みかんのつぶつぶ
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2002年07月31日(水)

7月は、
ちょうど境目だったのだと思う。


病状の悪化はないものの、
抗がん剤の副作用で体力が消耗して、
だんだんと回復が遅くなってきていた。


そして、
放射線の後遺症と、
数々投与された薬の副作用に、
負けてきている状態だったのだった。





今年は、
蝉の声がいっそう激しく感じる。
それとも、去年は、ただ聞こえなかっただけなのだろうか?


あと6年したら、去年の夏に卵だった蝉が、
こうして木々の間から声をはりあげて鳴くんでしょ?



去年の夏、
だれよりもだれよりも光輝いた彼の命。
振絞るように、
振り切るように、


がんばったね。






2002年07月30日(火) 毎日がスタート地点で。

小学生のとき、将来は看護婦になりたかった。
なぜなりたかったか理由は定かではないが、ヘレン・ケラーを読んで感動したからだろうか。家庭用の医学百科を暇があれば読んでいた。何に興味があったかこれも定かではないが、母から取り上げれるほど頻繁に手にしていた。なぜ取り上げれたかも理由は定かではない。


脳外科というところは永遠に私には無縁なところだと想っていた。ましてや脳腫瘍なんて病名はその響きだけでも恐ろしくて。そう、ほんとについこの間まではね。そうそうめったに罹る病気ではないっていうことで、まさか私が状態でいたことは万人に共通することだろう。


「奥さんは看護婦の経験があるのでは?」
よくこういう質問を、がんセンターの看護婦さんから受けた。あるいは幼稚園の先生だったのだろうとか。国立病院では、この先看護婦として仕事へ復帰しないのかと本気で言われたこともあった。


そんな時間を経て、今の私がいるっていうことで。


闘病記の扱いに迷い、サイト休養宣言をして2ヶ月。
「みかんのつぶつぶ」を復活させようと思う。
基本に戻り、どうして私がこのネット上に日記を公開したのかを考えれば、自然に方向性は見えてくるものだと。



この世でいちばん大切なものは、
探してやっとみつけた宝箱ではなくて、
宝箱をみつけるために力を合わせた仲間とその時間だということ。




清水美緒ちゃんのご冥福をお祈りいたします...



2002年07月27日(土) つぶつぶ

HPのTOPにあるイラストは、
がんセンターで同室だったogawaさんからいただいたもので。


ほとんど眠っていることの多かったogawaさんが、
日中、看護婦さんに身体を起こされたときに目にした光景だったのでしょう。
病室を出て行く私と彼の後姿。
この頃は、まだ点滴をひき、頭にバンダナを巻いて歩いていた時期だった。
4月から5月にかけてだったかな。


これは、少しづつ元気になってきたときに、
手術がもうすぐだからその前に、と、描きなおして。
照れながら、彼の要求に応じてサインも入れてくれたんだったね。


ogawaさんの身内といえば弟さんだけで、時折、弟さんの奥さま、義理の妹さんが世話をされていた。
毎日いる私は、彼が眠っているときにはogawaさんと会話をしたり、何か困っている様子があれば声をかけてみたりと、そんなふうに過ごしていた。
そんな頃が、一番安定した時期だった。
ogawaさんも、彼も、少しづつ会話ができるようになったりと。でも、抗がん剤が入ると、とたんに彼は寝こんでしまい彼が元気になってくるとogawaさんの容態が悪くなったりと、そんなことが日常的だった病室で。
元気であれば食事の制限もなく。ogawaさんの好物だからとその妹さんが持参される豊島屋の小鳩豆楽は私もまた大好物で。
お抹茶にはこれが一番合いますよねぇなどと世間話をしながら、彼が好んで食べていたポテロングと物々交換。
プロの領域に達している腕前の作品を解説付きで拝見させてもらったり、
伊勢佐木町のあの焼肉屋の隣りにあるラーメン屋が美味いんだとか、
美空ひばり記念館のそばにある総菜屋のコロッケが安くて美味いとか。
食べ物の話題で盛りあがったり、中華街の昔話を聞かせてくれたり。



そんな穏やかな、ゆったりとした時間を過ごしていたなかで、
でも、夜が恐いです、と、弱音を私に吐き出していた。



7月に入ると、ogawaさんの病状は悪化していった。
毎日眠っていることが多くなってしまい、食事の時間もひとりで食べることがままならなくなってしまった。
時折、何かを要求されている様子なので声をかけると、
「旦那さんはいかがですか、」と、白血球低下でグルリとカーテンをひかれ隔離されている彼を気遣う言葉をいただいた。
このときが、私とogawaさんの最後の会話だった。
そのうち、ベッドサイドには心電図がおかれ、食事も運ばれなくなってしまい。



個室に移って3日後、ogawaさんの表札は消えていた。













7月は、ogawaさんの一周忌なので、
出会えたことへの感謝と、ご冥福をお祈りして・・・



2002年07月26日(金) それでも生きていくこと。

がんセンターで再会した元職場の先輩。
偶然にも、彼女のご主人と主治医が同じだった。すでに退院して、毎月の定期検診で外来に訪れる状態だった。


診察にくるたびに私達の病室へも顔を出してくれて。
同じ脳腫瘍患者を看ている心の動きを、言葉にこそ出さないけれど、美味しいものを持っては私に食べろと励ましてくれた。


彼女のご主人もまた、開頭手術と放射線治療、そして化学療法を経ていた。
脳腫瘍患者ががんセンターで化学療法を施すということは、やっぱり悪性であるということで、ご主人も同じだった。


1時間ほどある道のりを連れてくるのは大変で、とこぼす彼女。
治ったのだけれど、ね。術後後遺症にどうにもならない苦悩。



がんセンターを退院してから連絡もとらずにいたけれど、昨日一緒になった友人から彼女の話しを聞き愕然とした。


近所のスーパーへ買い物へ行き、少しの間ご主人をひとりでベンチに待たせたらふらりとどこかへ行ってしまい、探してもみつからず、どうしたものかと家に帰ったら交通事故にあったと連絡が入り、現在は入院しているというのだ。


後遺症によって方向感覚もなくなってしまい、言われたことはすぐ忘れてしまう。
けれど自分の意思は持っているので、心配になったり気がついたりすると、それだけを思い行動してしまうのだ。


だれも悪くない。
動いてしまったご主人が悪いわけではない。
置いていった彼女が悪いわけではない。


そして、
そうなって奥さんに迷惑をかけたということがまたご主人には理解できて、理解はできるけれど、やっぱりまた同じことを繰り返す自分も理解していて。


そんなことが少しわかるだけに、
安易に声をかけることができない自分がいることに気づく。


私の状況を考えると、変に気を遣わせてしまうことになるから。
そっと、遠くから想っているよ。


がんばって。




2002年07月25日(木) 人という字はね、

結局は。




何をしても

何を見ても

なんにも解決しない。



自分だけの苦悩。



でも、

少しづつ、

生々しいものに触れることができるようになった?




心を鈍感にしてね。

少しは手を出そうという気になったかなぁ。

さっぱり自分の気持ちが読めない気がする。



なにかに、

なにかが、

やっぱりつっかえてる気がする。



わたしは悪くなーーーいっ


って、


海で叫んだらどうだろ。とか。






私は悪いですか?







.......*.......





小さいものに救われる自分に気づこう。



自分より小さきもの、こと。

子どもに救われることってある。

老人に慰められることってある。

手を出してへし折れる草花に気持ちが和む。


救われてる。


車椅子で街を通りぬける人の姿に励まされる。

がんセンターで病と闘う姿に、

闘う姿に、

闘う姿に、




勇気をもらう?




ある意味では、

勇気を与えられたかもしれない。

これからの人生で私が直面する痛みは、どおってことないぞ、と。




でも、

勇気をもらう、とか、

励まされる、と、

そんな甘いことではなくてね。

現実は、

そんなに綺麗な言葉で飾れないことが多くてね。



早く治ってね



治ったら、どうなる?
治っても、病に罹る前には戻らない。

安易な言葉は傷つけるよ。

だけど、

そんな安易な言葉にさえも敏感に感動して、
患者は涙を流すこともあるんだよ。



特別な言葉や扱いはいらないから、
普通の簡単なごくありふれた会話を心がけ、
そんな会話のなかでどんなことを感じたか言葉にしてくれたら、
その大切な言葉によく耳を傾けて、
つじつまが合わなくてもさえぎらず、
患者の気持ちが動くままに言葉を交し合う。


でもね。
やっぱり敏感な心を思いやる気持ちを忘れずに。


お互いさま、ってことを、
患者と看護する人間の間にあれば、
こんなにいいことはないよね。


支えてくれて、ありがとう
支えとしてくれて、ありがとう


ね。




2002年07月24日(水) 母と息子

最後に、

あれが最後だったかも知れない笑顔は、

眠っていたときの笑顔だった



目を開けた彼に、




「笑っていたけれど、

なんの夢をみてたの?」と問いかけると、












「歩いてたんだ、一生懸命」











小さな声で、

得意顔になって、

意識が混濁するなかで、

このときだけは、ハッキリと、確かな彼の言葉になって





ベッドに横たわる足元で、

母が彼に呼びかけていた





「どうしたんだ、こんなになって

起きて歩かなくちゃだめじゃないか

一生懸命に歩かなくちゃ」





眠っている彼の耳に、母の言葉が届き、

その言葉のおかげで、歩けたんだね





ホントは、大好きだったんだよね、お母さんのこと。





2002年07月23日(火) 日誌

いつも読んでくださって、ありがとう。
検索されていらっしゃるかた、お世話さまです。
お願いですから「みかんのつぶつぶ」と入力してください。
「つぶつぶみかん」で、「つぶつぶ」も「みかん」も当たりですが(笑
それと、「枇杷の木」と「どくだみの花」で偶然ヒットしたのか・・・、
いや、このキーワードで数回いらしてくださってるので。

えー、お気に入りに入れくださいっっ植物図鑑みたいなので(汗

なんだか台風がまたまたやてくるの?
とにかく蒸し暑くって、でもクーラーはまだつけたくないので、
扇風機の熱風でごまかしごまかしパソコンの前に。

息子は朝から晩まで夏期講習のため塾へつめっきりで。ご苦労さん。
娘はスラムダンクの再放送をかかさずビデオに収めてる日々で。

こんなふうに夏休みは始まりました。


2002年07月21日(日) 百日紅


季節は、

どんなときにも平等にやってくるものだと思っていた。



だけど、

もうこの夏を過ごすひともいないということを、

チクリと思い出し。



夕暮れの舗道に、

百日紅が花開いていることの悲しさ。



真昼の熱気が、

足元から放出されるこの時間は、

解放感と同時に妙な感傷が全身を包み込む。







どこへいってもいないんだよね。


やっぱりね。







刻み込まれたその姿を、夕暮れの空に写しだす作業に没頭する。

自分で時を止める。

ありふれた、ありきたりの、ただの夏の日を過ごすはずだったのに、

こんなにもこんなにも、

行きつくところのない感情を抱える時を迎えることになるなんて。






そう、もうあのひとはいませんよ

ゴム草履でそのガードレールをまたいでいたあのひとは、もう







引っ越そうかな。


2002年07月20日(土) 花火

もう夏休み。


昨日、どこからか風に乗って花火の音がしてきた。


ベランダにでて夜景を見渡すと、
がんセンターの方角に花火があがっていて。


去年、確かそんなことを話していたことがあったかもしれないかな、とか。


看護婦さんに聞いたことがあったような。





ドリームランドの花火が上がると、

部屋にいる娘を呼んでベランダで一緒に見ていた姿を思い出し。




もう、なくなっちゃったよ、ドリームランドも。

奇遇だね。


2002年07月16日(火) 送り火

さよならは、やっぱり淋しくなるものだね。




迎え火も
送り火も
どちらも月明かりの下で。




晴れ男だね、相変わらず。






また来年ね。





2002年07月15日(月) めぐる季節のなかで

5年が経過しました。

今日は、お引越し記念日です。

5年前も、よく晴れた日でした。

息子は中学1年、娘は小学5年。







鼻の頭に汗をかきながら、荷物を整理していたね。

たった5年前のことなのに、なんだかとっても歳をとったような気分だよ。







大きな荷物を運んだエレベーターで、

キミが運ばれてくることになるなんて。







キミのためにこうして、

祭壇を用意することになるなんて。










大好きだったご飯と、

飲みたがっていたビールと、

とっても大切にしていた時計と、

いつも離さなかった煙草と、








いくらあげてもあげても、応えはかえってこないけれど。












不思議だよ、もう会えないなんて。








2002年07月13日(土) 迎え火

ゆらゆらゆらゆら



白い提灯は目印です

ここが貴方の帰る場所ですよ







めらめらめらめら


オガラの煙に乗って、精霊たちは戻ってきます

おかえりなさい おかえりなさい






紋天の灯りがしみじみと、

闇のなかに染みわたる


こんな夏もあるんだね。

静かな静かな夜です。






2002年07月12日(金) 前夜祭

スター・ウォーズ エピソード1 

おもむろに自分の部屋から出てきた娘がテレビをつける。

金曜ロードショー。







ああ、これ、お父さんと見に行ったんだよねえ






うん、そうそう







チネチッタで見たの?







横浜だった







そっか








中1でしたね、あれは







そうだったっけ?







そうだよ















そうか。

娘には、たった3年前の出来事で。

ついこの間のことで。

生まれて初めて、父親とふたりで観に行った映画だったんだ。

それも思いついたように娘を誘っていたっけ。

彼は、映画小僧だったらしいから。

スター・ウォーズに夢があったみたいでね。

何年も待って、やっと上映されるからどうしても行きたかったのだろう。






感想は、あまり面白くなかったよ、昔のほうが夢があってよかった、って。

そんなことを言っていた。









今日、私も初めて観たよ。

キミのために飾った提灯と一緒に。





2002年07月11日(木) シトロン・プレッセ

どうしてでしょうか、息子が家にいますが。

もういちいち休んでいる理由などは聞きません。

ただ、具合が悪いのかと体調を確認するくらいで。

放置しているようですが、これもなかなか忍耐がいる作業です。

おそらく息子は、

土日にひかえた東大模試に備えて集中自宅学習時間をとったのでしょう。





「あのさ、あんまりアンタには関係ないと思うけど、土日、東大模試だから」




ええ、関係ありません。

しかし、入るとなるとおおいに関係あります。

なので、質問をしてみました。言葉を吟味して。




「ところで、一体どこを受験するわけ?」


えー、我ながら単純明快なそれでいて的確な質問だと(違






「・・・東大と横国は一緒に受験できないから」


一瞬とんちんかんな回答です。不親切ですね。

が、これには、おでんのがんものようにたっぷりと汁を含んでおりまして。

私が受験をするなら自宅近くでいいのではないかと言ったことがありまして。
内心は、東大をあきらめて欲しかったので。っていうか、ほとんど無理だろぅってことで。

昨夕の台風接近中の暴風雨のなかも塾へ出かけてました。

それだけこの東大模試に集中しているってことなのでしょう。


で、息子のこの私にたいする回答は、これ以上意味不明な質問はするなよ、ということで。

さすが。やられました。一撃です。











もうお盆なんだね。









趣味嗜好だけのサイトを公開しました。

ゴルフネタをここに書くと、うがち氏からクレームがくるので。へへ

ゴルフ部門はあちらでどうぞ。

http://cocofree.com/coolmikan/    citron presse'



2002年07月10日(水) 渡る世間は鬼ばかり風味

台風直撃の模様(汗)

明日は晴れるのかな?晴れるといいねえ。




そうそう。

お墓に彫られていた戒名ですが。

頭数合いました(汗

お義母さまの記憶が正しければ、もう必要のない戒名だとか(大汗


で、

墓石代を、お義母さまもご負担くださるというお申し出がありまして。

嫁としてはハイそうですか、と素直に受取るわけにも参りませんので、

一応やんわりとお断りしたんですが。





あのときお母さんは


知らんふりしてたから、


もうお墓にはいれないわ、


なんて言われたら、


アタシ死んで入るとこ


なくなっちゃうと困るから。
(鬼婆


だからお金、是非とも出したいそうです(恕


こんな暴言を吐かれた未亡人みかん、さめざめ涙するの巻?




←うがち氏自慢作「ちちち」アイコン(修正
















大丈夫ですよ、



ちゃんとお義母さんが入る分も



用意しておきますからっっっっっ









即座にお返ししておきました、しっかりと(鬼嫁




2002年07月07日(日) もしも願いが

短冊に願いごと。

いつから素直に書けなくなったんだろう。



去年はね、

看護婦さんが短冊と折り紙を持ってきて。

なにかお願いごと書いてねって。




なにを書いたんだっけ。




ああ、

ここに入院している人達が、寂しい思いをしないように、とか。


そんなことだったかな。





七夕は、いつも切ない想い出ばかりだったから、

子どもが生まれて、楽しい季節にしたくって。

いつだったか、

近所の農家から大きな笹をもらい、

担いで子ども達と持ちかえったこともあった。



たくさんの短冊と、

キラキラ金紙銀紙のお星さま。

ピンクの色紙で作った天の川。




願いごとは、叶った?












もしも、

ただひとつだけ叶うならば、

どうぞ、

父親を亡くした子ども達の夢にそっと、

笑顔で元気にしている姿をそっと。





私にも、妹にも。



2002年07月06日(土) それでも幸せだったとおもう。

夏の日差しがあまりにも眩しく感じるのは、

自分の影がよけいに色濃く浮き出てしまうから。





がんセンターへの坂道を上りながら、

ただアスファルトからの照り返しだけをみつめる。



でも、

私はまだいい。

こうしてこの日差しのなかを汗だくで歩いて行くことができるのだから。

いくら憧れても、

それは叶わぬことで、

病室からこの夏の光に照らされた景色を見ることで、

癒されるどころか、

もっと傷ついてしまい、

焦り、涙することも忘れて、

いつか見た夢のように、

あきらめるしかない夏を過ごすひと。





そんな苦悩をも、

夏の日差しはまんべんなく照らしだし浮きだたせ、





あんなに残酷な夏は、もう二度とごめんだと日陰に入り込む。





2002年07月05日(金) なんでもないようなこと。

娘と食料品売場へ。

夏野菜がここぞとばかりに山積みにされて。



ね、トウモロコシ食べる?



娘があまり好きではないことは十分承知で聞いてみる。



食べないよ。そんなすぐに歯につまるもの。



納豆やピーナツ、枝豆、豆好きな彼だからトウモロコシもてっきり好きかと。
去年、お友達からいただいたトウモロコシを茹でて持っていくと、



あのね、俺はトウモロコシ嫌いなの知らないの?



知らなかった。そうだったんだ。へぇ。

娘に話すと、知らなかったの?父親、昔から好きじゃなかったよトウモロコシなんて。だって。

そんな風景をふっと思い出し、



そうだねえ、お父さんも嫌いだったねトウモロコシ。



娘に言うともなくトウモロコシに向かってつぶやく。すると、




そう、何気に好みが父親と一緒なんだ。



娘も私を見るでもなく言葉を吐き出す。







そうだね。お父さん大好きッ子だもんね。



おちゃらけるつもりでそう言うと、








うん。













トウモロコシがとたんに滲んで見えた。

買い物カゴを持ちなおして、トウモロコシの前から離れる無言の私と娘。






そうだよね。

大好きなお父さんが死んじゃったんだよね。




死んだらダメじゃんね、お父さんったら。








2002年07月04日(木) 拝啓 息子殿

河合塾 高3第1回全統マーク模試において、
特待生の基準をクリアされましたので、ここに認定の通知をいたします。



おおー、すごいぞ息子。

いままでは半額免除程度だった教科が、すべて全額免除になるっっ


思いつめているかのように勉強をしている様子に不安を抱いたけれど、
こんな風に結果が出てきたことで、私は本当に安心した。

久しぶりに感動したわ。







誰にも理解されなくたっていいんだよ。

過程よりも結果が人生なのさ。

その寡黙な優しさを理解できる人間に、必ず出会えるよ。

出会えるような心を忘れないで。


2002年07月02日(火) むしまるQ

携帯、かえました。

P504i オニキスブラック

ええ、変わりものです。ブラックなんて。

でも、この色が一番素敵に見えたんだぁーい

iモードは明日の9時から開始だそうです。けち。




で、美容院へも行きました。

3時間半かかりました。

居眠りしてました。カラーリングちぅ。(照)

ちょっと軽めにカットしてもらって、夏気分かな。




あまりの蒸し暑さに、ほとほとイヤになってますわ、この重めの身体・・・(泣)





急きょ、明日は鎌パブでラウンドです。

今日予約で間に合ったそうで(汗)

7時半に出発して晩御飯までに帰宅。じゅうぶんに間に合うので、気軽です。

雨降ったら即キャンセルするからと念を押して約束をしました。これ大事ね。

だって、せっかく綺麗にカラーリングしたのに酸性雨で変色したらいやだもぉん。


楽しんできまぁす。


2002年07月01日(月) 月光仮面

7月ですね。

早いもので、お盆の用意をしなくてはいけません。

仏壇屋さんからも連絡があって、
早めに提灯を選ばないといい柄がなくなってしまうからと。

で、問題が、墓石。

ひび割れが気になっていたところ、やはり変えたほうがいいと。うう。

見積もりが送られてきたんだけど、



戒名彫代 5名分



5名?

えっと、私が把握している人数は、

おじいさん、おばあさん、おとうさん、彼。計4名。

んー。

だれ?

明日にでもお母さんのところへ確認の電話をしなくてはいけませんね。(汗)

しかし、墓石代よりも彫代のほうが倍以上するんだねえ。勉強になったわ。









今日の題名の解説を。

♪どーこーのだぁれかぁは しーらないけれど♪

って歌詞からで。えへ。






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