日々是迷々之記
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2002年04月30日(火) |
告発!チューショー企業の暗部!(^_^;) |
平日になるとこんなネタしか書けないワタシの生活を呪わずにはいられない。しかし、これが日常なのだ。何でこんなことで苦労しなければならないのか?「わたしはこんなもののために生まれてきた訳じゃない。」って歌があったが、まさに今のワタシはその心境だ。
休み明け、火曜日の朝、静かな悲劇の幕開けだ。出社し、マシンを起動する。が、なかなか起動しない。やっとのことでアイコン達がデスクトップにならんだと思ったら、警告のウィンドウが開いた。詳しくは忘れたが、「ネットワーク内でIPアドレスを取得できませんでした。」とのこと。なんでやねんと思いつつ、ケーブルやプラグなどの物理的な接続を確認したが、問題はなかった。
ネットワークコンピュータで見ると、ネットワークプリンタも見えている。が、なぜか、IPを取得できていないので、メールも落とせないし、ネットワーク上のスキャナを使用することもできない。IP関連担当重役のおっちゃんもお手上げだ。
しかし、休み明けで書類はてんこ盛り。メールもたんまり来ているだろう。とりあえず、新入社員の子のパソコンにワタシのアドレスを設定してくれたのでそこでメールを落とした。するとどかどかと未読があっという間に20通。しかもウィルス付きもある。しかもご丁寧に「ダウンロードしますか?」などとダイアログがでる。おいおい、セキュリティーの設定「低」やんか…。
セキュリティーの設定を変え、トレンドマイクロのサイトにアクセスしてオンラインスキャンでウィルスを削除する。ふぅ。これだけで小一時間。
とりあえず、新入社員の子がどくたんびにそっちへ移り逐次メールに返事を書く。その合間にワタシのマシンのエクセルで書類を作成。しかし、その書類をメールに添付するためにはスキャンニングをしなければならない。ところが、新入社員の子のマシンではスキャンニングができない。何故なら、ドライバディスクが行方不明だからだ。おいおい…。
しかし、書類は催促されている。しかたないので、別の社員の人のマシンでスキャンニングをさせてもらう。それを新入社員の子のマシンに移動させてメールで送るという寸法だ。が、しかし、その新入社員の子のマシンは社内のLANに参加していないことが判明。なぜそんなことをするのか?このシステムを構築した人を座敷牢に閉じこめて半日ほどねちねちと問いつめたい気持ちを抑えてせこせこフロッピーディスクに入れる。MOなどない。CD-Rってナニ?そういう世界だ。
するとダイアログがでた。「移動先が満タンです。」なぬー!一人一人にあてがわれたフロッピーディスクは一枚限り。すかさずフリーの圧縮解凍ソフトをダウンロードしインストール。そして圧縮。どうにか全部をフロッピーに突っ込み、新入社員の子のパソコンに移動させた。ここで新入社員の子がパソコンを使うのでしばし中断。このへんから苛立って来た。
その子に罪はないのだが、ゆっくりゆうっくり書類を作っているのを見ると何故か苛立つのだ。彼女のフォルダが「☆(ひらがなで彼女の名前)☆」って名前なのもイライラを増長させる。
そして昼休み。わたしが午前中にやった仕事は、ウィルスの駆除、ソフトのダウンロードとインストール、書類の移動。それだけである。私は昼休みを一時間ずらすことを申し出、新入社員の子が食事をしている間に仕事を進めることにした。
「なんでここまでやるんだろう。」自分に問いかけるが、どーせやらなきゃいけないのなら、さっさとやろうという気持ちに隠れてしまう。気分的に早死にしそうだ。
昼からもそんな感じで仕事をした。で、結局みんな定時で帰ってしまい、6時に私が帰れるようになったとき、鍵係のおっちゃんがいただけだった。今日は派遣会社に提出する勤務表の締め日だ。しかし、サインをする直属の上司は帰ってしまった。何だかこれでいいのかと思う。
とりあえずサインなしでファックスだけして、明日サインをもらってから発送しようと決めた。
一体ナニが悪くてこんなことになるんだろうと考える。私のパソコンが病んでいると考えるのが妥当だと思う。ダダ漏れのウイルス。先日はIEのトップページがエロサイトになって、デスクトップに毛むくじゃらアイコンが置かれてしまった。毎日、ポットでお湯を沸かすとブレーカーが落ち、パソコンの電源が落ちる。それだけでもアレなのに、最近は再起動後、毎回ブルースクリーンが出ていた。
金がない中小企業はITに首をつっこまないべきではないか?今どき98ノートやら、ペンティアム100のパソコンやら、沸騰ポットとファックスを同時に使うと落ちるブレーカーやら、何を考えているのか?
昨日まではにこにことキャンプしていたことを考えると、私の日常はなんて下らなくてつまんないんだろうと思う。
さて、明日、私のパソコンは復活しているのだろうか?
調子に乗ってベタベタと写真を貼りまくっていましたが、あんまりたくさん貼ると重いかと思い、2日に分けることにしました。ということで、これは28日土曜日の後半のものがたりです。(どんな日記や…)
マドレーヌを失礼のないようにいただいた私は、道を進んだ。途中道が分からなくなり、浜松から来たオフローダーの人に道を尋ねたりしながらも進んでいた。(なんとその人はハンディGPSを持っていたのだ!)
気持ちよくコーナーを曲がるとそこは土砂崩れの残骸がありありと残っていた。低速なカブだからいいけれど、ここを大きなバイクで80キロくらいでつっこんだら死ねると思った。ガードレールの向こうはちなみに崖です。
そろそろと注意して進む。コーナーを抜けるとそこは土砂崩れでした、ではシャレにならないからだ。幸い、そこからは大した崩れはなく、やっとこさ、大きな道路に出ることにした。
そこで、ガソリンを入れることにした。カブは燃費はリッター60とすこぶる経済的だが、タンクが小さいので満タンで200キロは走れないのだ。もう170キロほど走ったあとだったので、目の前のガソリンスタンドに入る。ガソリンを入れてビックリした。なんと1リッター116円なのだ。思わず、ハイオクでも入れたかと思った。レギュラーだった。トホホホホ。やはり陸の孤島。高いのである。ちなみに昨日、白浜で入れたときは1リッター86円だった。こんなに値段って違うんかいな?と思いつつ、次なる目的地、「弘法の湯」へ向かった。
ここは週の半分しか営業していないので、来ても閉まっていることが多かった。今日はちゃんと開いていたが。入ると、右手が茶の間のようになっていた。おばちゃんがちゃぶ台のところで「いらっしゃい。」と言った。どうしたもんかと立ちすくんでいたら、「お上がりなさい。」と声をかけられた。ノートを差しだし「ここに住所と名前を書いて下さい。」と言われそのとおりにする。
ちゃぶ台の傍らにはテレビがあり、グルメ番組の再放送をやっている。おばちゃんと、常連さんと思われるおばあさんがわいわいと見ている。なるほど、ここは受付兼待合室なんだなぁと思い、おばちゃんに進められるまま、リッツをつまんでテレビを見る。ツーリング中にテレビを見るとは思わなかったなぁなどと思いつつ、30分ほどすると、お風呂から人が出てきた。何と、入れ替え制なのだ。300円で貸し切りとはすごいなぁと思いつつ、私の番になった。
写真では暗くなってしまったが、檜の浴槽に、窓の外は海である。窓の外はこんな感じだった。
パンフレットによると、「浴室の窓から南紀大島が展望でき、晴れた日の海を眺めながらの入浴はもちろん、海が荒れた日の波の音を聞きながらの入浴も本当に心が洗われます。」だそうだ。今度は荒れた日に来てみよう。
ゆっくりのんびりと入浴すると、汗が噴き出してきた。このあたりは食塩泉なので、お湯がねっとり、よくあたたまるのだ。おばちゃんにお礼を言い、スーパーへ向かう。
今日は、チューハイ、たまご、キュウリ、厚揚げを購入した。まだ少し早いのでちゃんと火を使った料理をするのだ。
サイトに戻ると早速チューハイを開ける。うまい!太陽が沈む前に飲む酒はうまいのだ。そこで中くらいのなべにタマゴ4つを入れ、水を入れ、火にかける。今日はゆで卵なのだ。絶妙のタイミングで火から下ろし、炊事場で水に浸して剥く。ほかほかしておいしそうなので、その場で1つ食べてしまった。
テントの所でもうひとつ。今度は塩をふって食べる。やっぱりうまい。ちょっとお腹が落ち着いたので、お湯を沸かし、ショートパスタとソースの粉末が一緒になったモノを入れる。7分間茹でるとできあがりなのだ。その横で、昨日と同じ要領でキュウリを切り、ゆでたまごをほぐしてマヨで和える。コップに焼酎を注ぐ。今日の夕食ができた。
だいぶ日が傾いてきたが、気分がいいので、これらを持って、岬の突端へ向かった。本当に地球が丸く見える。写真を撮ったがぼんやりとしか写っていなかった。デジカメは暗いのが苦手なのだ。沈む夕陽、漁船の光、波を見ながらご飯を食べて焼酎を飲む。なんかごちゃごちゃ悩んだりしても意味ないんじゃないのと思わずにはいられない、大きな風景だ。そうだそうだ、いろいろ考えてもしょうがないんだよ、、、とひとりで納得しながらその景色を眺めていた。
テントに戻ると直ぐに寝てしまったようで、目が覚めるとまだ5時だった。食べ残しの厚揚げを焼いて食べ、コーヒーを飲み、散歩したり、海を見たりして、8時頃サイトをあとにした。
途中、白浜の無料露天風呂と、和歌山城に立ち寄った以外はほぼノンストップで家に帰り着いた。カブのペナペナシートに8時間、座り続けて、尻が痛いが、それ以上に濃い旅だった。やはりバイクはやめられない。
ありがとう、カブちゃん。
そして、ここまで読んでいただきありがとうございました。
今日の日記は写真を織り交ぜながら進めていこうと思います。重かったら済みません。m(--)m
朝日にテントがぬくめられ、暑くて目が覚めた。テントのジッパーを開けると外はピカピカのブルーだった。
さあどこに行こうかとわくわくしながら、コーヒーを入れた。
今日は天気がいいのでのほほんと走ることにして地図をめくる。海沿いを走ってから、山の方へ入り、小さな道を探索してみることにした。夕方には昨日と違う温泉に行くことにしよう。カバンの中に着替えと、お茶、そしてパンとカメラを入れ、8時半ごろ出発した。お出かけ装備はこんな感じだ。
潮岬はちょこんと出っ張った形になっており、一周約10キロだ。走り出してすぐ、空と海の青さにバイクを止める。
断崖の上からも、水が透き通って見える。
行ったことないけど、ハワイのダイアモンドヘッドってこんな感じかな?と思った。
たった5キロほどの道のりで何度もバイクを止めてしまう。眼下に串本の町が見えてきた。ジェットスキーの波頭が気持ちよさそう。
海岸沿いの国道は、これまた車が皆無だった。昨日つかみかけたライン取りのを思い出しつつ、淡々とコーナーを流す。60キロ位しか出ていないけれど気持ちいい。
途中で県道に入る。おお、滝があるやんか!ということで滝を見に行くことにした。
プルンプルンとカブは機嫌良く走っている。カブにはこんな田舎道がお似合いだなぁと走っていると、無人販売所があった。珍しくお菓子を売っている。お漬け物と迷ったが、傷むといけないのでマドレーヌを購入、ゆずのマドレーヌ、どんな味なんだろう。ここでぱちりと一枚。
セピア色にしてみたら、なんかはまりすぎって感じだが。プルンプルンと進んでゆくと、今度は上流からカヌーに乗った人々がやってきた。町をあげてのカヌー大会のようだ。
今度はカヌーでここに来たいなぁと、次の旅に思いを馳せる。てこてこと川を遡上してゆくと沈下橋を発見した。
沈下橋とは、雨で川が増水したら沈むように作られた橋である。高知県の四万十川のものが有名だが、ここ、和歌山も雨が結構多いので、時折見かける。ちょっと渡ってみよう!ということでuターンして橋の入り口?を探す。するとこんな所にあった。幅、1メートルくらいか。どうりで最初通ったときに見つからないわけだ。
そろそろと橋の真ん中くらいまで進む。怖い。気分的にはカブの車幅くらいしかない感じだ。そっと右手を見る。
う、怖い。落ちても死にはしないだろうけど、ちょっとね。ちなみに左側は渦を巻いていました。
どうにかこうにか、そろそろと渡りきると、一面の野原になっており、しばし感動した。子供の頃はこういう誰のものだか分からない野原ってあったよなぁと思うとなんだか切ない。今の子供は「野原」の意味なんかわかんないんじゃないかと思った。
その後も民家の軒下のような道や、ちょっとした崖崩れの道を抜け、目的の滝に到着した。
しかし、私はこの滝よりも、この集落にあるお地蔵さんにひかれた。7体ほどのちいさなお地蔵さんが並んでいる。ひとつひとつに湯飲みが置かれ、きれいな花が飾られている。毎日掃除をしている人がいるのだろう。
そのお地蔵さんたちに守られて、ひっそりと学校が建っていた。創立昭和22年とある。廃校だ。山間の小さな平地にめいっぱい取られたグラウンド。この学校を卒業して、そのすぐそばに住み、そして廃校したあとも見守り続けるのはどんな気持ちなんだろう。
この集落は思いもよらず、とても印象に残った。何故か旅ってそういうもので、期待して行くとそのものよりも人混みに疲れてしまったりして、なかなか想像通りには行かない。
県道を進んで行くと、見晴らしのよいところがあったのでカブを止めてお茶にした。さっき購入したゆずのマドレーヌをほおばる。洋菓子のそれとは違い、あっさりした、甘さ控えめのマドレーヌだった。上にはゆずの皮がマーマレードのように乗っており、とても風味がつよい。好きな味だった。1つ1つ丁寧にラップでくるんであり、それをビニール袋に入れてある。ラベルも手書きで、見た感じ折り紙にボールペンで「ゆず」と書き、それをセロハンテープで貼ってあるようだ。
手仕事のあたたかさを感じずにはいられない。(続)
今年のゴールデンウィークはいつもとちょっと違っていた。ダンナさんの出張が伸びてしまい、一人で過ごすこととなったのだ。うむむどーしよ?と考え、そうだ私にはカブがあるではないかと思い立った。
一昨年に事故して以来、ツーリングはおおかた2年ぶりである。少し不安だが、どこかへ行きたい気持ちは変わらない。ふんどしのヒモをがしっと締めて行くことにした。(あくまで気合いの上の話でわたしがふんどし愛好家という訳ではありません。)
そうと決まれば行動は素早い。家の中からキャンプ道具や、食料をかき集めてきてどさどさとバイク用のカバンに詰め込んだ。金曜日の晩は残業だったが、明日になれば旅立てると思えば、ルンルンだ。
かくして土曜日の朝を迎えた。予定では5時に起床。6時出発だったが、残業のたたりか、目覚めたら9時だったので、ゆっくりコーヒーを飲み、「渡辺篤志の建もの探訪」を見てから出発する。なぁに、今日の目的は移動だけなのでのんびり行こうじゃないか、ハハハとカブに声をかける。どうも一人暮らしになってから独り言が多い。とにかく出発だ。
プルルン、パパパとカブは走り出す。南へ向かう道として、高速道路の高架の下道を選んだ。ここは周囲に工場しかないため非常に空いているため、和歌山へ行くときは定番のルートなのだ。しかし、これはカブには向いていない道だった。65キロで走っているのにぐぉん!と轟音と共にトラックに抜かれる。これが怖い。よく考えると、中型のバイクでここを走っていたときは100キロオーバーで走っていた記憶がある。ルート変更。地図を見て細い府道に入った。
これが正解だった。くねくねとしているが、土曜日のせいか車は全くおらず、カブのペースですいすいと流すことができる。だいぶ遠回りだが急いでいるわけではないので快適なのがいいのだ。40キロで峠を越えて和歌山へ入った。この時点で12時を過ぎている。
まだまだ南下する。途中でおなかが減ったのでファミマで休憩する。チキンバーガー220円也を購入。お茶は家でペットボトルに入れてきたモノを飲む。ちょっと背中を伸ばす運動をしてもう一度走り出す。このへんで80キロほど走ったか。
途中、有田という町を抜ける。ここは関西では有名なみかんの産地で山全てがみかん山になっている。ここの山越えはカブにはしんどかった。スピードが40キロまで落ち込むのだ。しかし、そこでがんばらずにさっとウィンカーを出して左に寄れば、後ろの車は抜かしてくれる。中型のバイクでは絶対そんなことはしなかったが、カブにはカブの走り方があるんだとちょっと思った。
そこからはそんなことの連続だった。和歌山は山と海が隣り合っているのでアップダウンが多いのだ。下りは70キロくらいで流せるが、上りは50キロをキープするのがやっとだ。でもそこで焦らずに道を譲る。すると、おおかたの人は「ありがとう。」という感じでハザードランプをピカピカさせてくれる。気張って走ることはないのだ。
白浜という一大観光地を過ぎると車はすっかりいなくなった。ここからはイッツマイワールド状態で走る。カブは加速が鈍重なのでなるべく減速をしないように走ると楽だ。ということでカーブではスピードを落としすぎずに、ライン取りでカバーするとヨイよとダンナさんが言っていた。ライン取りを考えながら進む。
そして白浜から約60キロを2時間で走ることができた。1回トイレ休憩をしたことを考えるとまぁまぁ走れた気がする。そして辿り着いたのが本州最南端の潮岬だ。
ここの芝生は無料のキャンプ場で、私とダンナさんが知り合った地でもあり、今まで何度となく遊びに来ている。ぼちぼち日が暮れてきたのでさっさとテントを張り、温泉へ行く。
ここの温泉「サンゴの湯」もこれまた定番で回数券を買った方が得かもと思うほど来ている。食塩泉なので非常に暖まるのが嬉しい。4月といえども8時間バイクで走ったあとはお風呂にはいると体中がじわ〜っとする。
じわじわほかほかの体で近所のスーパーへ行く。今日は疲れたのでさっさと食べて寝ることにした。アジのフライ、コロッケ、キュウリ、マヨネーズ、そして、メインディッシュに和歌山ラーメンセット(ただし閉店前の半額の品)を購入してサイトに戻った。もちろん、ビールも忘れずに。
テントに入り、早速ランタンをともし、ぷしゅっとビールをあける。うぐうぐと飲むと体にじわ〜っと染み入る感じがする。ぐわはっ。うまい。アジフライに家から持参のソースをかけて食べる。アジフライは手づかみに限る!と思うのは私だけだろうか?包丁で切ったり、箸で食べるとおいしさが半減するような気がするのだ。
とりあえず胃が落ち着いたので調理をすることにした。かばんから、タマネギを取り出し、必殺空中切り(左手にタマネギを持ち、右手の包丁でばさばさ切る)でタマネギを刻む。そこに塩をぱらぱらとかけてもみ、しんなりさせる。そこにこれまた空中切りのキュウリ、缶詰のツナを投入しマヨとひと垂らしのショウユで和えるのだ。これが焼酎に合うのだ。マヨツナ和えとコロッケを食べながら、焼酎を飲んでいると気分が良くなってきたので寝ることにした。
ぱちっとランタンを消して、寝袋に入ると、落っこちるようにしてネムリに入った。やはりカブと走る250キロは偉大なのだ。
2002年04月25日(木) |
タノシイ会社告発之記 |
少しの間、更新の手が止まっていた。これは何も仕事が忙しくて時間がないというわけでもなく、ただ単に疲れてしまい家に帰るとゴハンを食べて寝てしまう日々だったからだ。
疲れる原因は何か?それは会社である。(いつものパターンですね。)今日は、この2.3日に起こった出来事を思い返してみようと思う。
出社するとタイムカードをがこんと押してから、パソコンのスイッチを入れる。そしてメールチェックをする。私のアドレスには主に海外からの問い合わせみたいなものが一日15件ほど来る。しかし、その朝届いたのはメールだけではなかった。ほぼ全てのメールにウィルス"Klez G"がご丁寧に添付されていた。
勿論ウィルス対策ソフトは入れている。ノートンアンチウィルスだ。ちゃんと常駐してる。で、なんでウィルスが届くのか?それはウィルス定義ファイルを更新していないからなのだった。考えてみればわかると思うが、そのソフトが開発されたあとにできたウィルスはそのままでは駆除できない。新しいウィルスを駆除するためには、新しいウィルスのことをそのソフトに教えてあげなければならない。それがウィルス定義ファイルで、年会費のようなものをダウンロードして更新するようになっている。
この会社はそれをしていないのだ。だから新しいウィルスはダダもれで入ってくる。しかしダダもれだからといって野放しにはできない。勝手にアドレス帳のアドレスにウィルス自身のコピーを添付して送ってしまうからだ。
で、どうやって駆除するのか。世の中には便利なモノがある。オンラインスキャンである。トレンドマイクロという会社のサイトにアクセスするとオンラインでパソコンの中を調べてくれる。早速アクセスして駆除する。
私のパソコンのハードディスクは今どき2ギガである。2ギガといってもISDN回線に全従業員のパソコンがぶら下がっている環境でオンラインスキャンは時間がかかる。しかもパソコンが非力なので、スキャン中は他の作業ができない。しばし待つ。一時間おきにこれだからたまらない。この状態が月曜日から続いており、今日、やっと一日のウィルスの数が1桁に落ち着いた。
ぼそっと事実上IT担当重役のおっちゃんに、定義ファイルを更新するのにお金を払ったらどうですか?と聞いてみた。すると、お金がでないそうだ。
それを聞いて呆れてしまった。法人契約で定義ファイルを更新するのにいくらするのか知らないが、オンラインスキャンの間、仕事ができない。その分残業に食い込めばそれでお金がかかるのが分からないのか?ちなみにフレッツでもなんでもないただのISDNのようなので接続料も当然払っているだろう。目先の金銭の動きにしか目が向いていないようだ。
日本のチューショー企業なんてこんなもんだとダンナさんは言うが、それが本当なら終わってると思った。
ちなみに最近2台のパソコンを導入して、やっと全従業員にパソコンが一台づつ行き渡った。その最後の2台がお笑いである。初代のNECラヴィのノートである。つまり98なんである。古くからパソコンを使っている人は記憶の片隅にあると思うが、NECの98シリーズは独自のキーボードを採用していた。しかし、日本のパソコン黎明期(パソコンでなくマイコンと言っていた)は、NECがシェア90パーセント!みたいな状態だったのでそれでよかったのだ。
しかし、時は流れ、Dos/Vパソコンが登場し、JISキーボードが主流となり今に至っている。会社のおっちゃん連中は、ちょこちょこっとDos/Vマシンを触る程度である。そのおっちゃんにいきなり化石のような98マシンをわたす。日本語入力さえできないのは笑ってしまったけど、しょうがないなと思った。だって2台で5万円くらいだったらしいし。
一人のおっちゃんに至ってはちょっと指がタラコのようになっているので、タッチパッド苦手のようだった。で、近所の大型ビジネス用品屋でマウスを買ってきた。懐かしの98用マウスで、プラグが四角いものだ。
「ようこんな化石みたいなもん買って来ましたね。」と思わず言ってしまい、「うわ!ばかにしてると思われたやろか。」と少しだけ反省したら、「お店の人にも確認されてん。これ98用ですけど本当によろしいですか?って。こんなん5000円もすんねんで。」といわれてトホホとなってしまった。
タダのマウスに5000円。スクロールのボタンもないタダの白いマウスが5000円である。ほぇ〜。これならアップルの光学式マウス7000円はお買い得だ。
という感じで、わたしからすれば訳のわかんないことばかり起こるこの会社である。
しかし、問題はその「わけのわからない会社」で、「ちょっと変な人だと思われている私」である。夫婦でそれぞれのパソコンを持ち、新聞は取らずにウェブのテレビガイドをチェックするのは変なのか?
長くなったのでこの話は明日なのだ。
2002年04月20日(土) |
Windowsパソコンの活躍の場は? |
うちにはたくさんのパソコンがある。起動しないモノを含めると7台ほどあるのではないか。そのうちまともに使えるのは3台で、そのうちソーテックのノートはダンナさんの愛機である。私が使用しているのはiMacである。
残りのちゃんと動く1台は、自作機でメモリ512MBとハードディスクが80GBとというどうみてもオーバースペックな一台なのだが、宝の持ち腐れ状態でほとんど使っていなかった。
しかし、ADSLも8メガだし、LANケーブルは余って渦巻いているし、100ベースのハブはあるし、ということで一念発起、このマシンをネットに繋ぐことにした。タンスの裏や、カーペットの下にケーブルを這わせて、パソコンにセッティング。久しぶりに電源を入れた。
ビョ〜ンと元気に立ち上がった。早速中身を見てみる。(あまり使わないから何が入っているかさえよく分からないのだ。)一応いるモノは揃っているが、メーラーだけはフリーのモノを入れた。アウトルック系はあまり好きではないのだ。なんとハードディスクが70ギガも空いている。う〜ん、何に使おうか考えた。DV編集をやるにはカメラがないし…。ということでDVDビデオのバックアップを作ってみることにした。
手順としては、中身の吸い出し→映像と音に分ける→合体して圧縮だ。CDRにバックアップするつもりなのでmpeg1に圧縮しよう。これを全部フリーウェアでやってみることにした。
世の中にはなんでもあるもんで、全てがフリーで見つかった。ただ、英語版しかないものもあるので、音や映像の専門用語は首をひねってしまった。が、どうにかこうにか吸い出しはできたようだ。
しかし、異常に時間がかかるし、できたファイルがこれまたデカイのだ。140分の映画が8ギガバイトほどある。吸い出しに2時間ほど。これをmpeg1形式に圧縮するにはこれまた一晩くらいかかるらしい。
ということでここで続きは今度にすることにした。
こんだけ時間がかかることを考えると、人から借りてバックアップしちゃえばタダ!むふふ!とは思えない。特にDVDムービーは安いし。昔ビデオに撮ったテレビ番組を残す、という意味では有意義かもしれないけど。
でも、それにはコンバーターがいるんだよなぁ…。それにファイヤーワイヤーのボードも…。
まぁ、それは今後の課題ということで…。
朝起きると、水を飲み、コンポのスイッチを入れる。FMココロが私のお気に入りだ。この局は何て言うんだろうか?日本在住の外国人の人向けのようで、英語だけでなく、スペイン語や、中国語で漢詩を読むプログラムまである。
朝7時からのプログラムは音楽と、天気予報、交通情報という定番に加えて、「ワールドトピック」というコーナーがある。これがめっぽう面白い。世界各地に住む日本語を話す人に何かトピックを話してもらうという10分ほどのコーナーだ。アメリカ、メイン州のジェシカさん、ロンドンの岡田さんなど、いろいろな人が出てきて面白い話をしてくれるのだが、その中でもソウルのパクさんの話は興味深い。今回の日記はそのパクさんのお話から、私がおお!っと思ったモノを紹介しようと思う。
1.韓国の地下鉄には実演販売のモノ売りがくる
韓国の地下鉄は私も乗ったことがあるが、まず、切符を買うのが難儀だ。先にボタンを押してからお金を入れるので、日本式にお金を先に入れてしまうと落ちてくる。ハテ?と思いつつ何度も入れ直しているとだんだん涙目になるが、おばちゃんが横からばしっとボタンを押してくれ、「さあお金を入れるんだ。」と目で合図をしてくれた思い出がある。
さて、実演販売だ。地下鉄だから、ガムとか新聞とか売りに来るのかと思ったら、私の想像を超えたモノを売りに来るらしい。プチ裁縫セット、裾あげテープ、ビニール傘、果ては扇風機カバーまで。特にビニール傘は「今外は雨が降っています。さぁ、傘あるよ〜。」という感じで売りに来るらしい。むむむ。それは絶対売れるだろうけど、ちょっとすごい。
2.韓国のラーメン屋はインスタントラーメン
韓国のラーメン屋さんにはたくさんのインスタントラーメンが飾ってある。が、それはただ単に飾ってあるだけでなく、それを見て注文するらしい。注文すると、そのラーメンを取り出し、はいよって感じで作ってくれる。そして、ドンブリにそそがれ出てくる。上にチャーシューを乗せたりというアレンジは一切ないようだ。値段は、スーパーでインスタントラーメンを買うよりちょっと高いだけらしい。でも、わざわざ外でインスタントラーメンを食べたいかなぁと疑問に思ってしまった。
3.韓国の主婦が一番欲しい家電。それはキムチ冷蔵庫
今、日本の主婦の憧れの三種の神器と言えば、IHクッキングヒーターと、食器洗い乾燥機、洗濯乾燥機らしいが、韓国ではダントツでキムチ冷蔵庫らしい。これには思い出がある。前に勤めていた海外輸出の部門のお客さんに、韓国最大の電機メーカーがあった。そこ担当の営業さんが、「なおぞうさん、これ買ってみーひん?」と言って持ってきたのがこの、キムチ冷蔵庫のカタログだった。それは、縦型で上から入れるようになっており、開け閉めをしても温度が変わらないので、キムチが酸っぱくならないのが最大の売りだそうだ。
ラジオのパクさんによると、韓国では秋頃にキムチを家で漬けるらしい。なんと、パクさん一族では3世代分として、83個の白菜をバスタブで洗い、ベランダで漬けたのだそうな。いやはや。確かにそれだけ漬けると最後の方は酸っぱいのばっかりになってしまうだろう。キムチ冷蔵庫。いわばワインクーラーと同じだと思えば納得か。
4.韓国の主婦は洗濯物を煮る。
シャツを鍋に入れて、水と漂白剤を入れてぐつぐつやるそうだ。約1時間ほどぐつぐつやると白く輝くシャツになり、特に年輩の人は欠かさずやるらしい。しかし、若い世代はそれがめんどくさいという風潮があるので、洗濯電気鍋というようなものが売られていて大人気なのだそうな。形状はまるっきり炊飯器で、その中に漂白剤と洗濯物と水を入れてフタをすると、ごごご〜と沸いてきてぐつぐつ煮てくれるらしい。もちろんタイマーも付いている。
その他、目玉焼きとトーストが同時にできる電子レンジなど、ホンマカイナ的なものが紹介されていた。今まで4回ほど韓国に行ったことがあるが、煮えてる洗濯物や、地下鉄の物売りは見たことがない。
これはもう一度行ってこなければ、とこのパクさんのレポートを聞くたびに思う。
明日のパクさんレポートが楽しみだ。
2002年04月14日(日) |
バイクツーリングことはじめ |
目が覚めると外は気持ちよく晴れ上がっていた。風もない。空はにこにこの青空だ。ヨシ!久しぶりにツーリングだ!と思い立った。
一昨年の8月に交通事故に遭ってから去年の暮れに症状固定をするまで、一切バイクには乗らなかった。というより、怖い気持ちから乗る気にはなれなかったのだ。それは、症状固定をしてからも気持ちは変わらず、ホームセンターや市場に行くときにちょっと乗るだけだった。
しかし、クルマに乗るようになってから、バイクが懐かしくなってきた。ごく当たり前だが、風や、温度がダイレクトに体にあたってくる感覚がやはり欲しくなってしまう。特に助手席に乗ると眠くてたまらなくなってしまう。バイクに対する憧れがすこしづつ育ってきていた。
そして、4月になりダンナさんは出張で今度は三重県に行ってしまった。土日も戻ってこないので、さて何したもんかと多少持て余し気味だった。
ということでバイクである。気の向くまま、てきとうに走る。そういうツーリングはひとりもんのとき以来である。さっそくペットボトルにお茶を入れ、ヘルメットを持って外へ出た。
相棒はカブ90である。カブちゃんなどと呼んでいる。何かやりたいことを惜しみなくやろう、ということで、神戸にケーキを食べに行くことにした。大阪から神戸までだいたい40キロ弱。カブで走ったことの無い距離だ。さてどうなるか。
まず、国道43号線にでた。これは高速道路と併走しているのでかなり高速で流れている。案の定、70キロキープしているのにびゅわんびゅわん抜かされて生きた心地がしない。帰りはもう一本北側の国道2号線を走ることに決めた。
びゅわんびゅわん抜かされながらもどうにか神戸、元町まで辿り着いた。時計を見ると、家を出てから1時間以上経っている。やはりカブはゆっくりだ。だんなさんの1200のロードバイクにタンデムして神戸に行ったときは40分弱で着いたと記憶している。それはそれで怖いんだけど。
元町にはJRAの場外馬券売場があり、人でごった返している。わたしはさっと路地に入り、電信柱の脇にカブを止めた。またこれが違和感がないのだ。ホイールベースはママチャリほど、前かごがついており、荷台は新聞用のでっかいのが付いている。これで風防とハンドルカバーがあったら絶対誰もツーリングのバイクとは思わないだろう。
荷台にヘルメットをU字ロックで固定して歩き出した。目指すは元町ケーキというケーキ屋さんだ。おしゃれで洋風のケーキ屋さんが多い神戸では珍しい、「日本っぽい素朴な」ケーキが売りだ。そこで、タマゴのスポンジに生クリームを包み、上にイチゴと粉砂糖がかかった「ざくろ」(本当にそれっぽい外見なのだ)と、ヨーグルト風味の「レアチーズ」を買う。2つで499円。
次は「いすずベーカリー」へ寄った。ここのパンはとりあえず、日本最ウマ!と思う。イギリスパン系の山食4枚切り220円と、手のひらサイズのまるっこいフランスパンを4つ買った。
カブに戻り、プルルンとエンジンをかけると、海に向かった。ここらの南側一帯はメリケンパークという公園になっており、遊覧船を見ながら芝生にねっころがれるというすてきな公園なのだ。
木陰に座り、まずブーツを脱ぎ、靴下も脱いだ。そしてお茶を飲んで、おもむろにケーキを食べる。うまかった。スポンジのしっかりした感じがうれしい。イチゴも大粒でにこにこだ。あっという間にケーキ2個を食べてお茶を飲むと、なんだか風がここちよいことに気が付いた。
枕代わりにリュックを置き、お腹にGジャンを乗せて寝転がる。なんか本でも持ってきたらよかったなあと思いつつ、小一時間ウトウトした。
気が付くともう4時過ぎだ。まだ暖かいけれど、日が陰ると一気に寒くなってしまうだろう。カブといえどもバイクなので、日が沈む前に帰ろうと思った。
帰りは2号線で帰ろうと思ったが、以前ダンナさんと来るまで通った道を行くことにした。そこは、2号線よりもひとつ山側で、両脇に街路樹、中央分離帯も街路樹で、道が曲がりくねっていてアップダウンが激しい。気分はF1のモナコグランプリなのだ。(あくまでそういう気分なだけだけど)
今はつつじの時期で、白とピンクの植え込みを愛でながら、にこにこひゅんひゅんと走った。ああ、たのしいなぁと思えるのはこんなときだ。違う市に入り、街路樹がとぎれるまで約20キロ信号は多いけど楽しい道のりだった。
そこからは2号線に入り、マフラーのうるさいバイクやクルマに多少イライラさせられながらも、あまり渋滞していなかったので楽に家に帰れた。帰りの所要時間は約1時間半。電車でも1時間とかからずに着くのにと思うと、バイクはやっぱり道楽のものなのだ。
でも、楽しかったので、つかの間のひとりもん生活はバイクでてこてこ行こうと思う。来週は南の方に行こうかなぁ。
昨日は残業せざるを得なくなり、帰り道はすっかり日が暮れていた。といってもまだ7時台だ。駅から家までてくてくと8分ほどの道のりか。
途中の立ち飲みから赤い顔をしたおっさん二人組が出てきた。二人とも、スーツ姿で上着を手に持っているのだが、どこかおかしい。よく見ると、ズボンからワイシャツが半分以上はみ出ているのだが、ベルトはきちんとはまっている。
いや、これを「きちんと」というべきなのだろうか?恐らく、ズボンの中にワイシャツを入れ、そのズボンとワイシャツの境目?らへんのシャツの上のハラにベルトをしていたのだろう。飲んでほたえたのか、シャツがはみ出ている。よく言えば、松嶋菜々子がチノクロスのロングタイトスカートに、白のブラウスをオーバーで着て、細い皮ベルトでウエストマークをしているような感じだ。
しかし、実際は違う。タダの赤い顔のおっさんだ。しかも、なぜ、ベルト通しでなく、ハラに巻くのだ?ベルトを。
きょう日のワカモノの服装も理解しがたいが、オッサンの服装は理解どころか、悲哀さえも感じる。
#しかし、こんなんが自分の父親とかだったらイヤだろうなぁ…
2002年04月10日(水) |
外国人じゃダメかしら? |
ちょこっと残業をして帰り、食事の準備をしてテレビをつけた。私は普段、ほとんどテレビを見ない。新聞を取っていないので何をやっているかわからず、だんだんとテレビから遠ざかっていった。
たまたまテレビでは、ワールドカップ共催記念ということで、韓国と日本の知られざる関わり、みたいなことをテーマにやっていた。番組中では、歴史を遡り、いかに私たちが知らないところで、深い関わりがあるかを紹介していた。
その中で気が付いたのは、「日本人はいつも外国人より優れていると思っている。」という考えである。特に、私の親の世代、第二次世界大戦直後に生まれた世代の人はそういう考えが強いようだ。
もう一つ、「日本はよそ者に厳しい」という事実を改めて認識した。これは、私が人生の一時を過ごしたカナダと比較しての話だが、今回のテレビ番組を見て、その思いは強まった。
「日本人は外国人より優れいている。」どうしてそう思えるのかが私には理解できない。歴史上、ただ単に土地を侵略したらそんなに偉いのか?私には分からない。「今はそんな時代ではない。」そう言い切って、日本語を勉強し、ビジネスチャンスにつなげていこうとする韓国の青年の言い方がかっこいい。今生きているのは自分。過去を受容しながら、自分の人生にプラスをしてゆくにはどうしたらいいか?それが分かっているからこういう発言ができるのだと思う。
「よそ者に厳しい」それは常々感じていた。日本国籍でないと、家を借りることもできない、日本で生まれ育っても選挙権もない(納税の義務はあり)、公務員になることができない。例を挙げたらきりがない。その根拠はない。ただ単に、「日本人でない人はダメ。」ってことだけだと思う。
私は約3年間、カナダに住んでいた。その間、何度か引っ越しをし、病院に行ったり、地域の活動に参加したり、もちろん学校にも行った。その中で、 「外国人だから」といって差別されているという感覚はなかった。そもそも「外国人」という概念を恥じた。
私に初めてできた友達は、スコットというにいちゃんで、私より6つ年上で、語学学校の世話人のようなことをしていた。スコットはちっともしゃべらない私を案じて、まず、自分の家に連れていってくれた。そこにはお父さんのポールとお母さんのマリアンがいた。彼らはとても話好きで、英語のできない私とも、ごく普通にテレビの話や、スポーツの話をしてくれた。だんだん仲良くなるにつれ、「なれそめ」を話してくれた。
何でも、ポールはイギリス空軍におり、カナダに駐在したときに、ドイツから移民した2世のマリアンに一目惚れ、イギリス空軍を辞め、愛車のビートルを持ってイギリスからカナダにやってきたそうだ。
その息子、スコットの兄、とスコットは現在どちらもヨメがおり日本人である。それを考えると、スコットと兄はイギリス人とドイツ人のハーフである。その子孫は、カナダ人、イギリス人、ドイツ人、日本人の血が混じっていることになる。そのような環境で、「外国人」という概念は無意味ではないか?
皆が2カ国語以上をあやつり、あるがまま、人を受け入れる。それで何も不都合はない。
ただ、その文化に入ってゆくには「自分を見せること」が必要だと感じた。自分をさらけ出すこと。何で留学をしているのか。何に興味を持っているのか。何をしたいのか。それを明確に示せないと興味を示してくれない。
家を借りる場合でも、日本なら、お金をもって不動産屋に行ってハンコを押せばOKだが、向こうではそうは行かない。まず、家主さんと会い、とことん話をする。生活時間帯について、生活に何が必要か、そういったことを話し合った末に、家を貸してくれる。勿論お金は要るが、一ヶ月分を補償金として払うだけで、出るときには全額返してくれる。つまり、「信じ合えること」が家を貸す条件なのだと思った。そこに外国人だからどーのこーのはない。逆に「私の国に学びに来てくれてようこそ」というような感情があることを感じることもよくある。
「安いけど、こんなん、走ってていきなりつぶれたらコワイわ。」韓国の現代自動車の新聞広告をみて、会社のおっちゃんが言った。
つぶれるかいな。そんなもん。現代自動車のクルマは全世界の自動車会社で生産台数かなり上位だ。ホンダは北米で強いと言われているが、それでもまだ、現代自動車の方がシェアは上だと私は感じた。手頃なゲタクルマがよく普及している。年間1-2万キロ走行するのが当たり前の国でシェアの高いクルマが、平均的日本人の使い方でいきなりつぶれるというのは考えにくい。要は、根拠のない優越感から韓国の自動車を卑下しているのだ。
そういう考えを捨て、自分なりの考え方を持たないと日本が堕ちて行くのは必死だと思っている。好きでもキライでもいい。意志を示すこと。たったそれだけのことができない人が日本人には多い。
何もかも外国が優れていると言う気はないが、今の日本人気質はあまりにも個人の気配が薄い。息を潜めて死ぬまで生き続けるそれだけを求めている。
くだらないので、逝ってヨシ!私は日々そう思い、「変な日本人」として日々生きている。
家に帰って、さて今日は一体何を食べようかと考えた。野菜室には巨大なカボチャがあと4分の3,タマネギは5−6個、冷凍庫には牛ウス切肉が200グラムほどある。と、いうことで「肉カボチャ」を作ることにした。
材料はカボチャ半分、タマネギ1個、肉200グラム。調味料はショウユ、砂糖、みりん、そしてカレー粉。
まず、カボチャを一口大に切り、部分的に皮を剥く。タマネギは細切り、肉は適当に一口サイズに切る。フライパンにごま油を入れ、タマネギを全量投入し、木へらでしんなりするまで適当に炒める。しんなりしたら今度は、肉を投入。色が変わるまで炒めたら、砂糖、しょうゆ、みりんで味付け。ここで、カレー粉をふたつまみほど入れるのがあとから効いてくる。
次に、肉炒めの上にカボチャをならべ、フライパンにカボチャが半分浸るくらいまで水を入れる。そして火は強火にしてフタをする。ここで、カボチャに火が通るまで約20分くらいか。すかさず風呂に入って出てくる。そのころにはうまく火が通り、カボチャはホクホクしていた。
フタをとり、火は強火のまま、水分を飛ばすように、木へらで全体を大きく混ぜる。好みの水分量になったらできあがりだ。
ここで、ソバの乾麺を茹で、冷凍庫に保存してあったそばつゆを解凍、刻みねぎとわさびを用意し、簡易ざるそばを準備する。グラスには氷と、竹炭で濾過した水、その上から芋焼酎をそそぐ。
今日のごはんは、ざるそばと、肉カボチャ、そして、焼酎水割りである。ウググ、プハー。ずずずっ。ごくごく。プハー。ホクホク、パクパク。私が作ったにしては充実している。成功だ。
この、「肉カボチャ」というメニューはなかなか侮れない。カボチャの煮物というと甘いので敬遠する人も多いように感じるが、これはその甘さが、うまく引き立っているのだ。ショウユと砂糖、みりんの定番調味料に、カレー粉を入れることで、ちょっとだけぴりっとして、ご飯があったら、ドンブリ1杯は食べられそうな味だなる。
ちなみにこのメニューは、私の敬愛する「ケンタロウ」氏のレシピである。いつもながら、単純、作るの簡単、ほっとするけど、ちょっと新しいレシピには感動する。普通の料理本なら、煮物と言えばダシ取りから始まって、野菜を面取り、煮始めたらあく取り、と、かなりめんどくさそうな感じが定番だ。
日常の料理に手間暇をかけることが難しくなりつつある。そんな中でほか弁とか、スーパーのお総菜より、もっとおいしくて、経済的で、ばーんと大皿に盛ってがしがし食べられるような料理。それはそんなにムズカシイことじゃないんだよ!彼のレシピはそんな提案をしてくれている感じがする。
必読の書「ケンタロウの野菜がうまいッ!」学習研究社刊 1200円
2002年04月07日(日) |
見るだけニコニコの記 |
ふとしたことから経済状況が悪化し、15日の給料日まで節約することになった。クルマの保険と、ローンが一気に始まったのでヒヤアセをかいているのだ。
今日は町に出る。昨日、土曜日は引きこもって某掲示板の閲覧、じゃなくて家の掃除をしまくった。そして外に出ずに一日が終わってしまった。しとしとと降る雨の音を聴きながら、明日天気が良かったら桜でも見に行こうかなぁなんて思いながらネムリについた。
そして、今日の朝、起きると昼だった。これから桜を見に行く気力もなく、曇り空をにらみながら、カブでお出かけだ。
といっても節約モードなので無駄なモノは買えない。今日は見るだけなのだ。まずはソフマップに行く。
真っ先に向かうのは中古コーナーだ。垂涎のマックちゃん、G4キューブの値段を調べる。恐らくG4で一番安いのはこれだろう。10万円くらい。でも、キーボードとマウスも要るんだよなぁ、ブツブツなどと考える。と、なるとiBookの新品もいいよなぁ。でも、またもG3ってのも…。考えるのはタダなのだ。
シネマディスプレイをフルスクリーンにして、モンスターズインクの予告編ムービーを楽しむ。スピーカーユニットはもちろん、ハーマン&カードンなのだ。見た目のわくわく感では史上最強だ。コレにはPentium4 2ギガも勝てまい。ふふふ。
次はPDAのコーナーを物色する。うちのパームちゃんが9800円で売られていて軽く涙する。同スペックのIBM製ワークパッドは12800円。リチウムイオン電池なので充電できるのだろう。これはイイ!何度電池切れでデータをなくしたことか。
頭の中を物欲でパンパンにして今度は百貨店へ移動。500円だけ無駄遣いするのだ。(しかし30過ぎて500円てのも何だかなぁ。)候補は2つ。Herbsのデカイケーキ480円、もしくは蓬莱の豚マン2つで300円。しかしどちらも春休み最後の日ということで殺人的に混んでいる。
人波に疲れたので、気を取り直してウェンディーズへ。ここは、私がモスバーガーと同じくらい好きなファーストフードだ。しかし、メニューが北米そのまんまなのでイマイチ人気がないようでいつも空いている。ここで、メキシカンサラダと、アイスティーをたのむ。
メキシカンサラダとは、ちぎったレタスの上に、チリビーンズ、細切りチーズ、角切りトマトが乗っている。そこに砕いたトルティーヤと辛いチリソースを好みでかけて食べるのだ。
この店がエライのは、アイスティーを注文すると「ガムシロップはご入り用ですか?」と聞いてくれることだ。普通は問答無用で付いてくるのだろうが、使わないわたしは捨てることもできず、家に持ち帰り、冷蔵庫のドアの所に保管することになるのだ。
う〜ん、満足満足。幸せモードの私は店を出て、地下街を歩く。するとそこには輸入雑貨スーパーがある。ふらふらと引き寄せられるように入る。アメリカのマンガ、シンプソンズのペッツがあった。うう!欲しい。でも我慢なのだ。300円はちょっと高いし。他にもドクターショールのサンダルなど、心の中の物欲メモに記載するアイテムがいろいろあった。
次はレコード屋、というかCD屋へ。そこで、シェリルクロウのニューアルバムに聴き入る。う〜ん、コレは買いだ。しかし、来週以降ということで。並ぶアルバムジャケットを見ていて思うのだが、外国人の女性は、若い子もおばさんも、美人もそうでない人も、みんな「私は私!」という感じで主張している。みんな、自分のことを分かってるから、その特徴を生かしたオシャレをする。こういうのが個性的ってモンだと思うし私はそれが好きだ。
しかし、今の日本のワカモノ(なんだかオバンくさいけど。)たちは、個性を主張してるつもりなんだろうけど、そこに思慮、考えた形跡がない。右に倣え、似合う、似合わないは関係ない格好をしている。膝丈くらいのスカートに、だぶだぶスパッツ(しかも柄物)みたいなものをはいており、メークは薗佳也子(水森亜土でも可)風で歩きタバコの女の子。人の勝手だけどなんだかすごい。
話はそれたけど、心の中の物欲リストに「シェリルクロウのアルバム」と記入しててくてくと歩き出す。するとそこにはカントリー系輸入雑貨のお店があった。フラフラと吸い込まれる。麻のリネン、パイン材のアンティークテーブル、見ているだけでニコニコだ。ドーナツ型の一輪挿しに目がいくが、これをコタツテーブルの上に置くのもなんだかなぁと思い止めておいた。
こうしててくてくと歩き続け、家に帰ってリュックの中を見てみたら、フランスパン小さいのが1本、それしか買っていなかった。カブ90に満タン給油したのを合わせても430円。外食を入れて1000円以内だった。
その割にはいろんなカワイイもの、なごむもの、たくさん見ることができて楽しかった。たまにはこんな日曜日もいいなぁ。
2002年04月03日(水) |
新入社員・その2参上 |
今月の1日から新入社員の女の子が来た。高校を卒業したところだから18才である。普段、この年齢のワカモノとつきあうことはまずないので、その生態がかなり興味深い。
社会経験ゼロなのでしょうがない面はあるとは思うが、言葉や行動の端々にちょっとどうにかしたほうがエエんでないのというところがいくつかある。
まず、うちの会社は貿易関連会社なので海外からの電話が3分の1くらいある。まともに英語で会話できるのは、海外営業を担当しているおっちゃんと、わたしくらいしかいない。それもどうかなぁと思うけれどそれはあっちに置いといて、英語で電話がかかってきたときの対応に軽く目が出てしまった。
ジリリリリン〜 「ありがとうございます。×××でございます。」 「Hello! We are calling from....」 「うわ〜、日本語じゃない!!!えー、どうしよう!」
金切り声をあげて立ち上がった。その間、保留もしていない。これにはさすがに彼女を直接指導する社員さんがさっととりついだが、英語ができないならできないで、もっとどうにかせぇと言いたかった。
もっとも、動転すると「Wait for second, please.」でさえも口からでないようだが。彼女のデスクマットには、よく電話でつかう英文みたいなものが挟んでるのだが「初めてあることに気が付きました!」らしい。
で、お昼である。お昼行こうよと誘ったおっちゃんに、「お弁当なんです。」と答えていたので、私が「エライなぁ。」と言ったら、「おかあさんがつくってくれるんですぅ。」との答え。社会人になっても弁当を作ってくれる親っているんだなぁと感心した。
話を聞いてみると、ブラウス、ハンカチのアイロンがけはもちゃんとやってくれるらしい。毎日100%コットンのブラウスで、たまにはフリル付きを着ているので、まめにアイロンしてるねんなぁと思っていたら、お母さんがやっていたのだ。
まぁ、自分しかやる人がいないとめんどくさいので、形態安定シャツ、もしくは、ニット、カットソーなどに走ることになるので、このへんを見ると自宅お母さん付きか、一人暮らし、もしくはなまけ主婦かわかるのだ。
お弁当を食べていると、「子供と犬はどっちがかわいいか?」という話になった。私は道ばたを歩いているとき、子犬とすれ違うとにやけてしまうが、子供が通ってもなんとも思わないので犬、と答えた。
すると彼女は、「私もぜったい犬です。高校のとき、保育園に実習に行ったんですけど、子供って汚いじゃないですか?それでイヤになりました。」
、、、(-_-;) 確かに子供は汚い。でも、犬だって汚いのだ。水たまりの水を飲んだり、お腹もこわすし、生理だってあるのだ。分かってないよ、自分。
この辺で相手にすることに疲れてきた。が、テキは話を展開させる。子供のとき飼っていた犬の話だ。変わった物を食べさせると、翌日の便に影響が出るという話だ。「ミカンを食べさせるじゃないですか?そうすると、ウ○コにツブツブが混ざってるんですよ〜。」
オイオイ、今食事中なんだけど…。怒っても良かったけど、こんなんでも相手は社員なので、テキトーに相づちを打って、食べ終わると、外へ出た。
彼女みたいな小ぎれいにしていて、育ちが良さそうに見えても、非常識バリバリな人間を見ると、絶対子供なんか欲しくないなぁと思ってしまうのだった。
(まぁ、もし仮に私の子供という物ができたとしても、ダンナと私を足して2で割ったものが入っているので、まっとうな人生は歩めないと思うが。それか親を見て、めっちゃまじめで公務員とかになるかな?とにかく、普通な感じにはならないと思う。)
まぁ、がんばってくれよ。新入社員嬢。
例年より桜の開花は早く、ポカポカ陽気に誘われた私はカバンの中にお弁当と、お茶を入れ会社を出た。1時までの1時間、公園でプチ花見をするつもりなのだ。
ビジネス街のど真ん中にあるその公園は、戦時中、滑走路だったとかなんとかで、細長く、中央をどーんと道が貫いている。その両端に桜の木が立ち並んでおり、例年この時期の夜は、会社の花見がそこかしこで行われており、酔っぱらいのオッサンと大量のゴミに埋め尽くされた地獄の様相を呈しているが、まだ、昼間はマシである。ブルーシートで陣取りが行われているくらいだ。
公園に着き、どこで座って食べようかと見回す。丁度良さそうな石などは既に確保されており、私は一本の桜の木の下に腰掛けることにした。腰に巻いたGジャンを敷き、桜の木に寄っかかるようにして座り、お弁当を広げる。木をはさんで5メートルほど離れたところには、陣取りの10m四方ほどのブルーシートが敷いてあり、陣取りをしているOLさんが制服姿で腰掛けて座っている。
お弁当を食べながらうららかな春の日射しにしばしボーっとした。
と、そこに、女性二人組が、そのブルーシートのOLさんに話しかけていた。どうやらここに座らせて欲しいとお願いしているようだが声は聞こえない。その二人組は了承を得たようで、少し離れた位置に腰掛けた。
すると、それを見ていたのか、今度は若いカップルが同じように訪れて腰掛けた。ほんの5分ほどの間に、もう一組、もう一組と増え、そのブルーシートの上にはまんべんなく人間が配置されている状況になった。
わたしも頼めばよかったかなと思いつつ、まぁいいやとも思い、弁当を食べ終わり、お茶をすすっていた。すると、時刻は12時45分。ぼちぼち行こうかと思い、ふと、ブルーシートの方に目をやると、そちらもお開きのようで、最初にいた二人組に会釈をしながら人が帰っていった。
次の瞬間、思いがけないことが起こった。
その最初にいた二人組も席を立って、何も無かったかのように立ち去ったのだ。そのブルーシートの上には誰もいない。要は、その二人組は勝手にどっかの陣取りしていた場所に座って食べていただけだったのだ。いやはや。
公共の公園で堂々と陣取りする奴、そしてその陣地で悠々とゴハンを食べ留奴、そしてそこに間借りする人たち、それを見て色々言う人間。(わたしのことです。)
いろんな人がいるもんである。私は超自己完結型なので、人にお願いして座らせてもらうなんて考えはつゆほども浮かばなかった。
こんな小さな花見ひとつでいろいろな人格を見ることができた。
満開の花の下では、人はみな正直なのだ。 (酔っぱらいのオッサン含む)
2002年04月01日(月) |
食後のコーヒー徘徊記・その後 |
アイスエスプレッソなどという物に手を出してほとほと懲りた私は、味がかちっと決まったものはどうだろうかと方向転換した。缶コーヒーをはじめとするコンビニプロダクツだ。
以前はコンビニ=茶店よりお手軽価格だったが、ドトールなどの台頭、ちょっと高級志向の缶コーヒーなどが増え、その価格差は縮まりつつあると思う。例えば、「ザ・コーヒーミルク」はウマイが、ドトールのアイスコーヒーと同じ値段なのだ。うまくて当たり前ではないか。
あと、「高原の石清水アンドレモン」のような入れ物に入ったシリーズもうまい。小岩井のシリーズなどは感動物だ。(たまに濃すぎるのもあるが。)だが、あれはめっちゃ少ないのがかなしい。それなのに130円とか140円。いいのか!これで!と行き場のない憤りを感じずにはいられない。
ということで、いわゆるフツーの缶コーヒーに行き着くのだ。
そしてコンビニでコーヒーの棚を見る。目に付いたのは「ダイドーデミタスコーヒー」である。キョシローと黒木瞳がCMをやっているあれである。キョシローは既に仙人化しており、15年前と同じくらいかっこいいし、黒木瞳もオバサンぽくないところがちょっといいなと思う。その、「ダイドーデミタスコーヒー」にはオマケが付いている。ミニカーだ。しかも雑誌「NAVI」のプロデュースらしい。トミカのミニカーでも360円なのにその値段の3分の1でコーヒーとミニカーゲットなのだ。迷わず購入する。
会社に戻っていそいそとコーヒー缶の上部に付いたプラスティックの入れ物を外す。中にはビニールに入ったミニカーと、ちいさな説明書みたいなものが入っていた。入っていたクルマは「トヨタソアラ2800GT」説明書によると「日本初となるデジタルメーター」が燦然と輝き、「ハイソカーブーム」を巻き起こしたらしい。
その説明書には全10車種のライナップもあった。日本の名車特集らしく、スバル360、ユーノスロードスターなどもあるようだ。むむむ。欲しい。しかし、ここに問題が発生した。
(それほど)うまくないのである。ダイドーデミタスコーヒーが。
別にまずくはないんだけどうまくもないというのが本音。伊藤園の水出し無糖コーヒーの方が数倍ウマイ。まぁ、缶コーヒーというのはそれそのものの味だけで売り上げが左右されるものでもなく、CMのイメージやそれこそオマケにかなり影響を受けるものだと思う。
というわけで、
余裕のあるとき→ドトールか、モスでお持ち帰り 甘いのが飲みたいとき→ダイドーデミタスコーヒー うまくて安いのがいいとき→伊藤園の水出し無糖コーヒー
あたりで決まりのような気がする。 いやはや、お昼休みのネタだけでかなり引っ張ってしまった。
が、次回はお昼の花見見聞録なのだ。
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