りとるのひとりごと。
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2002年04月30日(火) 色のみ、深キョン(笑)

一雨ごとに暖かくなる今日この頃。
ふと気がつくと足の裏のツボを押しまくってる未亡人りとるっす。
痛気持ち良いんだなこれが。

でもってBSおかあさんといっしょの後のエアロビクスを
テレビの前でつい一緒にやってしまったりするのだな。

で息子がはしゃいでまとわりつくからやりにくいったらありゃしない。

運動しなくちゃ。ワン、ツー、ワン、ツー!


さて・・。

今日は久々に自分でカラーリングしてみたのだった。

人生冒険よん。

去年の夏買ったままだった毛染め剤があったので。
1月にカラーやってからかなりたってるので、頭ツートンカラー。
ということで、一念発起。(って、大げさ?!)

母が「表示通りにやったらダメよ。1時間はつけたままにしないと」
っていうんで、液つけて1時間後に洗い流した。

ん???

ちょっと明るすぎないかな???

乾かしてみた。

おいおい、明るいよ・・。

ミルクティーみたいな髪の毛になってた。

ライトブラウンってのだったから、まんまそんな感じ。

母も「・・・。深キョンみたい・・」だって。

色だけね。色だけ(爆)

息子は私の頭を見てしばし固まってしまった。ははは。

でもすぐニヤニヤしていた。なぜ???


ま、たまにはいいっしょ。色だけ深キョンも。
いい歳して恥ずかしいって?
もー恥なんてこの際捨てるのだあああ。
そのうちプリンになるんだろうけどね。その方が恥ずかしい・・。
しかし美容院なら6000円。こりゃ安いわ。ハマりそう・・。


てな訳で。
ストレートロングが胸あたりまでやっと伸びた未亡人りとるっした。


2002年04月29日(月) 棚卸し〜AD編「辞めてやる!」

の〜んびりGWを過ごしている未亡人、りとるっす。

最近はダンナも夢に出てこなくなっちゃって、少し寂しかったりして。

代わりに元カレや初恋の人が出てきたりして・・ははは。

でも夢の中でさえ誰ともラブラブにならないのであった。くすん。


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AD時代は今思うといろいろエピソードがあるなあー。

そもそも自分がADだったってのも信じられない気がする・・。

しょっちゅうロケに行って貧血起こしたこともあった。

売れない演歌歌手のプロモビデオ撮影の時は、ひたすらカメラの
ケーブルをさばきつづけた。

たまにゲストが来たが、全然知らない人ばかり(笑)

唯一恩恵を受けたのは、映画の試写会。

映画紹介のコーナーがあるので、配給元とは仲がいいらしい。

しかし・・。

せっかく連れていってもらっても、大抵私は寝ていた・・。

見たいのはやまやまだったが、睡魔には勝てず。とほほ。


その映画コーナーを担当していたディレクターに気に入られ、
いつの間にか男女の仲になっていた。

最初はひたかくしにしていたが、すぐバレバレ。

私が怒られるとディレクターの彼がフォローしてくれるのだが、
それが私の職場での居心地をかえって悪くさせていた。

仕事のきつさ、精神的なつらさがどんどん蓄積されていく。


半年たったある日。

私は生放送中にちょっとしたミス?をやらかした。

料理コーナーに使った鍋があったのだが、コーナーが終わっても
鍋の中のもの(天ぷらだったかな)を出さなかったので、
いつまでも鍋がボコボコ音をたててしまったのだ。

実際音声は届かなかったが、あとで担当ディレクター2人がかりで
こっぴどく叱られた。

説教が終わって部屋から出ようとしたら、チーフディレクターが
私の耳元でぼそっとつぶやいた。

「このことは○○には言うなよ」

○○は、つき合っていたディレクターの名だった。


私はその一言で完全にキレた。

いままでずーーーーっと我慢してきたものが一気に吹き出た感じ。

でもその場ではぐっとこらえた。

今までのように遠くのトイレの中で号泣することもなかった。


家に帰ってから。

泣いて泣いて泣きわめいた。

家に電話した。

「会社・・辞めるから」

辞表を書いた。

翌日出した。


プロデューサーも突然のことに驚いてチーフDと説得にきた。

「何か不満があったら何でも言って欲しい」

プロデューサーの言葉にチーフDの顔がこわばったが、私は
何も言わなかった。

「家庭の事情です」

ひたすらそれで押し通した。

今思えば全部吐き出した方が良かったのかなー・・。

お金おろす使いっ走りまでさせられてたんだものー。


私は会社を辞めた。

楽になった。

ディレクターとのつきあいは、その後5年にわたって続いた。


2002年04月28日(日) GW中唯一の予定

今年ももう3分の1終わるのねー。

歳を取るに連れ、一日が・・というより一年が早い早い。

ダンナが死んじゃったときはまだ20世紀だったものなー。

「2000年おめでとう〜、今年もよろしく〜」なんて言っておいて
2週間後に死ぬなよ!!ったくもー!!

ダンナはいつまでたっても27のまま・・なのに私は・・ううう。


気を取り直して。

今日は中学時代の友人が2人久々に遊びに来てくれた。

最初はちょっと緊張していた息子も、慣れるにしたがって
テンションがグングン上昇。

お菓子もバクバク食べて夜に下痢しちゃったし・・・たはは。


友人の一人は新婚生活も一区切り。
もう一人はずっと独身で浮いた話もなかったのだが、
お見合いをしたらしく話が盛り上がった。

相手は40代前半の小金持ち。

かなり友人を気に入ったらしく、バンバンアプローチしてきて
いるようだが、肝心の友人は「絶対イヤ」だって。

彼女曰く「気持ち悪い」らしい。

うーん、それはマズイかも・・・。

最初は「こんな人絶対イヤ」って思っても次第に変わることも
多いんだけど(私がそうだった・・ははは)、「気持ち悪い」じゃ
先は望めないかなあ・・。

友人達の中では唯一独身だから幸せになってほしいけど・・。

お見合いかあ・・・。

いずれすることになるのかなあ・・・。

その友人に「いい人いない?」って聞かれたけど、いい人いたら
私がとっくにキープしてるわん。

いい人・・いい人ねえ・・・。

どこにいるんだろーねえ・・・。


希望は捨てないぞー!!おー!!!


2002年04月27日(土) ファミレスでお騒がせ

世はGWなるものに突入したのだなあ。

我が家には関係ないけど・・。
何処に出かけても混んでるのがいやだああん。

と、プチグチってしまう未亡人、りとるっす。

もうすぐ3度目の結婚記念日だわ。ほほ。

一度も夫婦で祝ってないんだけど。とほほ。

結婚記念日より、それ以前の入籍記念日より先に死ぬなんてねー。

男って記念日を大切にしないって聞いたことがあるけど・・
そういう人、多いのかしら。ううむ。
女は大切にするのよ。うん。


今日は母の仕事が休みだったので夕食は久々にファミレスへ。

さあさ到着、中へ入るよ〜ん。

と、いきなり息子何かに引き寄せられていく。

出入り口にずらっと並ぶおもちゃの山だった・・・(汗)

前回もここのおもちゃを一つ買わされたんだった・・。

両手一杯に車のおもちゃを抱える息子。

ダメだよと取り上げて抱き上げると、息子は怒って泣きながら
私の顔をボカスカ殴る殴る。痛いって痛いって!!!

席についても泣く泣く。

ワンワンギャーギャー泣く泣く。

周りが気になって穴があったら入りたかった・・。

外に連れ出そうにも、出口前に息子の泣きの原因がずらっと
並んでいるのでそれもできず。

出入り口に、しかも子供の手の届く範囲におもちゃを並べる
店側に殺意さえ抱いたねわたしゃ。

店長に張り手くらわす図を想像しちゃったわよ。

必死でなだめながらオーダー・・。
「和風ハンバーグ!!」なんて大声で言わなきゃ聞こえない・・。
ウェイトレスはオーダーを取るやいなや足早に去っていった。
いつもは「ご注文を繰り返します」なんだけどー・・。ははは。

あんまり腹が立ったので少し大声で叱ってしまった。

するとみんなが振り向く振り向く・・。

ああああ(汗)

恥ずかしい〜〜〜〜!!!!

ごめんなさいごめんなさい。

でも2歳児は訳わからないんですうう泣くのが日課なんですうう。

外に行こうにもおもちゃがそれを阻止するんですううう。


しばらくして何とか泣きやんだ息子。ほっと一息・・。

他人がいる場所はまわりに気を遣って気を遣ってヘトヘトになる。

いっそのこと知らんぷりしたいくらいしんどい・・・。

じゃあ外食するなよって言われるかもしれないが、たまには
上げ膳据え膳で美味しい物食べたいんだもの・・(涙)

子供が泣いていても少し大目に見て欲しい・・。
特に子育ての経験のない人は子連れに厳しいけど・・。
そういう人も昔は子供として大泣きしたことあるかもしれないんだし。

ママに暖かい世の中になってくれると嬉しいなあ・・・。


と、最後は勝手な言い分でございやした。失礼。


2002年04月26日(金) 棚卸し〜AD編「恐怖の職場」

お酒飲むと決まって胃が荒れるりとるっす。

私がすごーく太らなくてすんでいるのは胃が弱いからかも。たはは。

でも胃が痛くなるのが分かっていても飲みたいときもあるのよね。

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さて。ADになり早朝番組につくことになった若かりしりとる。

朝3時起床。
4時45分出勤。
夕方〜夜頃退勤。
コンビニでお弁当買って帰り、夕食。
お風呂入って寝る。

休日は掃除洗濯で一日終わり。

料理なんてのんびりできる状態じゃなかった。

毎日クタクタになって帰って、食べるのもおっくうだった。

若いからこそできたんだなー。体力なかったし。

おしゃれもデートもせず、給料は手つかず。おかげで貯まった。


ADは人間扱いを受けないと聞いたことがあるが、
あれ、ホントだった。

特にチーフディレクターは私にきつくあたった。

「タバコ買ってこい」
「コーヒー買ってこい」
「金おろしてきてくれ」

なのでその人のタバコの銘柄、コーヒーの好み、キャッシュカードの
暗証番号まですべて把握していた。

20代後半くらいの男。今思えばチーフってったって「若造」だ。

歩いて用をすませようとすると「バカ、走れ!」と怒鳴られた。

私はいつもビクビクおびえていた。

ディレクターの機嫌を常にうかがっていた。

ディレクターは他に男女合わせて3人いた。
フロアADが男女一人ずつ。
新人が私を入れて3人。
番組に出演するアナウンサーが一人。

私は女性陣にもなじめなかった。

こういう世界にいきる人らしく、みなキツイ人ばかりだった。

表向きはとても仲が良さそうなのに、ひとたび相手が居なくなると
相手の悪口を言いたい放題・・。

何だかついていけなかった。

技術さん(カメラマンや音声さんなど)がまた怖い人ばかり。

ひとたびへそを曲げると番組が成り立たないので、ディレクター側は
技術さんのご機嫌取りばかりする。

技術さんは技術さんでそれが当然といった感じでふんぞり返る。

私たち新人なんて人間と思われていない。

本当に酷い職場だった。と思う。
少なくとも私には不向きな場所だった。


が、私はほどなくディレクターの一人とつき合うことになるのだった。


2002年04月25日(木) 酔っぱらいだす

ううう。

酔っぱらい未亡人。

ミスタッチ多すぎでなかなか文章にならないっす。

液晶画面がフラフラ動くっす。


母が日本酒をもらってきて、二人で開けたあげく焼酎も飲んで、
もーフラフラじゃ〜〜〜〜。でも母は平気。おいおい。

息子が起きていたらキス攻撃しただろうな多分(爆)

わたしゃ和田アキ子かいな。


ということで、今日は棚卸ししようにも頭がバカになってるんで。

いやあ情けないなあ自分・・。

もう思考回路ストップしてしもた。


ダンナの葬儀で、弔辞をよんでくれた人からメールがきてた。

「結婚しました」

おお、するって言ってから1年半、ようやくなのね。良かった良かった。

しかし相手の彼女・・・どーして彼女なの・・。

私と一緒の職場にいたずっと年下の子なんだけど。
もう仕事ができないのなんのって、筋金入りの「使えないヤツ」
だったのよ。ホントに。

ダンナは彼女に仕事を頼む立場だったけど、あまりの使え無さに
いつも私に仕事持ってきていたっけ。

だから私の負担が増えすぎて、私体調崩しちゃった。

病院行ってもらった薬が「精神安定剤」及び「誘眠剤」ときたもんだ。

先生には「その使えない彼女がいなければあなたは元気だった」って
言われるし。とほ〜。

そんな彼女と結婚すなよ〜〜あぁ・・・。

男って、男って・・・とほほだわ。

結婚する前、義母も彼女に会っているんだけど・・。
「何だか不釣り合いなカップルねえ」だって。

真面目で一途な彼と、何人もの男と遊んでも平気な彼女。

うーん。老婆心ながら行く末を心配してしまうわ。


でも一番心配しているのは、彼の親友だった天国のダンナね。

絶対彼にツッコミ入れてるぞ・・。

「オレみたいにいい女嫁にもらえよ」って。


・・・わははは。

酔っぱらいっす、ごめんなさいごめんなさーい。


2002年04月24日(水) 棚卸し〜AD編「眠くて死ぬー」

腰が痛い未亡人、りとるっす。
ダンナ、ちとマッサージしてくれないかしらん。
いっつもあなたって肩にずっしり乗っかるから重くて重くて・・。

・・って、ただの肩こりか。わはは。

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テレビ局内にある制作会社。

そこに入社ということは、すなわちADになるということ。

AD。

アシスタントディレクターってやつね。

将来はディレクター。
あ、それ以上はいけない。プロデューサーは本社の社員だから。
どこまでいってもディレクター。

私は正直、テレビの世界を甘く見ていた。

なんとかなるさって思っていたんだけど・・・。


私が配属になった番組は、朝6時15分からの情報番組。

生放送。

ひええのえ。

出勤は朝4時45分。

もちろんバスも電車もないので、タクシー。


朝、3時に起床。
朝っていっても真っ暗。夜中って感じだよ・・。

ぼーっとしたまま支度をして、タクシーがくるまでうたた寝。

ピンポーン。

タクシーの運転手さんがチャイムで起こしてくれる。

それが4時15分頃。


そのまま局に直行・・ではない。
タクシー1台に一人なんてもったいないことはしない。

家が同じ方角の人をまとめて乗せていくのだ。

私の次にはバイトの女の子が乗ってきていた。

視聴者からのプレゼント応募葉書をまとめたりプレゼントを
発送したりするのが仕事だった。


初日、とにかく私は眠かった。

眠くて眠くて頭がクラクラした。

前日は早めに布団に入ったが、緊張でぐっすり眠れるはずもなかった。

スタジオの片隅で番組を見学する。

局内はいたるところ真っ暗で、しーんとしていた。
そりゃそーだ。みんな出勤はまだまだ後なんだもの・・。

番組が終わって、片づけも一通りすむとみんなで朝食へ。

ファミレスとか喫茶店が多かった。

8時過ぎ、ようやく世間が動き始めたって感じだった。


睡魔が襲ってきたのは昼過ぎだった。

特別忙しくもなく座ったままでいると、すぐに意識が遠のく。

必死で闘う。

「おいりとる、寝てんじゃねーぞ!!」
「眠いか、眠いか?寝んなよオイ」

先輩ディレクターのキツイ言葉が飛んできて我に返る。

夕方、やっと帰宅の許しが出たときは本当にホッとした。
眠れるならどんなことでもする状態だった。


そんなしんどい日がずっと続くのだった。


2002年04月23日(火) 棚卸し〜就活編

朝起きると腰が痛くて泣きそうなりとるっす。
いやあ、歳よねえ(自爆)
なのに毎日のように庭と玄関の鉢(でかい)のレイアウトを変えてるから
懲りないお人。それは私。

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大学在学中の就職活動。

まさに「氷河期」のさきがけ。

荒れる中学のさきがけといい、私はどーしてさきがけに縁があるの?

新党さきがけ。あ懐かしや。



それはおいといて。

私は身の程知らずだったので、大手出版社を片っ端から受けた。
あとテレビ局、ラジオ局、新聞社。
マスコミセミナーにも通った。
要はミーハーだったのかしらね。

新聞の文化欄記者か、雑誌編集者になりたかった。

大手新聞社は最終面接まで行ったが不採用。

面接で「一人暮らし」と言ったら顔をしかめてたからかなあ・・。

出版社は全滅。
で、我に返り他の会社も受けまくる。

損保、商社、メーカー、あれやこれや。

しかし現実は厳しかった。

コネのある子がどんどん内定を決めていく。焦った。
父には大手商社に強いコネがあったが、コネで就職は絶対嫌だと
親を突っぱねた。自分の力で就職を決めたかったのだ。

今思えば意地になってたかなあ。でも父の助けは借りたくなかった。
商社に入っていたら私の人生、180度変わっただろうなあー。
そちらの人生もちょっと見てみたい気がする(笑)


もうほとんどの学生が就職を決めた中、私はまだ内定無しだった。

最後の最後、テレビ局の制作会社を受けた。

これが驚くほどあっさり「採用」

ペーパーテストは今まで受けた中で一番簡単だった。

アメリカの大統領は誰とか、日本の首相は誰とか。
バカにしとんかい!ってな問題ばかりだった。

普通はこの辺りで二の足を踏むべきだっただろう。
しかし内定のない私は焦っていた。
藁をもすがる思いだった。

というわけで、私のAD生活が始まろうとしていた。

それは恐ろしい日々の始まりでもあったのだ。


2002年04月22日(月) 棚卸し〜大学編

寒かったり暑かったりで身体ヘロヘロのりとるっす。
基礎体力の無さが身にしみる・・とほほ。
贅肉ばかりが身についてどーする自分!!

と、自分にカツを入れたところで久々の棚卸し。

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とにかく家を出たい。

高校生の頃はそればかり考えていた。

遠くの大学へ行けば家を出られる。

そして3年の秋、遠くの外国語大学をまず推薦受験。

見事、落っこち。

翌年の受験シーズン。片っ端から遠くの大学を受けた。

父は見栄っ張りなので私が名のある大学にさえ行けられれば、
家を出て一人暮らししようと構わなかったようだ。

しかしいわゆる「滑り止め」以外は次々不合格。

やっぱり家から通うしかないのか・・・。

そう思ったが最後の最後、合格通知が来た。

家からは途中新幹線を使っても片道3時間かかるところ。

迷わず決めた。家を出たかったから。



私の引っ越しが済み、私以外の家族が家に帰っていったとき。

帰宅した母や弟は恐怖を覚えたそうだ。

家の庭がすさまじいまでに荒らされていた。

ガーデニングが好きだった母が丹誠込めて作っていた庭が。

花はむしり取られなぎ倒され、鉢も何もかもめちゃくちゃ。

犯人は父の愛人に決まっていた。

なのに警察に届けなかったらしい。

もちろん、近所に知られるのを恐れて父が反対したのだ。

そして9歳だった弟は親を信じられなくなり、不登校が始まった。

これらの話はかなりあとになってから知らされた。


大学生活は楽しかったが、いろいろな裏切りにもあった。
人生そんなもんだ。
私は今では後悔するほど当時は遊ばなかった。
っていうか、20歳前後って一番老けていたのよね。わはは。
もっと遊んでおくべきだったなあ。ちっ(笑)

しかし大学を出たからって特別良いことは無かった気がする。
父はいまだに「おまえには1600万円くらいかかったんだ」と
何かと金銭面の話をする。うんざりだ。

大学3年の夏、手痛い失恋もした。
ずっと片思いしていた相手には彼女がいたのだな〜これが。
でもってきっぱり断られちゃって。とほほ。
これはかなりつらかったなあ・・立ち直りに時間かかったもの。
でもまあ今では良い思い出。わはは。
人生生きてりゃ何とかなるもんなのだ。うむ。

ということで。
大学編はさほど面白いネタがないのだなー。
むしろ卒業してからの方が紆余曲折というか山あり谷ありというか。

面白いっていえば、最初に住んだ学生専用ハイツ、とにかくもう
ラップ音がうるさくてうるさくて引っ越ししたという経験があるが。
友人はそこでおばけ見たっていうしなあ・・(汗)
毎晩般若心経を唱えてから寝ていたもんです。怖かったよーん。





2002年04月21日(日) ゲホゲホ・・・

喉の痛みは引きつつも、空咳が出る今日この頃。

風邪引き未亡人、りとるっす。

てきと〜に風邪薬買ったら失敗。飲んだら眠い眠い・・。
ぐた〜っと横になると息子が馬乗り。ぐぐ・・・お、重い・・・。

が、今日は姪のバースデー。出かけぬわけにはいかぬのだー。

先月の息子の時に祝ってもらっているし。

眠くてギャーギャー泣きわめく息子を担いでいざ外出。


夕食は義両親と義弟一家と、先月と同じファミレスで。

姪は息子と1ヶ月違うだけなのだが、もうかなりしゃべっていた。

「お水ちょうだい」とか。「いや」とか「うん」とか。

おおー。

先月も驚いたが今月も驚いた(笑)

おまけにカメラを向けられたらちゃんとポーズまで取るではないか!

おおおー。

しかし今日の姪はすぐ機嫌が悪くなり義弟に連れられ退場・・。

義妹が二人分のメニューを苦しみつつ食べていた・・。

我が息子は、怖いくらいお利口していた・・よく食べたし・・。

どーしたんだ息子よ!!
・・って、その方が嬉しいけど、ちょっと気持ち悪いぞ(笑)



というわけで。

昨日は夜10時に就寝したおかげか、今日は少し楽。

しかし油断大敵。母は身体が資本。

夜更かしはなるべくしませーん(笑)


2002年04月20日(土) 本日も風邪引き

風邪、引いたっす。

母曰く「気のゆるみ」だそーで・・たはは。

頭痛と関節痛、倦怠感と闘いつつ、栄養ドリンクを一気飲み。

でもって、80劼瞭擦里蠅魃薪召靴謄優海魄き取りに行った。

今回は一人。

途中、熱が上がってきたようでボーっとしたりして危なかったが
何とか生きて帰って来られた。ホッ。

2匹とも恐怖でブルブル震えていた。可哀想。

しかし2匹以上飼うと個性がよく分かって興味深い。

新しい環境にすぐ慣れてどっしり構えてるヤツ。
いつまでもビクビクおびえて陰でうずくまるヤツ。

どちらも可愛いことは間違いない。ウン。

それ以上にネコが驚いたのは息子の存在だろう。

「にゃにゃ〜!!!」と叫びつつドスドスと追いかける。

ネコが逃げて隠れると大声で「おいで〜〜〜!!!!!」

・・もちょっと声、小さくならんかいってな感じ。

そりゃ仔猫も驚いて当たり前。

息子が近寄るたびに「フーッ!」と威嚇してた。

ブリーダーさんには「扶養家族が増えましたね」って言われたけど
まさにその通り。
可愛い家族が増えた。


そんなこんなで私は少々バテ気味なので。
今日は早々に寝ることにしよう。
昨夜はなぜか朝方まで全然眠れなくて、朝になったら息子に
「ママン!!!!」とたたき起こされた・・。
もーしんどい・・。

明日は出かけなければならない用事があるので熱を出しては
いられない。

ということで。おしまい。


2002年04月19日(金) 棚卸し〜高校編

風邪・・引いちゃったみたい・・アセアセのりとるっす。
ぐお〜。喉が痛いいい。
息子のがうつったかなあ・・・。


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高校は、バス2本乗り継いで1時間半かかるところへ行った。

中学の同級生の9割は地元の高校へ進学したが、そこだけは
ぜっっっっったい行きたくなかったから必死で勉強した。

自分を知らない人がほとんどのところで人生やりなおしたかった。


しかし・・。

入学式でいきなり倒れた。とほほ。

保健室の先生に「あなたが新入生最初の患者ね」と言われる始末。

小学生の頃から朝礼や運動会の予行練習で倒れてたのよねえ。

今でも貧血は治ってない。う〜む。

しかし校長先生の話ってのは、なーんであんなに長いのかね(汗)


それはともかく、高校生活は平和だった。

いじめられることはなくなった。

毎朝5時に起きて6時過ぎには家を出た。

冬は夜が明ける前にバスに乗った。

だがそのせいで授業中は眠くて眠くて、どうしても眠ってしまった。

成績はどんどん落ち込み、赤点も取るようになった。

ま、でも何とかなったんだけどね。ははは。



高校3年の時、友人が自殺した。

橋から河原へ身を投げたのだ。

彼の変わり果てた姿を最初に見つけたのは、前日から探し回っていた
彼の母親だった。

息絶えた我が子を見つけたとき、彼の母親はどう思っただろう。

考えただけで胸が痛くなる。


彼は生徒議会仲間で、無口でおとなしかった。
素朴な感じで、良いヤツだった。

しかし彼と歩いていると、男子が彼を容赦なく蹴りに来る。

私は驚いて声も出ないまま立ちつくしていた。
今思えば何か言えばよかったと、自分のふがいなさが悔やまれる。

彼は蹴られても蹴られても抵抗しなかった。
無言で攻撃を受けていた。

バカな男共が去った後、私が「大丈夫?」と声を掛けると、
「うん」と一言言って彼は微笑んだ。

その数日後、彼は投身自殺したのだ。


その日、朝から先生がいやにバタバタしていて様子が変だった。

授業がいきなり自習になった。

昼前、先生が彼の死を私たちに告げた。

校内放送で黙祷の指示があった。

数人の女子は泣き出した。

私は頭がクラクラした。

これは現実?!

昨日まで一緒にいろいろやってたのに。


その時は、彼が亡くなったということしか知らされず、
帰宅後私は新聞(夕刊)を真っ先に広げた。

「男子高校生、橋から飛び降りて死亡。母親が第一発見者。」

場所は学校から歩いていける近さだった。

心臓がドクドク鳴った。

校長のコメントがあった。
この生徒について○○校長は「明るくて優しくて、みんなに好かれる
良い生徒でした。残念です」

・・バッカじゃないの?
彼はいじめられてたんだよ、毎日毎日!!
校長のどアホ!!!!!

腹が立つやら悲しいやら・・・。
しばしその記事を見つめ続けた。

人の死がこんなに身近にあるなんて・・・。



高校生活3年間で一番ショックな出来事だった。


2002年04月18日(木) 棚卸し〜中学編その2

棚卸ししております、未亡人りとるっす。
こうして文章にしてみると案外大変な人生を送ってきて
いるのだな〜と我ながら感心したりしてね、ははは。
今日も長くて申し訳ないっす・・。

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中学3年の時だった。

毎年恒例の駅伝大会が迫り、クラスごとに選手を選ぶことになった。

当然、選ばれるのはクラスでも長距離走が得意な子ばかり。

それでも足りなければ短距離の速い子が選ばれる。

立候補を募った。が、人数が足りない。

進行役(学級委員)が推薦を募った。

「りとるさんが良いと思います」

誰かがとんでもないことを言った。

私???

短距離はクラスの中位、長距離に至ってはクラス一遅い私が?!
私はマラソンが大の苦手だった。

冬の体育が憂鬱だった。学校を休みたかったくらいだ。

そんな私が駅伝選手に選ばれた。

誰も意義を唱えなかった。

私は男子が怖くて何も言えなかった。

後ろから先生に見えないようにいろいろ投げつけられるのだ。
恐ろしい暴言も耳に入る。



駅伝の日、私は学校へ行った。

ずる休みはしなかった。

クラスのみんなの魂胆は分かっていた。でも逃げなかった。



駅伝と言っても、選手はみな一度グラウンドに戻ってきて
そこでバトンタッチとなる。

私以外はみな長距離を得意とし、大会は盛り上がっていった。

私のクラスは、こともあろうに首位を独走していた。

アンカーだったかどうかは忘れたが、私はかなり後の出番だった。

首位を突っ走ってきた男子が私にたすきを渡した。



私は頑張って走った。
何も考えずに走った。
力の限り・・・。

私の横を、一人、また一人と追い抜いていく。

抜かれても抜かれても、私は走り続けた。

山間のたんぼ道。気がつくと私が一人で走っていた。

苦痛で倒れそうになった。

他のクラスの先生が声を掛けてきた。

返事なんてできる余裕はなかった。

もう私を抜く人はいない。

でもやめるわけにはいかないと思った。



気が遠くなるような道のりを走り、再び学校のグラウンドへ。

ゴールしたとたん、私は立っていられず近くの砂場でうずくまった。

と同時に、涙が溢れてきた。

私のクラスの子が一人もいなかったのだ。

駅伝は終わっていた。

生徒は散り散りに分かれ、グラウンドは閑散としていた。

「ちっ、オレがせっかく一位にしていてやったのに」
私の前を走った男子がそう吐き捨てて去っていった。

私はうずくまったまま泣き続けた。

涙が永遠に止まらないかと思うほど。

クラスメートの狙い通りになったこともくやしかった。
もっと速く走れたら・・。
さらし者にならずにすんだのに・・。


自分に対する「自信」・・そのころはこれっぽっちもなかった。

家に帰っても、駅伝の話はしなかった。

愛人の嫌がらせで疲れ切っている母を心配させたくなかった。

母はいまでも私がいじめられていたことを知らない。


それでいい。

毎日、一人部屋で泣いていた私は、私しか知らない。


2002年04月17日(水) 棚卸し〜中学編その1

本日、父と実家にて話し合い。
といっても話し合いらしい話し合いとはいえず・・。
父は私が実家に帰ってくることを了承した。
年内にはあちこち傷んでいるところをリフォームするという。
来年には弟も卒業するのでお金も浮くらしい。

どうしよう。

また年内引っ越しか????

考えよう、ひたすら考えよう・・。


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小学生時代の私は至って平和だった・・と思う。
小5から眼鏡をかけだして、たまにからかわれることもあったが
たいしたことはなかった。
それよりも学年一嫌われ者だった女子に気に入られてしまったのが
悩みのタネだった。

彼女が嫌われた最大の理由は「汚い」ことだった。

今で言う「汚ギャル」だったのだ。

とにかく臭くてたまらない。

なのに私はいつも彼女のお目付役だった。

一緒のグループ、席も前後、私は何かと一緒にされて苦痛だった。

それも中学に入れば、たいした悩みでなかったことが分かる。


中学時代は苦痛そのものだった。

家にいれば父の愛人の嫌がらせ。
学校に行けばクラス単位でのイジメにあった。

多分私がイジメにあった理由は「暗い」からだったと思う。

おとなしかった。

休み時間は本を読むか、マンガを描くかしていた。

その頃の将来の夢は漫画家か小説家だった。

私のマンガを読んでくれる数人の友人を除いて、みな私を攻撃した。

一生懸命描いていたマンガのノートは、いつも酷い落書きをされた。
いくら消しても消えない、卑猥で下品な落書きばかり。
でも私はいつも無言で消しゴムをかけた。泣かなかった。

私の席の周りはいつも大きく開いていた。

周りの子がみな自分の机を私からなるべく遠ざけるのだ。

私が歩くと、みな蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。

出入り口で偶然すれ違ってしまった男子は「オエッ、気持ちわりい」と
吐く真似をして逃げていった。

私は苦しみのあまり、授業中に過呼吸になったりした。

先生は見て見ぬふりをした。

しかし私は学校へ行き続けた。
こんなことで休んで授業についていけなくなったら、私自身が
苦労するだけなのだ。

日々の苦しみを、私は生活ノートに書きつづったことがある。
生活ノートとは、先生との交換日記みたいなものだ。
毎朝集められ、帰りに返される。

一度、そのノートが帰りのHRで先生に読まれたことがあった。

イジメの実態をつづり「どうかやめて欲しい」・・私の心の叫びだった。

先生は読み上げた後、みんなに意見を求めた。

みんなの反応は冷たいものだった。

「先生に言わず当人に言えばいい」
「陰でコソコソ先生にチクってる」

クラスメートから冷たい視線を一身に受け、絶えられなくなった私は
机に突っ伏してワアワア泣いた。

初めて泣いた。

誰もそばに寄ってこなかった。先生も。



イジメはさらにエスカレートしていった。

私は学校へ行き続けた。



あれから長い年月がたった。

だが私の心の痛みは消えていない。

去年、同窓会があった。

みな、楽しいことしか覚えていないらしい。

「つき合ってくれませんか」なんて言ってくる男までいた。

あんた、私を気持ち悪いって避けていたくせに。バーカ。


今なら、今の私なら闘えたかもしれない。
でもあの頃の私は強くなかった。闘えなかった。

あの頃の私には、力を蓄えられる場所がなかった。


よく死ななかったよ、偉いぞ。私。


2002年04月16日(火) 棚卸し〜愛人編

今日も息子は早く寝た。
長い夜、うれし〜。ニコ。


んじゃま、棚卸し、いってみまひょか。
ちと長いのですびばしぇん・・。

*********************************

父の愛人による嫌がらせは、私が中学の頃からと記憶している。

毎日毎日、気が遠くなるほどの無言電話。

電話が鳴る音が恐怖に思えるのに時間はかからなかった。

たいがいは、出ると無言で切れる。
が、たま〜に、ずっと無言で切らない場合があった。

受話器の向こうから、かすかにテレビかラジオのような音と共に、
相手の息づかいが聞こえてくる。

鳥肌が立った。

相手はこちらを知っている。
けれど私は相手を知らない。
恐ろしかった。

時には、相手が声を出す時があった。

「お父さん出せ」

しわがれた女の声だった。

「出せって言ってんだよ!!!」

怖くて涙が出た。

父を呼ぶと、父はためらいもなく受話器をおろした。

私は激怒し、泣き、父が謝りにくることもあった。

・・謝るくらいならやらなきゃいいのにと、今は思う。


昔は今のようなナンバーディスプレイとか迷惑電話撃退設定とか
何も防御手段がなかったので、夜中は受話器をあげっぱなしに
したこともあった。

が、相手は116に電話をし、NTTは恐ろしい音を受話器に
送ってくるのだ。この音は本当に怖い。
NTTまでもが敵に思えた頃だった。

私は大学の4年間、家を離れたのでその間は害を受けなかった。

一番受けたのは9歳年下の弟だった。

小学生だった弟は父の愛人のストーカー行為ですっかり精神が
参ってしまい、不登校になった。

母は弟と精神科に通った。

私が実家に帰って住むようになってからもいろいろあった。

電話番号を変えても無言電話はおさまらなかった。

父が相手に教えているのだからなくなるはずがない。

私と母は何度か電話の内容をテープに録音した。

「許さない・・・おまえのせいで私の家庭はメチャメチャだ・・」
「死んでやる・・!!!」

実際うちに電話をしながら手首を切ったこともあるらしい。

私は一日も早く家を出たかった。

仕事上でも悩みをかかえていた私は、精神安定剤が手放せなかった。
夜は誘眠剤なしでは眠れなかった。

ダンナと結婚が決まったときは、これでやっと幸せになれると
嬉しくてたまらなかった。

その頃も父の愛人は家の周りをウロウロしていた。
無言電話の女とはまた違う愛人。

父のような不器用な男が愛人2人だなんて、笑っちゃうよ。



私はこの愛人2人それぞれと相対することになったのだが。
母と弟を守れるのは私しかいなかった。


2002年04月15日(月) 今後の「独り言」

朝。

息子にたたき起こされる。

「う〜ん・・もう少し寝かせて〜」
ウダウダしている私の横で、息子はすっくと立ち上がり、
ラジオ体操ならぬちびりとる体操を始めた。

・・・こりゃ治ったな。

というわけで、息子の熱も下がりほっと一息。

でもまだ本調子じゃないらしく、外に出ても遠出したがらなかった。

ちとありがたし。


さて。

私はこの日記にありのままを書きすぎているかもと思ったりする。

偽りはほんのひとかけらもない。

もうまさに「赤裸々」に書いてしまっている・・(汗)

大事なダンナを失った今、もう失う物はないのだわはは。

・・・なんて強がったりして。

きっと不特定多数の人に読まれている実感がイマイチ沸かないんだな。

ま、いっか。

こういう自死遺族、こういう未亡人もいるのであります。



これからは、ネタのない日(?)は、私の人生をもっと以前から
思い起こしてみようかな。

今までダンナが死んでからのことばっかりだもの。

自死遺族という特殊な、でもたくさんの人が同じ経験をしている、
一つの荷物を背負ってからのことばかり。

もちろん、自死遺族の苦しみを分かってもらいたいと思っている。

だからこれからは、

自死遺族としての私。

自死遺族になる前の私。

両方を見つめ直してみようかな、って思う。

こんな風に自分の人生、真っ二つに割ることができるようになろうとは。

ふつ〜、結婚前と後、とかね(笑)

子供できる前と後とか。

ふつ〜が良かったなあ。



そろそろ私も、自分の人生の棚卸し、してみてもいいかな・・。
と思ったとたん毎日が事件で書くネタだらけになったりしてね(爆)
それもヤだなあ〜。

あ、ちなみに明後日、いよいよ話し合い、なのである(緊張)


2002年04月14日(日) 家こもり

昨夜はなかなか眠れなかった未亡人、りとるっす。

やっぱり子供の熱って夜中にピークを迎えるのよね。

たぶん40度近くあったと思う(ひえ〜)

うなされてたというか、寝言言っていた。

「○△×米@+*・・・」

わからんっちゅーの(笑)

で、何度も目を覚まして起きあがっては、枕元においてある
麦茶を一口、二口。

で、また寝る、の繰り返し。

私は何度か布団をかけ直したり体勢を整えたりしてあげる。

なので今朝の私はグダグダ。

息子の方が元気に起きあがって私を無理矢理起こす。

でもまだ熱っぽいので、本日は外出禁止令を出した。

しかし息子は外に出たがり玄関でわめき散らす。

少しだけ、と靴を履かせたが、息子も身体がしんどくて
思うようにいかないせいか、短時間で自分から家の中に入った。

昨日に引き続き、今日もお風呂はお休み。

一人で入るお風呂の快適さを存分に味わう私であった。

食欲もあるし、下痢も嘔吐もなし。

完治は思ったより早そうだ。

昨日に引き続き、ガンバレ、息子よ。
ついでにダンナ、力貸して。


2002年04月13日(土) 叫ぶ。そしてオロオロ。

今年は例年より季節が早め早めにきている。

そう思った私は、通常5月にといわれる観葉植物の植え替えを
今日することにした。

巨大パキラがすっかり元気無くしちゃって。
8号の鉢の底から根っこがうじゃうじゃ出て見事にからまっていた。

まずは鉢から出てる根っこを切らなくちゃね。

はさみをガシガシ入れた、その瞬間。

ゾロゾロゾロゾロ。

・・・!!!!!

「ウッギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」

市内に響き渡るかと思われるほどの絶叫。



はい、そーです。そーなんです。

大ムカデが出てきたんでございます。

半泣き状態っすよもう・・・。


必死でプランターの裏に隠れるムカデを、これまた必死で追跡。
家の周りに撒くムカデ用防虫粉をムカデめがけてまき散らした。

もう片方の手でキンチョールをスプレーしまくる。

その間、ずーーーーーーーっと叫びっぱなし。

ご近所の皆さん、うるさくてすみませんでした(汗)

先日お風呂場にいたのより大きかったっす(涙)

勘弁して・・・(涙涙)



夕方、買い物から帰って息子を車から降ろすと、どうもおかしい。

息子のほっぺがまっかっか。

それにいやに身体が熱い。

しかも元気がない。

熱を計ったら39度近くあってビックリ!

さっき車乗るまでは普段通りだったのに・・。


しかし、滅多に熱なんて出ない息子が、たま〜に出すときは
必ず休日の前の晩からなんだな。

絶対病院やってない時間なのよ・・とほほ。

かつて流行った「マーフィーの法則」みたいだぞ。


オムツ替えたら、男の象徴(袋の方)が見事にグッタリ状態。

「男の子は熱が出るとおちんちんがダラーッとするから
よく分かるのよ」

・・と、義母が言っていたのを思いだした。

確かに。ダラーッとしすぎてるくらいダラーッとしてる。

義母、だてに男3人育ててないな。うん。

しかし心配・・。

もーオロオロしちゃって・・たはは。情けない母親だー。

たまのことだとどーしていいか分からなくなっちゃうんだな。

咳も少しするが、とにもかくにも早く熱が下がって欲しい・・。

せめて「熱さまシート」とかおとなしく貼ってくれるとありがたいのに。

座薬が残ってればなあ・・・。


ガンバレ、ちびりとるよ!


2002年04月12日(金) 不幸ってなんだろ。

今日はちょっぴり女らしい格好をしてみた未亡人、りとるっす。

バッチリメイクもすると、あらいやん、私まだイケるかも〜?!

・・・なーんて(笑)


今日はホントに平穏無事な一日だった。

ムカデも出なかったし。こけなかったし。
息子もわりと良い子してたし。

たまにはこんな日もあっていいわねん。

どーしてもダンナのこと思いだしてどよ〜んとするけどね・・。

このどよ〜んが少しずつでいいからなくなっていけばね。


父が話し合いに応じてくれるらしいし。

でも母は、同居中の再婚相手にどう話をするか悩んでいるようだ。

そりゃそうよね・・。

他人のためにお金出して家買って住まわせてあげたとたん、
「実家に帰ります」なんて出て行かれちゃあ・・。

私ってめちゃめちゃ罪人じゃないか・・。

ううう。



今日、息子といつものようにアニメを見ていたら。

「ビバ!不幸」とタイトル。

なんじゃそりゃ。

主人公の友人が、くだらないことで「私は不幸」と悩んでいて、
でもその子以上に不幸な人が現れるわけ。

で、その子曰く。

「自分が不幸だと思ったら、自分より不幸な人を捜して
その人の不幸話を聞くのよ。そうすれば自分は不幸じゃないって、
元気になれるじゃない」

「ビバ!不幸!!よ」

・・・はあ。

でも出てくる人の不幸話は不幸といえないものばかり。

「喫茶店に入ったらウェイトレスが怖かった」とか。
「饅頭を下の紙ごと噛んでしまった」とか。
「鼻をかもうとしたらティッシュがきれていた」とか。

さすがお子ちゃま番組だな。

子供らしく「プチ不幸」というわけか・・。


世の中きっと、私も含む自死遺族を見て「こんな不幸な人がいるんだから
自分はまだマシ」って思う人がいるのだろう。

それは不自然なことではないけれど・・。

私も実際「きっと自分よりもっと不幸な人はたくさんいる。
だから頑張らないと」って思うことがある。

けれど・・。

本当はそうやって比べてばかりの人生はよくないよね・・。

人間はつい何でも比べたがるけど。

人間の愚かな部分かもしれない。


お、何だか小難しい話になってしまった。ほほ。
いつか不幸から脱却するのだ。うむ。


2002年04月11日(木) 恐怖の浴室

久々に手紙なんぞ書いたら途中から手が震えてしまった
未亡人りとるっす。

いかに最近文字を書いてないかってことだなーううむいかんいかん。
「書くこと」大好きな私なのに〜。

最近すっかりメールばかりになっちゃってるからなあ。
みんなケータイもしくはPC持ってるから・・。
だからたまに手紙が届くとちょっと嬉しかったりして。
やっぱり手紙はいーもんだ。

文字もその人の品性をあらわすよね。

ヘタでも丁寧に書いてあると好感が持てるもの。
でも以前流行った「少女文字」やコギャルっぽい字は、すごーく
頭が弱く見える。
母が病院からもらってきた薬の袋に書いてある母の名前を見て
わたしゃ驚いたよ。

めっちゃめちゃ作り込んだ「ギャル文字」・・・。

おいおい・・・。

社会人になったらこういう字書くのやめろよ・・って思ったぞ。

話し方。書く文字。

私もまだまだ精進しないとって思うけど、やはり大人になったら
自分をバカに見せるのはやめようよ。

・・と、独り言。




今日はそんなこと書いてる場合じゃないのであった!!!!!

出た!!!!!!

また出た!!!!!!!

むっむっむっむっむかでえええええええええ。


それは母の叫び声から始まった(またかい)。

母が浴室の排水溝にたまった髪の毛を取ろうとしたら・・。

すでに息絶えたムカデが!!!!

ううううう思いだしただけで鳥肌が・・。

「取ってえええええ」と叫ぶ母。

仕方なく私が手袋をしてティッシュと袋を持ちスタンバイ。

恐る恐る浴室を覗く・・・。




ギョエエエエエエエエ!!!!!!!!

なんちゅう大きさ!

太さは手の親指ほどあるだろうか、長さは15センチはある!!!

それがヘビのようにとぐろをまいているのだ。

・・・・。

で、取るのに30分以上かかりました・・はい・・・。

髪の毛に絡んで取れないし・・おまけに裏側まで見てしまった。

ああおぞましい、ムカデの裏側!!!!!

テレビの裏側なんて目じゃないぞ!!!!

あんな裏側いやじゃ!!!!!!

私のすさまじい叫び声に息子も半泣き状態。

ああこんな時に男の人がいたらなあ・・・。

息子よ、はやく大きくなってムカデ始末してね(涙)



今日は霊柩車を何度も見るし、もー最悪・・・。
何かが取り憑いていたのかしらん。もういやあ(涙)


2002年04月10日(水) 息子、驚きの好物

おでこでこぼこ未亡人、りとるっす。
(詳細は昨日参照・・)

どうでもいいことなんだけど、ランキング、
くら〜〜〜い話を書くとなぜか上がるのよ。

明るいというか、健全な話は未亡人に似合わないのかしらね(笑)

確かに「未亡人」ってイメージ、私自身にはないもの。

いつまでも亡き夫を想い涙する・・それが未亡人のイメージなんだろか。

しかも私の場合、ダンナは自殺だかんね・・。

今日も運転中霊柩車とすれ違っちゃって。

心臓がギュッと痛んで血がざわめいた。

顔がゆがんだのは誰にも見られなかったから良かったけど・・。

見た目は元気なのよ。一応。

でもね。

心からは今も血がドクドクとあふれ出てる。

傷口が全然ふさがらなくって。止まらない。

忘れようったって無理。

幸せな日々が蜃気楼のような、幻だったんじゃないかって思う。

3年前の5月某日。

人生で一番幸せだった結婚式の日。

結局、結婚記念日は一度も二人で祝えなかった。

あの日を越える幸せがいつか来ると信じたい。


ってか、どーして死ぬかなあもう!!!!

むかむかむか。

前日まで「りとるはオレが守る」なーんて言って私を抱きしめてた
くせしてさー!!!!

ばかばかばか。

前兆も予告も遺書もなく突然死ぬなってのっ!!!

いらいらいら。



イライラするので話変えようっと。

今日は午後に郊外店へ。

チャイルドプレイコーナーなる場所で、息子は大コーフン。

小さな滑り台と、布張りの大きな積み木がいくつかあっただけだけど。

他の小さな子供達とキャーキャーはしゃぐはしゃぐ。

嬉しくて楽しくて仕方ないという感じだった。

いいなあ。

見ていて羨ましくなっちゃったぞ。

しかしコーフンしすぎて夜11時まで寝なかったのは参った・・・。


それにしても、息子の最近の好物には驚く。

紅生姜。

ボリボリバリバリ食べる食べる。

おいおい・・。

「かれ〜」(からい)って言いつつ「おいち〜」だって(笑)

指も唇も真っ赤にしちゃって・・それにしても、普通子供って
紅生姜あまり食べないぞ・・・私も嫌いだったし・・・。

変わったヤツ・・・。


2002年04月09日(火) 激突!!!

昨夜怖い夢を見ちゃった未亡人、りとるっす。
熱帯夜で寝苦しかったからなあ・・(って、もう!?)
息子も寝苦しかったらしく5分に1回寝返りをうっていた・・。


で、今日こうして無事に日記を更新できてホッとしているワケで。

タイトルで「交通事故?」って思われたかもしれないけど・・。

いやいや、そんなんじゃないっす。


朝、息子より先に目が覚めてはっと気づいた。

「あ、今朝は雨が降っているんだっけ」
「多肉植物庭に出しっぱなしだ」
「あれ雨にさらしちゃいけないんだった」
「はやく移動させなきゃ」

ガバッと起き、息子を起こさないようそーっと部屋を出た。

階段を駆け下り、玄関を開けて庭に出る。

案の定小雨が降っている。

いやーん、もうとっくに濡れちゃってる・・とほほ。

でも取り込んでおこう。

両手に鉢を持ち、振り向いて玄関に向かったとたん。

・・・足元がふらついた。

というか、つまづいたんだろーか。覚えてない。

よろけてバランスを崩した。

普通手をついたりして身を守るものだが、両手には大事な鉢。

とっさに鉢をかばった。



ガッシャーーーーーン!!!!!



見事に玄関に激突。

コンクリートの角で頭(おでこ)を強打した。

ついでに寄せ植えにも突っ込んだ。

桜草の花がバラバラと散らばった。


私はそのまま玄関(外)に倒れ込んだ。

鉢はしっかり置きつつ、でもしばらく動けなかった。

誰も通りがからなくてよかったー。

パジャマ姿で倒れてる姿なんて恥ずかしいったらありゃ〜しない。


しばらくして何とか起きあがった。

絶対頭割れたと思ったが、鏡を見ても赤く腫れているだけだった。

その後の激痛は耐え難いものだったが・・。

脳内出血で死ぬかもとすら思ったオバカな私・・。

今のところ大丈夫っす。

母には「起きてすぐ動くのはダメよ」と言われた・・。
はい、ワタクシ筋金入りの低血圧でございます・・とほ〜。

シャンプーの時が一番痛くてつらかったっす。はい。

しばらくはでこぼこおでこの未亡人りとるなのであった(笑)



しかし今日も息子に引っ張り回され近所を3周。ううう(涙)
でもまた土いじりしちゃったもん。ハーブ植えましたあ(笑)


2002年04月08日(月) 追いかけて3周

いやあ暑かったっす今日は。

長袖着ているのが苦痛だった・・(じゃ脱げばよかったのに)
これじゃ夏よね夏〜。
桜もツツジも一緒くただわ。

虫がウズウズ動き出すように、息子も外へ出たくてウズウズ。

玄関でひたすら叫ぶ。

「ママン!マ〜マン!!マ〜〜〜〜〜マ〜〜〜〜ン!!!!!!」

最後はほとんど絶叫。

根負けして靴を履かせる。

ぐいぐい手を引っ張られ散歩へ。

あぢ〜〜〜〜〜。

帽子が要るよこりゃ。

息子も顔真っ赤っ赤。

昼はぐるっと一回り歩いて終了・・。



でもって夕方。

再び「マ〜〜〜〜マ〜〜〜〜ン!!!!!!」が始まる。

・・・靴を履かせ外へ。

今度は外用の車のオモチャ(またがって足で漕ぐやつね)を抱えて
階段を「んしょんしょ」言いながら降りていく。

たはは・・・(汗)


愛車に乗ってガーガー音を立てて走っていく息子。

そのスピードについていけず小走りで追いかける私。

細い道なら良いけど車道は怖い。

息子がまだ端に寄ってないのにスピード落とさず走り抜ける車も
あったりなんかしてヒヤッとする。

息子もあまり恐怖感がない。

ガンガン走る息子を追いかけつつ、車が来ないかキョロキョロと
視線を動かすのはことのほか疲れる。

やっと家にたどり着いたと思ったら、息子素通り。

おいおい、まだ行くんかい!!

仕方なく後を追いかける。

しかし息子は急な坂道でもガンガン車に乗って登っていく。
・・負けた・・。
しんどいだろうと思い後ろを押そうとすると手を払いのけられる。
しんどくなったら車から降りて自分で押す。

ガ〜ガ〜ガ〜ガ〜押す。

しばらくするとまたがってガ〜ガ〜ガ〜ガ〜走っていく。

なんちゅう体力。脚力。

百数十劼鮗転車で日帰りしたパパゆずりだわ。恐るべし。


で、再び家に到着。

・・・と思ったらまた素通り!!!

私が家に入ろうとすると怒る怒る。

・・・おいおい。

3周目かい・・(汗)


結局1周約1キロ、3キロ歩いた。

上りあり下りあり。

人生みたいな散歩だった・・・。



育児は体力が勝負。


2002年04月07日(日) 昔にはもう戻れない

今年の夏は数年振りにノースリーブに挑戦しようと思う
二の腕プヨプヨ未亡人、りとるっす。

本日は天候悪し。

なので一日家にこもる。
最大のメリットはお金が減らないってことね。
最大のデメリットは体重が増えるってことよ。

わはは、うまい。私に座布団一枚。

世の若者もやたら言葉を省略せず、ひねりなさいひねりなさい。

うざいとかきもいとか、頭弱いよ。

うざったい、気持ち悪い、ちゃんと日本語話そうね〜。

日本語ちゃんと話せるだけで人としてのポイントグッと上がるわよ。


・・と。おばちゃん(!)の独り言はここまで。

いよいよ母に実家を差し押さえするから覚悟してと言われた。

昨年10月から7ヶ月間も父からの慰謝料(財産分与)が振り込まれて
いないのだ。

「お金がない」「また借金した」「もう首吊らないと」が
母の口癖になった。

今日は「(父に)死んで欲しい」とまで言っていた。

自分が先か、相手が先か。
どちらかが死ぬ・・そこまで追いつめられているみたい。

何せトイレのスプレーまでケチるようになったからなあ・・。

私「トイレ入ったらスプレーしてよ」
母「スプレー代もったいないでしょ」
私「・・・はぁ(溜息)」

明日は母の誕生日だっていうのにな〜。

とっほほのほ〜。

明日実家に行って手紙でも置いてこようかな・・。

「せめて(母からの)電話には出て」って。

話し合い。しなくちゃ・・。


2002年04月06日(土) つかの間の再会

ざざっと今日一日を振り返り。

・子供御輿が前を通りチャイムまで鳴らされるが、怪獣息子の世話で
ご祝儀どころじゃないわい!

・初恋草の植え替え。
・ヒヤシンスの植え替え。
・花がら摘み及び水やり。
明日から天気悪いから土いじりは今日中にね。

・息子と散歩・・というか無理矢理息子に手を引っ張られ・・。

・往復80劼瞭擦里蠅魃薪勝0柄依縮鵑靴織優海鵬颪い帽圓。
あれから2週間くらいかな、ずいぶん大きくなっていた。

・中華料理店で動き回る息子を取り押さえつつ食事・・・母と二人
ひたすら胃に流し込む・・味が分からないぞ(涙)

・帰宅。ソファでグッタリ寝ていたら息子に思いっきりビンタされ
ほっぺたに紅葉付着・・・いい痛いじょ・・。

・息子就寝後久々にビールを飲んだら胃が痛い・・とほほ〜。


・・という感じで。
何だかな。わっはっは。
猫屋さんでまた息子がぐずって大泣きしたとき、居合わせた
数人のお客は「何でこんな小さい子いるのにネコ飼うのよ・・」って
思われたかもしれないなー・・。
息子もまだまだ動物だからねえ。しかも超厄介な・・。

我がスコティッシュは店内でも大人気。

あるおばさんが「この子って買い手決まってるの?」と聞いていた。

「ええ決まってるんですよー。」と店長。

ガッカリのおばさん。

すまないねえ、うちの子になることになってるのだわさー。
しかし息子がぐずるのでそのままとんぼ返り。はぁ・・。
店長さんに「もうお帰りですか」って言われちゃった・・。
つかの間ではあったけど、会えて嬉しかったよ店長(じゃないか)


最後にプチネタ。

今日もまた息子はお風呂場でウンチいたされた。

しかも母もビックリの巨ウンチ。

息子はボトッとウンチが落ちた瞬間に「ギャ〜」と怖がって
お風呂イスに飛び乗った。

ウンチに向けられる恐怖のまなざし・・・。

もーおっかしくておかしくてわっはっはっはっは。

ウンチを何だと思ってるんだろうなー。

イヤハヤおもろいヤツよ。


2002年04月05日(金) 子連れ女の再婚について

昨日の予告通り、本日は一考察。
あくまで私の主観、入っとりますです。

先日、3歳の子持ち女優大塚寧々と2枚目俳優田辺誠一が結婚。

大塚氏は去年離婚したばかりだそうな。

二人の会見を見たわけではないので誤解があるかも知れないが、

「ねねちゃんよ、結婚に懲りたんちゃうん??」
と思った。

なしてそんなに結婚に急ぐのだろう。

急ぐとまた失敗しちゃうぞ。


ま、「節操がないわねえ」と思ったとしても、所詮ひがみよね。

いい女はいいな〜。

子持ちでもいい男がもれなくやってくる・・と思う。

そういう職場なんだろうけども。

世間一般的には、子持ちの再婚は難しいんじゃないだろーか。

新しい「父」または「母」に子供がなじめないとか。
んでもって、「なつかない」なーんて言って虐待するとか。
後から生まれた子供ばかり可愛がられてしまうとか。
つまり、相手の連れ子に愛情が持てないということ。
その他にもいろいろいろいろ問題はあると思う。

みんなそれらを乗り越えて生きているんやね。うん。

だからねねちゃんはすごくラッキーというか、幸せ者なのだな。

田辺くんも、初婚でいきなり「パパ」になるとは思いもしなかった
だろうし。ま、頑張ってくれたまへ。

何が言いたいのかっていうと、要は羨ましいのだな(爆)

離婚してもすぐ次が見つかるんだもん・・。


「人間は、いつも誰かに無条件で愛されてないときっとダメなんです」
最近かかさず見ているドラマの主人公のセリフ。

今の私、ダメかも・・・。

ヘタってる・・・。

子育てのためだけに生きるのもいいけれど、やっぱり誰かに
愛されて生きていたいよ・・。

幸せになりたいな・・ぐすん。


2002年04月04日(木) 怖かったけど切り抜けた!

自宅PC歴3年、ダンナが買ったPCも今や私の物。ふっふ。
らぶらぶらぶり〜未亡人、りとるっす。

で、3年目にしてついにウィルス初体験。きゃあ。


今日もいつものように電源を入れ、メールソフトを開いた。

おお、木曜日はメルマガ多いのよね、12通も来たか〜。

と、突然ウィルスバスターから警告。

「ウィルスが見つかりました!!」

おお!

ついに来たか。

こわあい。

どきどき。

ウィルスバスター君は「ボクには駆除できないから、
キミ手動でやってくれる?頼むね〜」だって。んもう。頼りないわねえ。

で、指示のあったアヤシイメールは中身見ずに抹殺しました。

ほっと一息。

ほぼ毎日のように、こまめにアップデートして万全の状態にしていて
ホント良かったわ。
ありがと〜、ウィルスバスター君。惚れ直したよん。

誰だか存じ上げませんが・・私にウィルス送ってこないでくださいね〜。
お願いいたします・・。



・・って、今日はホントは別のこと書くつもりだったんだけど。

えと、子連れ女の再婚について。

大塚寧々と田辺誠一が結婚したでしょ。

それでふと思ったんだけど。

長くなるので続きは明日に・・・。

って、明日また事件が起こったりしてね。わはは。




2002年04月03日(水) ついに恐れていたものが・・・!

本日も暑うございました。
息子、半袖着せました、でも散歩で顔真っ赤にさせてました。
慌てて夏物を出す始末。
春は何処へ???

夜、息子を寝かしつけ、ヤレヤレとのんびり雑誌を見ていたら、
階下で母の叫び声。何やらガンガンうるさい。

息子が起きかけた。

んもー、静かにしてよお。

降りていくと、母がへたり込んで泣きじゃくっている。

????

そのまま台所へ行こうとするとすごい力で止められた。

????

どうやら。

ついに。

出てしまった。

涙涙涙。




ムカデ。



ひえええええええええええええええええええええええええええええ〜。


昨日家のまわりにびっしりと薬を撒いたのだが、どうも床下に
潜んでいたのが隙間から登ってきたようだった。

ただでさえ体調が悪い母は、息も絶え絶えの状態。

ああんいやだいやだ。

これからはスリッパや靴を履くときも中をチェックしないと。

布団に入るときも要注意。

絶えず周囲に目を光らせないと。

万が一噛まれたらと思うと恐ろしい。

大の大人でさえ救急車で運ばれるんだから(叔父が経験アリ)。

息子が噛まれたらと思うと怖くて身震いする。

頼むからもう家の中では出てこないで〜。



ゴキブリ、カメムシ、ムカデ。

この3つはイヤっす。はい(涙)。


2002年04月02日(火) 酒の肴って何???

暖かくなって、いよいよムカデも出てきそうなので。
家のまわりにムカデ用殺虫剤を撒いた。
ムカデだけでなく、蜘蛛などにも効くようだ。
あとは網戸つけなくちゃ。今日は暑かったのに窓開けられなかったよー。
(外はとにかく大量に虫が飛び交っているので・・・)

今日の息子はちょっぴり聞き分けが良かった・・気がする(笑)
でも洗車の時、わざと水の下に行ってびしょ濡れになっちゃったけど。

なので、イライラもちょっと「お休み」だったかな。


でもちょっと困ったことが。

ついに同居している母の再婚相手が生活費を入れた。
その代わりと言ってはなんだが、毎晩酒の肴を作って欲しいらしい。

酒の肴。つまみ。

・・・って、何??

私はご飯でも何でもアルコールと一緒に食べられる。
ので、私にとっては食べ物すべてが「酒の肴」なのだ。

わざわざ別個に「肴」を作るという考えがない。知識もない。

ちなみにダンナも、食事中にお茶代わりでビールを飲む人だった。

肴ってなんだろーなー。

刺身とか??

枝豆とか??

冷や奴・・とか??

ううむ。

ちなみに私は何でも「おかず」に出来る。
一般的に酒の肴とされているようなものでも、私にとっては
ただ単に「おかず」の一つにすぎない。

イカの塩辛だってフライドポテトだっておかずだもーん。

今日はてきとーに煮物。
息子、その中の角麩のみ食す。

・・ちょっとくらい白いご飯食べておくれよおおおん。

息子の偏食にはほとほと困り果てている・・。




2002年04月01日(月) 自分の大便に茫然自失

すっかりあったかくなっちゃって〜。
何だか自分の人生も暖かくなったような錯覚を覚えますな。

いつかまた恋をするぞ!!と思い立つ未亡人、りとるっす。

いつかって、いつ・・?!ってなツッコミはさておいて。


今日は先日あった事件で、今まで温めて?おいたネタ。
食事中のみなさん、終わってから続きを読んでくださいませ。


その日もいつものように息子と入浴していた。

息子の頭を洗い、身体を洗い、自分の頭を洗い、身体を洗う。

さっと自分だけお湯に浸かる。
(息子は以前滑って溺れてから湯に入りたがらない。しかも
私が入るだけでも怒って泣く)

さあ出ようかと思って息子を見ると、顔がヘン。

・・ふんばってる・・・。

と思ったら、巨大な物体が「ボトッ」と音を立てて落ちた。

やっぱし。

ウンチ。

息子は背後で何が落ちたかと振り向いて「うわっ!」と驚き、
ズルズルと後ずさり。

目は大きなウンチに釘付け。

そか、今までオムツの中でしてたしなあ、自分が何を
排泄したかなんて、いちいち確認させていなかったし・・。

以前もお風呂場でウンチはあったけど、今回ほど大きくなかったし。
今回はまるで大人のみたいに立派だし。

自分の排泄物に恐れおののきつつも、第2弾、第3弾が
ボトボトと出る。

第1弾ほど大きくない。

それなのに、息子は第2弾も第3弾も見て怖がる始末。

「なにこれなにこれいやあああん」って感じ。

えええん・・と情けない泣き声を出す。

あわや一つを踏みそうになり「うわああん」と飛び上がった。

可笑しくて笑いを堪えるのに苦労した・・・。

浴室中に充満する臭いにも参ったが・・・。


さあて、トイレトレーニングはいつからやろっかなあ・・。

さほど深刻に考えない、そうよ私はグウタラママ。

毎日お風呂でおしっこはもう勘弁してほしいなあ〜。
お風呂場はトイレじゃないのよん。


しかし最近胃が痛い・・。
体調悪いっす。
とほほ。


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