木洩れ日の中で…

2005年07月31日(日) 一周忌

義父が亡くなってもうじき1年。
今日は一周忌の法要の日。
我が家から車で50分くらいかかる所に住んでいる叔母さんを迎えに行く。
ところが途中からざんざん降りの雨と雷
それでも迎えに行くと約束をしていたので、車を走らせる。
叔母さんの家に着くと、またかなりの雨。
それでも、時間がないので玄関前で声をかけるが、出てくる様子もなく…仕方がないので電話、フォーマの圏外でかからず、圏内になるところまで戻り、電話をかけるが留守電。
仕方がないので、そのまま今度は違う親戚の迎えに…車を走らせる。
少し時間オーバーで、やっとの事で式場へ
式場に行くと、さっき向かえに行ったら居なかった叔母さんが来ていた。
( ̄◇ ̄;)エッ と思ったがあまりきつい事も言えず…。

それから式が始まり、お墓参り…。
雨は小降りになって、(^。^;)ホッ
お墓参りを済ませ、それから式場に戻り、会食
親戚の接待etcでまたまた疲れたが、なんとか式も済み(^。^;)ホッ

その後、親戚を送り届け…叔母さんも送って回る。
自宅に帰宅したのは、3時ごろ
それから義母のところに義妹夫婦が来ているので出かけ、夜、10時前に自宅に帰宅した。

長い長い1日だった。



2005年07月20日(水) 携帯機種変更

ずっと前から頼んでいた携帯(FOMA)がやっと来たらしい。
そんな訳で今日、機種変更することになった。
前のFOMAは、結構便利だった。端末1つでムーバとしてもフォーマとしても使えたので良かった。
でも、端末の痛みが結構あったので、思い切ってしてみた。

主査が取りに行けないようだったので、ドコモの販売の人が行ったり来たりしてくれた。本当に申し訳ないなぁと思った。

いざ端末を手にしてみると、ちょっと戸惑った。
今までのと比べてちょっと文字の大きさが…違い、小さいような気がした。
(-"-;A ...アセアセ 

慣れるまでしばらくかかるかなぁ〜

ちょっとテレビ電話の練習をしてみた。(笑)



2005年07月17日(日) ひと息…

金曜日に伯父の告別式も終わり(^。^;)ホッ
でも、従兄弟の家での告別式、やっぱり暑いし狭いし、いろいろでドッと疲れてしまった。汗だくの1日でクタクタ

でも、土曜日も大忙し
朝から車の点検で出かけ、その後には娘の病院受診、その後には伯母さんのお見舞いへと彼方此方へ

今日はゆっくりしようと…思ってはいたが、旦那さんの友人と出かけることになった。昼にはその友人のお勧めのラーメン屋さんで食事をした。結構美味しかった。チャーシューが厚いのにとても柔らかかった。
夕方、帰宅してからDVD観賞
「ベートーベン5」と「チャーリーと14人のキッズ」を観た。
「ベートーベン5」はイマイチだったが、「チャーリーと14人のキッズ」は面白かった。



2005年07月12日(火) 訃報

昨日は仕事を休んでいたので、今日の出勤はちょっと辛かったがそれでも仕方がないので仕事に出かけた。
1日の仕事も終わり、帰宅しいつものように食事の用意をして、その後ゆっくりしていたら、なぜか義母から電話がかかってきた。
体調が悪くて病院に行きたいのかなぁと思っていたが、急な訃報…。伯父さんがなくなったとの事、慌てて電話を切るなり旦那さんに電話をかけた。
それからバタバタと出かけて行く。

伯父さんのところへ行ってみたらまだ、病院の先生に診てもらってないらしく、布団にも寝ていない。そんな中、病院の先生が来てくれた。
診断書は、明日もらいに行くことになったが、死因は…老衰?という事になった。

先生が帰宅したあと、義母の家へ戻り、寝巻き等を持参。
髭をそり、ちょっと髪を切って着替えさせた。
それから、布団を引きなおしたところへ寝かせた。

しばらく経って、葬儀屋さんが来てくれた。
自宅で葬儀をするとの事、明日の通夜、明後日の葬式と…思ったが、明後日が友引ということで、明々後日の葬式に決まった。

明日は、入院前の検査日。
仕方がないので明日は昼間は抜けさせてもらおうと思っている。
夜はまた、出かけないといけないだろうが・・・。

慌てて出かけたせいか義母の調子が悪く喘息の発作が出ていた。
そんな訳で、病院へ出かけ点滴をしてもらう。

帰宅したのは夜中の2時半だった。
今日も、ちょっと疲れた日だった。



2005年07月11日(月) 大垣→今津→京都(大原)へ

7月10日(日)

2ヶ月前に格安の宿泊施設が今津に取れた。
そんな訳で出かけることにした。
今津で観光しようと思ったが、旦那さんが「短大の時に居た大垣に行ってみたらどうだ?」と言ってくれたので、本当に23年ぶりに大垣に行くことにした。

○島インターから一路大垣(関ヶ原)へ

朝、8時に自宅を出て結局ほとんどのサービスエリアで休憩を取り、午後1時ごろに大垣市内へ、まず最初に短大へ…
私が通っていた頃とは随分と違い、周りの様子が変わってしまっていて、よく思い出せなかった。でも、校舎を見ると懐かしさがこみ上げてきた。

それから食事をし、今度は会社のあったところへ(会社の寮から学校に通っていたので…)何年か前に会社が無くなって今はもう壊されていると聞いてはいたがいざ目の前にしたら、なんともいえない気持ちがこみ上げて来て涙が出そうになった。あの3年間はいろいろな思い出があるからだろうか…

その後、大垣市内をウロウロしてみることにした。
大垣城の近くに車を止め、昔を思い出しながら城の周りの公園を散策し、それから駅へ、昔歩いた道を思い出しながら・・・。
もう、無くなっているかもしれないなと思いながら駅前に行くと23年前と同じ場所に不二家があった。帰省先から大垣に戻るといつもここで食事をしていた。なつかしの「ペスカトーレ」話をしていたら、旦那さんが「食べてみよう」という。お腹がいっぱいだったが、そう言うので食べてみることにした。
食べてみると、こんな味だったのかなぁ〜と自分でもおかしくなった。
昔はとても美味しいと思えたのに、今は…普通に思えた。あの当時はどんなものでも美味しく思えたのかもしれないなぁ〜と思った。

食事をしていると、旦那さんが友人に電話してみたらと言う。
会うつもりもなかったしどうしようかなぁと思ったが話だけでもと思い電話をした。

思いがけず20年ぶりに会うことになった。

それから少し買い物をして、友人の住所を聞き…ナビ任せに出かけた。
近くまでは行ったがやはりよく分からない。結局、もう一度電話をしたら近くだったので迎えに来てくれた。友人の旦那さんがしている板金塗装の工場でお茶を飲みながら話をした。懐かしかった。
少し話をして5時にはそこを後にした。途中まで道案内に送ってくれた。
本当に(人-)謝謝(-人)謝謝

それから宿泊予定の今津には7時頃到着した。
チェックインをした後、出かけた。夕食をする適当なところはないかなぁと思いながら…。
私は、昼に沢山食べてしまったのでもう食事をしなくても良いかなぁと思ったが旦那さんはそうでもなさそうだったので・・・。
ただ、沢山は食べれないので、ホテルのレストランではちょっと重たいかなと思い、軽く食事できるところを探したがなかった。
8時頃、あの周辺をウロウロしたがほとんどと言ってよいほど、他の車に遭遇せず、家はかなり沢山あるのに不思議でしかたがなかった。雨の中、遠くで花火が上がっているのが見えた。
結局、1時間近くウロウロしたがなかったので、ホテルに近くの店で「汁そば」とやらを頼んだ。どんなものかと思ったら結局来たものはラーメンだった。ますますお腹がいっぱいになってしまった。

その後、飲み物を買って部屋に戻り、お風呂に入ってゆっくりとした。

外をみると琵琶湖…眺めの良い部屋で、気分は良かったが、下を見ると自衛隊員がかなり・・・。何かあるのかな?と思いながら下を覗き込んで、1時間くらい後に、その50名くらいの集団は、歩きながら消えていった。その後、救護車両が追いかけていた。



7月11日(月)

朝、目が覚めたのは6時半ごろ。
しばらくテレビを見た後、着替えて食事にホテルのレストランに降りた。
最初誰も居なくてびっくりしたが、そのあと何人か入ってきた。
朝食はバイキング、でもあまり品数がなく仕方なく洋食だが、和食のおかずを取って食べた。
食事をした後、少しのんびりし、9時前にチェックアウト
それから京都(大原)へ
山の中のどこに三千院があるのかなぁと思いながら
さすがこういうときは役に立つ・・・ナビ任せでなんとかたどり着く。
大原のいくつかのお寺を回り、写真を撮る。
抹茶を飲みながら、日本庭園を楽しみ、名残惜しいが大原を後にした。

途中、そばでも食べようといいながら良いところが見つからず結局3時過ぎにサービスエリアで・・・そばといえるのかどうか???と言うような「そば」を食べた。

その後は、運転を変わりながら、帰宅。
自宅に帰り(^。^;)ホッとする。

明日は仕事、ますます疲れるかな…と思ってしまった。





2005年07月06日(水) 事故

会社から帰り、食事の用意を済ませてちょっとひと息入れていると、突然電話がかかった。

「私、○敷で個人タクシーをしているものですが、お宅の息子さんが私の車に追突しまして…それが、土曜日の夜というか日曜日の午前0時40分ごろでしたが、聞いてますでしょうか?」

話も何も聞いていないし、息子は帰宅しても1時間も自宅に居ず、すぐに出かけてしまう日々、そんな訳で大慌て

その後、いろいろな事情を聞くと、連絡先を自宅にしていたので何度も電話をしても留守が多く、息子からも連絡がないので仕方なく連絡をしてきたようだった。

それからあわてて息子に電話、事情を聞き、まず相手に対しての修理費等の手続きのため、保険の手続きをしてもらうことにした。

電話をしたからか、しばらくして息子が帰宅
コンコンを話をするが、全然堪えていない様子。
まったく困ったものだと・・・・我が息子ながら情けなく思えた。

追突のとき、一度止まったが、その後、足がブレーキから外れ、ちょっとコツンと当たっただけだとは言っていたが、こっちは加害者、見たところ何にもなっていない様だったが、きちんと事故証明も取っているし、運転をするものはちゃんと責任を取らないといけないと・・・言ってはみたが、実感がないようだ。反対の立場になって考えろと言っても、「自分だったら、傷もついてないから良いって言う。」と息子は言うが、人それぞれ考え方が違うし、まして個人タクシーとなると商売道具なんだからと…話をする。
結局、何があったとしても親が面倒みないといけないのに、いう事だけは一人前。ため息の連続

結局、今回事故にあったのはまるで親の方…のようだった。



2005年07月04日(月) うつ病

娘が学校に行けなくなって少し経つが、毎朝が戦いのよう
今日はお腹が痛いし、頭も痛いというので、ちょっと慌ててしまった。
いろいろ考えたがこのままでもいけないので、病院へ連れて行くことにした。
何科に受診したら良いか、ネットで検索
ある病院が良さそうだったので、さっそく予約を取り、仕事の休みをもらい連れて行くことにした。
しかし、最初動こうとしないのでどうしようかと迷ったが、いざとなったらやっとで動いてくれた。

その病院に行くと、結構受診を待つ人が居た。
病院の先生の問診のため、娘だけが部屋へ入り約1時間。
その後、先生の話を聞くと、「軽いうつ病でしょう」との事
その時、少しだけその病気のことを聞いた。
少しショックだったが、生活のリズムを整え、少し処方箋を飲めば治るだろうとの事、少しホッとした。

帰宅して、気分転換に昼食を外で取り、娘と買い物に出かけ1日が終わった。

自分自身、うつ病に対して違った思いがあったが改めて先生から聞くとそれは偏見だったんだと気がついた。
世の中のうつ病患者はこういった偏見とも戦っているのかと思うと、それもまた、無知というのは怖いものだとつくづく思った。

幸いにもまだうちの娘はうつ病にはなっていないらしいが、ほっておくとそうなっていたかもしれない。もっと早く病院にかかれば良かったかなと、思ってしまった。



2005年07月01日(金) 食事会

たまにはストレス解消をしようと、会社の気の知れた友人と仕事終了後に食事会
ところが、仕事が終わったとたんに、大雨…。
ここのところ、雨が降っていなかったから雨は恵みの雨だけど、ザンザン降りで大変。
ちょっと遅れて会社を出て、6時半くらいから3人でワイワイと話をしながら食事・・・。
たまにはこんなのも良いなぁ〜とつくづく
帰宅して、ちょっと疲れてる私だったり・・・する。


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