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題名に、「日記と言うよりメモ」の言葉が含まれた場合は、 母の様子や入院等についての内容が書かれています。 ここに、ガンのコトが少し書いてあります。


2002年07月31日(水)

昼から告別式


2002年07月30日(火)

夕方から通夜


2002年07月29日(月)

AM7:34


2002年07月28日(日) 日記と言うよりメモ(覚えてること)

早起きをして病院へ行く。
午前中ギリギリ位に病院についた。
母の足が異様に冷たい。
身体は熱のせいで少し汗ばんでる。



午後、従兄弟が来た。
この従兄弟はよく来てくれる叔母の息子だ。
小さい時よくお互いの家を泊まりあっていた。
家族と一緒だった。
子供はランドセルを背負ってた。
母の様態があまり良くないので、
従兄弟だけを病室に招き入れた。
無口な従兄弟。
私達は、母の耳は聞こえてるものと話しかける。

数分で従兄弟は部屋を出た。
奥さんも子供も部屋には入ってこなかった。
奥さんに悪いコトをしたなと思う。
でも母をみて、彼女が泣かずにいられないと思う。
逢わせることが良いコトか悪いコトか判らない。
でも、どうしても逢いたかったら入ってくるんじゃなかな。と
自分をかばってみる。


18時頃、数時間から数日です。
泊まってくださいと言われた。

父にメールを入れ、叔母(母の姉)に連絡を入れる。

父が来た。

21時頃叔母が来た。

母の手が冷たくなってきている。
看護婦さんから、酸素が身体の中に取り込む量が少なくなって
末端に行き渡らなくなっているからだろうと言われた。
無意味かもしれないが、皆で手や足を暖めようとさする。

看護婦さんに声をかけて帰ってくれと
23時頃、父を帰した。

なるべくマメに病室を訪れると看護婦さんに言われた。

熱があるので、呼吸が荒い。
お熱あるからしんどいねぇ。看護婦さんがそう言いながら
脇の下に氷枕みたいなものを入れてくれる。
でも手足は冷たい。

叔母と私達は、1時間位で交代で仮眠を取った。
眠りにつくと言うより、身体を休める為のようなものだった。


2002年07月27日(土) 日記と言うよりメモ(覚えてること)

病院から近いホテルに泊まっていたので
9時に病院についた。

主治医の回診に間に合った。
母の反応はもう、ないに等しい。
主治医の呼びかけに目をあけることはなかった。

アンモニアの数値が高く、薬を使ってこの数値だから
肝不全を起こしていると思います。

時間の問題。

主治医は明日から夏休み。
「待っててね」そう言って母の手をさすり
主治医は出ていった。


この日は良くない状態ではありながらも
安定しているので、家族は帰って構わないとのことだった。
万が一の場合も段階があるので、連絡差し上げてからでも
充分間に合うと思います。
看護婦さんからそう言われた。
担当じゃない看護婦さんも、夜部屋にやってきてくれた。
反応がない母に話しかけていた。

私達は家に帰った。
万が一の為に着替えを用意する為に。
用意した着替えが足りなくなるといいね
そう話ながら。



いつだったんだろう。
今日だったっけな・・・。
母に氷を買いに行こうとして
母へ「氷買ってくるね?」と呼びかけたら
「・・・・」
A子が「『いかないで』って言ってる」
コンビニに行くのは後にして、くだらない話を
A子とベラベラしゃべり続けた。


いつだったんだろう。
今日だったのだろうか。
記憶があやふやだ。
どこかの花火大会のあった日だった。
目を閉じている時間が断然長くなった母が
突然目を開け、全てを見納めのように見る。
テレビも私達の顔も。



あまりに色々なことがあって気持ちも記憶も整理できない。


2002年07月26日(金) 日記と言うよりメモ(覚えてること)

出社したんだと思う。良く覚えていない。
でもメールを見ると、仕事の引継ぎを依頼している。


午前中、母の血圧が60まで下がり
家族に集まってもらった方が良いかもしれないと
話があったと、夕方A子からメールで報告を受ける。



前に来た、少し変わった母の友人が来た。
旦那さんは来なかった。ご婦人だけで来たらしい。
A子は、帰れオーラを出したそうだ。
A子からメールが来た
5月に来た時から覚悟はしてたの。
そう言われたと大変に怒ってた。

叔母(母の姉)も来た。幼馴染も来てくれた。
叔母は私達に食事をしていないだろうからと
おにぎりとかを持ってきてくれた。
幼馴染さんからは、クッキー。
うれしい。ありがとう。
でもお腹はすいてるけど、食べたくない。
一口程度しか食べられなかった。ごめんね。


会社を20時少し前に出た
21時位に病院に着いた。
父とA子がいた。

呼吸が荒くなったりしている。
肝不全独特の痙攣等があるとA子からメールを貰っていた。
主治医曰く数日がヤマでしょう、と。


この日は病院から数駅離れたホテルにA子と泊まった。
あまり病院から離れたくない
でも親元で父と一緒に過ごしたくない
そんな気持ちだった。
環境が変わったからか、私達は比較的落ち着いていた。


2002年07月25日(木) 日記と言うよりメモ(来客)

昨日連絡をした人が皆来た。

朝、A君と3人で病院に行く。
8時半集合。9時半、病院着。
病室に父がいた。A君と父を合わせると面倒なので
父に会社に行くよう促す。
A君が来たことを母は喜んでいた。
A君は病室では泣かなかった。
手とか触っても良いですか?
頷く母。
早く元気になってくださいね。
あぁもう時間だ。すみませんが会社に行きますね。
部屋を後にしたA君の姿が見えなくなったあたりで
母が小さな声で
ありがとうございます
確かにそう言った。

A君からメール
あれ以上病室にいて泣くのを堪えることはできなかった。
ありがとう。

入れ違いに叔母が来た。
持ってきたミカンを、絞り冷やして母に飲ませたら
飲みきったそうだ。美味しかったのね。
ミカン食べたけど美味しかったもん。
よかったね。

母の友達が来た。
頑張ってって言われるのイヤなのよね。でも頑張ってね。
30分位いたと思う。


母の幼馴染が来たそうだ。もう1人の幼馴染を連れて。
ジュースをご馳走になったと妹が言っていた。

「病室には泊まってるの?」
そう聞かれることにイラつきを覚える。
月曜に看護婦さんから友達が来ていた母へ
娘さんに病室に泊まってもらう?と言われたそうだ。
やだわ、私そんなに悪いのかしら?と友達に
文句を言ったそうだ。
その友達から、「泊まってるの?」と聞かれ
ちょっと落ち込む。


呼吸が荒く、熱もある。解熱剤は血圧を下げる為
使えないと言われた。


給湯室で洗物をしていると、主治医がやってきて
万が一の時、人工呼吸気を使うかどうするかを
家族で話し合って決めてくれと言われた。

延命は本人も望んでなかったし、人工呼吸気を
取り外すことはできないかもしれないと思います。
間に合ったらそれが1番良いんですけど・・・。

そうだね、取り付けた場合、家族は
それを外しきれないことが多いからね。
ただ、心臓は時間の問題だからね。
本当に良く考えて。

妹に伝える。同じ意見だ。
母はドナーカードも持っているし、延命は望んでない。
父には電話で話した。
父も似たような考えだった。



どうなっちゃうんだろう


2002年07月24日(水) 日記と言うよりメモ(妹からのメール・母の様態)

母の呼吸が荒く、熱もある。
ベッドが高くなった。
心電図計?が付けられた。
異常があるとナースステーションで鳴るらしい。


主治医は何か言ってた?
何か電気系統は増えた?
酸素は前のまま?
そっちに行こうか?


何も特に言ってない
増えてない
前のまま
私には決められない。


私は今日、病院に行かないことを選択した。

何かあったらそれは私の「業」なんだろう
諦めたり、現実から目を背けることなく
そして母の望むことを考えて動こう


こちらに戻ってきた妹は、母の友人に電話をかけた
遊び仲間と、幼馴染に。
連絡先は、母のアドレスから書き写したもの。
月曜にお見舞いに来てくれた時と様子が違うことを
伝える。

叔母(母の姉)への連絡は私がした。
叔母は、祖母に伝えることを悩んでいる。
祖母は、今年のGWにこっちへ出てきて母と再会した。


2002年07月23日(火) 日記と言うよりメモ(午前中病院へ)

早起きをして10時に親元の駅へついた
母に飲みやすいカップを買って病室へ行く
よっ!
声をかけたが、こっちを向いたか判らない
目が開かない
私の声は聞こえてるようだ

ベッドのそばで声をかけた
水飲む?
頷く母
あんまり冷たいのは、お腹壊すといけないからね
そう良いながらもカップに水滴がつく位の水
ストローを唇につけると一気にゴクゴク飲み出した
後でちゃんとあげるから!(笑)
そう言うのにストローから口を離さない

『結構構飲んだな』そう思いながらも
かき氷があることを知らせると
口をあける母。
でも大きく開いた口が3口目には
あまり開かなくなった。
食べるか聞くと、悩むように首を傾げたので
やめた


点滴を代えた時にジョイントが甘かったらしく
外れてしまいベッドがぬれた
ベッドマットまでぬれた
母のパジャマもぬれた
でも母は何も言わない
私が気がついて、看護婦さんに言った
ベッドの交換を4人掛りでしてくれた
皆汗だく。女性ばかり。ものすごい重労働だ。

母はもう自力で横になることもできない
体を横にしてパジャマを着替えさせる時
どうするかそのままの状態で悩んで相談していた
母の顔がゆがむ
母の体を戻してください
思わず言ってしまった
ごめんごめん、辛いよね。一気にやるからね。
ベッドの交換と着替えとを終えたのは
点滴漏れを見つけてから1時間経っていた
ぐったりしている母

足の甲のむくみだけでもと思っていたので
片足30分程度さすたり
団扇で母に風を送ったり
2時間ほど黙って過ごした


探し物が見つからないと、言い出した
物が多いし、今は探すのは無理だから又今度探そうと答えた

氷を買いに出る、と声をかけると頷いた
病室に戻って声をかける
ただいま。
おかえり。暑かったでしょご苦労さん。
今日は暑いよー私でもバテバテだよ。
そっかー。
会話が成立した。

その後は会話は成立していない。
母の目を見てない。
やがて妹が来たので、私は会社に向かった。

また一段と悪くなったような感じを受けた。


2002年07月22日(月) 日記と言うよりメモ(主治医からの説明)

ここ10日間ほどで悪くなってきている。
ガンの力と本人の体力で、本人の体力が勝っていたのが
逆転した。
会話がかみ合わないことも出てきた。
管を昨日から入れているが、肝臓と腎臓の働きが悪く、
おしっこも出にくくなっている。
眠っている時間が長いのは、ガンが起きている分の
体力(栄養)を奪っているから。

食べたいものや飲みたいものは、本人が希望したら
量は問わない。(量がこなせない)
腸は閉塞気味かな。

会話がかみ合わないのは分解できないアンモニアが
脳に蓄積されてそうなるから、それを分解する薬を使用する。
点滴のモルヒネは100mlのまま。
痛みは強くなっていないようだ。
これからも痛みは強くはならないと思う。
もっと寝ている時間が増えると思う。

肝腎不全の可能性が80%。
あと1〜2週間。
この状態でも1ヶ月頑張れる人もいるんだよ。


ちくしょう。


2002年07月21日(日) 日記と言うよりメモ(帰り際の行動)

私が午前中、病院につくように出た。
12時を少し回った位。
よっ!声をかけて病室に入った。

リンゴがボケてた。
ん?
リンゴを食べたけどボケてたの。
そっか。
やっぱスイカが美味しいね。
あはは、旬のスイカには美味しさ勝てないよね。
お父さんが剥いてくれたんだけどね。
あらーそうなんだ。
うん、せっかくお父さんが
剥いてくれたけど美味しくなかったの。
突然、母が
赤ちゃん可愛いねぇと言ってニッコリした。
赤ちゃん?誰?
アヤネちゃん。
アヤネちゃん?『親戚にいたっけ?』どこの子?
母は、半ギレになりながら
なんで何で何でって聞くの!もー!
イズミモトヤの所のアヤネちゃん!!
『ワケが判らない・・・』
知らないよ、ワイドショー見てないもん。
なんでよ!
会社に行ってるから。
・・・。

14時頃看護婦さんが母の点滴を見に来た。
その瞬間、母が
お母さんのことだけ考えていれば良いの
と言った。
唖然とした。
今まで人を気遣うことしか考えなかった母が
何を言い出したのか、自分の耳を疑った。
今の私に言ったの?
そう。
私はお母さんが、ボケてないと思って
接してるからね。変だと思ったら突っ込むよ。
・・・。
しっかりしなさいよ!あんたそんなこと言う
母親じゃなかったでしょ!
・・・・。
目を閉じてしまった。
眠っているんだか起きているんだかもう判らない。

時間だけが過ぎていく。

私も母のそばでウトウトした。
暑くなってきたので
お水飲む?
頷く母。
一気に結構な量を飲んだ。
と言っても普通の人の3口分位だ。

やがて妹が来て、父が来た。
リンゴが美味しくないと文句を言う父に
だったら自分で探して買ってみたら?と言いたいのを
ぐっとこらえ、桃は食べないと言ってるのに
桃を持ってきた父に、桃をまた持たせた。

父が帰り、私達も帰る時間が近づいてきた。
そろそろ帰るよ?
手を差し出す母。
ん?起きあがるの?ちょちょっと待って。
背負ったリュックを慌てて下ろす。
妹と片手ずつ引っ張り、
妹が母の後ろに座り、人間座椅子状態だ。
どうした?
じっと顔を見られる。
起きたかった?
頷く母。
2〜3分バカ話をして
そろそろ疲れるといけないからね
またベッドへ横にした。



私が昼間、怒ったことを母は理解したのだと思ったら
切なくて帰り道涙が出た。
やっぱり母のことだけを
考えていいのかもしれないと思った。


2002年07月20日(土) 日記と言うよりメモ(衰弱)

病室に行く。


昨日の出来事を看護婦さんと
母から所々聞く。


母が話しているときは目をあけているが、
あまり目をあけてくれない。
足の冷えは解消したようだが
足のむくみは相変わらずだ。

昨日のこともあり、
ポータブルトイレに立つことを断念。
衰弱していくのがはっきり
素人目にも判るほどだった。


熱いタオルで顔を拭いた。
嬉しそうにニコーっとする。
へへっ。

氷をコリコリ言わせながらかじってる。
でも食欲はないようであまり食べない。
スイカを3口と白熊君(かき氷)を5口。


そろそろ帰るよ
あっちに帰るの?
うん。だってこっちは今日無理だもん
・・・・。
大丈夫なんかあったらタクシーで3、40分だから、ね。
頷く母。
何かあったら携帯に電話して。
そう言い残して病室を後にした。


2002年07月19日(金) 日記と言うよりメモ(ショックだった)

翌日、母が寝ている病室で聞いた

夜中に起きてベッドに戻る時
転倒しナースコールにも手が届かず
かすれた声で
娘さん達の名前を呼んでいたみたいなのよ
他の部屋の人が気がついたみたいで
判ったの



母の気持ち


母の言動がおかしい。
自己中心的なことを激しく言うようになったのは
多分前日

お母さんは何とかの宝だから
お母さんを大事にしなくちゃいけないの。

大事にされてることと、
いつも一緒にいることは
母にとって
同じことなのかもしれない。


2002年07月18日(木) 日記と言うよりメモ(病室へ平日に行く・話し合い)

よっ!
声をかけて病室に入った。うとうとしていた母は片目をあけた。
私が平日に病室を訪れたが、あまり驚いた感じは受けなかった。

アイス買ってきたよん♪バニラとストロベリーどっちが良い?
バニラ〜!!あぁーん(大口あけて待つ)
冷たくておいひー(笑)

なんか食べたの?
ううん。起きあがれないから食べてないの
でも、アイス食べたらお腹すいてきたような気がする。
あははは、そっか。何食べる?スイカあるよ?
スイカ食べる!けど・・・もうアイスないの?
あるけど苺だよ。チョコのは私、苺は1個づつね。ハイ(ポイ)
母の口にほおりこんだ。
ベッドを起こし、スイカを食べ出す。

お腹が大きくなっているから、自力で起きあがれない。
冷蔵庫に手が届かない。届くのは水だけ。
妹は、会社を早退して病室に行ってることになっているので
午後にならないと顔を出さない。

父が来た。今日は接待があるから、夕方は来れないから今来たと言ってた。

父もいるので、母の氷を買いに出た。
シャーベット状の飲料水が売っていた。美味しそう。
つい買ってしまい、病室へ戻る。
目ざとく母が「美味しそうなもの持ってるー!」
A子に見つかったら叱られるから内緒だよ(笑)
ストローのまま飲ませようとしたが吸えない。
あー飲めなきゃ飲むなってことだよ?
いたずらっぽく言ってみた。
ストローを自分が使ってるのに変えたら飲めると
言い張るので変えたら、ホントに飲めた(笑)
アイスが小さく二口分しかなかったので
結構こっちを飲んだ。2回こぼした。

父が帰り、薬を飲ませ、ベッドを降ろす。
思ったより体調はよさそうに見える。
ゆるやかに悪くなってるのは否定できない。

1人で移動できない為、お手洗いを看護婦さんに
介添えしてもらっているようだった。
お手洗いを促すが、話している間に寝てしまう。

A子が来た。母が口にしたものをメモして渡し
私は病室を後にすることにした。
今日は昨日より足のむくみも引いてるし、顔色も良いね。
うん、調子良いのよ。
午前中は調子良いのかな?なんて思いながら、二人の会話を後にした。


私が会社に戻った夕方、A子からメール。
主治医がお話がありますから、月曜に来てくださいと言われた。

・・・やぁな気分だ。


家に戻ったA子から
Zが午前中しかも平日病院に来たから、ビックリしたって
父が夜に来て、母の足を自分(A子)の見真似で触るしうざかった
見舞い客が来て、母は少し泣いた
Zがアイスをちょっとしかくれなかった。だから
アイスは?って言われてないよ?って言ったら
アイスー!って文句言われたから買いに行ったわよ
と言われた。

午後はあんなに元気じゃないし、食欲も全然なくてスイカも
1口2口で、飽きたとか言って食べなかったよ。
とも言われた。


月曜の話は、夜にしてもらうようにお願いした。
こんな気分のまま月曜まで過ごすのかぁ。


2002年07月17日(水) 日記と言うよりメモ(低酸素)

妹からメール

鼻にチューブで酸素入れてる

理由は?

低酸素らしい


呼吸困難とは違うようだ。
呼吸をしていても、少ない量しか肺に酸素が
送りこまれていない状態が考えられる。のかな。


今日は会議があって身動き取れない
でも、動揺した。
イヤホンで音楽を聞いて動揺をやり過ごす。


妹の話しを聞くと、今までで1番良くない状態に
聞こえる。
明日、午前中に母の所へ私が行くコトにする。


2002年07月14日(日) 日記と言うよりメモ(変わらず)

体調は昨日より良いと言うが、あまり見た目に
さほど良くなった感じはしない。

昨日は叔母が来てくれ、話も弾んでいた。
シャワーも浴びた。

今日は寝てばかりだ。



焦燥感

寝ている母を見ていると恐くなる。
たまらずつい声をかけてしまう。
眠そうに片目をあける。
一言も言葉を交わさないまま目を閉じる母。

不安だけが大きくなっていくのを止める方法を
私達は知らない。


2002年07月13日(土) 日記と言うよりメモ(良くない)

経過が良くない気がする。

1週間ぶりに顔を見たが、先週より
お腹が大きくなっている。


昨日から食事制限が始まってしまった。
果物などお腹に溜まらないものなら可。

口内炎はずいぶん治まったのに。
今度は腹水だ。

毎日1リットル程度は出ているのに
お腹がへこまない。

足のむくみも、ひどい。
パンパンに皮膚が伸びてつるっつるだ。
撫でても痛いと言う。
足が曲がらない。


お腹の張りがひどいので、自力で起きあがるコトが困難。
足のむくみがひどいので、足の力だけでベッドから
足を降ろすコトが、できない。


ひとつづつとは言うものの・・・。


2002年07月12日(金) おめでとう

Haapy Birthday


2002年07月11日(木) カギ

妹からのメール

父が「また」カギ落としたって泣きついてきた。
電車に乗ってメール読み終えて、降りようとしたら
発車のチャイムが聞こえて焦った。
ってことで30分、帰りが予定より遅れるわ。

「また」は、今年に入って2度目だ。
忘れ物も落し物も仕方ないと思う。
でも、落としたカギを探しに行こうとしない
姿勢は気に入らない(笑)

前回もそうだった。
結局居酒屋で、支払をした時に落としたらしいが
そこに探しに行けと、私達が言ったから父は行った。

一旦家に戻った3人は、1人では行かない父に
探させる為、歩いた通りをもう1度同じように歩いた。

ないね。
後はこの店だけだけど閉まってるから明日行きなよ。


カギがないならカギを替えてよ。
やっぱり心配だよ。
そう私達は頼んだ。
ここは田舎だから、そんなことしないで大丈夫
出たー!父の理由。
窓を開けたまま寝るのも、鍵をかけないまま外出したり
どれも同じ理由を言う。
確かに田舎だけどね。
田舎で事件は起きないのか?
って言うか、そういう問題じゃないと私達は思うんだけど
父はそれに同意してるんだか、どーなんだかわからん。


イヤ、別にどうでもいい。
ただ、家で父が一人でいる時に事件に巻き込まれた場合
母や妹が「私がもっと〜だったら」と悔やむのを見たくないだけ。
父が「多少」痛い思いをするのは構わない。
「良い薬だ」程度にしか私は感じないと思う。

痛がってる人を目の前にして、さすがの私でも
いくら父でも「ざまーみろ」とは思わないし
言わないわよ。


ちなみに
妹が電車を降り、父が駅まで妹のカギを取りに来た。
妹は電車に乗ってこっちに戻ってきていた。
20分ほど経って父からメールが来たそうだ。
「あった」

はぁ・・・。お疲れさんA子。


キーホルダーを父の誕生日に
プレゼントするコト決定。


2002年07月10日(水) 日記と言うよりメモ(便秘)

母のお腹が膨らんでいる
触ると柔らかい
腹水は相変わらず一定量を抜いている

なのに、前より大きくなったみたいに
見える
些細なコトも、良くない方に思考が転がる


排便が五日間ほどなかった
最初に退院した時、主治医からは
三日間排便がない場合は病院に来てくださいって
言われた


それを越したが、特に何も変わった様子は感じない

排便はあった
でもお腹は小さくなってない
んーーーーーーーーーーーー。


2002年07月07日(日) 日記と言うよりメモ(外泊戻り・母と話す)

夜中にボルタレンを使ったコトを朝、聞く。
今は寝ている母の様子を何気なく見る。
落ち着いてるように見える。

妹が朝ご飯を作る。母に声をかける。

朝ご飯だけど、うどんとパンケーキどっちが良い?
パンケーキ
片目だけ開けて返事をする母。

仕度はすっかり整った。
母の目が開かない。
いっただきまぁーす!!でかい声で言う。

片目が開いた。

ゆっくり起きあがって食事を済ませる。

またベッドに横になる。
その直前に
少し近くを歩きたいなと言われた。
簡易式の車椅子に乗ってでも良いからと。
うーん。今は暑いから私達だって体力消耗するから、
もう少し涼しくならないとなぁ。朝早くとかね?
・・・。

眠っていた母がお腹が痛いと言い出した。
ボルタレンを使うことになった。
10時
病院に帰ると約束した時間だった。
病院に1時間ほど遅れるコトを伝え、少し休ませる。
10時40分まで3人で雑魚寝状態。

タイマーが鳴った。
そろそろ病院行こうか?
母を起こすと、足に力が入らないと言い出した。
ほんの少し動揺した。

やっぱり銀行行けなかったね。
そうボソッと言う母の目を見て
タクシーで寄るのならありだよ?と答えた。

足に力が入らない母を、抱き起こそうと体を寄せたときに
耳元で確かにこう言った。
こんなに疲れるんじゃ、もう家に帰るのよそうかな。
聞こえないフリをするか、一瞬悩んだ。
妹の言う、こっちが母に体を近づけた時、
小さい声でボソッと予期していないコトを突然言う。
しかも、返答ができないようなコトを、
こちらの反応をうかがうように、
まるで試されてるような気がすると言ってたやつだ。

疲れた?私達は先週より疲れてないけど?
そう答えた。
帰る帰らないは、主治医の判断もある。母の意思もある。
だからそこには返事をしなかった。
本当は、できなかったのかもしれない。

直接病院へ向かった。

午後
病室で少し話をしたくなったので、妹だけを親元に帰す。
(家で父と妹で、一悶着あったようだった)

これからどうしたいのか?尋ねた。

まず病気を治して、その後のコトは考えてないんだぁ。
お母さんの病気は、病気と共存するしか今の医学では難しいよ?
A子が健康補助食品持ってきてるのだって、あんた飲んでないでしょ?
あれはA子の好意だと思ってる。でもしんどいの。
でも、すっごいあの子も不安なんだよ?みんなお母さんに、
元気で長生きして欲しいって、思ってるんだよ。
ハンカチを渡した。

お父さんとコレからも過ごしたいの?
小姑が父の面倒を、できれば良いけど多分無理だと思うの。でも
私は、年寄りをほおり出すコトはできない。
ハンカチを渡した。
それって私が面倒見るんじゃダメなんでしょ?安心できないわよね?
A子なら安心なんでしょ?
頷く母。
でも、それってどうなるか判ってるよね?
A子の弱い所をお父さんが突いてきて、縛ると思う。
だよね?そうなったらどうなるか判るよね?
あの子も私と一緒で流されるから・・・、
私は、自分の親の面倒を自分が見れてないから、
私も子供に、自分の面倒を見てもらおうとは思っていない。でも
テレビとかじゃ、妻が病気になって会社辞めてまで、
看病したりしてる人もいるのに・・・。
ハンカチを渡しながら、
それがウチのお父さん。お母さんはお父さんに、
いつもどうりにしてて良いですよって言ったでしょ?
・・・。


何度か同じテーマで母とは話している。
家族で1度話し合った。もちろん進展ナシだった。
父からは意見を求められることはない。
なぜだかいつも結果報告。


母に言いはしなかったけど
病気の母が、小姑以上に父の面倒を見るコトは
無理だと思っている。
母の面倒を見ているA子が、小姑以上に父の面倒を見るコトも
同じく無理だと思っている。
たとえA子が「やる!」と言ったとしても「絶対」A子の心が壊れる。
その時、彼女達を支えきれると、今の私には断言できない。

私の腹は決まっている。
守りたいもの(人)は、どうやってでも守る。
その為に、足手まといになると思うものは切り捨てる。
この手は2本しかない。
母と妹を抱えたら、もう何も抱えるコトはできない。
頭も心も1個しかない。ひとつのコトしか考えられない。
守りたいものは絶対に守る。その為に使いたい。

これをなんと言うか、私には判らない。
でも誰にでも、いつか絶対に守りたいものができると思う。
私には、それがこの二人だってコトなだけ。


2002年07月06日(土) 日記と言うよりメモ(外泊・よっぱー父)

東急ハンズあたりでルームライトを探すつもりで
少し早く家を出た。
久しぶりに足を伸ばした喫茶店で、お茶していると
母から妹にメールが入った。

今日外泊していいって。

え?正直二人に動揺が走る。
先週脱水症状で、母も私達も散々な目に会ったのに
もう今週外泊許可が出る?
正直、外泊は嬉しいけど大変。複雑だ。

妹は食事を何にするか、体調の変化は?等
多岐にわたって思案するコトがある。
私は・・・あんまりするコトはないけど
妹と母のフォローだ。
私は対したことはしてないから良いけど
母と妹を見てると大変なのはよく判る。
父がいるだけ腹が立つコトもかなりある。


ルームライトを探したけどなかったので
病院へ行く。
夕方から外泊で、明日の午前中に戻ることになった。
ヨシ!今度は脱水症状は出さないからね。
声に出して三人で誓う。

夜ご飯と朝ご飯を家で食べる。
点滴を18時頃までに終わらせる。
戻りは、明日10時目標。

点滴が終わるまで何もできないが、
病院でお風呂に入れてしまう。

明日の食事と今日の食事を何にするか考えたが
母がそうめんを希望したのでそうすることになった。
わーいそうめん私も好きなんだ。

大きな体調の変化はなく家に帰りつく。

そうめんが晩御飯だったので父が外食しに出た。
戻ってきた父はアルコール付け。

お風呂から出ると、酔っ払った父が妹にからんでいる。
私に言わないコトを、ぐちゃぐちゃ言ってる所だった。
俺がそんなになったらお前達には言わないで
山にでも入ってこっそり死ぬみたいなコト。

風呂上りで頭に血が上ってるからか、不思議と腹が立たなかったので
うんうん。と私は声に出して返事をした。
妹は半べそをかきそうな顔をしていた。
父の相手をしないでいいからと促し、妹を部屋から出す。
途端に、父も寝る体制に入る。
『フッ・・・アタシに何で言わない?
言ったら「あっそー」で終わるからだろう?
止めて欲しいだけなんじゃないの?おとーさんよぉ』
声には出さない。母がいるから、妹がいるから。

寝ないの?寝たら?
そう声をかけたら、
俺が何も言わないで寝ようとしてるのに何で声をかけるんだ?
よく判らないことを言ってきた。
考えると腹が立つので思考停止。
そりゃ失礼
扇風機で髪を乾かすコトに専念した。


25時。
先週大変だった時間。
何事もないように時間が過ぎたように見えたのは
私だけだったのか?
妹と母を残し寝床に向かったが、
母の痛みが出て痛み止めを使用したらしい。
全然気がつかずに父が咳き込んだのを聞きながら
医者に行けよコイツと小さくつぶやいて
ぶら下がっている洗濯物を睨み付けてた。


2002年07月05日(金) 疲れて来たぞぉーい

なんだか「だりぃー」ってつぶやきたい気分。

明日病院に行くけど、親元に泊まりたくない。
こっち帰って来てマッサージにでも行きたいかも。
父のぐだぐだを聞きたくないし。
体の疲れなのか判らないけどだるい。
早くも夏バテ?
2、3日暑かったからな。


2002年07月04日(木) 医者に行くほどじゃないような?

なにかあったっけな。
なんも思い出せない(-_-;)

あぁそうだ。
1個思い出した

肩こりが進んでるのか
エアコンの社内のせいか
右利きのせいか
パソコンを使うからか
判らないけど左耳の出っ張ったトコ?
あたりが痛い時がある
右肘から手首にかけてはしびれる?
んー?温度を感じないっていうか
そんな感じがある。

マッサージに行こうにもなぁ
時間が合わないっちゅーかなんちゅーか。


2002年07月01日(月) すっきりしない

なんかなぁ・・・。
昨日のドタバタのせいかスッキリしない。
まだ体調もぼんやりしてる。
もちろん頭も(笑)

どうしたらスッキリするか考えた。

炭酸水のシャワーを浴びる?
ゼリーのプールでぼよんぼよん?
一日寝る?
「美味しい」ものを食べる?
クタクタになるまで泳ぐ?

なんだかどれもできそうで
できないことばっかり。

取りあえず
柑橘系の入浴剤を2袋用意して
お風呂に入ろう。

お風呂上りにビールと行きたい所だけど(笑)
今は酔っ払いたくないから飲まない。
麦茶をぐびぐびー。
夏らしいパッケージの麦茶。
ちょっとスッキリしたかな?
んー安上がりだわ。


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