くて、お天気も良くて、写真でも撮ろうかと思ったら、 デジカメ、家に忘れて来ました……がっくり。 そして私の携帯電話の写真機能は、相変わらずうんともすんとも言わない。つまり、昨年から壊れたまんま。 折角のお天気なのに〜、折角の旅行なのに〜、折角の松島なのに!!
焼き牡蠣を食べて、御茶屋で甘酒を飲んで、どこ行こうかと言っていたら、こんな建物が目に入った。
そういや、以前松島に来た時にもあったが、時間が無くてスルーしたんだっけ。 「時間もあるし、入ってみる?」 とダーリンに訊くと、 「シオンが入場料の要る所に入るなんて!!」 と大袈裟に驚いてみせていた……何なのそのリアクションは。 ハッ、そう言えばここに来たのは結婚前の事で、あの頃の私はお金命だったのだ。 そうか、あの時は時間もお金もあったけれど、散財に対する罪悪感もあったんだわ……。
中に入ると、1階は入場無料のお土産売り場、2階が有料の展示室になっている。 1人千円ずつの入場料を払って2階へ上がると、年代ものの大きなオルゴールやストリート・オルガンがずらりと並び、その横でおじさんが1台1台説明しながらオルゴールを操作してくれる。 音が大き過ぎて吃驚するが、なかなかこれは、面白い。 現代みたいな便利な機械が出来る前、昔はこうやって、音楽を楽しんでいたのね。 残念なのは、オルゴールが全て、こちらを向いている事。 お人形さんが踊る姿や、 柵の向こうは立ち入り禁止なので、裏側はおじさんしか見られないのだ。 ううむ、出来れば裏側で機械がどんな風に動いているのか、それを見たいのだがなあ。 それでも、へええ〜凄いなあ、面白いねえ、などと囁きながら我々は感心して見ていたのだった。 これはガラクタなんかじゃない、立派な文化財だ。 本当に入場料千円でいいの?と、一寸心配になってしまった。 維持するだけでも大変だろうなあ……。 どうか潰れませんように、ナムナム。
連休1日目は、一寸早いが、バレンタイン・デーのチョコレートを持って、主人の実家に行った。 今年のチョコは、小さい動物シリーズ。 大きなくまさんチョコもいいなあと思ったのだが、主人曰く、 「あの人達の事だから、大きいのは可哀相で食べられないとか言って、ずうっと飾ったままになっちゃうよ」 との事なので、一口サイズの動物チョコの詰め合わセットにした。 喜んで貰えたので良し。 今回は、滞在2時間ほどの訪問なので、私もアレルギーの症状が出ずに御機嫌である。
主人が、赤ん坊の頃のアルバムを見せてくれた。 赤ん坊の頃の写真は、1枚か2枚しか見せて貰っていなかったので、アルバムで見るのは初めてである。 「今と全然顔が違うのねー」 敢えて口には出さなかったが、赤ん坊の頃の彼は、義母にそっくりだ……。 大人になるに連れて、顔が変わったのね。良かったぁ。 でも、今と違わない点を見付けてしまった。 オールヌードの写真を見て、私は思わず、 「見て見て、貴方、今と全く同じ体型よ! ぶはははは!!」 大笑いしてしまった。 彼は、 「酷いなあ」 と言いながら横から覗き込んだが、 「ホントだ、同じだ〜!」 とやはり笑いながら、同意せざるを得なかったのだった。
その後、嫁に笑われる息子を不憫に思ったか、彼が長じて痩せていた頃の写真を義母が見せてくれようとしたが、主人が 「そんなの出して来なくていいから!」 と止めていた。 痩せていた頃の自分が嫌いなのだよね……私としては、その中間あたりでお願いしたいのだが。
ソフトバンクのCMで、高校生ぐらいの女の子達が 「キミちゃんにも電話するね」 「あっいいよ、私にかけるとお金かかるし」 「そっか、ソフトバンクじゃないんだ」 「……ごめん」 「いいよ、キミちゃんが悪いんじゃないんだし」「そうだよ、気にしないで」 というのがあった。 「これって、苛めだよね!」 と言う人がいたが、そうか? 仲間外れだとは思うが、私はこれが苛めとは思わない。 単純に、「仲間外れ=苛め」と取る人が多いようだ。 これって苛め?と主人に訊いてみたら、 「違うだろう。随分あざといCMだとは思ったが、普通に苛めだとは思わないよ」 と言う。やっぱりそうよね。 おかしなところで過剰に反応する人は、物事の本質を判っていないように思う。 最近このCMを見ないと思ったが、もしかするとそのような苦情でも、ソフトバンクに寄せられたのだろうか。
同社のCMと言えば、黒人男性「予想ガイ」。 野口五郎は良かったが、幼稚園児ぐらいの女の子が彼に抱き付いて耳元で囁くCMにはやっぱり 「あれってロリコンだよね、ヤバくない?」 という人がいた……。 何故そこまで過剰反応するのだ? お前はフロイトか? 何が何でも全て性衝動に結び付けたいのか? そこまで深読みする必要があるのか、私には、かなり不思議だった。
確かにCMには、「これは一寸如何なものか」というものもあるし、感じ方は人それぞれなのだろうか。 でも企業としては、クレームがあれば、それに対応しなければならないという事情もあるかも知れない。 以前、何かのポスターで、一寸クレームを付けられただけで全て回収したという話があった。 確かその時の担当者か関係者は、 「1人でも不快に感じる人がいれば、全部回収するべきです」 とかいうコメントを付けていたが、万人が不快に感じない広告などあるのだろうか。 勿論それが理想なのかも知れないが、人間は甘い物ばかりでなく、辛い物や苦い物を好む。 特に、価値観が多様化した現代においては、その線引きは難しくなっているのかも知れない。
2007年02月08日(木) |
恋しい人よ、さようなら |
私が欲しくて欲しくてたまらんと言っていた、例の鞄。 どうやら、廃盤になったらしい。 昨年秋に発売されたばかりなのに、もうオシマイ。 ファッションの世界って、流行なのね。 仮令10万出して買ったとしても、流行遅れになって使えなくなるのかしら。 そう考えたら、買わなくて良かったのかも知れない。
でもやっぱり、欲しかったなあ……。 ほわ〜んなブーツに、よく似合うのに。 宝籤で当たったのが、1万円じゃなくて10万円だったら、絶対買っていたのに。 嗚呼、残念だ。
やっぱり、欲しいと思った時が買い時なんだわ。
6日の記者会見で柳沢大臣が、またまた問題発言。 「若い人たちは結婚したい、子供を2人以上持ちたいという、極めて健全な状況にいる。若者の健全な希望にフィットした政策を出して行く事が非常に大事だ」
これにまた、社民党の福島瑞穂等が噛み付いた。 「1人っ子や子供がいない人は、健全じゃないのか?」というのである。 ここまで来ると、重箱の隅どころか、重箱の蓋、しかもゴムパッキンの中を突付くようなものである。 子供がいない私が気にならない程度の発言なのに、何故そこまで熱くなれるのか、全く不思議だ。 私に言わせれば、子供がいるのに姓が変わるのが嫌という自分の我が儘で籍を入れずに事実婚で済ませてしまっている家庭の方が、よっぽど健全じゃないんだが。
民主党だったかの女性議員は、 「謝って済む問題とそうでない問題がある」 と言うような発言をしていたが、どれだけ謝っても済まないと言うなら、柳沢は腹でも切れと言うのか? ここまで来ると、もうこれは立派な苛めであろう。 いじめカッコ悪い! 子供達に「苛めはいけない事」と教える立場の大人、しかも国会議員が、公然と苛めを行っているのである。 この一連の騒動を見て、判った事がある。 苛めは、苛められる側にも問題があるのだ。 苛める方も大概悪いが、苛められる原因というのが必ずある筈だ。
安倍首相は同日夜、記者団に「そういう言葉に一々反応するのではなく、真意を汲み取るべきだ」と苦言を呈したが、全くその通りだと思う。 人間は、言葉でコミュニケーションを取るが、言葉が全てではない。 勿論、言葉がコミュニケーションの道具である以上、それを正しく遣うのは、書き手・話し手の義務であり、責任である。 (蛇足だが、ネット上でも、判ればいいじゃんという調子で、誤字脱字を気にしない人間がいるが、私は嫌いだ。気付いたら直せよ! 相手に解読の苦労を負わせるな) しかし、読み手・聞き手は字面を追うだけではなく、行間を読む事も必要だ。 多くの人がそれをわかっている筈なのに、何故マスコミと国会はこんな揚げ足取りに時間を費やすのだろう。
先月24日、浪人生による妹殺し&死体損壊事件の後、加害者被害者の両親が手記を公表していた。
この度は息子勇貴の事件によって、世間の皆様に対し、大変なご心配をおかけしお騒がせ致しましたことを、紙面をお借りして心よりお詫び申し上げます。 私ども家族にとりましては、事件を知ったこの正月3日から今日まで、正直申し上げ、どのくらいの日時が経ったものか、正確には考えられない精神状態でございます。 娘亜澄の死亡と二男の凶行とがどうしても結びつかないということが、私ども家族の苦しみ悩むところでございます。家族でさえこの情況でありますから、世間の皆様にはご理解できないことは尚更のことと存じます。 事件から約20日が経ち、警察のお調べが進むにつれて、事実については少しずつ解明されてきていますが、何故息子があれほどまでの凶行をしてしまったのかという点につきましては、未だに理解できないのです。 しかし、時間の経過にともない、お陰様で少し落ち着いて考えることができるようになりましたので、現在の心境を少ししたためさせていただきます。 そこでまず、亜澄と勇貴の関係についてですが、「3年間も口をきかなかったような冷たい関係」と報道されていますが、それは若干事実と違います。亜澄が在籍していた短大の入学についても、勇貴が懸命にパソコンで探し当て、やっと入学期限に間に合ったという経緯からも、兄妹の関係は決して険悪というものではありませんでした。 しかし、亜澄の他を顧みない自由奔放な性格と言動は、家族から理解されていなかったのは事実です。こうした亜澄の生活態度を見ているうちに、亜澄と一歳しか違わない勇貴は、妹が両親を悩ます元凶と思い込むようになったのではないかと思います。 また勇貴の性格ですが、優しく、家族に対し暴力を振るったりするようなことは一度もありませんでした。しかし、残念なことに、妹の亜澄は大変気が強く、絶対と言っていいくらい自分から非を認め謝るということのできない子供でした。 とはいえ、二人とも私たちにとっては掛け替えのない子供たちです。今となっては、何故あの時、亜澄が「ご免なさい」と兄に謝ってくれなかったのか、もし、謝ってさえいてくれれば、兄も我に返り、このような凶行に至らずに済んだのではないか……、と今更ながらせん無い繰り言を繰り返す日々でございます。 今後私ども夫婦は、生涯にわたり亜澄の霊を弔うとともに、勇貴が一日も早く更生できるように支え続けたいと考えております。
「二人とも掛け替えのない子供たち」と言う割りに、事件の責任は妹にある、というような文章である。 でも実際にそうだったのだろうし、私は、殺された妹が可哀相!酷い親!とも思わない。 世間では、暴力はいかん、人殺しはいかんと言うが、人を殺すにゃ刃物は要らぬ。 妹の過ぎた言葉が兄を傷付けた事もまた、事実であろう。 そして毛色の違う妹は、3浪した次兄よりも、この親にとっては「いらない子」だったんだろうなあ、と思った。 手記によると「亜澄は大変気が強く、絶対と言っていいくらい自分から非を認め謝るということのできない子供」だそうだが、そのような子供に育てたのも、この親なのだ。
最近は身内による人殺しが多くなって来ていると聞くが、その方がまだ、赤の他人に迷惑をかけるよりはましなんじゃないだろうか、と私などは思ってしまう。
主人の携帯電話が、とうとうぶっ壊れた。 通話不能である。 まあ、本体0円だったしな……仕方ないか。 私の携帯も写真機能が立ち上がらない上、データも飛んだし、どちらも買い替え時か。 本当は土日に一緒に買いに行きたかったのだが、携帯嫌いの主人が渋ったのだ。 これを機に、もう携帯から自由の身になりたいと言う。 しかしそれでは、彼の友人知人仕事仲間が困るだろう。 私は一日中家にいる身なので、本当は携帯など必要無いのだ。 しかし写真機として欲しい。それに、出掛けた時などあると便利なので持っている。 まあ一応持っとけば?と言い聞かせ、主人も渋々買い替えに同意した。 「でも、薄くて軽くて、折り畳みじゃないのがいい」 ポケットに物が入っている状態が、邪魔で気になって嫌なのだそうだ。 以前喫煙者だった頃も、煙草は胸ポケットには入れず、鞄に入れて持ち歩いていたという。 彼がポケットに入れるのは、ハンカチだけ。何かが触れている、締め付けられているのが嫌いなのだ。 じゃあ裸でいれば……と私が言うと、それじゃ寒いし捕まるだろと大真面目に言うのだ。 ハァもう好きにしなよ。 「じゃあ、薄くて軽くて、折り畳みじゃないのがいいのね」 「うん。それで、機能もあれこれ付いていないのがいい」 ネットで探すと、良さそうなのがあった。 「これだ。これしか無いでしょ!」 とサイトを開いて見せた。 薄くて軽くて折り畳みじゃなくてシンプル機能。 リクエスト通り、主人の理想の携帯電話である。 「う……でもこれって、所謂ジジババ携帯では」 「そうよ。まさにジジイ携帯。でも貴方のご希望通りの携帯ですよ。文字盤も大きくて見易いし、きっと使い易いわよ〜」 理想形に喜ぶかと思いきや、彼は首を振った。 「これはもう少し、年を取ってからでいいよ。流石に悲し過ぎる」 自分でも探してみるから、早まって買って来ないでね、と釘を刺されてしまった。
主人が早々に大河ドラマを挫折した。 配役が面白くないんだそうで、結局笑金などを見ている。 私は昨年見たかったよ、大河ドラマ……。
21時からは、「華麗なる一族」を見ている。 N響アワーで池辺さんの駄洒落を聞くのもいいのだが、曲目が好みではなかったりするし、音楽界以外からのゲストがつまらん。 華麗なるキャストで、TBSはよっぽど力を入れているんだなあというのは判ったが、主役が微妙……。 あの髪型に格好、どう見ても昭和40年代じゃないでしょ。 それにキムタクの演技って、何をやってもキムタクなんだよなあ。 一寸した表情とか仕草とかが、役柄のものではなく、木村拓也のものなのだ。 何故演出家はそこをきっちり指導しないのだろう……見ていてキムタク臭にゲンナリする。 それと妹その2役。 「お兄様」とか言っている割に、台詞回しが一般庶民なのだ。 細かい所だが、だからこそ、見ている方は気になって仕方ない。 それと、山田優ちゃんは綺麗なのだが大根だ。 もっと演技力磨いてからドラマに出せ。これでは折角の力作ドラマが台無しではないか、TBS。 大人のベテラン役者達は流石の演技だが、お子様達がこれでは、観ていて苛々する。
ところでこのドラマ、池の鯉がロボットだとか。 残念ながら、私はその場面を見逃してしまっている。 再登場してくれないかなあ、池のヌシ〜。(大将だか何だか、一応名前があるらしい。忘れたけれど)
飴は、齧る物ではなく、舐める物である。 少なくとも私はそう思って来たし、これからもそうである。
しかし主人は違う。 ガリガリボリボリと、音を立てて飴を齧る。 安い飴も高い飴も、同じように食べるので、それが私の神経に障る。 「どうしてもっと、味わって食べないの!」 と私が怒ると、彼は、 「味わってるよう。齧って粉々にした方が、味が口の中いっぱいに広がるから美味しいんだよ」 と反論する。 それは解る。 しかし、粉々にすると、飴は短時間で消えるのだ。 折角の飴なのだから、長時間口の中に入れて置いた方がいいの!と私が幾ら言って聞かせても、彼は絶対に首を縦に振らない。 「い・や・だ。こうやって食べるのが好きなの」 「それじゃ駄目! 飴1個でどれだけ幸せな時間を味わえるかが勝負でしょ。同じ時間で貴方ばっかり飴を沢山食べちゃうなんて、そんなのずるい!」 どこまで行っても、平行線夫婦なのであった。
火曜日の報道ステーションで、加藤さんが「聾桟敷」と発言し、その直後に古館が 「只今不適切な発言がありましたが、お詫びして訂正します」 というような事をすかさず言っていて、加藤さんも一緒に頭を下げていた。 おお、久し振りに聞いたなあこの言葉、と私は感慨深く思っていたのに、別にいいではないか、つんぼ桟敷ぐらい。 普段、言論の自由とか言ってるマスコミが、1番言論に不自由な気がする。 他人の自由は認めない「自由の国アメリカ」を髣髴とさせる。 つんぼというのは差別言葉らしいが、それは本人に対して、或いは陰口として発言する時だけである。 「聾桟敷」という言葉まで狩ってしまうのは、明らかにおかしい。 最近では、「アホウドリ」というのが差別的だから改名するとか、「メクラ」という言葉が入っている名前の魚を改名するとかいう動きもあるという。 馬鹿馬鹿しい。 差別用語はダメ!とか言う奴は、取り敢えずここを読め。
突き指をしたようで、右手の指が痛い。 しかも、突き指をした記憶が無い。 一寸嫌な痛みだったので、一応病院に行ってみようと思い立った。 万が一、後で指が動かなくなったりしたら困るので。
しかし今日は、1日中家にいるつもりだったので、頭が大変な事になっている。 そろそろ散髪に行きたいと思いつつも、現在行き付けの美容院は無し→どこかいい美容院無いかなあ→情報誌等で探す→次第に面倒になって来る→予約の電話を入れるのも面倒→まあいいや。 そして現在、どうにも纏まりようの無い髪になっているのだ。 これは、前回行った美容院が大外れだったからに他ならない。 こんな時には、帽子で誤魔化すに限る。
レントゲン撮っても異状は見られないし、大した事無いと言われた。 湿布をして、余り指を使わなければ直るだろうと。 取り敢えず、ほっとした。 その時、出し抜けに医者が言った。 「面白い帽子被ってるねえ〜。それ、自分で作ったの?」 「いっ、いいえ……買いました」 私が被っていたのは毛糸の帽子で、頭の天辺にボンボンが、耳の横には三つ編みの毛糸がぷら〜んと下がっているタイプであった。 「スキーでもやるの?」 「いえ、スポーツは全然……」 ラフな格好のまま出掛けたので、合う帽子がこれしか無かったんだよう。 その後私は処置室でも、看護婦さんから同じ質問を受けたのだった。 しかも、 「可愛い帽子ねえ〜」 とボンボンを撫でられた……。 スミマセンでした、年甲斐も無く変な帽子被ってて。
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