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題名に、「日記と言うよりメモ」の言葉が含まれた場合は、 母の様子や入院等についての内容が書かれています。 ここに、ガンのコトが少し書いてあります。


2002年06月30日(日) 日記と言うよりメモ(外泊、失敗だったかな)

今回、食事中や食後は読むのを避けた方が良いと思います。


7時、妹からの電話で起こされた。起こしてくれと昨日頼んだ。
7時5分、また妹から電話だ。
『ん?連続してはヘン』慌てて着替えて、妹のそばに行く。

どした?
昨日あれからお母さんお腹こわしてる。
氷の食べすぎ?家で何も食事してないよね?
うん。何も食べてない。
だよね?


どーした?P子なんだって?
うん。さっきからトイレとベッドを往復してばっかりなのよ。
お腹こわしてるときは水分取らないと、脱水症状起こすよ。
うん。
冷たいのはお腹こわしてるから、白湯飲める?
うーん。
一口で良いから飲んで、ほら。
ベッドで横になったままの母に、妹が用意した白湯を勧める。
何とか一口飲んだ。


何度トイレに行ったか判らなくなった時
突然、母の体から力が抜ける。

起き上がれない。
目を見開いたまま私を凝視する。手を差し出すこともないまま。

正直、背筋がぞっとした。
痴呆の症状か?一瞬そんなコトが浮かんだ。

引きずるようにトイレへ母を連れていく。
お父さんは?
ご飯に出たよ。
まだ戻らないの?
いーから、あてにしないの!!
なんだかヤケクソ気味に母に言ってしまった。

何度か母を連れてトイレに行った時、もう一人でじっと座っていることが
できない状態になった。上半身が安定しない状態で、ふにゃふにゃ。
それでも目は、相変わらず相手を凝視する。
母の目に負けそうになる。だめだ負けちゃ。同じように見返す。

できない!
トイレで母が叫ぶ。
一緒にトイレに入り、できる!と私が叫び返す。

瑞から見たら滑稽だろう。異様かもしれない。
私をオニと思うかもしれない。母を哀れかと思うかもしれない。
そんなこたーどうでもいい。
今、目の前にいる母の状況でこちらができるコトと
母が望むコトの折り合いをつけるコトだ。

どうして良いか判らない。
ぼそっと、力なくつぶやいた。それでも私を凝視したまま。
判らないなら私が決めてやる。同じように母を凝視したまま答えた。
できるからやってみ?

手伝うことは嫌じゃない。
でも、力が入るようになった母が、それを思い出した時、どう思う?
情けないと思うだろう。それが絶対に私は嫌だ。
母は自分の意思で何もできなくなったワケじゃない。
本当にできないのか見極めたい。
できないことは、できるやつがやれば良い。
それは何に対しても、私はそう思っている。


何時間、同じコトを繰り返したか判らなくなった。

ベッドに横になったまま、お腹が痛いと言われ、お腹をさする。
吐き気がすると言われ、背中をさする。妹と二人で母をさする。
トイレ!と叫ばれ、肩を貸しトイレに連れていく。
下着はもう何回か替えた。
それを自分で後始末できないことを気にする母。
仕方ない、紙パンツ買うか。
12時、妹に買って来てもらうコトにした。
でも何て言って勧めるか・・・。
お母さん?悪いけどコレだと紙パンツだから汚したら
捨てるだけだし、自分でもできるでしょ?ね。
今、お腹こわしてるから、今はこれで我慢して。
無言で頷く母。どう思ったか判らない。
情けないと思ったのかな・・・そうじゃないと良いけど。


まるで、もどす様に欠伸をする。奇声を発する。
もうこちらの感覚も麻痺した。

13時、座っている体も、ずるずる落ちてきてしまう。

もう私じゃ支えきれない。

お父さん。母が呼んだ。
父が手を貸す。父が母を家で支えるのははじめてだ。

おとーさん、痛い!!トイレ行きたいの!母が怒ってる。
やっぱり母の意識は、ハッキリしている。

仕方ない。
お母さん?ちょっと早いけど病院行こう。タクシーか救急車だよ。
母が頷く。
父にタクシーを捜させる。
悪いんだけど、車椅子のまま乗れるタクシーはないか探して。
探せない、探す手立てがない、と首を振る父。
ハッ?切れそうになった(笑)
電話帳が棚の上にあるから、タクシー会社を捜して聞いて。
判った。
該当するタクシーはなかった、その代わり
個人介護タクシーがあったので、お願いした。
後ろの席で横にしたまま乗せる。
全員がタクシーに乗りこんだ。私と妹は後ろの足元にしゃがむ。

14時、病院に着いた。
車椅子を探しに父が出た。
運転手さんはストレッチャーが良いと言い、看護婦さんを探してくれた。
看護婦さんがストレッチャーを持ってきた。
別の看護婦さんも車椅子を持って来てくれた。

看護婦さんが声をかける。
判るー?
目を開けて反応するが動かない。
動ける?
目は開けるが動かない。
無理っぽいねぇー。じゃこっちに乗せるからね?
二人がかりで乗せかえた。

すぐに点滴の仕度が始まる。
ふにゃふにゃの母を見て
症状と時間、口にしたものを確認される。
昨日の夜からお腹をこわしたこと
家に帰ってから食べ物は食べていないこと
こんなになったのは、12時過ぎたあたり

看護婦さんが
調子悪い時っていつもこんなになっちゃうの?
と聞いてきた。
いつもじゃないけど、食後は力が抜けることは
病院でもあるみたいです。
ココまでひどいのはなかったよね?
そっかー。ちょっと点滴をして様子を見ようね。
ハイ。

しばらく横になって車に乗せたからか
何も出ないのに、もどしてしまった。

気持ちが悪い何とかしてもらって。
ブザーで看護婦さんにお願いする。
何とかしてって・・・?
母がまた吐いた。それが聞こえたのか
今行くね、ちょっと待ってね。

ポータブルトイレも用意してもらった。

点滴に、痛み止めだの何だの入れてもらったらしく、
30分もしないうちに母は寝息を立て出した。

一時間ほど眠っているので様態が安定したと
判断した私達は食事をしていないコトに気がついた。
お腹すいたし、帰り仕度もしてないし親元に帰ることにした。

母にメモを残して帰った。

4:15
1回家に帰ってまた来るね。一時間くらいで戻るから。
トイレは看護婦さんを呼んでねって言われたから呼ぶこと!


何時の間にか病室から居なくなった父は
家でゴルフを見ていた。

軽く外で食事をして病室に向かった。

やがて看護婦さんが来た。
さっきおトイレに起きたけど、足もしっかりしてたし
もう大丈夫だと思うよ。
そうですか。
なんだったんでしょうか?
うーん退院するのに点滴急いで入れて、
バチっと終わらせたからかもしれないねー。
そうですか。
でももう多分大丈夫よ。
ハイ。

原因が判らないコトは不安だ。


母も目を覚ました。
自力でベッドから起きあがった。
あれ?足のむくみが・・・!
あ?ホントだ。
引いている。なんだ????
しかも外のトイレに行ってみようかなと言い出した。
うーーーーーーーーーーーん私は反対だけど。
無理なら止める。
ちょうど看護婦さんが通りかかった。
事情を説明してどう思うか聞いてみた。
一人じゃダメ。無理なら止める。ってことだった。
じゃ一緒に行ってみようか。
下着を少し汚したと言うので替えるように言い、
一人で替えられるか聞いてみた。
やってみる。
じゃ待ってるねー。
そうは答えたが頭が低くなるか、足を高く上げないと無理なので
入り口にくっついて立って待っていた。
やっぱり無理みたい。
でしょ?カギ開けて。
中に入って手伝う。
ほいっ、自分で上げな。
あ、できた。
そーだね。
二人でちょっと笑った。

あっという間に面会時間終了の合図。
そんじゃ帰るよ。
おどけて泣きまねをする母。
おどけたように見せて母の本心だって、二人とも気がついていたけど
気がつかないフリをして帰った。
フリ切らないと、終わりがない。それは皆判っているから。


家に戻った妹が
今回の症状を調べた所、やはり脱水症状らしい。
下痢で脱水症状を起こし、それがひどくなると
脱力、嘔吐、発熱を伴う。
母は今回、口内炎がひどく喉が乾いても
水分をあまり口から摂取していなかった。
私達も、お腹をこわしているからと
あまり冷たいものは飲ませていなかった。
常温の水分を取らせることが少なすぎたのだろう。


母は外泊が恐くなったと言っていた。
失敗した。


2002年06月29日(土) 日記と言うよりメモ(外泊)

朝、母からメールがきた。

主治医から外泊して良いって。

いっつも急でこっちも嬉しい反面、正直焦る。
受け入れ体制が整っているわけではない。

母の寝床を用意する
着替えを用意する(タオル等含む)
食べ物、飲み物を用意する
それだけでなく、
母本人からのリクエストだってある。
こっちの都合は一切なし。
あってもナシ。
そうしないと対応できないもん。
体調によってはできないこともあるけど。


はじめての夜からの外泊。
日曜からの外泊だと月曜に、私達のどちらかが
会社を午前中、休むコトになるのを気にして
母が、19時から翌日20時迄を希望した。

家に帰る前に、母の着替えを取りに戻る。
何でも良いと言っても
何でも良くないのが母だ。
スカート2点・アンサンブル2点を持って
病室で、本人に選ばせるコトにする。
簡易式の車椅子を持っていくか
悩んで病院に持っていった。

はじめて母に車椅子を見せたが
意外と受け入れた。
本人にも不安があるのだろうと妹が言った。
かもなぁ。
取りあえず夕食は病院で済ませたので、
20時少し前に3人で帰ってきた。

居間にある楓の写真を見て涙を流す母。
つられる私は、母の傍からすぐに離れた。
ちょっと泣いて落ち着いたのか、一眠りする。

ウトウトしながらサッカーを見たり
話をしながら家族で過ごした。

21時
父は夕食を済ませる為外出している。

お風呂に入ってすっきりしたーと
ニコニコしてる母。
明日は何しようか?
銀行!!!
即答だった。
病院入ってると、自分のお金が
使わないから溜まるでしょ?
そうなのよね、くっくっく。
やー!今の笑い方、守銭奴みたいよ
あははは
三人で笑った。

やがて母はまた眠った。


体調は安定していたと思った。


25時から体調が崩れ出したが
こんなになるとは思わなかった。
私はそれに気がつかずに熟睡していた。
妹は寝られなかったようだ。


2002年06月27日(木) カプセル

中身が入ってないカプセルが売っている。
それをA子が買って帰ってきた。
1個に0.2g入る。

さて問題です。

1日、40g最低でも摂取する為に
カプセルは何個飲むことになりますか。
こちらの希望としては60gです。
この場合は何個ですか。
各g数で一日2回飲むとしたら
1回何個飲むことになりますか。

二人で2時間かけて130個作りました。
1分間に一人何個できたのでしょう。



1日40g=200個
1日60g=300個
40g1回あたり1日=100個
60g1回あたり1日=150個
一人1分=0.5個弱

気が遠くなる


2002年06月26日(水) 日記と言うよりメモ(減らない口内炎と、引かないむくみ)

良くないね。
家に戻った私に妹が言った。

足のむくみは一向に治まる気配がなく
昨日もんで足首の骨が見えたのも
今日は又元通りになっていた。
右足は相変わらず特にひどい。

触れるだけで痛がるけど
30分かけてなでてきた。
あのままにしておけないから。

口内炎も相変わらず。
痛みがひどくて今日は泣いてたと言われた。
どうも健康補助食品も口にはしているが
全部は飲んでないみたいなんだよね。
飲まないより良いから、となだめたが
私より母をそばで見ている妹には
気休めなんだろうな。


食欲も口内炎の痛みさえなければ、そこそこだ。
ずーっと付きまとっていたガン性の痛みからは
そこそこ解放され、体調も良くて上のフロアに
新聞を買いに行ったり、当然機嫌も悪くはない。
足のむくみと口内炎が今の問題。カナ


2002年06月25日(火) 日記と言うよりメモ(むくみと口内炎)

6/23から比べると、母の足のむくみがひどい。
今日は足首の骨が見えなくなり、
自分で曲げ伸ばしができないようだ。

左足は何とか軽く揉むコトができ、妹がマッサージをした。
ただ右足は、なでるだけでも痛がるようで
触ることもできなかったと言っていた。
どーにかこーにか、左足のマッサージを行う。
明日、むくみが引くと良いな。

むくみの原因は
やはり血管の浸透圧も関係しているようだ。
その他に肝機能の低下、リンパの流れ
栄養不良が原因にあがるようだ。
アルブミン?たまごの卵白に多く含まれているとかで
そう言えば・・・母の食事には必ずと言って良いほど
今のところ温泉たまごが出ている。


口内炎も相変わらずひどい状態で
口内炎で皮がむけまくっている。
(口の中を火傷して皮がはげる状態と似てる)
痛みの為、飲み物の食べ物も進まないようだ。

最初は痛みはなかったのだが
2週間ほど前から痛みを伴いだしたようだ。
口内炎に効く漢方薬を、病院から貰っているが
それも効かなくなっているみたいだ。


2002年06月24日(月) 日記と言うよりメモ(母からのメール三分粥)

午前中に母からメールがきた。

直訴成功!今日から三分粥。
やったー久しぶりでうれしー!(はぁと)

妹に転送。

先週から疑問に思っていた
「今までうどんを食べていたのに
なぜ
病院のご飯になったら重湯になったのか?」
その理由は間だ判らない。
おめでとーとは返したが半信半疑。


いつからだろう。病院のご飯って?
4月27日から食事制限が始まって
5月21日に茶碗蒸が最初だから
病院のご飯は重湯で、6月14日だったっけな?


こうやってみるとなんかすごいな
点滴だけで
4月27日から5月21日迄の約1ヶ月過ごす。
病気だから耐えられるのか?



母の抜け毛は、抗がん剤治療をはじめ
1週間以上経つが、ずいぶん少なくなった。
妹の持っていってる食事のおかげだと思う。
あと栄養補助ドリンクかな。
微量元素を含んだコレを飲むように勧めているが
母は二日に一本位しか飲まない。

抜け毛が減った代わりにか
口内炎がひどい。
粉とミソ飲もうかな?と自分から言い出した。


2002年06月22日(土) 変わった事ナシ

父と喧嘩したので顔をあわせたくないけど
母がこの間父とメールでもめた日
突然妹にこう言った
Zと父が私のコトで喧嘩しなきゃ良いけど。
(ドキッ)あの二人は前からケンカしてるじゃん。
そーだけどさ。
しかもケンカしてもお母さんが原因じゃないコトだって、
たくさんあるでしょ?(笑)
まぁね(笑)
だからお母さんがあの二人のコトを気にしないでいいよ。
そっか。
大人だしぃー。
あははは

えぇ妹が家に帰って来て
「大人になんなよ」と一蹴された私は姉です。
トホホ

母はカンが良いからバレるとまずい
目いっぱい父に愛想を振ってみる
小道具もあるし(遅れた父の日プレゼント)
まぁなんとかなったでしょう。
状況を理解している妹は冷や汗かいていたらしいケド
もめることもなく過ぎていった週末。


問題の通販商品は、来週の到着だった。
チッ1週間違った。
しないで良いケンカしちゃったぜ。


2002年06月20日(木) 日記と言うよりメモ(腹水を抜く)

また母のお腹が大きくなってきた。
一日二日であっという間に大きくなってしまう。
なんでだろう。
アルブミンが足りないとか、排出されるって言ってたな。

今日から腹水を抜くことになった。

主治医が病室のベッドに寝ている
母のお腹にエコーをあてながら、
管をさせるところを探している。
妹が立ち会った。
ここの黒いのが水ね。で、こっちが腸、
腸を避けて、水があるところを探してさすんだよ。
エコーを見ながら、主治医の説明を妹が受けた。


で、判った?
いやーあのスピードじゃ判らないね。
だよね。水は?
うん。大きいのが左に2箇所と小さいのが何箇所か。
ふーん。ガンは?
それが全然説明ないから判らないのよ。
そっかー。
お母さんも居るしね。
うん。

またしばらく退院は無理かな。
残念だけど大丈夫。
きっと元気に外泊させてみせるぞ。



今日はメールで父と喧嘩した。
思い出したくもない
けど忘れないようにかいとこっと。
通販で頼んだ商品の、親元への着日がきっかけ。

土曜は出勤だ。俺の予定を聞かないで頼むからだ。ばか者。
退院したら使うなって思ったから。
ばか馬鹿あほ。アレじゃ無理だ。
無理って誰が言った?主治医か?本人か?
タイトルそのままお返しします
無理って思ったら、できることもできないんじゃないの?

その父はお風邪を召したらしく
風気味だから病院へは行かない。
と妹にメールが来たそうだ。
さぁー?どうだか(笑)


2002年06月17日(月) 日記と言うよりメモ(足のむくみ・お腹が張る)

あまり良くないねぇ。
帰ってきた妹の第一声。


反対側から腹水を抜くことになるようだ。
母の希望。
見た目にも、少しお腹が大きくなったらしい。


足のむくみがひどい。
日曜も、足首を握ると跡が長いこと消えなかった。
リンパの流れか?
それはガンのせいか?寝ている時間が長いからか?
あぐらをかいて座るからか?同じ姿勢でいるからか?
どれも足がむくむ原因。
当てはまりすぎて判らない。


体調の良し悪しで私達の気持ちまで、
引きずられないようにしないと。
うん、判ってるんだけど。
うん、判るよ。



2002年06月15日(土) 日記と言うよりメモ(外泊はナシ)

外泊になった場合、親元でのお風呂で
足元がふらつくと言わていたので
簡易式の掴まえられるものを探すため
早めに家を出た。

介護用のお風呂の椅子はあるけど
希望したものは、なかった。
うーん、通販雑誌にはあるんだけどな。
そのかわり(?)車椅子を買った。
折りたたむと、バギーと見た目も変わらない。
退院する時使えそう。
本格的な車椅子ではなく、
介添えが必ず必要な車椅子。
この折畳式の車椅子は、即買いが多いそうだ。


病室に着くと元気そうな母の顔。
昨日の地震気がつかなかったんだって?(笑)
そーなのよ。熟睡してたわ(笑)
あっはっは、前からそうだもんね。
そーよね、病気になってから起きるようになっただけだからね。
病気が治ってないのに起きないくせにー。
え?そーだっけ。
あっはっは。


ぬか喜びだったみたいだ。
主治医から外泊の話は何も出ていないようだ。
そりゃ毎週毎週外泊なんて、抗がん剤治療が始まってるし
ムリだよ。自分に言い聞かせる。


母の食事を見ると、病院の食事が始まっている。
でも重湯・味噌汁(上澄みだけ)・ジュース(野菜か果物)で
600mlと表示がある。
妹が作っていたご飯より、お腹に溜まらない食事だ。
おかげでお腹がすくらしく、つまみ食いが多い(自己申告)。


明日は父の日。
あげるものは決めたけど、買いに行く時間がないので
少し後伸ばし。まぁいいでしょ。


2002年06月13日(木) 日記と言うよりメモ(管を抜く・飲み薬再開)

腹水のチューブを今日抜くって!
健康補助食品も今日一人で先に飲んだんだって!
妹から\(^_^)/なメールが届いた。

そっか、嬉しいけど心配もあるな。
お腹にガンが多数あるから、腹水の管をさす所が
あそこしかなかったって言われたことを
忘れることが出来ない。


腹水に関しては、今入れてるところからは
出が悪くなったようで反対側にさすかもしれないとのこと。
素人目にはお腹がぺったんこに
なってるように見えるけど、ゼロじゃないんだろうね。


今日から飲み薬の抗がん剤が始まった。
ヤツ(父)が口走った。
先週からじゃないか?と手帳を取りだし見る。
バーカ本人が今日って言ってんだから今日だよ
先週からって言ったらあんたいつ聞いたの?って
話になるだろう
と心の中でつぶやく妹だった。
案の定、母は怪訝そうな顔をしたそうだ。


病院の食事が始まるかもしれない。
これで妹が4月末から会社を休んでいるけど
多少行けるかもしれない。
七分粥程度からのスタートらしい。
ただ、母は主治医や看護婦の問いかけに
頷きはしていないが。


父の日のプレゼントはポロシャツにしたらどう?
母にそう言われたけど、買いに行く時間がナイ。
お風呂の補助道具もそう。
外泊がいつになるのか、明日には判るかな。



ヤツの言葉
最近は雨が降ってなくても、傘を持ち歩くんだ。
雨にぬれると、侘しい気持ちになるから。
迎えに来る人もいないからな。
母「あぁそれはすみませんでした」

これ、病室で母がいるトコで言う?
どういう神経してるのか判る人は教えて欲しいわ。


2002年06月10日(月) 日記と言うよりメモ(よく眠る母)

5時40分に父が起きてきた。
今日もゴルフ(土曜もコンペだった)。
昨日寝る前に
俺は明日ゴルフで5時半に起きるけど
お前達は寝てて良いぞ。

いつもそうだけど、なんか引っかかる言い方で
ちょっとカチンと来る。
けど、良いって言ったから起きないもーんだ。
とは言っても、目は覚める。
母と一緒に寝ているのは居間だ。
イヤでも部屋に入ってくるので、目は覚める。
それは母も一緒だ。

1ヶ月以上入院生活をしてたから、
シャバは良いけどやっぱり疲れるー
が今回の感想だった。

夜中に何度も目が覚めて、母に布団をかけたせいで
私も眠い。
自分で仕度をすると言ったので狸を決めこむ。
朝ごパンは買っておいてあげてるし、コーヒーは
自分で入れられるようになったし、うんうん。

母が目を覚ました時間
5時40分・6時・7時・8時・8時半・9時・9時45分・10時。
目が覚めて一瞬で寝てしまう。
寝た感覚も弱いみたいで、1時間や30分寝たつもりはなく
10分程度の転寝をした気分のようだ。
9時に目がさめた時は、8時のつもりだったみたいで
軽いパニックを起こした。
「私どうしちゃったの?」と焦っている。
大丈夫だよ、私がちゃんとわかってるから。
そう言うが何度も同じコトを繰り返す。
10時半には病院に戻るので、7時から私は寝なかった。
眠い・・・。
妹に頼まれた母の朝ご飯を作ると言う大役をこなす為だ。
甘くないパンケーキ。
パッケージの裏を熟読(?笑)し挑戦。
眠いから座らないぞ!
わーい!上手く焼けた。いい気になってハート型とか作ってみた。
できあがったら、なんだか判らなくなってた(笑)
小さく作らないとダメなんだな、ふーん。

病院では確か7時とかに朝ご飯だけど、
太陽の下に出て、体力もかなり消耗したはずだろうから
9時から真剣に母を起こす。
朝ご飯だよ?
え、何時?
9時、テレビも終わってるよ(NHKの朝ドラ)
私どうしちゃったの?
疲れて眠いんじゃないの?起きあがって。
力が入らない・・・。
え?
右足が筋肉痛かも・・・。
階段上がったからねぇ。
手貸して。
うん。
トイレに行ったが間に合わないかと思ったらしく
すんごい高速で歩いて、私を驚かせる。

もう寝かさないけどいい?
うん、そうして。
判った。
目を離すと寝てる。
おーい!奥さん!(笑)寝てるで?
はっ。
ご飯食べない?
食べる。私どうしちゃったの?
平気だよ。私が判ってるから。
小さく焼いた(牛乳ビンのふた程度)パンケーキをちぎって
鼻先に持っていく。
パクッ
食いついた。ヨシヨシ。
飲み物取ってくるね?
戻ってきた私が見たのは、ハート型に焼いた(自称)
大きいパンケーキにかじりついてる母の姿だった。
ちょっと!何やってんのよ(笑)
私どうしちゃったの?
どーもしてないって。それよりアンタでか過ぎこれっ!
私どうしちゃったの?
食い意地は変わってないから(笑)
・・・。
いいから。リンゴジュースは?
飲む。

一気に飲み干す。
こっちが制限して出さないと、この状態だと
なんでも一気に行っちゃうのかな。少し不安。

10時20分になったので着替えをさせる。
昨日と違うワンピースを選んだ。

タクシーを呼んだが、その間にまた寝てしまった。
おかーーーーーーーーさん?!
行くけどオッケー?
うん。

ふらふらしてるが、病院に戻ることはちゃんと理解している。
大丈夫だな。

一気に病室へ行こうとしたが、足元が危ないので
車椅子を大慌てで探し、どうにか病室へ。
パジャマに着替えて、すぐベッドに横になった。
横になったのと同時位に眠ってしまった。
まだ点滴も腹水のチューブもついてないのに。



主治医の回診があったが、その時耳に残る言葉を言われた。
何ともなかった?そう。よかった。また週末ね。

また週末ね?週末?・・・。
外泊?

気にしつつも病室を後にした。
会社に着いたのは14時近くだった。
妹が病室に着いたのは16時頃。
やはり今週末、外泊許可が出るらしい。
準備がぁ・・・。


準備すること
母のリクエスト:お風呂につかまることが出きるもの

車椅子(レンタルにするか)・もっと簡易なものか
杖を考えるか?(購入時には本人も要)
ベッドの高さをどうするか
あわせてベッドから立ち上がるときの補助になるもの
クッションと言うか、ベッドで座っていやすいもの

時間が足りん!


2002年06月09日(日) 日記と言うよりメモ(外泊)

予定通りに動かないと時間がない。
眠たい。
10時に起きて、まず洗濯。
11時少し胃に食べ物を入れる。
父は庭掃除に専念。
日射病で倒れたことがあるのに、また帽子かぶってない。
でも知らない。言っても受け入れないから言うだけ無駄。
母の食事と着替えを持って、予定通り私が先発。


12時、病室につくと点滴がまだ終わってない。
よっ!
おっ!
ど?
まだぁ〜。寝てる(横に)んだけど。
寝てる(ホントに)んじゃない?
うーん?そうかな。
それじゃ落ちないんじゃないっけ。うどんどーする?
食べる!
おっけー。


食事を終えると妹が来た。
同時に看護婦さんも来た。
点滴まだだけど、もう帰りたいでしょ?(笑)
ハイ(笑)
じゃ終わっちゃおうか(笑)
はーい(三人)
チューブは刺したままで、シャワーを浴びる時の
注意やらを受ける。
何回か看護婦さんのしてるのを見てるけど、実践は初めて。
なんとかなるでしょう、うん。

着替えは3パターン、靴も2足用意して行ったので
本人に選ばせる。ワンピースで帰ることにした。
タクシーを呼ぶ。

美容院へは、入り口の狭い急な階段を上がるコトになる。
おんぶすることは可能だけど、危険が大きいので
二人で上半身と下半身を分けて階段を上ることに決めていた。
13時45分。美容院下に到着。予定通り15分遅れた。
昨日予約した時15分後ろにずれるかもしれないと
言っておいてよかった(笑)
母が自力で上がると言って聞かない。
うーーーーーーーーーーーーん、予定外。
仕方ないので妹は後ろで待機。
私が母と一緒に狭い階段を上がる。
お店の人が出てきた。
終わりそうになったら電話くれと母に言って妹と昼食。

ご飯食べていると電話が。
ヤナ予感・・・。
アタリ。あと15分で終わりだって。
きゃー!また半分も食べられない。
髪が短い分カットにも時間がかからない。30分程度?
タクシーで美容院へ行き、やっぱり自力で降りると言う母に
付き添い、のろのろ階段を降り、車に押しこむ。

あぁ!タクシー?やーん目の前にパチンコ屋があるのにぃー。
小さく叫んだ母をからかうように
1外泊1箇所だから、とよく判らない理由でなだめ?
親元に帰る。

部屋に入ると、母は1番最初に楓へ手を振った。
ただいま楓ちゃん。
あの日から初めて楓に会った母。
私は日焼け止めを落とすフリして顔を洗った。
泣いちゃいけない。けど顔が見れない。

母はベッドのそばに座った妹と言葉を交わしているうちに
寝てしまった。
父は庭の手入れで汗まみれになったままだった。


買い物に出た私に妹からメール。
母用のリンゴジュースも買ってきて。
できるだけ無添加・・・。発見。
一服して帰ると、妹が小声で迎えた。
二人とも熟睡してる(笑)
そう(笑)暑かったからね。
妹はすでに母の夕ご飯の仕度に取りかかってる。
私に朝ご飯の説明をしながら。

眠い。
妹は本を読みながら、キッチンにいる。
少し日が落ちてきて風が気持ち良い。
うとうとした。


予定はあくまでも予定で必ずしも
その通りに進まなくても、構わないんじゃないかな。


母の外泊は夜になっていった。
特に私が不安になるようなことはなく
順調に過ぎていった。

痛み止めも使わなくて済んだし
ご飯(うどん)は具入りを食べさせることができたし
サッカーは勝ったし
父はあんまりうるさくなかったし。
妹は帰したし
シャワーは使えたし。
夜中には母あまりうならなかった。
25時から4回程、目が覚めた。
母を見ると布団がぐっちゃぐちゃ。
私が寝相悪いのは、母親譲りなんだな(笑)

そんで5時40分。


2002年06月08日(土) 日記と言うよりメモ(外泊?!)

母からのメールに気がついたのが、出発する30分前だった。
「外泊する?って先生から言われて戸惑っています」
にゃにっ?こっちもじゃい!妹に慌てて見せる。
話が通じないので取りあえず
「病室でもう1回聞くから」と返信。

先発隊が病室へ
ちょっとどーゆーことよ?
うん私も判らない。
へ?
どうやら、母が部屋の窓から外をぼんやり見てると
主治医が
退屈なら外泊だけど1回お家帰る?気分転換にもなるし。
いいんですか?
うん、最近調子も良い見たいだしね。
わーい。
明日とか今日とかいいよ。
え?
仕度もあるだろうから娘さん達とも相談してね。
はい。

うーん?言葉のままに受けとって良いのかな?
確かに体調は落ち着いていて、機嫌も良い。
わずかながらも食事をしてる。
抗がん剤の治療はまだ始まってない。
良い意味の外泊?


母とどーでも良い話をしていると、主治医がやってきて
母にした話と同じコトを言う。
じゃあ明日にします。そう私が返事をした。

妹も病室に到着。母にうどんを食べさせる。


折畳式のベッドは片付けちゃったし
半そでのパジャマは探さなきゃいけないし
歩かせることはあまりできないから車椅子を買うか?
頭の中で、どーする?こーする?がぐるぐる回る。


父が来た。
外泊許可が出て、明日家に戻ることを伝えると
やはり嬉しさより、動揺が大きいようだった。
そりゃそうだ。私達も大差ない。
入院患者が退院(外泊)するには
受け入れ側の体制が整わないと難しいと思う。

取りあえず13時から翌日10時前後まで外泊する
コトと、美容院へ行くことは決めた。
それだけ決めて、病室を後にした。


そのままファミレスで妹と食事をしながら相談。
取りあえず
13時、退院・13時半、美容院へ・14時半、家へ・お昼ご飯
お昼寝・(決まってない)・18時夕ご飯・お風呂
これだけ決めた。
親元に帰ると父はいなかった。
折畳式のベッドを用意し、明日の洋服を選び
パジャマ、タオルもセット。
ふぅー。

父が妹に用意したベッドを見て
またそんなもん降ろしてきて
と文句を言ったらしい。
ばかじゃねーのと思いながらも
まぁきちんと応対をする。
父は自分を輪の中に入れないことを不満に思う。
判ってるけど、特に呼びこんだりはしない。
めんど臭い。
今は母のコトだけで精一杯。

取りあえず私が先発で12時に病室へ行く。
妹はご飯の仕度。
父は・・・何するか知らない。


2002年06月05日(水) 風邪かな

なんだかちょっと喉が痛いなぁ
なんて思ってたら
A子も喉が痛いと言い出した。
・・・。

明日、仕事の時間つく?
わかんない。
だよね。

今日だって23時回ってた

なんで?
なんか風邪ひいたっぽいんだよ。
あら?私もちょっと喉痛いのよ。
きゃー?二人ともってこと?
だろうね。どうすんの、明日。
わかんない。
んだねー、私もわからんよ。


主な栄養を点滴で取っていることも含め
体力等に不安がある母に、風邪の菌を
持ち込みたくない。それは共通の思い。

でも仕事も休めないの。


2002年06月04日(火) 日記と言うよりメモ(抗がん剤再開)

A子が病院の職員に呼び止められた。
主治医から話があるそうだ、と。
約束された時間が、診察の為後ろにずれた。

そこへ父が偶然、主治医と顔を合わせた。
願ってない偶然だけどね。
結局父と主治医で話し合いは終了した。

内容は
飲み薬(抗がん剤)を再開しましょう。

なぜ再開できるのか?
「本人の調子も良いようなので」

・・・?
つまり、用心深い医者が飲み薬を止めたのは
腸閉塞になった場合、口からモノが入れられなくなるから
だった。それを再開するってことは?
腸閉塞の心配が薄れたってコト?
と判断することにした。

抗がん剤治療が始まると3週間は入院だ。
ってことは、退院があるかもしれないってコトだ。

楓がいない親元に、戻すのか
昼間誰もいない親元に戻すのか
モメゴトのネタになる父のいる親元に戻すのか。
A子と一生懸命考えた。
こっちに来る?って聞いてみることにした。
親元より家の中は充実していないが、父よりは
母の作業を楽にできる環境はある。

ただ、母のお世話になっている病院までは
高速使って40分(免許保持者はいないっす)。
この時間を埋める手段は・・・。
徒歩3分の病院に駆け込めるよう主治医に
母の病状を書いたものを貰うことかな?



それ以外にすること・しなくちゃいけないこと
部屋の掃除
できるだけ使ってないものを捨てる
ベッドを1個組み立てる
ライトを買う(廊下用)
タオルケットと夏掛け布団を買う
トイレの空調を買う
金額の書いてあるものは会社に一時退避させる


2002年06月02日(日) 日記と言うよりメモ(良好なのにふらつく)

母の体調は、しばらく良好。

こんなに調子良くて不安になるくらいだ。
上の階に新聞を買いに出かけ、フロアを
2周したとか、3周したとか聞くと、すごく嬉しい。
同時に、もう少し調子悪くても良いから、
長く続いて欲しいとも思う。


しばらく前からA子が「うどん」を母のもとに持っていってる。
1玉の半分から3分の1程度。
それを夕方に食べさせている。
今日は親元から病室へ行ったので、うどんも2回。
13時に私が病室へ届けた。味噌味のうどん。
美味しそうに食べる。
2すすりほど残した。夜もあるし。

15時前に、病室を一旦後にする。

16時、二人で病室へ。
サッカーをTVで見て、ちょっと騒ぐ。

18時、夕ご飯のうどんを食べさせる。
嬉しそうに食べる。3分の1位残す。

19時、トイレに行くが異常なほどふらつく。
一人で身体を支えられないくらいで、肩を貸す。
ちょっと不安。
胃に食べ物がいつもより多く入ったせいか?
ふらつく以外は何ともないと言う。
お腹も痛くないし、気分も悪くない。でも、驚いてる。
私達もそうだ。


心配は心配だけど、母の言う事を信じよう。


サッカーの試合で街がにぎやかなので
20時、時間通りに病室を後にした。


2002年06月01日(土) ガンで検索した方へ(健康補助食品)

今回書く内容は、私個人レベルで妥当と判断したものす。
他のガン患者さんに同じような効果があるとは断言できません。
ましてこれを使えば、ガンが治るとは言えません。

ただ、ガン患者を抱えるとどうしても何か
民間療法でも良いものはないか?と考えると思います。
そんな考えを持った方に、参考になればと思っています。

ここをご覧になって、何らかを利用する皆さんは
実際に無料サンプル等があれば、お試し頂く又は
電話等で直接ご質問をなさって、ご自身で判断して下さい。



アラビノキシラン(バイオブラン・MGN−3)・万田酵素について
突然医者から
「末期ガンです」
「あと数ヶ月です」等と言われ
心の準備ができていない私は、パニックを起こしました。
軽いウツ状態だったと思います。
家族が同時に、同じ情報を持たなかったので
苦しみをバネにすることも、励ましあうこともできませんでした。
A子に母のコトを伝えた翌日、彼女がこのページを見つけました。

難病からの生還です。詳しくはご覧下さい。

ガンになってしまう理由の一つにストレスがあります。
そのストレスは免疫力の低下を引き起こします。
この免疫力に注目した健康補助食品について、A子と以下等から調べ
開発元の大和ヘルス社
エイブリー
日本食品機能研究会
父に話しをし、これを使いたいと主治医に話しをすることに決めました。

母の主治医にアラビノキシランと酵素の資料を見せた所、
(主治医は、抗がん作用のある健康補助食品に対し、頭ごなしに否定的ではない)
酵素の利用は待って欲しいと言われましたが、
結果としては酵素も利用可と言ってもらえました。


万田酵素の酵素は、
健康維持とできるだけ沢山のアラビノキシランを
腸まで持っていけるように利用しました。


母の利用した感じでは、飲む量によって
抗がん剤による副作用(主に吐き気)が弱かったように思います。

これらの販売店で迷っているのであれば、
難病からの生還の管理人さんにメールで
お尋ね頂くか、私でもかまいません。
私も上記の管理人さんへ伺い、同じ販売店さんを利用させて頂いています。

私の主観的な特徴:
母に利用させているアラビノキシランは、粉です。
味は、少し甘味があります。
万田酵素は、発酵食品でペースト状です。
味にはクセがあるかもしれません。
両方をヨーグルトなどに混ぜて食べると、レーズンヨーグルトみたいな味で
食べやすいと思います。
価格は販売店によって大きさ・成分が異なりまちまちですが
安いものではありません。



タヒボ茶について
免疫力をあげることをメインに考え、他に何かないかと探した所
やはりA子が見つけました。
アメリカ、台湾で「抗癌剤」として成分特許を取得した、と
書いてあったと記憶しています。

「お茶」なので、あまり違和感なく母も利用できるのではないかと考えました。
タヒボ輸入製造元のタヒボジャパン
CancerMagazineも参考にしてみてください。
自然食品であり、お茶なので、主治医に特別確認はしていません。
(お茶を禁止されていないので↑)

入手方法で思案中の方は、タヒボジャパンに問合せをすると
近くの販売代理店を紹介してくれます。
その際、病状も聞かれるかもしれません。
私達は病状に対し、利用方法について詳しく
親身になって説明してくれる販売店さんを紹介してもらえました。

私の主観的な特徴:
少し甘味のあるお茶です。色は茶色で、うっすーいコーヒーのようです。
煮出すタイプと顆粒のタイプがあります。
煮出すのに時間がかかるのと、香りが部屋に広がるので、私達は
顆粒タイプを利用していますが、価格ははね上がります。



CPLについて
母が腸閉塞を起こす前は、食事が出来たので、上記の3点は利用していました。
食事がままならないので上記は、一時お休みにしています。
もっと他にないかと探していた所、やはりA子が見つけました。

興医会 CPL研究所です(恐らくココが開発元だと思います)。
こちらもあわせてご覧下さい。
日本癌治療学会第38回日本癌治療学会
セッション・ポスター・P37〜48増殖のP47に
私達が、環状ポリ乳酸(CPL)を利用することに決めた実験結果が書いてあります。
他にもシーピーエル等があります。

正直言うと、まだCPLについては調べることをやめていません。
まだよく判らなことがあります。
主治医に利用を聞いた所「ダメ(デマっぽい)」と言われました。
「癌研に参加した先生は、そんな話は1個も出なかったって言われた」
「量をいくらでも飲んで良いなんてあきらかに嘘(デマ)っぽい」
とも言われました。

でも母に利用させています。

それは、食事制限が始まってしまったからです。
制限が多くなってしまうと、利用できるものも少なくなってきます。
CPLは腸閉塞で入院してから利用しています。

今、母が小康状態になっているのは、抗がん剤治療をしていないのに
何が作用して、こうなっているのか判りませんが、
CPLを完全否定できないと、私達は思っています。
勿論、主治医には内緒のままですが、主治医に利用していることを
話ても利用を止めろとは、言わないと思います。
何が現在、母の小康状態を維持しているのか判らないと思うからです。

入手方法で悩んでいる方は、
私達と同じ方法で良ければ以下をお勧めします。
興医会 CPL研究所に直接ご連絡して下さい。
私達はこのHPのトップに(以前)強烈なコピーがあり、少し引きました。
でも、CPLの経緯を確認していくと何度も同じ医師の名前が出てきたので
結局こちらに直接連絡することにしました。

私の主観的な特徴:
もともと点滴で利用していたものを、口から利用するものに変えたもので
粉末状(片栗粉みたい)のもので、大変飲みにくいです。
加熱調理も可能なので、利用方法は色々あると思います。
水などに溶いて飲むと、じゃりじゃりな固まりができ、
それが苦くて(粉薬の苦さ)すっぱく(乳酸)工夫しなければ
飲めないと思います。
手っ取り早いのは、水+オリゴ糖で混ぜ、一気に飲むことですが
病人でも苦痛かもしれません。
母には、市販のかき氷(透明に近いタイプ)を少し溶かして
CPLを混ぜて飲ませています。
「かき氷の溶け具合と、CLPのじゃりじゃりが良い感じになるのよ」
母談



以上が母に利用している健康補助食品ですが、
もうひとつ現在利用していませんが、考えているものをあげておきます。

それはエイジアックリサーチさんの
エイジアックとフロー・エッセンスです。
桐島洋子さんのHPの
「暮す」の中に「フロー・エッセンスプラス」にも説明があります。
「読む」の中の、著作一覧にもありますが、
著書「見えない海に漕ぎ出して」の中にフロー・エッセンスについて記載があります。

これを利用していない理由は、調査時間が足りないからです。




ここにあげたものは全て私の母の場合の内容であり、
他の患者さんに同様の内容が得られるものではありません。
患者さんの健康を保持し、調子が良くなる物かは
貴方がきちんと調べ勉強し、納得したものにした方が良いと思います。
家族の中でも別の案があることが多いです。
現に、ウチではアガリスクが対抗にでました。
より効果が期待できそうなものを、選ぶには調べて納得し
まず試すのが1番だと思います。

商品に関する疑問は、開発元や販売店にちゃんとしてください。
それに満足な返事ができない販売店は、止めた方が良いと思います。
満足な返答ができない開発元も同様です。
利用している間にも疑問はドンドン出てきます。
その都度、解決しなければ前には進めないと、私は思います。


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