みかんのつぶつぶ DiaryINDEX|past|will
昨日一昨日の寒さが劇的だったので、今日はなんだか気が抜けた陽気だったような・・・ 本日の大失敗は、息子に頼まれた用事をひとつ忘れてしまったことだ。国立の願書に入れる郵便為替&切手の必要枚数を記入したメモを渡されて、私は昨日郵便局へ着いたのは4時過ぎで、為替の窓口は終了(泣) ならば今日こそはと意気込んで行ったらえらく待たされてカリカリ。 帰宅した息子に為替を渡したところフムフムと眺めてひとこと、 「切手は?」 ・・・がーん、すっかり忘れたっ 意気消沈している私に息子のとどめ、 「メモしてあるのに何で忘れるわけ?」 ・・・ ・・・ ・・・厳しいお言葉、痛みいりまする(大泣 ただいまひどく胃がムカついてムカついて・・・ 神経やられてますわ。 とにかく寝こんでからというもの、打たれ弱くなったというか、普段ならば何でも無いことにひどく反応して衝撃を受ける度合いが激し過ぎる。ちょっと境目にいる心境だ。 昨日、郵便局へ向かう道瑞に梅の花が咲いていた。 あの樹の下を、私は病院へ向かうために歩き、あの時もこうしてこの梅の花を見上げていた。 今、ここにこうしてまたこの花を見上げている私がいて、 あの日、ここでこうして見上げていた私がいて、 この梅の花は何もなかったようにこうしてまた私の目に映るのに、 この私は何もなかったようにこうしてこの梅の花を目に映すのに、 もう、私は彼のところへ行けるわけではなく、行くわけではないのだと考える。 考えても仕方がないのにとても不思議なことだと想い患わずにはいられなくて。 気持ちがざわざわする夕暮れ。 あの夕日が落ちる方角には、最期に過ごした病院がある。 あの空の下で、彼は命尽き果てた。 そう、 なぜ私の写す空が悲しい色になるのかという理由があるとすれば、 あの夕日の下、 彼と過ごした夕暮れのベンチや、 目覚めない彼のそばで途方に暮れる病室に射しこんだ夕日や、 重い気持ちで病院へ向かうタクシーの窓から見た夕日や、 そんなことが渦巻く私の心模様がフィルターされているからかも知れない。 生きている不思議 死んでゆく不思議 これは表面に出ない出せない反動がきているのだろうか。
お花を挿しましょう、 あなたが目覚めたとき寂しくないように。 お花を挿しましょう、 私の心が明るくなるように。 お花を挿しましょう、 あなたの大切な命に。
一月は行く、二月は逃げる、三月は去る、というように、この三ヶ月は毎年あっという間に過ぎちゃうものだ。おちおち寝てもいられないのさ、と喝を入れてはみるが。 息子の受験もまだまだこれから、娘も検定試験が毎週のようにあって二人ともお勉強モード。そんな二人におかまいなしのマイ・ペースな私。 久しぶりに買い物へ出てPOLO JEANSでスカートを二着購入。コーデュロイのロングスカート黒と白。黒は私、白は娘。 珊瑚礁にてチキンとトマトのカレーを食べた。いつも思うけど、そんなに美味しいのかココ?と。そういえば、カレー屋さんてあまりないよねえ。社食でカレーは人気だし、ゴルフ場のレストランでもよく出てたかも。やってみてもいいんじゃないかと構想を練ったりしながらモグモグ。一杯あたりの原価はどれくらいなんだろうね。ちなみに今日食べたカレーは九百円。高いぞコラ(恕 稲村亭の焼豚を買ってきたんだけど、やっぱり美味しいね。炭焼きのいい香りで満足感。 久しぶりの買い物で気分転換。明日はバーニーズのバーゲン最終日だから何としても行かなくてはっっ
インフルエンザらしきものですっかり患っておりました。ご心配いただきありがとうございました。多分、全快かと・・・ゲホゲホ。 具合が悪くてもすっかりと寝こむわけにもいかず、銀行へ行けだの郵便局へ行けだのと用事がありますわ。こういうときって嫌な汗をとめどなく頭から流しつつ歩くわけ。受験費用を3校分振り込みに銀行へたどりつくとなんと22人待ち?! 泣きたくなった。だけど顔は怒りながら待つ私。 あの受験費用ってどうしてあんなにお高いんでしょうか。学部一件につき三万五千円って、喧嘩売ってるんでしょうか受験してもらいたくないんでしょうか。 早慶上、このなかで三万五千円プラス手数料とか請求されたのが早大。思わず銀行の窓口のおねえさんに聞き返しましたよ。「ここだけ銀行が違うんですか?」って。なんなんでっしょうね、早大(恕 でもさあ、国立が落ちたら浪人するつもりなんだからさぁ・・・ この手数料、どうなっちゃうわけぇぇぇぇ(大泣
熱と一緒に横たわる私の脳から溢れ出す苦しみの数々。
別に家に居て何をしてやれるかとかそういうわけではなくて。
とにかく具合が悪い。回復するかと思うとまた熱が出る。 昼間は完全にダウンで夕方やっと起きあがり薬を飲んで立ち直る日々。 夕飯の支度はしんどいよぉ( p_q)シクシク 明日から二日間、どうか無事に終わりますように。
珍しく熱が出てる。そして珍しく風邪薬なんて服用したもんだから効いちゃってナチュラル・ハイな状態。熱もあるからフワフワしてる。 ふて寝はしても具合が悪くて寝こむってことはめったにないから三女も珍しがって電話をしてきた。ありがとね。 とにかく、息子にうつらないことだけを願うわ。 友人が心配してお惣菜を買って持ってきてくれた。こちらも私が寝こむことが驚きだったらしく。 そして、息子は寝こんでいる私を容赦なく起こしにきて飯の支度をしろという。 そばで娘が怒っていた。アイツは具合が悪くないんだから放っておけばいいのにと。 そうだよね。でもね、起きられるから大丈夫。お兄ちゃんもがんばってるんだから。昼間は自分で何か食べていたし、夜はしっかりしたものが食べたかったんでしょ。お惣菜があって、助かったわ。 長い入院生活の付き添いと、そして自分が体調を崩して気づいたことがある。 彼がとてもワガママになる時期があるんだ。それは突然、聞き分けがなくなったり無謀なことを要求してきたり。 それって、そういう時ってきっと体調や病状が悪くなるときだったのではないだろうかと思う。 体調がなんとなく悪い、だけどどこがと表現できない悪さってある。 多分、そういう時に、身体がどうしようもない状態でなんとなく心が重くなるんだろうね。 入院生活で安静な状態でいるから、体調が悪くなることも何となく誤魔化すこともできる。悪いということを言いたくないという気持ちも働くだろう。 いまだから、わかるよ。 もう、遅いのにね。 ごめんね。
嫌ですねえ、ここ数日の日記を読み返すと自分の腹の底にあるドロドロとしたものを感じて。でも、これもまた人間なんで、綺麗ばかりでは生きていけないのだと開き直り。でもね、なるべくならこういう考えにならないような方向性を持っていきたいと願うのである。だからといって他の事で紛らわすという問題ではないのでそこを勘違いしないようにしたいね。現実的問題と自分の心持ちを一緒にしないように。なんとかその場は誤魔化しても所詮それは誤魔化し。いつかは歪みがくる。そう、今の私のように。 お寺から送られてきた冊子を読み、三女と大笑いした。干支別の運勢が掲載されいて、干支別にその長所短所が簡潔に書かれているんだけど、それがまたよく当たっているのだ。当たっているというのは私達身近にいる人物に限りかも知れないが。 特に巳年の次女、はまり過ぎて笑いながら顔がひきつりそうなほどピッタリ。 短所:猜疑心、嫉妬心が強く、剛情、我慢、感情過敏、浮気を好む、決断力に乏しい。 そう、この短所を反省することなく誤魔化し生きているのが次女だ。 申年の三女、これは随分と言い難いことをズバリと当てている。 短所:偏屈、大望を抱くが浅慮妄動する、他人を信ぜず利己主義。 だからこその長所を上手く活かして生きているのが三女だ。 卯年の短所:大きい夢を負い過ぎ移り気、経済観念に乏しい。 有言不実行、散財は生き甲斐。家族は大迷惑。 新年というと今年は何かいいことがありそうな気がするものだ。 毎年毎年そういう想いを持って生きてきた。 自分を理解し、そして人を客観的に非難するばかりではなく容認するという術を身につけたいと思うのである。 容認【ようにん】よいと認めて許すこと。
長谷寺へ初詣。父の盆栽は時期が時期なので植替えはまだしていないそうで逢えなかった。叔母は相変わらず明るく美しく元気で温かだった。 このお経の教えを聞く者は、皆不可思議な弁舌の才能と限りない智慧を得ることができる。よく多くの人の議論やいろいろの技術を理解し、この世が終わった時最高の悟りを得ることができる。在世中は寿命を延ばし、生活に必要な品に不足することがない。 「弁財天の福徳とご利益」より一部を抜粋 長谷寺には弁天洞窟があり、その洞窟のなかには弁財天と十六童子が祭られている。 この洞窟を入ったすぐ足下には池がある。池というよりは地面の窪みに水が溜まっているという感じかな。 我妹、三女は幼児期にこの池に落ちた。その原因は私のいたずらだったりして。外にある洞窟内を灯す電気のスイッチを落として、観光客を驚かすという遊び、流行っていたのだ。電気のスイッチを消して洞窟内の悲鳴を聞いたらまた点けて洞窟内へ戻ると、落っこちていた。 父が子どもの頃、この池へよく金魚を放したそうだ。だけど水が冷たすぎて金魚はすぐに死んじゃうんだ、と聞いた。 子どもの頃はとても深く暗く見えた池は、今の私には水溜りになった。 苦労も、そんなもんかなぁとか。
新学期が始まりました。娘はこの寒空に短いスカートに生太もも出して出かけて行きます。冷え症の原因ですな、あれじゃあ。タイツを履きなさいといっても聞く耳もちません。やれやれ・・・ で、息子はというと、9時半頃余裕で出かけていきましたがどうなってるんでしょうねあの学校は。始業式、終わってるんじゃないの?学校に着く頃には・・・というか、学校の方が思ってますね、どうなってるんだかあの生徒は、と。すみません。 どうしてこうも変わり者になってしまったのか、不思議で仕方がない。こんな息子じゃなかったはずだ。中学生になって、みんなが掃除をさぼっていても黙々と作業をしていると褒められた二年生の面談。そう、真面目なんだ、純粋に。やることはやらなければ、っていう精神ね。 それが三年生の面談では、高校受験の話しよりも掃除をしないという先生の苦言が主で(汗)先生、掃除以外の話しはないんですかとツッコミたくなるほど掃除をしなくなったらしい。真面目くんを卒業したんだ。 姑と同居をしている時にも、私が仕事でいない昼食にお餅を焼いてくれたり。そのお餅も、あまり柔らかくするとおばあちゃんが喉につまらすといけないから硬く焼いたりする気遣いがあったり。硬すぎたらしく私に告げ口をする姑(恕 足が悪くて歩行器を使いながら部屋を移動する姑が、ベランダの洗濯物を取り込む姿を見つけると、危ないからボクがやるからと声をかけたり。だけど絶対にそんな声を聞き入れる耳を持たない姑は、何度も息子の神経を尖らせたり(恕 まだ小学校低学年のときだったか、買い物帰りに待つバス停が西日の強い場所だった。バスは渋滞でなかなかこなくてイライラしながら私は立っていた。買い物袋を地面に置いて。すると息子がもぞもぞとその袋を動かすから苛立っている私は何をしているのだと叱った。すると息子は、 「買ったお肉が腐っちゃうから」 と、買い物袋を日陰に移動しようとしていたのだった。そう、あのとき大量に肉を買いすごく重かったんだ。だから地面に置いたんだ。 この会話を聞いていたお隣りのご夫人が、「あら、ほんとねえ。偉いわね」とニッコリ息子に微笑んでいた。 私は、自分を恥じた。余裕のない自分の心は、子どもの良いところを見過ごして傷つけてしまうところだったと。 親子関係は、意識して距離をおかないといけないなあと思う。ま、距離を離され過ぎた感もなくはないこの頃だが? 彼が遺したもの。 形になってこれからも未来へ続く。 血は、消えないのだ。
娘とふたりで美容院へ行った。冬休みも今日で終わりだし、ここはひとつサッパリとしようじゃないかということで。 ショートにした。違和感なし、以前に戻った感じ。色はグレー系からレッド系にしてみた。なかなか良い色合いで満足。 この二日間、姑のことを書いたら夢をみてしまった。 口喧嘩している最中に、なんと姑が歩けるようになって驚く夢だった。 恐るべし。 彼が脳腫瘍になったのは、 私と姑のせいではないかと思う気持ちが、ずっと奥底にあった。 悩ませて苦しませてしまったからではないだろうか、と。 もろもろの悔いは、一生持っていよう。 私が生きてきた道、正々堂々と持っていたいことなのだから。
な〜んにもない空に、今日も夕焼け麗しく。
みかん
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