2012年06月23日(土) |
方針を書き留めておく。 |
今後というか、これから来月に向けての方針を忘れないように記しておく。
来月、ついにXデーが到来する可能性が高まってきた。中身がどうなるかは予想もつかないが、何かのきっかけになる可能性は非常に高い。そこで今までの生活にピリオドが打たれる可能性も視野に入れて、明日からは仕事をするべきだろうと思う。
いつ、辞めてもいいように仕事をするべきだろう。それはどうせ辞めるから適当にという事ではなく、不意に終止符が打たれても後悔がなるべく少なくなるように仕事をしようという意味だ。
いまできる事をやる。
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相変わらず精神的には継続と崩壊の間をさまよっている。言葉にすると「死にたい」なのだけど、最近では実家に帰って両親を養う余生を想像する事が多くなった。
誰かと結婚して実家の近くで、両親を援助しながら死ぬまでに孫の顔を見せてやりたい。どうせ死ぬなら、その方が何倍も意味があるような気がしてきている。
それに伴って、「死にたい」という感情は、つまり「投げ出したい」とイコールに変化したのではないかと思いついた。よって、生と死ではなく継続と崩壊の境界線なのではないかと考えたのだ。
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そういった感情の変化も踏まえて、Xデーを一つの区切りとして、いま出来る事をやっていけるように、ここに備忘録的に記しておく。
なんというか、自分の本当の気持ちをぜんぶぶちまけても大丈夫な相手が一人もいないというのは、つらい。つまり、僕はいまだに僕という存在を許してくれる相手を見つけられずにいる。
彼女は僕という存在を許してはくれなかった。それは僕が死に到る病に陥るに足るトラウマとなっているにちがいない。
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思考能力が奪われるほど仕事に全てを吸い取られて、家に帰って一人になると傾く心をどうにか立て直して、嫌々ながらも仕事を続けざるを得ないので、どうにか出勤できるだけの状態には立て直す、というサイクルの日々。その先に何か未来が見えるわけでもなく、みせかけの希望を捏造してやり過ごす日々。
こんなののためにがんばってきたわけじゃない。 もういやだ。 やめたい。 もうじゅうぶんがんばったじゃないかと、誰かに慰めてほしい。
それが今の僕の偽らざる気持ち。
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