日々是迷々之記
目次


2002年03月31日(日) 食後のコーヒー徘徊記

私は食後にコーヒーを飲むのが常になっている。働きだしてからはちょっと懐に余裕があるのでたまにはお外で飲みましょうルルルンとなるのだ。(といっても1杯200円以上の物に手を出すことは滅多にない。)

ということで、今はビジネス街に勤めているのでコーヒーの選択も増え、毎日ちょっとしたわくわくが味わえる。

カップに入った物ではドトールのアイスコーヒー180円が好きだ。会社の近所のドトールでは店先にお昼時になるとワゴンを出して、おにいさんがワゴンで販売してくれる。手際もよく、混んでいても直ぐに自分の番が回ってくる。こういう環境でもてきぱきとおにいさんは紙袋とコンビニ袋の過保護放送にしてくれるが、わたしはそのまま下さいと頂いて帰る。

モスのアイスコーヒーも結構好きだ。ただこれは、店員さんのさじ加減ひとつで氷の量が変わってしまうのがかなしい。私は氷おおめが好きなのだ。少ないと会社に帰るまでに溶けてしまって何だかかなしい。お昼2時を過ぎるくらいまで、米粒ほどになった氷が最後の力を振り絞ってコーヒーを冷やしてくれている姿はちょっと美しい。(大げさ?)

最近はカフェブーム?のせいか、ちょっとしたコーヒー店がカプチーノや、カフェラテ、エスプレッソなどを扱うようになってきている。

今回告発する店もその手の店で、ついこないだまで「コーヒー、紅茶、ミルク、各種アイスもできます。」というようなお盆にパンを乗せて買うお店の付録のようなお店である。そこに行くと、「カプチーノ、カフェラテ、キャラメルカフェ、エスプレッソ」などとおっちゃん連中が「冷コーくれへんか?」などとはいいがたいメニューに変わっていた。しかし、やはりというか、その後に「各種アイスもできます。」と燦然と書かれていた。

アイスカプチーノはいいが、アイスエスプレッソなんてものができるのだろうか?私はふらふらと財布から小銭を出し、カウンタに向かった。

「アイスエスプレッソ。1つ。」「…。あ、アイスエスプレッソですね?」一瞬のとまどいを感じたがここで引くわけには行かない。「そうです。」

店員さんはスチロール製の白のカップを取り出し、スチーム式コーヒー抽出機?に向かった。どうやってアイスにするのかと見ていたらがらがらとアイスメークマシーンから氷を入れている。そこにしゅごごごっと湯気を上げるエスプレッソを注ぐのだ。そして後ろをくるりと振り返り、「アイスエスプレッソ、お待たせしました。」と笑顔で私に差し出した。

そのブツは確かにアイスエスプレッソだ。熱くない。でも、冷たくもない。氷達はがんばれずにもうダメ…と消え入りつつある。しかもカップはまだぬるい。しかも、カップにフタはない。うう、ここから会社まで歩いて10分弱、ぬるい得体のしれないドリンクを持って歩くのは悲しい。しかし、食べ物を残せない私はちびちびすすりながら会社へ戻った。

結論:アイスエスプレッソはまづい。250円返せ!ゴルァ!


2002年03月30日(土) ビジネス街見聞録その3

その日はお弁当を持ってこなかったのでてくてくと歩きモスバーガーへ行った。

お店はそれほど混んでおらず、店内で食べることにした。注文するのは「タンドリーチキンサンドのオニポテセット」である。要はスパイシーな鶏肉を炙ったモノをはさんだパンとオニオンリング2個、スモールのポテトフライである。ドリンクもセットになっており、私はアイスコーヒーを頼んだ。頼み方がキモである。

「アイスコーヒーのMで。持ち帰りのコップに入れて下さい。」

これで私はフクロなしのアイスコーヒーを手に入れることができる。レジのおにいさんはハイわかりましたと私のレシートにかしかしとその旨を記載し、ドリンク係のおねえさんに渡した。ふふふふ。

かくして私はサンドイッチをつまみつつ、ブラックのアイスコーヒーを賞味していた。そして、食事が終わるとコップにはアイスコーヒーが半分ほど残っている。そこにおもむろにガムシロップ半分とミルクを投入し、今度は食事の後のコーヒーとして味わうのだ。

ふと隣のテーブルのお嬢さん2人組が立ち上がった。彼女たちもセットを注文し、食べ終わって帰るところのようだ。彼女らのトレーに目をやると、ドリンクを三分の一ほども残している。あの赤土混じりの土砂のような色は「アイスロイヤルミルクティー」に違いない。

モスのセットはアイスのドリンクに限り、SサイズとMサイズを選べるようになっている。どうせ残すんならSにしとくのが人の道というものだと思うのだが、食べ放題の店で食べきれないほど取る人と同じような人種に違いない。ちなみに私は残すのがキライだ。(だから太るのかもしれないけれど)

お造りの大根のけん、サンドイッチについているパセリはもちろんのこと、海老フライのしっぽ、パンのミミなど本体より好きなものもある。(でもそれだけ皿に山盛りだとそれはそれでちょっとアレなんだけど。)

しじみ汁のしじみはだしを取るためにあるから普通は食べないというのを知ったときは衝撃が全身を貫いた。なんて贅沢なんだろう。

話はそれたが、アイスコーヒーのお持ち帰りである。かくして無事お持ち帰りすることができるようになったが、最近は新たなお気に入りができてしまった。

それについては明日の日記に書こう。(いつまで続くんや、コレ)


2002年03月29日(金) ビジネス街見聞録その2

ふらふらと歩いていると、ほのぼのとした日射しに体がぬくもってきた。ヨシコーヒーでも飲もうと思い立ち、ドトールへ入った。注文するのはアイスコーヒー。時は12時45分なのでお持ち帰りしよう。

「こちらでお召し上がりですか?」と聞かれたので、「持って帰ります。」と答えた。列になって他の人が待っていたので、カウンターからどいて、少し離れたところでアイスコーヒーを待つ。するとカウンターの中から子鬼のようなヘアスタイルのおねえさんがコンビニ袋を携えて出てきた。

「お待たせしました。アイスコーヒーお待ちのお客様。」

私のことである。でも、なんで袋なんやろう。オマケでもくれたのかなハテハテなどと思いつつ受け取る。店を出て確認すると、コンビニ袋の中身は紙袋。その中に白いボール紙が敷いてあり、そこにアイスコーヒーとストローとミルクとガムシロップが入っていた。なんでこんなに包むのだろうか。

わたしはがざごぞと梱包を剥がし、ミルクとガムシロとたたんだ袋をポケットに入れ、コーヒーをずずずと飲みながら会社に帰った。

これはドトールのみの現象だと思ったがそうではなかった。
後日モスバーガーへ行ってアイスコーヒーを注文してみたら同じだった。

どうしたらカップだけすんなりもらえるのか?私は実験してみることにした。

明日へ続く。


2002年03月27日(水) 食後のビジネス街見聞録・その一

今日も仕事で煮え煮えなアタマをかかえて、流し込むようにお弁当を食べた私は気分転換に外を散歩することにした。

散歩はよくするほうで、大体12時20分から12時55分くらいまでビジネス街をひたすらうろうろする。ビジネス街にはいわゆる住宅地や文教地区には無いものがいろいろあって面白い。

まず目立つのが街角のお弁当屋さん。ゲリラのように軽トラやワンボックスで現れて台を置き、ビーチパラソルのようなモノを立て、弁当を並べて売る。お客が買いに来ると大きな電気釜からゴハンをついで、ポットからカップにおみそ汁を入れて渡してくれる。これが380円から600円くらい。値段の差は純粋に量の差である。味はほか弁と50歩100歩。原価が安いのでハムの周囲がオレンジ色だったのが印象的だった。私はあれが好きでないので二度と買うことはないだろう。

次に目立つのは安売り薬局の存在である。薬局といっても、めがねをかけた薬剤師のオバチャンがガラスの向こうで上皿天秤に薬包紙を乗せて、薬を計量してくれるような薬局ではない。トイレットペーパーの横にブルボンのトリュフチョコレートが、モッズヘアのモイストフィニッシュシャンプーの横に生茶が並び、店員さんが真っ黄色のジャンパーをはおり、タイムサービスの立て看板を振り回し、いらっしゃいませ!と雄叫びをあげている。ふと、デンタルフロスを買いたくなったので物色しレジへ運んだ。するとレジが遅い。原因は店員にあった。店の方針だろうが、いちいち一人づつに5時からのタイムサービスの説明をしている。しかも声がデカくてマニュアル棒読みなので丸聞こえなのだ。うう、ウザイと思いつつ、私の番になると「はぁはぁ」と気のない返事をして店を出た。確かに安いけど、1割高くても静かな店で買いたいと思った。

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と、ここで洗濯機がピーピーとジョブ完了のサインを出している。干しに行かなくてはならないのでこの続きはまた明日。(しかし続編のある日記って一体…。)


2002年03月22日(金) 涙の中小企業没落の宴

連休明けのその日は、日本の祝日とは全く関係ないサイクルで動く業界に属するこの会社には地獄の一日となった。

朝からビリリンと電話は鳴り響き、メールはどさどさとやってくる。そして、ちょっと直して欲しいねんけど、とおっちゃんたちが書類を持ってやってくる。私が作った書類が間違っているのはアンタの字が汚いからやと言うべきか言わないべきか、さっさと手を動かした方が得だと思う私はあくまでルーティンと割り切ってやる。

そして迎えた午後5時。電話はぱたりと止んで、やっとこさ本来自分に与えられている仕事をすることができる。その思いは輸入を担当している女子社員の彼女も同じで、黙々とキーボードを叩く。ちなみに私は輸出を担当している。

資料と首っ引きで電卓をびしばし叩き、原稿を作り、エクセルで入力。それをスキャンニングした書類と一緒に海外の代理店にメールで送信するのが私の仕事だ。コレがあと10件くらいある。時刻は午後5時半。

一本の電話が鳴り、おっちゃんが取った。何でも書類を訂正する必要があったらしく、訂正印を持って出ていこうとしていた。その後ろ姿に、支店長が声をかけた。

「月桂冠、買うてきてや。あとつまみも欲しいなぁ。」

これが本日、本当の地獄の始まりとなった。

30分後、おっちゃんは手に月桂冠とつまみの入ったコンビニ袋を携えて帰ってきた。宴会場はわたしの背後の資料を整理するときに使う、丸テーブルと4つのパイプ椅子のようだ。

「こんなんあるで。ワシ、炙ってきたるわ。」別のおっちゃんが食器棚の中からとりだしたのはエイヒレだった。なんでこんなモンがあるのかは謎だがとにかくエイヒレなのだ。かくしておっちゃんはエイヒレをもって、湯沸室へと向かった。

「ワシは燗がええわ。」

支店長はそういうとおもむろに湯沸かしポットのお湯を捨てに行った。オイ!何をする気や!と思ったがことの行く末を見守ることにした。戻ってくると月桂冠をドボドボと注ぎ、沸かしている。このとき私は月曜日からこのポットのお湯は使うまいとココロに誓った。

トイレに行こうと部屋を出ると、フロアは場末の飲み屋街のニオイが充満していた。炙ったエイヒレ、お燗をした日本酒のニオイが漂う。ええんか!これで!と憤りつつも用を済ませてデスクに戻った。

「なおぞうさんも飲まへん?」と言われた。酒は大好きだが、このシュチュエーション、このメンツ、そして、湯沸かしポットに突っ込まれて全開で沸騰させられた月桂冠、こんな酒は飲みたくない。「まだまだ仕事が残っていますから」と穏やかに断った。

そして私は書類を打つのに集中していたが、どうしても背後の会話に気が向いてしまう。中小企業の50才前後のおっちゃんというのはこんなしょーもないことを語る動物なのか?私はそう感じずにはいられなかった。その会話をかいつまんで箇条書きで書いて行く。

1.昨日のテレビ「大食いフードバトル」について
 「卓袱うどんを13杯食べるんやけどな、その前にあん巻き20個喰うてるねんで。それも細っそい女の子や。」

2.ツケのきく喫茶店Sについて。
(ちなみにその店はビジネス街の地下にあって、昼はミックスフライ定食、夜はスナックになるような店で決してオシャレでもなんでもない。)
 「あっこのな、ミート(スパゲティだと思う。話の流れからして。)がうまいんや。そやけどな、ママさんが気まぐれやからな、めっちゃミートが少ないときがあるんや。そのときはな、最後に麺だけ残しておいて、ミートをおかわりするんや。」
 「そんな、替え玉みたいなことができるんですか?」(30代社員の声)
 「言うたらやってくれるで。タダや。」

3.うまい?和食の店について
 「今度和食喰いにつれていったろか?」
 「おごりですか?」
 「もちろんや。うまいで。」
 「和食やったら、造りやらあって高いんちゃいますのん?」
 「まぁ造りもあるけど、ウマイんはだしまきや!」
 「それだけですか…。」

4.リーズナブルな飲み屋について
 「こんどな、ちょっと遠いけどあそこの飲み屋行き直さなアカンな。」
 「こないだ満員で入れませんでしたもんね。」
 「あっこのな、刺身がビショビショなんや。」
 「なんでですか?」
 「まな板を洗った後、布巾で拭かへんていうのもあるんやけどな、洗いよるんや。刺身のサクをな。ほやけどな、うまいねん。その刺身が。何で洗うんかようわからんけどな。」

こんな会話の集中砲火を浴びせられながら、私はもくもくと作業を続ける。エクセルに入力をしながら、ミートソースをお代わりする支店長、だしまきをほおばるおっちゃん、そして濡れた刺身がぐるぐるとアタマを回る。その間も、湯沸かしポットは月桂冠の蒸気を吐きつづける。頼む、給料倍くれ!

そこで私の目の前で書類を入力していた新入社員の彼女が暗い目をして立ち上がった。げげ!本当に顔色が悪い。

「なおぞうさん、私申し訳ないんですけど帰ります。ちょっと気分が…。」

彼女はお酒が飲めないので当然だ。この部屋は酒まんじゅうを蒸すせいろのようになっているからだ。気を付けて帰りやと声をかけるわたしの背後から支店長の声がした。

「なんや、気分悪いんかいな?ほなタマゴ食べ。タマゴ。」

いつのまにか、給湯室の電熱器でゆで卵を作っていたようだ。彼女は社員なので逆らうこともなくやんわりと、家で頂きますと行ってタマゴをカバンに仕舞って帰った。あのタマゴにはかわいそうだが、きっと帰り道で路上にたたきつけられるだろう。わたしならそうする。

「なおぞうさんは、気分悪くないんかいな。酒強いんやな。」

といって、背後で皆が笑っている。給料3倍増し、プリーズ!である。

このあとのことは記載するパワーもない。とにかく作業を終わらせて、メールを送り、私は8時15分に会社を離れた。

有給休暇を使い切ったら辞めようと思うのはこんな時だ。


2002年03月11日(月) 洗車体験記

ぼちぼち冬も終わりやろということで洗車をすることにした。

我が家のクルマはダンナさんが単身赴任先である滋賀県北部へ持っていっていたので、かなり汚れている。雪が降って、ちょっと溶けて、また凍っての繰り返しでホイールはどろどろ、ボディはガビガビ、とても納車3ヶ月とは思えない風格?だ。手で触ると手が汚れるのであまり触らないようにして乗り込んでいた。しかし、実用のクルマなんてのはこんなもんだと私は思っているのでさほど気にならず、ホコリまみれのまま放置していた。

しかし、あるきっかけがあって、洗車することにした。某ディーラーに勤めている友人が5年コート剤を売ってくれることになったのだ。「5年間ワックスがけ不要」というやつで、ワンボックスクラスをディーラーに頼むと5万5千円らしい。それを、コート前のシャンプー類など一式で9000円弱で手に入れた。しかも、ヒマなので洗車を手伝ってくれるという。日曜日に待ち合わせてカーピカランドへと行った。

まず、水洗いをした。うちのクルマは真っ黒なので水をかけただけでテラテラと黒光りをしてきれいになった気がする。しかし、スポンジに洗剤を付け、ごしごしこすると、スポンジにほこりがてんこもりだ。ステーションワゴンの背が高い版の形なので、私では屋根の真ん中を洗うことができない。以前所有していたCR-Xとちがってしんどい。表面積も広いし。しかし、ダンナさんは以前ビッグホーンに乗っていたので洗車は一日仕事、脚立持参でやっていたそうで、今のクルマはルンルンだと言っていた。そんなもんなんかな。

どうにかこうにか泡を行き渡らせて、一気に流す。しかし、いくら流しても隣のブースでステップワゴンを洗っているオッサンが泡をとばすのでいまいちキレイにならない。間のパーテーションがもっと高ければいいのにと思う。洗い終わると片隅に移動してコーティング作業にとりかかる。

ここからは友人の出番だ。毎日出勤後に毛ばたきと、やわらかい布で展示車を磨き込んでいるだけのことがあり、少ないアクションで的確に塗ってゆく。しかも早く、少ないコーティング剤で塗っている。むらが少ない。さすがにプロはちがうなぁと感心した。ファイブミニくらいの大きさのコーティング剤を4分の1ほどしか使わずに全てを塗り終えた。

次はベルベットのような布でコーティング剤を拭き取ってゆく。拭き取った端から鏡のようなボディが現れる。むむ、めっちゃキレイではないか。ほんまに新車のようだ。「黒はちゃんとやれば映えるで。」という言葉はほんとなのだ。

気合いを入れて磨き込むように拭き取る。ボディに映る自分の顔を見ながら拭いてゆく。汚れたクルマもいいけど、きれいなのもいいなぁといつもながらにテキトウ思考をくりかえす。わーいわーいキレイになった。

帰りに皆でファミレスに行きゴハンを食べながらしゃべる。4月になったら夏タイヤに戻すのだという話をすると、「いかつくなるなぁ。」とのコメントが。そうなのだ。夏タイヤのホィールは金色なのだ。

黒光りするボディに、金色のホイール。とても30代夫婦の乗る車には見えない。純正マフラーもブボブボ最初っから重低音系だし。これにレカロシート、サベルトの4点式シートベルトを付けると、ますます冠婚葬祭には行けない車になってしまう。

が、そんなものを付けるのはまだまだ先(付けるんかい!)なので、とりあえず、まわりの友人達には長生きして欲しいと思う今日この頃である。


2002年03月10日(日) 私の秘めたる死闘・トイレ編

会社帰りに近所のスーパーに寄った。小雪が舞う中ママチャリで走っていたのでつま先がじわじわするほど寒かった。私は「う〜、ブルブル。」と震えながらスーパーのトイレに行った。

個室の中は暖房便座にウォシュレット、子供を座らせる台まであって私はそこに鞄をおいてするべきことをして。そして終盤にさしかかり、「さて。」というふうに「小」の方の洗浄ボタンを押してマル秘部分を清めた。が、しかし、なんというか「止める」ボタンが動かないのだ。押してもクリック感はなくじゃじゃじゃじゃじゃ〜と洗浄水は噴水のごとく吹きあがってくる。

わたしはどうしたらいいのか考えた。電源を抜こうかと思ったが座った状態のまま手が届くところにはない。じゃじゃじゃ〜と洗われ続けていてもらちがあかない。私は意を決して素早く立ち上がり、水の届かないところ(個室のカド)へ移動することにした。とりあえずどかなくては帰れない。床はびしょびしょになってしまうが、温水がなくなれば止まるだろう。私はズボンが床に落っこちないようにはしっ!とつかみ、立ち上がって前方に飛んだ。

「うお〜!」太股の後ろ側とズボンに盛大に温水がかかった。が、水はなくなったようで温水はそれほど床をぬらすことなく水は止まった。わたしはトホホな気持ちで濡れたズボンを履いて一人むなしく家路についた。

夜、帰ってきただんなさんに一部始終を話した。そしてウォシュレットが壊れたとき人はどうするべきなのか尋ねた。だんなさんは何かにとりつかれたように笑いながら、

「ちょっと腰浮かしたら止まるねんで。着座センサーがあるんやから。誰も座ってへんかったらボタン押しても水って出ぇへんねんで。」

と言った。サうなの?私はそんなことを知らなかった。むなしい戦いだったのだ。逆にゆっくりと立ち上がればズボンが濡れることもなかったのだ。文明というのは恐ろしい。

この日はeMacのメモリを増設したのだが、激安バルクのメモリにもかかわらず、しっかり認識されたのがせめてもの救いだ。いやはや、トイレには気をつけなければB


2002年03月06日(水) 夢のパソコン

というものについて考えてみた。

それにはまずデザインが重要である。見た瞬間、「あ〜、仕事せないかんなぁ。めんどくさ‥。」と思わせるようなデザインは好きではない。起動したらまず、ブラウジングしてしまいだらだらと気が付いたらあれまもう小一時間経ってるのね。(T_T)なんてことになりかねないからだ。

早く家に帰ってパソコンで遊びたい!と思えるようなパソコンがよいパソコンなのだ。ひいては、こんなんできそう!わくわく〜といって本を買ったり、試行錯誤したりいろいろ遊ぶことにはまれるではないか。遊ぶこと、楽しむことがとりあえず必須な私のような人間にはそういうパソコンこそ、「愛すべきパソコン」なのだ。

さて、具体的にはどんなパソコンが夢の愛すべきパソコンなのか?

まず、iMacである。

新しい雪見大福に旗を刺したようなぶんではなく、旧型のお尻が丸まったやつである。マニア的視線で言うと拡張性がなかったり、モニタの外部出力がなかったりと、それなりに問題はあるのだが、「ビジネス感」が全くないポヤンとした存在感はなかなかである。何をトチ狂ったのか、花柄や、逆カルピスの配色もあったのがすごい。「柄物のバリュースター」なんてのはまぁ考えられないので、柄物、色つきはやっぱりiMacのオニギリ型で生きるのだ。

ちなみに私もiMacユーザーだ。ボンダイブルーなので今となっては化石一歩手前だが、HP作成からフォトレタッチ、職務経歴書の作成、などなど全てをこなしている。傍らには自作のAthlon1ギガのレイドマシンが19インチモニタを携えてどかんと鎮座しているが、起動すらしない日々が続いている。

最近ではバイオWがイイ線行っていると思う。

早速カタログだけゲットしてきたが、これがまたイイところを突いている。メモリースティックスロットだけでなくPCカードスロットもあるのがエライ。小型機なのにテンキーがあるのもエライ。ドライブの挿入口や、ポート類は液晶画面の裏側の真ん中近くにあるので画面を見て作業しているときは配線地獄が見えないようになっているのも感心した。添付ソフトも高機能ではないけれど、難しくないから、とりあえずやってみようと言う気にさせるラインナップだ。

コレはあとで出てしまうかもしれないが、オフィス類が一切入っていないのもバイオ族の気合いを感じる。あのデザインでエクセルを起動して「2002年度金銭出納帳」なんか作る気にはならないのでいらないのだ。

惜しむらくはウィンドウズXPがOSとして搭載されていることだ。ルナというらしいが、ブルーとオレンジとグリーンのグラデーションが何だかケバく感じてしまう。プロパティの設定で「クラシックウィンドウズ」の紺色と灰色の配色に変えてみたがいまいちだ。

そこで考えてみた。バイオWにぴったりなOS。じゃ〜ん、それはMacOSXである。バイオWのなかでiTunesを起動し、iPodに音楽を転送、めちゃぴったりである。半透明のウィンドウや、ジニーエフェクトという、じょわんと出てくる出方もなかなかはまっているではないか。

「MacOSXを搭載したバイオW。iPodは添付品」これが今私の考える夢のパソコンである。


2002年03月05日(火) どっこい、8メガADSL!

ダンナさんが長期出張を終えて帰ってくるのを期に、ADSLを導入することにした。ケーブルも考えたが、問い合わせに関する返事があまりにもタコなので却下した。

出張先ではYahoo!BBを利用していたダンナさんによると、Yahoo!いまいち信用できないとのことだった。世間ではいわゆる「放置プレイ」で悪評を買っているようだが、ダンナさんは入会はすんなり、速度も5Mオーバーと、かなり恵まれていた。しかし、辞めるときに問題は起きた。

まず、「引っ越しをする場合はどうなるのか?引っ越し先でもYahoo!
BBを使用できるのだが?」と問い合わせをしたのだが、返事が来たのはその1ヶ月後だった。

「(NTTの)収容局が異なる場合は解約後、新規のお申し込みとなります。」とのことだった。ルーターも返さないといけないらしい。申込金も勿論もう一度必要とのことだった。

しかも、そのメールが来た2日後、接続ができなくなった。月の最後の日の一日前である。「ゴルァ!」とダンナさんがYahoo!BBに電話で問い合わせると、10分ほど待たされたのち、こう言われた。「退会手続きには2週間ほどかかりますが、契約は今月いっぱいなので切断しました。手続きが終了したらメールでお知らせします。」

「メール環境なくなるんですけど、どうやって退会手続きが完了したかわかるんですか?」と尋ねるとこう言ったそうだ。

「えーっと、会社とか、インターネットカフェとかで受信できるんじゃないんですか?」

あのな〜、って感じである。ネット接続から足を洗う?ヒトとかはどうすんじゃい!と座敷牢に監禁して12時間ほどみっちり問いつめたいご返答である。なんでも、「サービスを安く提供するために、電話や手紙でのお知らせはやっていない」そうである。大したモンだ。

そこでダンナさんはマジキレしたふりをして、その恐らく派遣かバイトであるオペレーターのお嬢さんを涙声になるまで罵倒プレイして電話を切ったそうだ。本人曰く、「消費者の声が少しでも伝われば」だそうな。(^_^;)

結局、今、私が利用してるプロバイダから申し込めるADSLサービスを申し込むことにした。安くもなんとも無いけれど、お知らせやサポートには真面目に答えてくれるので信用したのだ。

開通するまでは内蔵モデムでの接続となった。

ホンの2週間ほどだろうが、やはりもうネット接続ナシには生きていけないのだ。新聞も取ってないし、テレビガイドも買わないし、テレビをろくに見ないので、ネットに接続しないと「明日の降水確率」も分からないのだ。

めんどくさ〜と思いつつ、我が家で唯一モデムがついており、なおかつ稼働しているマシンであるiMacのモデムを設定することになった。このマシンは買ったと同時にISDNで接続しており、モデムを使ったことがなかったのだ。初期不良だったらどうしようとハラハラしながら設定を探す。

が、ないのだ。カスタマイズしまくっているので、モデムなんか使わないや!ポイポイ!と設定をほかしてしまったようだ。それらしき設定を使用停止フォルダから引っぱり出して、入れ直して再起動してもどうにもダメである。これは再インストールしかないと思い立ち、「リストアCD」をおもむろにCDロムドライブに差し込んだ。

これが悲劇の始まりだった。この数分後に、全てのメールともだちを失うことを誰が想像できただろうか‥。


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