みかんのつぶつぶ DiaryINDEX|past|will
昼寝をしたんだけど、うなされてしまった。
闘病日記をひっぱりだしてみた。
そうなんだ。
さようならをする日が近いということを、私は受けとめることができなかった。知っていたけれど、受け入れることをしないで、現実から逃げようとしていたのだ。
今日はちょっとショックを受けた。 新しい職場の愚痴なんかを生意気にも言い出したりしているけれど、世の中には様々なことを抱えてみんな同じ場所で何気なく過ごしているということを痛感し、そして衝撃を受け、こってり反省。ショボン・・・ 大きな苦悩を抱えて今日も明日も出勤するこの女性に、 どうか心安らぐ日が多くありますようにと祈らずにはいられなくて。
危険から守られることを祈るのではなく、 恐れることなく危険に立ち向かうような人間になれますように。 痛みが鎮まることを祈るのではなく、 痛みに打ち勝つ心を乞うような人間になれますように。 人生という戦場における朋友を求めるのではなく、 ひたすら自分の力を求めるような人間になれますように。 恐怖におののきながら救われることばかりを渇望するのではなく、 ただ自由を勝ち取るための忍耐を望むような人間になれますように。 成功のなかにのみ、あなたの慈愛を感じるような卑怯者ではなく、 自分が失敗したときに、あなたの手に握られていることを感じるような、 そんな人間になれますように。 ルビンドラナート・タゴール『果実採り』より 死が近いということを、そっと感じるときがあったのかも知れない。 彼なりの覚悟や想像があったかも知れない。 そして現実的な問題で悩んでも悩んでもまわりは患者扱いしかしてくれなくて、 労働者として失格とみなされているという焦りと怒りもあったのではないだろうか。 そのために心の平衡感覚を失ってセレネースを処方される事態になったのだろう。 励ましてはいけない、もっと明るいことを考えようなどと言われるのは残酷すぎる状態。 いくら仕事も家族も万全な体制になっているから安心しろと言い含めたところで、 彼にはもうそんなことは遠い世界のことになってしまい、ますます疎外感を味わうことになったのではないだろうか。 自分がいなくても動いている世界。必要のない人間なのだと。 そして罪悪感。何もできない役に立たない、努力が足りないから病気が治らない。 動かない身体を抱えてこれから生きることの不安と、 治療の効果が出ないということへの結果、デッドラインが近づいているという恐怖。 生きていくのも地獄 死ぬのは・・・? 仕事へ行くという日々は、 これから私は半永久的に継続しなくてはならないということで、 それはこれらの日々と決別するということになるということで、 大げさだと笑われるかも知れないが、でもとっても重要なことで。 時間を動かすことへの恐怖がある。 それはきっと、 私がとっても死を恐がっているということに違いない。 そして、より良くこれからを生きていきたいと切望もしているということ。
また来ん春と人は云ふ しかし私は辛いのだ 春が来たつて何になろ あの子が返つて来るぢやない おもへば今年の五月には おまへを抱いて動物園 象を見せても猫(にやあ)といひ 鳥を見せても猫(にやあ)だつた 最後に見せた鹿だけは 角によつぽど惹かれてか 何とも云はず 眺めてた ほんにおまへもあの時は 此の世の光のたゞ中に 立つて眺めてゐたつけが…… 中原中也:また来ん春 この詩を初めて読んだときには鳥肌がたった。 最後の三行、ここに凝縮されている想いにただただ共鳴するばかりで。 彼は、何を見ているのだろう。 母に代わって私がレンズを向けたときに何かを見上げてた。 照れくさかったのか、 イヤだったのか。 それとももう待ちきれなくて飽きてしまったのか。 どちらにしても写真を撮られるのはイヤだったということか。 この頃にはもう、全く歩けなくなっていた。 抗がん剤も何回目だっただろうか。 記憶が薄れている。
新しい時間を作り始めて、 少し恐ろしいことをしているような気分になる。 こういう感覚って、きっとわかりづらいだろうけれど。 いわゆる引きこもり状態と同じだったので、 お外の世界、何が目の前に来るのか予想もつかない世間の風が恐いのねえ。 甘い?(笑) この写真は、がんセンターで母が撮影してくれたもの。 ほんの2年前のこと。 だけどもう2年。 あの頃、カメラを彼に向ける行為は傷つけることになるのではないかと案じて左半身が麻痺しはじめてからは写真を撮ることをしなかった。こんな姿を撮られたくない、という気持ちがあるような気がしたから。でも、今となってみると、この車椅子の姿さえも懐かしく、彼の姿には変わりないのだ。生きていた姿、この空の下同じ空気を吸って同じ場所で時間を共にしていた空間が、ここに残っている。 とっても辛い季節だった。 なのに微笑んでいる。 私も、彼も。 今はまだこの写真を見ると心の底がチクチクしてくるけれど、 これからも明るく生きなさいと、彼が教えてくれてるような。 彼の笑い声が、なんだか聞こえてくるような。 そんな気がする今日という日。
1週間の長いことったらないわ。 日々見習いの身で業務をこなす辛さ(泣) いや、まだまだ繁忙期ではないのでのんびりとした仕事しかないのだけれど、 何せ業務内容以外に職場のしきたりやら何やらまで覚えなければならなくて、 そういうことが面倒だわ。 いや、こういうことが一番大事なのかも知れないけれど。 特にパートの多い職場はそういうことに重点を置かれるみたいだし。 申込書をチェックし、宛名印刷されたシールをホチキス止めする作業を延々とこなす。 黙々とできて調度良い具合なんだけど、そこにお喋りがはじまるとさあ大変。 私は新人なので話しをうかがってもあまり反応する内容ではないし、 それにチェックに必死でお喋りまで気がまわらないのが本音なのだけれど・・・ 作業中にお喋りするのはあまり好きではない。 お茶の時間ならばその時に和む程度にお喋りできればいいと思う。 前職では各自PCが設置されていて、 おまけにパーテーションでくぎられていたので インターネットは見放題、メールの送受信もやり放題。 ある女子社員の画面はいつもyahooが開きっぱなしで、 それもいかがなものかと思って見ていた。 あくまでも「職場」なのでね。 手が空いて暇ならやるべき業務はいくらでも探せるはずなのにね。 職場での人間関係になるべく関わらないでいたいと切望するのだけれど、 なかなかそうもいかないもので。 色んな人のあれこれの情報は、ありがた迷惑だなどと言えないし。 面倒くさいなあ、もう。 でも、仕事をするのは楽しい。 ほどよい緊張感の日々ですわ。
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