日々是迷々之記
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2005年05月31日(火) ちょっと連敗

結局金曜日の面接はだめだったと連絡があった。現在他社の派遣の女性との交代でとのことだったのだが、結局その他社から他の人が行って引き継ぐことになったとのこと。

それだったら最初からそっちの派遣会社だけに声をかければええやんか、と思ってしまうが、その辺は私にはわからない大人の事情があるのだろう。

これで一ヶ月間が空いて、そろそろ専業主婦も飽きてきた。何でもいいから外に出たいなぁというのが本音だ。学歴やTOEIC、英検の級を明かさないで普通の事務職でも紹介してもらおうかなと思ったりもする。結局その方が仕事の数としては多いわけだし。

何だか疲れたなぁ。面接から返事待ちの間って要らない気を遣うから変な疲労感が残るのだ。はぁ。


2005年05月30日(月) 先生の言うことには

今日は2週間に一度の通院日だ。見舞いではなく、自分自身がメンタルクリニックに通っている。一月ほど前に増やした薬がよく効いているようですねと先生は言った。

仕事探しや、母親の老人ホーム探しで往生してることを話しつつ、以前この日記にも書いた、「母親がもう死んでしまった父親に金を送ってもらえという話」を先生にした。なんかもうぼけが始まっているみたいなんですよ、という言葉に続けて。

すると先生は、痴呆は必ずしも不幸ではないと言った。神様の贈りものであると考えられるそうだ。本人が倒れる直前直後のことを忘れて、人生の幸せだったころのことを考えているというのは、本人にとって幸せなことに違いない。なおかつ周りの人間も、幸せそうにしている姿を見て、責めたり責められたりという気持ちにはなりにくい。そう言う意味では、神様の贈りものであると考えたら気が楽になるんじゃないですか、と言った。

母親はなんだかんだ言って父親と結婚している時期が幸せだったのだろうか。まだ小さかった私は毎日毎日けんかする二人を見て、何で結婚したの?と聞きたかったが、「あんたがいたからよ。」と言われるのが怖くて聞けなかった気がする。両親が結婚したのは妹が生まれた年だからだ。

ボケてしまった…と一度は軽く落胆したが、動けるわけでもないので、本人が幸せならばまあいいかと思うことにしよう。

ほんとにあの人はいつも思い通りにできて幸せだと心から思う。その分周りの人間があたふたしているわけだが。


2005年05月29日(日) よけいな労力

今日は相方の誕生日で、大量に飲み食いしてしまい疲れ果ててK-1を見ながら爆睡してしまった。

ふと気が付いたのが夜中の12時過ぎ。なんとなくメールチェックをして、なんとなくネットを彷徨う。そして何となく4時になってしまった。

不毛だ…。しかもこんなものを発見してしまった。

【予約】高級料亭しいたけ携帯ストラップ

しいたけストラップである。本物の干ししいたけのめっちゃ小さいのに金具が付いているらしい。ご丁寧にも「一度刺してから抜いてボンドで付けてある」と書かれている。

でも、食べたらだめなのが惜しい。ちょっと口寂しいときにストラップをかじってみたくはならないだろうか。

あ、またよけいな労力を使ってしまった。寝よう。


2005年05月26日(木) 気になる検索語

この日記はサーチエンジン経由でアクセスした場合、どんな検索語でやってきたのか分かるようになっている。

なんとなくチェックしてみたら「会社がいや 自殺」というキーワードでYahoo!から来た人がいた。

そんなこと書いたっけ?と思いつつ検索結果の自分の日記をクリックしてみるとあった。2003年の8月、電車の中でちょっと行っちゃってるおばさんの隣に座ったときの話の中にそれらのキーワードが登場していたのであった。

まったく覚えていなかったが、日記というのはすごいもんである。さっと斜め読みしたら、あのときの怪しい和服のオバサンの訥々とした暗いしゃべりが蘇ってくる。

しかし、「会社がいや 自殺」のキーワードで何が検索したかったのだろう。それも気になる話だ。


2005年05月25日(水) なんとなく絶不調

今日の題名は「なんとなくクリスタル」のパロディなのだが、これまた知ってるモノにしか分からない世界になってしまった。

先週の日曜日、警察に捕らえられてしまった。罪状は信号無視。って私はカブで普通に前の車などについてささ〜っと左折しただけだったのだが。左折した先にはいかにも権力の犬といった風情の制服おやじが立っていたというわけだ。

信号無視は2点らしい。実は私の後ろにいた原付も私と同じように左折したわけだが、そいつは捕まらなかった。多分警察官が一人しかいなかったので、前の一人だけ逮捕されるというわけなのだろう。

それについて不平を述べると、人のことはいいから自分のやったことを反省せよという。てめー、ガキに言うような言い方しやがって。多分若者と勘違いされていた(Tシャツに、派手な柄物のコットンシャツ、ぼろぼろのGパンに運動靴で、もちろんノーメイクだし。)のだろう。

免許証を出して33才であることが分かると、「本当に33才か?」と聞いてきた。本当にってどういう意味だろう。免許証が偽造とか、親が出生届を出すときに不正しているとか、それくらいしか思いつかないが。

反則金は7000円。これまたコンビニで入金できないバーコードのない振り込み用紙だ。振り込んで欲しかったらもうちょっと使いやすくせーよと思う。そいつの字が汚いので1000円なのか7000円なのかもはっきり分からないし。

こんなしょーもないことを職務として行わなければならない警察官というのは不毛な職業だと思う。諸外国では赤信号でも右折OKのところが多い。まぁ、向こうは右側通行なので右折だが、日本では赤信号左折可になるというわけだ。今回の横断歩道がないような信号ではそれでもいいと思うのだけれど。

まぁ交通ルールとか公務員とかその手の類は実情や時代にあってないのがこの国の常だと思う。自分で考える力を持たないものはいつか滅びるはずなのだが。


2005年05月18日(水) どうでもよく日々は流れる

毎日が忙しく過ぎてゆく。月曜日は特別養護老人ホーム訪問、火曜日は母親の入院する病院へ書類を持ってゆく、そして今日は正味見舞いへ行った。

前の病院でキャッシュカードを盗まれたからそれを作り直しに行きたいっておっしゃるんですけど…と看護婦さんから電話があった。ああ、たまにそういうことを言うんです、何も持たずに救急車で運ばれたからそんなことないですよ、聞き流して下さいと看護婦さんにお願いした。

母親は顔色を変えずに平然とそういうことを言うので、慣れていない人は信じてしまう。そういえば昔から小ウソをよくつく人だったなぁと思い返した。

2日連続で私が顔を見せたモノだから、ちょっと調子に乗っているようだ。経管栄養の鼻に入れる点滴を指さしながら、これさえあんたがやってくれれば、お母さんは家に帰れるのにと言い出した。当分見舞いは控えようと思う。

帰りしなに、テレホンカードとお金と財布を持ってきて欲しいと言われた。母親は歩けない。どころか、ベッドから自分で体を起こすことすらできないのだ。お金使う必要ないやろーと言うと、要ると言う。お金なんかないで、と言うとTから80万円送ってもらえと言う。Tとは私の父親のことだ。私が小学校6年の時に母とは別れ、4年前に亡くなった。

「Tは死んでもうておらんやんか。」と私が言うと、何を恐ろしいことを言うの、まだ向こうのお母様も生きてるのに、と言い出した。

父方の親族とは親が離婚してから会っていない。もう20年も会っていないし、元気なころも彼らのことを口にすることはなかった。なのに今頃言い出すとはどういうことなんだろう。

半分呆けたようなもんやろなと思ったが、今日、病院で書いてもらった老人ホーム入所のための書類には「痴呆の症状なし」と書かれていた。まぁ、わかんないんだろうな、と思うことにする。

人の人生はどういう風にして決まるんやとろ、夕焼けの中バイクに乗りながら思った。友人のお父さんは胃を悪くして入院していると、彼女のブログに書いてあった。連日、家族総出でお見舞いにゆき、帰りにはみんなで食事をしたりとても暖かい感じがする。一転して我が家はどうだ。我が家という言葉をつかうのもおこがましいほど、皆が醒めきっている。しょうがないからで動いている。

全て元気な頃の行いが反映されているんだろうなぁと思うと、少しはよく生きようと思う今日この頃なのだった。


2005年05月15日(日) 腸が痛い

一応今日の日記のタイトルは憂歌団の「胸が痛い」のパロディのつもりなんだが、非常にわかりにくいような気がする。

ところでこの2,3日、非常に腸の具合が悪かった。自分から見てへその斜め左下一帯がどよーんと重い。自ら押してみると「うわちゃっ!」という感じで非常に痛い。出てくるモノもなんだか不機嫌そうに出てくる。

う、鬱だ…とつぶやきながら木曜日、金曜日を生き抜いた。金曜日など20時間は寝ていたと思う。土曜日は10時間ほど寝たか。今日はまだ調子が良いので、車に乗せてもらいバイク用品の店、スーパーなどに行く。帰りにマクドナルドに寄り、ちょこちょこ食べる。あのマックシェイク100円はなかなかいいと思った。あれくらいの大きさで十分だからだ。

スーパーに寄って家に帰り、食事を済ませる。相方は6時前に起きるのでそうそうに寝てしまった。一人リビングでメモ帳に明日やることを書き出す。ほとんどが母親関連。自分のことはメンタルクリニックに行くくらいだ。これも元はと言えば母親のことから行きだしたので、純粋に自分のこととは言えない。行ったらこれからの仕事のことについて相談しようと思う。

金曜日に面接に脂汗を流しながら行ってきたところは、時給ヨシ、環境ヨシ、残業は月に40時間ということで月収もかなり増える職場だ。が、家のこと、母親のことなどとすべてをちゃんとやれるかと言われれば全然自信がない。特にこの3ヶ月以内に、母親が次移るところを自力で探さなければならないし、役所の手続きも月に一度は行かなくてはならない。

そんなこんなで、はい、仕事ガンバリます!とはとても言えない気分なのだ。いやもちろん働かないとお金がないわけで、バイクにマフラー付けたいなとか、キャンプに行きたいなとか言ってる場合ではないのだ。んなことは分かってるけど、体がついてこないというのが実情。クリニックの先生はどんな言葉を用意してくれるのだろうか。

はやく寝よう。


2005年05月14日(土) 食器洗い乾燥機のある生活

先日注文した食洗機が週の初めに届いた。それから毎日試行錯誤を繰り返している。

乾燥の時間を変えたり、送風モードだとどうなるか、高温パワー洗浄だとどうかなど、いろんな組み合わせで試してみた。あと、結構難しいのは食器の並べ方だった。留学していたときは、キッチンのカウンターの下に組み込まれた巨大なものを使って良かったので、てきとうに空いているところに皿などを入れればよかった。

が、今家にある物はよくよく考えて入れないと全然数が入らない。結構悩むのだ。それに弁当箱やタッパーを入れて良いのかも悩んだ。これは中のヒーターを使用しない洗浄モードを選べば、お湯の温度が家の給湯器の設定温度そのままになるので、大丈夫、洗えることが分かった。

しかし楽なものである。食後一息ついたら、グラス以外のものを運んで入れて、スイッチを入れる。すると8分コースを選んでいるので8分で洗い上がる。8分なんてあっという間だ。グラスに氷を足し、お酒を一口、二口飲むくらいの時間である。洗い上がりにぴーぴーと鳴ったらドアを開けて自然乾燥させる。朝になったらすっかり乾いているのだ。

比較したことがないので分からないが、動作音が大きいこと、タイマーが付いてないことがちょっといまいちかな、と思ったが、それを差し引いても買って良かったなと思う。食器洗い乾燥機、なかなか便利なやつである。

今回食洗機を買った店:楽天市場「天神ベスト」


2005年05月11日(水) ドトウの日々

毎日毎日鉄板の上で焼かれていたのはたいやき君だが、私は毎日毎日母親の用事で飛び回っていた。

まず、家を引き払った事による解約関係。電気、ガス、水道、電話、ケーブルテレビ、インターネット。この全てを解約し終わるのに結局2日かかった。ネットで電話番号を調べたり、電話しても本人からの申し出がないと解約できないと言われて押し問答になったり、ぐったりである。

ちなみにこれらの中で一番めんどくさかったのは、意外なことに電話である。まず、契約者本人からの申し出でないとダメと言われた、次に契約している番号からの電話でないとダメらしい。家は4月いっぱいで引き払い済みなので契約している番号からはかけられない、契約者本人は…別にまだ生きているが死んでしまったことにしてやっとこさ解約できた。すまん、母よ。

しかし、契約者が突然死んだりして代理人が契約を解除するという申し出をどうするか、というのはマニュアル化されてない場合が多かった。ケーブルテレビやインターネットは端末のシリアルナンバーを言えばスムーズに行ったが、電話をはじめとする生活インフラ類は解約が素直に行かなかった。まぁ、簡単に他人が悪意で解約できるようじゃだめなんだろうけど。

週明けからは物理的に飛び回っていた。母親の転院が決まったのだ。今まで入院していたのは救急車で運ばれた救急病院である。そこに5ヶ月入っていたのだが、さすがに容態が落ち着くと転院してくださいと言われる。そこで病院のソーシャルワーカーさんに相談して転院先を決めるのだ。

で、月曜日に決まったという連絡があり、火曜日に転院するという。わたしは火曜日に新しい派遣の面接が入る予定だったので、どうしたもんかと思ったが、有り難いことに転院先の病院が、車で母親を迎えに来てくれるとのことだった。私は夕方に手続きをしに行けばいいらしい。

結局派遣の面接は金曜日に流れた。ので昼過ぎに転院先の病院へ向かった。が、これが遠いのである。片道15kmくらいありそうだ。しかも途中の道は延々と工事で一車線規制。もう右折するのに信号3つぶんかかるくらい道が混んでいる。とほほほほ〜となりながら、小一時間かけてその病院にたどり着いた。

その病院は明るい病院だった。オレンジと白を基調とした色遣いで、小さいながらも和気あいあいとした雰囲気。母親も環境は変化したが、それを不満には感じていないようだった。

しかし、弱った老人はよく詫びる。うちの母親のような他人に「ありがとう。」「ごめんなさい。」を言ったことないような人間でさえ、弱ってくると他人に対して済まないと思うらしい。母親が口にしたのは、「救急車で運ばれてきたときに、下着が汚れていたので看護婦さんに迷惑をかけた。」で、ある。ほえー、人は変われば変わるもんだと驚いた。

その他にも、「おむつが足りなくなって病院から借りたのでちゃんと返してあげて。」とか、「このパジャマは前の病院のだから、早く返さないと…。」とかしきりに言っていた。そんなことよりも、自分のこと心配せーよと思わないでもないが。

はいはいと会話をして、看護士さんの話を聞いて帰ったらもう8時前だった。…。一日これで終わりかよ、と思ってしまった。まもなくして相方帰宅。ごはんを食べながら、病院が遠いし道が混んでるので行くのが余計と憂鬱や…とこぼすと、「まぁ、おむつ運びがないからええやんか。」と言われた。

そうなのである。新しい病院はおむつは病院側が用意してくれるので、家族側が用意しなくていいのである。今までは家族が用意しなければならなかったので、連日のおむつコール。そのたんびにディスカウントストアでおむつと尿パッドを購入し、原付に縛り付けて病院に行っていたのである。それから解放される。それだけでも嬉しいではないか。

さて、これからの課題は老人ホーム探しである。期限は3ヶ月。うちの母親のように治療を必要としないが、家には帰れない老人は一つの病院に3ヶ月しかいられないのだ。また病院に移るという方法もあるけど、それだとまた3ヶ月したら移らなくてはならない。それならいっそ老人ホームに移った方が面倒がなくていいのだ。(生きてる限りは追い出されないという意味で)

今は無職だから時間の余裕があるが、もし、金曜日の面接がうまく行ったらまた忙しい日々だろう。自分の仕事と親の世話。いやはや、それなりにたいへんなものである。


2005年05月06日(金) 主婦的平日

仕事を辞めたので今の私は専業主婦だ。朝6時に起きて炊きたてのごはんで相方の弁当を作り、7時に送り出す。すると12時間以上もの自分の時間が生まれる。

早速こないだ買ってまだ40ページほどしか読んでいなかった小説を読破。402ページを読み終えると昼ご飯の時間になっていた。ごはんにインスタントのエビドリアの素を乗せてトースターで焼いて食べる。ネットでニュースをチェックして、2時過ぎから役所と郵便局へ。今月は自動車税に、母親の介護保険料、固定資産税まで全部合わせて11万円くらい払った。でもまだバイクの自動車税は通知が来ていない。まぁ原付と中型なので6000円かそこらで済むだろうが。

スーパーに寄ってみると、ハーゲンダッツの新しい味が出ていた。しかも198円。買おうかどうか悩んでやっぱり買わなかった。相方はチョコレート系の味が好きな人間だ。その人間に「マンゴ&ココナッツ」、「チャイ」のどちらを買っていいかわからなかったのである。ちなみにココナッツはあんまり好きじゃないらしい。家に帰ってどっちが良かったか聞いてみると「うーん」という答え。自分で買って食べた方が良さそうだ。

夕食はスペアリブとれんこんをトマトソースで煮たものと、なすびとにんにくのペースト。これはクラッカーに塗って食べる。明日は休みなので、冷蔵庫のブルーチーズと、赤ワインと合わせて飲んだくれようという魂胆なのだ。が、「元祖でぶや」をビデオに録画しはじめてすぐ、携帯に電話があった。「明日は出勤やってん〜。」という声に大変やなぁと答えつつ、飲み屋メニューの今晩の夕食メニューを少し後悔する。しかし後悔先に立たず。初志貫徹で行くことにした。

相方が帰って来るなりレモンチューハイで乾杯。食事を並べる頃にはロング缶のビールに移る。そして中盤には焼酎へ移行しており、へらへら状態へ突入だ。

ちゃんと明日起きられるだろうかと心配してしまう。というのも相方は布団の中で伊藤理佐の「チューネン娘」を今も熟読しているからだ。おいおい、6時に起きれるんかいな…。そんなこんなで大変主婦らしく一日は過ぎていった。


2005年05月05日(木) 快楽は目前に

GWに入るやいなや、近所の家電量販店に飛び込み、食器洗浄機のカタログを頂いてきた。そして気になる機種を価格.comの口コミ掲示板で検索。そして一つの機種に決め、先ほどの家電量販店とネットの店で価格比較。ネットの店で買うことにした。すまぬ、ジョーシンよ。

設置工事も水道の元栓さえ閉めれば自分で出来るようだった。分岐水栓金具と、シンクをまたがらせるための板、そして食器洗浄機本体と合わせて、35,000円ほどで済んだ。カタログによると定価は88,000円らしいからびっくりする。5月10日ごろ届くようなので今からわくわくである。

何で二人暮らしでこんなもんが必要なんだと思う人もいるかもしれない。わたしもゼータクだなぁと思っていた。が、この食器を洗うという行動にどーも時間が取れないと感じるようになってきたのが購入に踏み切った理由だ。

相方が帰ってくるのがだいたい22時から23時の間。すぐ食事をしてすぐ寝る。寝室と台所は隣同士なので、食べてすぐ食器をがちゃがちゃやると寝づらいらしい。ということで、朝まで放置する。ところが朝、洗う時間がなくて放置して会社へ。帰宅すると汚れた茶碗が待ち受けていてうんざり…。このパターンが一月ほど続いた。すると本当に台所仕事がうっとおしくなるのだ。

「iPod買うより、食洗機買いや。」とか、「バイク買う前に食洗機やで。」とか言われ続けて約半年。(こないだバイクも買ったが)とうとう食洗機を買ってしまったのである。

米は無洗米、食器洗いは食洗機。母親が元気だったらぶつぶつ言うに違いない。でもさぁ、時代は変わるんだよ、とひとりでつぶやきながら、「節水、節約、No.1!」、「強力ハリケーン水流 グルグルアタック!」などと扇情的なことばが並ぶ食洗機のカタログを舐めるように見つめる今日この頃なのだ。


2005年05月01日(日) ウニとプリン

プリンに醤油をかけたらウニの味になるとさくらももこの本のどこかに書いてあったが、「醤油をかけたプリンの味」がした、学生時代の記憶。そんなことをふと思い出した。

雨のゴールデンウィークは片づけに明け暮れ、家の中に足の踏み場もない。シンク下の収納庫も全部中を出しているので台所も地震の後みたいに荒れている。ということで夕食は近所の「あきんどスシロー」に行くことにした。

時間が遅かったせいか、希望のネタはなかなか流れてこない。呼び鈴を押して注文する。ピンポン。「ご注文どうぞー。」「あのー、うに一つ。以上で。」「レーンに流して参ります〜。」というようなやり取りをした。私たちの座っているテーブルは黄色の受け皿に乗って流れてくるらしい。数分後、黄色い受け皿に乗った何かがやってくる。

プリンであった。どっかむこうの人が注文したのだろうか?それならそれで、そこに近いところから流すだろう。「うに」が「プリン」に聞こえてしまったのだろうか?うに、プリン、うにん、プニ。…似ている。私の言い方が悪かったのだろう。もう一週回ってきた不憫なプリンを私は自分のテーブルに取った。

私は言い間違いも得意だが、聞き間違いもしょっちゅうで、「かに本身」が「かき氷」、「きれいな白さ、スズランの香り♪」というニュービーズのCMが「きれいな白さ、仏壇の香り♪」に聞こえてしょうがない。まあいいよね、仏壇の香りもとか思ってしまう自分も問題だが。

いやはや、早く寝よう。


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