日々是迷々之記
目次


2005年02月22日(火) このままで行こう

2週間ぶりにメンタルクリニックを訪れた。昨日の事務長の言葉が、喉にひっかかった魚の小骨のように心のへんなところにぶら下がっていたからだ。鬱病だと会社勤めはできないのだろうか、再就職はムリなのだろうか…。じゃあそういう心の病を持っている人はどうやって生計を立てているのだろう。そんなことを考えながら、雑居ビルの中にあるいつものクリニックの扉を開けた。

今日は空いている。10分くらいで呼ばれた。母親のことなどを話した後、昨日の会社での出来事を話した。すると先生は、そういった心の病に対する会社の対応というのは千差万別だと答えた。配置転換をして環境を換えてくれたりして様子を見てくれる会社もあれば、辞めさせるところももちろんあるらしい。それはひとえに雇用主側の認識不足だが「いろんな会社がありますよ。」と言っていた。

でも、なおぞうさんの場合は違いますよ、と付け加えた。「病気ではなく、突然環境が変わって、それに心がついていかないだけです。お母さんが落ち着いて、なおぞうさんの手を離れれば、元に戻ります。それだけですよ。薬を飲むのは、少しでも今の気持ちを穏やかにするためですから…。」

がんばる必要はなく、やるべきことの中から、できることを自分のペースでやってゆけばそれでいいようだ。私はそれを聞いてとても穏やかな気持ちになれた。分かる人だけ分かってくれればそれでいいや。

きっと会社の人には身近な人が心の病になるまで、そういう人たちの気持ちが理解できないだろう。

それとも臭い物にフタをするように事実を隠し続けるのかもしれない。先生曰く、「世の中には色んな人がいますから。」


2005年02月21日(月) 心に風邪をひくのはダメ?

いつもどおり仕事をしていると、事務長に呼び出された。

会議室に入りドアを閉める。なんかマイナスな雰囲気である。開口一番、派遣から社員にどうかという話はナシにして欲しいということだった。理由は私自身であるらしい。

事務長があげただけでも、仕事中に居眠りをしている、ほおづえをついてぼーっとしている、にこやかさが消えた…などなどがあるらしい。私に思い当たるふしは、ある。

居眠りといってもいわゆる寝ているという状態ではなく、普通にパソコンなどを扱っていたらふっと一瞬落ちて気を失ったようになるのだ。これは睡眠薬を飲んだのに何時間も眠れなかった翌日によくなる。隣の席の子は本気で心配していたが、別にどうってことないので、何でもないと答えておいた。(会社では鬱病であることを公表していない。)

顔を押さえてぼーっとしているのは、左の顔面がひきつっているときだろう。ひどいときは傍目で見てもわかるくらいひくひくと頬が上下するので左手で覆って、時が過ぎるのを待っているのである。他の人が見たらぼーっとしているように見えるのだろう。

最後のにこやかさが消えた。これはものすごく主観的だし、私はそんなに常時へらへらしていただろうか?と思った。でも、事務長もそう思うらしい。

私は事務長に母が倒れたことの心労からくる、不眠症、鬱病、不安、強迫神経症?になっており、睡眠薬と、抗うつ剤、抗不安剤をこの1月から服用していることを告白した。通院は2週間おきにカウンセリングのような形でやっていると言った。

と、同時に、私のやる仕事というのは分量が決まっており、気を失おうと、顔が引きつろうと、量はこなしてきた。ミスもない。それを訴えると、会社は人と人とのつながりだから、和を保たないと…と言った。

めんどくせー、と心底思う。鬱病であることをカミングアウトすればみんな気を遣いまくるだろうし、言わないなら言わないで、「なまけているのでどうにかしてほしい。」と訴えられる。表面上は皆仲が良いのでよく分からないが、老いも若きも温室育ちのお嬢ばっかりなので、規律正しくしてないと悪印象を抱くのだろう。

事務長は一日も早く以前の朗らかで居眠りをせず、ほおづえもつかない私に戻って欲しいようで、その猶予は3月一杯らしい。それを守れなかったら、派遣の契約継続も要再考とのことだった。

すごい会社だな、と思った。私が来て、色んな流れを改善したり、使いやすくする提案をして、みんながスムースに仕事をこなせるようになって、「ああ、お役に立てているんだなぁ。」と我ながら喜んでおり、「出来れば社員にどうですか?」とオファーを受けたのが11月ごろだ。

その頃と仕事の上では何も変わっていないのに、母親が倒れて、私が鬱病になると周りは変わってしまっていた。何が悪いのだろうか?私は嫌々ながらも今の母親に必要なことはこなしているが、それを理由に会社を休んだことは一度しかない。社会保険事務所と、区役所に行ったときだけだ。しかも有休を使っている。

明日からどんな風に仕事をしよう?面白くなくても笑えるような薬でももらいに行こうか?鬱病なんか心の風邪みたいなもんだと思うんだが。あ、ちょっとしんどいなと思って、薬を飲んだり、状況が変われば知らないうちに治ったり、風邪もそんな感じではないか。職場で引きつりがでたからといって文句言うのは、鼻かんでる人に文句言うのと一緒だと思うが、極論過ぎるだろうか?

話の最後に、「お母様のこともあるから、働きつづけないと困るでしょう。今の病気のままどこか他のところにも勤めにくいでしょうし、頑張って直して下さいね。」と言われてしまった。一体何が言いたいのか分かりかねるが、あまりいい気持ちはしなかった。

早く春にならないかなぁ。春になったらバイクでツーリング行けるし。こんなしょーもないことなんか一秒で忘れることができそうだ。


2005年02月10日(木) 戯れ言王から学ぶこと

「戯れ言王」それはうちの母親である。私は顔も見たくないので、先生や保険福祉課の人に会いに行くだけだが、おばちゃん(母親の妹達)はいやいやながらも一週間に一度は見舞いに来ているらしい。それをいちいと報告してくれるのが有り難いやらなんなんやら。

「お母さんなぁ、ロト6で40億当たって、昼から銀行の人が持ってくるから、そのお金で家に手すりつけて家帰る言うてたで!」
「三井住友の通帳がテレビの下の引き出しに入ってて、4000万円入ってるからそれで介護してくれって言うてたわ。」

…。誰が寝たきりのババアのところに40億円なんか持ってきてくれるのかね?テレビの下の引き出しって、開き戸しかないし、そこは重ね撮りしまくって画像が荒れたビデオテープの墓場じゃないか。

「正月にも帰ったから一週間に一度は家に帰りたいって先生に言ってるんやけど帰してくれへんねん。」

あのー、ベッドから上半身を起こすこともできない寝たきりがどーやって階段しかないアパートの4階に帰ったんですかね?

もしかして、本当にボケてしまったのかもしれない。まだ64歳かなんかのはずだが。月末に転院をする予定だったのだが、こないだの手術の経過がゆっくりで、まだ抜糸すらできないらしい。普通は一週間くらいで抜けるらしいのだが、糖尿病を患っていたせいか、血管がもろいので大事を取っているというのが先生の弁。

将来は本当にこんなふうにはなりたくない。運動神経が鈍くても、健康で、そして愛されてなくても、疎まれない人間でありたいと思う。そして、一人で賃貸ボロアパートに暮らさず、将来一人になったら、「一人用一軒家」のようなものを借りて、毎日散歩したり、友達らとチャットして孤独倒れするようなことだけはしないでおこうと思う。

うちの母親から学ぶことがあるとすれば、「反対のように生きなさい。」ってことだろう。やっとわかったぜ。


2005年02月04日(金) 銭の花は使って咲かせろ

というようなことが、西原理恵子のまんがで書かれてあったような気がする。そうそう、そのとおり!ということで今年は節約はほどほどで行こうと決めた。なんか、節約って疲れるというか、むなしいというか、通帳の残高を見てハイになれる人にしか向いてないような気がする。

石上神宮に後厄のお祓いにも行った。5000円。フェリシモの通販は毎月なんしか買っている。最近のフェリシモはあなどれない。ちゃんとLLサイズがどの服でもあるではないか。もうちょっと袖が長ければ文句ないんだけど。1月はサニークラウズのシャツ、セーター、2月は同じくシャツとスカート、3月はパジャマと、カバンと、シャツと、きんちゃく袋が来る予定。かーっ!1万越えますよ。でも大丈夫(なはず)

一冬に1缶しか使わないと決めた灯油も1月のひとつきで使い切った。なんと毎晩ストーブのぬくもりに身を委ねてしまったのだ。部屋の中でGパン、トレーナー、ボアのスリッパでうろうろできるって便利だ。茶碗だって湯沸かし器のお湯で洗って快適だ。

去年までは妖怪の如く重ね着をして家の中にいた。関節なんか曲がらないので大魔神みたいにして歩いていた。そして、ゴム手袋をして真水で手を洗う。荒れはしないが冷たくて頭がカキーンとする。もうこんな生活はやめるのだ。

じゃーん!そして3月の給料日が来たらバイクを買う予定だ。中年Uターンライダー返り咲きである。でもカブは手放さない。灯油を買ったり、ホームセンターで土を買ったりするときはカブでないとだめだからだ。ふふふ。2台持ちですよ!

経済的なことを考えるのなら250ccだが、惹かれる車種は400ccなので迷い中。足の届くバイクに乗るつもりなので、オフロードは残念だけど見送りだ。

人生を楽しくするのはきっと自分の努力なんだと思う。たまに抗えないほどのおおきな力で負かされそうになるけれど、私はまだ完全に負けてはいないのだ。


2005年02月02日(水) いつもの調子で

今日は母親や病院の話ではない。この2ヶ月ほどその話ばっかりなので、だんだん読者様が引いていっているような気がする今日この頃。以前も書いたが、web上の日記というのは不思議なもんで、本来人様にお見せするという前提ではないのに、何万人もの人が読んでいたりする。「テレビの旅番組で紹介されるとっておきの秘湯」みたいなもんだろうか。

さて、今日は相方と電話で会話をした。お題はクルマである。今年の秋にうちのクルマ(スバルのフォレスター)が限定車を出すらしいのだが、それに相方は興味津々だ。営業のあんちゃんによると、「6速ミッション、セミバケットシート」が付くらしい。うちのクルマを下取りしたとしても150万円ほどの出費になるだろう。

「もし、試乗して気に入ったら…だから、そんときはまぁあきらめて。」と言うのだった。「あきらめて」というのは「買うことをあきらめる」のではない。「買ってしまうことを甘受せよ」という意味なのである。恐ろしや。

私は今のクルマを買ったときのローン返済の地獄の日々を反芻していた。弁当を作れなかったら昼食は抜き。古本屋にせこせこと本を売りに行き、水道、ガス代は基本料金。夏のエアコンは3回ほどしかつけなかった。(客が来たのだ。)交通費は0円(全て自転車で行く)。携帯メールは打たずに、家に帰ってからパソコンで返事を打つ。(常時接続だから)そうやって、頭金ナシ24回の地獄のローンを返したのだ。

その日々がまた来るかと思うと反吐が出る。しかも私はうちのクルマが運転できない。MTは苦手とか、段差でスポイラーを割ったとか、車庫入れで切り返しをすると疲れるとか、ここは大阪だとかいろいろ言い訳はあるのだが、簡単に言うと、車の買い換えは百害あって一利ナシというか、一楽ナシなんである。

負け惜しみではないが、大阪をクルマで走っても全然面白くないのは気のせいだろうか?信号多いし、駐車場のある飲食店はファミレスとコンビニだけだし、すぐ駐車場に金を取られるし。バイクやチャリンコの方がずっと有意義だと思うのだが。アメリカ、カナダあたりでレンタカーを借りたことのある人は分かると思うが、ああいうところをバビューンと走る快感を覚えてしまうと、バイオハザードばりにおばさんママチャリが飛び出してくる路地を走ることは非常にストレスがたまる。なので私は海外旅行に行ったときしか運転をしないのだ。(別名・オリンピックドライバー(4年に一度くらいしか運転をしないから))

そんなわけでクルマの買い換えには非常に反対である。借金背負ってまで欲しくないというのが本音だ。まぁ、クルマ好きからしたら、欲しいシロモノなんだろうけど。

昔、こんな例え話を聞いたことがある。ランエボ(国産で一番イケイケなクルマ)が新車で100万円であなたのものになります。が、条件として、車体に全面広告を入れ、一ヶ月ごとに広告は入れ替わります。広告は選べなくて、「かに道楽」「動悸、息切れ、めまいに救心」「十三ミュージック」「よっちゃんイカ」「かっぱかっぱかっぱのかっぱ寿司」などなど多岐に渡ります。それでもこの100万円ランエボを買いますか?という選択である。

クルマを走らせるのが好きな人なら、迷うことなく買うらしいが、わたしなら絶対買わないだろう。常識でこんなん買うヤツおらんやろ?とも思う。が、相方は買うらしい。信じられないが、ランエボが100万円で手に入るのなら、ボディに筆文字で「よっちゃんイカ」と書いてあっても気にならないのだそうな。(わたしもよっちゃんイカは好きだが、クルマに書かれているのはちょっと引く…)

この辺が相方とは相容れない。まぁ、夫婦とはいえ他人なわけで何もかも嗜好が合うわけではないのだけれど、そこまでクルマが好きとは知らなかった。

いやー、結婚生活は思わぬところが大変そうである。ってもう今年で結婚して5年にもなるわけだが。ちっとも相手のことを知らなかったなぁ。はっはっは。


nao-zo |MAIL

My追加