日々是迷々之記
目次


2001年11月30日(金) 台所爆発、第二弾!

ダンナさんが帰ってくるので今日の晩ご飯計画を立てた。メニューは、れんこんコロッケ、大根と人参のなます、もずく酢、ピーマンのオイスターソース炒め、馬刺、ワタリガニのピリ辛鍋にすることにした。これ全部を一から作るとなると気が遠くなりそうだが、なます、もずくは昨日からあるし、鍋は入れるだけ、馬刺は買ってきたものなので、本当に作るのはれんこんコロッケと、炒め物だけなのだ。

まず、コロッケ製作に取りかかる。ジャガイモ、れんこんの皮を剥き、蒸す。その間にウインナーをみじん切りにして炒めておく。じゃがいもが蒸し上がったらつぶしておく。れんこんは刻んでジャガイモの中に投入。そして、ウィンナーも投入。塩胡椒で調味してコロッケ型にする。粉、卵、パン粉の衣をまとわせて、ダンナさんの帰りを待つ。

炒め物のほうはピーマン全量を縦に大きめの千切りにしておく。準備はこれだけだ。

予想より早く帰ってきたので早速、ピーマン炒めを作る。熱したごま油に、すりおろしニンニクを加え、即座にピーマン投入。しなっとしてきたら、塩胡椒で軽く味付け。火を止めて素早くショウユひとまわし、オイスターソースをちょちょっと垂らして全体を混ぜ合わせる。さささっとやるところがポイントなのだ。

時を同じくして、油を入れた鍋を温める。炒め物ができたころ適温になっていたので、いいぞいいぞとつぶやきつつ、コロッケをまず2個投入した。そこで予想しなかった事態が。なんと油の量が少なかったのか、コロッケが分厚すぎたのか、コロッケが油につかりきらないのだ。むむむ!と私はすかさず、大きなスプーンを取り出し、はみ出た部分に油をしゃこしゃこかけた。じゅじゅっと音がしているので大丈夫なはずだ。しかも中は火が通っているので表面さえきつね色になったらそれでいいのだ。

ふふふとまるでもう成功した気持ちになって、私は新聞紙とてんぷら紙をバットに乗せて、引き上げる準備をしていた。その時だ。「じょわじょわじょわ!ブビャビャビャビャ〜」と油鍋が悲鳴を上げた。ヒィ〜と鍋に目をやると、最初に入れた方のコロッケが張り裂けて、なんとも言い難い形状になっている。真ん中から放射状に裂けているので、毛羽だった新種のキノコに見えなくもない。しかし、この油キノコも大事なつまみのうちの1つなので、見捨てるわけには行かない。すかさず、網で引き上げた。ついでに無事な方のコロッケも引き上げた。こっちまで爆発されたらたまらない。

天ぷら紙の上でも、油キノコと化した元コロッケは、ブシュブシュと活動音を立てている。むむむ、なんでなのだ。

冷凍コロッケは、まず失敗せずに作ることができる。(冷凍コロッケを揚げることが「料理を作る」ことになるのかは不明だけど)いつもと同じようにやったのに何でなのだ。ぼんやりと元コロッケを見つめていると、ダンナさんが言った。「中全部火ぃ通ってるんやったら、高温で一気に揚げんねんで。入れた瞬間表面でパン粉が散るくらいやで〜」

おお!そうなのか!うん、そうかもしれない。私は冷凍コロッケと同じようにしていたので温度が低かったのだ。パン粉を落として、真ん中まで沈んでから表面に浮き上がる温度でコロッケを投入していたのだ。いやはや。

気を取り直して、第二陣のコロッケを揚げた。温度も的確だったのか、入れた瞬間じゅっと音を立て、小さな泡に包まれている。触って堅くなったら即ひっくり返したら、きつね色のコロッケがにこにこと油の表面で揺れていた。よしよし、これが正しいコロッケなのだと思うと私も嬉しくなってきた。

かくして、爆発もあったけど、家庭内宴会はとどこおりなく始まり、そして、いつものように気がつくと電気は煌々とついたまま、お皿はコタツにのっかったまま、二人ともコタツのまわりに倒れていたのだった。


2001年11月29日(木) ひさしぶりのウィンドウズ

ここ2,3日、ウィンドウズパソコンと格闘している。別に初めて触るわけではなく、初マイパソコンはWin3.1のマシンで次のマシンはWin95だったので基本的な作法は一緒だろうとたかをくくっていた。

これが間違いだった。今のマシンはWin2000で昔とは比べモノにならないほど高度になっている。複数ユーザー、セキュリティ、昔は考えもしなかったことばかりだ。

しかも、毎日のようにウィルスが送り込まれてくる。ほとんど全部が
Windows用のウィルスだからマックで受信する分には何も害がないのだが、Windowsで受信するとちょっとコワイ。オークション用アドレスなど、不特定多数の人からメールが来る可能性があるアドレスはとりあえず設定しないでおいた。

今、ウィンドウズパソコンでやっていることは、DVD鑑賞、ブラウジングくらいだ。でも、IE6が対応してないのかどうか、フラッシュプレイヤーがインストールできないので見られないサイトも多い。

いやはや、すっかりウィンドウズに乗り換えるのはあまり簡単ではなさそうだ。

とりあえず仕事ができるだけのスキルを身につけないと…。


2001年11月28日(水) 激走!おんなの道

本格的に冬っぽくなり、私は靴下屋にストッキングを買いに出かけた。久しぶりにスカートをはいてみようと思ったのだが、おおかた2年ぶりということもあって、まともなストッキングが見つからなかったのだ。

購入し、家に持って帰って履いてみようとすると愕然とした。指先が荒れているのでストッキングの繊維がちりちりと引っかかり、伝線させてしまいそうでコワイのだ。うむむと考え、手袋をしたらいいかと思ったけど、手元にはモトクロスグローブ、自転車用の指切り手袋、スノボ用でかミトンくらいしかない。これじゃ素手のほうがましだ。もひとつ考えて、ハンドクリームをこてこてに塗ることにした。これならOKなのだ。

しかし、外出先などでストッキングに触れるたびにハンドクリームを塗りたくるわけにも行かない。やっぱり手荒れをしないようにするべきなのだ。

と、誓うやいなや、自転車を整備しないといけないことを思い出した。タイヤがよれているので外してつけなおすつもりだったのだ。ハンドクリームの手はオイルで黒く汚れてしまった。この手のオイル汚れはハンドソープなどではキレイに取れないので、シトラスクリーナーという研磨剤の入った水を使わずに落とせる洗剤を使う。いやはや、せっかく塗ったクリームが。しかもシトラスクリーナーは脱脂効果が高いので、乾燥気味の手肌がよりいっそうがさがさだ。

うむむ。つるつるお手手でするりとストッキングを履こうと思ったら、自転車はいじれないのだろうか?まぁ、軍手をして自転車をいじればいいんだけど、素手の方がやりやすいしなぁ。

この手の葛藤は他にもある。冬場は唇にリップクリームを塗っていたのだが、最近はグロスというものを塗っている。これは色が付いているので、顔色が悪いときにはお役立ちなのだ。口紅ほどどかんと色づかないのも好みだし。しかし、このグロスというものはえらく粘度が高いのが難点なのだ。

自転車に乗るときに付けていると、風にあおられた自分の髪の毛が唇にくっついて、手でとらないと取れなくなってしまうのだ。風が強い日など、四六時中髪の毛を唇から外さないといけない。

その他、バイクに乗っていた時はロングヘアーだとヘルメットからはみ出した部分が排気ガスでねろねろになるけど、ショートヘアだとヘルメットの摩擦の静電気で頭がバクハツするというジレンマもあった。

結局「女のみち」を華麗に全うすることと、乗り物とつきあっていくことは両立できないのかもしれない。どっちを選ぶかは難しいところだけど、結局指をがさがささせつつ自転車に乗り、風でまとわりつく髪の毛にむかつきつつ、たまにストッキングを伝線させて鬱になるようなどっちつかずの道を選ぶだろう。

結局今と同じってことなんだろうか。うむむ。


2001年11月27日(火) 職人さんの手業

久しぶりに美容院へ行くことにした。9月以来2ヶ月ぶりだ。病院から行くのでH神バスで向かった。ここ1週間ほど、高速道路のリフレッシュ工事をしているので、道路は阿鼻叫喚の渋滞が続いている。

片側1.5車線の道路でバス停に停車。すぐ前には2トンクラスのトラックが路上駐車、止まったバスの傍らを、クルマがびゅんびゅんとすり抜けて行く。正直言って、私はこういう状況が苦手だ。しかし、運転手さんはさすがプロだ。そこから乗り込んだおばあさんがちゃんと席に座ったのを確認して、その場で回転しているかのように鼻先をくるりとクルマの流れにつっこんで何もなかったように発車した。うむむ、すごい。

定刻より5分遅れで終点へ。そこからは歩いて5分ほどで美容院だ。ここ5,6年同じ美容師さんに切ってもらっている。最近はほとんどお任せ状態である。今日は、前髪は作らないで、だいたい現状維持。傷んだ部分は切って下さい。とお願いした。

ここは美容院自体はかなりオシャレなのだが、場所が大阪の下町にあるので客層がかなり独特だと思う。わたしの隣は水商売系の若いおにいさん、その向こうはベリーショートで赤ムラサキに染めているおばちゃんとおばあさんの中間の人。みんな常連さんのようで楽しく語らっている。

気がつくとカットは終わりにさしかかっていた。足下には毛の固まりが大量にある。鏡を見ながら後ろ髪を指で梳くとするっと抜けてしまう。毛の厚みが違うのだ。でも、合わせ鏡で後頭部を見てみると、全体の長さはほとんど変わっていない。すごい減らしのテクニックなのだ。

帰りは夕焼けを見ながら歩いてターミナル駅へ。そこからバスに乗った。今度は市営バスだが、大阪の大動脈を南下する、しかも5時過ぎた所という、自分だったら絶対運転せーへんわというシチュエーションだ。

案の定、ロータリーから出ることもままならない。少しでも前に出ようとバス専用路に入ってくるバイクや車がびゅんびゅんやってくるのだ。そこでも運転手さんはさっと鼻先を突っ込み、加速をし素早く3レーン向こうの右折専用車線に入る。その間、一切おっとっととなるような揺れはなかった。

右折して10分ほどで、また右折だ。ここは、南向き一方通行で6車線あり、バスはバス停があるので一番左の車線にいる。どうやって右折するのかハラハラした。交差点を越えたところで停車し、交差する道路が青になった瞬間、時計回りに90度回転して右折するのだ。その間、一切揺れもない。本来の車線にいた車のジャマになることもなく、何もなかったかのようにバスは走って行く。車内のことにも気を配り、ちゃんと降りる人がいなくなったのをアナウンスで確認してから出発する。降りるときには「ありがとうございました。」の一言。わたしも会釈してから下車した。

何も主張せず、自分の技術を持って静かにやるべきことをやってゆく、そういう姿勢を持った人はやはりかっこいいなぁと思ってしまった。技術に裏付けられた自信、そして仕事。そういう揺らぎなさを持つことが私の憧れだ。

ちょっと何かに憧れるには年を取りすぎたかなという感はあるが…。


2001年11月26日(月) かなしいお父さん

別に今日あったことではないが、どーしても気になるので書いてしまうことにした。

テレビのコマーシャルというのは目的が目的だけあって、非常に印象に残りやすい。と、同時に「一般的な世間」というものに照準を合わせているせいか、わたしのような与太者が見ると違和感バリバリでどうにもこうにも困ってしまう。

今までも「アロエリーナ」とか「DHC」など、バカバカ感を覚えてしまうコマーシャルは多々あったが、最近やだなぁと思うモノはちょっと毛色が違う。某洗濯機と、某超大手パソ通兼プロバイダのコマーシャルはいかがなもんかと思わずにはいられない。

どっちもお父さんがネタなのだ。洗濯機では、「ママー、これお父さんのニオイがするね。」「え〜!」(といって変な顔)、プロバイダのは「お父さんでも出来るくらい簡単。」とか無邪気系子供が言っている。

これらは何でお父さんがやり玉に上がっているんだろうと考えた。前者は一緒に洗濯機で洗うモノの中でお父さんのものが一番においそうだからという理由だろう。後者は実は何でもいいのだ。「お母さん」でも、「犬のポチ」でも、「園児A」でも可なのだ。「できそうもない人が出来るくらい簡単」てことをアピールできればいいのだから。でも、それで敢えて「お父さん」にしたのはそれが一番カドが立たないからだと推測する。「お母さん」だと女性蔑視だわーわー!となるかもしれない。「犬のポチ」だとうちのポチはできない!、「園児A」だと子供にインターネットなんて!とかいうことになるんだろう。その点、お父さんは何もない。

威張りくさった父親がエライとは到底思わないけれど、そこまでバカにされてもいいんか!お父さんよ!という思いはある。「お父さんでも出来るんだ〜。」って子供に言われて喜んでいるよりも、「何年自分より長生きしてると思てんねん。」と返す方が筋が通っていると思うのは時代遅れなんだろうか。

自分のお父さんを落としてけらけら笑ってられるこの国はやっぱり「ど」がつくほど平和なのだ。


2001年11月25日(日) 突然そうじの女王

目が覚めると雑然とモノ達に囲まれていた。キャンプの道具、そしてダンナさんから譲り受けたWindowsのパソコン。ついでに出かける前に放置したモノまで。これは気合いを入れて片づけねば。

まず、パソコン部屋の本棚を整理する。2001年以前の雑誌は全て手放す。これだけで30冊以上の雑誌が消える。そして、もう読まないマンガはオークション用箱へ。いいぞいいぞどんどん減っていく。結局部屋にはパソコン関連書籍だけ残すことにした。

その本棚を横倒しにして、脇に置きスキャナ、ファックス、プリンタを乗せる。さぁ次は本日のメインイベントであるWindowsの配置だ。

わたしのパソコンデスクはいわゆるリビングの食卓テーブルだ。これの右側にiMac、左側にWinを置く。ちゃんと6連の電源ソケットも2つ用意した。まずはテーブルに19インチのモニタを乗せる。膝がみしっと言ったような気もしたが、大丈夫、大丈夫。勝負はこれからだ。次に各種プラグを背面に取り付ける。ヘッドセットのプラグのどっちがマイクかヘッドフォンか分からず難儀してしまった。

ふと気がついたのだが、Winのマウスやキーボードのケーブルはめっちゃ長い。2メートルくらいあるかも。かたやiMac純正の丸マウスは30センチほど。ということでタワーケースは足下に鎮座させる。シール紙に「モニタ」などと小さく書き込み、プラグに貼る。そうしないと何が何やら分からなくなってしまうのだ。

作業を進めていくうちにやはりというか、電源を刺すところが足りなくなった。しょうがないのでスキャナとプリンタは要るときに刺すことにした。大体ハブ経由で接続して、2台のマシンからちゃんとアクセスできるかは謎なのでこれでイイコトにしよう。

この辺まで来ると作業に飽きてきた。と、ダンナさんから電話が。向こうも、家からプレステだのハンドルだのパソコンデスクだのとクルマ1台分のものを運び込んでいるので片づけをしているのだ。きっと飽きてきたのだろう。30分ほど無駄話をして気を紛らわせる。

気を取り直してパソコンをセットアップし、おそるおそる電源を入れてみる。するとすんなり起動したので一安心。ここでオレンジクリーナーを持ってきてパソコンを拭く。ヤニでネタネタだったのが、きれいな薄ベージュになった。

ここで何だか終わった気になってしまい、おやつを食べてぼんやりしてしまう。私の悪い癖で、ある程度見通しが立ったらなんとなく休憩してしまい、ちっとも前に進まなくなるのだ。「だいたい完璧症候群」だ。

ビデオを見たりしてぐたぐたしてしまい、気がついたらちびまる子からこち亀までしっかり見てしまった。ようやく床の掃除に取りかかる。大きなゴミを集めてほかし、掃除機をかけて、雑巾掛け。やれば30分なんだけど、とりかかるのに3時間とは…。とほほっ。

何はともあれ無事にパソコンをセットアップすることができ、部屋はきれいになり、ヨカッタヨカッタ。

1月の復職に向けてエクセルとワードを勉強し直すのだ!


2001年11月24日(土) 霧の森のち青空

明け方にぱかっと目が覚めたのでロール紙をいれたきんちゃく袋を携えて、テントからのそのそと出た。すると、あたりは真っ白だった。濃厚な霧がかかっているようだ。道の向かいにある建物すら見えない。湖面の水からゆらゆらと水蒸気がたちのぼっているのか?

一気に目がさえてしまい、ちょっとまわりを散策する。丁度夜が明けたころだ。クルマはほとんど通らず、かすかな波の音と、鳥のさえずり、そして真っ白な霧。何か別の世界に来てしまったような感覚だ。

用事を済ませてテントに戻り、すこし入り口を開け、寝転がって空を見る。雲の中で横になるような不思議な感覚に包まれつつ寝てしまった。

「がががっ!」音で目を覚ますともう12時前だった。道路工事をやっているようだ。テントから外に出ると、まっさらの青空が広がっていた。数時間前に私が見た霧はどこに行ってしまったんだろう。もしかしてまぼろしだったのかな?というようなきっぱりとした青空だった。

ダンナさんも工事の騒音で目を覚ましてきたので、朝食兼昼食にする。昨日のシシ鍋しウドンを投入するだけだ。これまたうまくて無言でがしがし食べ進む。シシ肉はエライ!というのが今回の感想だ。

2時過ぎまでコーヒーを飲んだり、りんごを食べたり、あたりを散策したりしてまったりのんびりと過ごす。久しぶりの感覚だ。のんびりと撤収をして、ダンナさんの寮に荷物を降ろしに行く。だんなさんが部屋に運び込む間、駐車場でぼんやりと木立を眺めた。

そこには柿の木があって、枝に付いた状態で干し柿になっている。へただけ残されている部分もある。子供の時は良く見たけど、最近はめずらしいなぁとしみじみ思ってしまった。隣の家では庭でちいさな焚き火をして、落ち葉を燃やしているようだ。

暮れゆく空、焚き火の煙、実りの時期をすぎつつある柿の木。なんだかしんみりしてしまった。こういうものに目を向けられる余裕があることに感謝。仕事さえちゃんとあれば、こういう土地に暮らすのも悪くないなぁと思い出す。

ちょっとレンタカーを返すまで時間があるので地元のショッピングセンターに行く。駐車場がだだっぴろく、建物もこれまただだっぴろく、海外のショッピングセンターのようだ。中の通路も広くてのんびり買い物ができる。駐車場は8割方埋まっていたが、中は空いているように感じる。ゆとりがある作りなんだろう。

近江米の新米を買うかどうか迷ったが、荷物が重いのでまたの機会にすることにして、ショッピングセンターを後にした。クルマを返し、居酒屋で夕食にする。ここでもシメサバを頼む。今日は焼きとろしめさばだ。焼いたシメサバは初めてなのでわくわくする。お味の方も良く、シメサバを焼くという技に感動した。松茸の土瓶蒸しも食べ、胃袋もひたすら幸せな週末だ。

私一人、電車で帰路に付く。最初はさびしい気持ちもあったが、慣れたせいかそんなに気にならない。変な人と遭遇したときは一人より二人の方がいいけれど…。

寝入ってしまい、気が付くと京都だった。もひとつ寝てしまって気が付くと新大阪だった。ドアの横に移動して、着いたら即下車した。バスに間に合うか瀬戸際だったのだ。残念ながら5分ほど前に終バスは出てしまったようだ。地下鉄に乗り、家に戻る。

すっかり酔いも醒めたと思い、ちょっとだけ焼酎をロックで飲むと、どぉ〜んと来てしまった。いかんいかんと思いつつ、布団を敷き、早々に潜り込む。寝袋もいいけど布団もいいなぁと思いネムリについた。

結局寝るのが好きなようだ。いやはや


2001年11月23日(金) ひさしぶりのキャンプ

明け方にダンナさんがレンタカーにパソコンを積んで帰ってきた。私の再就職に向けてウィンドウズを修得するべく、持ってきてくれたのだ。パソコンを降ろすと、仮眠をして、おにぎりを作り、再び滋賀へと出発する。

高速道路は駐車場かいなと思うほど混んでおり、術後初めての遠出で足がむくみまくっている。そうそうにサービスエリアで休憩をした。自分ではめっちゃ普通のつもりだが、ちょっと違ったことをするとてきめんに疲れてしまう。これで社会復帰できるのかは謎だ。

気を取り直してコーヒーを飲み出発。日が傾きだした琵琶湖はオレンジ色のような水色のような何とも言えない色だ。湖畔にテントサイトを設営して、買い出しに行く。今日のメニューはシシ鍋、ラムチョップの網焼き、シメサバ、中華のお総菜3点盛り。お酒はギネスビール、紹興酒、焼酎。

日が沈むと一気に吐く息は白くなり、常温のギネスビールが冷たく胃袋に流れ込んでいく。傍らでシシ肉を炊きつつ、シメサバをつつく。次は焼酎お湯割りにシフトし、ラムチョップを。何故かこの地方は、いろいろな肉類が充実している。他にも馬刺、鴨鍋セット、など定番で売っているようだった。

次に中華総菜をつまみつつ、紹興酒をお燗して飲む。これがさらさらと入ってくるので一気にボルテージが上がる。500mlは鍋にシフトするころには空になった。

メインディッシュのシシ鍋は圧巻だった。脂が甘くて軽く、肉も煮込んでもぱさつかない。白菜、春菊、椎茸を従えて、どかどかと胃袋に攻め入ってくる。

外の気温は氷点下になっているようで、タバコを吸うためにテントの入り口を開けると、寒さでふっと酔いが冷めてしまう。これではいけない!ということで焼酎をお燗し、シシ鍋に七味唐辛子を投入。テント内はアルコールが充満し、額にうっすらと汗をかきながら無言でシシ鍋と向き合う。

そして気が付くと、何故かきちんと寝袋に入って寝ているから不思議なものだ。「キャンプこびと」みたいなものがいて、よっぱらいが風邪をひかないように、えっさえっさと寝袋に入れてくれているような気がする。

やっぱりキャンプはいいよなぁと思いつつ、ネムリの世界にひっぱりこまれていった。


2001年11月22日(木) はじめてのウィルス

夕方テレビを見ながらうとうとしてしまい、ビリリ〜ンと電話の音で目が覚めた。「モヒモヒ…」と出るとダンナさんだった。何か?と聞くと、ウィルスが来てるので開けずに捨てるように、とのことだった。

そのアドレスはオークション用のアドレスで、どちらでも対応できるようにお互いのパソコンに設定してあるのだ。何でも、「トロイの木馬」系で添付ファイルを開くとアドレス帳に登録されているアドレスに勝手にウィルスをくっつけて送ってしまうのだそうな。

ふむふむと聞き、さっそく作業にとりかかる。プレビューで本文を開けただけでも感染するかも?と思い、プレビューを表示しないようにして受信。おお!何だか重たいexeファイルがどこどこと。メールの件名からして怪しい。
受信すると即座にゴミ箱送りにして、ゴミ箱を空にした。

差出人のメルアドをメモっておいて、受信フォルダの中を検索してみた。あった!7月にオークションで取り引きをしたオッチャンのアドレスから来ていたのだった。

カドが立たないように、ウィルスが添付されている旨を書き、対策例を記載し、参考URLを書いてメールしておいた。

それからネット上でそのウィルスを検索してみた。あるわあるわ。今年の9月頃から流布しだしたウィルスでマイクロソフト系アプリケーションのセキュリティーホールを突いてくるようだ。どおりで。

ダンナさんはWindows2000でOutlook2000を使用しており、そこでは添付ファイルは付いていないようだったと言っていた。わたしはMacでユードラというメールソフトを使っている。ユードラでは受信したその場で警告が出た。添付ファイルがでかすぎたからだ。

世の中のパソコンは多分90%以上、ウィンドウズパソコンだろう。だからその分ウィルスも作られやすいのかもしれない。同じ労力で被害を与えることの出来うる人口が全然違うのだ。こういう意味では少数派のマックで助かったなぁと思ってしまう。

しかし、ウィルス作家?の人にまで無視されてしまうマックって一体…と思ってしまうのも事実。マウスで使うようなインターフェイスはマックの方が先に出していたので、「ご家庭パソコン」としてはマックの方が歴史は古いのに。

このままマックの灯が消えてしまわなきゃいいけど…とウィルスを通して思ってしまった。


2001年11月21日(水) 笑いの街角

毎日が他の人よりかなりヒマな部類に入る生活をしている私は、おのずと頭の中もヒマだらけで、日々、どうでもいいことばかりに気が付き、ひとりツッコミをいれている。

例えば、「王様の暮らしがある。キングマンション」と大書きされたカローラバン。こんなものを見ると「王様はマンションなんか、住まへん、住まへん。」と手首をパタパタしてしまう。

もひとつ、「ロンドンっ子に評判!○○○かまぼこ」と書かれたかまぼこ工場の看板。やっぱりロンドンではミルクティーにかまぼこなのかなぁと意味のないことに思いを馳せる。

本屋では、「VIPワゴン」というヤンキーテイストな雑誌を見つけた。「ほんまもんのVIPはワゴン車なんか乗らへん。乗らへん。」とまたも手首をパタパタ。

毛色は違うがいつも行く市場の八百屋さんもツッコミしろたっぷりだ。「人肉詰めるだけ詰めて250円」一瞬戦慄が走るが、そこにはニンニクが転がり、ビニール袋が置いてあった。ま、読めるけど…。手書きで誤変換って新しい。他にも「ズッキニ」(ズッキーニ)や、「キュウリーフルーツ」などいつも新しい発見に溢れた、わくわくのお店なのだ。

こんなかんじで毎日はツッコミで暮れてゆき、ますます社会復帰が不安になる今日この頃だ。


2001年11月20日(火) コタツ布団に関する考察

お昼はそれなりに暖かいが、朝方と夕方はしっかり冬な今日この頃。私は今日こそはクリーニング屋に行かなくてはと思った。11月に入ってすぐ、コタツの掛け布団をクリーニング屋に出したきりなのだ。

そのクリーニング屋は市場の行きしなにあり、ふと通りかかると「11月10日まで冬物クリーニング2割引!」との張り紙があった。ここで家のコタツ布団のことを思い出した。あれは一昨年の冬のことだった。コタツの上に電磁調理器と鉄板を置き、お好み焼きをしていた。そこでわたしが油を塗ろうと、ホウキ状の油塗り用品(正式名称不明)を持ち上げたところ、受け皿も一緒に持ち上がってしまった。

そして受け皿は転がり、コタツ布団に油がぼわんと染みてしまったのだ。それ以降、コタツは使用されることなく、ちゃぶ台として使われることとなった。

「今こそコタツ生活を復活させるのだ!」鼻息荒く私は家に戻り、コタツ布団を引っぱり出し、どうにかこうにかそのクリーニング屋に託した。

それから約3週間。取りに行かなかったのは理由がある。それは運ぶのがしんどかったのだ。乗り物がないのでヒモでくくってドラム缶状態にして持っていったのだが、長方形のフトンなので大きく、分厚い。手が回りきらず、店に着いたら手がじ〜んとしていた。

「は〜しんど。引き取りはダンナさんに頼もう。」と思っていたのだが、ダンナさんが帰ってきたときはコタツ布団のことなど忘れきっており、今に至る。

今日は夕方特に冷え込んだので、一念発起。引き取りに行くことにした。店に着くと、私の布団は変わり果てた姿で私を待っていた。何だか厚さが倍くらいあるのだ!「水洗いしてからドライしたからフカフカやで。」おばちゃんの笑顔に屈託がない。ど、どうも…。と言って引き取って帰ろうとすると、「クルマで来てはるのん?」と聞かれた。私が歩きですと言うと、「気ぃつけや。」とのこと。私の顔は既に縦線状態@ちびまる子である。

外に出ると、買い物帰りのママチャリおばちゃんの視線が熱い。そりゃそうだと思う。なんせコタツ布団は、iMacのボックスよりでかい。歩くと膝にぽこぽこ当たって歩きにくい。しかし膝に当たらないよう持ち上げると、今度は前が見えない。例によって腕が回りきらないので強引につかんで歩く。重たくないのがせめてもの救いだ。いっそのこと頭に乗せて歩こうかと思ったけど止めておいた。

夜道をふらふら布団と共に歩きながら思った。世の中の人はどうやってコタツ布団をクリーニング屋に運んでいるのだろうか?この29年の人生の中でコタツ布団を持って歩いている人を見たことないということは、みんな自動車で運んでいるのだろうか?それともいっそのこと洗わない!のか。いっそのこと、FTPでクリーニング屋さんのサーバーにアップできればいいのになぁ。

そういう本当にどうでもいいことを考えつつ家に戻ると、背中は汗だく、手はしびれてシビシビのダルダルだった。あ〜しんどと、セーターを着替えて座布団にへたり込むと、いつの間にか寝てしまっていた。

というわけでコタツ布団に翻弄されて、一日は過ぎていった。

今日の教訓・コタツでお好み焼きを焼くときは気を付けよう。


2001年11月19日(月) さびしい気持ち

病院に入院していた頃、顔見知りになったひとに本当に久しぶりに会った。彼女は恐らく40才台で独身、体の具合もあって今は生活保護をもらいながら一人暮らしをしている。

今日、彼女と会ったのは救急外来の前だった。以前から痩せている人だったが今はやせ細って顔色も悪い。帽子を目深にかぶっているのも何か理由がありげだった。なるべく動揺を隠すように、明るい感じでどうしたのとたずねてみた。

特に理由はなく、ゴハンを食べる気もしないし、夜眠れないしってだけだと言葉少なに言った。そして、久しぶりやなとも。そこで彼女は目を伏せるように「先生、なかなか来ぇへんなぁ。」と言い、タバコを吸いに外へ出た。

すると同じ頃に知り合いになったおばちゃんにあった。恐らく母親よりも年上くらいだけれど、非常に話しやすい方だ。わたしの顔を見て何も聞いていないのに、彼女のことを教えてくれた。最近どうしてるのかな?と思って昼食に誘ったら声が暗く、何も食べていないとのことだったので、アパートまで会いに行ったら、死にそうな顔をしていたので、救急車を呼んで彼女を連れて来たのだという。目深にかぶっていた帽子は、栄養失調で抜けてしまった髪の毛を隠すためなのだそうだ。

「あの子はあかんわ。一人でおいといたら死んでまう。入院させたらな。」私もそう思った。いいかげんなところがなく、年下のわたしにまで敬語で話しかけるようなきまじめなタイプだ。外に出るのも自分から行くタイプではないし。

おばちゃんが彼女を呼び戻して説得を始めた。「さびしい」と彼女は繰り返す。おばちゃんと私が「ほぼ毎日リハビリに来ているから、顔を見せに寄るから。」と言うと、「逆効果やねん。その時は楽しいけど、自分らが帰ってしまった後がつらいねん。会う前よりつらくなるから。」と言うのだった。

その言葉に私は返す言葉が見つからなかった。どうしたらいいのか分からない。今日会えたら、明日以降会うことを楽しみにしていればいいと思うのは能天気すぎるのだろうか?しわしわになってしまった彼女の手の甲を見ると言葉が出なかった。

「アホかあんたは。そんなこと言ってたら死んでまうで。ええから入院して点滴して1日3回ゴハン食べてたら1週間で元気出るわ!」おばちゃんが早口で言った。そのとおりだ。わたしもこういう風に的確な言葉を衒うことなく口に出せたらと思わずにはいられない。

「あぁ、ここにおったんかいな。」先生がやってきた。私の主治医の先生でもある。先生は私と目が合うと、「もう帰りや。」という感じで目配せをし、彼女を伴い救急外来へと帰っていった。私は会釈をして病院を離れた。

こういうときに私は幸せであることを感じずにはいられない。私自身はたいした人間ではないのだが、人には恵まれていて、本当に辛くなったときには誰かが助けてくれたり、ヒントをさしのべてくれる。だから本当に彼女の感じるような孤独感、ひいては悲しみを感じたことはないと思う。

幸せであることを恥じる必要はないけれど、そうでない人にかける言葉を持てないのは悲しい。このままでは私のまわりの「いとしい人々」が悲しいときに私はなにも出来ないではないか。まだ見えない不安そのものが不安になってしまう。

明日病院に行ったら、きっと彼女は入院しているだろう。ちょっとだけ顔を出して、さっと帰ろう。長くいることが彼女の後の悲しみにつながってしまったら嫌だから。

さびしい気持ちは夜の闇に増幅されてしまうだろうし。


2001年11月18日(日) ヒソカな楽しみ発見

昨日、おもしろいものを見つけた。「2ちゃんねる」という有名な掲示板の中にあるのだが、「この三語で書け!即興文ものスレ」というものだ。

スレというのはスレッドのことで、たくさんある掲示板の中のひとつの流れがスレッドのことだと理解している。3つの単語が掲示されていて、それを利用して15行まで小説風の一文を作り、最後に次の人のための3つの言葉を残して行くというものだ。小説自体は繋がっている必要もなく進められる。

今日は思い切って書いてみた。お題は「トパーズ」「鬼ごっこ」「消しゴム」だ。う〜んと思ったけど書いてみたら自然と言葉は出てくる。「トパーズ」は宝石だと知っているけれど、どういうものかははっきり知らないのでその辺から話を作ってみた。

そして数時間後、また見に行くと、わたしの後ろに話が作られていた。う〜ん、何だか面白い。またたびたび書きに来ようと思う。

やっぱり書くのはなんだか楽しいなぁ。
って、HPの更新もやらなきゃね。

参考リンク


2001年11月17日(土) グレイト!デパ地下

目覚めると風邪をひいていた。確かに昨日は夕方からくしゃみの連発で、背中にかいた汗がぞくぞくと冷たくなって行くのを感じていたが、よもや風邪とは。せっかくの週末なのに。

ダンナさんは私用で外出したので、私は病院はお休みして風邪薬を飲み、こんこんと眠ることにした。電話の鳴る音で目が覚めるともう2時半だった。ダンナさんが用事が済んだので元気なら遊びに行こうと言っていた。なんとなくスッキリした気分なので出かけることにした。

ドトールコーヒーで待ち合わせをしたのだが、私が到着してボックス席を見ると、Tシャツでアイスコーヒーを一気飲みしている人がいた。ダンナさんである。「さむないの?」と聞くと、歩いて暑くなったとのこと。ちなみに私はタートルネックのセーターにフリースジャケットでカプチーノを注文した。感じ方はそれぞれだけど、何かカナダ人みたいだなぁ、この人と思った。カナダ人はマイナス10度なのに窓全開でなおかつ1リットルくらいのコーラを飲みながらクルマを運転したりするのだ。うむむ。

お茶を飲むと、電機屋街をうろうろする。丁度ウィンドウズXPが発売されて最初の週末だったのでどこでもキャンペーンしまくっていた。私も触ってみたが、特に胸ときめくものはなかった。ウィンドウズ3.1から95に変わったときはそれなりにお〜!っと思ったんだけど。

iMac用のパーツを物色した。メモリは128MBを追加する予定。SO-DIMMというメモリであまり置いている店が少ないようだ。でもめちゃくちゃ安くてビックリした。1メガバイト1000円だったころを考えると信じられない思いだ。次にハードディスク。40GBのものが9799円で出ていた。発熱が心配なので7500回転ではなく5400回転のものにするつもりだ。ふむふむ、年末あたりiMacを解体してグレードアップしよう。

ふと店頭を見ると、「CDストンパー」なるものがワゴンに山積みになっていた。パソコンで作ってプリンタで印刷したCDラベルを貼り付けるときに使うものだ。ふむふむ便利そうと思い購入した。なんと印刷用のシール用紙が6枚と簡単ラベル作成ソフトが添付されていて979円だった。デフレなのだ。

ダンナさんが寮で使うための電子ジャーとトースターを購入し、家路へ。そこで何となくデパートに立ち寄った。すると閉店一時間前のたたき売りの真っ最中で、私たちも戦線に加わった。電子ジャーとトースターをぶら下げているというハンディはあったが、無事、お刺身の盛り合わせとカニ足の造り、生春巻きセット、ペッパーハムなどをゲットした。しかも全て半額だったのでこれまたデフレ気分を味わった。

家に帰り「スーパーの女」を見ながら食事。購入したおかずにプラスして、シジミ汁、マイタケのホイル焼きなどを作り、幸せな夕食を満喫した。安い系居酒屋よりも遙かにリーズナブルにこれだけ堪能出来るんだから、デパ地下はすごいと思う。これだけ不景気な中でも前年比で売り上げアップしているのもうなずける。ちゃんとした品質のものを買える値段で提供すれば、それはちゃんと客が来るのだ。

当分飲みに行くのは止めて、週末はデパ地下のヒトで行こうと思う。


2001年11月16日(金) そして天ぷら

天ぷらを作ってみた。結果から言うとかなり成功だと言えるだろう。問題点は、非常に量が多かったことだ。エビが10匹、キスが5匹、マイタケ1パック、カボチャ4切、サツマイモ4切。他におかずはふろふき大根と、大根と人参のなます(字がわからん)だけだ。そんなに多い気はしなかったのだが。

そこで残ったものをどうするかが問題になってくる。まず、揚げたのに食べなかったモノはラップでくるんで冷蔵庫へ。揚げずに残ったモノ、これが問題だ。だいたい開いたキス1匹とか、サツマイモ1枚って何を作ればいいんだか。この辺が、正しい主婦となんちゃって主婦である私との違いであろう。

もし、私が栗原はるみさんや、ケンタロウ氏だったらささっと次のレシピのために下ごしらえをして保存し、次に生かすことが出来るのだろう。

私にとっての料理は日々是修行なのだ。さぁ、明日は何を作ろうかな?ちょっと油モノは避けたいなぁ。


2001年11月15日(木) わたしの知らない世界

わたしは知らないことが多いようだ。茶碗蒸しもそうだけど、ごく最近知ったことがたくさんある。例えば、「しじみ汁の貝はダシの元だから食べない」、「シメサバの皮は剥く」、「きのこは洗わない」、「オデンの大根は米のとぎ汁で下ゆでする」など、恥ずかしながら結婚してから知った。

今もギモンは山積みで、「あさりの砂抜き」、「こげつかないヤキソバの作り方」、「かぼちゃの正しい切り方」、「エビフライをまっすぐにする方法」などは今後の可及的課題だ。

なぜ、こんなコトを考えたかと言うと、週末にダンナさんが帰ってくるので、何が食べたいかと聞くと、「天ぷら」と「シジミ汁」とのことだったのだ。しかも、天ぷらはエビ、アナゴ、カボチャがいいとのこと。イモとタマネギならできるんだけど。

ここで「肉じゃが」と「豚汁」とかだとなんの苦労もなくできるんだけどと思いつつ、いい機会なので正しい天ぷらを作ってみようと思う。まず、衣をひらひらにするにはどうしたらいいのか。エビの下ごしらえはどうするのか。アナゴは買ってきたら切って揚げるだけでいいのか。(骨は?)などなど、明日中に解決しなければならない。

「おいおい覚えていったらいいで。」と言われるが、一通り分かるようになったころには人生もうちょっと終わりだと悲しいので、せめて一度やったら覚えているようにはしたいと思う。

料理より、Photoshopの方が簡単なような気がするけど、フォトレタッチじゃお腹一杯にならないしなどと、どうでもいいことを考えてしまった。


2001年11月14日(水) 茶碗蒸しについての考察

またも茶碗蒸しである。昨日の失敗が心に残るので今日も挑戦した。

松茸のお吸い物のだしではイマイチだったので今日はかつをぶしとどんこ(干椎茸)でだしを取った。といってもみそ汁のだしと共用なのでまずかつをぶしだけでだしをとり、茶碗蒸しの分だけ取り分けて、そこにどんこを投入した。

さて、問題のタマゴである。これは昼に一個のタマゴを溶き、その60%を炒り卵にして食べてしまった。で、残りを夕食に転用した。ふふふ。これでいいに違いない。

最初のどんこのだし汁にきれいにした百合根を投入。薄口しょうゆとみりんで味をつける。そこに、冷蔵庫から取り出したタマゴの溶いたモノを入れる。なんだか少なくて、これで本当に固まるのか一瞬不安になってしまった。昨日と同じように湯気の立った蒸し器へ。

途中で開けてみると思わぬ事態が。なんと水滴防止のためにかぶせていた、さらしふきんがだらりと垂れ下がり、茶碗蒸しの表面にくっついていた。トホホとはがすと、ふきんにタマゴ液の固まりが…。しかし、そのくっついた部分を内側になるようにふきんを畳み直して事なきを得た。これくらいは大丈夫なのだ。

さらに数分後、竹串を刺してみるとできているような気がした。サトイモのみそ汁、焼きしいたけ、野菜フライなどとともに食卓へ運ぶ。少し冷めた頃を見計らって食べてみた。

むむ!味が薄い。でも食感はばっちりだ。味はおいおい調整して行けばどうにかなるだろう。ひとつギモンが浮かんだ。わたしの茶碗蒸しは全ての具が沈殿しているが、市販の茶碗蒸しは具が浮いているような気がする。どうやって具の浮き沈みを調整しているんだろう。タマゴ液の濃度によっては浮き沈みするんだろうか?

いやはや、茶碗蒸し道はまだまだ続きそうだ。


2001年11月13日(火) 戦いの夕食・再び!

昨日、電話でダンナさんと話していたら、炭水化物の取りすぎを指摘された。なぜなら昨日の朝食はゴハンと納豆、お昼は食パンと紅茶、晩はヤキソバとゴハンとおみそ汁。ふむふむ確かに。1個60円だったので思わず購入してしまった特大キャベツを消費するがための無謀なメニューになってしまっていたようだ。「キャベツ炒めソバ入り」のようなヤキソバ、「キャベツ煮」のようなおみそ汁。うう、いかんいかん。

ということで健康な体は健全な食生活から!と思い立ち、今日はまともな夕食を作ることにした。挑戦するのは茶碗蒸しである。実は茶碗蒸しを作るのは初めてではない。実家にいたころは家族もいたので普通に作っていた。しかし、今は一人なので実家にいたころのように6個一気に湯気の立った蒸し器に入れるような作り方はできないのだ。たったひとつの茶碗蒸しをどうやって作るべきか、自分なりに考えてみた。

まず、具はたくさんの種類を入れずに少数精鋭主義で行く。今回は百合根と銀杏のみ。でも、百合根は一個分、銀杏は5個入れて、寂しくならないようにする。ダシは「永谷園松茸のお吸い物」を使用。これは干し椎茸や鶏肉のようなダシの出る具を入れないのでせめてと思い、人工松茸のチカラを借りることにした。蒸すのはジャバラ式蒸し器を鍋に入れてすることにした。正式名称は不明だが、ドーム型に穴の開いた金属板が並べてあり、鍋の径に合わせて直径が伸縮するタイプのもので、何故かカナダの雑貨屋で購入した思い出深い一品だ。

まず、百合根をむく。泥の中にあるものなので当然だが、すきまにみっちり泥がつまっている。がしがしと流しながらバラす。そして銀杏。固いカラと中の茶色の皮を外すため、プライヤーではさんでヒビを入れ、手で剥いた。しかし、めちゃくちゃ剥きにくく、銀杏の表面は月のクレーターのようになってしまった。もしかすると何かいい方法があるのかもしれないなぁとふと思ったが、もう後戻りはできない。

お椀に「松茸のお吸い物」を空ける。すると、海苔、ダシの粉末、お麩、ネギが入っていた。うむむと考えて、海苔は取り出し食べてしまい、お麩は傍らのみそ汁に投入した。そこにぬるま湯をカップ半分ほど注ぎ攪拌。湯が冷めてきたら、タマゴ一個を投入して攪拌。時を同じくして茶碗蒸し茶碗に具材を投入、上からタマゴ液を流し込む。

そして湯気の上がった蒸しなべに入れ、フタをして蒸す。数分後、竹串を刺してみるとちゃんと固まっているようだった。

な〜んだ簡単じゃないのと思い、食卓へ饗する。傍らには炊き立ての新米がツヤツヤと輝き、オクラのおひたしはネバネバ、そして鮭の切り身は皮を焦がして待っている。ずずっとおみそ汁をすすり、やにわに茶碗蒸しを食べる。むむ!固い。コンビニの焼きプリンのようだ。味は茶碗蒸しというより、出汁巻きのようだ。でも、百合根はほくほく、銀杏もぷりぷりして美味しかったのでヨシとしよう。

食後、ネットで「茶碗蒸し 作り方」の検索をしてみた。すると、平均してタマゴ一個あたり400ccのだし汁を入れているようだ。なんてこった。わたしはその5分の1くらいしかダシを入れていないではないか。それは固くて当たり前なのだ。しかし、今回の茶碗蒸し、タマゴ液の量は丁度よかったので正しい茶碗蒸しを作るとなると、タマゴの量は5分の1個ということになるのだろうか?う〜ん、それはめんどくさい。

やはり茶碗蒸しは一人暮らしで作るものではないのだろうか?鍋物、ギョーザ、ちらし寿司に加えて、またひとつ一人暮らしでは作る気のしないものが増えてしまった。


2001年11月12日(月) 惚れたぜ!完敗

日記にタイトルを付けるのってちょっと変かも、と常々思いつつ、今日も変なタイトルを付けてしまった。誰かの曲名なんだが、誰か分からないけど、今日は間違いなく完敗の日なのでこれでいいのだ。

ほぼ一ヶ月ぶりにリハビリが復活し、朝から自転車に乗り病院へ向かった。この時期の一ヶ月は、風のニオイ、木の葉の色、街の人々の服装など、いろいろなものを変えていた。しつこくひきずっている風邪のせいで咳き込んでしまうこと以外は気持ちよく走れる。自転車はシアワセの乗り物だと思う瞬間だ。街路樹はニコニコとその葉の色を変え、青空は白い雲をのほほんと浮かべている。いいぞ、いいぞと私もつられてニコニコしてしまう。

しかし、ニコニコは病院に着くまでだった。久しぶりのリハビリは阿鼻叫喚、おたけび地獄、膝はイタタと突っ張り、筋力激減、ほんの一時間ほどで精魂尽き果ててしまった。しかも先生は、ちょっと腫れていることを考慮に入れて、「軽〜く」しか押していないそうな。トホホホ。全然だめじゃん。

帰り道もクルマのスピードに合わせてリズミカルにペダリング♪なんて気持ちには到底なれず、ママチャリ並のスピードでトテトテと走ることしかできなかった。もう夕方近かったので軽く昼食を済ませ、椅子に腰掛け紅茶を飲みながら、雑誌を読んでいると知らないうちに寝てしまっていた。気がつくと日が沈んでいる。悲しいことに、首が横を向いていたので死にそうな気分だ。

やはり私のカラダは確実になまっているようだ。しかししかし、こんなことでは遊びを満喫できないので、やるしかない。とりあえずの目標は、来年の春にカヌーで琵琶湖に漕ぎ出し、湖上から花見をすることなのだ。

フフフ、楽しそうだなぁ。さぁ、明日も病院に行くぞ。
あ、寝る前に湿布を貼らないと。(涙)


2001年11月11日(日) 日本で一番ヒマな職業

電話で目が覚めてしまった。電話の相手は某カーディーラーの営業さんだ。先週試乗したクルマと同じ車種で、希望グレードのものがあるので試乗しませんかとのお誘いだ。一も二もなく行きます行きますと答えて早速行ってきた。

乗ってみた感想は、とにかくヨカッタ!剛性感の高さは予想通り、6速クロスミッションが気持ちよくスカーンと入ってダンナさんも気分良さそうだった。とにかくしゃきしゃき走る。感覚としてはリッターバイクの感覚に近い。正直に言ってクルマがこれだけ走りの面白さを出せるというのが新鮮だった。きっとこれを買ってしまうだろうなぁ…。

早速帰り道で自動車学校に寄り、AT限定を外すコースについて聞いてみた。4時間の講習を受けると、証明書を発行してくれて、それを試験場に持っていくだけでよいようだ。まぁ、4時間でうまく乗れるようになるとは思わないけど、走らせるコトさえできれば、あとはセンスと練習量の問題だと思うのでやる気になる。さてさて、どうなることやら。

一人で家に戻ると、最近ハマっているHPを見に行く。超有名掲示板なのだが、真剣で低姿勢な書き込みにはちゃんと助言をもらえるので使い方次第では有益だと思う。今日も例のマイライン関係でアドバイスを頂いたので明日早速対策を打って出ようと思う。

それから、「裏ニュース!」というサイトも最近良く見に行っている。とにかく目の付け所が楽しい。ダウンローダー、エミュレーターなどの濃い内容も面白いのだが、その他に分類されているモノがなかなかコアというか、ベタな笑いを誘うモノで私好みなのだ。今日も郷ひろみのタイピングゲームで頭がバクハツしてしまい、燃え尽き真っ白な灰になってしまった。ああ、ゴールドフィンガー'99が頭の中をリフレインしている。チャッチャッチャ、チャラッチャッチャ〜♪嗚呼。

そして気がつくと夜中である。今日も一日、何も生産的なことはしなかった。ふと思うのだが、「日本で一番ヒマな職業」というものを考えたとき、それは「子供のいない専業主婦でしかもダンナさんは単身赴任中」というものではないかと思った。

それは私のことなのだが。むむ、これではいかん!と思うのだが、ぼんやりと腫れた膝をさすりつつ、頭の中はゴールドフィンガーなのだった。


2001年11月10日(土) ネムリ疲れ

金曜日深夜にダンナさんが帰宅したので、それから夕食を食べ、飲んでいたら案の定遅くなり、眠って目が覚めたらとうにお昼を過ぎていた。

なんか勿体ないような気がしつつもしょうがないので、ウドンを食べ、部屋を片づけて外に出た。すると日は既に傾きつつあった。パソコン店に行こうかと思ったが行くと散財するのは目に見えているので敢えて行かずにお気に入りのスーパーへ出かけた。

そこは街の小さなスーパーとは思えないような食品の品揃えをしている。おこぜの鍋セット、無添加の生ハム、豪華クエ鍋セットなど心惹かれるものがたくさんでクラクラしたがまた今度にして、輸入物のお菓子を少しゲットした。お正月に鍋は取っておくのだ。

それから大型家電量販店に行った。ダンナさんの家に暖房器具を購入する予定なのだ。安くてビックリした。ホットカーペット7000円、電気ストーブ1600円てなんだそりゃって感じである。しかし、ダンナさんはいつの間にかその場で寝てしまうタイプなので電気ストーブ類は危ないと思い止めておいた。私の独断でデロンギのオイルヒーターを勧めたが、消費電力がでかいのと、重いのとで再考の余地アリとなった。

気がつくともう外は真っ暗。食事をすることにした。目を付けていた鶏料理屋に行く。そこは焼酎の品揃えが素晴らしく、しかも店内が静かなので一気に気に入ってしまった。蒸し鶏、肝刺し、白玉ギョウザ、ささみのわさび焼き、皮の唐揚げなどを頼み、至福の時を過ごす。

ほわわんと気持ちよく家につき、もう一度飲む。あーシアワセシアワセと思いつつ、気がつくとちゃぶ台のまわりにシカバネが2体転がっていた。

かくして日記は遅々になってしまうのでした。


2001年11月09日(金) マイライン、逝ってよし

Yahoo! BBのADSL導入に伴い、ダンナさんのところの電話番号が変わってしまった。ISDN回線からアナログ回線に変更なので変わるのかな?と思っていたが事前調査で変わりませんとのことだったが、直前になって変更しますとのファックスが入っていたそうだ。

で、問題のマイラインである。11月1日以降は登録手数料が800円かかるようになっているので、「むむ!10月中に知らせといてくれれば良かったのに!」と思いつつ、そのへんがどうなっているのかNTTに電話で聞いてみた。

「お引っ越しのときなどと一緒の扱いになるので、そのまま引き継がれます。」

ふむふむ、そうなのか。ヨカッタねぇ。などと安心した。しかし、実際にYahoo! BBが導入された11月8日、県外で指定している業者のフュージョンコミュニケーションズの識別番号を回して電話をかけようとしたが「使用できません」とのアナウンスが流れたそうな。結局その日はメールで「電話下さい」と来たのを受けて、私の方からかけ直した。フュージョン以外で県外をかける気には到底なれないのだ。

そして翌日、まずフュージョンコミュニケーションズに電話で聞いてみた。すると、新しい番号を教えて欲しいという。伝えると登録されていないとのこと。今すぐ、前の番号を抹消して、新しい番号に変えて欲しいと伝えると、10営業日かかりますとのこと。なんでやねん!と言うと、しょうがないらしい。向こうが言うには、ADSL導入日というのは事前に分かるのでその時点で変更したいと申し出てくれたらちゃんと変わっていたのにとのことだった。

しかし、うちの場合は11月に入ってから通知が来て、NTTに確認したらマイラインは引き継がれると言われて、しかもYahoo! BBだから(?)ちゃんと11月8日にきっちり導入されるとも言い難かったのだ。とほほっ。

今度はNTTに聞いてみた。すると、確かにマイラインは引き継がれていますとのこと。フュージョンコミュニケーションズで確認したら登録できてないと言われたと伝えたらそんなことはないとのこと。ゴルァ!実際かけることができないのに何を言ってるんだか。

その後、ネットでこの辺のことを検索してみたが、そのような事例は見つからなかった。が、いろいろときなくさいことが起こっているようだった。テレホーダイに入っているのにマイラインが導入されたとたん、10万オーバーの請求が来たとか(原因は家族が市内マイラインをNTT以外で登録していたから。テレホはNTTのサービスなので他にマイライン登録してしまうと適用されないそうな。)、他人の電話番号と電話番号の所有者さえ分かれば勝手に他人のマイラインを登録できるとか(ノルマのある悪質業者はそれをやるらしい。)、くだらない話続出でウンザリしてしまった。

結局うちは、私からかけること、向こうからは毎日0038の識別番号を押してみてアナウンスを聞くことにした。なんせ、登録できても通知は来ないのだから。

こんな感じで日常生活をかき回して、余計な郵便物や、労力を使わせて、マイラインなんかいらないと思う。「通信事業の公正化」を図るそうだが、それなら、マイライン登録してなかった自動的にNTT経由ってのはおかしい。登録してなかったら、識別番号を押さないと電話できないようにしないと、公正とは言えないと思う。投票に行かなかったら与党支持になってしまうって言ってるのと一緒ではないか。

まぁ、そのうちパソコン同士のボイスチャット環境を作り上げたら、NTTには基本料金のみ、フュージョンは0円になるからいいんだけどね。ともかくマイラインは無意味だ。


2001年11月08日(木) 他力的ヒキコモリ

ウ〜、カンカンカン!台所でカレーの食べ残しをお昼ゴハンにとぬくめているとサイレンが鳴り響いてきた。何台も何台も来るのでハテハテと思い、ベランダに出てみるとなんと片側の車線が消防署関係の車両で埋め尽くされている。

しかも、ハシゴ車はでかく、うちのベランダの真っ正面にいるではないか。ひょえっと思いつつ、ベランダから真上を見上げると、上の方から煙が出ている。火事なのだ。しかし、煙はうすく、ボヤだと思いつつ、眼下の消防士さんのようすを眺めていた。話からすると11階のようだ。

だんだん野次馬が集まり、路上駐車しているクルマがジャマになってきて、お巡りさんが登場。にわかに騒がしくなってきた。大きなハシゴ車で3人の消防士さんがするすると上に登り消火活動をする。映画「バックドラフト」のように大きな木槌などは持っていなかった。

するとだんだん、こげたようなニオイが。カレーは消したはずと思って反対側のベランダに回ると、びっくり、外は煙で真っ白けだったのだ。
うちはB棟で、道路に面している方と反対側にA棟がある。そのA棟との間は煙が充満していたのだ。しかも化学物質が燃えているのか、やたらと煙くてクサイ。窓は閉めておいた。

一時間ほどして、消火活動も終わり、ハシゴ車は帰ってゆき、数台の消防関係の車が残っている。しかし、近隣の人々が噂を聞きつけて野次馬にやってくる。どうも外に出る気がしないので、マックのバックアップ作業をすることにした。

そして、夕方になり日が暮れたころ、管理人さんがやってきた。家の中の電気、ガス、水道がちゃんと使えるかどうか確かめて欲しいとのこと。ふむふむと確認すると全部大丈夫だった。聞くと、上の方の階では一部だめなところがあるようだ。

その晩、ダンナさんに電話で今日の出来事を話すとそれはパイプシャフトが燃えてるで〜とのこと。ついでに共用部分まで焼いたのならそれはボヤではなく立派な火事だということだ。そういえば赤いヘリコプターもバラバラと飛んでいたっけ。

数メートル上では火事なのに、私はカレーを食べたり、マックで作業をしたりしていたのだ。今になって思うがそれで良かったのだろうか?別に避難するほどのことでもなさそうだったのだが。

きっと明日には掲示板にお知らせでも貼ってあるだろう。
なんやかんやで今日は自転車はお休みしてしまった。
うむむ。


2001年11月07日(水) 自転車のチカラ

珍しく目覚まし時計より早く起きた。早速洗濯とメールチェックを済ませ、食事をする。今日は2時半から病院で検査なので、それまで家でテレビを見る。またもやリフォーム番組である。

今日のはすごかった。とにかく全てがアクロバティックな配置なのだ。コンロの真っ正面に食器棚がずとんとそびえており、魚焼きグリルを完全に引き出すことができず、ちょっと開けて投げ入れて箸で押したり、おいおいそれはないやろとツッコミの連続だった。(大体焼けた魚をどうやって取るのかがナゾ。)玄関開けたらストックの食料が積み上げられていたり、洗面所にショウユがしまってあったり、ビックリハウス状態であった。しかし、この家をカントリー調に作り替えちゃうリフォームの先生はスゴイ。やはりプロなのだ。

ひとしきり感心して病院へ。寒そうだったのでハイネックセーター、ネルシャツ、ゴアテックスのジャケットを着て走り出した。うぐぐ、寒いと思ったのは最初だけ。ものの3分でセーターの中は汗まみれだ。これではたまらんので早々にネルシャツを脱いでリュックにくくりつけてしまった。久しぶりの冬の自転車で、感覚が狂っている。

予定より30分ほど早く着いたが、すぐに検査は始まった。病院のネマキ(キモノ風)に着替えて、ベッドに横になり白い筒のようなモノに入る。すると、今回はヘッドホンを渡された。「良かったら有線が入っているので訊いて下さい。耳栓がわりですわ。」とのこと。ふむふむ。いいかも。MRIの検査というのは、いわば工事現場の真ん中で寝ころんでいるような感じでがががが!どっどっどっ!ぐぐぐ〜げげげ〜!という音が45分ほど繰り返される。
しかし、有線というのはヒット曲が流れているので、モー娘。の新曲がかかって、余計と疲れてしまった。あーしんど。

検査を終えて、近所のスーパーへ向かう。そこではイベントで物産展をやっており、その手の催しに弱い私はするすると吸い込まれていった。案の定、さつま揚げ、サーターアンダギー、五平餅を購入。実はキビダンゴも欲しかったのだがそんなに食べられる自信がなかったのでほどほどにしておいた。

再びかしゃかしゃと自転車をこぎ出す。道が空いていて気持ちよく、自分のペースで走れるので気持ちがいい。その分スピードが出てしまい、乗ってる時間が短くなるのはつまらないけど。夕焼けに向かってオレンジ色の中を走る。寒くなると夕焼けがキレイに見えるなぁと思うのは気のせいだろうか。

その日の晩はさつま揚げを炙って生姜醤油をちょっとつけ、黒生を開けた。運動するとビールが美味しいのでカラダは素直なんだなぁとしみじみする。家でぐたぐたした晩はあんまりビールが美味しくないのだ。

夕焼けを見せてくれたり、ビールを美味しくしてくれたり、自転車のチカラはなかなか侮れない。

明日は何を見に行こうかな。


2001年11月06日(火) 木枯らしに吹かれて

本来ならばMRIという検査をしに病院へ行かなければならなかったのだが、朝起きるとカラダが重く、風邪のようななんともいえないどんより感があったので、電話をして今日は中止にしてもらって休むことにした。

もう一度フトンに入り、風の音を聴きながらもう一度寝る。ヒューヒュー鳴っていて、まるでキャンプだなぁと思いつつ、2時間ほど寝てしまった。

目覚めて体温を測ってみると、平熱だった。でも、お腹が痛かったので油断ならない。お腹も空かないし。とりあえず、コーヒーを飲んで日課のメールチェック。すると窓の外に青空が見え隠れする。自転車でこぎ出したい気分になってくると同時にお腹が空いてきた。

ささっとヤキソバを作って食べ、装備を調え自転車で外へ。風があるのでフリースのジャケットではなく、ゴアテックスのジャケットにした。アスファルトの上にクリーム色の小花が敷き詰められている。キンモクセイのようだ。鼻の中にふわっと香りがやってくる。何だかうれしくなってきてしまった。いつものように渡し船で区外脱出。今日は風が強いのでよく揺れる。対岸に着いたら、どこに向かうでもなく、海沿いの空いた道を調子に乗ってびゅんびゅんこぐ。寒いけどペダルを止める気にはなれない。ひゅんひゅんという風切音がやる気にさせるのだ。あっという間にもう一つの橋を越え、街に出てきた。ちょっとパソコン屋へ行くことにした。

新しいマックを見たり、雑誌をめくったりしていると、思い立ってキーボードカバーを購入した。ノリノリで打っていると自分のキータッチの音で、CDが聞こえないことが多々あるのだ。ハードディスクやファンの騒音もあるのだろうけど。

他の店ではメモリを見た。私のマックで使える128MBのメモリが1420円だったのにはびっくり。衝動買いしそうになってしまった。でもどうせ買うなら256MBが良かったので今日は買わずにおいた。パソコンの世界では10年ひとむかし、ではなく、3ヶ月ひとむかしのような気がする。近い将来、10万円パソコンでメモリが1ギガになったりして。

HP作成関連のデザイン本なんかをふむふむと読んでいたら、空が暗くなりつつあった。ライトを点灯させて家路に着く。しかし、走り出したとたん、寒くてブルブルである。おお、曲がったところに551の蓬莱があったなと思い立ち、豚まん2個入りを購入。今日の晩ご飯にするつもり。チャーシューまんも食べたいのだがちょっと高いので何か特別な時にというビンボー心バクハツでいつも食べられない。

長い坂の途中で宝物のような夕焼けと出会った。青とオレンジの中間の色っていうのをいとも簡単に作ってしまう自然の世界はやっぱりすごい。木枯らしの中、自転車を止め、デジカメで撮影する。こんな時は、一眼レフで撮りたいなぁと思うけれど、こういうときに限って持ってないのだ。

渡船場に着くと、長蛇の列。ママチャリ満載のおばちゃん、学校帰りの高校生、シニアカーのおっちゃん。時代遅れの渡し船は、生活そのままどさっと乗せて、毎日行ったり来たりしている。

病院はさぼってしまったけど、今日は楽しかったのでヨシとしよう。


2001年11月05日(月) 休息のち安息

夜遅くに膝がほのかに熱く感じたが、起きだして湿布を貼って寝たせいか朝には熱が取れていた。ほっと一安心。

カーテンを開けると外はどんより。今にも降り出しそうだ。今日は湿布を貼り替えて家で休息を取ることにした。コーヒーを入れて朝の日課のメールチェック、ネットサイトでニュースを読む。そしてトースターでパンを焼き、コーヒーをもう一杯。パソコンの電源を落とし、今度はテレビの前へ。オクサマ番組で収納の達人のヒトが出ている。

私はこの手の収納番組が結構好きだ。全然まめじゃないので真似することはないが、アイディアがすごい。ちなみに今日のセンセイの三種の神器はカラーボックス、すのこ、〜ポスト(木の柱。名前忘れた。)らしい。あと、ビールの箱を切ると丁度カラーボックスに収まるとか、カセットケースで棚を作るとか、ウルトラC級な技がどんどん出てくる。30分の間真面目に見てしまった。

昼からは片づけをする。冬ブトンを出したらしまえなくなってしまったので、押入の再構築だ。パソコンのデスクトップの再構築みたいに一瞬で出来ればいいのだがそうは行かない。だいたい、あの天袋というのが曲者なのだ。パソコン部屋から椅子を持ってきて、おそるおそるその上に立つ。天袋のものを全部出し、整頓して入れ直す。そして、押入から段ボールを移動させ、その空いたスキマに冬ブトンを入れる。縦になっているがまぁいいことにしよう。

ふとリビングのテレビに目をやると、もうほこりがうっすらと積もっている。確か4-5日前に掃除したやんけ〜と思いながらミニハタキでぱたぱたやる。うむむ。ホコリはこんな短時間に積もるのだ。

掃除機をかけて、お茶を入れた。金曜日に録画したドラマを見る。すると劇中で「今日はクルマに乗せてもらってよかった。主婦をしてるとね、毎日が一緒でこうやってクルマからいつもの町並みをみるだけでわくわくするの。」という科白があった。

以前の私なら「けっ!」と一蹴していただろうが、実際に今の状況になってみるとその言葉がよく分かる。どんなしょーもないことでも違うことが起きること自体がわくわくになるのだ。ドラマでは昔のコイビトがでてきたりしてそれなりにわくわくもあるのだが、私の前に現れるのはジャマなお子さまや、マックのデスクトップの爆弾マークくらいでむっとすることはあっても、わくわくすることはない。

テレビを消してクルマ本を読む。今月号の「くるまにあ」は読み応えがある。クルマ好きのヒトは読んで損はない内容だと思う。私もクルマを買ったら、ちゃんと自分で把握して大切にしようとココロに誓ってしまった。

夕方になったので郵便局と市場に行くことにした。郵便局ではATMでお子さまにすかさずボタンを押されそうになったが、さっとボタンをカバーして難を逃れた。「30000」とか押したところで「万」とか押したらどないなんねん?というのは興味があるが。その後、市場では別のお子さまに買い物袋に激突されたが、中身がサトイモだったので私の勝ちだ。ふふふ、今日は2戦2勝。

すっかり暗くなってから家に戻り、芋を茹で、ゴハンを炊き、みそ汁を作る。

何もない一日はこうやって進んでいくのだった。


2001年11月04日(日) クルマに乗って

目が覚めると昨日外出したのがアホに思えるような晴天だった。がばっと起きてカーテンを開け、コーヒーを入れる。ベーコンと卵を焼いて朝食にし、今日は何をしようか?という話になった。そこで私は先日送られてきた試乗会のおしらせを見せながら、試乗会に行くことを提案した。

「よし、そうしよう。」と天候も相まってノリノリで出発。ふたつ向こうの駅まで奮発して地下鉄で行く。いつもなら徒歩で行くのだが大事をとって。行くと、希望のグレードは丁度他の支店に貸し出しているとのことで、一番安いグレードの1.5リッターのものに乗ってみた。

これが全然期待していなかったのにすごく良くてびっくりした。フレーム剛性が高く、安心感があり、エンジン音が心臓の音のように聞こえて心地よい。運転席からボンネットのはしっこが見えるのも私は安心できた。ふむふむ。なんと、CDプレイヤにMDステレオまで付いているではないか。これで126万円はスゴイと思った。最上級グレードのものをターゲットにしているのだが、かなり期待が持てる。車両の剛性感、作りこみはグレードで変わらないと思うからだ。私なんかがみると、これで十分なような気がしてしまう。

もっとも私はクルマを運転するのは3年ぶりくらい、以前所有していたクルマは当時で6年落ちの走行13万キロだったのでどんな新車に乗っても感動してしまうのだけれど。

傍らのダンナさんの鼻息も荒く、そのねらいのグレードのモノが入ったらまたしつこく試乗するようだ。

バイクがいったんお休みの今、クルマでびゅんびゅんするのはとても楽しみだ。カヌーも楽に運べるし。早速クルマ購入のめどがついたら、AT限定を解除しに行こうと思う。まずはそこからなのだ。


2001年11月03日(土) ココロとカラダ

目が覚めると全身が重くぐったりとしていた。二日酔いかと思ったが頭ははっきりとしている。重たいのは右半身。肩と右膝だった。膝に触れてみるとほのかに熱い。久しぶりに自転車で本気で走ったので筋肉痛+αである。冷蔵庫を開けて湿布を取り出し、膝と肩に貼った。ホンの3日かそこら、自転車で走っただけなのにと思うとカラダの動かなさにうんざりしてしまう。

そして外は雨。

せっかくダンナさんが帰ってきたので外出したいが、気力が生まれない。お菓子を食べたり、ぼんやりして、雨足が弱まった頃、近所のスーパーに行くことにした。

傘をさすほどでもないが、濡れないわけでもないという中途半端な雨の中、何を話すともでもなく、とことこと歩く。膝が何だかぼやんとした固まりのように思えるが、雨音、そして時折きこえる鳥の声を聞きながら歩いていると、苦痛ではなく、どちらかというと快感であった。冷たい空気が鼻から入って何だか気持ちがいい。

きっと今の自分に足りないのは、何かに集中してやることではないかと最近思う。何かにココロを傾けることによって、気持ちが高いところへ引っ張られるような気がする。それは自転車で走ることでも同じように感じる。

しかし、カラダは正直だ。夢中になってこぐと、必ず不調を訴える。入院中にも何度か思ったこと、「このカラダが自分のものとは思えない」が、再びココロの中にやってくる。

そんな気持ちをどこかに追っ払ってしまおうと、ひたすら歩いた。そして電車に乗り町へ出る。お店を覗いて、ひたすら歩く。しかし、やはりカラダは正直で夕食を食べようと、お店の座敷に座るとど〜んと疲労が来て、もう一度立ち上がることすら苦痛だった。

「しんどかったら云わなあかんで。」ダンナさんがそう言った。その通りだ。でも口に出すと大丈夫でない自分を認めるような気がして嫌だったのだ。

"Tomorrow is another day."って何の言葉だったかなぁとぼんやり考えつつ、明日はもっと別な日になって欲しいとココロの底から思いつつ、今日はお酒も進むことなく早々に寝てしまった。

そして日記は回顧録になってしまうのでした。


2001年11月02日(金) うぐうぐの日々

一週間ぶりの診察に、一ヶ月ぶりに自転車で通う。クルマとペースを合わせて加減速をしないといけないのでどどっと疲れてしまう。

帰り道では黄信号を目前に減速する私を、エアホーンの音高らかにぎりぎりの位置からぶち抜くダンプカーに思わず涙目になってしまった。そいつはすでに赤になってしまった交差点の真ん中できゅきゅっとタイヤを鳴らして車線を変更、すぐ10メートル先の信号で止まっている。何をそんなにしてまで突っ込む?と思ってしまった。あっちが悪いけど、接触したら痛いのはこっちの方だ。こんなことでビビッていては都会で自転車には乗れない。

連休前ということで病院は混んでおり、午前中の診察だが家に戻ったのは3時過ぎだった。昼食を済ませて、パソコンの前へ。懸案の更新作業をがしがしと進める。プランを書いた紙を見ながらフォルダを作り、画像とhtmlファイルを移動。そして小さな修正。これを追加する写真16枚分やって、ふと気が付くと右の二の腕から肩にかけてが痛い。すかさず湿布を貼る。ちょっと真剣にパソコン作業をすると、すぐに肩が痛む。

床に座布団を敷いて転がり、さくらももこの本を読む。けらけらと笑いながらいつのまにか寝てしまった。いつものように寒くて目が覚める。昼間は窓を開けているので夕方に寝てしまうと、かなり寒いのだ。

う〜ぷるぷると思っていると、電話が鳴った。ダンナさんが帰ってくるとのこと。バス停の前の飲み屋で集合することにした。約2時間半後。よしがんばるぞと作業を続ける。湿布のじわじわとしたひんやり感に助けられ、順調に進む。

そんなこんなで飲みに行き、日本酒のボトルを入れ、生肝の造り、アジのムニエル、鴨の煮込みステーキなどに舌鼓を打ち、わーわーしゃべっていると3時間経過。ボトルはとうに無くなり、チューハイなどを追加していた。こんなに飲んで平日の禁酒が意味があるのかは不明だ。

何一つ建設的なことをせず、一日が終わった。これでいいのか〜と思う自分と、まぁええやんかと思う自分、どちらもがいる。来年の今頃はぱきぱきと働く自分でありたいと思う。去年の私はベッドの上で、一年先のことなんか予想できていなかった。「予想した未来」に意味はないのかもしれないけれど…。いつも違ったモノになっていることだし。

さぁ、朝日が射してきたので眠ろう。


2001年11月01日(木) すっきりさっぱり

今日は晩に出かける予定があるので、早起きをし家の用事を済ませることにした。しかし、眠りにつくのが遅く、目覚めたのはお昼前。がばっと起きあがり、洗濯機を回し、食事をする。オデンももう3日目。美味しいけれどちょっと違うモノ食べたいなぁと思いつつも食べる。さぁ、今日は私の部屋の掃除だ。

私の部屋といっても、主にパソコンと本類が積み上げてあって、ウクレレがころがり、運動用の直径50センチのゴムボールもあるという、趣味の部屋だ。まず、押入を開けて洋服の選別。着られない服は容赦なしにオークション箱へ。大きな段ボールがひとついっぱいになった。

そして、雑誌の選別。一応、一年間は保存、ということにしているが、実際は10年前の雑誌まで取ってあったりして、なかなか選別が難しい。う〜ん、これあったなぁなどと脱線しながら4分の1ほどを手放すことにした。ふぅ。

ふとパソコンデスクの上を見ると、外付けCD-Rドライブがある。これは入院前にヒトに借りたものなのだ。その人のマシンにはMOドライブがないので、MOに入ったデータをCDにする必要があり、私にCD-Rドライブごと託したのだ。それから約一ヶ月。すっかり忘れていた。よしと、重い腰を上げ、接続に取りかかる。久しぶりにSCSI機器を取り付けた。そして、書き込みソフトをインストール。よしよし、うまくいったぞ。で、書き込み。四倍速の書き込みまで可能だが、大事を取って、等倍で書き込む。80MBくらいのデータだからそんなにかからないだろう。しばし待つ。

テスト書き込みに約10分弱、書き込みにその倍くらいかかった。ふぅ。優雅な世界だ。つい、家のもう一台のパソコン通称アスロンちゃんと比べてしまう。あちらは16倍速で焼けるのですぐなのだ。しかも焼いている間に別の操作をしても大丈夫。

しかし、比べるのも酷な話だ。iMacは今から3年以上前に購入したもの、アスロンは今年の一月に組み立てたモノ。何世代ものへだたりがあるのだ。のんびりと、でもちゃんと焼くことができていたので、まだまだiMacもがんばれるなぁと思いを新たにしてしまった。

これで、部屋も片づいたし、明日の診察でリハビリが再開されれば、もう言うことなし。すっきり、である。すっきり曲がるか?は分からないが…。


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