日々是迷々之記
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2005年06月23日(木) 人に逢う

今日も会社を休んでしまった。6時過ぎから起きていて、さぁ今日は行くぞと思っていたのだが、相方を送り出した瞬間力が抜けて家から出られなかった。

派遣会社の担当、派遣先のおっちゃん。みんな声が怖い。誰かと話したい。と思ったので、友人の携帯にメールをした。今日は仕事が終わったらヒマだったのでアウトレットに行こうと思ってたんやけど、とのこと。ラッキー。わたしもついてゆくことにした。

アウトレットでふむふむと値段のリサーチなどをしてマクドナルドに行った。ぽつりぽつりと話し出すと友人はふんふんと訊いている。

「斜め向かいの席に座ってる、40歳くらいのおばちゃんがさ、なんかむっちゃ威圧感あって、なんつーか引退した女子プロレスラーの姉御って感じの人やねん。そういう人に『あんた迷惑なのよ!』とか言われてさぁ…。」と話した。

すると、「みんな自分は正しいって思ってるねん。だから自分の正しさを押しつける。そんなもんやで。無視しといたらええんちゃうん。」とのことだった。ということは、「迷惑なのよ!」と私に言い放った時点で彼女の中ですっきりしているということなのか。それならそれで落ち込んでる私はアホではないか。とほほ。

仕事を続けるかどうかにしても、やりたいなら辞めろといわれるまでおればいいし、辞めたいならそう意思表示をすればいいんちゃうと、考えてみればとても真っ当な言葉をくれた。

そうか、そうなんだよ。何も一度怒鳴られたからってこっちから降りることもないし、仕事をするしないは当たり前だけど働き手次第なのだ。こんなシンプルなことすら見えなくなっていた。

友人というのはすごいと思う。アホな話で盛り上がることもできれば、精神科の先生と同じように助けてくれたりする。私は運は悪いが友達には恵まれてると本当に思う。

今日もまた夕焼けが目にしみる。明日は自分の意志で会社に行こう。


2005年06月22日(水) 電車男感想文

月曜日にいろいろあって今日も仕事は休んだ。

弁当を作って相方を送り出し、雨が止んだのを見計らって洗濯。片づけをしてから向かったのは映画館だ。今日は水曜日。レディスディで1000円で映画を見ることが出来る。ということで絶対に相方は見に行きたがらないだろうと思われる「電車男」を見ることにした。

(二人で見に行くと、もの凄く大味でアメリカンな映画しか見に行けないのだ。アルマゲドンとかマトリックスとか。それも嫌ではないけれどたまには叙情的というか心理的な物を描いた作品を見たいと思う気持ちもある。)

で、「電車男」はどんな人たちが観るんだろうとまわりを観察したら、90%位が女学生だった。中学生か高校生かは不明。とりあえず制服着てたので女学生である。あとはカップルがぽつぽつ。平日なのに9割方席は埋まっていた。

まとめサイトも読んだし、原作本も読んだので内容は知っていたのだが、これはこれで一般の人向けの味付けが上手にされていて感心した。その分、原作のディティールに笑ってしまった人は、「ちっ!」と思うかもしれない。

例えば、大切な日なのに朝からアニメを見てから家を出るとか、エルメスの車に乗せてもらって横顔ばかり見てしまうとか、そういう細かいところは省かれていた。(大体エルメスが車を運転するシーンは一切出て来なかった。エルメスは何に乗ってるんだろうと想像をふくらませていたのでちょっと残念。勝手な予想では赤のVWゴルフ、ポロみたいな小さくて大人っぽいハッチバックの車なのだが。)

あと、もひとつ言うと主役の電車男が生まれ変わる?ときにメガネをコンタクトレンズに変えてしまったのが残念だった。別にメガネフェチではないけれど、メガネでも十分ええやんかと思った。が、一般的には銀縁メガネ=オタっぽい、ということになっているのだろうか。

ついでに微妙だったのが、まんが喫茶に籠もるオタ三人衆の戦闘シーン。あれは原作を知っていれば、「毒男が撃たれてるので衛生兵を呼べ!」のAAだと分かるのだが、「主題歌、(オレンジ)レンジやしぃ〜。」とか言いつつやってきた女学生達には意味不明だったと思う。

とかなんとかいいつつも、「電車男さん」はチャーミングだった。男の人にチャーミングというのも変かもしれないけれど、この彼の魅力はやっぱり格好付けても自然体なところである。

HERMESって英語ローマ字読みなら「ハーメス」だけど、いわゆる普通の若者なら「これはエルメス。」と認識し、そう読んでいる。で、「ハーメス」なんて読んでいる奴がいたら、「痛い。」とか言ってバカにするのが世の中なのだ。ベノアだって読めんぞ普通と思うが、世間はそういう間違えをバカにする。

なので、世間ではローマ字で書かれていて読み方に自信のないものに出くわすと、「アレってさ…」とか適当に誤魔化して読まなくていいような方向へ持ってゆく。下手に間違って読んで「痛い人」だと思われるのを恐れているからだ。

彼にはそれがなく、かっこよくあろうとはするけれど、素直な気持ちをダイレクトに出してくる。感情が高ぶったら涙も出るし、酔っぱらいが暴れてたらとりあえず制止しようとする。その辺の若さ故、が心地よかった。

ということで、オレンジレンジのファンの女学生だけでなく、既婚三十女にも激しくお薦めできる映画だと思う。だんなは家に置いてゆくのが吉なのはいうまでもない。

久しぶりの映画は楽しかった。今度は何を見に行こうかな。


2005年06月21日(火) 水を与えられた動物

朝起きて弁当を作り、相方を送り出した。片づけをして、母親のために入所の申し込みをする特別養護老人ホームに書類を持っていって帰ってくるともうお昼を過ぎていた。今で200人待ちだそうだ。生きてるうちに入れるのだろうか?

夕方、メンタルクリニックへ行く。先週行ったばかりだったが、先生は普通に受け入れてくれた。昨日会社で怒鳴られたことなどを話し、こういうような病気だと会社勤めはできないのか?と率直に訊いてみた。

すると、自分で自分のことを病気だと言ってはだめですよ。と言われた。病気ではなく、あくまでちょっと調子が悪いので薬を飲んでいる。そんな程度で、「○○病」というほどのものではないらしい。それにこれくらいの薬を飲みながら社会生活を送っている人は普通にいるという。この病院でもある芸人(関西ではちょっと人気がある)が通ってきているらしい。その人にしたって、テレビで見たり、ライブをやったり普通な感じである。

それが全て本当のことかどうかは分からないけれど、疑う意味もないので私は先生の言葉を信じる。そうすると気持ちが軽くなった。午前中の眠気を避けるために、抗うつ剤は夕食後だけ、睡眠薬は入眠をよくすることに重点を置いた物にかえてもらった。

外に出ると何だか気分がおだやかだった。母親のこと、仕事のこと、何も前に前進したわけではないが、ほんの少し気持ちの上で水を飲ませてもらって一息ついてる動物みたいだなと、自分で思った。

気は心。よく言われることだがそれは本当のことなのだ。(って私が単純すぎるのかもしれないが(汗)


2005年06月20日(月) だめになりそうな夕暮れの

私は毎日なんやかんやと薬を飲んで早半年。睡眠薬、抗うつ剤、抗不安剤というのを飲んでいる。それらの副作用のせいか、午前中に眠気に襲われる、口が渇く、頭痛がするなどいろいろあるが、社会人を営む上で一番困るのが、午前中の眠気である。

先日も眠そうですね、と言われたので、ええ、朝薬を飲んで来ましたからと言った。(こういうと普通の人は風邪薬だと思ってくれるので気が楽だ。)が、今日は違った。例のようにバーコードの袋詰めをしていると、「あんた迷惑なのよ!」と怒髪天を衝くような勢いで怒鳴られた。何か私が居眠りをしていたらしい。私は一言済みませんと謝って作業を続けた。

本当は泣きそうだったのだが、そんなとこで泣いても訳わからんて感じになってしまうので、まぶたの下の方に涙をためながら昼休みを待った。お弁当を食べてうたたねする。うまく眠れなかった。「あんた迷惑なのよ!」ってスゴイ言葉だなと思った。私は人にそんな言葉をぶつけたことはないので余計だ。

昼過ぎに派遣の担当者がやってきて呼び出された。あのー、居眠りをしていたということで注意を受けて飛んできたんですけど…とのことだった。私を怒鳴ったおばさんは早速上司に言いに行ったようだ。ごくろうさんである。

私は朝薬を飲んできたので午前中にうとうとすることがある。とだけ告げた。すると、2,3日休んで体調を整えてから出社してくださいとの事だった。この担当者に私の病気とそのいきさつ、そしてこれからのことを話そうかと思ったが、そこまでやる気が起きなかった。心のどこかでこの担当者を信頼できていないのだと思う。

副作用として眠気を伴う薬を服用していたら、会社に行ってはだめなのだろうか?突き詰めてゆくと、鬱病を患っていたら社会には出られないということなのだろうか?

家で焦らずゆっくりと養生が出来れば理想的だが、私の周りで色んな人の人生が回っている。私が働くのをやめたら、誰が母親の病院代を払うのだろう?いずれ入る事になる老人ホームの費用だってかかるのに。あの人は今から20年だって生き延びると思う。下手すると私より長生きするかもしれない。

昼からもひたすらバーコードを袋に詰めて定時に上がった。自転車をぎこぎこ漕ぎながら川沿いを走る。ほんの少しだけ傾いた夕日が目にしみてくる。やけ食いに走ることにして、スーパーへ寄った。すいか、ドーナツ、ベーコンの乗ったパン、さつまいもとごまの入ったフランスパンを衝動買い。

けれどベーコンの乗ったパンを半分食べたら何となくその気が失せてしまった。

何かに熱中して、傾倒できるのはとてもパワーのいることだったのだなと感じた。明日は病院に行って、先生に相談してみよう。仕事のこともどうするか。まあ多分やめるだろうけど。派遣会社のブラックリストに載るんだろうなぁ。


2005年06月19日(日) だらりんこの一週間

月曜日から仕事を始めたわけだが、違和感に戸惑いつつだった。事務で主な職務内容はPC入力だったはずなのだが、指示書に従って決められた枚数のバーコードをシールに印刷して、それを折りたたんで袋に入れてテープで貼る。

それが全てなのだ。PCで入力するのは枚数だけ。あとはほとんど内職と変わらない。ほんとにこれが正しい私のやるべき事なのか戸惑う。「英語を使わない事務の仕事なんですが…。」とオファーされた仕事。英語を使わないってだけで内職みたいになってしまうってもんなんだろうか。

月、火と何千枚ものバーコードを打ち出し、折り曲げて、袋に入れてと、私なりに奮闘していたら、水曜日が肩こり、腰痛で体ががたがただった。冷房もカキーンと効いているので関節がぎしぎしする。木曜日の朝、熱が37度を超えていたので休む。ルルの滋養内服液という栄養ドリンクの効きそうなのをごくっと飲み、ひたすら寝る。翌日も調子変わらず。会社を休んでただ寝ていた。

もしかしたらこの仕事続かないかもしれないなぁとうっすら思う。傲慢な話かもしれないが、こういう感じのひたすら手を動かし続けて頭を使わない作業はやったことがなかったので、しんどいのだ。

最初の契約は一ヶ月。それから先は3ヶ月更新。来る日も来る日もバーコードの袋詰めなんて気が遠くなる。

明日からどうしたもんやら。少しでも慣れることができればいいけれど。


2005年06月12日(日) 女の園でノックアウト

昼から母親の病院の支払いに行き、母親と会い噛み合わない会話を交わした。母親が住んでいた家に、父が座っているのだそうだ。東京に帰るように言ってくれという。が、何度か書いているが父は4年ほど前に亡くなった。はぁはぁ、そうやなあと生返事を繰り返し、夕飯の準備があるからと病院を離れた。

確実にボけて来ている。去年の12月に倒れてもう半年寝たきり。テレビも見ない(興味を示さない)し、字も読めない。食事も鼻からだ。そりゃボけるだろうと思うが、ゆううつである。可哀想というより、つきあうのがつらい。どないせっちゅうねん。

このまま家に帰るのもなんか気が進まないので、梅田に出た。そこで「モバイルアトランティス」というドコモのショールームに行った。ここは電源が入った全てのモデルが置いてあって、操作する感じなどを体感できる。私はツーカーユーザーだが、余裕があればFOMAに変えようかと思っている。お目当ての機種、D901isはなかなかいい感じだった。元から入っているiアプリは「電車でGo!」なのがうれしい。遊びまくってしまった。三菱電機のDシリーズはD900までは日本語変換エンジンとしてATOKが入っていたのだ。なのに、901のスライド式からはATOKでなくなってしまった。か、悲しい…。

ついでに百貨店でも冷やかして行こうかと思って阪神百貨店に入ったら、人いきれと充満する化粧品の匂いで即ノックアウトされてしまった。1階の化粧品売り場の匂いが地下の食料品売り場まで来ているって一体…。蓬莱のアイスキャンデーでも買おうかと思ったが速攻退散。もう百貨店が楽しめなくなってしまったのがちょっとかなしい。

その後バイク屋に寄った。仕事をすることになったことを伝え、バイクのマフラーを注文した。無職の立場でマフラーを変えるってのもなんか嫌だったので、仕事が決まってから堂々と?注文しようと思っていたのだ。といっても中古品なんだけれど。

明日からは仕事が始まる。何度やっても仕事始めの前の晩は緊張する。うまくやれますように。


2005年06月11日(土) さらば、主婦ニート

テレビ番組で言っていたが、「ニート」に主婦は含まれないが家事手伝いは含まれるそうだ。すると一気に女性のニートの人数が増えたとか。確かに女性誌の「セレブ読者」あたりはみんな「家事手伝い」だし、世の中に相当数の自称・家事手伝いの人はいると思う。

さて、わたしは主婦なのでニートの数には入っていないが、生活はニートそのものである。パソコンで遊んだり、本を読んだり、デジカメ持って散歩したり。相方が今から帰ると電話してきたあたりから主婦として働き出す。

フロにお湯を張り、テーブルを片づけ、食事の準備をし、蚊取り線香をつける。電話からぴったり1時間15分後に帰ってくるので結構余裕がある。ので、マックで音楽をかけながら、フロに入り、出たところでビールをくはーっと飲み、突き出しと箸をテーブルに並べてもまだ時間の余裕があったりする。

のんきなもんである。

だが、心の裏の方では全然違った焦燥感で一杯なのだ。水曜日に行った面接では、相手方が求めている能力よりも私が一つ上を行っているので、いきなり企画、営業で入って欲しいと言われた。残業が何十時間もあって、それなりにやりがいもあるのですよ!と言われたが、母親のことも、私自身の病気のこともあるし、丁重にお断りした。派遣会社の担当者もこういうケースは初めてです…と言っていた。

結局その日の夕方に来週から是非来て欲しい。ということで話があった。仕事はPC入力。印刷屋で印刷物の入力をするのだ。ちなみに企画、営業の仕事との時給の差はわずか50円らしい。それならPC入力でええんでないのと思ってしまったが、金銭とは関係なくやりがいがあるであろう仕事をするべきだったのか。

これからは今までとは違う。今まではやってみたい仕事に自分からアクションを起こし、入ったことのない業界でも面接で自分がいかに柔軟性を持った人間かをアピールしてやってきた。多少の困難やしきたりの違いに戸惑うこともあったが、それもまた勉強として受け入れることができていた。

が、今は違う。自分の家族のため、母親の入院費のため、そして、母親と役所の手続きの行ったり来たりで自由の効く職場で、給料、やりがいは二の次で選ぶ。自分の人生は自分のためにあるのだが、誰かのために尽力することもあったのだ。それがよりによってあの母親とは。

いろいろと考えることがある。田舎にある先祖代々の土地が長女である母親の名義になっているのだが、それを売りはらってしまおうかとか。そうすれば母親は生活保護と、年金と、障害者手当を受けることができ、生きている限りはそれらで病院代をまかなえるだろう。(土地を持っていると生活保護はもらえないのだ。)

でもそんなことをすることが人としてどうなのかが、ひっかかるのだ。ボけてベンツを買えだの、父親に金を借りろだのわけのわからないことを言う母親だが、刻んできた人生の中で田舎の家というのは特別に意味のあるものだったのだろう。

悶々と考えながら私は働き、今ある人生を生き続けよう。酒と薬だけが友達さぁ〜♪ってアンパンマンかいっ!


2005年06月10日(金) オークションのゆくえ

今、yahoo!オークションに出品をしている。どれもこれも使わなくなった中古品ばかりで、買ったときの値段の20分の1くらいの値段で出品している。

100円で出していたある物が、今日見たらいきなり1400円になっていた。買値は1980円くらいだったと思う。送料入れたら新品買った方が得ですよ〜と入札者さんに教えてあげたいくらいだ。一体いくらまで上がるのだろう。楽しみである。

しかし先日の日記とも被るけど、物の値段というのはわからないものだ。


2005年06月07日(火) 33才のアクセサリー

昼間っからごろごろと主婦ニートな私は関西系ワイドショーを見ていた。その中で、ピーコのファッションチェックがあるのだが、今日の舞台は神戸岡本。ちょっとハイソな地域だが、芦屋まではいかないかなという感じの地域だ。が、しかし私が住む大阪の下町とは天と地ほどの差がある。

一組目はバーベキューの食材を買いに来た夫婦。嫁もだんなも33才。乳母車には1才の赤ちゃんが乗っている。仕切りのお笑い芸人が、いちいち洋服やアクセサリーの値段を聞く。奥さんのカットソー1万円。スカート4万円。時計が100万円でネックレスが70万円。一体全体ほんまかいなという気分だ。

いじわるな気持ちで言えば、そのカットソー(黒のリブ編みのノースリーブニット)はユニクロで1900円で売ってそうとも言える。スカートはチノクロスで膝下がちょっとだけマーメイドラインになっているタイプ。ユニクロでもGAPでもありそうである。

しかし、洋服の値段などあってないような物だし、その値段で気に入れば1万円のTシャツでも売れるのが世の中だ。よく分からないのはアクセサリーの方である。

たかだかバーベキューの食材を買いに行くだけで、70万円のダイヤを首からさげるのは荷が重くないだろうか?わたしなどiPodShuffleを首からぶらさげているだけでひったくられたらどうしようとびくびくしているのに。(小心者なので。)

それに100万円の時計。子供にかじられてよだれまみれになったり、変なところでよろけてコンクリートの壁にこすりつけてしまったら一生後悔しそうだ。(経験有り。)

それなりのクオリティやブランドネームを持つ物を身につけるには、それなりの度量が必要なのだろう。私など今日はカブ90のスタンドに足を挟んでしまったが、運悪くビルケンシュトックを履いていたので一瞬で傷がついてしまった。とほほー、かわいそうなビルケンシュトックである。ああ、ビルちゃん…。

ということで、私は岡本のセレブ主婦に闘わずして負けたのである。わたしもセレブになったら首から70万円をぶらさげるのだろうか?ちなみに最近のお気に入りはフェリシモ(通販)の「セブ島の海からの贈りもの シェル&シルバーペンダントの会」である。1300円。かわいさでは70万に負けていないと思うのだが。


2005年06月03日(金) パニックですよ

夕方、隣の区のスーパーが5時半から「ごはん市」という生鮮食料品の3割引をやるので、えっちらほっちらと自転車で行ってきた。普段から安いのに3割引ってどーよ、と言いつつ、今日のおかずはハンバーグにすることにした。牛肉のみの混ぜものなしのハンバーグ。それにとろけるチーズを乗せ、昨晩の残りのビーフシチューをベースにしたソースをかける。クレソンにふかしたとうもろこしも添えよう。

家に帰って風呂に入っていると、いきなり相方が帰ってきた。なんで電話せーへんねんと言うと(いつも会社を出る前に電話をくれる)、金曜日は定時で上がるって先週言うたやんけと言われた。そういえばそんな気もする。

風呂から飛び出て大急ぎで食事の準備。肉を捏ねて焼き、とうもろこしをふかす。意味なく涙がでてくる。いかん、パニック状態に陥ってしまった。

「とにかく焦ったらだめですよ。」と病院の先生に念を押されていたのに、食事をちゃんと準備できなかったことからパニックである。心臓がバクバクする。心なしか相方も非常に機嫌が悪く、朝、私がなかなか起きないことなどをぶつぶつ言い出した。

あー、しんどい。頭が痛くなってくる。普通の夫婦はこういうときどうしているのだろうか。死にそうになりながらハンバーグを焼き、テーブルに並べ、ビールを一気のみする。2杯目は焼酎だ。ミュージックステーションを見ながらどうにか気分がましになったころ、相方は焼酎をグラスに入れ、布団へ入った。

結局帰ってきたときに食事が出来ていないと腹が立つのだろう。まぁそれはわかるけどさ。私だって同じ立場なら同じように思うだろう。

ぷちぷちと薬を包むプラスチックのシートを押して薬を出す。本当は水で服用すべきなんだが、焼酎で飲む。睡眠薬も。あかんことなんだろうが、これ以上落ち込みたくない。酒は命の水、そして心の水でもある。

最近、なんでだろう、わたしのまわりの人がすごく楽な感じで生きてる気がする。思うままに行動し、思うままに人の心を傷つける。そして早く寝る。そういう風に生きられればそりゃ人生楽しかろうと思う。

元祖でぶやを見ても、探偵!ナイトスクープを見ても何故か笑えない。早く薬が効いてさっさと眠りたいものである。


2005年06月01日(水) ぼけゆく母親

朝、6時に弁当を作り、7時に相方を送り出してから、二度目の惰眠をむさぼっていたら携帯電話が鳴った。母親の入院している病院からである。とうとう…と一瞬思ったが違った。(なんて奴だ。)本人がどうしても家族に話したいことがあるので呼んでくれと言われたので、とのことだった。

はぁはぁ分かりましたじゃあ夕方にと言って電話を切った。

夕方区役所に行って書類にはんこを押してもらってからそれを持って病院に行った。そうすると医療費の仮払いが免除されるのだ。普通だと脳外科の場合一ヶ月で100万円前後のお金がかかる。それを一旦支払い、年に一度の確定申告で申し出ると、7万円を超えた分が戻ってくるという仕組みになっている。要は100万円前後のお金を毎月仮払いしなければいけないわけだ。

そんな財力もないので最初っから免除してもらう手続きを取っている。これで月々に支払う額は7万円前後で納まっている。

で、母親に会った。生前はジャガー横田そっくりと言われた母親も、今はしなびたラッキョに毛が生えたみたいになっている。つくづく加齢とは恐ろしいものだ。で、何の用事なん?と問いかけると財布と3万円を引き出しに入れてくれという。何に使うのか聞いたら、診察とかに必要だからという。んなわけない。私が払っているではないか。やんわりとそんな必要はないことを分からせる。

すると私のバイクのヘルメットを見て言った。「バイクは危ないからベンツにしなさい。」と来た。なんで車?しかもベンツなのだ。そんな金ないしと言うと、お母さんが出してあげる、ロト6が当たったからと言い出した。

聞いてるだけで疲れてくる。もうええっちゅうねんて感じだ。その他、あんたはTからいくらもらってるの?とか、あっちのおばあちゃんに子供を見せたら喜ぶよ、とか、もうなんかあり得ないこと連発である。私に子供はいないし、祖母は皆亡くなっている、Tというのは父親だがこれも数年前に亡くなった。

この人は思い出の中だけに生きているのだ。

あ、雨降りそうだから帰るわな、と言い残して足早にその場を去った。帰りにスーパーで買い物をしているとまた携帯電話が鳴った。奈良に住んでいる母親の妹さんだった。「今日、午前中に見舞いに行ったら、お金がいるって言ってたでー。」とのことだった。はぁはぁ、そんなわけないんですけどねと、やんわりと母親がボケはじめていることを伝えた。

肉親にそういうことを言っているうちはいいけれど、そのうちお見舞いに来てくれた人にまで、「3万円貸して。」とか言いそうで怖い。「お金を与えないで下さい。」って張り紙をするわけにも行かないし、どうしたもんだか。

これ以上私に考え事をさせないで欲しいのだけれど、「神様の贈り物」のまっただ中にいるあのひとにはきっと伝わらないのだろう。


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