みかんのつぶつぶ
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2003年05月30日(金) 白昼夢

昼寝をしたんだけど、うなされてしまった。

うたた寝をする私がいて、遠くで友達が声をかけるその声で目覚めた。買い物へ行かなくてもいいのか?と聞く友達に、眠くてだるい私は、今日はいい、と答えながら起き上がった。

じゃあ、帰るわ、という友達の背中。ずっとその背中を見ながら建物の出口までついていく私。友達は後ろを振り返らずに去っていった。私はその後姿を見ながら、私が後ろにいることに気づかなかったのだろうかと考えた。そして、置いて行かれたような寂しい気持ちが一気に押し寄せてきて、ふと我に返った瞬間、見慣れぬこの建物に私は住んでいるのだと確認する。そして、どうして自分がこのようなところへ住むようになったのだろうと考える。

部屋へ戻ろうとする階段は、一段一段がとっても高くって、なかなか部屋まで辿り着けない。なんでこんなことになったのだろうとまた私はその理由を考えはじめて泣いている。



と、いうような夢で、どうやら私はウーウーとうなされていたようで、リビングで昼寝をしながらうなされている私を息子が部屋から出てきて起こすという事態だった(汗

昼寝で見た夢のなかでもうたた寝をしている私って一体。
それにしても、何ともいえない後味のする夢だった。


2003年05月25日(日) 涙そうそう

闘病日記をひっぱりだしてみた。
どこへファイルをしまったのかわからなくなっていた。
見つけ出して構成作業に没頭しているうちはいいけれど、
あらためて読み返してみると、今更ながらに涙涙の徒然な文。

たまらなくなってお風呂で大泣きした。
泣いているうちに息をひきとった彼の顔が浮かび、
私は初めてその顔を見たように悲しいと思った。
そして別れのために泣いて、
別れるのが辛いと泣いて、
ありがとうと、去りゆく彼に言葉を言うことができた。

あれから初めて、
あれからやっと、
心の底から悲しいと涙があふれでてきた。
お風呂のお湯があふれることに幸せを感じて、
その幸せな気持ちになれるのは、
彼のお陰だと感謝できて、
そしてそして
がんばって生きてくれてありがとう、
辛いと言わないでいてくれてありがとう、
さよならと言わないでいてくれてありがとう、
そんなありがとうがいっぱいいっぱい心の中から噴き出してきて、
もうダメだと弱音や本音を吐き出さないでいてくれたのは、
お父さんが死んだときみたいに私が大泣きすると困ると思ったり、
あんなに泣いたら子供達が困るだろうと思ったり、
そんなことを考えてくれたのじゃないだろうかと考えたりしたら、
いつまでもいつまでも泣いていたら彼が困るだろうと思ったら涙がとまった。

気が強いのに泣き虫だなと、笑う彼の顔を思い出す。
おまえはすぐに泣くからなと、笑う父の顔を思い出す。

凍りついていた私の心が溶け出した夜。


2003年05月20日(火) 無に気づくとき

そうなんだ。

どこにもいないことが悲しいんじゃなくて
どこにもいないと思うことが悲しいんだね。


2003年05月19日(月) 罪悪感

さようならをする日が近いということを、私は受けとめることができなかった。知っていたけれど、受け入れることをしないで、現実から逃げようとしていたのだ。

彼に言えないんじゃない。
言わなかったのだ。

いつも私は自分勝手で傲慢で、病気の彼にどこまでもどこまでも甘えていたのではないか。気持ちまでも彼に寄りかかり、結局は彼の気持ちなど聞き入れてやることなんてこれっぽちもしなかったのではないのか。

生きていくための話し合いも、
死んでいくための話し合いも、
残し残されるための話し合いも、
何もないまま私たち二人はただただ、
車椅子を押して押されてという日々を送っているばかりだった。

ただ、その時間がどうにか寂しくなく悲しくなく過ぎていってくれるようにと、
ただただそれだけの想いしかなく過ごしてしまっていた。
明日はもう少し違う日になるのではないかとか、明日はもう少し元気になってくれるだろうとか、明日はもっと優しく接することができるだろうとか。

明日のことばかりを考え、逃げていた。

明日は終わりに近づく近道だということを忘れて・・・




2003年05月18日(日) 見えないこと


今日はちょっとショックを受けた。
新しい職場の愚痴なんかを生意気にも言い出したりしているけれど、世の中には様々なことを抱えてみんな同じ場所で何気なく過ごしているということを痛感し、そして衝撃を受け、こってり反省。ショボン・・・

大きな苦悩を抱えて今日も明日も出勤するこの女性に、
どうか心安らぐ日が多くありますようにと祈らずにはいられなくて。


2003年05月15日(木) 抑鬱



危険から守られることを祈るのではなく、
恐れることなく危険に立ち向かうような人間になれますように。
痛みが鎮まることを祈るのではなく、
痛みに打ち勝つ心を乞うような人間になれますように。
人生という戦場における朋友を求めるのではなく、
ひたすら自分の力を求めるような人間になれますように。
恐怖におののきながら救われることばかりを渇望するのではなく、
ただ自由を勝ち取るための忍耐を望むような人間になれますように。
成功のなかにのみ、あなたの慈愛を感じるような卑怯者ではなく、
自分が失敗したときに、あなたの手に握られていることを感じるような、
そんな人間になれますように。

ルビンドラナート・タゴール『果実採り』より


死が近いということを、そっと感じるときがあったのかも知れない。
彼なりの覚悟や想像があったかも知れない。
そして現実的な問題で悩んでも悩んでもまわりは患者扱いしかしてくれなくて、
労働者として失格とみなされているという焦りと怒りもあったのではないだろうか。
そのために心の平衡感覚を失ってセレネースを処方される事態になったのだろう。
励ましてはいけない、もっと明るいことを考えようなどと言われるのは残酷すぎる状態。
いくら仕事も家族も万全な体制になっているから安心しろと言い含めたところで、
彼にはもうそんなことは遠い世界のことになってしまい、ますます疎外感を味わうことになったのではないだろうか。
自分がいなくても動いている世界。必要のない人間なのだと。
そして罪悪感。何もできない役に立たない、努力が足りないから病気が治らない。
動かない身体を抱えてこれから生きることの不安と、
治療の効果が出ないということへの結果、デッドラインが近づいているという恐怖。

生きていくのも地獄
死ぬのは・・・?



仕事へ行くという日々は、
これから私は半永久的に継続しなくてはならないということで、
それはこれらの日々と決別するということになるということで、
大げさだと笑われるかも知れないが、でもとっても重要なことで。

時間を動かすことへの恐怖がある。
それはきっと、
私がとっても死を恐がっているということに違いない。
そして、より良くこれからを生きていきたいと切望もしているということ。













2003年05月14日(水) 在ったということ


また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るぢやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫(にやあ)といひ
鳥を見せても猫(にやあ)だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……

中原中也:また来ん春

この詩を初めて読んだときには鳥肌がたった。
最後の三行、ここに凝縮されている想いにただただ共鳴するばかりで。

彼は、何を見ているのだろう。
母に代わって私がレンズを向けたときに何かを見上げてた。
照れくさかったのか、
イヤだったのか。
それとももう待ちきれなくて飽きてしまったのか。
どちらにしても写真を撮られるのはイヤだったということか。

この頃にはもう、全く歩けなくなっていた。
抗がん剤も何回目だっただろうか。
記憶が薄れている。


2003年05月13日(火) 月命日



新しい時間を作り始めて、
少し恐ろしいことをしているような気分になる。
こういう感覚って、きっとわかりづらいだろうけれど。
いわゆる引きこもり状態と同じだったので、
お外の世界、何が目の前に来るのか予想もつかない世間の風が恐いのねえ。

甘い?(笑)



この写真は、がんセンターで母が撮影してくれたもの。
ほんの2年前のこと。
だけどもう2年。

あの頃、カメラを彼に向ける行為は傷つけることになるのではないかと案じて左半身が麻痺しはじめてからは写真を撮ることをしなかった。こんな姿を撮られたくない、という気持ちがあるような気がしたから。でも、今となってみると、この車椅子の姿さえも懐かしく、彼の姿には変わりないのだ。生きていた姿、この空の下同じ空気を吸って同じ場所で時間を共にしていた空間が、ここに残っている。

とっても辛い季節だった。
なのに微笑んでいる。
私も、彼も。
今はまだこの写真を見ると心の底がチクチクしてくるけれど、
これからも明るく生きなさいと、彼が教えてくれてるような。
彼の笑い声が、なんだか聞こえてくるような。


そんな気がする今日という日。


2003年05月08日(木) こんな感じで



1週間の長いことったらないわ。
日々見習いの身で業務をこなす辛さ(泣)
いや、まだまだ繁忙期ではないのでのんびりとした仕事しかないのだけれど、
何せ業務内容以外に職場のしきたりやら何やらまで覚えなければならなくて、
そういうことが面倒だわ。
いや、こういうことが一番大事なのかも知れないけれど。
特にパートの多い職場はそういうことに重点を置かれるみたいだし。

申込書をチェックし、宛名印刷されたシールをホチキス止めする作業を延々とこなす。
黙々とできて調度良い具合なんだけど、そこにお喋りがはじまるとさあ大変。
私は新人なので話しをうかがってもあまり反応する内容ではないし、
それにチェックに必死でお喋りまで気がまわらないのが本音なのだけれど・・・

作業中にお喋りするのはあまり好きではない。
お茶の時間ならばその時に和む程度にお喋りできればいいと思う。
前職では各自PCが設置されていて、
おまけにパーテーションでくぎられていたので
インターネットは見放題、メールの送受信もやり放題。
ある女子社員の画面はいつもyahooが開きっぱなしで、
それもいかがなものかと思って見ていた。
あくまでも「職場」なのでね。
手が空いて暇ならやるべき業務はいくらでも探せるはずなのにね。

職場での人間関係になるべく関わらないでいたいと切望するのだけれど、
なかなかそうもいかないもので。
色んな人のあれこれの情報は、ありがた迷惑だなどと言えないし。

面倒くさいなあ、もう。
でも、仕事をするのは楽しい。
ほどよい緊張感の日々ですわ。


2003年05月05日(月) 出勤

出勤風景
みんな無表情でホームへ並び、
その様子はまるで事務所のPCみたい。
スクリーンセイバーをかけた顔顔顔。
私もそのなかの1台になる。

地下鉄の匂い、
電車が到着するときの風、
景色のない窓、
あの頃と何も変わらない雰囲気に少し戸惑う。
変化したのは私、
別にそれで世の中が動くわけもない。

最近、
彼が元気だった頃の笑顔を思い出す。
でもその裏側には、
坊主頭で車椅子姿の彼。
地球の回転が速くなってるんだって。
だから寿命も早くなるのかな、とか
思考は散漫

駅までの道端に枇杷の木があり、
この間まで枯葉が残っていたのに
もうその葉の間には実をつけている。

そう、もうそんな季節なんだ。
そんな季節もあったんだ。
そんなときもあったんだ。
そんな日々もあったんだ。

そんなことばかり考えながら
道々歩く。

人ごみに紛れて歩く私がまたいるんだなあと、
どこかで眺めているもうひとりの私もいて。

生きていくって、
こういうことなんだ。
自分の寿命が伸びればその代償として、
別れを経験しなければならないのだろう。
悲しいのは人間として生まれた代償として、
神が与えた試練なのだろう。

何もなかったように、
生きていく私。
何もなかったように、
空へ旅立った人たち。
でも、
何もなかったわけじゃない。

忘れないで。
忘れないで。
忘れないよ。







2003年05月02日(金) はじめの一歩



出勤1日目はパート社員研修でした。
午前中は様々な手続きについての説明と
店内見学。
午後には会社概要及び社内ルールとマナーについて。
あとは接客の基本研修。

なつかしいなぁと思いながら、
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました」
「またどうぞお越しくださいませ」
「少々お待ちくださいませ」
「お待たせいたしました」
「かしこまりました」
などなどを姿勢を正しお腹に力を入れて発声する。

事務といえども接客の基本は大事ということですか。
そりゃそうだ、流通関係にいるのならば身につけていて当然の知識。
承知しているはずの基本中の基本。

教育担当の女性、面食らうほど厳しい方で。
ああ、憎まれ役に徹しているんだなぁと感心する。
「挨拶のできない辛気臭い方はいりません」
「これは常識です」
「知っていて当たり前」
「良質な労働力を望む」
云々・・・お見事。

教育担当になった職場で
私はどれだけその言葉を飲込んでいたことかっ(泣)
正社員に教育をするという場面では、
その言葉はどうしても言えなかったなぁ・・・などと思いながら受講。
歳ばかり食って甘い人間だな、私。

私以外の7名は売場へ勤務の人々、がんばってくれたまへ。

研修の終わりには各部署からお迎えがいらして、
それぞれが担当する部署へ連れていかれた。
みんなそれぞれ初めましてのご挨拶をしていたけれど、
私は面接をしてくださったマネージャーがいらしてくださった。
「あ、こんにちは〜〜先日はどうも!」みたいな・・・(汗

日曜日からいよいよ本格的に就業。
巨大な建物の地下、部屋まで辿り着けるかそれが不安。



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