みかんのつぶつぶ
DiaryINDEXpastwill


2002年08月31日(土) 闘病記

闘病記をアップした。
読み返しているうちに色々と思い出して、胸がつまる。
一緒にずっと仕舞い込んでいたゲストブックを復活させた。
このゲストブックは、日記を書き始めた頃からのお付き合いで。
過去ログを読んで、気持ちが和む。


悲しいこともいっぱいで、
でもその悲しいことの倍は温かいことがあったと、
あらためて感謝。








良き医療者に出会えることが、一番だと思う。
不治の病と生きるための、より良き方向性を導いてもらえるから。


私達は、本当に幸運だった。


捨てられずに拾われることばかりだったよね。


ありがとう、おかげさま。



2002年08月30日(金) 息子の知らない息子の秘密

あら、夏休みも終わるのね。
娘は宿題が終わってないとか、のびのび太みたいなことを言ってるし。
息子は相変わらずペース崩さず。


そうそう、最近、息子の発する言葉が増えた。

昼飯代。
小遣いくれ。
飯、まだ?
腹減った。
言ってる意味がわからない。


日常的にこんな単語ですか。
で、この頃増えた単語は、


カルピスつくって。





キッチンに私が居れば、という条件付きです。
座っている私に無理やり作れとはいいません。
そんなときは自分で作っています。


そうだよね、
カルピスって自分で作ってもあまり美味しくないもん。
氷入れて浄水器から水出してって手間かかるし。


息子がまだ1歳半くらいの頃は、ジュース大好き坊やで、
朝目が覚めたと思ったら冷蔵庫へ直行し、冷蔵庫の扉を指差して、


ジュゥ



と、せがんだものです。ああ、かわいかったなぁ〜
ジュースといっても天然果汁とかではなく、
コーラです、そう、炭酸の刺激がたまらなかったのでしょう。
実家で皆が集まったときにはよく非難されましたが。
そんなにコーラばかり飲ませて毒だって。


もうひとつ好きなのは牛乳でした。
これはよく噛み噛みして飲んでいました。
なぜだか知らないけれど、牛乳は噛みながら飲んでいました。


偏食もすごかったですな、彼は。
食べるものといえば、豆腐、大根の味噌汁、納豆。三種の神器ですか。


お菓子は、麩菓子のふーちゃんが大好きで、
口のまわりを黒砂糖で真っ黒にしてほおばっていました。


遊びはもっぱら外遊び。
一日中公園で過ごしたりして。
電車とバスも好きだったから、プラレールとトミカタウンは揃えました。
そうそう、
プラレールの電車を横一列にきっちり並べるのが好きだったようで。
お絵描きにはいつも自分が乗るバスを描いてたなぁ
そのバスの行き先は、ちゃんと漢字で描いたりして、それを見た姑は、
2歳や3歳で漢字が書けるなんて、さすがうちの血筋だと、
訳のわからないことを言っていましたが(恕


数を数えるのも好きだったようで、畳の目も数えていました。
買い物に行けば積んである買い物カゴを数えていたのには驚きましたが。




と、そんなことを思い出した息子のカルピス発言でした。








2002年08月27日(火) 生まれた日

毎年この日になると、
今日は何の日だっけ?という質問を彼にしてきた。


結婚して何年目かまでは、ああ、そうか誕生日だねって、
思い出してくれたものだった。


父は、
何も言わないけれど覚えていてくれていた。
何気なく顔を出すと、


「お?今日は誰かさんの誕生日だったかな?」


とニヤニヤと、並びの良い歯を見せて笑っていたものだ。








だんだんと、
私の生まれた日を知っているひとがいなくなるってことが、
歳をくっていくってことなんだなぁ



2002年08月26日(月) ロード

3歩歩いては立ち止まり、
そしてまた杖をつきつき歩いてはまた立ち止まり。
買い物帰りに見かけた男性の後姿を、
振りかえりそっと見守ってしまう。


どうぞ転びませんように。
杖をついていることで嫌な想いをしませんように。
偏見に満ちた視線で傷つきませんように。


そんなことを想いながら、
そういえば国立病院の敷地内は、
広くて車椅子でぐるりと散歩をするにはとてもいいが、
道路の整備がとっても悪くって。
暗いなかを押して歩くのにはとても怖い想いをしたものだった。
急にデコボコがあるため、ひっくり返りそうになるのだ。


散歩が必要なのは昼間ばかりではないからね。
夜風はあまり身体によくないけれど、
面会時間が終わる前に、少し夜風で気分をかえて、
不安な夜が少しでも過ごしやすくなるように。
ゆっくり眠りに入れるように。


そんなもろもろなことを想いながら、
月明かりのなか車椅子を押したものだなぁ


E.Tのなかの有名なシーン
自転車にE.Tを乗せて月を横切るあの映像を思い出しながら、
日毎に衰弱してゆく彼を車椅子に乗せて、
なんともいえない気持ちで押していた。
満月とふたりの絵は、そんな想いを描いたもので。


E.Tは、
彼が私の実家に初めて挨拶に訪れた日の帰りに観に行った映画でね。









なんでもないようなことが
幸せだったとおもう
なんでもない夜のこと
二度とは戻れない夜


2002年08月24日(土) 病は尽きない生きている限り

闘病記を、
「脳腫瘍」と検索してヒットした人が読んでいる。
あの日の私を思い出すよ。



私は、だから悩んで休止をしたのだった。
安易に脳腫瘍という病名や闘病という言葉をサイトに掲載し、
果たして現在の私には無責任に扱っている物にすぎないのではないか?と。


でもね。
脳腫瘍がわからなくて、
どうしてかわからなくて、
検索して検索して色んな文章を読んでいって、
たとえ状況が違っても、
なんだかその場は納得できるものだからね。




ありのまま、そのままのことでしか表現できないよ、やっぱり。




神経質にはなりたくないが、
でも無神経を装うには、まだあまり時間が立っていないのだ。


8月から先の日記・・・うーん。
ここが踏ん張りどころ、かな。




2年前、初めての開頭手術をした日でした。
アンディ・フグさんの命日ですね。


2002年08月23日(金) 終章への序章

去年のこの時期は、色んなことがあってね。






台風も来たり、
テロ事件があったり、
彼が抗がん剤でひどく衰弱していったり。

それが序章だったんだなあと、今思えばと。






夏の陽射しが弱まるように
命の炎も小さくなった。
ベッドに横たわる姿と、
舗道で命尽きている油蝉が重なった。


ハチのムサシは死んだのさ


太陽に飛びこんでね。


2002年08月22日(木) 空に聞くんだよ。

夫婦だからというだけで色々なものに守られる。
夫婦だからというだけで色々なものに縛られる。








私と彼は11歳年齢差があったこともあり、
いつも上から私を眺めている感じのひとだった。
亭主関白なところも目立ち、
それはそれでまた、彼が望んで私が応じることができる範囲ならば、
無理に争うこともないと思っていた。


筋道がしっかりしているひとだし、
不言実行タイプだったのでとても尊敬できるひとだった。


結婚生活に甘い夢なんて持ちあわせていなかった私は、
特別ウキウキするわけでもないし、
特別なことを望むわけでもないし、
ただ、
仲良く安定した生活がとてもとても心地よかった。


お互い子どもは嫌いだと話していたこともあったのに、
いざ生まれてみると、彼は誰よりも子煩悩で、
誰よりも子どもに優しくて、
子育てにとてもよく協力してくれた。


夜泣きがひどい息子を、
仕事で疲れているのに抱きながら夜、散歩にいったり、
休日には必ずどこかへ連れて歩いて。





一生懸命仕事をして、
晩酌とプロ野球で一日の疲れを癒し、
子どもの成長を楽しむように世話をして。





何か特別なことを望むわけでもなく、
みんなが機嫌よくできればいい、
ただそれだけだった。
子ども達の無限に広がる夢や成長を、
そっと見守り大切に大切にすること、
それが暗黙のルールだった。




何かと不安定になる私の生活リズムと違い、
彼は毎日一定のリズムを保ち続けるひとで、
強い精神力と忍耐で、家族のリズムを作ってくれていた。


そんなリズムを、
息子と娘が受け継いでいる。





彼は目の前にいないけれど、
いま目の前にいるこのふたりの子ども達に、
彼の精神は宿っているのだ。


私がこうして笑顔を忘れないでいられるのも、
こうして私を保っていられるのも、
闘病しながらも私を気遣う気持ちで接してくれた、
彼の優しさが染みこんでいるから。


その優しさを思い出して、
つい泣きたくなってしまうとき、
ずいぶんと彼に甘やかされていたものだと自覚する。



あなたと一緒にいられて、
私はなんて幸運だったのでしょう。






私と子ども達、
3人のお世話をしてくれてありがとう。





毎日窓の外に広がる空に聞くことにします。
魂の友人となった彼に。





元気?
うん、相変わらずよ。








2002年08月21日(水) 3枚の写真

写真を現像に出してあったので取りに。
見るのが怖かった。
どうしてか、見るのをためらった。
昨年、がんセンターで撮影した彼の姿が残っているフイルム。
母から貰って現像に出したのだが...


日付が入っていた。
'01.06.16


点滴をぶら下げて、車椅子に座る彼。
あの頃気がつかなかったが、
明らかにやつれていて、
笑顔も、口元がほころぶだけで、
目は笑っていない。


本当に、笑っていない。
表情が乏しいのは把握していたが、
こんなにも力の無い表情をしていたのかと、
少しショックを受ける。


でも、
そこにいる。


逢えたねぇ





もしもね、
まだ彼の側についていることが許されるならば、
私はまず何を彼にしてあげたいだろうと考えた。


やっぱりこんな風に、
毎日笑顔で側にいたいかな


生きててよかったねって、
動かない左手を、そっと握ってあげたいかな


辛いよっていわれたら、
そうだねって一緒に泣いてあげたいかな


でもでも、
やっぱり、
治療はやめようねって、
言えないと思う。









入院中に写真は、全然といっていいほど撮りませんでした。
彼が嫌がるだろうと察して。
姿が変わって行くことを記録するような気がしてしまい、
彼にレンズを向けることでとても傷つけるような気がして。




この6月に母が撮ってくれた私と彼、ふたりでいる写真が、
永遠に最後の一枚となってしまいました。


私のバックを膝の上に乗せている彼と、
彼の右隣りにしゃがんでピースサインの私。



幸せでした。
少しでも彼が楽しそうならばそれだけで嬉しかったし。
少しでも食べたい物の名前を言ってくれれば、
それだけで病室へ通う私の励みになったし。


こんなにやつれていたのに、
彼は治療をやめると言わないで、
泣き言もほとんど口にしないで、
そんな姿にどれだけ私が救われていたことか。


ほんの3枚だけの写真に、
忘れていたことを教えてもらった。





生きたい。
生きたい。
生きたい。
生きていれば辛くても悲しくても幸せにかわるよ。



















2002年08月18日(日) 時。

お盆が過ぎたら
きゅうに風が涼しくなって。


蝉の声よりも虫の声が大きくなってきた。


季節の移り変わりが、早い。






今日は日曜日。
夏休みももうすぐ終わり。
娘と久しぶりに買い物へ出た。






キミがいた最後の日曜日。
家族で夕食を食べた最後の時間。



去年も、
やっぱりこんな曇り空だった。






妹の誕生日。
保育器に入ってた。
ちっちゃくて目だけがキョロキョロして。





お母さんが恋しいと、
泣いてた夏の日もあったのに。
ずいぶんオトナになったもんだ。





寒い日も
暑い日も
保育園の行き帰り、
てくてくとことこてくてくとことこ
歩いたね。



2002年08月15日(木) 送り火

お坊さんのお経を聞きに実家へ。
何ヶ月ぶりかで門をくぐった。





お父さん、来たよ






植木に水遣りをする父が、
笑顔で出迎えてくれたような気がした。


居間では、
母が腰痛がひどくて寝そべっていた。
まめに動きまわるひとが寝ているくだらいだから、
余ほど痛むらしいことは察知した。


それなのに、
私のために冷たい飲み物をと起きあがり、
歓迎してくれる姿に、
それまでのわだかまりは一瞬にして消えてしまう。


だから、親子なんだよね。
血はつながっていなくても、
親子としてやってこられたんだよね。






ねえ、お父さん
お母さんは相変わらずだよ
私もね、変わらずでね
こんなふうで、これからも生きてくよ









そのうちお坊さんがいらして、せっかちな感じのお経が終わり、
仕事がひと段落した三女がやってきて、3人で食事へ行った。


父がいたら、喜ぶのにね。
娘が来て、
孫が来て、
多勢で食事へ出るのが楽しみだというのは、
よくわかっていたけれど。
なかなか足を運べなかった自分に、後悔。


送り火まで時間があり、
去年、母が撮ってくれた彼の写真を、
まだ現像に出せないでいるというので、
庭を撮ったり近所を散策して景色を撮り、
フイルムをカメラから取り出す。
このカメラで、父はたくさんの想い出を母に残していった。


どうしてふたりとも、
続けて逝ってしまったのだろう


残された女たちは、
これからも逞しく生きてくんだよ






私たち3人が見守るなか、
牛にのって、父はまたいってしまった





夏も、終わりだね







2002年08月13日(火) 月命日

去年は、
父の新盆で迎え火を母とふたりで焚いた。
確か、
病院へは行けなかったんだったね。


一昨年の今日だったね。
脳腫瘍だとわかったのは。





あれから
あれから
それから
それから
そして
そして






このところ、
昼間のまどろみのなかで彼の姿を夢に見る。
車椅子に座り微笑んでいる姿。


なにが面白いの?
なにか、楽しいことでもあったの?


教えてよ






そうだよね


辛い顔ばかりじゃなかったんだよね



笑ってたときのほうが多かったよね



そうだよね



そうだったよね


2002年08月11日(日) 首をしめる

虚無感。
だるくていけません。
どこかに答えをさがしています。
自分の気持ちを代弁するものを求めて彷徨います。
自分の言葉の空しさに腹を立てながら。



お願いだから、
私の心を波立たせないで欲しい。



こんな落ちこみ、初めてだ。


2002年08月10日(土) はちがつとおか

ちょうど1年前、
がんセンターから外泊で家に帰ってきていた。
9月に転院する準備のため、
国立病院へ診察に行ったのだった。
見慣れた診察室、信頼してた先生。
ああ、これで治るって、きっと思っていたのでしょう。
鎌倉の花火に連れていってあげたかったけれど、
家に居たいから、と、テレビを見ながらビールを飲んでいたね。
家では、車椅子に座るのを嫌がって。


ちょうど2年前、
体調を崩して、家で休んでいた。
元気がないので、
鎌倉の花火が見えるよ、と声をかけると、
うんうん、と頷くばかりで、立ち上がる力がなかった。
お茶碗を持つ左手がどんどん傾いてしまうことに、
とても不安になった。
左手、どうしたの?と聞いても、
なんでもないよ、と答えるだけで。
明日は病院だから、よく診てもらってね、と。


今年の今日は、
こうして思い出すばかりの時間になった。
あのね、
今年から花火は10日じゃなくなったんだよ。
知らなかったでしょ?
お父さんにも教えてあげてね。
今年は13日。
偶然だね。
お墓に会いに行くから、
今年も見ないよ。










2002年08月09日(金) 青い空流れる雲

そこにある風景に、
人影を描いてみる。
なにもどこも変わらない時間が流れているけれど


窓の外青い空、
その空に流れる雲は、どこから来たの?
あの日、
ふたりの頭の上を通りすぎていったあの雲が、
地球を一周してまた戻ってきたとしたら、
とっても素敵なのにね。


病院を抜け出して運転試験場の木蔭、
ふたりでベンチに座っていたね。
人々が日常を過ごす風景のなかで少し居心地が悪かったのを、
やっぱり無口になっていたキミも感じていたのだろうか。


キラキラと輝くアスファルトを、
桜の木蔭からそっと覗くように眺めていたふたりの姿が、
ひぐらしの声と重なって私を悩ますよ。


そっと力なく微笑んだキミの笑顔に、
外へ連れ出した後悔が心のなか渦巻いて。





キミの好きな夏なんだけどね。




帰りたいと困らせたキミを想うと、
どうしてもまだ心が固まるよ。
真夏の空気を感じなくなるほど、
私の心が震えはじめる。



ごめんねって、わたしがいったら、
うんって、うなずいてよ、
ねえ、


















2002年08月06日(火) 真夏の果実

去年の夏は、やっぱり連日猛暑で。
汗だくになって病棟の扉を開けると、
病棟事務員さんが気の毒そうに声をよくかけてくれて。


去年の夏は、
知っている命が三つ消えた。


膀胱がん
肝臓がん
白血病


去年の8月は、毎日強い陽射しで、
その熱も彼の生命力だと勘違いをしていた私がいたことに、
今年の夏、
やっと気づいた。


今年の8月は、
精一杯太陽の下で、
海の光と風のなかで、
私の生命を感じてみようと思った。









さよならは 別れの言葉じゃなくて
ふたたび会うまでの 遠い約束...



2002年08月05日(月) 絵というものへの想い

HPにアップしていたogawaさんのイラストを、
闘病記へ移動しました。
なのでこのエンピツも模様替え・・・苦労したわぁ
いままではデリエロさんのスキンをお借りしてたんだけど、
自分でもつくってみたくなって挑戦。


なんとか形にだけはなってるかな?(汗


闘病記にある絵手紙は、
脳外科で同室だった方の奥さまから毎月届いたもので。
病室に手紙が届くって、とってもとっても嬉しいね...

無機質な病室に色を飾りたくて、ベッドサイドの壁に飾っていたものたち


だからカレンダーも、パソコンで毎月つくっていったっけ...


先生や看護婦さんに素敵ねえ、と言ってもらえるのが、
また彼の楽しみでね。


たくさんたくさん、温かいものを思い出しています。



2002年08月04日(日) 私信

検査で入院してるんだって?


へこたれず、がんばるんだよ


みんなみんな応援してるから



元気だったって太鼓判もらってもどってらっしゃい


病気になったことがキミに影を落とすことなく、
これからも歩いていけるように、
そっとそっと、願ってやみません...



2002年08月02日(金)

なんだかね、なにかを忘れているような気がして胸がざわつく。
妙なざわめきが頭のなかに広がる。
蝉の声が反響しているだけだろうか?


夏はね、やっぱりね。
アスファルトの照り返しが悲しいよ。
こんなに景色は光っているのに、
どうしてこんなにまで重い気持ちになってしまうのだろう。




それはね、
命が重いからだよ。




忘れない努力をするわけでもなく、
思い出すことに逃げるわけでもなく、
ただただ自然な流れに気持ちを曝して見るだけで...




いまは何かに辛いかもしれないけれど、
やっぱり生きているだけで幸せなことだということを、
大切なひとを一人づつ消して、神さまは教えてくれているのかもね。



死んでも生きてても、
想い出にはかわりない。
過ぎた時は甦らないことにもかわりない。



別れにはかわりない。




ただ、
あまりにも美し過ぎて、
その命があまりにも尊い光であったから、
眩しくて、
眩しくて、




目を伏せてしまうことしかいまはできない。


2002年08月01日(木) 8月

闘病記をアップしたいのだけれど、
眼に触れる自分の言葉に心が痛む。ナルシストか、私は(恕


だから絵を描いて時間をつぶす。
色から出てくるものは、なに?
応えも答えもみつからない。


ただただ汗が流れるだけ。
蝉の声が窓の外、忙しなく責められているようで。






みかん |MAIL

My追加