日々是迷々之記
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私は焼き網の上の20粒の銀杏を見つめていた。ちりちりと弱火であぶりつつ、いつはぜるか待ちかまえていた。
先日購入した「シュシュ」という雑誌に今一番好きな料理人ケンタロウ氏の料理特集があった。そこに乗っていた「牛肉入りぎんなんおこわ」を作っていたのだ。
スーパーに行き食材を揃えた。レシピでは缶詰の銀杏を使うとあったが、あの小さい缶の中に一体何粒あるかわからないので、野菜売場にある乾燥した銀杏を購入した。しかし、どうしたらいいのかわからない。火を通すとはじけるので、皮を取り除くと、緑の中身が出てくるだろうと思い、火にかけていたのだ。
「どっぱ〜ん!ぴしっ!」 いきなり跳ねて二粒消えた。探すとガス台と壁の間に落ちている。アチチチチ!となりながら菜箸で引っぱり出す。もう一つは…。おお!魚焼きグリルの中だ。引っぱり出して洗って皮をむく。
「どぱぱぱぱ!」 「アヂ〜!!!」 3粒ほどが網上から脱走、1粒がわたしに襲いかかる。はぁはぁと熱い息をもらしながら床の上の銀杏を回収。やっとの思いで皮をむく。
あと15粒ほどだ。中でもこげこげの1つを箸でとり、乾いたふきんで包む。そして軽く指でつまむとぴしっと割れ目が入った。そこからむけるようだ。しめしめ、これなら飛んでこないでむけると思い、次々とむきに入る。
その時だ。1つの銀杏が力を加えたとたんにバクハツした。「※%&#@!!!」声にならない熱さだ。わたしはふきんを放り投げ、流水に指をひたす。ひりひりする。バクハツした残骸を見ると、ちょっと色が悪かった。きっと虫食いか、なにかで中に水分が溜まっていて、それがぬくもってバクハツしたようだ。これで人が殺せると真剣に思ってしまった。
負傷した後も網の上には4粒の銀杏が。とても手で触る気にはなれず、どうしたもんかと考えた。そうだ、あれがあるではないか。わたしは4粒の銀杏をふきんにつつみ、アウトドア物置部屋へと向かった。とりだしたのは、アイスハンマー。アイスクライミングをするときに登攀用具を氷の壁に打ち込むものだ。いくら銀杏といえども、氷をうちくだくハンマーの前では無力だった。わたしの思惑通り、ぴしぴしと割れ目が入り、するするとその皮を脱いでいくのだった。
そして牛肉を炒め、味を付けて、餅米と合わせ、炊飯器のスイッチを入れた。ふごふごと炊飯器が音を立てる中で、わたしはひりひりする指をもう一度水に浸した。世の中ではこの邪悪な銀杏をどうやってむいているのだろう。謎である。あぶるときにフタをするべきなのか、何か割る物があるのか?まだまだ知らないことは多いと思いつつ、赤くなった指を見つめた。
しかし、炊きあがったおこわは私が作ったとは思えないほど美味しかった。 にっとりとしたゴハンに、ジューシーなお肉、ほこほこで風味豊かな銀杏。いりゴマを多めにふっていただく。どうだ、どうだと一人悦に入り、世界遺産を見ながらおこわを食べた。
きっとかんずめの銀杏じゃこんなにおいしくできないし…。と勝手に思いこみながら。
2001年09月29日(土) |
さよならバンディット |
うちのトラックとして働いていたバイク、SUZUKI Bandit 1200Sを手放した。 これは丁度一年前、二人でタンデムしてバイクツーリングに行くために購入した。両サイド、後ろのトップ部分に箱を付け、キャンプツーリングに行った。
お盆の隠岐島では限界ギリギリを見せてくれた。二人分のキャンプ道具。ウェットスーツと素潜り3点セット。クーラーバッグに缶ビール1ケース。それにとても細身とは言えない二人の人間を乗せて灼熱の離島を駆けた。 さすがにリアサスは底付きし、後ろからみると曲芸状態だった。
その後、カヌーを購入し、ついに限界が来た。上の装備にカヌーを乗せると二人は乗れないのだ。しかも、カヌーはかさばるのでとても固定がしにくかった。
そして冬が来る。ダンナさんの住む町は豪雪地帯のすぐ横で、小さなスキー場まで30分ほど。そんな町ではバイクは冬場冬眠してしまう。その間約4ヶ月。オフロードバイクならスノーアタックで遊べるが、ロードバイクではそうはいかない。結局手放すことにした。
これでうちのバイクは、125のオフロードバイク、カブ90の2台になり、タンデムでツーリングは事実上できなくなった。
でも、それでもいいかなって思えるようになってきていた。タンデムも楽しいけれど、やはりバイクは一人でするスポーツで、自分で行きたいところに行く乗りものだと分かったから。前のように足の届かないようなオフロードバイクには乗れないかもしれないけれど、もっと別のバイクを選んでも楽しむことができる。
とりあえず、カブ90から始めよう。プルプルプルと走るカブに、水面をゆるゆると進むカヌー、スローペースの楽しさってあると思う。
また、アウトドアに飛び出せることに感謝! そして、気持ちをつないでくれたバンディットに感謝!
Thank you for everything, you were a little wing of my soul. カッコつけすぎ?(^_^;)
朝起きて病院へ行く。今日はさほど待たずにリハビリへ呼ばれる。いつも通りに終わり、帰路へ。昨日今日と自転車はお休み。先日スペアタイヤを使い切ってしまったので、パンクしたら後がないからだ。電車でごとごとと通う。電車の中には肩パッド力入りすぎで後ろ姿が正方形になっているおばちゃんがおり、「うぷぷ」と笑ってしまった。
お昼頃家に帰るとお腹が空いていたので、ベーコンエッグ丼を作って食べる。すると眠くなったので仮眠した。気が付くともう学校へ行く時間だ。週に一度だけ翻訳の勉強をしに行っていたがそれも今日で終わり。
学校へ行き、最後の授業を受けて、お疲れさま宴会。といっても、カタギの真面目な人ばかりなので、あくまで健全にまともに終わっていった。
また電車にがたごとと揺られ帰路へ。七分袖のシャツじゃ寒い感じだった。家に帰り、メールをチェックしているとダンナさんのご帰宅だ。「おつかれ〜」「寒いよ、外は。」などといいつつお出迎え。とりあえずお茶を飲んで、私はiMacの前に、ダンナさんはフトンでカヌー本をめくる。
すごい。今日は何も波風が立つようなことがなかった。 ひとつきにいっぺんはこんな日があるのだ。 これは「平凡」というより、「非凡な一日」。 むむ、貴重だなぁ。
私が100グラム48円の鶏ガラだとしたら、100グラム2500円の国産牛肉クラスのデザイナーの方から、この日記ページについてご指摘を頂いた。(要は全然違うレベルのってことです。)
Winのネットスケープで見ると、右の枠線が見えないよ〜とのことだったので早速検証してみた。恥ずかしながらこの日記を含む「わくわく〜」そのものを自分がいつも使っている、「マックでIE5」という環境でしか見たことがなかったのだ。幸いうちにはWinマシンもある。(通称アスロンちゃん)
結果、 マックでIE5.0→予想通り マックでネスケ6→がたがた WinでIE5.0→まぁまぁOK Winでネスケ6→まぁまぁOK
指摘を頂いた件は残念ながら見ることはできなかったが、直すべきなのでさっそく「エンピツ」さんを訪れ、タグと格闘。しかし、あっちをいじり、こっちをいじりしているうちにおかしくなってしまい、結局直せなかった。
楽だからと既存の物を利用したが、トラブると直すことができない。お気楽だからと仕組みもよく分からずに利用しているのもどうかなぁと反省してしまった。
HPの内容の再編成も予定しているのに、こんなんで大丈夫か、我ながら心配になってしまった。うむむむ…。
2001年09月26日(水) |
自転車とつきあうと言うこと |
自転車で車線変更した瞬間、誰かに撃たれたかと思った。しかし、よく見ると、後輪がパンクしていた。空気圧が高いのでパンクすると一気に空気が抜け、「パン!」と鳴るのだ。
病院まであと200mくらい。バーストした後輪をもちあげて、前輪を左手で支えつつ病院へ。電信柱にくくりつけてリハビリを受けに立ち去った。
1時頃リハビリが終わって、さぁ修理だ。といってもチューブラータイヤというもので、タイヤとチューブごと交換して空気を入れるだけなのだが。そのために、タイヤとチューブが一体化したものと空気入れはいつも携帯している。
リアのギヤ(フリー)をアウター側にいれ、ブレーキワイヤーの張りをゆるめ、自転車を裏返す。そして後輪を外す。タイヤをみると3ミリほどの裂け目がある。「とほほ…。これ再生不可能やわ。」
気を取り直して、新品のタイヤを取り出し軽く空気を入れてみる。これがシンドイ。しかも、空気入れを外すとき、バルブの中の栓(ムシっていいます。)に振れてしまい、プシュ〜っと抜けてしまう。脱力してしまった。
そこにリハビリ室の助手であるN村さん(30代既婚)と、U久君(20代学生)が、お昼ご飯を食べて通りかかった。「あれ〜、何やってるんですか?」「空気入れてるねんけど、しんどくて入れられへんねん。」「何を怠けたことを言ってるんですか!これもリハビリの一環として…」などとネタのような会話をして、空気入れを貸してもらった。車椅子のタイヤに空気を入れるように、常備してあるのだ。
持ってきてもらって、なんだかんだといいながら空気を入れる間、いろんな人がやってきた。事務のおねえさん、職員のおっちゃん、患者さん、顔見知りの人が多いのでなんだか恥ずかしかった。あんまりモタモタやっていたので、「自転車屋さんでやってもらったらいいんじゃないですか?」などと言われトホホな気分になってしまった。誰かにやってもらえれば楽だけど、自分でやってもできるんだから、自分でやりますです。ハイ。
結局自転車に造詣の深い、N村さんにいろいろと教えてもらい自転車は乗れるようになった。
私の人生では、トラブル時に誰か何かしら現れて助けてもらえることが多い。ニュージーランドでパンクしたときも、ニッサンのピックアップに乗ったおじさんが、親日家の牧場の家まで連れていってくれて、慣れた手さばきで直してくれて、お茶まで飲んでしまったし。
特に取り柄もない人間だが、そういう面で恵まれているのはちょっとうれしい。それを当てにせずに自分の能力を上げることは勿論必須なのだが。
こういう楽しみもトラブルも全部いっしょくたにつきあっていくと、だんだん分かり合えて楽しくなっていくのは、自転車も人間も一緒かもって思った。
2001年09月25日(火) |
自転車うろうろ帰り道 |
連休明けの今日は、病院も、銀行も、郵便局もうんざりするほど混んでおり、用事を済ませるともう3時を回っていた。家に帰ってもパソコンの前にへばりつくだけになってしまいがちで、家に帰る気になれなかった。
知らず知らずのうちに、遠回りする道を選んでいた。いつも通る近道をちょっと離れるだけで、ペダルを踏み込むことがわくわくにつながって行く。ほんの1本、違う道を通るだけでそこは違う世界なのだ。当たり前だけれども忘れていた。
初めて通る小さな商店が並ぶ道。そこに一軒の自転車屋さんが。今オーバーホールしている10年もののクロスバイクによさそうな部品を物色する。気のよさそうなオジサンがオーナーで、普通ならアッセンブリでしか置いていない部品を、一部だけ譲ってくれた。なんだかうれしい。
近くのコンビニで、郵便局で払うことをあきらめたNTTの請求書のお金を払う。そこで、ジュースを購入。近くの公園へ向かった。ここは朝通ると、いかにも公園が社交場ざますって感じの若い奥さんたちが、ベビーカーを並べて集会を開いており、とても入れない雰囲気だ。どういう状況でもつるむことが苦手な私には、まず受け付けない感じが漂っている。私にとって、つるんでギャーギャーやっているという時点で、若奥様も、暴ヤンも、同等なのだ。
しかし、昼下がりの公園は、小学生の野球ごっこ、ヒルネする営業マン、鳩にエサをあげるシニアカーのおじいさんと、のどかな公園そのものだった。 ベンチに腰を下ろし、ジュースを飲み、空を見上げた。やわらかい水色の空に、いかにもやわらかそうな白い綿雲。そうなのだ、秋、なのだ。
公園から家に着くまでに今日の夕食のメニューを考えた。 和歌山で購入した大きなしめじは炊き込みゴハンに、半分残っているさつまいもはさっと甘煮風にしよう。そういえば、カマスの開きもあったっけ。
その日の晩は、さつまいもの甘煮と、カマスの開きにシシトウの炙った物を添え、すだちを絞った物、そして、ナベで炊いたキノコご飯だ。ナベで炊いたので、お焦げはちょっと多め。自己評価でもかなりうまくできた。
冷酒と一緒に口にする頃には、昼間のイライラもどこへやら。
やっぱり人にもまれてごちゃごちゃやっているより、一人でいろいろやるほうが向いているんだなぁって、感じてしまった。
でも、明日は少しでも病院が空いていますように…。
2001年09月24日(月) |
さまようカヌー 完結編 |
目覚めるともう8時だった。速攻荷物をまとめ、家を出る。一路、奥琵琶湖を目指して走る。途中のサービスエリアで食事をして、11時30分、目的地の奥琵琶湖に到着した。
透明な湖水。澄んだ風。小さなニジマスが足下に泳ぐ。天気は快晴。まさにカヌー日和だ。さっさとセットアップして、漕ぎ出す。
まさに天下太平。この世は平和そのもののようだった。トンボが舞い、水面には魚がはねる。数年前に暮らしていたカナディアンロッキーの麓の街を思い出して、うとうと。後部座席のダンナさんもうとうと。
気が付くと、もう2時すぎだった、岸までもどし、お茶をした。魔法瓶入りのコーヒーと、草だんご、ドーナツだ。こんな小さなことだけど、有名なケーキ屋さんでお茶するより、和んでしまった。
「今度は一人一艇づつ持って漕ぎたいね。」「ツーリングに出たいね」と、夢は膨らんで行く。こういう小さな夢が生まれてゆくから外遊びは止められない。
さぁ、次はどこへ行こうか?
それはその場任せの風任せなのだ。
2001年09月23日(日) |
さまようカヌー 北上編 |
目覚めると私の鼻は詰まっていた。寒くて寝付くことができず、ちょっと風邪っぽくなってしまった。しかし、ダンナさんは、すでに起きだし、コーヒーを入れ、販売機でハーゲンダッツを購入し食べてから、股火鉢ならぬ、股七輪をしていた。
「おはよ。」「おはよ。」てきとうな挨拶を交わす。今日の朝ご飯は昨日の残りの肉を焼いて食べなくてはならない。炭火にアカセン300グラムをぶちまける。早くも辺りには朝靄の中にこげる脂のにおいが漂う。闘争的朝食の始まりだ。お互いほとんどしゃべらず、口に肉を運ぶ。うまいのだ。「肉はホルモンに限る。しかもアカセンやで。」100g150円でこんなに幸せになれるのだ。
お腹いっぱいになると、どうやってカヌーに乗ったらいいのか話し合った。太平洋はうねりが強いのでだめ、川は鮎釣りの人が多くてだめ、ということで、北上し、絶対乗れる琵琶湖に行くことにした。ここから目的地、奥琵琶湖まで300キロほどだろうか?キャンプ道具を撤収すると走り出した。高速にさえ乗ってしまえば勝負は決まったも同然なのだ。
つづら折りの3桁国道をちびっこビッツちゃんはひゅんひゅんと駆け抜ける。見た目は犬の鼻のような車だが、かなり機敏で燃費もよい。ツーリングだとリッター22km。バイク2台より良い。しかも荷物は満載だ。これで100万円台前半ならかなりお買い得!などといいつつ、高速へ。びゅんびゅん飛ばすが、やはり、お昼からの移動で300キロは無謀だったようだ。夕方4時頃選択を迫られてしまった。初志貫徹で奥琵琶湖に行き、朝一番にカヌーに乗る、もしくは、大阪の家に帰り、英気を養い朝イチで琵琶湖に行く。都会の車の図々しさに辟易したり、700円をケチッて高速を早めに降りてしまい、どよよんとしていた二人は、迷わず後者を取った。
決まれば話は早い。お気に入りのスーパーへ行き、車だからとここぞとばかり買い込む。はっきりいって、琵琶湖に行って、ほか弁で食べて寝たら10分の1で済むやろってくらい買い込んでしまった。しかし、大トロの造り、ウニ、カレイの甘酢あんかけ、アンコウの天ぷら、ローストビーフなど、お目目キラキラ的に美味しかったので後悔はしていない。でも、二度目があるのかどうかは謎である。
それから酒屋に寄り、よかいち米、白角水割、チューハイ、冷酒5合、などを買い込んで家へ帰る。Xファイル・ザ・ムービーを見ながら飲み、ついでにピザまで取る。気が付いたら映画は終わり、シカバネ2体がちゃぶ台のまわりに転がっていた。
あすはカヌーに乗れるのか。
2001年09月22日(土) |
さまようカヌー 和歌山編 |
金曜日の深夜に大阪を出発した。車はトヨタ・ビッツ、レンタカーだ。行き先は和歌山県潮岬。本州最南端の地だ。文字にはできないようなくだらなくてどうでもいいような会話をしつつ、南へ走る。深夜なのでびゅんびゅんに走る。
途中で雨が降り出し、ブルーになりかけたが、5時頃潮岬に着くと雨は上がっており、ほっと一安心。車の中で仮眠した。 荷物を半分外に出し、フルにリクライニングさせ、全ての窓を全開に。雨あがりの風が心地よく、寝入ってしまった。気が付くとお昼の12時だ。
「…風あるなぁ。」「そやなぁ。」 うちのカヌーは通称ダッキー、空気を入れて膨らますゴムボートに似ている。だから、直進性は皆無に等しく、風と波に任せることになってしまうのだ。しかも、潮岬は太平洋に面している。ここで、カヌーをだすのはいかにも無謀ということで、シーカヤッキングはあきらめて、リバーカヤッキングに切り替えることにした。目指すは、川湯温泉木魂の里キャンプ場。熊野川支流に位置するお気に入りの場所だ。ここから80キロほどのはず。いざ出発。
途中で買い出し、お昼を済ませ、目的地に着いたのは4時頃。でも、カヌーは降ろせそうになかった。鮎の解禁がまだ続いているらしく、釣り人が林立している。ここへ漕ぎ出したら、石を投げられるに違いない。とりあえずあきらめて、テントを張り、七輪に火をおこし、焼き肉の宴をはじめた。まだ、日は沈んでないが、ビールをぷしゅっと空ける。
「お疲れー」「なにもしてないけどね。(^_^;)」などといいつつ、ギネスビール、冷酒、Two dogs、焼酎、バーボンとアルコールの異種格闘技状態に、タン塩、センマイ、上バラの焼き肉トリオ一キロ攻撃でその晩は撃沈してしまった。
明日こそカヌーなのだ!と強く思いつつも、ずぶどろのネムリに吸い込まれていった。
朝起きるとだんご虫のようになって眠っていた。外は曇り空。殺人的な日差しはどこかへ行ってしまったようだ。あー、何を着ようかなと思い、アロハシャツはとりあえず止めておいた。悩むほど服があるわけでもなく、適当に着て、自転車をマンションの下に下ろした。
走り出すと、風のにおいが、勢いが違う。何かやわらかく乾いた感じ。優しくシャツの袖から入って抜けて行く。病院についても、いつものように、額から汗がダラダラということもない。秋が来たことを実感した。
お気に入りのショップに秋物が並んでも、スーパーにまったけがあっても、いまいち実感できなかったが、自転車に乗ると、すぐ分かる。季節は五感に訴えてくるから。自転車がすごいと思うのはこういう瞬間だ。
明日からは三連休を利用して、カヌー&キャンプ。行き先はまだ決まっていない。走り出してから決めるのだ。天気の良さそうな方角に。
カヌーで感じる秋はどんなんだろう。今から楽しみだ。
2001年09月20日(木) |
10年目のブルーハーツ |
CDを聞こうとして、"2 unlimited"のケースを開けたら、ブルーハーツの"stick out"が出てきた。少し考えてプレーヤーに乗せた。
ががががっとギターの音が溢れ出す。おおかた10年ぶりくらいだ。一時期、ブルーハーツ路線を外していた時期があった。ストレートすぎて向き合えなかったのだ。
「あれもしたい これもしたい もっとしたい もっともっとしたい」 - 「夢」より
…。確かにそうだ。でも出来ない。20才前後は迷いと苦悩の、しかし今考えると笑っちゃうような時期だった。そして、ストレートであることを気恥ずかしいと思うような気持ちが生まれていた。そういう精神状態にブルーハーツは体に悪い。むしられるような感じがしてしまっていた。
「豚の安心を買うより 狼の不安を背負う 世界の首根っこ押さえ ギターでぶん殴ってやる」 - 「俺は俺の死を死にたい」より
そういうメンタリティを持ち続けたい気持ちはあった。でも、豚の安心でも、「安心、安寧」は蠱惑的だった。何だか楽ができそうな気がしていたからだ。安心、安寧からは何も生み出さないことに気が付くまでは。
でも今は違う。10年経って回り道をして帰ってきた。
「ヒマラヤほどの消しゴムひとつ 楽しいことをたくさんしたい ミサイルほどのペンを片手に おもしろいことをたくさんしたい」 - 「1000のバイオリン」より
10年も前からそれが分かっていたブルーハーツはやっぱりすごい。 ブルーハーツを聴くことができるうちはまだ大丈夫だと思ってしまった。 意味のない自信。でも確信でもある。
よっしゃ、今度カラオケに行ったら「ブルーハーツ解禁」だぁ!
一日のうちで、何人の人と関わったのか考えてみた。妹からははがきが来て、近況報告。友達からは電話、メールで飲み会のお誘い。そして、ダンナさんは電話で、三連休の楽しい話をした。
その他、HPを見た友人が久しぶりにメールをくれたり、書き込みをしてくれたり、数えきれない人が私を気にかけてくれている。
普段は能天気でノホホンとしている私がこんなことを考えてしまったのには、理由がある。S先生から意外なことを聞いたのだ。
話は入院中にさかのぼる。かなり初期だ。私は車椅子に乗せられてレントゲン室へ。でも、自分で乗り降りはできず、誰かの介添えが必要であった。部屋では看護婦さんが乗せてくれたが、レントゲン室では技師の先生がいるだけだ。何か介添えの仕方が不安で、わたしは車椅子から立つことができなかった。そこでしびれを切らした技師の先生は、リハビリ室に応援を求めた。すると、S先生が飛んできたのだ。私は安心して、任せることができた。
「そんなこともありましたね。」と会話をするうちに、S先生は言った。
「あのときは、かなり腹が立ちましたね。nao-zoさんにではなくて。まわりに大の大人の、しかも医療者がいるのに、患者さんより先に泣き言をいうんかい!っていうのと、僕が行ったときに、何てあの人たちは言いました?僕の覚えている限りでは『動かすと痛い痛いと言って動かせない。何とかして』というニュアンスのことを覚えています。そして、車椅子に乗るやいなや、そそくさとその場を離れていったことを。患者さんの前で言うことか?することか?しかも、あほみたいにわらっとるし。ということで、本気で腹立ちました。」
私の心の中で、だいぶ片隅に追いやられていたようなことに、腹を立て、一年も心の中に置いていてくれたのだ。
自分の力でがんばって生きているような顔をしているけれど、こうやって見えない気持ちが力になって、助けてくれているのだ。
いとしいひとたちの為に私は何ができるのだろうか? 事故に遭い、失った物より、得た物の方がきっと大きいことに気づくのはこんな夜だ。
みんな、ありがとう。これからもよろしく。
2001年09月18日(火) |
わくわくアウトドア生活 |
先日、某通販サイトでカヌーをゲットする話が頓挫した翌日、以前からメールをやりとりしていた人から彼が譲りたいカヌーの写真が添付で届いた。
これがかっこいいのだ。彼はカリフォルニアのサクラメントという所に住んでいて、カリフォルニア南部の海に浮かんでいる写真を送ってくれた。 凪いだ水面、背の高い椰子の木、夕焼け前の空、そして、荷物と人を積んだカヌー。むむむ、惚れてしまった。
手に入れる頃には冬になっているだろうけど、リハビリにまた励みが増えた。
リハビリの達成目標はいっぱいある。走ること、正座をすること。個人的には、自転車でカナダのロッキー越えをすること。そこにカヌーが加わったので、「カヌーでロングツーリングに出ること」を加えようと思う。 場所は、知床半島、釧路川、そしてユーコン川だ。
元気になって本当にヨカッタと思う。 そして、もっと地球上をどかどかうろうろするのだ。
タイトルでおわかりでしょうが、今日もまた怒りモードです。「毎日いろいろあるんですね。」とよく言われるが、そうなんです、毎日トホホな人たちがトホホなことをしてくれます。今日は、WEB通販告発第3弾!です。
先日のトホホモードからカヌーをもう一艘衝動的に注文してしまった。これで一人一艘だ。そして本日夕方にメールが来た。そのメールを読んで、「アホかワレー!」と一人血圧を上げてしまった。
またも一部引用する。
-------------------------------- 誠に申し訳ございませんが、 ご注文いただきました商品の中で上記の商品が 欠品しております。 メーカー、問屋等にも在庫がなく、 生産の予定も未定とのことで、 まったく入荷の目処が立たないため、 お届けすることができません。 重ねてお詫び申し上げます。 --------------------------------
ほ〜、さよか。あんたの店は在庫がなくて、生産未定の商品をトップページのいわゆる客引き商品にしとるわけやな。それで許されるんやったら、商売の道義ゆうのもえろう地に堕ちてしもたというわけや。
と、「ナニワ金融道」化してしまった。 この店と取り引きすることは金輪際ないだろう。在庫管理をオンラインでやっているとしたら、在庫が5なら5の定数を割った時点でフラグを立てるなりして、サイトと連携をとることくらい、簡単なことだ。恐らく人海戦術でやっているのだろう。
「そういうプログラムの企画、持って行って営業かけたろか。」とも思うけれども、向上心のないところに営業する腕力はない。つまるところ、向上心の問題だ。
向上心のないところに、発展はない。あるのは、淘汰、衰退、のみだ。 進め!構造改革。
2001年09月16日(日) |
なんだかうまく行かない日 |
朝起きると、テントが囲まれていた。清掃奉仕をしている地元の人たちがわらわらと集まってきている。何だか出るに出られない。しょうがなくテントの中でぐたぐたする。しかし、まだ朝8時だ。休みの日にめっちゃ早起きして、しかも奉仕活動。私には絶対出来ない行為だ。
ぐたぐたしていると、まわりがクサイのに気が付いた。耐えられなくて外に出て、ニオイの元を探す。湖岸に打ち上げられている枯れた水草が大量に腐敗し、小バエがたかっている。昨日は岸から湖に向かって風が吹いていたので気が付かなかったのだ。
でも、快晴である。ここでカヌーを出さないと何のこっちゃわからんということで、カヌーを膨らませ、岸に持って行く。足場はぬちょぬちょのクサクサだ。「とほほ…」ダンナさんが乗り込んだ。わたしはどうしてもずるねちゃに足を突っ込む気になれず、まともな岸まで歩くことにした。しかし、暑い。カヌーは気持ちよさそうにすすすっと私を追い抜いて行く。どうにかこうにか適当なところで乗り込んで漕ぐ。しかし、クサさでイマイチ気分はもりあがらず、撤退することにした。
「とほほ…」テントやキャンプ道具を片づける。天気がいいのが憎らしい。駅で待ち合わせをして食事をし、お茶をして別れた。
なんか、最後まで盛り上がらなかったので、来週はカヌー海デビュー!で、リベンジを図ることにした。
あ〜、天気悪かったらどないしょ。
2001年09月15日(土) |
雨の琵琶湖と援助交際ネコ |
3時間ほどしか眠らずに6時に起き、オニギリを12個作った。今日は琵琶湖でキャンプ&カヌー三昧だ。祝日なので通院もお休み。
現地の駅で待ち合わせてダンナさんにバイクで拾ってもらう。まずは買い出し。最近はだれているの調理は最小限だ。豆腐の田楽、しめさば、ゴボウサラダ、中華のお総菜セット、エリンギなどを購入。調理はエリンギの炙り焼きのみだ。お酒は、冷酒、ビール、チューハイをゲット。家から持ってきたバーボンがあるから足りるだろう。つまみは、塩えんどう、スモークチーズ、テング印のビーフジャーキー。準備は万端だ。
しかし、とんかつ屋でお昼を食べているとどど〜んと雨が。無言でとんかつを食べる。やっと止んだが、空はいかにも機嫌が悪そうだ。キャンプ地へ行っても状況は変わらず。方針変更して、テント内読書の日とする事にした。
ポツポツとテントに当たる雨音を聞きながら、わたしはカヌーの本、ダンナさんはパソコン誌を読む。Yahoo!BBを導入しようとか話しているうちに二人とも寝てしまい、気が付いたらもう6時半だ。宴会の始まり。
「おつかれさま〜」「何にもしてないけどね(^^;)」などと言いつつビールを空ける。昼間は蒸し暑かったのでのっけからアクセル全開だ。話のネタは来週はどこへ行くか、懸案のカヌーを米国から個人輸入する件、などなど、忌憚なくどかどかと意見を出し合う。
宴会も中盤にさしかかった当たりで雨足が強まってきた。そこで、ネコの鳴き声。可哀想に、雨ののらねこか…。などと思い、テントの裏口を開けるすると、痩せていて、かわいらしい若いネコが一匹。手を出すと警戒しつつも興味ありげに鼻を近づける。私はサラダを食べた後の入れ物を鼻先に近づけてみた。すると、小さな赤い舌でペロペロとなめている。お腹が空いているようだ。なめ終わると、足を一歩踏み込んで、「にゃー」と鳴いた。
そこで、ダンナさんが首の後ろをつかんで持ち上げる。「そんなんしたら嫌がるで。」と私は制止しようとしたが、ネコはされるがまま、くてっとダンナさんにぶら下げられている。可愛すぎる。私はささっと一眼レフを取り出し写真を撮った。
ネコを下ろすと今度は私の左脇腹にぴたっと張り付き、毛繕いをはじめた。 なでると、いやにフサフサしていて、きれいだ。「これ、飼い猫やで。めっちゃ慣れてるもん」ダンナさんが言った。確かに。フラッシュに警戒することもなくぶら下げられて、のほほんとしている、そして、愛嬌を振りまき、体を押しつけてくる。そこでダンナさんは「援助交際ネコ」と名付けた。まさにその通りで笑ってしまった。愛嬌たっぷりに近寄って、エサをもらう。これはまさしく援助交際なのだ。私たちは援助交際をしてもらい、雨足が弱まった頃、ネコさんにお引き取り願い、寝ることにした。
援助交際はマットの上に体毛とぬくもりを残しつつ、あっさりと終わって行った。(まるで三流エッチ小説ですな。)
キャンプ編は明日につづく。
メールチェックをしていたら、以前日記に書いたWEBの本屋からニュースレターが届いていた。そのメールは冒頭に店長氏の挨拶のようなものがある。それを読んで私はくらい気持ちになってしまった。ここにその部分を引用する。(著作権に抵触するリスクは私が背負う)
----------------------------------- 皆さま、こんばんは!「XXXX」店長のXXXXでふ。
・「ドカーン」ちょうど、私がテレビをつけた時、貿易センタービルに2機目の飛行機が、突っ込んだ瞬間でした。今週は、どこもかしこのテレビをつけてもこの話題で中心です。
「う〜ん」テロは怖い!! 早く、解決してほしいものです。
・食欲の秋〜!!「かき・カキ・柿」 おいしい季節の食べ物が出回ってますが、その中でも秋といえば柿ですね。 ------------------------------------
というトーンで米国の多発同時テロのことをトピックにしている。 何の思慮も感じられない。「悲惨なことが起きたから、とりあえず眉をひそめておこう、みんながそうしているから。」きっとそういう人が書いたのであろう。その軽薄さ、みんなと足並み揃えときゃいいや的思考に虫酸が走る。
特に米国からの友人のメールを見た直後だったので、余計にそう感じてしまった。彼の言葉はこう告げていた。
"We fear that it is not over." 「これには終わりがないのかもしれない。それが怖いんだ。」
私はこの声にうまく応える言葉を持たない。それは悲しいかな、前出の「う〜ん、テロは怖い!」で片づけてしまう人間と同じ国の人間だからかもしれない。
これから先、私に関わる大切な人たちを傷つけてしまうかもしれない。それは一番やりたくないことなのに。そのためには、心の盲目にならないでおこう。保身に走らないでいよう。
こういう晩はバーボンの減りが早い。
このことについてどう語るのか?昨日の晩から悩んでいた。例の米国多発同時テロのことだ。
とても複雑な気持ちである。事件そのものが大きすぎて、しかも映画のようでまったくリァリティがない。でも、命を失っている人たちがいる。
そして、その報道にまた複雑な気持ちになる。テレビのニュースでは現場にいたであろう邦人の消息についての情報ばかりだ。確かにそれも日本人として気になることだと思う。しかし、自分がその行方不明の人の家族であったとして、テレビが四六時中「消息が確認されてません。」の連発だったら悲しみが増幅されてしまう。もし、確認されれば外務省から直接連絡があるだろう。だから今の報道体制には意味がない。
「○○会社の○○さんの消息確認がとれません」家族にとって悲しみのだめ押しでしかない言葉が、芸能人の恋愛の進捗状況と同レベルに語られている。この国で本当の意味で被害者がいたわりを受ける日はくるのだろうか?
失望した私はテレビを消し、パソコンに向かう。 米国CNNのサイトで状況説明を追う。当然辞書はいるが、端的な文章、的確に推敲された見出しで、どんどん読み込んでゆくことができる。捜査状況、ハイジャックの軌跡、被害状況などを通して全体像が少しづつ見えてきた。
そして、出しあぐねていた米国に住む友人へのEメールにとりかかった。
" I promise to share the grief of the United States." (共に皆の悲しみを分け合いたいです。)
メールでしかやりとりのない間柄だが、遠く離れた土地でこういう思いを抱いている人間がいるということを知って欲しい。
それは私だけではないと思う。世界中にいるのだ。
日々の食事をどうするか?というのは生き物全ての課題だと思う。大げさかもしれないが、一人で食事をまかなうようになってから痛切にその事実をかんじてしまう。簡単にいうと、「料理がニガテ」なのだ。
弁解するわけではないが出来ないのではない。中学校の頃から家の食事は私が作っていたし、学生時代も一人暮らしだったので、「エバラすき焼きのタレ」がなくても肉じゃがくらいは作れるのだ。(しかしあのコマーシャルあそこまで突き抜けておバカだとナイスですね。)
そういう人間が作る料理をここで書き記すことにした。今日のメニューはオムライスとサラダ。材料は豚バラ肉ちょっと、タマネギ半分、冷凍いんげん5本、ちりめんじゃこ、スライス干し椎茸、ヒヤゴハン、たまご、塩胡椒、ケチャップ。そしてサラダ用にキャベツ。
作り方はまずフライパンにぶつ切りの肉を投入。じーっと待っていると油が出てくるので出し切る。そこで肉をお皿に避難させ、フライパンの肉あぶらに、タマネギみじんぎり、冷凍インゲンみじん切り、ちりめんじゃこ適量をすかさず投入しじゃじゃっと混ぜる。適当に暖まったら、ヒヤゴハンをどすんと入れる。固まったまま入れるのでまさしくどすんだ。そこでなかなかごはんがほぐれずに往生するが、すかさず干し椎茸を戻し汁ごとじゃわっと入れる。そこら中が椎茸のかほりになるが気にせず、ごはんをほぐす。ひたすらほぐしてべちゃごはんが、何となく焼きめしみたいになってきたら、塩胡椒を投入。皿の肉も投入。だいたい味が決まったら、ケチャップでごはんに絵を描く。しゃもじでぐるぐるかき回したら、ラーメンのどんぶりを取り出し、ぎゅぎゅっとケチャップ炒めごはんを入れ、大きなお皿にひっくり返す。これで80%は出来たも同然だ。
ささっと、フライパンを洗い、火にかけ、バターをひとかけら。そこにすかさず、塩胡椒で調味した溶きタマゴをじゃじゃっと入れ、プレーンオムレツをなるべくドロドロに作る。あと、仕事は5%を残すのみ。
そのオムレツを先ほどのドーム型ごはんに乗っけて真ん中を包丁で切り目を入れ、さくさくっと箸でほぐすと包まないけどオムライスのできあがりだ。 (サラダはキャベツを刻んで横に置くだけです。)
味の方は、まず外食では食べられない味だった。マズイ訳ではない。何だか味が和風でなんとも言い難いのだ。今回は、鶏肉の代わりに豚肉、ピーマンの代わりにインゲン、マッシュルームの代わりに椎茸、という和風への代替行為がこういう味に導いたのだと思う。
今日の料理は75点。明日はどうなることやら。 (nao-zoのダンナさんって可哀想ってメール送らないでくださいね。)
2001年09月11日(火) |
ざけんじゃね〜、バーカ! |
あるウェブサイトに問い合わせのメールを出したら、翌日(今日)返事が来た。私はそれを読んだ瞬間けたぐりたおしたろかとフルフルしてしまった。
とあるアメリカ在住の知り合いに頼まれて、私はバイクを探していた。それは1996-1998しか生産されておらず、国内販売しかしていなかったものだ。バイク好きのその人はたまたま知り合ったのが日本人(私のこと)だったので、尋ねたところその私もバイク好きということで私がいろいろとお手伝いをする事にしたのだ。
ウェブで探すと東京の某販売店に在庫があった。そこで、以下のようなメールを送った。(全文掲載)
---------------------------------- 初めまして、「ドリーム50」を検索していて辿り着きました。そちらでは海外への発送はやっておられるのでしょうか?サンフランシスコに住む友人がドリーム50を探しています。もし、可能でしたらメールでお返事頂けますでしょうか?尚、友人は英語しか分かりませんので必要時は私が通訳しようと思っております。 それでは宜しくご検討下さい。 (私の署名) ----------------------------------
それの返事がこうだ。(全文掲載)
---------------------------------- ■メールありがとうございます■ ドリーム50ですが、輸出は考えていませんが、買われた方が、輸出するのはかまいません。 ----------------------------------
おう、それだけかい!もうちょっとモノには言い方があるやろが。そりゃウチが買おたら何してもかめへんやろ。輸出しようが、床の間の置物にしようが…。と思ってしまうのは私だけだろうか?
担当者名もナシ、というのも問題ありだと思う。「輸出は考えていませんが、」じゃなくて、「考えたこともないからやる気もありません」ってことではないのか。そうやってビジネスチャンスを自分から潰していっているのに気が付かないのか?
欧米崇拝者ではないが、海外に問い合わせをしてこのような返事をもらったことは一度もない。在庫がなければ、同じモノを扱っているであろう店のサイトを教えてくれたり、中古の在庫を教えてくれるサイトもあった。彼らの中ではメールでの問い合わせも、店にふらりと立ち寄った人も同じ扱いなのだと思う。満足するモノを買ってもらう、それが出来なければ、いい印象を与えてまた立ち寄ってもらう、という考えだ。
co.jpドメインまで取得して、あのウェブサイトは何のために存在しているんだろう?「ほ〜ら、ウチはホームページ持ってるの。すごいでしょ。ムフフ!」という自己マンにしか過ぎないと私は感じた。
私の勝手な想像では、そういう意識の低い店舗が「景気が悪い」とか、「儲からない」とかぶつくさ文句を垂れているのではないか?さっさとやり方を根本的に変えるかしないと明日はないに違いない。構造改革で淘汰されるべし。
逝ってよし!この店。
昨日の事を書くのはなんだが心の中に閉まっておくより発散することにした。(とか言うほど大したことではありません。)
久しぶりに大阪駅近所のファッションビルに行った。ここにはエスカレーターの吹き抜け部分に大きなオブジェがぶら下がっている。多分10メートルくらいはありそうだ。
それは細長く、バナナのように両端がすぼまっており真ん中が太くなっている。かつをぶしの形状だ。色は上半分が赤、下半分が白でしわが刻まれている。クジラ、なのだ。
わたしはそれをはじめてみたとき「でっかい牛タンやなぁ。」と思った。妹にそのことを話すと、かなりさげすまれてしまった。確かに「牛タン」よりは「クジラ」のほうがおしゃれ度は高い。
でも、この手の「ベタに振ってしまう勘違い」というのはよくあるようだ。 今日テレビを見ていたら映画の紹介のコーナーでMBSのSアナウンサー(おっちゃんです)が、「私ね、ニコラス・ケイジのことをニコラス刑事やと思てたんですわ。」と言っていた。その気持ちわからんでもない。
あと、別のニュースでは「東京ディズニーシーを東京ディズニー市」だと思っていた人とか、「インパクは幕張でやっている」と思った人とかを見たことがある。実はこの手の勘違いが世間では通っているのかもしれない。
マーケティングのヒトとかが気張って英語とか使っても多分一般市民(私を含んだ、一般的な日常を送っているヒトです)には通じてないと思う。
恥ついでに最近真面目なニュースで聞いたトホホ日本語を思い出した。
「ひでりじかん」…多分日照時間のこと。あんまり連発するのできょうび竹やりマフラーのヤンキーを見たときと同じように恥ずかしく思った。
「とっとりけんさかいこう」…多分鳥取県境港(市)のこと。それじゃあ何かい?「さかいみなとしのさかいみなとこう」は「さかいみなとしのさかいこうこう」になるんかい。(ややこしいですね。「境港市の境港港」(さかいみなとしのさかいみなとこう)で正しいと思います。)
なんだかまとまりのないまま終わってしまった。 トホホホホ。
2001年09月09日(日) |
美容院ってスバラシイ |
8ヶ月ぶりに美容院へ行った。 ここ7年くらい同じ美容師さんに切ってもらっている。半年以上も来ない客なんてお店にとってはあんまりイイお客さんじゃないんだろうけど、いつもと変わらず、「軽く、ですよね。」で始まった。私は異常に髪の毛が多いので、どんな髪型にしたいというのは二の次で、軽くするのがまず第一。プラス、ショートにしたり、前髪を作ったり、というオーダーを気分次第でする。
前に行ったときは入院中で外出して行ったのだが、髪を切りに行くとは言わずに出たので、病院に帰ったら看護婦さんに呆れられてしまったことなどを話して、笑いながらいつものようにカットしてもらった。
子供のアタマ一個分くらいの髪の毛を床に落としてカットは終わった。不思議なことに全体の長さは変わっていない。ブローをしてびっくりしたのは、飯島直子のバランスを崩したようなスタイルに仕上がっていたのだ。むむむ、なかなかいいではないか!
高校時代胸まであった髪の毛にソバージュのパーマをかけたら「ヘビ女メデューサ」、それをおさげの三つ編みにして体操服を着たら「竹やり部隊の婦女子」などと言われてきた私が飯島直子の五段落ちくらいに仕上がっている。すばらしい…。
この感動が4200円なんだからすごい。 これからはマジメにカットしに行こうと堅く誓ってしまった。
青春18切符の最後の一片を使って、滋賀に行ってきた。 といってもリハビリに行った後なので到着したのは夕方3時。途中、私が携帯電話を忘れて連絡ができず、家電量販店のケーブルインターネットお試し用パソコンでダンナさんの携帯にメールで連絡をするという荒技を取った。
うまく連絡がつき、駅ではダンナが待っていた。駅前の木陰でしゃべりまくる。毎日80分(電話の子機の充電がなくなるのがそれくらい)しゃべってるのにまたしゃべった。今日は午前中、バイクの調整をしてから釣具屋に行き、それから琵琶湖でカヌーを組み立て、沖で釣りをしたそうだ。琵琶湖ライフが心底肌にあっているようだ。大阪にいるときは、飲みに行ったりして人混みに行くと、「ケッ!」とトガリ目になりいらつくことが多かったからだ。
しゃべっているだけでぼちぼち4時半。涼しくなってきたので散策をした。商店街の路地に木のテーブルを出して炭をおこし、ビアサーバーを置いている店があった。頭上には本物のブドウ棚が影を作ってくれている。そこでビール小を2杯づつ。牛肉の炙り焼き、エリンギの炙り焼きを賞味。木陰にそよぐ風が心地よい。私が知る限り、日本で極上のオープンカフェだろう。都会で最近流行のオープンカフェなんてホコリくさいだけじゃんと思う。
エンジンがかかってきたので、居酒屋に移動。まず生中。そして冷酒。最後に泡盛「残波」のボトルを入れる。ボトルキープの相場はよく分からないが、酒屋さんの倍くらいだったのでいいかと思う。
その泡盛が気に入ってしまった。普段はイモ焼酎のような雑穀系が好きなのだが、泡盛は別格だ。でも、タイ米からできてるんだから日本式に考えると雑穀からできている事になるのかも。
そうこうしているうちにもう8時だ。なんと新快速の終電は8時20分過ぎ。それを逃すと、10時前の各駅停車まで帰ることはできない。しかも、大阪駅に着くと日付が変わってしまうので、大阪駅からは徒歩で帰ることになってしまう。飲んで10キロ歩くと確実に逝けてしまうので、ダッシュで駅へ、新快速に間に合った。そしていつものように爆眠。気が付くと新大阪だ。得な体質だと思う。
ムシムシする大阪に帰り着き、シャワーを浴びて、帰ったよコールをする。またしてもしゃべってしまった。約60分。
ホントによく飲み、しゃべった一日だった。
2001年09月07日(金) |
何じゃそりゃ〜!!! |
ネットの通販で書籍を購入したのだが、個人的にはトホホな事があった。まあ、本は手に入ったんだけど…。
今日、本を受け取ると中に納品書があった。それを何の気ナシに見てみると、お客様名、電話番号、住所が私のものではないのだ。ただ一つ、購入した書籍名は合っている。
そこでわたしは納品書を取り違えて発送したと判断し、即メールで問い合わせた。私の個人情報がどこか他人に渡されたら気持ち悪いからだ。すると即メールが帰ってきた。
それを読んでヒニョヒニョヒニョ〜と腰砕けしてしまった。
事の顛末はこうだ。私がその本を注文したとき、出たてホヤホヤだったのでまだそこには入荷しておらず、また、マイナーな本のため、注文となった。その時に、そのメールを受け取った向こうの担当者(N村氏)が彼の名前で注文を入れた。そして、先日本が入荷したので、伝票を切って、発送となったのだ。その時の名前が残っているんですよ。とのことだった。
プラス、私の名前での納品書は発行していないので、個人情報の漏洩はないとのことだった。
意味はわかった。でもこれでいいんだろうか。
まず、他人の名前の入った「納品書兼お届け明細書」なんて、仕事で本を購入している人には困りものではないのか。それに、明細書のお届け先は「N村○○様」とある。自分で敬称を付けて、それを顧客にさらすってのは姿勢からして問題があると思う。最後に、いくら従業員のものとはいえ、電話番号、自宅住所を含めた個人情報を漏洩させるのは問題があると思う。これは顧客に対して、個人情報に関する意識が低いことを感じさせてしまうのではないか。
最近は、他人のモラルと向上心については一切考えないようにしているが、これにはちょっと考えてしまった。
次からはどこで本を購入しよう…。
最近ある人のパソコンサポートのようなことをしている。
その人はiMac DV Special を購入し、この度ネットに接続することにした。一人暮らしをはじめたばかりで家に電話が無いので回線を引くことから始まった。
そこで私はINSネットライト64で電話の権利を買わない代わりに、月々の基本料金が割高なプランと、プロバイダはZEROを勧めた。なぜなら、全く私と一緒の方がアドバイスがしやすいからだ。
しかし、「申し込みました。」というので詳細を聞いてみると、電話回線併用でないADSLを申し込んだそうな。何でもNTTのおばちゃんに勧められて、モデムのレンタルもコミコミでナンボや!という感じで攻め込まれたらしい。
それからは紆余曲折の連続だ。
パソコン側の設定がよく分からない、メールソフトの設定も?、しかも添付の光学式マウスまでが壊れた。そして、アダルトサイトからQ2接続ソフトを落としてしまい、設定は上書きされ、ドツボにはまっていた。
「水着のおねーさんをクリック、クリックってしていったらですね、〜ですとかいろいろ書いてあるウィンドウが出たところで、ポンポン進んでいったんですよ。で、次の日パソコンを起動してみたらheart.exeっていうファイルがデスクトップにあったんでびっくりしました。」とのことだ。
とりあえず、その傍若無人な行動に感動すら覚えてしまった。私の中ではネットの世界はとりあえず怪しいと位置づけられている。その中から欲しいモノ、知りたいことを選別するのが私の役目だ。そのために、怪しげなモノに予防線を張りつつ、ネットをうろついている。
しかし、彼の場合は、「水着のおねーちゃん」という原動力でそこまで暴走して、exeファイルまで落としてしまうのだ。いやはや、若いってすごいなぁ。(ちなみに20才ちょっと過ぎのヒトである)
今回の対処としては、ハードディスク内を検索し、その日に作成されたファイルを洗い出し、全部ゴミ箱へ。そして、接続の設定のやりなおし。 接続は戻ったが、IE、メールソフトのアントラージュに不具合続出である。 きっと、再インストールで戻るとは思うが…。
ここではじめて私がネットに接続したときのことを思い出してみた。その時は9年前でカナダに住んでいて、買ったパソコンはNECのDOS-V機!で486DX4である。地元系プロバイダに入ったはいいが、設定がどうしても分からずについにプロバイダに直接行って教えてもらった。向こうのヒトは唖然としつつも簡単な英語にかみ砕いて教えてくれた。そうしてやっと、ネットの世界に足を踏み入れることができたのだ。
こうやって先人に教えられ今があるかと思うと、今度はきっと私が教える側なんだと思う。ネットの世界も当時とは比べ物にならないくらい大きくなってしまっているから、どれだけ通用するかは分からないが。
とにかく、「あやしいサイトの歩き方」だけは身につけてもらおうと思う。(見るなってのはムリだろうし。)
昨日NHK教育で録画した、中島らも氏のインタビュー番組を見た。
らも氏の動くのを見たのは本当に久しぶりだったが、彼の話す姿、話の内容はとても衝撃的だった。かいつまんでは著書から知っていたが、実際に本人の口から聞くと、印象が違う。
いろいろな思いがあるが、いちばん心に残ったのは、天使についてのくだりだった。
「天使がね、毎日なにかしら現れるんですよ。キオスクのおばちゃんやったり、電車でとなりあわせたおっちゃんだったり、いろいろなんですがね。そこで何か救われるような気持ちになって、『また明日』って思うようになったんですわ。」
『また明日』は文脈から察すると『また明日も大丈夫や』って感じだと思う。そういう毎日の積み重ねが生きているのもいいなぁとらも氏に感じさせたのだろう。
私自身は誰かにとって天使であったことがあるのだろうか?そして、私にとっての天使はいたのか?前者の答えはわからないが、後者はYesだ。うちのだんなさんである。直接何かを助けたり励ましたりするようなキャラではないが、知り合う前の私と、今の私を比べれば、何となく天使の仕業が見えてくる。
天使の気配を感じて、マイナス思考はどこかに吹っ飛んでいってしまった。
いつか私も誰かの天使役を務めることができればすごいなぁと思う。
----------------
とここまで書いてみて読み返すと何だかしんみり気味である。最近涼しいせいか、ど〜んとやるぜ!って感じになれなくなっている。その影響か?アウトドアで生きる人間は、秋に5月病になるのかもしれない。(秋に5月ってのもアレだけど。)
2001年09月04日(火) |
大阪湾岸ちょい走り記 |
朝起きると青空に白い雲。気温も30度ほどしか上がらないようだ。ということで、今日は自転車で走ることにした。
小型ザックに水筒に入れた水、バンダナ、そしてリンゴをひとつ。病院が終わると川沿いに海に向かう。国道と交差した地点を越えると車はぐんと少なくなり、走りやすくなった。ギヤをトップに入れ、びゅんびゅんとこぐと、お世辞にもきれいとは言えない川だけど、気持ちがいい。ちょうど堤防に上がるハシゴ状の登り口があったので自転車を止め、堤防に腰掛けた。 よく晴れているので六甲の山並み、そして海が見える。そこで水を飲み、リンゴをかじった。
そこからさらに川沿いに海へ向かう。途中で「ユニバーサルスタジオジャパン」の案内看板があった。そこで、今日のルートが思いついた。このまま海へ出て、海沿いを走り、USJを眺めて、そこからは渡し船で天保山に渡り、そこからは国道沿いを走って帰ることにした。思いつきなので、地図はなし。
海にむかって川沿いをぐんぐんこいで行く。交通量が少ないので自分のペースで飛ばせる。あっという間に海へ出て、そこにはヨットハーバーがあった。よく関西系バイク雑誌が撮影に使っているところではじめてきた。
白のヨットと、これまた白のボートハウス。とてもこれが大阪の重工業地帯の先っぽにあるとは思えない。ボートハウスのレストランの看板が、唯一大阪っぽくてナイスだ。
「アーバンモダンの店。南フランス創作料理。Hemingway」だそーな。
「南フランス料理もよう分からんのに、創作料理って何やねんな。で、フランスとヘミングウェイはどんな関係やねん…。」などと要らぬ事にアタマを使いながら、工業地帯を抜けてちょっと戻って行く。青空とコンビナートとの対比がバクダット・カフェのようだ。しかし、廃液がクサイ。
途中、道がわからなくなってしまった。といっても走ったことのない道を適当に走っているだけなので、「迷った」とはいいがたいが。とにかくUSJは見えているのだが、そっちへ行く道がないので、大きな道へ出て、コンビニへ入った。
地図を持たずにふらふらするときには、こうやってコンビニで地図を立ち読みすることにしている。しかし、ただ読みは申し訳ないので、役に立つ情報を得たときには、何か買うことにしている。今回もあっさりと道がわかったので、「よもぎ蒸しパン」70円を購入。そしてUSJ方面へ。
USJの横には船着き場ができており、ここから、関西空港や、神戸、大阪南港へ行けるようだ。対岸の天保山ゆきもある。400円也。「渡し船ならタダやのに」と思いつつ、ベンチで船を眺めながらさっきのよもぎ蒸しを食べた。
で、ここのトイレがいかにもお役所仕事丸出しで笑ってしまった。入り口の男性用か女性用か判別する板には、点字で「女性用」とか書いてあるんだけど、中に入ると、盲人用の誘導板(駅のホームとかにあるやつ)とかは一切ないので、入っても個室までたどり着けないだろう。あと、洗面台に手すりが付いているのはいいが、そこのトイレは狭くて車椅子が転回できるスペースは無い。それになんで両方とも和式トイレやねん。和式でできる人間が車椅子に乗ることはまずないと思う。思わぬ所で「心なき福祉」を見てしまった。これ企画したヤツ!大阪市に金返せ!(ぜぇぜぇ)
気をとりなおして、渡し船の渡船場へ。30分に一本しかないが、そこへ集まる人たちを見ていると飽きない。倉庫関係のオッチャン、USJで働く外国人のワカモノたち、ママチャリ満載に買い物をしたおばちゃんたち。あっという間に30人ほどが集まった。渡船が現役でがんばってるのが何だかおもしろいなぁと思ってしまった。
遠出はあまりできないけど、近場でもまだ行ったことがないところがあって、ワクワクしてしまった。大阪にいるうちに、全渡船制覇しようなぁと思い出した。あといくつくらいあるんだろう?
朝起きたら、いろいろと痛かった。まず、両腕の二の腕がだるい。そして、首根っこの右側が重い。で、手術した方の膝がごりごりしている。
「慣れないことをやると、こんなんなんやなぁ。」としみじみしてしまった。でも、こういう痛みを感じられるのも元気だからこそ、と思うと苦にもならない。その状況に応じて楽しい方に考えるクセが身に付いてきたようだ。
病院から帰って、パソコンに向かうと自然とカヌー系の情報を探して、見入ってしまう。「NZでシーカヤックがやりたいなぁ。あ、このキャンプしながらのツアーいいなぁ。」とか、「いいなぁ。やっぱりいつかはフェザークラフトのK1欲しいなぁ。」とかそんなんばっかりだ。 (ちなみに「フェザークラフトのK1とは、カヌー界のロールスロイスと呼ばれる、加・フェザークラフト社の名艇。50万円くらいする)
ふと、昨日のことを思いだす。カヌーはダンナがバイクで運んで、わたしは電車で行き、琵琶湖岸のとあるキャンプ場で待ち合わせをした。(カヌーを乗せると二人乗りはできないのだ。)
降り立った駅は無人駅で、北陸本線と東海道線が交わっている。北陸行きの列車はお客さんもまばらで、ドアは手動開閉式。なんだかしんみりしてしまう。ちょうどそのときMDウォークマンで陽水の「少年時代」を聴いていたので余計しんみりしてしまった。そういう風景なのだ。
駅から湖岸へ続く道も、つゆくさや、おしろい花が咲き、シジミチョウが舞い、コオロギが足下へぴょこっと現れる。いつもバイクで通り過ぎる道も、歩くといろんな事があってうれしくなってしまう。
これからはカヌーや、歩きなどスローペースの旅に傾いてしまうかも…。と何となく思った。まぁ、バイクでも速く走れていたわけじゃないんだけど。
30才を目前にして、新しいことを始めた。以前から興味のあったカヌーをやってみたのだ。購入したのはインフレータブルカヌーといって、ゴムボートのように空気を入れるタイプ。それを一本の棒の両端に漕ぐ部分(ブレード)が付いたダブルパドルというもので、二人乗りで漕ぐのだ。
処女航海は琵琶湖。30度前後だけど曇り空でそれほど暑くなく、カヌー日和だった。短パンにTシャツ、ライフジャケットにサンダル姿で乗り込む。流れに乗ると面白いほど進んでいく。水面を切り開いて進んでいくので、いっぱしの船っぽくて気持ちがいい。しかし、風に弱く、ひゅうと風が吹くとカヌーがくるくる回ってしまう。
カヌーの上でぷはっとビールを飲むのがちょっとした野望だったが、ちょっと難しそうだった。ちょっと漕ぐのをやめて休んでいると、すぐに流されてしまうのだ。しかし、陸地からじゃ絶対に見えない景色を見ながら、波にゆられるのはかなり気持ちがイイ。
1100ccのエンジンを積んでびゅわんびゅわんと走り回るジェットスキーを横目に見て、カヌーから水面をのぞき込むと、藻が森のようにわさわさと揺れていた。もうちょっと沖にでたら多分生き物も見えると思う。
さぁ、腕を上げたら無人島に行くぞ!
2001年09月01日(土) |
グレイト・グランブルー |
最近、DVDで映画を見るのが好きだ。 ふらりとSofmapに立ち寄ると2000円前後で映画のDVDが並んでいる。 もちろん、新品だ。そこで、リュック・ベッソン監督の「グランブルー」を購入した。ジャケットのイルカと海に惹かれたからで、内容は「素潜り」と言うことくらいしか知らなかった。
結果、かなり引き込まれてしまった。2時間40分と長いのだが、飽きることなく見ることができた。シシリー島、コートダジュール、まず海がまぶしかった。白い岩に紺色の海、ブルーの空を見るとこれはいつか行かなくてはと思う。
そして、人物が魅力的だった。無口なジャック。態度のでかいエンゾ。猪突猛進型のアメリカンお嬢さんのジョアンナ。字幕で鑑賞したので、だいぶと雰囲気は薄まっていると思うが、人間のおもしろさは印象的だった。
白壁の田舎町に青い海、個性豊かで感情溢れるひとびと。そういうものを見るだけで心の中に元気が湧いてくる気がした。結末は悲しいけれど。
次は同じくリュック・ベッソン監督の「レオン」を見ようと思う。エンゾ役のジャン・レノが出ているのだ。期待大。
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