みかんのつぶつぶ
DiaryINDEX|past|will
今日で6月も終わり。
去年の日記を読むと、 あのときの場面がそっくり空気の色まで思い出す。
2001年06月30日(土)
身体がね、 くにゃくにゃしちゃってね・・・ お風呂からね、 上がれなくなっちゃった。 しかたがないからね、 看護婦さんを呼んだのだけれど、 とってもとっても 悲しそうな顔をした彼。
こんなことすらできない・・・
昨日の常識が、 今日はもう、常識ではなくなってゆく。 これ、 意味わかる?
死んじゃうから? いいの? こんなふうに どこまでも辛い思いをさせても 仕方がないの?
お願いだから、 このまま息をとめるようなことは しないでください。 せめて、 せめてもう一度、 風を切って 大手を振って 歩かせてください。 自由の風を 彼に、 あたりまえのことを 彼に、 ささやかな幸せを彼に、 一生懸命耐えたご褒美を彼に、 神さま・・・
------------------------*---------------------------
少しでも、
彼の気を紛らわせようとして、
私には自然に接することを通り越して、
毎日、
いま以上に彼が快適に過ごせることはないかと必死だった。
「〜してあげる」
この行為でしか彼を救う手段がなかったから。
すべてひとり。
私だけの責任。
彼もひとり。
ひとりで闘うしかない。
彼の身体にある腫瘍は、
彼をターゲットにしているのだから。
痛みを理解することなんて、だれにもできない。
だから、
「理解してあげる」姿勢を彼に見せることで、
彼の心が穏やかになってくれるだろうと信じた。
所詮、
別の人格、別のDNA、他人。
縁あって一緒にいるのだから、
思いやりをもって、
なにかをしてあげたいと思うのは、自然なことなのでは?
私は、そう思う。
私は、彼によく言われたことがある。
初対面で親切にしてもらって嬉しいのはわかるけど、 そういう人には、ちょっと気をつけたほうがいいよ。
これは、私の浮ついた姿をたしなめる言葉だった。
もっと腰を落ちつけて人を見なさいと。
いつも彼は、
私の意見を否定した。
違う意見を持ち出してきた。
いやだな、と何度も思った。
私を理解することをしないひとだと思って、反発した。
でも。
一番私を理解していたのは、やっぱり彼だった。
彼は、
私の考えが狭くなることを止めてくれていたのだ。
わがままな私を、
億劫がらずにたしなめていてくれたんだね。
いろんな場所へ行って、 いろんなものを一緒に味わって、 いろんなものを一緒の視界に入れて、 いろんな出来事を経験して、
だから、一緒にいられたんだよね。 だから、病気になっても一緒にいられたんだよね。
笑っていても泣いてるって、 言葉には出さなくてもわかっちゃうから。
よき出会い。
娘が仕舞い込んでいるCDを引っ張り出してくる日々ですが。
だいたい私が買ったCDを自分の部屋に拉致するのはやめてくれ娘(恕)
DISCO QUEEN というタイトルでカバーの裏表に中尊寺ゆっこさんの絵が描いてある。
こんなのすっかり忘れてたし、あったの。
ここには私の求めていた曲がっっっ
RING MY BELL-ANITA WARD
これ、当時探したんだけどみつからなくてあきらめていた曲で。
You can ring my bell,ring my bell ←この部分がなんとも妖しげで
ま、あの当時にはアラベスクが全盛期で。
私は恋のペントハウスが1番好きだけど。 この間、石原良純さんの天気予報でBGMになっていた。ヴェリナイス!
ペパーミントジャックはいまでも踊れます。ハイ、すみません。
あの頃お付き合いしていた国士舘のお坊ちゃんお薦めは、
ダイアナ・ロスのアップサイドダウン。
名曲なんだ、って。
あ、そういえばどこへ行っただろう・・・あったはずなんだけどぉ
ちょっと探してこよ。
ああ 人は昔々
鳥だったのかもしれないね
こんなにも こんなにも
空が恋しい
このところすっかり梅雨空が居ついてる。
雨で外出も苦にならなくなった。どうしてだろ。
傘をさしてトボトボ歩くことが楽しい。
くちなしの花の香りは、鎌倉の街を連想させる。 湿気とくちなしの花の香りに重なり合う潮の風。
想い過る父の面影。
父を火葬場へ移送するとき、鎌倉の海岸線を伝っていった。 葬儀社の社長のご好意・・・
父に手をひかれ何度も歩いた砂浜。
磯遊び。獲れたてのウニを割って食べたときのあの汐の味。
花火大会のあとは必ず商店街にある牛乳屋さんでかき氷を食べて。
海水浴のあとは中華料理屋で冷やし中華。だけど小さい妹には酸っぱすぎて。
父の遺影を抱え途方に暮れ、ただ眺めるだけの景色だった。 季節も秋深いというのに、 休日の海岸線には人の波が絶え間なく続いていた日で。
海は、空の色を映し出しているという。
ならば空の上にいるひとの姿も、映っているのだろうか。
傘に隠れて、こっそりとそんなことを想い歩く道々。
紫陽花の花びらも、こんなに散り落ちるのかと初めて知った6月で。
* この空を飛べたら 加藤登紀子 *
2002年06月27日(木) |
CA POURRAIT CHANGER |
LAMOUR EST BLEU
う〜ん、素敵。
新しいHPの名前は citron presse'
趣味だけのサイトです。
Golf&Painting これしか能がないので。汗
つぶつぶは、医療ページオンリーで。
ターミナルケアについても、少しでも触れられればと・・・時間かかるなぁ。
でも、あせらずじっくりと。
別サイト案は、DORAくんがアドバイスくれてました。ありがとう。
とにかく先にADSLをセットしてから、サクっとね。
古畑任三郎さんの携帯の着メロは、黄色いサクランボ。
CLOSE TO YOU - MAXI PRIEST
音楽は何が好き?って聞かれるととっても困る。
好きっていうからにはそのアーティストについて知識がないといけないような。
五感で感じたものが私の好きな音楽。
じゃあ、よく聞く曲は?って質問には、迷わずレゲエと回答を。
すると一様に、
「へえ〜めずらしいね」
めずらしいのか(汗)
めずらしいと言われることが私には驚きなのだけれど。
CLOSE TO YOU この曲が好きでねって、美容院でお喋りしているときに話題になって。
5年前に通っていた場所。
予約制で、1時間にひとりのお客さまだけをカットするという我侭な店主。
AB型。
CDあるからかけてあげるよ。と、とっても嬉しそうに。
趣味があうっていうのは何気に嬉しいよね。
このセクシーな声が流れるなかカットをしてもらうって、すっごく幸せ。
幸せなんだけど・・・
なんだか無言になってきちゃうし。
雰囲気ありすぎちゃって、困った想い出の曲だ。(汗)
だからこれはひとりで聴くに限る。個人的に。
JAMAICAN IN NEW YORK - SHINEHEAD
これって、とんねるずのみなさんのおかげです、で流れてたことがあって。
心地いいですわ、とっても。
ALL THAT SHE WANTS - ACE OF BASE
この曲を聴くとどうしてかMUSKの香りと夏の芝の匂いを思い出す。
MUSKはJOVANで。
THIRD WORLD - TRY JAH LOVE
イントロがめちゃくちゃ好き。
この曲と出会ったのは、19の夏。
横浜の地下街。
東急ホテルのビヤガーデン。
バニーガール。
ショットバー・クライスラー。
セリーヌのブラウス。
トラサルディのバック。
ミハマのカッターシューズ。
ボルトのTシャツ。オレンジ色でパインの絵。
ブルーのワンピース。
コパトーンの匂い。
アラミスの香り。
ふふ。
♪も〜ど〜にでもして〜 CD化されるらしい。♪きみの笑顔をみて腰砕け〜♪ うがち氏のお気に入りですわ。癒し系。 あのキャラ、キミに似てるかもよ?言葉を話さなければ。ぷっっっ
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「迷いながら捨てたものは、もう一度拾って見直さなければ、前に進めない」
この言葉は、作品市場に出品されている小説のなかの文中にあって。 なるほどなるほど、だから私は拾い集めることが癖になっている日々なのだと納得したり。
あの日々に戻り、彼のそばへそっと近寄り、もう一度、正面から見つめてあげる余裕ができた現在の私は、もっと彼の気持ちを察してあげることができるのに。 それが叶わない今、こうしてそっと日々つらつらと文章にしてここへ置いてゆく作業で解決するしかないのだろう。
あれは、愛しい日々になっているのだろうか? 目を瞑り、何もなかったように過ごす自分を戒める作業になってはいないだろうか。
何かを語りたいのに、それがどうしても上手く表現できない、 というよりも、形にならないもの、こと、そして気持ち。
臨終を迎えるまでの1週間、泣いたのは悔し涙だけだった。たった5分。看護婦の対応に腹を立てて。 死を迎えることなんて、全く私のなかにはなかった・・・いや、認めることができなかった。 それは、永遠に続くであろう日々が脆く儚く目の前で薄れて行く様を感じずにはいられなくて、それをどうしても否定したいという現実逃避だったのだろう。
彼が危篤状態になっているなどとは思えず、私はあの朝、浴衣を洗濯した。コインランドリーで、ふかふかにした浴衣を持ち、彼に着せてあげようと。 ただ、それだけの想いで。 だが、医師から呼びとめられ、もう、側にいてあげたほうがよいと言われた。
病室を空けることは、やめなさいと。
私のなかで、何も動揺がなかった。
ああ、そうか。病室にいなければならない・・・
ただ、それだけだった。
病棟の廊下には、朝食を知らせる配膳の声と音。
「お食事でーす」
死後の処理が済んだという病室へ入ったときに、彼の姿がないと想い、 一瞬立ち止まり、目を凝らし、そして、 ベッドに覆われた白い布が、彼の姿だと気づいたときに、ギクリとした。
荷物が全て持ち出され、人の気配のなくなった病室に、 真っ白な布で覆われた彼は、もう、存在感のない姿になっていた。
まるで、長年人の住んでいない屋敷にある家具のように覆われて。
淡々とその動かなくなった身体に洋服を着せる作業。 退院したらまたこれを着て仕事へ行くのだと、入院する前に彼が買っていたシャツ。
ピンクのそのシャツは、白くなった彼の顔色に悲しいほど映えて。
帽子を被せて。
これから寒くなるから、丁度いいわね・・・と、看護婦さんが彼に声をかける。
娘は。 いつのまにか、彼の枕元にずっと提げてあったお守りを握り締めていた。 いまでも、家の鍵につけて、毎日カバンに入れて過ごしている。
息子は。 姿が見えないと気づいたら、会計前の、外来の椅子に座っていた。 学生服姿で。詰襟が、妙に悲しくうつった。 その制服という鎧で、彼は自分の気持ちを守っていたのかも知れない。
私だけがあの場面にいたわけではなく、 子ども達も一緒にいた空間。
もし、子ども達が同じように、 こうしてあの日を想い返しているとしたら、 それが一番悲しいことだな、と、 煙草を買いに出た数分の道のりで考える。
アノヒニモドッテモ、ヤッパリカレハシンデシマウノダヨ
拾う勇気もない私。
だけど感覚が甦る。 一瞬にして飛んで行くあの日あの時。
喪失感。 これが、そうなのだろうか。
* 作品市場 小説ジャンル「ガラス窓のある風景」*http://www.sakuhin-ichiba.com/
2002年06月24日(月) |
変人の変人による偏食 |
ひそかにお気に入りは、不二家のティラミスパフェ。 パフェって上から食べていって下へ移るうちに上のアイスが溶けたりして、 すっごく甘くなっちゃうじゃない? それがこのティラミスパフェは、下に入り込んでいるのはコーヒーゼリーで、 このゼリーがまた甘くなくてちょうどいい具合に香ばしい。 チョコレートアイスがドロドロ溶けたなかにコーヒーゼリーの苦味が、 なんともいえないハーモニーって感じですか。うふ♪
で、一番のお気に入りはデニーズのブラウニーサンデー。 もともとブラウニーチョコが好きなのもあり、このブラウニーにチョコアイスが染みこんだ日には、もうもう。 で、最近これにチョコプリンなんかも乗っかってきて、たまりません。 ちなみに622Kcalですわ。。。
あともひとつは、ロイヤルホストのブルーベリーヨーグルトサンデー。 いまはメニューにないのかな?ヨーグルトアイスが爽やかで、ブルーベリーソースはいらないかなって感じなんだけど。 ここのオニオングラタンスープはいつも注文する。何気においしい。
スカイラークガーデンへ行くと必ず注文するのはサラダピザ。 薄い生地に千切りレタス&オニオンとスモークサーモン&生ハムがのっかり、 その上には、温めたチーズソースをじゅわっとかけてマヨネーズが網状にかかってる。 これは絶品です。温かい生地で冷たい具をギューっとはさんで食べるときは、 誰のまえでも気兼ねなく大口あけて食べてしまいますわ。おほほ モーニングが安くて美味しい。 ただ、最近はガストに変わってしまう店舗が多くて残念。
あ〜〜〜お腹すいた。
こんな日は海に行きたいねぇ
油蝉がガンガン鳴いて、 向日葵が燃えるような陽射しのなか揺らぐ夏の日。 喫煙所のベンチで私は彼にそう問いかけてみた。 きっと、そうだね、行きたいね、と答えてくれると思って。
無理いうなよ・・・
彼は、視線を下に落とし、疲れた笑顔でそう答えた。
私は、その彼の言葉で、 ああ、いまは精神状態が安定しているのだと安堵し。 だけど、その安心とはうらはらに、 そう現実的な回答をする彼に、ドキリとした。
気分を変えてあげたくて、 好きだった海を想い出したら少しでもその時間は、 病室を忘れられると思ったのに。 逆に彼を悲しくさせるだけになってしまったのだった。
夏をあきらめて。
波音が響けば雨雲が近づく 2人で思いきり遊ぶはずのOn The Beach きっと誰かが恋に破れ 噂のタネに邪魔する キミの身体も濡れたまま 乾く間もなくて 胸元が揺れたら しずくが砂に舞い 言葉もないままに あきらめの夏
Darlin' Can't You See? I'll Try To Make It Shine Darlin' Be With Me! Let's Get To Be So Fine
岩影にまぼろしが見えりゃ虹が出る 江の島が遠くにボンヤリ寝てる このままキミと あきらめの夏
〜サザンオールスターズ〜
江ノ島へ、初めてふたりで海水浴へ。 当時流行っていたその曲が、そのとき私の頭に流れてきた。 幾つもの夏を過ごしてきた私達に、こんなにも悲しい夏が訪れるなんて、と。
もう一度、 潮風をその胸に、 海の光をその眼に、 波の音をその耳に、 砂浜をその足に、
連れて行ってあげたかったよ。
いや、 連れ出す勇気が欲しかった。
私に、もっともっと知恵と勇気があったならば。
ごめんね。
2002年06月22日(土) |
変人による変身する理由 |
抗がん剤4クール目開始。 この頃から彼の精神はバランスを崩し始めて。 どうしてか。
それは、もうすぐ7月だというのにこうして病室で毎日のんびりしている自分に焦り始めていたから。研修所は夏になると保養客で満室になる。責任者として段取りをしたままその場から離れた自分が行かなければならないという責任感。だから、失見当識のなかで、病院を職場だと想い込み、ベッドは彼のデスクになったのだ。その時期に、もうひとり脳腫瘍の術後で、回復したひとりの女性が同じ病棟にいた。歳は50ちょっとくらいだろうか。看護婦をしていた、しかもその病院で。職場で倒れたという。彼女は術後なかなか病室から姿をあらわさなかった。だが、1ヶ月、2ヶ月が過ぎ、ようやく点滴をひいて歩くようになった。そして、その点滴をひきながら、病棟へ戻り勤務をしなければならないからと、看護婦さん達を困らせていた。目を離すとエレベーターに乗り、自分のいた病棟まで行ってしまうのだ。同僚でもあった看護婦さん達は、とても辛い想いで彼女を監禁しなければならなかった。 そんな様子を見ていると、もしも彼が自由に動けたならば、きっと同じように自分の職場を求めてさ迷い歩くのだろうと、胸が痛んだ。動いて探して自己の世界を堪能できたら、どんなにか彼は救われるだろうと。 それさえも許されない彼に、追撃ちをかけるように抗がん剤治療の日々。 彼は、虫になるしかなかった。 そして私はその責務感と罪悪感渦巻く気持ちを押し殺しながらそばに寄り添うしかなかった。時折涌き出る焦燥感で、バランスを崩している自分に気づき、現実を見るという状態だった。 余命5ヶ月。いま思えばそういう状態であったにもかかわらず、彼に治療を押し付けて、希望という文字に縛り付けていたのかも知れない。彼のなかでは、すでに安息する時間を求める気持ちが膨らんでいたのかも知れないのに。しかし彼には、その病状ゆえに表現することができなかった。脳疾患の残酷さ。
動きたいと要求する彼に、どこまで追いつけるか不安だった。 その要求する気持ちがわかるだけに悲しく、その悲しみで私の思考は冴えなかった。 泣いたらダメ。泣けば彼のその姿がとても悲しい物になってしまうから。 誰にも非難なんかさせない。 させるものか。 こうして車椅子に乗る彼を、可哀相だなんて誰にも言わせない。 中途半端に気の強い自分がいた。
貨物列車の汽笛が響いてくる。 彼と過ごした日々を思い出す。 想い出は、貨物列車に運ばれて。
汽笛をひとつ鳴らして、生きていた日々は一瞬に過ぎてしまったようだ。 死ぬ瞬間とは、そんなものだ。
2002年06月21日(金) |
変人による変身の過程 |
グレーゴルの姿は、入院中の彼の姿と重なる。
なんともいえない読後感。 でも、嫌な気分ではない。
ある朝、 目覚めた寝床のなかで、自分が1匹の巨大な虫に変わっているのを「発見」する。
またいつものように日常が始まろうとする日常的な目覚めは、 実はまた違う日常の始まる始めだったとういうことか。
人間はそんなことの繰り返し。
ただそれだけのこと。
背中に刺さった林檎。 致命傷。 悲しいと想った。
たとえ明日世界が終わりであっても それでも私はりんごの樹を植える
そのりんごの樹を植えるという自分の行為によって、 少しでも終わりの日が延びて欲しいと想う願い。
願いは、かなった? 自問自答の朝。
昨夜、晩御飯を食している息子にカフカを読むかというと、無言。 カフカを知らないのかと質問すると、
「んな朝起きたら虫になってたなんてグロイやつ、見たかねえ」
なんだ、読んだことあるんだ、と私。
「読んでない」
じゃあ、なんで知ってるわけぇ? って質問にはお答えいただけませんでした。ハイ。
彼の寝室にあった本棚に、読みかけの単行本があるのを見つけて。 読みかけとわかるのは、表紙がそのページに挟まっているから。
土方歳三 下巻 戦士の賦 三好徹著
いつ読んでいたものだろう。 病室へ持って行ったものだったか・・・?
墓石に、何か言葉を刻んだら如何ですかと、石屋さんから言われて。
追悼の言葉ですか。 あり過ぎて何もありません。
それよりも、彼は死んだんですか?
東海の小島の磯の白砂に 我泣き濡れて 蟹とたはむる
石川啄木
城ヶ島に立ってる石碑に刻まれていて。 北原白秋さんの方が有名なんだけどね。 私はこれが好き。
砂浜で、 缶ビール片手に煙草を燻らし、 スポーツ新聞を読んでいる姿が目に浮かぶ。
砂浜でおにぎり、美味しかったねぇ。
2002年06月19日(水) |
変人の変人による変な悩み |
本日は、懇談会でした。 一部進路についてのお話しなどあり、で。
この3年間で、4回目ですか、私が学校へ来るなんて。えへ。 1年生の時は入学式と部活見学で2回。 2年生の時はなし。 3年生になってこれで2回目。おほほ。
最後の懇談会なので、集まった母親ひとりずつご挨拶を。
うう、失敗した、来るんじゃなかった。と、内心。
葬儀へのお礼を述べさせていただき、以上、で席につく。
と、
先生、「何かありませんか、ご心配なことなど」
ご心配なことですか?そうですねえ。 うちの息子、勉強ばかりして、ちょっと心配なんですが?
まぁ〜〜〜うらやましぃ。 母親達のため息まじりな笑い声。
・・・・・・・・・・・ぴきっ
アンタらに何がわかるっっ 羨ましい?ふざけんな。
先生は真剣に、「彼は頑張ってますからねえ。上期に集中してるんですよ」
先生には、息子の切羽詰った感じがわかっているのだ。
「彼がニヤリと笑う時をそっと待ちましょう」と、付け加えた先生。 あなたはよく生徒のことを見ていらっしゃる。 さらに、「彼は変わってますよね。いや、変な意味ではなくて」
「変」という漢字を二文字も使ったね。
「僕も変わってるんで、よくわかるんです」
はあ。苦笑。
学校では変人、家では宇宙人ですか。
この学校、今年度から二期制にしたらしく。 期末テストは9月に実施し、上期の成績が出るという。
知らなかったぁ。
帰り際に、武道場をこっそり覗く。
剣道着姿の息子。 ずっと、ペースを崩さず、黙々とやってきたんだね。
その胴着の下で、どんな不安を隠しているかなんて、誰にも悟られずに。
通夜のとき、真っ先に出た言葉が、 「まったく知りませんでした。だって彼、2,3日前も朝練に出てましたよ」 と、顧問の先生が、目を真ん丸くして私に訴えてきた。
私が病室へ泊まるようになり、朝は不在だったけれど、 しっかりと早起きして出かけていっていたのだ。
これ以上、息子に何を望めばいいと? 文句をつけたい奴は、勝手に言ってろ。
親戚縁者、何かにつけて息子に対しての苦言を私にくれるんだけど。 あんた達に、うちの息子の何がわかってるの?何を知ってるの?
親がいいと言ってるんだ、黙っててくれ。 一般常識を、この時とばかりに押しつけないで。
一般常識以上の苦労をしていること、理解しようともしないで。
世の中、 口の上手い奴、言い訳がましい奴が通用するのは常で。
私の前では、絶対通用させません。 てか、それを感じた時点で視界に入れないね。 あえて指摘もしません。だって、言い訳させる機会を与えちゃうから。
我が妹、次女はリストに入っている。
姉妹でなかったら、絶対に交流しない人間。 本人にも宣言しておりますがね。彼女はへこたれません。 だって、どこまでもいい人でいたいから。
私のことをネタにして世間でお友達を増やす。 姉の知り合いなら自分も知り合い。 お姉さん元気?とか聞かれようものなら、得意になって喋り出す。
自分の考えがなく、いつも人のマネ。 そう、小さい頃から私のマネばかりで。 堂々と、平気なんだよねえ。私にはその神経が信じられなくって。 で、さも自分が取り入れたような気持ちになって人に吹聴している始末。
ま、要するに、私のことが鬱陶しくて仕方がないんだけど、 そばにいれば意地悪できる隙を見つけられるから、離れないでいるってことでしょ。
そういう奴が、ここぞとばかりにうちの息子のことを意見していたらしく。
それを黙って聞いて相槌打つ人間も、どうかしてるよ。
勝手にどうぞ。
私は、あなた達とは縁も因もありません、これからは、って感じ。
傷つけあうばかりで、疲れるんだよね。
2002年06月18日(火) |
music of the millennium |
朝からブロンディ。ガンガンです。 いいね、コール・ミー 次はカルチャー・クラブ、カーマは気まぐれ
若かった自分を思い出して苦笑い。
夏は、こんな曲に抱かれて過ごしていた無責任な時代。
片岡義男を教科書の下に隠して読む授業中。
校庭から照り返す夏の陽射しに、クラクラしてた。
真っ暗な海にそのエネルギーをみんなで吐き出してた鵠沼海岸午前0時。
真上から照らす太陽に眩しくて飛び起きた由比ヶ浜海岸午前10時。
私の子ども達は、どんな夏を過ごすのだろう。
今年の夏は。
Imagine there's no heaven It's easy if you try No hell below us Above us only sky Imagine all the people Living for today...
心地いいね。
夏。
ただ空があって、 入道雲がモクモクする空にわくわくして、 朝顔をギュウギュウしぼって水遊びしてた。
色のついた水が、とってもとっても大事で。
背丈ほどもある草むらを歩くのが好きで。 草を掻き分け歩いたら、何か目の前に現われる気がして。
でも、 いつも空を飛ぶ夢を見ていた。 そして、 空から落っこちて、 ズドンっとベッドに落ちた衝撃で目が覚める。
無意識に、 どうにもならない将来への不安を感じていたのかも知れない。
春。
だから、 道瑞にいつまでもしゃがみこんで、 太陽の光に抱かれながら雑草を見つめていた。
冬。
坂ノ下のひなびた砂浜。
海亀の死骸が打ち上げられていた。
それを見つめる父。
わたし。
景色は全て灰色。
海も砂浜も空も空気も父も。
寂しい目をした父に不安で怯えた。
私は、まだ6歳になったばかりだった。
父の人生は、幸せだったのだろうか? 父に、安息の日々は、果たしてあったのだろうか?
目を開けて死んでいった父が幸せだったとは、いまでも思えない。
動きの止まった父の喉仏。
彼の喉仏。
私は、 誰にも看取られたくない。 子ども達に知られず、 何処か遠い街の病室で、 知る人のいない病室で、 平和にひっそりと息をひきとりたい。 窓の外には青い空が広がっていて、 その空に流れる同じ雲が、 知らないうちに子ども達の頭の上を流れて過ぎて行くように。
そんな感じ。
外へ出ると、落ちこむんだよね。
家に帰りつくまでにはボロボロになってる。心のなか。
ほんのわずかな時間のうちに、気持ちが切り換わってしまってる。
楽しいと感じる時間を自虐的に貪る自分の姿に、疲れる。
結局は、みんな異邦人。
あなたにとって わたし ただの通りすがり ちょっと 振り向いて みただけの異邦人
久保田早紀さんだから良かったのに、 明菜ちゃんは唄っちゃダメって感じ。
結局私は、 彼の死を嘆いているわけではなく、 死の過程に対面した自分自身を嘆き続けているだけなのではないか、 と、 洗濯機の中の洗濯物を引っ張り出している瞬間にかけめぐる思考。
そうなのか?
彼は死んで良かった。 まだ、そう思っている。
もしかしたら彼は、 自分から死んでいったのではないだろうか?
何をいってるんだ!どんなに辛くたって、生きていてくれさえすればいいって思うのが家族なんじゃないのか?大体お前は昔っから情の薄い娘だったよ。だから見てみろっお前の息子なんて、父親が死にかけてるっていうのに部活の朝練にまで行ってたそうじゃないか!お前のその薄情な気持ちが子どもに伝わっているんだよ!
以上、幸楽で説教をくらった風で。 渡る世間は鬼ばかり、って言葉、私のお気に入りです。
「明日は父の日だよっ」
娘が何を思ったのか、めずらしく父親ネタを言い出す。
「まさか、私には関係ないわっ!なんて泣かないでよぉ」
ニヤニヤしながら私が言うと、 目を真ん丸くおどけた顔をして部屋へひっこんでいった。 そして、再び部屋から出てきながらキッチンにいる私の横を通りすがりに、
「よっ!未亡人っ!」
「・・・あらためて、何さ。」 思いっきり不審げな私。
「あのね、女の人は離婚して1年経たないと結婚できないんだってさー」
「へえー。なんで?」
「妊娠してる可能性があるかも知れないからだってぇ」
「ふうん。妊娠する可能性がなくってもなのか」
「うん。・・・って、なぜ私はこんなことを知ってるんだ。。。」 と、照れる娘。
「じゃあ、来年あたりに新しいお父さん連れてくるかなぁー?」
「そうだねえ、真田広之みたいなお父さんだったらいいよぉ」
「あはは。いやいや、もう結婚は面倒だからいいや」
「え"−っ!ひぇーん・・・面倒な結婚をして産まれた私が可哀相だー」
こらこら・・・・・・そうじゃなくって。 大体、これから恋愛をして結婚に至る道のりなんて考えたら、 面倒なことばかりが予想され、それだけで嫌になる。 それにその前に離婚しなくちゃいけないじゃないの。
好きなときにゴルフへ行って、気が向いたら遠くへ旅立ち、 その気になったら死んでくだけ。松の木枕にしてね。 もう、誰の死に顔も見たくないもんね。誰よりも先に死んでやるぅ
私は自由よー!
誰にも邪魔させないわっ
「でもさ、 学校から帰って知らない男の人が家にいたら、 私はすぐに荷物まとめて家出するね」 と、娘。にやにや。
「おー、お帰り〜とか言われて?」 私。にやにや。
「うん。微妙な年頃なのよぉ」 娘。笑ってるけど必死。
きっと、友達との会話に父の日ネタでもあがったんだろうねえ。 これから先、父親がいないという現実に直面することがたくさんあると思う。
うまく、乗りきれるかな。
去年の今日だった。2ヶ月半ぶりに家へ帰ってきたのは。 たった15時間だけの外泊だったけど。
荷物をまとめて、ベッドの上で迎えを待っていた。
今年は、 この土の下で私を待っている。
今日は、呼ばれているような気がして。 たとえ台風でも行こうと思っていた。
小田急線は相変わらずのんびりと走る。 長い道中に用意した本を読む。
死ぬ瞬間<死とその過程について> E・キューブラー・ロス
相変わらず隣りの小学校からは子ども達の元気な声が響き。 境内には人影もなく。
湯呑み茶碗に水を注ぎ花を浮かべ。 晩酌に使っていたビアジョッキにハイネケンを注ぎ入れ。 花はなるべくたくさんの色合いのものを挿し。 父が好きだったユリの花も混ぜて一緒に供養。 煙草はパーラメントのメンソール。
お線香の煙は、小雨に消えることなく焚き上がり。
傘をさし、佇む私。
いろんなことが、ありすぎて。
こうして墓参をすることに、何の意義があるのだろうと思う。 形式的になることに、とっても嫌悪感を感じる。
寂しくて辛くて側に来て欲しかったのは、生きていたときだった。 花を買って笑顔を見せて談笑したかったのは生きていたときだった。
一緒にいながらも、彼には永遠の時がないことへの失望感。
毎日、1時間、1分、1秒、すべてが別れに繋がる悲痛な想い。
ひとはね、病気で死ぬんじゃないんだよ、寿命で死ぬんだよ。
彼が49年間という寿命を持って私と出会い、 私は彼のその尊い命が終わる態を見つめるために彼と出会ったのだろうか。
そうなのだろうか。
そしてこれからも、私のこの命が尽きるまで、 こうしてここに花を供えに通うのだろうと思うと、 それは永遠に続く彼との時間のような気がする。
今日の雨は、優しく、 私を納得させるように。
傘をさせば、涙は隠せる。
あなたは良くても、
前のひとはぺちゃんこ
本日のベッカムフィーバーで混乱する人々に、おまわりさんが呼びかけていた。 さすがだ。参りました。マイY大阪
こんなときにそんなこと、って言葉はツボに入ります。 危険を避けるべく呼びかけに、 あえて“ぺちゃんこ”という言葉を使うセンスがいいですなぁ。 わかりやすい、平易な言葉はすんなりと心に染み入りますね。
2002年06月10日(月) |
Forget-me-not |
午後6時。 この季節独特の湿った空気が漂う病棟の廊下。 お茶を配る、配膳の女性の笑顔と声。
「ああ、今日は奥さんがいらしたのね。良かったわぁ。 なんだかね、とっても寂しそうなのよ夕食ひとりだと、旦那さん。 気にしたらごめんなさいね、でもね・・・」
早く帰っていいよと彼が言う。 そう、それならもう帰るね、と病室をあとにする。
私が帰ったあとの彼の姿はわかりきっていた。 どんなにか不自由で寂しくなるのかなんて、痛いほど。 だから帰り道は重い気持ちを引きずりながら歩いていた。
もう少しいてあげてもいいんじゃない? たかが1時間、早いか遅いかなのだから。
自問自答。 自責の念。
そのうち早く帰る理由を探し出す。
今日はこれで早めに帰ったら、 明日はもっと明るく彼の前にいけるだろう。
そんなことの繰り返しだった。
いつ死んでもおかしくないんだよ。
主治医の言葉を肯定的に受けとめながらも、 日常的になった入院生活の雑多な疲れで覆ってしまっていた。
だって、生きているんだもん。 生きるために右往左往しているんだもん。 死ぬということを前提に治療をしているわけではない。
あの雑多なことが、彼が生きていた証しなのだった。
忘れな草を買ったのは、この時期だった。 がんセンターの入口に並んでいた花の前で車椅子を止めて、彼もみつめていた。
別れても別れても心の奥に いつまでもいつまでも 憶えておいてほしいから 幸せ祈る言葉に換えて 忘れな草をあなたにあなたに
いつの世もいつの世も別れる人と 逢う人の逢う人の 運命は常にあるものを ただ泣きぬれて浜辺に摘んだ 忘れな草をあなたにあなたに
よろこびのよろこびの涙にくれて 抱き合う抱き合う その日がいつか来るように 二人の愛の想い出にそえて 忘れな草をあなたにあなたに
これから直面するであろう私の苦痛なんて、どうってことないよ。 全然平気。
くくくくっ・・・オモシロすぎるから。みんな。 最近chatを設置している意味を把握してくれてるようで、みなさん。 人工ロボットの美香ちゃんにこだわった理由がわかったかしら。
1日の最後に
おしゃべりをしたいのは君だ。
う〜ん、こんな感じ?
それにしてもみんな素で言葉を置いてってくれてるし・・・
みんなどうかしてるよ(笑) ほんと。
ありがとネ。
器の中の水は光る。海の水は暗い。 小さい真理は明瞭な言葉をもつが、大きな真理は大きな沈黙をもつ。 ダゴール 『迷える小鳥』一七六節
沈黙する我子等に宇宙を感じる。 誰をも寄せつけない哲学がそこにあるような気がしてならないのだ。 みかん
「つぶつぶみかん」で検索されたかた・・・それはうろ覚えだってことでしょうか。 「つぶつぶみかんばこ」というサイトがヒットされていて、偶然にもお休み中でしたねぇ。
本日はハゲ天特製貝柱のかき揚げで夕食です。天丼にします。手抜きです。 あとはお味噌汁。具はジャガイモと玉ねぎで。 夕食時間がバラバラなんで、温めたり洗ったりと面倒なんです。 お兄ちゃんは中間テストで午前中に帰宅。 昼食食べて部屋へこもってお勉強。 で、また塾へ出かけて行きました。ご苦労なことで・・・ そんなに勉強しないと大学へは入れないんですかね、頭悪いんじゃない? Z会からも何だかよく届いてるし・・・ あ、そうそう。 代々木ゼミって生徒手帳があるってご存知?おまけに校歌まであるという。 息子が珍しく自分から教えてくれました。ご親切にどうも。
あ"−−−っなんだかイラつく。 そんなに勉強しなくちゃいけない世の中にムカつく。 もっと大事なことあるだろー!
近所のチャラけた学生は相変わらず邪魔だし、道々。
広がらず、
静かに歩きましょう。
○○○○大学
恥と思わないのか!平気なのか??んな看板を道々立てられて。
どっかおかしいよ。
男の女々しいのも最悪だけど、 女の図太さは極悪だ。
ぺっぺっ""""""
と、こんなこと書くつもりは毛頭なかったのですが。 とてつもなく泣けてきた心の裏返しで怒りがくる性質なもので。
さよならデミオくん。 ありがとね。 あの2人も空からお礼を云ってるよ。
「おまえには、世話になったね」
新しい車には、 もうあんな悲しい想いを乗せることがないように祈るよ。妹。
確か去年の日記で、 簡単に「みなさん癒されたことと思います」 という言葉を放ったボランティアの司会者へ、私は少々苦言を書きとめていたと思い・・・
がんセンターで治療をするということは、 明らかに「自分は癌である」という認識のもとにいるわけで。
「癒し」は、人から与えてもらえるものなのだろうか? また、与えることができることなのだろうか。
このエンピツ内の闘病ジャンルで綴られている様々な言葉を、 人各々背景を抱えて読むひとがいるのだろう。 同じ境遇だったり経験をして、相通ずるものを見出して。 そして、その人各々の表現された言葉によって改めて理解納得できることがあり。
その「痛み」を綴った文章を読み理解共鳴することで、 自分の「痛み」を「自分自信」で癒すのではないだろうか。 それは、患者ばかりではなく、患者を知る人間にもあることで。
そういう状況に置かれて初めて気づく細かい心情があるということを思慮せず、 痛いと呟く人間を理屈でねじ伏せようとすることはとっても無理があり、 それは、ただ単に「脅し」としかならないこともあり。
励ましは、残酷なときもある。
何が、 何で、 どうしたら少しでも患者の心を癒せるのか、 そんなことは患者自身にさえもわからない。
わからないから付き添う者も苦悩する。
苦悩して、自分で死を選んでしまうひともいる。
もしかしたらそれは、患者自身が選んだ癒しの時だったのかも知れない。
私は、無知で非常識な人間だ。 だけど、これだけは知っている。
死にたいほど絶望しているのに、
その病ゆえに、
自分らしく生きていくことも、
自分らしく死んでいくことも、
どちらも選べず必死に自分を模索して生きる苦悩を。
四角い病室のなか狭いベッドの上にいることしかできない姿を。
己の世界へ逃避するしかなかったその変遷を。
その姿は、私を苦悩させる。 思い出し、消化できず、掘り下げて、また苦悩する。 だからこうして文章にし、その姿を綴らずにはいられないのだろう。 これが私の唯一癒されるときなのだろう。
夕暮れどき。 買い物帰りに何気なく目に入る民家の庭先。 思い出すのは父の後姿。 こんな時間は、 ホースを持ち、草花に水遣りをしていたその姿。 昼間の陽射しでカラカラに乾いた盆栽の土が、 水を含んで放つその匂い。
蚊取り線香の香り。
ああ、夏が来るね。
また、夏が来るんだね。
キミがいた夏。
私が生まれた夏。
もう、 ふたりともいない夏。
私もいつかはいなくなる夏。
おばあちゃんが着ていた小さい水玉のプリーツスカート。
カルピスの青い水玉。
キンカンの大きな瓶。
横須賀の坂道。
鎌倉の花火。
がんセンターの向日葵。
国立病院の蝉の声。
すべてが夏。
どうしても癒えない感覚。
紫陽花が、ひと雨ごとに色濃くなりますね。
気がつけば、そう、もう6月で。 紫陽花が、その大きな花を悟られないようにひっそりと咲いていた。 雨を待って、でも、5月の陽射しは強すぎて。
枇杷の実が、なんともいえない色あいで実のっている。
この時期って、いままで見過ごす景色が多かったなあ、なんて、 改めていかに忙しく過ごしてきたかを再認識したりして。
ある日、病室の窓から下をみると、 中庭にある枇杷の木に、たくさんたくさん実がついているのを見つけた。 すぐ彼に教えてあげたかったけれど、 でも、その窓は、私の首までほどの高い位置だったから、 彼を立たせるのは無理で、ひとり、いつも見下ろしていた。
枇杷の木の下には、一面にどくだみの白い花が咲いていて。 私は、この時期に一枚の絵を描いたことがあったのを思い出した。 どうしても、この白い花を描きたかったのだ。 鬱蒼としている緑の様子、若葉が湿気を帯び、様々な緑色を展開している。 そのなかで、ひっそりと、気品ありげに白を際立たせるどくだみの花。
だけど、とっても難しかった。 絵の具をのせればのせるほど、平面になってしまう葉の形。 光を入れたくても、曇り空のなかばかりでの写生だったから。 あの年は、雨の多い年だったのだろう。
その絵を額縁に入れるために持ちこんだ店で、 まるで男性の描いた絵のようだと、 感心されたのか、それとも言葉が見つからなかったのか、 わけのわからぬ批評をされた絵になった。
病室の窓辺で、 あの絵を描いていた頃の私を、一瞬思い出している私。 月日の流れの皮肉さを、少し恨めしく思った。 枇杷の実はまた、父の好物だったことをも思い出す材料で。
病室は、 患者の想いと、 付き添う者の想いと、 想いばかりの重い空間になりがちなのだ。 重病であれば尚更、言葉にならない空気が渦を巻く。 その重みを感じながら、 でも押し潰されないように気負いながら、 毎日生きていた。
そんなことを、ちょっと思い出したりしたんです。
|