日々是迷々之記
目次


2001年12月31日(月) 酒ぢから

夕方から食料を買い出しに行った。といっても1/2からお店が開くので、おもちやお雑煮の材料、そしてお酒くらいのものである。

お雑煮はダンナさんに任せたら、鶏ガラ、大根、人参、鶏肉などを購入していた。私の実家では、大根と人参のみそ汁に焼き餅を入れるだけだったので、お澄まし風のお雑煮は大変楽しみだ。

最後に酒屋さんである。濁り酒を1升、シャンパンを1本、白ワインを1本、バーボンを一本、チューハイを2缶購入した。家には紹興酒が1瓶あるのでこれで準備は万端だ。

ふふふ、カモンお正月なのだ!


2001年12月30日(日) 買い出し!

昨日の晩、ダンナさんが帰って来てから、ピザを取り、ヤキソバを作って、宴会モードに入ってしまったので、目が覚めるとお昼前だった。いやはや、よく飲んだなぁ。

正しい日本の朝食のようなものを取ってから、町へ出た。今日はお餅などを購入する予定なのだ。途中、オートバックスでカーナビシステムのカタログをゲットする。機械オタク気味なので「HDDナビ」に興味津々なのだ。検索が劇的に早く、一度挿入した音楽CDをmp3化してHDDに保存してくれる機能もある。別売りの10GBのHDDを増設することもできるのだ。う〜ん、すごい。しかし、値段も立派で、クルマの値段の15%くらいである。もっと別のメーカーからも発売されて値段がこなれてきたらいいなぁと思う。

それから山用品屋に行った。こないだ鴨のスモークを作ってから、本格的にスモークをやりたくなってきているのだ。「スモーくん」というベタな名前のスモーカーを購入。ブリキで出来ていて、ペール缶を一回り小さくした感じだ。

次に百貨店へ。まずお餅を購入した。最近は100円ショップにも売っているお餅だが、安い物は水増しされているようであまり美味しくない。ちょっと高いがたまにしか食べないので正しい?お餅を買った。しかし、百貨店はごったがえしている。何かお総菜でも買って帰ろうかと思ったが、おばちゃんパワーが充満しており、とても戦線に参列することはできなかった。

ということで何か食べて帰ろうということになった。しかし、どこの店も外まで人が並んでいる。こういうのを見ると、世の中は本当に不景気なのかな?と思う。結局電車で病院の近所の飲み屋に行った。

そこの店は10日前にカニ宴会をしたところで、今日はダンナさんのカニリベンジとすることにした。店は空いており、ほっとした。カニ刺し、焼きカニ、れんこん天ぷら、玉ひもの串焼き、鶏サラダなどを食べる。生中から冷酒へ移り、4本ほど開けたところでダンナさんが暴走した。

「え〜と、鹿のチーズ焼きと、カメノテの天ぷら、うずらの串焼き!」…このお店にはこういう謎のメニューがあり、気にはなっていたのだが私は頼まずにいたのだ。むむむ。かくして、カメノテの天ぷらはそのまま、思った通りの形状だ。しかし、味はイカにアオノリの風味を足したような感じで案外おいしい。きっと海に行ったらカメノテ採集にいそしんでしまうだろう。いやはや。

気がつくと終電なんかとっくになくなっており、でろでろになって家に着いたら2時を回っていた。それからアイスを食べ、また飲み、一体いつ寝たのやら。正月が終わったら人間奈良漬けになっていたらどうしよう。


2001年12月29日(土) 年末らしい行動

朝起きるとたまった洗濯物を洗い、じゃかじゃかと年賀状を印刷した。今日くらいに出さないと1/1には着かないだろうということで駆け込み作成なのだ。

絵柄はマックで作成。差出人はシール紙に印刷、宛名は手書きだ。郵便番号の箱に数字をちゃんと収まるように調節するのが面倒なのでそうしている。一気に18枚ぶんを書く。2回分の洗濯物を干して、気がつくともう夕方ではないか。急いでポストに投函しにゆく。ついでにツタヤでビデオを借りた。「60セカンズ」と「ミリオンダラーホテル」年末年始のテレビ番組はあまり見ないので映画を借りておくのだ。

家に戻って今度は掃除だ。昨日、ホームセンターで「クイック&ブライト」という練り洗剤?を購入しておいたのだ。コレはよく通販番組でやっているアメリカの洗剤でかなり惹かれていた。台所まわりはこれでOKのようだし。

これでスパイス棚、レンジフードなどをこすった。最後にぼろ布で乾拭きしたら、「ほら、スゴイだろう!デイブ。まるで新品の輝きだよ。もう手放せないね。」と番組の真似をしたくなるくらいキレイになった。しかも、手が荒れたり、変なニオイもない。ついでに洗面所まわりも磨いてしまった。

ぼちぼち7時なので晩ご飯にしようと、冷蔵庫内を物色していたら電話が鳴った。取ってみるとダンナさんだった。30日まで仕事をして、31日の朝に帰ると言っていたのだが、予定が変わって、今から帰るよ〜とのことだった。

やばい。家が荒れている。明日の晩やればいいやって感じで布団や、服が放置されている。2回分の洗濯物もたたんでいない。とりあえず、晩ご飯は後回しにして適当に片づけた。

いやはや、今日はよく片づけをする日なのだ。


2001年12月28日(金) 今年最後の病院

今日が今年最後の通院になった。すっごく混んでいるかなと思いきや、普段と変わらなかった。思い起こせば去年の今頃は入院していた。杖でやっとこさ歩くことができる状態だったので、自転車で通院できるようになるなんて想像もできなかった。

今年最後の施術を終え、ほぼ10月の手術前と同等まで膝の曲がりが戻ったようだったので、ほっとした。リハビリの先生方にちゃんと挨拶をして自転車置き場に戻る。すると後輪がパンクしていた。むむむ。今年最後のパンクなのだ。

このところ、リハビリの助手の先生のBMXがよくパンクさせられていた。今日はそのBMXに乗ってきておらず、何か身代わり?でパンクさせられたような感じだ。タイヤをじっと見てみるとぷすりと十字の穴が開いていた。原因はわからないけど、とりあえず新品のタイヤに交換して走り出す。

しかしまぁ、この自転車で通院するようになって半年足らず。よくパンクするなぁ。でも、その分修理が格段に早くなったし、パンクしないよう路面をよく見るようになったのでヨシとしよう。

掃除用具を購入して家に帰った。


2001年12月27日(木) 2001年の逝ってヨシ

最近気になる人や物について、今年のうちに書いておきたいと思った。別に今年でなくてもいいのだけれど、世の中にはネタになるべき恐ろしき人たちがたくさんいるのだ。今日は病院の近所の某ジャスコでいきなり2連発だった。

その1
私は寝具売場でカーテンを物色していた。今あるカーテンがいかにも寒々しいので何か厚手で手触りの良いものがあればと思っていた。すると背後で大学生くらいの男の子と、40才くらいの女性店員の会話が。「あの〜、シャワーカーテンを探してるんですけど…。」と男の子が言った。すると、「はぁ(・Д・)。シャワーカーテンて何ですか?」とためらいもせずその店員は言い放ったのだ。沈黙の空気が流れる。男の子は「結構です…。」と小さな声で言い立ち去った。きっと彼は二度と某ジャスコで買い物をしないだろう。しかし、シャワーカーテンって知らんか?

その2
またしても見てしまった、アルバイトニュースの類をメモしている人たち。しかし、もっとインパクトが強かったのはその横の「メモしないでください。」の張り紙だ。店側も気づいていたのか。それならレジ横に置けばいいのに。

そして、近所の酒屋さんにて。

その3
ここは作りもオシャレで特に並行輸入物のお酒や、その地方名産の隠れた日本酒のようなものもたくさん扱っている。そこで私がボストンクラブ(ウィスキー)を携え、レジで店員さんに訊いた。「あのー、ギネスビール、置いてますか?」すると、「はぁ(・Д・)。ギネスビールて何ですか?」とのたもうたのだ。私は返す言葉もなく、じゃあいいですと言い、その場を立ち去った。バイトかもしれないけれど、酒屋に勤めていてギネスビールを知らないというのは、いかがなもんかと思う。

最後は昨日購入したオフロードクルマ雑誌なのだ。○フロード○クスプレス。

その4
とにかく誤植が多い。「内臓」→「内蔵」は気づいただけで10ヶ所以上。「松任谷由実」は「松任谷由美」と書かれている。そして、日産のX-Trailのサイズに関しては全長4000mmx全高1000mmx全幅1000mmと書かれている。4メートルx1メートルで、高さが1メートル。そんな羊羹みたいなクルマがあったら見せてくれっていう気分だ。恐らくパソコンDTPに頼り切っており、プロの校正を入れていないからだと思う。素人の私でもこれだけ気がつくのだから、ちゃんとした目を持った人が見るとあらだらけなのだと思う。

これらのことに共通するのは、「よくそれで金もらうなぁ。」という気持ちである。どれにしたって、職務怠慢ではないか。世の中に、一度雇われてしまえばそれでヨシ、なんて仕事はありえないのではないか?日々、新しい物が生まれている。その中で自分の仕事に関する分野では自分から新しいことを知ろうとするべきではないか?例えばカーテン売場のおばちゃんはインテリア雑誌に目を通すとか、何でもできるだろうって思う。ギネスビールを知らない酒屋の店員に至っては問題外だけど。

と、年末も押し迫っているはずなのに、日々飲んだくれて他人に文句を言うしかない女の夜は暮れてゆくのだ。

おまけ:仕事決定!1/10に社会復帰を果たします。


2001年12月26日(水) 一日360キロ

結局なんだかんだと言いつつも、クルマを買うことが決定した。最後は値引き攻撃で折れてしまったようなものだが、ダンナさんの持つ「試乗したクルマは結局買わない」の法則に従い、別のクルマにした。

購入するのはS社のfというクルマだ。モデル末期で来年2月にフルモデルチェンジするそうだ。だから45万円も引いてくれるのだろう。で、購入に当たって、滋賀県で登録し、車庫を取ることになった。

実質ダンナさんは滋賀に住んでいるので、それは当たり前なのだが、それには住民票を滋賀に移さなければならない。大阪からの転出、滋賀への転入、そして印鑑登録。それらの雑務をこなすために私は青春18切符を購入し、電車に乗った。往復で3900円ほどかかるので、青春18切符がお得なのだ。

1時間ほどかけて滋賀に着いた。夕方3時を過ぎ、気温は4度。大阪の半分以下だ。市役所まで約2キロ。てくてくと歩く。市役所で書類を記入する。転入日が12/1、届け出日が12/26と書いた。転入日はいつかはっきりしないのでと大阪の役所で申し出たらなんとなく適当に12/1になったのだ。それを提出するとおどろくようなことを言われた。「あの、転入日と届け出日が2週間以上開いていると裁判になって罰金5万円なんですけど、よろしいですか?」

はぁ?(・Д・)いいわけないので単身赴任の状況などを話した。すると、「それなら、転入日を今日に書き換えて下さい。」と言われた。それだと転出した日と、食い違ってしまうのでその旨を尋ねると、「それは問題になりません。」とのことだった。かくして、ダンナさんは12/1-12/25までどこにも住んでいなかったことになった。はてはて、こんなんでいいんかい?

そもそも、日本のこういった制度は実状にそぐわない気がする。同一世帯は同じ場所に住んでいるという前提になっているからだ。単身赴任や、進学で別の所に下宿している学生などたくさんいると思う。しかし、保険証は1つしかなく、コピーでもほぼ使える。矛盾を感じつつもテキトーにやってればいいといった感じだ。カナダのように出生証明書と、社会保険番号で管理すれば矛盾は生じないと思うが、それをすると個人情報の流出だなんだとわーわー言うヒトがでてくるのだろう。個人情報を管理するには、個人が情報に対しての意識を高めることでしか守られないのに。出会い系とかで何でも垂れ流しちゃうような、意識の低い人の個人情報までは守れない。

ということでおざなりの登録を済ませ、住民票を取ることにした。クルマの登録に必要なのだ。これは直ぐに済み、次は印鑑登録だ。しかし、これは本人に任せることにした。代理人だと申請を出してから本人に郵送で確認、確認書を書留で返送、そしてそれから作成なので非現実的に時間がかかる。めんどくさいので今日できることはこれでおしまいなのだ。

帰路、再び電車に乗る。ここの電車はドアが半自動式で、ドアの横のボタンを押してドアを開け閉めする。外気温が低いので開けっ放しだと冷えてしまうのだ。こんな所に北陸の気配を感じる。う〜、ブルブル。

電車が動き出すと、寝てしまった。寒い中でてくてくと歩いたので疲れていたのだろう。気がつくともう京都だ。大阪に着いたら丁度20時だったので、デパ地下グルメのたたき売りでも購入しようかと思ったら、閉店時間は20時になっていた。21時閉店はクリスマス前の大盤振る舞いだったのだ。トホホと背を丸めて再び電車に乗る。

最寄りの駅で降り、ここから20分歩くかと思うとトホホ気分がいっそう高まった。食事を作るのがめんどくさいので、途中のコンビニでビールと、トルティヤチップスを購入した。家のオカマの中にはご飯がある。それをお茶づけにして、ビールとお菓子でごまかすのだ。たまにはいいだろう。

そして、家に着きコタツでちんたらしていると寝てしまった。考えてみると一日で360キロ移動したのだ。ただ座ってただけだけど、それなりに疲れていたのだ。


2001年12月25日(火) クリスマスの男

目が覚めると、目が飛び出しそうになった。昨夜、ぐびぐびやりながら、某掲示板をうろうろしていたら、寝るのが明け方になってしまい、案の定、起きると昼前なのだ。

しかし、怠けることは許されない。今日はT先生の診察の日なのだ。先週の金曜日の晩に行きそびれているので今日は行かなくてはいけないのだ。ささっと着替えて、やかんのお茶をごぶっと飲み、自転車を担いで外へ出る。ぐぁっしゃぐぁっしゃとこいでどうにか午前中の診察の受付に間にあった。が、しかし、病院は野戦病院の如く混んでいた。通路に長椅子やら、パイプ椅子が出してあり、それっぽさが高まる。

トホホ〜っと大人しく待つことにした。サンケイ、読売、毎日、朝日と一通り新聞を読んで1時間が経過した。受付に聞きに行くと、「30人待ちです。」とのこと。夜に来てもいいかと聞くと、もう、そんなにかからないし、夜も混むと思うので待っていて欲しいとのこと。待つことにした。というより、診察を受けないと困るのは私の方なので待つのだ。

とりあえず、1時間くらいは大丈夫だろうと、マクドナルドで食事をしにいった。戻るとまだ30分しか経っていなかった。長椅子に座ると満腹感からか、うとうとと眠ってしまった。ヤキソバのニオイで目を覚ますともう3時半だった。お腹を空かせたおばちゃんが、どうにもこうにも待ちきれず、隣のお好み焼き屋でヤキソバを買ってきたようだ。

わたしもさすがに待ちきれず、用事もあったので、夜にまた来ますと言い残して病院を後にした。区役所に行かなければいけないのだ。

しかし、外は寒く、家に帰ってニットのセーターに着替えて、フリースの襟巻きを取ってくることにした。そして区役所に行き用事を済ませ、再度病院へ向かう。

病院の近所の大きな交差点で信号待ちをしていると、おっちゃんが話しかけてきた。

「この自転車、スピードよう出るやろ。」にこにこしている。50前後のおっちゃんだ。「そうですねぇ。」急いでいるのと、なんともかんとも疲れた私は生返事をした。「今はもう、よう乗らんわ。オッチャンも乗ったことあるんやで。」その目は私ではなく自転車を見ていた。私は最初はしんどく感じるけど、慣れたら楽だし、楽しいですよ、と答えた。「そうかぁ。若い女の子でこういう自転車乗ってるのは珍しいなぁと思ったんや。」その時、信号が青になった。「寒いから気ぃつけて。」場数の足りない私は「ありがとう。」と答えてこぎ出した。うまく理由は言えないけれど、すこし嬉しかった。

病院に着くと、タイミング良く10分くらいで私の番になった。事故関連の処理の話があるので木曜の晩の診察にまた来なければいけなくなった。1年半、つきあった病院とも恐らく今年でお別れなのだ。

病院を出ると、ぼちぼち8時だ。外はクリスマスモード最高潮!といった感じで浮き足立っている。晩ご飯は何にしようかなぁ〜などと考えながら信号を待っていると、見覚えのある後ろ姿があった。

「こんにちはぁ〜」と声をかけると、その男性はビックリしながら振り返って目をぱちくりさせながら「お疲れさまです。で、何やってるんですか、こんなところで。」と言った。わたしのリハビリの先生だ。

信号が青になったので歩き出した。今日は病院が混んでて、診察がやっと終わったのですよというような話をすると、不意に「僕、今晩は何を食べたらいいですかね?」と問いかけられた。気が利かない私は、「マクドですか?」と言った。「いえ、家にはタマネギと人参とニンニクがあるんです。」「はぁ、それならキャベツでも買って帰って野菜炒めはどうですか?」「…昨日食べました。」

そんな会話をして駅前でそれぞれの方角に別れて進んだ。わたしは、「うちにもタマネギあるから、冷凍庫の豚肉を出してブタキムチにしよう。ビールを一本だけ買っちゃおうかな。にこにこ!」などと考えつつ、家に帰った。
そして、ゴハンを炊き、みそ汁を作り、えのきの芥子和え、甘鯛の西京味噌焼き、そしてブタキムチを作ってビールを飲んだ。

そして今、この日記を書くにあたって、今日一日を思い起こしてみた。もし、「僕、今晩は何を食べたらいいんですかね?」という問いかけに、「もしよかったら、私と食事をしませんか?」と言ったら、クリスマスっぽくなったのだろうか?むむ!いいではないか!そして間接照明のあるようなお店に行き、標準語で会話をしつつ、名前の分からないようなお酒を飲むのだ。(いやはや、さっき見たドラマにかなり影響されてるなぁ。)

が、現実はおでこ全開に髪の毛をくくって、マフラーを鼻までぐるぐる巻きで自転車にまたがり、ブタキムチとビールのことを考えるような女にそんなドラマのようなことは起こらないのが当たり前なのだ。

今もパソコンのまえでわさび漬けをつつき、芋焼酎ロックを飲みながらこの日記を書いている。タマネギと聞いただけでブタキムチを連想し、それしかアタマの回らないいわば「食の奴隷」な私には、ダンナさんはやはりダンナになるべくして巡り会ったのだと思ってしまう。

何故なら、おみやげはいつも食べ物だからだ。こないだは、コンビニのハーゲンダッツを全種類1個づつ買ってきた。その前は、みたらしダンゴにゴマダンゴ。コンビニ特有のナゾの飲み物、例えば、バナナラッシー、バニララテなどもよくおみやげとして買ってくる。

…食べ物のことばかり書いていたらお腹が空いてきた。やはり聖夜は酒と食料なのだ。


2001年12月24日(月) 惰性の休日

連チャンで飲んでいたので今日は起きるのが本当に辛かった。目が覚めると、もうお昼前だ。ダンナさんは今日早めに戻って買い物をする予定だったのだが、とてもそんな気になれないようで、ほけ〜っとした顔でコタツに入り、ぼや〜っとタバコをふかしている。

昨日のアンコウ鍋の残りにゴハンを入れて雑炊にした。その後、パンを食べて、アイスクリームを食べる。ふと思い出した。ケーキを食べるのを忘れているではないか。私がチョコのシフォンケーキを購入してあり、それにダンナさんが生クリームを泡立ててデコレーションをしてくれる予定だったのだが、飲んだくれて忘れてしまったのだ。まぁいいか、賞味期限的には大丈夫なので、正月に食べることにした。

食後、ぼやーっとしながらココアを飲み、テレビを見る。ダンナさんがテレビを見る姿を眺めていると、白髪が増えたなぁと思う。

窓の外は晴天だが、風が冷たい。海の上を浮かんでいる水鳥たちものほほんと漂っている。

結局、映画の後、競艇の賞金王決定戦まで何故か見てしまい、やっと重い腰を上げた。カップルが充満したバスでターミナル駅まで出て、ダンナさんを見送った。しかし、カップルが多い。私にとってのクリスマスはあくまで家族の物といったイメージなので違和感がある。プレゼントだって、サンタさんがよいこにあげる物で、カップル同士でハラのさぐり合いをしてあげる物でもないと思う。

百貨店でライ麦パンと、マスタード、わさび漬けを購入して家に帰った。今晩は、スライスした鴨のスモークをライ麦パンにのせ堪能するのだ。そのためのマスタードまで購入する気合いの入りようだ。結果、かなりうまかった!欲を言えば、ピクルスのスライスか何か、野菜を添えるべきだった。しかし、パンで晩ごはんを終えられないタチのわたしは、ささっとご飯を炊いて、炊き立ての新米を食べる。おかずは、わさび漬けと昨日の塩からなのだ。

がががっと食べ、昨日の残りの純米吟醸に手をつける。ぐびぐび!ちょこっとわさび漬けをお箸に付けていただく。うまい!ぐびぐび!

かくしてクリスマスイブは、ぐびぐびっと過ぎて行くのであった。


2001年12月23日(日) 先走って、クリスマス

うちの家は今日をクリスマスにすることにした。ダンナさんが24日には寮に帰ってしまうので、今日にやってしまうのだ。ダンナさんの指揮で、鴨のスモーク、アンコウ鍋、てっさ、蛤の網焼き、チキンの唐揚げ、そしてオードブルだ。

私はまだ足が痛いので、近所のスーパーで済ませることにした。鴨は昨日購入したものだ。スーパーで伊勢エビのミニオードブルを見つけたので鼻息あらくかごに入れる。でっかいスルメイカがあったのでこれもスモークにすることにした。あと、タマゴも茹でてスモークに。

帰りに酒屋さんへ寄った。ここで初めて知ったのだが、スパークリングワインと、シャンパンは同じ物だそうな。ふむふむ。といいつつ、シャンパンと純米吟醸「星のささやき」と、泡盛「熱き島唄」をゲットする。しかし、袋が重い。はひはひと息をつきながら家まで戻ってきた。

まず、スモークを仕込む。これは私がカナダから買ってきたバーベキュウグリルにスモークウッドを入れて火を付け、フタをするだけでできる。でも出来た物は何だか手が込んでいるように見えるのがうれしい。早速、スパイスをまぶした鴨モモ肉と、イカの胴体、ゆで卵6個を投入する。

その傍らで、わたしはイカの塩からを作る。げそと三角部分を適当に切って、肝と味噌とで和えるだけなのだ。次に唐揚げを作る。本当ならどーんと七面鳥のローストでも作りたいのだが、作り方も分からないし、うちのオーブンに入るとも思えないので唐揚げなのだ。

スモークができあがるのを待ちつつ、早速シャンパンを開け、てっさ、唐揚げ、チーズナチョスなどをつまんでワハハと笑っていると、突然手製スモーカーから火柱が上がった。鴨の脂が炎上しているようだ!これは、コレハということになり、食材を救出し、沈火した。鴨をスライスしてみると、ミディアムレアだった。うむむとちょっと考えて、2分だけ電子レンジに頼ることにした。

さ、スモークをつまみましょうとなったときにシャンパンは空き、日本酒に突入した。

今思えば約7年ほど前、私はカナダで間借りをしていた。彼氏がいるわけでもなく、私はフライドチキンを半身、シャンパンを1本購入し、スーパーファミコンで「ボンバリス」(爆発するテトリス)を徹夜でやったことがある。気がつくと窓は結露し、なかなか最後の面まで届かず、しかし、シャンパンはもうなく、チキンは脂っこかった。今となってはトホホな思い出だ。

今は違う。酒はどどーんとそろい、つまみは豊富、そして、話す相手がいる。すばらしいではないか。例え話す内容が、「ETCみたいなしょーもないもん、作るな!」とか、「オートマのクルマがマフラー変えるな!」とか他者に対する罵詈雑言であったとしても、それはまぁいいではないかと勝手に思っている。

かくして、気がつくと、朝の6時だった。わたしはコタツで転がり、ダンナさんは何故か自分で布団を敷いていた。いやはや、クリスマスもいつもの宴会と同じ結末を迎えてしまったようだ。


2001年12月22日(土) ブーツで早死に

目が覚めるとどーんと疲れに覆われている。昨日の夜中にダンナさんが帰ってきて、それから酒盛りをしたので当然の結果だ。

ダンナさんは会社の忘年会が終わってからだったので、滋賀から電車に乗って目が覚めたら神戸、そこから大阪に引き返し、終電はなくなり、タクシーは鬼の渋滞だったので、30分ほど歩いてそれから町はずれでタクシーをつかまえてやっとのことで帰ってきたそうだ。お疲れさまというべきか…。

ということでしんどいので二度寝を決行して起きたらお昼過ぎであった。軽くゴハンを食べて出かけた。社会復帰の下準備として、カカトのある女性用ブーツに膝くらいの丈のスカートを履いた。天気がいいのでさほど寒くないだろうと言う判断だ。

そしてクルマのディーラーに行った。ここの営業のBさんはほんっとにマメで一週間に一回くらい立ち寄ってくれる。ついに先週はスタッドレスタイヤとホイールを半額にしてくれるとの申し出があった。それを聞いたダンナさんはうむうむと鼻息荒く交渉に入るつもりなのだ。

わたしは嫌な予感がしていた。Bさんは昭和51年生まれの若いおにいさんでクルマの知識もそんなマニアックな所までは持っていないようだ。一方ダンナさんは昭和39年生まれ、整備士の免許をもっており、しかも図々しい外国人並の交渉力があるので、きっとダンナさんの圧勝になるだろう。

3時間のお話の中で勝負はついてしまった。結果、ダンナさんの圧勝と言えるだろう。ディーラーオプションは全部で0円、他府県登録、持ち込み車検も別途費用なし、勿論スタッドレスタイヤは半額だ。第二希望の車種で馬力も260馬力だが、総値引額45万円なのでこれでヨシとした。

そこまで引っぱり出して契約するのかと思いきや、「今年いっぱいに返事します。」で後にした。実は他にも考えている車種があるのでそっちを検討するようだ。うむむ。交渉事が苦手で、最後は適当になってしまう私とはえらい違いだ。

そこからはお決まりのデパ地下おかずを買いに出かけた。途中で大型家電量販店に立ち寄り、パナソニックの「Game Player Q」を見に行った。これは、任天堂のゲームキューブがプレイでき、しかもDVDも見ることが出来、CDも聞けるというスグレものだ。筐体もApple G4 Cubeを思わせる形でメタリックな鏡面仕上げがなかなかそそる。しかし、限定販売だったようでその店では売り切れており、実物を見ることはできなかった。

疲れたのでお茶を飲むことにした。しかし、腰掛けてみるとどーんと足が痛くなってきた。膝ではなく、良い方の足の母子球(指の付け根あたり)である。よく考えてみるとここ2年くらいカカトのある靴を履いたことがなかったのだ。うぐぐ。ブーツをずずずと剥がしてみると、なんと小指が薬指の側面に突き刺さって血まみれではないか。これは女性靴に特有の先細り形状によって引き起こされたと思われる。わたしの足は「扇形」なのだ。

血まみれの指を見たら一気に痛いように感じてきた。うがが〜。でも、デパ地下で買い物をしないと今日の夕食はない。最後の力を振り絞って買い物をし、顔面蒼白になりながらも電車で家に帰った。

きっとこういうブーツで「うふふふ!」とか言って出歩くには、ドアの所まで誰かにクルマで送り迎えしてもらうような身分にならなくてはならないのだ。

「けっ!」と私は玄関にへたりこみ、ブーツを下駄箱に突っ込んだ。私は運動靴かワークブーツのヒトでいいのだ。

それにしても指の感覚がないのはなんだかなぁ…。


2001年12月21日(金) 面接の日

目が覚めるとミョーにお腹が痛かった。うげげとトイレに駆け込むが好転の気配なし。コタツに電気を入れ、暖まるが痛みは増すばかりだ。何度となくトイレに往復し、ぐったりしたころコタツで寝てしまった。

あ〜、今日は診察に行かないといけないのに、あ〜、うううとうめきつつも、体には勝てない。気が付くと11時を越えている。体も幾分か楽になっているのでお茶漬けを食べ、面接の格好に着替えた。

なんでお腹が痛いのに、スカートなんか履かないかんねんとぶちぶち思う。こんなことを言うと変なヤツになってしまうと思うが、何で女性は非実用的な格好を求められるのだろうか。寒いのにスカート、安定の悪い靴。小さなハンドバックにはお弁当箱をいれることもできず、くたびれたブランドの紙袋にお弁当を入れ、鞄を複数持って出かける。それに雨が降っていると傘もいる。こんなもん、ゴアテックスのマウンテンパーカーにワークブーツ、小さめのバックパックに弁当も財布も押し込んだら手ぶらで歩けるじゃないのと思う。何事も形式を重んじることから入る社会ではしょうがないのかなと思いつつも、やっぱしムダやんけと思わずにはいられない。

しかし、働かないことには社会復帰もほど遠いということで、面接はあくまで前向きに挑む。最後に「ご両親と住んでいるの?」と訊かれたので、「いえ、主人と二人です。」と答えたら、「え〜、結婚してるの!」と相手のおじさんに言われた。どういう意味かは不明だけど、唯一、型にはまったせりふ以外の言葉を聞くことができたのはこのやりとりだけだった。

お返事は来週にいただくことになり、家に帰る。今帰れば晩の診察&リハビリに間に合いそうだ。家に帰っていつもの格好に着替える。ふ〜。

病院に行くと、私の主治医の先生の診察ではなかった。晩に行くのは初めてだったので、よく確認していなかったのだ。よく外した物で、リハビリの先生も担当の日ではなく、もう帰宅した後のようだった。電気に当たって、超音波をくるくると当てるだけで帰った。よく考えたら、昨日夜にリハビリをしてもらったということは、今日は休みなのだ。(一日おきにやっているので)

いやはや、何となく外しまくった一日だった。面接まで外さなきゃいいけど…。


2001年12月20日(木) カニ!カニ!カニ!

今日は私にとって今年最初で最後の忘年会だった。メンバーはここ2ヶ月おきくらいに定期的に飲み会をやっているメンバーだ。仕事も、年齢も性別もいろいろで本当に巡り合わせの妙を感じずにはいられない組み合わせだ。

今日のメニューはカニであった。かに酢、かに刺し(カニ味噌付き)、カニの天ぷら、焼きがに、かにすき、ぞうすい。そして飲み放題。かに酢のたらばがにはでかく、「おお!」っと感動しているうちに、かに刺しに「おおおお!」とさらなる衝撃を受け、かにみそをひとなめして「ううう。」とむせび泣く。わたしはこのかにみそは冷酒と食べるべきだと判断し、ちまちまとなめなめし、ビールは天ぷらと食した。みんな生中を2杯くらいづつ飲んでから、冷酒にチェンジした。かにみその本領発揮である。うううう!うまい。わたしは目に涙を浮かべていたかもしれない。

この辺からご乱心モードに入って行く。といっても、おはしを焦がしたり、二枚重ねの靴下を激写したり、つまようじの入れ物をぶちまけたりとその程度であるが。

2時間で予約をしていたのに、気が付くと4時間を超えていた。いやはやどうもとお勘定をしてもらうと、7人で34650円也。うむむ、安いではないか。しかも鍋のかには生だったのだ。

また来ようと固く心に誓って、いそいそと終電に乗り込んだ。


2001年12月19日(水) どっこい0点

病院を終えてから面接に向かった。私にとっては2年ぶりくらいの面接、しかも、社会復帰第一歩なので少し緊張している。

まず、おきまりの書類の書き込み。一段落したらスキルチェックだ。ワード、エクセル、それにテンキー、和文、英文のスピードチェック。結果、私が雇用主ならこんなやつは絶対雇わないというくらいさぶい結果だった。

ワードは一応出来たが、表作成は出来なかった。普段はエクセルで作ってからワードにコピー&ペーストしていたのでワード内だけでする方法を知らなかったのだ。エクセルはほんとに入力と足し算と平均値を出すだけしか出来なかった。LOOP関数ってなんじゃ〜と地団駄踏んでしまった。

しかし、入力はもっとダメダメだった。毎日こんなに日記を書いたり、メールを打ったり、ホームページのタグを書いたりしていてもできないものはできないのだ。テンキーのブラインドタッチは評価E。日本語入力は評価B。英文入力は評価E。この最後がかなりキツイ。(ちなみに評価B以上が実務で使えるレベルということだ。)しかも理由がアホなのだ。

このテストはパソコンの画面の左側を見て、右側に同じように打つという形式だった。左側には大きな青文字でタイトルがあって、2行開けて、小さめの赤文字で本文があった。そこで私は本文だけ打っていたのだ。そのシステムでは、左側と同じように打てたら文字が黒くなって確定されてゆくのだが、私の打った物はタイトルの分だけ行が狂っており、いつまでたっても黒くならず、結果全て間違って打ったという結果になった。で、どっこい0点なのだ。いやはや、恥ずかしいのかどうかも分からないトホホ度だ。

しかし、ここで落ち込まずに「こんなもんで人間の価値はわかんないのだ。」と早々と開き直ってしまった私は、次の英会話テストに進んだ。これは簡単だった。外国人の先生が出てきて、今までの仕事キャリア、これからどうしたいか、海外と日本のもっとも違うところ、自分の長所と短所はどこだと思うかを話すのだ。自分の考えさえ持っていればまず答えることのできる内容だった。

筆記テストもまぁ、普通できるやろといった感じだ。「ふうとう」「けんさく」を漢字で書いたり、「月賦」の読み方を選んだりというものだ。

で、約2時間半のテストを終えると私は燃え尽きていた。まるで徹夜明けの期末テスト最終日のようだ。最後のカウンセリングでは、まるで電球が最後に輝くように、力をふりしぼってアピールをした。すると、幸運なことに、「久しぶりの実務は緊張されていたようですね。」と悲惨なテスト結果を受け止めてくれていた。「いやいや、毎日丑三つ時まで日記を書いたり、フォトショップで遊んだり、2chをうろうろして、パソコン遊びで肩がコリコリですわ〜」などと余計なことは言わずにいた。

そして、最後に仕事を紹介してくれた。前と似たようなもので貿易関係でやりとりは英語と日本語、書類作成は英語、というような仕事だ。何が評価されたかというと、「元気で明るい」ことらしい。うむむ。面接に来て、「後ろ向きでじめっとした」ような態度をとる人はいないと思うのだが…。

まぁいいや。0点を取った人間にもちゃんと仕事はあるわけで、とりあえず話を進めてもらうということで今日の話は終わった。うまくいけば来年早々から働けるかも。


2001年12月18日(火) いかがなものか、英文レジメ

明日の面接に備えて必要な物を揃えていた。履歴書サイズの写真一枚、履歴書、シャチハタ以外の印鑑、職務経歴書、そして英文レジメが一枚。

わたしが応募した仕事は派遣会社から紹介される翻訳の仕事である。といっても時給からして翻訳メインではなく英文事務にちょっと色を付けたようなものだと思われる。

職務経歴書まではさくっと準備できたが、英文レジメではたと手が止まってしまった。レジメというのは履歴書だ。英文履歴書を作成せよということなのだが、日本語の履歴書と違い、一定のフォームというものはない。ワープロでA4の紙につらつらと書く。目的、自分の持っている技術をアピールするためのもので、同時に「私を雇えばあなたはこんなに得ですよ」という面を強調することが大切である。おのずと職歴はそれをサポートするが、学歴などは別に〜、という感じである。

日本のそれとは違い、年齢、性別、既婚か未婚か、などは記載しない。

こういう性格のものを人材派遣会社むけに作成するというのはどうしたらいいのだろう。不特定多数の雇用主に向けて、「私を雇えばあなたはこんなに得ですよ」なんて書くのはムリだ。職歴を綴るにしても、ただ時系列にそって綴るだけになってしまう。本来は「ここで私は○○の実績を上げた。」などと、応募するポジションに沿ったように強調するものなのだ。雇用主を特定できていないのにどこを強調したらいいのか。

悩んだ末に私は、職歴はあくまで客観的な事実にとどめた。いわば英文で書いた職務経歴書といったものだ。英語文化圏からすると非常に消極的でやる気の見えないレジメになってしまった。どうもしっくりこない。せめてカバーレターという「自分で書く自己推薦状」みたいなものでも付けられるといいのだが。

ふとカナダで就職活動をしていたころを思い出した。就職といっても社会勉強のようなもので近所のYWCAで子供達の課外活動をサポートするスタッフを募集していたのに応募したことがあった。やることは、プールでの水遊び、本の読み聞かせ、簡単な工作、おやつの時間のお世話などごく簡単なことだが、少しでも現地の普通の生活を知りたいと思っていた私は面接でアピールしまくった。その場でマンガのキャラクターを描いて見せたり、必死だった。なんといっても英語があんまりうまくないのだから、他の応募者とは明らかなハンディなのだ。

相手の人がギャグのわかるタイプだったのか、私は初の外国人スタッフになることができた。ほんの2ヶ月だったけれども、私にとっては会話力が飛躍的に伸び、少しは普通の生活をかいま見ることができた濃密な時間だった。

そういうことをふと思い出してみると、レジメみたいな書類だけでは私という人間のことなど分からないと思う。佃煮のビンに貼ってあるラベルだけでは、それが美味しいかどうかわからないのと一緒だ。

不本意ながら明日はその英文レジメを携えて面接に行ってこようと思う。なげやりな気持ちではなく、雇用先の職種がはっきりした時点で再度英文レジメを作り直すか、カバーレターを添えさせて欲しいと申し出るつもりだ。

「はっきりと意志を明示すること」これも異国で学んだことの1つだ。


2001年12月17日(月) 一日遅れのゴホゴホ

目が覚めてみると外はどんよりとしている。しかし、今日こそ洗濯をしないと一度で干せなくなってしまうので、シーツをはがし、マクラカバーを剥ぎ、洗濯をした。

干そうとベランダに出ると、「ハクシュ〜ン」とマンガのようなくしゃみがでた。ううう、寒いではないか。さっさと干して家に入る。朝食を済ませて自転車で病院へ。背中にかいた汗がひやりとする。またくしゃみをしてしまった。うう、嫌な予感だ。

新年からの就職に備えて新聞を購入する。うちは新聞を取っていないのでこういうときはコンビニで購入するのだ。しかし、結構高い。一部130円、150円もする。宅配の新聞は割安なのだなぁ。

家に帰って手作り即席カレーなどというナゾのものを作りつつ、新聞を読む。いくつか良さそうなものがあったので面接のアポを取る。年齢制限がかなりぎりぎりなのでどうなるかはやってみないとわからない。

豚コマキャベツカレーができたのでゴハンにかけて食す。簡単なわりにレトルトよりおいしいのでまた作ろうと思う。元々は椎名誠氏の本にあった、キャベツカレーに豚コマを投入したものなのだが。

カレーを食べるとどよんと眠くなってきた。布団はシーツをはがされて横たわっているので、禁断のコタツコードを引っぱり出し、電源を入れた。ううう、ぬくい。電気の入ったこたつは常夏なのだ。どーんとネムリに落ちる。

のぼせて目が覚めたのは2時間後だった。いかん、体がだるい。ほんとに風邪を引いてしまったようだ。やっぱり昨日の疲れだろうか。昨日の滋賀のお昼の気温は0度だったらしいし。

ぼんやりと2時間連続でビートたけしの番組を見る。夕食は、豚コマキャベツカレーの残りに、ペンネ(マカロニ)の湯がいたのを入れ、グラタン皿に入れ、チーズとパセリを振ってトースターで焼いた。疑似カレーマカロニグラタンだろうか。ハフハフと食べる。

ひといきつくと、友人からメールが来た。この日記を読んでくれており、いつも美味しそうなものばっかり食べているねぇと褒められてしまった。確かに、最近食べる話が多い。最初は「怪我からの再生と復活」をメンタル的な面をからめつつ叙情的に綴るつもりだったのだが、知らないうちに焼酎や、豚コマの話になってしまった。いやはや。

…背中がぞくぞくしてきた。寝よう。今週の木曜日は唯一の忘年会があるのだ。それに備えなくては。


2001年12月16日(日) バカにも等しく朝は来る

テントに当たるサンサンとした朝日に起こされた。テントのジッパーを開けて外を見ると、昨日の嵐が嘘のような快晴だ。湖畔には白鷺が静かに朝日を浴びている。

アッハッハ昨日はすごかったねぇなどと言いつつ、インスタントのチャイを入れる。パンをつまもうとすると、1つ足りない。ダンナさんが夜半に目が覚め、お腹が空いたので焼酎を飲みつつ、チーズパンを食べたのだそうな。信じられない行動だ。

トイレのために外へ出る。風はつめたいが気持ちがいい。ふと見ると山がうっすら雪をかぶっていた。ダンナさんの住む家の丁度裏手の山だ。「前から積もっとったっけ?」と聞くと、「積もってへん。昨晩積もったんや。」とのこと。いやはや、昨晩は本当に強烈な気候だったのだ。

戻ってくると今度は日本茶を入れ、なんとなくクルマの話をする。クルマを買うことは買うのだが、何にするかというのは本当に悩みどころだ。走りで言えば、某S社の280馬力スポーツワゴン、装備、クルマの中で眠れることで言えば、某N社のこれまた280馬力高級スポーツワゴン。しかし、うちの使い方なら、ワンボックスが一番!という感じなのだ。多分、来年の春まで悩み続けることになるだろう。

次はコーヒーを入れ、昨日の鍋に残ったオニギリを入れて雑炊にすることにした。しかし、オニギリが固くて難儀した。そりゃそうだ。気温がマイナスの戸外に放り出してあったザックの中に入れていたのだ。多分晩に凍ったのだろう。どぼんと鍋の汁の中にオニギリを投入して、ふつふつとぬくめ、お箸で突き崩してどうにか雑炊を食べた。

お腹が一杯になったのでよっこらせと重い腰を上げてテントを片づけた。思った通りテントのポールはゆがんでいた。やはりレジャー用テントは暴風の中では耐えられなかったのだ。荷物山積みのカブと記念写真を撮ってダンナさんと別れた。私はここから歩いて約5キロ先の駅まで行くのだ。

バイクなら一瞬の距離だけど、歩くとそれなりに発見があって楽しい。沈みかけの夕日から、沈むまでをじっくり見ることが出来、寄せる波に遊ぶ水鳥を見ているとほのぼのする。そうやってゆっくり1時間を歩いた。

帰りの電車ではすっかり寝てしまったけれど、濃い週末だった。ダンナさん曰く、北琵琶湖は「べしゃべしゃのカナダ」なのだ。まさにその通りだと思う。


2001年12月15日(土) 死の行軍?

朝から風が強く、海に注ぐ川は逆流していた。しかしわたしはさほど気に止めずにオニギリを8個作り、魔法瓶にお茶を入れ、病院へ向かった。今日は病院が終わったら滋賀へ行き、琵琶湖畔でキャンプをするのだ。

病院へ行くと、思ったより空いていた。寒いからみんな家にいるのかな〜などと呑気なことを考えていた。病院が終わるとターミナル駅へ出て、アウトドアショップでカセットガスの寒冷地用を購入し電車に乗った。

京都を過ぎた頃からなんとなくうとうとしてしまい、電車は新幹線との分岐を過ぎ、北陸へと向かった所で目が覚めた。ギョギョ〜、外は横殴りの雨、たまに雪混じりである。駅へ着くとダンナさんが、真冬のバイク装束で待っていた。

開口一番、「テント、朝張って来たけど、風で倒壊してるかもしれんわ。」確かに、風速は10メートルを超えている感じがする。「まぁ、行こか。」ヘルメットをかぶって、カブ90の荷台にまたがる。久しぶりのバイクだ。ひゅんひゅんとカーブを抜ける感じが楽しい。

大きなショッピングセンターで夕食の買い出し。今日のメニューは、鰺のおつくり、たこのキムチ炒め、コロッケ、ハムチーズフライ、メインは鶏肉とキノコのコンソメ洋風鍋。お酒は芋焼酎に紹興酒、ということになった。

買い物を終えて外へ出ると、雨は止んでおり、夕焼けがまぶしかった。ほっとした気持ちでキャンプ場へと向かったが、キャンプ場へ着くと、また雨が降り出しどよんとした気持ちになる。しかも風は横殴りだ。テントはかろうじて立っていた。

とにかくジャケットも脱がずにテントの中へ転がり込む。気温が低く、ガスランタンが点火しない。手でガスカートリッジをぬくめてどうにか点火する。体が冷え切っているので紹興酒をビンごと燗することにした。

しかしなかなか温度があがらない。しびれを切らした私たちは、鍋にどくどくと注ぎ、直接ぬくめることにした。そのほうが早いのだ。火にかけると思いっきり酔いそうな蒸気がもくもくと上がって来た。「ううう、来ますなぁ。」などといいながら、コロッケを網で炙る。

突然、ごごごー、ばきん!と音がした。そとでキャンプ場の立て看板か何かが飛んだようだ。確かにテントも少し傾いでいる。テントに当たる雨音が、何か固形物が当たる音のような感じがする。ダンナさんが、タバコを吸うために少しテントのジッパーを開けてみると、外は横殴りの雪だった。

ザックに付けているキーホルダーになった温度計を見てみると丁度零度だった。これは飲んで暖まるしかない。ラードで揚げたコロッケに舌鼓を打ち、鰺のつくりを食べ終わる頃、早くも紹興酒は空になった。次は焼酎だ。

たこのキムチ炒めを作りつつ、傍らでお湯を作り、焼酎お湯割りにしてみた。しかし、この焼酎、口当たりが軽く、フルーティな芋の風味なのでイマイチ物足りない。紹興酒一本分の酔いが回った私たちは、焼酎も鍋に注いで燗することにした。

この蒸気が殺人的に強烈だった。お酒の飲めない人なら倒れてしまうだろう。焼酎の蒸気が充満したテントの中で、無神経な私たちはワハハと笑いながらたこキムチをつつき、ハムチーズフライを食べ、鍋の準備をしつつ、二度目の焼酎直燗酒をしていた。

この鍋が絶品だった。コンソメにタマネギのぶつ切り、ニンニクの皮を剥いた物を3かけ、タカノツメを4本、鳥足ぶつぎりでだしをとり、第一ラウンドは鴨肉としめじ、第二ラウンドは鶏もも肉とマイタケで勝負した。途中で私が持ってきたしゃけのオニギリをほおばりつつ、鍋を堪能。気が付くと焼酎はあと1センチほどしか残っていない。

頭の中がハレハレ〜となり、そとは嵐だ。温度計は氷点下。しかし寝る前にはトイレということで外へ出ると、嵐の洗礼を受け、アタマからつま先までびしょぬれだ。でも、酔っているのでさほど気にならず、オヤスミアハハ〜などといって、各自寝袋でネムリに落ちた。

ごごご〜、ざざざ〜、外は嵐。でも、酔っぱらいキャンパーには関係ないのだった。


2001年12月14日(金) 遠い空の下から

夕方、家で冷蔵庫の内部を掃除していると呼び鈴が鳴った。押し売りやろかと思いつつ、インターホンに出てみると郵便屋さんだった。ハテハテなんやろと出てみると、友人からのクリスマスプレゼントが届いていた。

クッション入りの大きな封筒。切手にはシカのイラストが書いてある。今は結婚してカナダに住んでいる友人からの贈り物だ。わくわくしながら袋を開けてみると、これがまた、わたしのツボを突きまくりで憎いよアンタ…。と低くうめいてしまった。

まず、お気に入りのアウトドアメーカーのフリースでできたネックゲイター。要は、フリースでできた筒のようなもので冬に外で何かするときにすぽっとアタマからかぶって首にはめる物だ。しっかりとしたポーラテック200で出来ており、とてもぬくい。100円ショップのフリースとは比べ物にならない品質だ。ここのメーカーはとても気に入っており、今着ているフリースのカーディガンはもう7年ほど着ている。毛羽立ってきて、しかも赤色なので「ピグモン」の肌ざわりだが、気に入っているので崩壊するまで着るつもりだ。

次に、カレンダーが出てきた。私は不覚にもこのカレンダーを見てウルウル目になってしまった。「カヌー&カヤック」というタイトルで北米地域でのカヌーのある風景をまとめたものなのだ。その写真は素直に美しく、また、懐かしくもある。12月は特に私の住んでいた町からほど近い「Bow Lake」の写真だった。あのとき私は何をしていたのだろう。カヌーにも乗らずに満喫したつもりだったのか、勿体ない!と意味なく歯がゆい気持ちになってしまった。まぁいい。いつか行くし。

添えられていたカードがまた泣かせる。「カレンダーはなおぞうちゃんの夢だと思うので、どこかよく見えるところに貼っておいて下さい。」そうなのだよ。そのとおり。くだらない呪縛や人工物にウンザリさせられずに水面を漂うことは確かに夢だ。これはカヌー道を突き進むしかない。

何千キロか分からないけれど、遠い空の下でこんなにちまちまぶつぶつ言っている人間のことを気遣ってくれている人がいる。それはとても嬉しくて勇気づけられる思いだ。

カナダを離れてぼちぼち5年になる。自分の中でどんどん日本人になって行く自分にいらつきを感じつつも、日本は楽な国だと安住して行く自分。でも、まだ、私の中で「カナダ感覚」は確かに生きている。ほんの3年ほど暮らしただけだが、生きていく基本のようなものは全てそこで学んだから決して消えることはないのだ。


2001年12月13日(木) ビバ!家電製品

大掃除をするべく、いわゆる奥様雑誌を購入した。掃除や、整理整頓のコツなどとても勉強になったが、一番びっくりしたのは家電製品の情報だった。

「コードレスサイクロン掃除機」6万円也、かなり欲しい。後ろからあの独特な臭気が出ないというのがすごい。もっともダンナさんによると工業用としては昔からあったものだそうだが。

「早乾!ドラム式洗濯乾燥機」なんと1時間くらいで洗濯と乾燥が終わるらしい。


その他、大根を立てて収納できる冷蔵庫、かける面が布になっている?アイロンなど、発想自体が面白いものがたくさんあった。

ふと気が付くと家電製品は格段の進歩を遂げているようだ。一昔前までは全自動洗濯機は、時間がかかる、水がたくさん必要、値段が高いという理由でキワモノ扱いだったが、今では全自動が当たり前みたいになりつつあるし。

こんなのがあればいいなと思うのは24時間に一回しかならない目覚まし時計だ。私は8時に時計をセットしている。すると、晩の8時にもビリリ〜ンと鳴り響いてたまにむっとしてしまう。まぁ、朝にちゃんとオフにすればいいんだけど。これが朝しかならないようになってくれると嬉しい。

話はそれたが、家庭用品というのは私の知らないうちにすごく進歩をしていると感じる。今日100円ショップで購入した「メラミンスポンジ」もしくみは分からないが、汚れはよく落ちる。

CPUの進歩もすごいものがあるが、家庭製品もしっかり進歩していたのだなぁとしみじみと思ってしまった。


2001年12月12日(水) イカの価値

昨日のことを反省し、今日は早めに病院へ着き、おのずから終わるのも早かった。のんびりとペダルをこぎ、本屋、スーパーに立ち寄った。

こんな時間にスーパーに来るのは久しぶりだ。いつもは閉店1時間前に来店し、閉店前のタタキ売りを狙っているからだ。昼間の正常価格の時間に来ると何だか優雅な気持ちになっている自分がかなしい。

しかし、昼間のスーパーもなかなかいいものだった。生鮮食料品がちゃんと選べるのがまずうれしい。閉店前だと棚はスカスカで、とりあえずあるものゲットという感じになってしまうことが多いからだ。

今日は魚売場に氷が山盛りになっており、そこには「生食OK!新鮮スルメイカ」がこれまた山盛りになっていた。お値段は一匹88円也。わたしはすかさず一匹のイカを袋に入れ、レジに向かった。お昼ご飯は何にしようかなぁとさまよっていた私にふと名案が浮かんだのだ。

「今日のゴハンはイカドンブリ〜。」心の中で歌いながら家に帰った。家に着くとさっそくイカをさばく。まず、胴体をアタマ部分?からひっこぬいて、ワタをちいさなボウルにしぼりだす。次にイカの足から吸盤の固い部分を取り除いてから足をみじん切りにし、ワタの中に投入。イカの耳?の三角部分も適当に切ってワタの中へ。そのボウルにワタの半量くらいの味噌を投入してがしがし混ぜるとあっという間にイカの塩辛ができた。ふふ、これは今晩のおかずにしようと思い、冷蔵庫にしまう。さて、つぎはイカドンブリだ。

イカの胴体部分の皮を剥がし、2つに切ってから、割り箸くらいの太さに切ってボウルに入れる。そこにすりおろし生姜とショウユを投入して混ぜる。その間に、小さめのドンブリにゴハンをついで、インスタントのしじみ汁をお椀に入れる。ここで、海苔を炙って小さくちぎっておく。そしてイカをおもむろにほかほかゴハンの上に乗せて、海苔を乗せてできあがり。

さっと疑似コタツに入り、お茶を一口飲んでから、まずイカドンブリを口に入れた。う、うまい…。自分で言うのはなんだけど。新鮮な材料を使えばとりあえずうまい、といういい見本だった。そのイカは足の吸盤がムチムチと手にくっついてくるくらい新鮮だったのだ。身の方もしっかりしており、かむとほのかに甘い感じだ。わしわしとイカドンブリを食べ進んだ。生姜の発汗作用で汗まで出てきた。

食べ終わって、コーヒーを入れ一息つきながら考えた。なんてこのイカは安いんだろう。茶碗一杯くらいのイカの塩辛と、てんこ盛りイカドンブリが88円。ゴハンとショウユの値段を入れても100円弱だと思う。100円で一食、プラスαなのだ。○ターバックスや、○スバーガーで調子に乗ってるとすぐ1000円を超えてしまうことを考えるとむむむ、イカの価値って…と感じずにはいられない。

旬の食材をぱぱっと使い料理を作るのが、かしこい家庭人なのかも?と感じる。いくら「100円引き」のシールが貼られたお総菜でも、自分で作ればそのパックされた量の倍ほどを同じ値段で作れると思うし。

しかし、いつまで続くかというのが目下最大の問題だと思う。が、とにかくイカはすごい。イカが安いうちにイカのメニューを勉強しなくては…。


2001年12月11日(火) さよなら、コタツガメラ

目が覚めると、もう10時を過ぎていた。昨晩は日記を書いた後、某掲示板をうろうろしてマウスをかちかちクリックしていたらあっという間に4時過ぎており、お風呂にも入らずに寝てしまった。

まずシャワーを浴びて、あーごはんはどうしよ、うぁ〜携帯電話はどこやねん!とどたどたの1時間が瞬く間に過ぎていった。ドライヤーで髪の毛を乾かしながら、うおー!坊主やったらこんなことせんでいいのにと考えたが、丸坊主の30女が必死の形相でロードレーサーに乗り爆走していたらとっても嫌なので止めておく。家を出たのが11時20分。ほぼノンストップで川越をする地点まで来た。外は10度にもなっていなかったが、背中に汗が流れるのを感じる。

そこからも一気にこぎ、病院へは11時50分ごろ着いた。が、いつものように自転車を置くところがない。スタンドがないので柱などにもたせかけて縛り付けないとだめなのだが、自転車てんこ盛りなのだ。うがが〜とママチャリを整理して、自分の自転車を押し込むスペースをひねり出した。

どうにかこうにか受付にたどり着き、自分の名前を書き込むやいなや、リハビリに行く人たちが呼ばれた。ガッデム!私は12時の呼び出しに間に合わなかったのだ。いつもなら12時頃呼び出して、次は12時半最終まで呼ばれない。がぁぁ〜ん、昨日先生に「明日は早めに来ますって言ったら、期待してますって言われちゃったのに。とほほ。言わなきゃヨカッタ。」などと考える。うぐぐ。ごはんなど食べてる場合ではなかったのだ。

一連の遅れの原因を考えてみる。多分、コタツが悪い方に作用しているようだった。あれはとても暖かく、しかもテーブルだから役に立つ。週刊誌からえんぴつから、メモ帳、電話の子機、お菓子、リモコン、ミミカキ、爪切り、全てが常時スタンバイしているのも嬉しい。しかもうちのは大きめの長方形なので短い方の辺に入って寝ころぶと、肩までコタツに入って、足を伸ばしてぬくぬくと眠ることができる。というか、眠ってしまう。夕方に3時間、明け方に5時間と分けて眠る生活は、やっぱりまともではないような気がする。

このような半ばコタツと一体化した人生から脱却するべく、夕方帰宅後、私は英断を下した。コタツはそのまま、コードを引っこ抜き、ちゃぶ台に布団がかぶさった「疑似コタツ」として使うことに決めたのだ。これで安眠はかなり辛くなるがそれでいいのだ。

現に今日はヒルネをすることなく、深夜1時半を迎えた。これで少し普通の生活に近いくらしが送れそうだ。

さらば、コタツ。私がもっと真面目になったらまた会いたい。


2001年12月10日(月) 冬の食卓

今、自転車がばらした状態なので、地下鉄で病院へ行った。朝方どんよりしていたが、リハビリが終わることには気持ちよく晴れ上がっており、地上を走るJRで帰ることにした。

JRで帰ると最寄り駅までは歩いて25分ほどだ。電車を降りて歩き出すと、北風が冷たい。天気はいいで日向を選んでてくてくと歩く。道ばたの犬も日向を選んで寝そべっている。

途中、気になるものがあった。近所の工務店のディスプレイなのだが、クリスマスツリーと雪を模した白い綿、そのとなりに身長1メートルくらいの鉄人28号が飾ってある。点滅する電飾がくるくると巻き付けられており、鉄人28号はぴかぴかと光っていた。きっと社長さんの趣味なのだろうが、かなり楽しい。お正月はどうするんだろう。ひそかに楽しみだ。

家に着くとすっかり体が冷えているので遅い昼食としてウドンを作って食べた。七味をふってタマゴを割って入れ、ちょっとのゴハンと塩昆布。食べて読書をしているとまた眠くなってきたので休むことにした。

どうも寒くなってくると眠くてしょうがない。寒いところで歩き続けていると足が上げづらくなってくるので、体も疲れているのだろうが、冬眠に入るクマになった気分だ。

1時間ほど休むと目が覚めたので、掃除をしてゴハンを作った。なんだか食べてばっかりだけど、お腹が空いてきたのでまぁいいことにする。今夜のメニューは鮭とジャガイモのクリームシチュウ簡易バージョンだ。要はブイヨンで茹でたジャガイモを汁ごと、フライパンでバター焼きした鮭の上にかけ、ホワイトソースの素を入れるというだけのものだ。所要時間15分ほどでできあがった。イギリスパンを冷凍庫から出して、トースターでぬくめてできあがり。電気を切ったコタツで静かに食した。

簡単な割には美味しいし、体もぬくもるのでたまにはいいなぁとニコニコしてしまった。今までは大鍋でどーんと作っていたのだが、一人になってからは「簡易バージョン」料理が多い。けど、それはそれで違った楽しみがあるなぁと思うようになってきている。

明日は何にしようかなぁ。


2001年12月09日(日) コタツガメラ襲来

ダンナさんを見送るために一緒に駅まで行った。帰りはせっかく来たし、ということでとりあえずうろうろウィンドウショッピングをした。少しだけ衝動買いをして、バスで家路に着く。

すっかり夜になっていたので寒く、足が紫色になっている。ちょっとだけと思い、コタツに入って「はぁ〜」と暖を取っているといつものように寝てしまい、電話で目が覚めた。

「こっちは寒いよ〜。やっぱ北陸だわ。」というダンナさんの言葉に実感がわかない。こっちはコタツで爆睡してしまい、のぼせたようになっているからだ。はぁはぁと生返事をしつつ会話をし、「じゃぁ、眠いから寝るわ。」と言い、電話を切った。こっちはこれからバンゴハンなのだ。

何かを真面目に作る気も起きないので、ゴハンを炊き、サバを焼き、粉ふきイモを作り、わさび漬けをコタツに並べて食べた。食べ終わるとコーヒーを入れてパソコンの前へ。メールを書いたり、うろうろHPを見に行ったりして時が過ぎて行く。しかし、最近は毎日ウィルスがやってくる。ワクチンソフトってみんなインストールしてるとばっかり思っていたがそうでもないようだ。

ふと気が付くともう3時を回っていた。今からお風呂に入るのは近所迷惑なので、歯を磨いて布団に入る。しかし、コーヒーのせいかなかなか眠くならない。そこで冷凍庫からどろどろに凍ったウォッカを取り出し、ガラスのショットグラスに入れて、きゅっと飲んだ。胸の中をどろりと冷たいものが入っていく。不思議なことに冷たいのにぼんっと火がつくようにお腹が暖まった。

ぼや〜んとして布団に入るとすんなりネムリに入ることができた。しかし、よく寝た一日だった。


2001年12月08日(土) 夢見るクルマ生活

病院が終わる時間を見計らって、駅でダンナさんと待ち合わせをした。今日の目的はクルマの試乗。最近モデルチェンジしたクルマでちょっと気になるのがあったのだ。しかも、わたしの友人がそのクルマを扱っているディーラーに勤めている。「好きなだけ乗っていいよ〜。」という嬉しい返事をもらったので鼻息荒くお邪魔させてもらう。

着くと、友人が「どもども〜」といって現れた。早速クルマに案内してもらい、いろいろと説明してくれる。ダンナさんのディープな質問にもてきぱき答えてくれるので、「むむ!ヤルナ!」という感じである。しかし、そのクルマはすごかった。とりあえず、文句の付けようがないのだ。セカンドシートはバックドアのところから、ワンタッチで倒せるし、セカンドシートを倒すと、178センチのダンナさんが余裕で横になることができる。うむむ。乗用車でこれが出来るとは…。とダンナさんも感心していた。クロカン4駆だとできるクルマもあるけど、ステーションワゴンなのだこれは。

早速試乗させてもらってまたもビックリした。オートマなのだが、変速ショックが全くないのだ。遮音性も高く、ウィンドウを締め切っていると、オナラもバレるという感じだ。(しないけど)しかし、昔の高級車にありがちな、「すべてを包み隠してソフトに仕上げた」クルマではなく、快適性は高いが、剛性感を感じることができ、踏み込んだときの力強さはかなりある。しかし、もっと行け、もっと行け、みたいな気持ちにはならず、渋滞していても、穏やかな気持ちでいることができた。うむうむ。完璧ではないか。

こないだ乗った車と同じ馬力で、これだけ味付けが違うんだと感心した。走らせる楽しさでは前のクルマが勝ちだが、今日乗った車の方が末永くおつきあい出来ると感じる。

その分、値段も立派なので、簡単に購入することはできないが、春にクルマを買うときまで、かなり楽しめそうである。どれにしようかな〜って悩むのもお買い物の楽しみの1つだからだ。


2001年12月07日(金) ムカニコ自転車生活

自転車に乗っていると、ムカムカしたり、ニコニコしたりいろんな事が降りかかってくる。今日はまさにそれを体感した一日だった。

今日は図書館に本を返しに行くつもりだったので、お弁当とお茶を持って病院に行った。途中、自転車専用路(地面が赤く塗装してある)を走行していたら前からふらふらと自転車が走ってきた。やばい。瞬間にそう感じた。その自転車のおっさんは、右手でハンドルを握り、左手はズボンの中でもがもが動いている。視線は定まらず、何かしゃべりながらこっちへ向かってくる。私は咄嗟に車道に降りてすれ違おうとしたが、視線を感じた。そのおっさんはこっちを凝視している。人は見ている方に寄って行ってしまうものだ。案の定、おっさんも車道に降りてきて、正面衝突した。スピードが出ていなかったので私はこけなかったが、おっさんは派手にひっくり返った。

「なんでぶつかるんだ。このやろう。お前がどけ。」みたいなことを言っているのだと思う。しかし、ろれつが回っていない。口から泡を吹きだしたのでこれはやばいと思い、その場を立ち去ることにした。体制を立て直し足早にこぎ去った。後を付けてきたらやだなぁと思い、ふと振り返ると、まだ道路にへたりこんでいる。やれやれ。

しかし、ほっとしたのもつかの間。どうもハンドリングが悪い。自転車から降りてタイヤをチェックすると前輪がパンクしていた。ぶつかった衝撃でパンクしたのだろう。いきなりムカムカが再燃してきた。先週もパンクしたのに…。しかも病院まであと1キロくらいはありそうだ。新タイヤを持っているがここで交換していると、病院に行くのが遅くなってしまう。今日はリハビリだけでなく診察もあるのだ。わたしは自転車を押して、早足で歩いた。

どうにか病院には間にあって、リハビリと診察を終えると、タイヤ交換にとりかかった。外で修理するのは2度目なので10分くらいで出来たが、お昼時だったので知っている人に何度か話しかけられてしまい、何だか恥ずかしかった。「すごいですね〜。」と言われることが多いが、何がどうすごいのかは謎だ。悪意で言っているのではないことは当然分かっているが、どういう意味なんだろう。でも、まぁ、いいやとがしがしとポンプで空気を入れ終わった頃には背中に汗をかいていた。

そこからは図書館まで慎重に走る。もうスペアタイヤがないのだ。一日に2回パンクすることはまぁないやろってことで、スペアタイヤは一本しか持ち歩いていないのだ。何だかお腹が空いてきたので、図書館の裏の神社に立ち寄った。大きな石に腰掛けてマイタケゴハンのオニギリと、魔法瓶のウーロン茶で昼食にする。そこは日向なので、鳩が体を丸く膨らませて、うとうとと座り込んでいた。空気は冷たいけれど、空は晴れていて気持ちがいい。二杯目のお茶をゆっくり堪能した。

さてと、ぼちぼち本を返さないと暗くなるなぁと思い、図書館へ向かった。すると、なんと今日は休館日だった。何で金曜日が休みなのだ、地域の図書館は月曜日なのに…。とぼやきながら返却ポストに本を返した。

家に帰ると何だか疲れており、コタツに入ってお茶を飲みながらテレビを見ていたら寝てしまった。電話が鳴ったのでふと目を覚ますと、ダンナさんが今から帰るよ〜とのことだった。

おお〜、もうこんな時間だったんだと、主婦モードに戻り、晩ご飯の準備に取りかかった。今日の話のネタは泡吹きズボン内いじくりおやじだな、ふふふと静かに笑いつつ…。


2001年12月06日(木) 情熱はどこへ

深夜にくるくるとテレビのチャンネルを変えていたら、NHKのプロジェクトXが始まったところだった。70年代の本田技研の歩みを特集しており、私は見入ってしまった。

一人の天才・本田宗一郎氏と彼にあこがれる400人の若き技術者達が織りなす物語。これを見て私はカナダに住んでいたときに見たホンダの車のCMを思い出した。「Built with technology, driven by passion」でそのCMはフェードしてゆく。「テクノロジーで作り上げました。情熱を持って体感して下さい。」といった意味だと取った。当時、ホンダの車に乗っていたワタシはとってもミーハー的に感動してしまい、「もうホンダしかないな。」と固く誓ってしまった。

あれから約9年の月日が経ち、今欲しい車はホンダではない。「新車」を考えたとき、とても「Driven by passion」と思える車がないのだ。昔はヨカッタという話に意味はないと思うが、走ることの楽しさを体感できるようなエントリーレベルの車が絶滅して久しい。時代の流れもあるのだろうが、どんなクラスにせよ、どこのメーカーも「走りの楽しさ」を体感できる車はホンの一握りではないか。

右足の踏み込みで回転をコントロールし、意のままに走る、曲がる、止まる快感を得られるのは、3列シートのミニバンではない。自分の収入の中でやりくり出来る価格で、小さなボディに全てが手中であると感じられる自信。そしてコントロールしてやるという期待感。コントロールできたときの達成感。それがエントリーカーの使命だと思う。そこから自分の嗜好を見いだし、乗り換えていったりするのではないか。フルフラットシートや、回転対座はカタログ上を賑わせるスペックでしかない。

それは二輪の世界でも同じことで、ホンダのバイクは年々つまらなくなってきていると感じているのは古くからのバイク乗りならかなりいるだろう。私も3年ほどしか乗っていないがそれでも感じてしまう。来年のニューモデルにはたまげてしまった。なんと20年ほど前のバイクをリメイクして新車として販売するらしい。しかも当時は250ccだったものを230ccにしてだ。このエンジンは、今2車種に搭載されているものだと考えられる。ということは、外装部品は全て当時の物を流用すれば、何も新しいことをせずに新車が発表できるわけだ。

しかも売れると思う。バイク界はレトロブームだ。10代の人たちにとってバイクはファッションであり、就職したらバイクは卒業。そんなスタンスの乗り物に成り下がっている。そこにレトロなバイクを40万円を下回る価格で出したらそれは売れると思う。

でも、そこに、情熱も思想もない。あるのは企業としての損得勘定だ。排気ガスの規制、少子化、レジャーの多様性、いろいろな要因はあるとは思うが、それでもケツの毛を抜ききるまで売りまくる商法はあまり好きではない。オシャレだからと言って、太くて前後同径タイヤを履いたバイクや、3列シート7人乗りの車をそんなに売り出すのだろうか?

しかし北米市場ではいまだに支持されている。特にオフロードバイクはホンダの独壇場だと云えるだろう。それは北米の人は70年代の排気ガス規制法を世界で初めてクリアしたホンダの技術力を認め賞賛し、それにホンダ自身も答え、技術力をフルに生かしたバイクを送り込んでいるからだ。

このままの方針なら、きっとホンダの車に乗ることはないと思う。なんせうちはアウトドアするために車を買うけれど、スポーツ性能、作り込み第一だからだ。車なんて、何に乗ってもバイクよりは物が積めるってわかっているから、乗っている時間をいかに楽しく過ごせるかがキモなのだ。

走る、曲がる、止まる。乗り物の原点はここにあると思う。それは思想、理念の現れであり、マーケティングからは到底生まれようのないコンセプトの根元ではないだろうか。


2001年12月05日(水) 気持ちの温度差

「せっかく○○したったのに…。」こういう恩着せがましい物の言い方が嫌いで、そういう状況にはまらないよう考えて行動してきた。

しかし、ふと思うことがある。誰か他の人たちに何かするとき、根底にあるのは「喜んで欲しい」という気持ちで、それは誰しも持つことがあるのだと思う。家族や、恋人の間だけでなく、もっと普通の仕事つきあいや、友達つきあいの中でも存在している、ごく普通の気持ちではないだろうか。

「喜んでくれると信じているから○○しよう。」そういう気持ちに何も帰ってこないときの気持ちはとても表現しずらい。オバチャンチックに、「あんたのために良かれと思ってやったったんや!」と言い切れれば少しは気持ちも晴れるとは思うのだが。

こういうときは何か今までの時間を裏切られたような気持ちになる。現在までのことを考慮に入れて、こうすれば喜んでもらえるに違いないと信じて行動を起こす。しかし、気持ちは帰ってこない。キャッチボールをしていて、いきなりそっぽを向かれてしまい、自分の投げたボールが誰にも目も向けられずに通り過ぎてゆき、ぽとりと落ちてしまう。それは私にとって悲しいことだ。

「期待しなければ、失望することもない。」というのはよく言われる言葉だ。しかし、期待に至るまでもない、経験から来る信じている気持ちが空振りになる気持ちをそういう言葉では説明できないと思う。それとも私以外の人たちは、他者によって気持ちを動かされることもなく、淡々と生きているのだろうか。

ダンナさんと電話で話してみた。あの人はそう言う場合は怒ることはあれども、落ち込むことはないと言った。「気ぃ悪い。」「今までのはなんやってん。」そういう言葉で気持ちを表していた。

落ち込もうが、怒ろうが、心の中にマイナスなのは変わりない。マイナスな気持ちに感染して、他に悪影響を与えてしまわないようにココロに言い聞かせよう。

あと何十年生きるかは分からないけれど、いろいろな人と出会って、楽しいこともつまんないこともたくさんあるだろう。でも、「気持ちの温度差」が人づきあいの1つの基準になるんだなぁと最近思う。

さぁ、もう寝てしまおう。明日の朝日は私たちの上に射すのだ。


2001年12月04日(火) やっぱり自転車が好き

目が覚めると空は誇らしげに「どうです、立派な青空でしょう。むふふふ!」と言っているかのような、キラキラした青空だった。私は根菜の煮物を温めつつ鮭を焼き、ご飯を食べつつ、「これは自転車に乗るしかないな。」と密かに考えていた。

実は先週の水曜日くらいに自転車がパンクしてしまい、スペアタイヤを使い切ってしまったのだ。今装着している分がパンクしたらもう乗ることは出来ない。なので地下鉄で通院していたのだ。

「パンクしたら歩いて帰ればいいか…。」素直にそう思わせるほど青空は魅力的だった。

身支度をして、手袋をはめ、自転車をマンションの下に降ろす。こぎ出すと、つめたい空気が胸に充満してゆく。ほんの5日くらいの間に景色は姿を変えていた。真っ黄色だった銀杏並木はその葉を落としはじめている。

病院に着くと混んでいたが、昨日よりはマシだった。マウンテンパーカーを脱いだが背中が汗ばんでいる。長椅子に腰掛けると、コットンのトレーナーを脱いで、ダンガリーシャツになった。それで丁度良いくらいだった。

リハビリ室に行くと、受付の横にちいさなクリスマスツリーがピカピカしていた。もうこんな時期なのだ。そういえば去年もこのツリーを見たなぁ。

涙が出るほど膝を曲げてもらい、病院を後にする。ちょっと遠回りをして隣町の商店街へ寄った。そして大きな本屋さんでWindows2000のマニュアル本を物色する。マルチユーザーの設定がどうしてもよくわからないのだ。しかし、お目当てのことが書いてあるようなマニュアル本は見つからなかった。

家に帰ると急に冷えてきたので、コタツにスイッチを入れた。先週からコタツ布団を出していたのだが、電源は入れずに使っていたのだ。やはり電気を入れると暖かい。コーヒーを飲みながら本を読んでいるといつのまにか寝てしまった。

いやはや、コタツ寝の季節到来なのだ。


2001年12月03日(月) 師走のトホホ

今日は、郵便局と、銀行と行かなきゃいけないなぁと思いつつ、いつものようにノホホンと家を出た。

病院に着くと、なんじゃこりゃというほど混んでいる。あと1時間で午前中の診察が終わりとは思えない。待合室の椅子に腰掛けることはもちろんできず、人いきれで熱気が充満して暑い。じっと壁にもたれかかって呼ばれるのを待つ。

45分ほど待つと「リハビリの方、お呼びします。○○さん…」といつものようにアナウンスがあった。が、しかし、まとめて10人以上呼んでいる。大丈夫かいなとリハビリカードが渡される診察室へ向かった。すると案の定、中に入りきれなくて、廊下までリハビリ待ちの人が溢れている。「××さ〜ん。」看護婦さんがカードを渡してくれるのだが、呼ばれてもそこまで辿り着くことができない。行ったことはないけど、きっと中国の切符売り場の窓口はこんな感じなんだろう。

そしてカードを手にした10人あまりは、どどどと別棟のエレベーターに向かう。一気にエレベーターに乗り込み、リハビリ室へ。着くと、各々牽引のベッドや、低周波治療器に散る。しかし、それだけのキャパはなく、出遅れたわたしを含む数人は手持ちぶさたにそのへんに座る。

先生も忙しそうで、目が泳いでいた。こういうときは無駄話をせず、てきぱきと済ませて帰ろうと思うが、やっぱり空いてくるとぐたぐたしゃべってしまった。

結局、肩に電気をあてる治療はなんとなく時間切れで今日はやめておき、きんじょの某スーパーに向かった。そこの本屋は曲者なのだが、家から地下鉄で通院するとここしか本屋がないので結局寄ってしまう。女子高生3人組がフロムAを立ち読みして、気に入ったバイト先の電話番号を携帯のメモリに入れている。んなもん、買えばいいのにと思うけど、買えないからバイトするのかなとどうでもいいことを考える。探していた雑誌が見つかったのでレジに向かった。いつものように「袋は結構です。」と言って、鞄を開けてしまう素振りをした。するとまたもいつものように「おシール貼らせていただいてよろしいでしょうか?」と来た。おシールって一体…と思いつつ、「いえ、紙に貼ると剥がしにくいので貼らないでください。」と言い、さっと鞄にしまった。貼らないと困りますと無理矢理貼る店員もいるけど、今日は私の勝ちだ。

こんなことを綴っていると、「がんこババァ」になりつつあるのかなと思うときもあるけれど、自分がそうしたくて私の方が筋が通っているならば、それも可かなと思うようになってきた。もう少し若い頃は、「物わかりの良い穏やかな大人」であろうとしたが、最近は何故かそうは思わなくなってきた。マニュアルに従い、自分で考えることをせずに毎日を生きながらえて行くことがまっとうな生き方だとされるならば、私は異端でいいのだ。

次は郵便局へ支払いをしに行く。その払い込み用紙は窓口でしかできないものなので、番号札を取る。なんと18人待ちだ。どよよんとした気分になるが、払わないわけには行かないのでじっと待つ。が、しかし、30分くらいでしびれが切れて、待つことをやめてしまった。10日までに払えばいいのであと1週間あるし。

家に帰ると、夕方の奥様番組が始まっていた。丸干しと鮭の切り身を焼き、ゴハンを暖め、ピーマンをさっときんぴらにして、遅すぎる昼食を取る。食事をして、コーヒーを飲んでいると、窓の外が夕焼けになってきて、ぐんぐん気温が下がってきた。

今日一日が何だか不毛だったような気がするが、しんと冷えてきたベランダで沈む夕日を眺めていると、ああ、師走ってこんな感じだったんだなぁと2年ぶりの年末をかみしめた。


2001年12月02日(日) はじめてのおつかい ヒヤアセ編

駅までダンナさんを見送ったあと、私はコートを買うために街へ出た。実は、コートを買うのは12年ぶりくらいである。高校へ入学したときに紺色のダッフルコートを購入して、それっきりだ。その間、ダウンジャケットや、マウンテンパーカーなどを買ったことはあったが、趣味のせいかアウトドア系に偏っており、普通に町中で着るようなジャケットは持っていなかったのだ。

で、どうやって冬を越していたかというと、「タケノコ方式」を取っていたのだ。これは、気温に合わせて服を重ねていくという合理的かつ、温度調整がしやすい方式だ。例えば、まず、Tシャツ、ネルシャツ、トレーナー、マウンテンパーカーを着る。それで寒かったら、トレーナーをセーターに、もっと寒かったら、セーターをフリースに、そして、最後はマウンテンパーカーをダウンジャケットにと変えていくと、大体マイナス10度くらいまでは大丈夫なのだ。

しかし、30才を目前にして、だんだんとムリが出てきた。入院したのがきっかけで、痩せなさいという至上命令が出てしまい、幸い、去年の同時期より15キロほど痩せた。しかし、体型が変わってしまい、前に着ていたものがしっくりこないのだ。ついでに何故か足まで小さくなっているし。

ということで、12年の沈黙を破って、コートを買うことにした。本当はAVIREXあたりのアーミー色のナイロンコートでフードに白いフサフサがついているようなのが欲しかったのだが、とりあえず普通っぽい路線を固めることにして、オーソドックスな黒のピーコートにすることにした。

まず、悩んだのはどこで買ったらいいのか?ということだ。百貨店のヤングレディスファッションのフロアでみたら、高校生、大学生くらいのワカモノがパワーを持て余して、充満している。コートも、少し違っていて、やたらと肩幅やウエストがシェイプされているのに、手が長い。素材も、アンゴラやカシミアが入っていて、手触りはいいのだが、襟のラインがてろんとしていてかちっと決まらない。華奢な体型ならこれでいいのだろうが、私はどかんとした印象の人間なので、あまり向いていないようだ。そそくさと別のフロアへ移った。

そこはヤングミセスのフロアというところだった。さすがに女子高生もいないが、欲しいなと思えるコートもなかった。肩パット命!だけど、Aラインでスタンドカラーのてるてる坊主のようなコートばかりなのだ。

わたしはそこいらのベンチに腰掛けてぼんやり考えた。30才前くらいの人ってどういう範疇の店で買い物をしたらいいのだろう?普段○ニクロか○ンベルでしか服を買わない生活をしていたから分からなかったが。

もうコートはいつでもいいやと思いつつ、よく行くファッションビルをとりあえず見に行った。そこの入ったところに、私が思うピーコートが飾ってあった。とりあえずと思って入ってみた。サイズも3種類あり、かちっとしたオーソドックスな仕立てで、襟を立ててもしっかりしている。うむうむ、これなのだ。肩に(名前を聞いたけど忘れてしまった)ボタンと小さなベルトが付いているのも気に入った。

その店は虚無僧のような名前で最後に「BOYS」と付いているので子供服屋かなと思い、立ち寄ったことはなかったのだが、案外普通にいいものを売っている。しかも12年前に買ったダッフルコートより安いのだ。薄手のマフラーも購入して店を後にした。

しっかりとしたコートだから、また次のコートを買うのは12年後かなぁとぼんやり考えてしまった。やはり質実剛健、丈夫で長持ち、そして自分がピンと来たものに嗜好が向いてしまう。

これだから、いつも同じような格好ばっかりになるんだろうなぁと思う。世の中にはいろんなものが溢れているけど、本当にピンと来るのはほんの一握りだからだ。


2001年12月01日(土) 楽しき哉、デートの日

目が覚めると11時半だった。ギョエー!と叫びつつ、準備をして家を出た。今日は土曜日なので病院の受付は12時半までなのだ。自転車はパンクしており、なおかつスペアタイヤは注文中なので、地下鉄で行かないといけない。自転車の方が早いのになぁとぼやきつつも急いで行く。

病院に着くと12時35分だった。「受付終了しました」の札が出ているが、だめもとで申し出る。最初はだめですと言われたが、ただでは帰れないので、お願いしますと言うと、リハビリ室に問い合わせてくれたようでOKだった。

どたどたとリハビリ室に行くと、助手の先生達に笑われ、先生には苦笑いされてしまった。寝坊したと言ったのだけれど、本当は飲み過ぎて起きられなかったのがきっと丸バレなんだろうなぁと思うとトホホな気持ちになる。

ばきっと足を曲げられフラフラだが、今日はデートなのだ!と思うと、ぼーっとしてはいられない。施術が終わったら即座に病院を出て、パン屋さんでパンを昼食のために購入して家に戻った。

ドアを開けると、ランニングと短パンで額から汗を流し、ダンナさんがタバコをふかしている。リビングと6畳間をまたいでカヌーが置かれている。先日アメリカから買った中古折り畳みカヌー(カヤック)を組み立てていたのだ。さすが、カヌー界のロールスロイスなだけあって、ラインが惚れ惚れする。海か湖で使用していたとのことで、船底にかすり傷ひとつない。これで、新艇の3分の1の値段だから、良い買い物をしたと思う。

コーヒーを入れて、カヤックを眺めながらパンを食べる。来年の花見は湖上花見をすることを決めて今からわくわくだ。

ぼちぼち夕方になってきたので街に出ることにした。とりあえず○フマップなのだ。最近近所に東京系巨大量販店が進出してきたので、そっちも行くつもりだ。○フマップの値引きはかなり気合いが入っていた。やはりその某量販店の影響もあるのだろう。思わずTVチューナーボード、ツイストケーブル、スイッチングハブ、水族館ソフト、DVDソフトなどどどどと購入してしまった。お互い大きな紙袋をひとつづつ下げて○フマップを後にした。

この世の中に、○フマップとバイクとキャンプが存在していなかったら、きっと家の1つや2つ建ってるだろうねぇとどうでもいいことを話しながら、新興量販店○バシUメダに向かう。まず、地下から練り上がって行くことにし、地下2階へ。ここは何故かスーパーの食料品売場だった。さっと流すと、とても高かった。もう、晩の7時だというのに値引きもしていない。この時間になると、どこの百貨店も投げ売りがお約束の土地柄なので、とりあえず流行が去ったらこの売場は淘汰されるだろう。

地下1階は自作パソコンのパーツフロアだ。さすがにモノがモノだけに、カップルの物見遊山は見受けられない。男の世界なのだ。マザーボードが大量に展示してあり、まるでマザーボード博物館だ。これだけ比較できればかなり嬉しい。でも、値段は並なので、○フマップと行脚して安い方を買ってしまうだろう。地上フロアはとりあえず見る気がしないほど混んでいたので、そうそうに離れた。

ぼちぼち夕食なので、大○百貨店の食料品売場へ向かった。あと20分で閉店なので、ディスカウントバトルが繰り広げられている。さごしの酢じめ、ひらめの縁側の造り、おこわ3種セット、中華総菜5点盛り、サラダ3パックで300円などを購入した。全部で2500円ほどなので今日は私の勝ちという気分だ。かくして二人、右手に○フマップの紙袋、左手に大○百貨店のビニール袋をぶら下げ、家路についた。

さっと風呂に入り、ギネスビール、冷酒、焼酎ロックなどを飲みながら、エンドレス宴会は昨日と同じ結末へと続いて行くのだった。


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