みかんのつぶつぶ
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2002年12月31日(火) 空に聞くんだよ。

昨年の暮れから今年は、空をたくさんたくさん眺めた。
そして、この日記を通しての出会いで、この素敵な言葉を知った。

「空に聞くんだよ」

ため息をつきたくなったら上を向いて、
雲をお腹いっぱい吸いこむほど酸素を肺いっぱいに入れて深呼吸をしよう。

ありがとう。
今年は、これでお終い。



2002年12月29日(日) 紅い記憶

昨日の日記に一昨年の冬と書いたが、あれは去年の一月のことだったと気づき、少々うろたえている自分がいることに戸惑う。記憶とは、消えるそばからまた記憶し、記憶されたそばから過去を後ろへ遠ざける処理をするんだ。そうなんだ。

夕日の沈む一瞬は、命が消える瞬間と似ている。
絞り込まれた光りは、紅く切なく空を染めて。
今日という日を終わらせるための儀式のようだね。


2002年12月28日(土) 都会の雪

毎日とてもいいお天気で。だけど風は乾いた冷たさで、アスファルトの埃の匂いが年末だという感覚が染み付いている。

暖冬には都会も雪が多いという。一昨年の冬も、週末になると空から白い贈り物が舞い降りてきていた。術後、仕事へ復帰した彼を送り出すにも不安がいっぱいなのに、彼は雪を踏みしめて出勤していった。スキーが好きだった彼にとって、雪の匂いと想い出を噛み締めた日々だったのだろうか。
いま思えば、あのたくさんの都会の雪も、悪くはなかった。
いま思えば・・・

年末年始は、家族という形にどうしてもこだわってしまう。幼い頃から、お正月を迎える準備をしている様子を見て育った習慣なのだろう。

慣れるしかないけれど、まだ寂しいって思うものだ。子ども達は尚更なのだろうと考えると、やりきれない気持ちでいっぱいだ。


2002年12月25日(水) 金持ちAさん貧乏Bさん


妹が競馬で大穴を当て、ウハウハしながら報告をしてきた。じゃあ今夜はご馳走だね、とありきたりなお愛想言葉を伝えると、どうやら妹の連れ、つまりその馬券を購入しにいった相手がお腹をこわしてご馳走は食べられないという。ホント、ダメなやつだと失笑。どこまでもキミには運が向かないのだね、貧乏Bさん。
だいたいにおいて普段から心持ちが悪いことでもっぱらの評判だ、ただし、妹と私の間でね。自分も馬券を買っていた事を妹には隠していたらしい。しかも一万五千円も!それが見事に大はずれ。普段は全然興味のない何も考えないで買った妹が大当たり。以前にも同様なことがあった。欲が深くて「こすい」人間には運が向いてこないのだろうか。
で、まわりから、買いに行ったんだから一割もらえるじゃないかという慰めの言葉に「それじゃあ足りねえ」とほざいていたそうで(恕
おまえはそんな根性だからお天道様が許さないんだっっ


で、金持ちAさんの話し。
このお方、車を3台、いや、4台所有していらっしゃる。なぜかそのなかでも軽トラがお気に入り。小回りはきくし雪道も走れるし荷物はガンガン積めるしで使い勝手がいいという。
そのAさんが車上荒らしにあってしまったのですねえ昨日のイブ。娘さんとの買い物帰り、寿司屋の駐車場に止めておいた間に窓ガラスを割られてしまっていたそうで。これが軽トラだったらそんな被害にあわなかったでしょうかねえ。
運悪くベンツだったそうで、今日ヤナセに修理依頼の電話をしたんだ、と聞き終わるその瞬間にまたもや悲劇が。

ガコンっっっ
・・・
・・・
ん?

隣りにいた車がバックで出る際にハンドル切り損ねてAさんの車にひっかかってます(汗)おーい。何やってんだぁー。あせあせあせあせあせあせあせっっっ

明日はヤナセに2台ともお引き取りいただかないといけないようで。

運、悪過ぎない?二日間続けてって、どういうこと?それもAさんはどっちもただ止まっているだけなのに降ってわいたような事故。
加害者にならないだけ運がいいってこと?
クリスマスには出歩くなってことだわ。いや、徒歩が一番。くわばらくわばら。

金持ちでも貧乏でもない私はいたって平和だ。ふっ。



2002年12月23日(月) あれからそれから

江ノ島には、たくさんたくさん想い出があるはずなのに、なぜかどれを何をとはハッキリ想い出せない場所だ。なぜだろう?

むかしむかし、父は私たち娘3人を連れて、江ノ島で死のうと思ったという。
あのとき、桟橋の屋台で知り合った男性に写真を撮ってもらった。私たちが可愛いからと写してくれたんだ。写真を送る住所を教えた父は、それで死ぬのをやめたのだろうか。そうなのだろうか?

お天気がよく、明るい空にオーバー姿の私たち。母がいなかった時だから、髪の毛はみんなくちゃくちゃで。女の子の髪の毛は、母親の手があるかないかというある意味象徴かも知れない。父親だけでは、どこか少し違うんだなあと思う。

父は、毎朝部屋のなかを掃き掃除をし、洗濯をして仕事にでかけていった。私は小学校2年生。家には次女と三女のふたりだけでお留守番。お昼には戻ってきて妹達にご飯を食べさせ、また仕事場へ戻っていった父。疲れていたんだね。

窓から、祖母の住む街の空へ向かい、3人でよく叫んでいた。

おばあちゃーん、
おかあさーん、

妹ふたりは泣いていた。
私は、泣かなかった。
どうして泣いていなかったのだろう?

泣いたらお父さんが、かわいそうだと思っていたから。




ヨットハーバーに点灯した灯りの影をみつめながら、
そんなことを思い出していた。
今日は、父の月命日。
今日は、彼を納骨して一年目。


2002年12月18日(水) 白い記憶


偶然に闘病記と出会った。悪性脳腫瘍と闘うご主人に付き添う奥さんの日記とアルバム。現在進行形ドキュメント。
読むのを一瞬ためらった。どうしようかと迷った自分に驚く。どうして躊躇するのだろうか。読んだところで私に何ができる?私は何を見たい?何を知りたい?

何も何も何も。
何も戻らない。
何も帰らない。

シンとした冷え切った病室で、
真白い布に覆われた姿が結末だったのだから。


2002年12月16日(月) 家庭の味

カレーライスを食べると必ず夜中にトイレで苦しむ小学生だった私。好きだから食べすぎちゃうのか、それとも体質に合わなかったのか。

でも私はカレーが好き。
カレーを作っているときが家庭を築いているという充実感を感じる。いや、煮込み料理を作るということはキッチンでの時間を過ごす時間が長いということで、その料理に費やす時間があるという余裕がそういう想い抱かせるのかも知れないな。
夕食の準備は慌しいという記憶の方が多い。仕事から帰れば子ども達はもうお腹ペコペコで待っている。のんびりと煮込み料理など作る余裕はない。まだかまだかと急かす息子に、マクドナルドじゃないんだからすぐには出てこない!などと訳のわからぬこじ付け文句も言ったものだ。そんな息子も今では、料理ができるまであと何分かと聞いてくるようになった。出来る頃を見計らって食卓に出没するということで。

私がカレーを作ると彼がよく言ったもので、こういう家庭のカレーの味はコックには作れないのだと。へえ、そういうものなのかねえと理由も聞かずに過ごしたけれど、もっとちゃんとその話題に突っ込んで聞いておくべきだったと今日も私はカレーを煮込みながら想うのである。

我家のカレーにはチーズをのせるのが常識だ。単に私がチーズ好きだということだからだが。10年前くらいだったか、私の妹(三女)が毎晩のように夕飯を食べに来ていた時期があって。私と子ども達がカレーにチーズをたっぷりのせてトロトロにして糸ひきながら食べる様子を、妹が複雑な表情をして見ていたのを思い出す。ホント、微妙な顔してたわよね。くくく。


2002年12月15日(日) 赤い実

マフラー、あっけなく編み終わりまして。だけどこれは学校へは巻いていけないなあという娘のつぶやき・・・あら、カラフル過ぎた?


友達が実家の庭で撮ったという画像をお土産にアップしてくれた。つやつやと光輝く万両の赤い実。彼女の実家で、両親と一緒にポカポカとお日さまに当たっていたんだなぁと思い、そして、たくさん写真を撮ってきたという彼女の健気な心に胸が熱くなった。お父さんの思い出を一緒に持って帰ってきたんだね。

その赤い実を見て、私も父を思い出した。父の盆栽たち。私が行くと嬉しそうに、庭で実がなった、花が咲いたと報告する父の笑顔。お正月の庭には、千両万両の赤い実が、そういえばいつも景色にあったなあと、思い出したよ。
手入れが行き届かないと盆栽たちも可哀想だからと、先日叔母のはからいで長谷寺へお引越しをした父の盆栽たち。会いにいってみようかな。


ありがとう。
心よりご冥福をお祈りいたします。


2002年12月14日(土) 内気な一日


娘のマフラーを編み出したのだが、クリスマスまで間に合うのかは予定は未定。去年のマフラーは大好評だったと学校で先生にまでどんな編み方をしているのか聞かれたらしい。うふうふ。流行りのビッグ編み棒でザクザク編んだだけなんだけどね。今年はビッグかぎ針でサクサクと編みましょう。

リングを恐々見てたんだけど、怖いというよりも悲しいお話しでしたね。田中好子さんの表情が一番怖かったかも。あ、オースティンパワーズのDVDが発売されたらしい。フィギュアがついてくるっていうから明日にでも見にいってみようかな。

息子がテレビを見て笑ってた。その顔を見てるだけでこっちも可笑しくなる。子どもの笑い声って聞いてるだけで楽しいよね。ほんとに面白そうに笑うんだもの。ほんとに面白くなきゃ笑わないからだよね。私もそういう人になりたいな。


2002年12月13日(金) 月命日

不思議なんだけど、もう逢えないんだってね。
あんなに笑っていたのに、
あんなに元気だったのに、
キミは冷たい土のなか。

不思議なんだけど、すっごくね。
一緒にいた日々がとても遠くに感じる。
遥か遠く遠く・・・
そんな日々があったことすら夢か幻のようで。

私が逢いたくないんじゃないのに、
もう二度と、逢えないんだってね。

今いたら、
もし、いたら、
この時間は、あんな顔してここを走るのだろうかなんて、思うと涙が吹き上がってくる夕暮れの海岸線。
新しい道路ができたよ。今いたら、きっと便利に車を走らせるんだろうなあと思うと、すごくすごく切ないよ。隣りに誰がいても、どんなに楽しくお喋りしていても、私の心のなかには淋しい風が吹いてくる。


痛いよ
痛いよ

これは悲しみなんじゃなくて、
生きている喜びに震える心の痛みなんじゃないかって、そう思うようになったよ。


2002年12月09日(月) 空からの。

雪の降る街を雪の降る街を 想い出だけが通りすぎてゆく 雪の降る街を
遠い国から落ちてくるこの想い出を この想い出を いつの日かつつまん
温かき幸せのほほえみ

雪の降る街を雪の降る街を 足音だけが追いかけてゆく 雪の降る街を
ひとり心に充ちてくるこの哀しみを この哀しみを いつの日かほぐさん
緑なす春の日のそよ風

雪の降る街を雪の降る街を 息吹とともにこみあげてくる 雪の降る街を
誰もわからぬ わが心 このむなしさを このむなしさを いつの日か祈らん
新しき光降る鐘の音

<雪の降る街を> 作詞:内村信也 作曲:中田喜直


2002年12月07日(土) ふたりのわたし

傘をさし、舗道に立ち止まってみる。
人の目も気にせず、傘にぶつかる雨音だけに集中して。

自分の心のなか、どうなってるんだろうって、
ちゃんと動いているんだろうか、って不安になったから。

傘を持つ手にさえ、自分の心が伝わっていない気がする。
これは、冬だからかな。
こんなに冷たい雨だから?

いまはいない人達の笑顔を思い出すとき、
素直に微笑めない弱虫なわたし。


でも、
こんな風に想い悩む自身をまた、
もう一人のわたしがそこに、
傘をさし佇み見ている。

はやく家に帰ろう。


2002年12月05日(木) 温もり

友人のお父さんが帯状疱疹で入院しているんだけど、昨晩入院先から電話をかけてきたらしい。「もうこんなとこにはいられないから、今からタクシーで帰る」
その電話一本で家中蜂の巣をつついたような騒ぎだったらしい。
そのお父さんは5年前、庭でハシゴから落下し、頭部打撲損傷により右半身が不自由な身。その頃は私も、そういう事態になっていると話しを聞いても他人事で想像力さえも働かない人間だった。
その当時脳外科で入院中も家に帰ると言っては大騒ぎをし、友人が面会に行くといつも看護婦さんから嫌味を言われると聞いた事があったなあ。いまは、お父さんの気持ちが痛いくらいにわかるよ。その姿も想像できる。だから、今日友人に助言をしてみたが、友人の言い分としては「たった一週間の入院なんだから」どうして我慢できないんだろうってとこで。
オトナなんだからそんな我侭を、と怒る気持ちもよく分かるけれど、お父さんは身体が不自由なうえに病人なわけで。日常で流れる時間の倍以上遅く感じるのは病院のベッドの上なんだなぁ。お母さんが面会に行っても午後の2時間くらいで引き上げてしまうみたいだし、できたら夕食の介助をして、面会時間が終わるまでいてあげた方が・・・と言ったものの、それは無理らしい。無理なのか?ホントに?それこそたった一週間なんだから、家族で手分けして病室に居て上げれば?

病院の夕食は早い。18時に配膳されれば食べ終わるのは30分にしても、消灯の9時まで2時間半もある。そして消灯になれば必然的にテレビも消して暗い天井をみつめて眠りに入らなければならない。長い長い孤独の時間だ。



山は山を必要としない。しかし、人は人を必要とする。


2002年12月02日(月) 山手

山手でフラワーレッスン。
帰り道はエリスマン邸横から元町公園沿いに下り、元町商店街を抜けて駅まで歩く。秋の散歩道、落ち葉を踏みしめながら階段をトントントンとリズムよく下りる動作が心地いい。

山手は、彼が青春時代に過ごした想い出深い場所。がんセンターに見舞いに来てくれた友人達との会話も、ここ山手を舞台にした武勇伝で盛りあがっていたっけ。
その場所を、いま私はひとりで歩く。
トントントン、カサコソカサコソ。
あまり元気よく歩くと、袋のなかのお花がビックリしちゃうね。





心の痛みはだれとも分かち合えないことだけど、
だれもが共感できるのは、心の痛みなんだってね。



2002年12月01日(日) 「英辞郎」

息子がソフト辞書を買ってきたから説明書を読めという。どれどれ、ほう英和・和英辞書ですか。大変ですなあ受験生、こういうものまで駆使しないといけないわけですか。
そういえば、使わなくなった英和辞典を妹にあげていた。もう、それでは用が足りないんだね。貰った妹はというと、「私、あんまり必要ないんだけど・・・」と困惑気味。ああ、兄の気持ちを無駄にするんじゃないぞ妹。
で、そのソフトの名前。その名も「英辞郎」。ぷぷっ・・・
この「英辞郎」を使いNewsWeekを読むんですか。
私は開けたことのない英字だらけの画面を、しげしげと見つめる息子に、あきらかにお馬鹿丸だし&興味しんしんモードで「意味わかるの?」と聞いてみた。
わかるらしい。素晴らしい。おまえはたいしたもんだ。それで十分だからもう勉強しなくてもええんちゃう?あ、違うか(汗)
最近リビングに出てきてテレビを眺めている時間が長くなった理由は先日のガムテープで明らかに。自分の部屋でテレビを見ないからこっちで見るってわけね。
でもさ、日曜の午後6時はちびまる子ちゃんを見るのが楽しみなんだけど。チャンネルかえないでよぉ。。。(泣)何を見てるのかと思ったら日本テレビ。あ、菊川怜ちゃんがキャスターだ。ほぉ、キミは彼女のファンですか?それとも先輩になるかもしれない人の姿を拝見して合格祈願ですか。あ、これも違いますね( ̄ー ̄;)ゞ

何にしても、説明書読んで指定されたwebサイトからダウンロードしてインストールすればいいんでしょ。こんなことでお役に立てれば光栄ですわ。
しかし「英辞郎」は素晴らしい。文中のわからない英単語をコピーするだけでその読みから解説までがポップアップで表示される優れもの。
受験勉強にまでパソコンが必要な時代になったのかとちょっと複雑な気分だなあ。

で、てっきりNewsWeekを見ているのかと思ったら何やらピコピコ音。ん?あ゛っっゲームやってるしっ!そんなもんひっぱりだして気分転換かい!
風来のシレン・・・そういえば、以前に私にもやってみろと言ってたことがあったねえ。

そういうわけで、私がパソコンに触れる時間が少なくなり、HPの更新も中途半端になりそうだ(泣)


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